第七話 夢を想えば⑫
大陸暦1564年12月9日、十字軍はついにゼーデンブルグ要塞に迫った。
――――ゼーデンブルグ要塞。
その要塞はアルテンシア半島の付け根に建設され、いわば不埒な侵入者を防ぐための関所である。ただ“関所”というには、あまりに規模が大きい。ゼーデンブルグ要塞は常時十万の兵を駐在させ、大量の兵糧を抱え込んだ大要塞であった。
だが十字軍がゼーデンブルグ要塞に迫った時、そこにいるはずの十万の駐在軍の姿はどこにもなかった。十字軍遠征が始まる少し前、アルテンシア同盟はシーヴァ・オズワルド討伐のためにゼーデンブルグ要塞の戦力を使うことを決め、十万の兵を要塞から動かしていたのである。
十字軍遠征の話は、当然アルテンシア同盟の領主たちにも伝わっていた。にもかかわらずゼーデンブルグ要塞の兵を動かしたのは、ひとえにシーヴァに対する憎悪がはなはだ深刻であったからであろう。目の前の敵を憎みすぎたがために、背後の敵への対応を怠ったのである。
その結果、十字軍が迫った時そこには五百ほどの兵士しかおらず、ゼーデンブルグ要塞はたった半日で陥落したのである。ちなみに要塞にいた兵士のほとんどは戦わずに逃げたため、流血をともなう戦闘はほとんどなかった。
こうしてゼーデンブルグ要塞は初めての戦闘で、その役目を果たすことかなわず陥落したのであった。
ちなみにシーヴァ・オズワルド討伐のために動いた同盟軍十万は、要塞が陥落する三日ほど前に反乱軍と野戦を行い破れている。この時点でアルテンシア同盟の軍事力が消滅したといっていい。
さて、ゼーデンブルグ要塞を陥落させた十字軍は、そこから三つに軍を分けそれぞれ進軍した。これは軍事的な思惑にもと基づく行動ではない。三十万の大軍のまま行動していては、略奪する物品と戯れる女の数が減ってしまうではないか。これはなるべく多くのものを奪い多くの女を犯したいという、極めて下劣な欲望に基づく判断であった。
ちなみにゼーデンブルグ要塞にはただの一兵も残さなかった。これまた理由は単純で、要塞に残っていてはいい思いをすることができないからである。
暦は新年。一方にとっては喜ばしい、一方にとっては災厄としかいい様のない年明けとなった。
彼らは己の欲望に忠実に行動し、アルテンシア半島の南東部半分で己が春を謳歌した。無論違う視点から見れば、そこを地獄に叩き落した、としか言いようがない。
同盟軍といういわばアルテンシア半島の正規軍に当たる軍事力を失った領主たちは、自分たちの私兵だけで十字軍に対処しなければならなくなった。彼らが足並みを揃える時間があればよかったのだが、あいにくと十字軍はその時間を与えてはくれなかった。欲望に目を血走らせて襲い掛かってくる十字軍の前に、各地の領主たちは各個撃破されていったのである。
なんとか連合軍を組むことができた三人の領主たちが十字軍に敗北したとき、アルテンシア同盟は事実上瓦解した。腐敗に憤り同盟打倒のために兵を挙げそして弱らせたのはシーヴァだが、同盟に止めをさしたのは十字軍であった。アルテンシア同盟結成の主たる目的が、大陸からの侵略に対抗するためだったことを考えると、皮肉な歴史の巡り会わせと言えるかもしれない。
この遠征は十字軍の、というより教会の主張によれば“聖戦”であった。神々を敬わぬ異教徒たちを改宗させるための“聖戦”である。事実十字軍には百名ほどの聖職者と枢機卿の一人であるグラシアス・ボルカが同行している。
しかし、アルテンシア半島に残された資料と教会や神聖四国に残された資料の双方を精査してみても、彼らが半島で布教活動を行い住民の改宗を促したという記録が残っていないのは一体どういうことであろう。
ある歴史家は、こう述べている。
「“聖戦”という建前は、アルテンシア半島で行われる破壊活動や略奪、暴行などに対するいわば免罪符であった。仮にこの第一次十字軍遠征が成功していたら、“聖戦”という建前を用意できたことは、外交上の輝かしい勝利になったであろう」
