第七話 夢を想えば⑥
「じゃあ、イストはそのお師匠さんに助けられて………」
「ああ、そのまま弟子入りした」
イストとオリヴィアは、盗賊に襲撃されたあの日から今日までのことを、それぞれ簡単に報告しあっていた。
「じゃあ、『ヴァーレ』の姓はお師匠さんの?」
「いや、師匠の姓は『ベルセリウス』だ。名前はオーヴァ・ベルセリウス」
とはいえ「ヴァーレ」の姓名をイストに与えたのはオーヴァである。つまりオーヴァは自分の姓名を弟子に与えなかったわけだが、後にその理由を人から尋ねられたとき、彼はこう答えたという。
「そんな気色悪い」
それでイストが深い心の傷を負ったかといえば、そんなことは全然ない。むしろ当然だと言わんばかりにこう言い返したという。
「クソジジイと同じ姓名なんてゾッとするね。それじゃあオレまで変人みたいじゃないか」
ニーナがその場にいれば「師匠は十分変人です!」力一杯宣言してくれただろうが、生憎とこの時二人はまだ出会っていなかった。
「………仲がいいのね、二人とも」
オリヴィアは呆れたように苦笑する。イストは肩をすくめ、「それはそうと」といって少々強引に話題をそらした。
「そっちはどうだったんだ?」
「わたしの方も似たようなものよ」
強引に話をそらしたことには何も触れず、オリヴィアは自分のことを話し始めた。
盗賊に襲われたあの日の晩、オリヴィアはイストと同じように逃げ延びた。そして、当時個人の行商人だったオルギン・ノームに助けられ、その後彼の養女となった。オルギンは今現在商人としてそこそこ成功したが、自分の店を持つことはまだせず行商のキャラバン隊を率いているという。
「じゃあ、プーリアにはオリーブオイルを仕入れに?」
「ええ、そうよ」
なんでも収穫期のはじめごろはそもそも油の生産量がまだ少ないので、大きな商会は仕入れを始めておらず比較的簡単に仕入れが出来る穴場の時期なのだという。
「まあ、仕入れる量が違うせいもあるんだけどね」
キャラバン隊を組んでいるとはいえ、行商人と商会では商いの規模に雲泥の差がある。行商人の軽いフットワークが今回は幸いしたといえるだろう。
「じゃあ、オリヴィアも村の宿泊施設を使っているのか」
「いいえ、わたしたちのキャラバンは村の外れにいるわ」
オリーブオイルを仕入れるかたわら、露店も開いているらしい。村の中では露店を開くスペースが取れなかったため、村の外れにキャンプを張ったようだ。
「良かったら見に来て」
そういって露店の宣伝をするオリヴィアの顔は間違いなく商人のそれで、彼女のこの十年を少しだけだが垣間見せていた。
「それで、右目はどうかしたのか」
そういった瞬間、オリヴィアは目を見開いて言葉を詰まらせた。数瞬の沈黙の後、苦い笑みを浮かべて頭を振った。
「ひどい人ね。聞かれたくない、触れられたくないと分っているのに、見てみぬ振りをしない」
「いつ聞かれるのかと、怯えつづけるよりはいいだろう?」
イストがそう言うと、オリヴィアは諦めたようにため息をついた。そして右目を隠している髪の毛を手でどけて、その下の肌をさらした。
「あの夜、逃げるときに、ちょっとね」
オリヴィアの顔の、右目とその周りには火傷のあとが残っていた。黒い大きい眼帯をして隠してはいるが、隠し切れない火傷のあとが眼帯の下からのぞいている。恐らくだが、右目の眼球も失っているだろう。
「まあ、火傷をするような所にいたから逃げ切れた、て部分もあるんだけどね」
髪の毛をどけていた手をおろし、火傷のあとを隠す。それからオリヴィアは、視線をそらすように俯いた。
「………醜い、と思う………?」
しぼり出すような、聞きたくないけれど聞かずにはいられないような、そんな声だった。視線を合わせたくないのか、あるいは顔を見られたくないのか、オリヴィアは俯いたままだ。
「外面の美醜にそれほど興味はないさ」
考え込む一瞬の間を惜しんで、イストはそういった。
「………少しは、あるんだ?」
「そこは否定しない」
「否定してよ。ひどい人ね」
呆れたように苦笑しながら、オリヴィアは顔を上げた。左目の端に溜まっている涙は、見てみぬ振りをすべきなのだろう。
「でもまあ、疲れないかとは思う」
「………疲れる?」
意味が良く分らなかったのか、オリヴィアは小首をかしげる。その様子キョトンとしたがやけに幼くて、イストは笑いを堪えるのに少しばかりの努力を要した。
「隠したら隠し続けなきゃだろ?疲れないか?」
「………疲れるわ………」
オリヴィアは顔をそむけて目を伏せた。しかし俯きはしなかった。
「でもそれ以上に怖いのよ」
この火傷を見た人の反応が怖い。向けられる視線が怖い。そしてなにより自分の顔を見るときが一番怖い。視線を逸らし何かにおびえるように、オリヴィアはそう言った。
イストはただ「そっか」とだけ呟き、それ以上は何も言わなかった。それ以上言うべき言葉は持ち合わせていなかったし、また言うべきではないと思ったのだ。これはオリヴィアの問題であり、ついさっき再会したばかりの人間が軽々しく何か言うべきではないだろう。まして薄っぺらな慰めの言葉で解決できるような問題とも思えない。
「………イストは、なにかある?」
「今でもあの夜の悪夢を見る。見たあとは二度寝もできないから、朝が来るまで酒を飲んで誤魔化してる」
オリヴィアもまた「そう」とだけ呟き、それ以上は何も言わなかった。会話が途切れ、風が木の葉を揺らす音だけが耳に届く。
ふと、思う。
心の傷と体の傷は、どちらが重いのだろうか。
