第七話 夢を想えば⑨
軍務大臣ローデリッヒ、最後の見せ場です!
「自分が何を言っているか、本当に分っているのか?」
レヴィナスの冷たい声が、謁見の間に響いた。
アルジャーク帝国オムージュ領旧王都ベルーカ。総督府が置かれた城の謁見の間にある玉座にはかつてはコルグスがオムージュ王として座っていたが、今は総督であるレヴィナスがそこに座っている。今、謁見の間には主だった面々が揃っているが、軍部を取り仕切っているはずのアレクセイの姿がない。大方、軍の組織が忙しく、そちらを優先するようレヴィナスから命令されているのだろう。
この場には主役が二人いる。
その一人は、皇太子レヴィナス・アルジャーク。
もう一人は、軍務大臣ローデリッヒ・イラニール。帝都ケーヒンスブルグにいるクロノワからの使者である。
「もう一度聞くぞ、軍務大臣。お前は自分が何を言っているか、本当に分っているのか?」
「もちろんでございます。殿下」
ローデリッヒがそう答えると、レヴィナスの視線がスッと鋭くなった。しかし彼はそれを臆することなく受け止める。
「寝言は寝て言え。なぜ皇太子たるこの私が、クロノワごときが父の後を継いで皇帝になることを認めねばならん」
レヴィナスの声は不満と苛立ちで構成されていた。ローデリッヒが使者として来た時点で話の内容には予想がついていたはずだ。彼の不満と苛立ちが素のものなのか、それとも演技なのか、ローデリッヒとしては判断がしかねた。だがどちらにしても、面白く思っているはずはあるまい。
「それがベルトロワ陛下のご遺言にございます」
「遺書はお前たちによって捏造されたものであると母上が主張された。そのようなものを信じられるか」
「アールヴェルツェ将軍が、ベルトロワ陛下の御筆跡であると確認してくださいました」
それを聞くとレヴィナスは「ふん」と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「アールヴェルツェはもともと愚弟の配下だ。ヤツのためなら黒をも白というだろうよ」
レヴィナスにしてみれば自分を後継者として認めない遺書になど用はない。彼にしてみればそんなものは存在していないのと同じだ。それに事がここに至れば、もはや遺書にも皇太子という称号にも価値はない。
「ようは私とクロノワ、どちらがより皇帝にふさわしいか、だ」
大仰に両手を広げ、芝居がかった口調でレヴィナスはそういった。その台詞の裏には、「自分以上に皇帝にふさわしい人間などいない」という自負がありありと感じ取れる。しかしローデリッヒに言わせれば、それは根拠のない自己過信だ。
レヴィナスが絶対の自信を持っているのは自分の美しい容姿であり、彼はそれをもって自分を皇帝に最もふさわしい人間だと思っているようだが、あいにくと皇帝の職責に容姿はほとんど関係ない。無論、人前に立つ仕事である以上見目麗しい容姿であることにこしたことはないが、不細工で醜悪な顔つきであってもいっこうに構わない。つまり“容姿”というパラメータの重要度はその程度のものでしかない。
「皇帝にふさわしいのはクロノワ様のほうです」
ローデリッヒがそういうとレヴィナスの芝居がかった雰囲気が一気に消滅し、代わりに険悪な空気がその場を支配した。
「………お前の滑舌が悪いのか、それとも私が聞き間違えたのか。聞こえるはずのない名前が聞こえたのだが?」
「ならばもう一度はっきりと申し上げます。皇帝の座にふさわしいのはクロノワ様です。例えベルトロワ陛下の遺書がなくとも」
重くのしかかるような空気の中、ローデリッヒは雰囲気に飲まれることなく己の意見をはっきりと言った。
「………聞き捨てならないな」
もはや不機嫌さを隠すこともせず、レヴィナスはローデリッヒを睨みつけた。彼は石の玉座からゆっくりと立ち上がると、ローデリッヒのほうへ向けて歩を進めた。その左手には装飾過多な鞘に収められた剣が握られている。
二人はおよそ二歩分の距離を開けて向かい合った。謁見の間に集まった者たちの視線がそこに集まる。誰かが息を呑む音がした。
「私が、この私があの愚弟に劣ると、お前はそう言いたいのか?」
「………個人の優劣は大きな問題ではありません」
実際、レヴィナス個人は優秀な人間であろう。しかし賢帝になるか愚帝になるか、それを決めるのは個人の才能や能力ではない。それがベルトロワと言う皇帝に仕え、宰相エルストハージや外務大臣ラシアートという有能な同僚と共に国を支えたローデリッヒの結論であった。
もちろん優秀であればそれが一番良い。しかし歴史書を紐解けば、愚帝や愚王さらには生きた災厄と評価されているような人物の中にも知性に満ち才能に溢れた者はいる。いやむしろ“道を踏み外す”のは優秀な人間のほうが多いと歴史書は証明している。
では何が重要なのか。
人を見る目とものを聞く耳。それがローデリッヒの出した結論だった。
皇帝には色々な人間が近づいてくる。真に国のことを考えている者もいれば、擦り寄って甘い汁を吸うことしか考えていない者もいるだろう。そのような人間を見極めるために、まずは「人を見る目」が必要である。
また国という組織には様々な面がある。そして皇帝はその全ての面に通じていなければならない。しかし、現実問題として一人の人間にそれは不可能である。ならばそれぞれの面に通じた人間に意見を聞くしかない。最終的な判断は皇帝自身が下さなければならないが、それでもまずは「聞くこと」が重要なのだ。