さて十字軍は快進撃を続け、半島の南東部で蹂躙の限りを尽くした。しかし、そこからさらに北西部へ進軍しようとした十字軍の前に立ちはだかったのが、シーヴァ・オズワルドその者であった。いや「立ちはだかった」という表現には少し語弊がある。なぜならシーヴァは守勢に回ったのではなく、攻勢に打って出たのだから。
ある街が三つに分かれた十字軍の一つに蹂躙されている。絢爛豪華な城を中心とした城下町だ。この城を中心として地方一帯を治めていた領主一家は街の広場に引きずり出され、「神々の裁き」の名のもとに処刑された。
それから始まったのは、住民たちの犠牲の上に成り立つ十字軍の酒池肉林の宴であった。兵士たちは家々に押し入っては略奪を繰り返し、女子どもを攫った。男の体に藁を巻きつけて火をつけ、絶叫しながら焼け死んでいくのを肴に酒を飲み肉を貪った。それを諌める立場のはずの聖職者たちは、むしろ兵士たちをあおり宴の中心となっているというのが常であった。
そんな狂乱の宴を強制的に終わらせたのがシーヴァ・オズワルドであった。彼は歩兵四万騎兵二万、合計六万からなる非常に機動性の高い軍を組織すると、連戦連勝で驕っている十字軍を強襲したのである。
ろくに見張りを立てることもせず狂乱の宴に興じていた十字軍はシーヴァ・オズワルドの襲来により、奪う者から奪われる者へと一瞬にして立場が逆転したのであった。
「殺せ!殺しつくせ!一兵として逃がすな!!」
この時点ではまだこの街はシーヴァの勢力範囲外であったが、ここで殺され辱められ虐げられているのは彼と同じアルテンシア半島の同胞たちである。シーヴァの命令は苛烈で容赦がなく、また忠実に実行された。
この時のシーヴァの作戦は周到であった。まず彼は直属の部隊として歩兵一万騎兵五千を選び、残りの四万五千の兵に街の四方の門のうち三方を固めさせた。そして四つ目の門から直属部隊を率いて中に攻め入ったのである。
突然の強襲に震え上がった十字軍はろくな抵抗もせずに逃げていく。どこへ隠れてようとも、つい先ほどまで狩りの獲物か愛玩動物くらいにしか思っていなかった街の住民たちによって、兵士たちは発見され追い立てられていく。街から逃げ出した十字軍兵士たちは、そこに待ち構えていたシーヴァの軍によって次々に殺されていく。こうしてこの日だけで十字軍およそ十万の内七万近くが屍をさらす結果となったのである。
逃げ遅れたらしい聖職者たちがシーヴァの前に引き出されてくる。卑しい笑みを浮かべた彼らは口々に助命を願った。その中で教会の権威をちらつかせ、「ここで助けてくれればお前の得になる」と臭わせることを忘れない。あまつさえ異教徒になにをしても大したことはないとまで言い出した。今彼らの目の前にいるシーヴァも、その“異教徒”であることを彼らは忘れていたのだろうか。
醜い。
シーヴァはそう思った。顔立ちの話ではない。その選民意識に凝り固まった思想が醜いのである。
ガビアルやメーヴェといったゼゼトの民も同様に感じたらしく、壮絶に顔をしかめている。生理的な嫌悪すら感じている様子だ。
「黙れ………!」
絶対零度の声音で、シーヴァは目の前の醜い豚どもの話を遮った。これ以上聞いていては耳が腐ると思ったのだ。
最終宣告の如くに響いたシーヴァの言葉に顔を青くした聖職者たちは、今度は責任逃れの言葉をまくし立てた。全ては十字軍がやったことだ。自分たちは悪くない。婉曲の限りを尽くしてそう主張する聖職者の一人を、シーヴァが蹴り飛ばした。それを見た他の聖職者たちは舌を凍りつかせる。
「誰が喋っていいといった」
聖職者たちが静かになるとシーヴァは部下に命令を出す。
「教会の教義には、『汝、殺すべからず』というものがあり、反した者は石打にされるという。この者たちは教会の聖職者だ。信じる教えに殉じさせてやれ!」
もはや意味をなさない喚き声を上げながら連れて行かれる彼らを一瞥し、シーヴァはようやく溜飲を下げる思いだった。
この小さな勝利一つでシーヴァは満足することはなかった。十字軍が三つの部隊に別れていることはシーヴァも把握している。あと二つ、叩き潰さねばならない敵が残っているのだ。十字軍全てをアルテンシア半島からたたき出さなければ、同胞たちに安寧は訪れない。
シーヴァはすぐに行動を再開した。
次の十字軍を見つけたのは夜半過ぎ、とある村でのことだった。今回も駆けつけるのが少し遅かったらしく、すでに略奪と狂乱の宴が始まっていた。城壁もない村だ。あちこちに焚かれたかがり火と大勢の人影は離れていても見て取れた。響く笑い声に悲鳴が混じっているのは、決して聞き間違いではないだろう。
この村で十字軍が行ったことが歴史書に記録されている。周辺の村々をあらかた略奪し尽くし、この村で“祝勝会”を開いていたという。その中身は「蛮行」の一言に尽きるだろう。親と子どもを殺し合わせ、生き残ったほうは家族殺しの罪で処刑された。兵士たちは女に餓えており、女と見れば老婆であっても犯した。
シーヴァの手の中で、馬の手綱がギシリと音を立てた。この強盗どもを見逃してやる理由を、彼は持ち合わせていない。
「なるべく音を立てるな」
漆黒の甲冑で統一されたシーヴァ軍は、夜闇にまぎれて村に近づいていく。音を立てないようにしていたとはいえ、隠密行動と言うほどのものではない。にもかかわらず十字軍がシーヴァ軍の襲来に直前まで気がつかなかったのは、彼らが狂乱の宴に没頭しここが戦地であることを忘れていたからであろう。もっとも遠征の始めから十字軍はアルテンシア半島を都合の良い狩場程度にしか見ていなかったが。
「敵襲!」
一番最初にシーヴァ軍の襲来を察知した男は、それだけ叫ぶと首を刎ね飛ばされ首から二種類の赤い液体を噴出させて絶命した。倒れた彼の体を踏み潰しながら、シーヴァ軍の人馬は村の中に突入していく。またたく間に、歓声をあげる側と悲鳴をあげる側が逆転する。それでもまだ村の娘に襲い掛かろうとする十字軍の兵士がいたこと考えると、人の欲望の深さを思わずにはいられない。
シーヴァはその男を蹴り飛ばし少女の上からどけると、槍を突き刺し地面に縫い止めた。少女のほうを見ると、服は破り捨てられていてもはや用をなさず、何人の男の相手をさせられたのか分らないような有様であった。
シーヴァはマントを取るとその少女にかけてやった。少女は怯えながらもマントで肌を隠し、シーヴァの顔を見上げた。
「家の中に隠れて毛布を被っていろ。日が昇るころには、全てが夢だったと思える」
少女が頷くのを見て、シーヴァは身を翻した。ついさっきの自分に言葉。その言葉がただの慰めでしかないことを、シーヴァは良く知っている。しかし同時に、その言葉の通りになって欲しいと、そう思わずにはいられないのであった。
男に突き刺したままになっていた槍を引き抜く。そしてシーヴァは声を張り上げた。
「斬れ。斬りまくれ。遠慮も容赦も要らぬぞ!」
シーヴァの命令はここでも忠実に実行された。いや、彼の命令がなくともシーヴァ軍の兵士たちは十字軍を許しはしなかっただろう。彼らの目の前で殺され犯され虐げられているのは、同じアルテンシア半島の同胞たちなのだ。運命などというものを彼らが信じていたのかは分らないが、その歯車が一つ狂えば自分たちと家族が目の前の災厄を被っていたかもしれない。怒りと憎しみは敵を殺すことでしか晴らせはしない。
この夜十字軍およそ十一万のうち、約六万がその屍をさらした。さらに二万人が捕虜となり、逃げおおせたのは三万人程度だけだったのである。
捕まって捕虜となった二万人には、戦場で死んだ者たちよりもさらに過酷な運命がまっていた。シーヴァは彼らを略奪された村々の住民たちに引き渡したのである。
「そなた達の家と畑を焼いて父兄弟を殺し、母姉妹を辱めた者たちだ。そなた達には復讐する権利がある」
この二万人が受けた復讐の中で最も残酷なものは「車裂き」であったという。それでも四割程度の者たちはそれぞれの村に農奴として連れて行かれ、命だけは助かった。さらにその内の半分程度は後に自由になってこの地に定住し、嫁を貰うなどして人並みの幸せを手に入れた。また千人ほどは後に祖国の土を踏むことができたという。