この“目”と“耳”さえ持っていれば、皇帝の役職は凡人であっても務まる。逆にこの二つを持っていなければ、どれほど優秀であってもいずれ必ず国に害悪をもたらす。それがローデリッヒの出した結論であった。
「クロノワ様の周りには国を想う者たちが集まり、またクロノワ様は彼らの意見に真摯に耳を傾けられる」
もっともクロノワの周りに俗物が少ないのは、これまで彼が日陰者で取り入ってもうまみがなかったから、という理由もある。皇帝となれば今までとは比べ物にならない数の俗物たちが腹に一物を抱えて擦り寄ってくる。その時、クロノワの「人を見る目」の真価が問われるだろう。
いまだ未知数の部分もあるが、ローデリッヒの目から見てクロノワは十分に及第点を越えている。ではレヴィナスはどうか。
「レヴィナス様、貴方は人の意見を聞き入れられますかな」
ここで言う「意見を聞き入れる」とは、意見が対立し相手のほうが正しいと思えるときに自分が折れて相手の意見を採用する、ということだ。
「なぜそんなことをしなければならない」
レヴィナスは、それを真っ向から拒否した。そして拒否することにいささかの疑問も抱いていないことが見て取れる。
ローデリッヒが見るところ、レヴィナスは自分という存在に固執しすぎている。自分に自信がありすぎるために、自身の限界に無頓着なのだ。
「自分の考えはいつも正しい。自分のやることは全て上手くいく」
彼にはそんな幻想を抱いている節がある。しかもその自信の根拠となっているのは自分の美貌なのだ。
繰り返すが、レヴィナス個人は間違いなく優秀な人間である。しかし、ローデリッヒは個人の能力に重きを置いていなかった。
「人は必ず間違いを犯すのです」
ローデリッヒが重きを置いているのは、組織の能力である。そして彼がその中で特に重要だと思っているのは、組織内部の個人が犯す間違いを訂正あるいは修正する能力である。組織の自浄作用、とでも言えばいいかもしれない。レヴィナスが作り上げた組織には、この能力がない。
レヴィナスは総督となったときに「法を過去にさかのぼって適用する」という、法治国家における禁じ手を用いた。この責任を大きな括りの中で追及するとすれば、その所在は総督府にあると言える。つまり発案者が犯した間違いを組織の内部で修正できなかった、自浄作用が働かなかった、ということだ。
次に組織、つまり総督府の内部について少し考えてみたい。
まず、発案者がレヴィナスであった場合、彼を補佐すべき周りの人間はどうしたのか。上司であるレヴィナスに対し諫言をおこない、考えを改めるよう促しただろうか。
促したのであれば、レヴィナスは彼らの言葉に耳を貸さなかったことになる。つまり彼は「ものを聞く耳」を持っていない。
促さなかったのであればさらに深刻だ。レヴィナスの周りには国を想い諫言をおこなう人物がいないことになる。それはつまり彼に「人を見る目」がないことを意味している。
また発案者が周りの人間であった場合、その人物は「レヴィナスが気に入りそうな案」を持ってきたことになる。それはつまり「取り入ろう」という意図があってのことだ。しかもそのためにタブーを犯しているのだ。その者は国に害悪をもたらす獅子身中の虫、何の役にも立たない無能者よりもタチが悪い。その案を採用した時点で、レヴィナスには「人を見る目」がないことになる。
無論、組織とて間違いを犯す。それを構成している人間が間違いを犯すからだ。しかし今回オムージュ総督府が犯した間違いは、その許容範囲を超えている。そしてその最終的な責任は、総督たるレヴィナスに帰されるべきなのだ。
「………人は皆、間違いを犯すのです。そのことを認めようとせず、自分だけは例外だと勘違いしている子どもに、皇帝の座はふさわしくありません」
「黙れ………!」
怨念さえこめてレヴィナスは低く唸った。彼の声には、もはや芝居がかった余裕は感じられない。しかしローデリッヒはかまわずに続ける。
「もう一度申し上げる。皇帝にふさわしいのはクロノワ様です」
「黙れっ!!」
「新たな皇帝の下でお働きになりなさい。それが貴方にとっても国にとっても最善の道です」
「黙れと言った!!」
レヴィナスが叫ぶと同時に剣を鞘から抜き放った。謁見の間に鮮血が舞う。血溜りに倒れこみ呻き声をもらすローデリッヒに、レヴィナスは鞘を投げ捨て両逆手に持ち直した剣を突き刺す。
「うぅぅああああぁああぁああああああああ!!!!」
何度も、何度も何度も何度も、レヴィナスは剣をローデリッヒの体に突き刺す。髪の毛を乱し一心不乱に剣を突き立てるその姿には、いつもの悠然とした態度は微塵も残っていない。返り血を浴びたその美貌は狂気を増し、見る者の足をすくませた。
「ハアハアハアハァハァ………」
背中にいくつもの刺し傷を負いついには絶命したローデリッヒを、レヴィナスは肩で荒い息をしながら見下ろす。
「………ふ、ふふふ………ふは、はははぁあああはっはっはっはぁ!!」
突然、レヴィナスが哄笑を上げた。左手で乱れた髪の毛をかきあげ、狂気に目を血走らせてレヴィナスは嗤う。
カラン、と乾いた音が響いた。レヴィナスが持っていた剣を床に投げ捨てたのだ。笑いを収めたレヴィナスは、ゾッとするほど冷たい目でローデリッヒの死体を見下ろした。
「そいつの死体は犬にでも喰わせてしまえ」
冷たくそう言い放つと、レヴィナスは身を翻し謁見の間から出て行った。後に残された人々はその場に漂うレヴィナスの狂気の残滓にあてられ、すぐには動くことができない。血の臭いが漂う謁見の間で、人々はまるで石像と化したかのように立ち尽くしていた。