兵士たちに休息を取らせる間に簡単な後始末をしていたシーヴァは、それが終わるとすぐに最後の十字軍を求め行動を再開した。一秒遅れればその分だけ略奪と暴行の被害は拡大し、半島の同胞たちの苦しみは増していく。のんびりしているわけにはいかないのである。
(私が休むのは全てが終わった後だ)
シーヴァの最終的な目的はアルテンシア半島の統一である。統一を成し遂げ王として君臨しようと志すものが、己の臣民の苦境に何もせずただ座しているだけなど、どうして許されようか。
とはいえ彼は闇雲に動き回ることはしない。情報を集め敵の位置を絞り込みそして特定していく。幸いなことに半島の住民は全てシーヴァの味方である。ただ彼らを安心させる要素となったのが「パルスブルグ要塞司令官及び要塞常備軍司令官」という、捨てたはずの役職名であったことはシーヴァとしても苦笑するしかない。
住民たちの協力もあり、最後の十字軍は草原で発見することができた。ただ彼らがこれまでの道中で略奪と暴行の限りを尽くし、半島の住民たちを虐殺し辱めてきたことは間違いない。新たな犠牲を出す前に発見できたことは僥倖であるが、許してしまった犠牲を想うと、シーヴァの胸のうちにはやりきれない怒りが湧き上がってくる。
シーヴァは後から後から湧き上がってくる怒りを抑えはしなかったが、かといって身を任せて理性を失うこともなかった。怒りを制御し糧とできるあたり、王者の器といえるだろう。
十字軍がろくに斥候も放たずに進軍しており、彼らの行く先にとりあえず村や町がないことを確認したシーヴァは、少しの間軍を潜めさせ、通り過ぎようとした十字軍の背後を襲った。
シーヴァは単騎で敵陣に乗り込み、これまでの戦いは市街地であったため被害を考えて使わなかった愛剣「災いの一枝」を手に、その威を存分に発揮させた。
――――「天より高き極光の」
そう黄金色の古代文字で印字された漆黒の大剣は、一振りされるごとに黒き風によって雑兵たちを吹き飛ばしていく。敵陣の真っ只中で「災いの一枝」を振るい続けるシーヴァはいわば黒き暴風の中心であり、彼の周りでは黒き風が敵を切り裂き吹き飛ばし叩き潰していく。
主将のこの活躍に友軍が活気つかないわけがない。シーヴァ軍は歓声をあげて敵軍になだれ込み、死を量産していった。
シーヴァの次に激しく戦ったのはガビアルを筆頭とするゼゼトの民であろう。彼らはその巨躯と怪力をいかんなく発揮し、敵をその甲冑ごと叩き割っていく。彼らの巨躯は返り血で紅に染まっていった。
日の高い頃から始まった戦闘は暗くなるまで続き、シーヴァは十字軍のなんとおよそ八割を屍に変えたのであった。
流された血の量は凄まじく、その草原では一年経っても血の臭いが漂っていたという。無論、誇張だが。
さて、こうしてシーヴァは三つに分かれた十字軍全てを叩き潰したわけだが、決して全滅させたわけではない。散り散りになったとはいえ、いまだ万単位の十字軍兵士たちが生き残っている。ただ悲しいかな、彼らを統御する人物がいなかった。
全体としては万単位の残存勢力であっても、個々を見れば一人から数人の集団でしかない。もともと十分な兵糧を用意していなかった彼らは空腹を耐えながら、住民たちの自発的落ち武者狩りという復讐を逃れるべく、ゼーデンブルグ要塞を目指した。
生きて振り出しに戻ってこられた十字軍兵士たちは、総勢で十万人に満たなかった。三分の二以上の戦死者を出すという屈辱的な結果をもって、十字軍遠征の失敗は動かぬものとなったのである。
ゼーデンブルグ要塞の一室で、十字軍に同行していた枢機卿の一人、グラシアス・ボルカは恐怖に震えていた。はじめてこの要塞に入ったときには綺麗だった職服も、今は泥にまみれあちらこちらが擦り切れている。
ほんの二十日ほど前までは美酒をあおり美女をはべらせて、見世物に興じていたのがまるで夢のようである。
(なぜだ………?なぜこうなった………?)
十字軍が負けるなど、グラシアスにとってはありえないことであった。十字軍は教会が旗振りをして始めたのだ。負けることなどあってはならない。その戦力は三二万。戦場は混乱をきたしているアルテンシア半島。軍事的にみても負ける要素は見当たらない。
しかしその総勢三二万を誇った十字軍は、今や無残に喰いちぎられその威光は見る影もない。ゼーデンブルグ要塞に逃げ帰ってこられた敗残兵たちも、残された少ない食料を巡って争っている。あまりに速い転落にグラシアスは焦燥し、またシーヴァの影に怯えていた。
(帰ろう………。そう、帰るのだ!)
神聖四国の勢力圏まで引き返せれば、教会の威光のもと巻き返しを図ることができるはずだ。なによりもシーヴァ・オズワルドの手から逃れ、命を安全に守るにはそれしかないように思われた。
しかしシーヴァ・オズワルドのほうには、彼らを逃がしてやる意思はなかった。ゼーデンブルグ要塞に十字軍の残党が集まっていることを察知した彼は、すぐさまその要塞を奪還すべく動き始めたのである。
「敵軍襲来!!」
その声が要塞内に響き渡ると、ついにグラシアスの精神は限界を迎えた。白目をむいて気絶した彼は、シーヴァ軍によって拘束されるまで意識を取り戻すことはなかった。
さて、シーヴァの動きである。兵糧の絶対量が足りておらずまた援軍のアテがない十字軍は、遅かれ早かれ撤退するしかなかった。シーヴァが十字軍の内部事情を知っていたかどうかは定かではないが、戦わずとも十字軍はそのうち撤退するであろう事は分っていたはずである。
しかし、シーヴァはそれで良しとはしなかった。
その理由が感情的なものだったのか、それとも理性的なものだったのか、はたまた世論的なものだったのか、歴史書は黙して語らぬ。シーヴァは十字軍が立てこもるゼーデンブルグ要塞に攻撃を仕掛けた。これが歴史上の事実である。
ゼーデンブルグ要塞の本来の目的は、大陸側からの侵略者に対する防波堤である。よって半島の外側、つまり大陸側の城壁は高く堅固であるが、半島の内側の城壁はそれほどでもない。目算で二メートルといったところだろうか。城門も鉄製だが、表門ほどの威圧感はない。
シーヴァは愛馬にまたがり愛剣「災いの一枝」を水平に構えると、単騎で要塞に向かって突撃した。数瞬遅れて、副将のヴェート・エフニートが全軍に突撃を命じる。ただ彼女の顔に焦りは見えない。それはこれがミスではなく、折込済みの行動であることを示唆していた。
要塞の城壁の上には弓兵たちがいて弓を構えているのだが、当然彼らは突出しているシーヴァに対して矢を集中させた。
矢が放たれる様子を視認してから、シーヴァは「災いの一枝」に魔力を食わせる。主の魔力を糧として「災いの一枝」は黒き風を発生させ、シーヴァはそれを自分と愛馬の周りに防壁として展開した。その黒き防壁は降り注ぐ矢を全てはじき返す。その様子に弓兵たちは愕然としたのか、放たれる矢の量が減る。しかしそんなことはシーヴァにはとって埒外であった。
シーヴァは黒き風を纏ったまま、鉄の城門めがけて疾走する。そして速度を緩めることなく城門めがけて突撃し、あろうことかその鉄の城門を吹き飛ばしそのまま要塞内に飛び込んだのである。
これは戦術的な効果よりも、パフォーマンスとしての効果のほうが大きかった。シーヴァのありえない特攻を見せ付けられた十字軍の兵士たちは、それだけでなけなしの戦意を喪失させ逃げることしか考えられなくなったのである。
シーヴァに続き六万の軍勢もまた要塞内になだれ込んでいく。十字軍に抵抗するだけの気力は残っていなかった。彼らは我先にと要塞の外、アルテンシア半島の外へと逃げ出していく。シーヴァは彼らを追わなかった。
こうして十字軍はシーヴァによって、ことごとくアルテンシア半島の外へとたたき出されたのである。大陸暦1565年2月21日、この日は第一次十字軍遠征の失敗が確定した日として歴史に刻まれている。
ちなみにこのゼーデンブルグ要塞での戦いで、ただ一人捕虜になった者がいる。それは枢機卿グラシアス・ボルカその人であった。