イストが見る悪夢は、心の傷に分類されるだろう。オリヴィアの火傷は言うまでもなく体の傷だ。同じ夜に負ったこの二つに傷は、さてどちらが重いのだろう。
(体の傷に決まってる………)
オリヴィアは女性で、しかもその傷があるのは顔だ。あの火傷が原因で、心にまで傷を負っているのは想像に難くない。
なら、より重症なのは間違いなくオリヴィアのほうだ。
ここまで考えて、ふと自分の思考に疑問がわく。
(なんでこんなこと考えるのかねぇ………)
傷の程度など、比べてもしょうがないというのに。自分のほうが軽傷なんだから頑張らなくちゃ、とか自分より重傷でかわいそう、とかそんなふうに考えたいのだろうか。そんなふうにして自分を慰めたいのだろうか。
(ゾッとするね)
本当にゾッとする。虫唾が走る、というやつだ。人が苦しんでいる傷の大小を比べて喜ぶだの不幸自慢をするだの、それは本当に下種な考え方だ。そんな思考はさっさと放棄するに限る。
「ところで、イストがプーリアに来たのはお墓参りだけが目的?」
イストの脳内葛藤が一段落着いた頃、見計らったわけではないだろうがオリヴィアが話しかけてきた。見た限りの様子は、平静に戻っている。
「ああ、オレは別に行商をしているわけじゃないからな」
今年の生産が始まったオリーブオイルを求めてプーリアの村に来たわけではない。孤児院の跡、つまりここに足を運んでいろいろと区切りをつけることだけが目的だった。油を買うにしても、個人で使う分量だけだろう。
「じゃあ今後の予定は?どこに行くとか、もう決めてあるの?」
「いや、特に何も」
強いて言えばさらに西に行こうかと思っているが、明日になれば気分が変わっているかもしれない。また頭の別の部分では、大きな商会の仕入れが始まって騒がしくなるまで、この村にいるのもいいかもしれないなどとも思っている。
つまりまったくの白紙状態、無計画な有様である。
「だったら、ウチのキャラバン隊の護衛をしない?」
魔導士ライセンスはもってるんでしょ?とオリヴィアはイストの顔を覗き込んだ。
聞くところによると、彼女らのキャラバン隊はこれから北西に進路をとるらしいのだが、北西の方角に進めばその先にあるのはアルテンシア半島である。これから十字軍遠征によって戦場になる半島に首を突っ込む気はさらさらないが、それにしても遠征の思わぬ影響でキャラバン隊に物騒な来客があるかもしれない。そこでできれば護衛を雇いたいと、オリヴィアの養父オルギンは考えているらしい。
「進路を東に修正すればいいだけじゃないのか?」
「混乱の中にこそ商機はあるものよ」
大切なのはどこまで大丈夫なのかを見極めることよ、とオリヴィアは商人の顔で力説した。アバサ・ロットとして似たようなことを考えることもあるイストは、特に反論もできず肩をすくめるしかない。
「………それに、せっかく十年ぶりに再会したのにここでお別れなんて、寂しいわ」
オリヴィアの目が少し潤む。
「………考えとくよ」
肩をすくめたイストがそういうと、オリヴィアは「そう、ありがとう」言って、と断られる可能性をまったく考えていない笑顔を向けた。
「わたしはそろそろ行くけど、イストはどうするの?」
「もう少し黄昏ていく」
「………似合わないわよ?」
「知ってるよ」
後でキャラバン隊に顔を出してね、と言ってからオリヴィアは孤児院の焼け跡をあとにした。それを見送ってから、イストは「無煙」を取り出し、雁首を取り外してカートリッジを交換してから口にくわえた。
フウ、と白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出す。
「それで?何のようだ?」
誰にともなく、独り言のようにイストは呟いた。しかし反応があった。ガサガサと茂みゆれ、そこから出てきたのは………。
「我に気づいていたとは流石だにゃ。なんで分ったのかにゃ?」
「………お、おお、おおお」
「どうかしたかにゃ?」
「その渋い声と猫語尾のギャップが………」
「………猫が喋ったことに関しては驚いていないんだにゃ………」
茂みを揺らして、その奥から現れたのは一匹の黒猫であった。全身の毛は黒だが、瞳の色は青だった。
「どうせ魔道具か何かだろう?その程度のことでいちいち驚いていられるか」
イストが「無煙」を吹かしながらそういうと、黒猫は「フム」と頷いてからチョコンと座り込んだ。前足で顔を洗うその仕草は、どこからどう見ても本物の猫だ。
「で、話を戻すがなんで我に気づいたにゃ?」
「そりゃ、あれだけ魔力を放出してればイヤでも気づくさ」
オリヴィアに名前を名乗った辺りから濃い魔力を感じてはいた。ただ、何もする気がなさそうだったので放って置いたのだが、まさかこんな珍客がいたとは。
「フム。当代のアバサ・ロットもなかなかやるようだにゃ」
「へえ、オレがアバサ・ロットだって知ってるのか」
イストの目がスッと細くなり、警戒を示した。だが相変わらず「無煙」を吹かしているその口元には、面白がるような笑みが浮かんでいる。
「簡単な話しだにゃ。その腕輪『狭間の庵』を持っていれば、だいたいの想像は付くにゃ」
「コイツのことまで知ってるのか。とすると黒猫さんを作ったのは、歴代の誰かってことか?」
イストが右腕につけた腕輪、「狭間の庵」を擦る。顔を洗い終わったのか、黒猫は前足をそろえてきちんと座った。その背中の後ろで、黒いシッポがゆらゆらと揺れている。
「改めて自己紹介をしておくにゃ。我の名はヴァイス。アバサ・ロットの名を継いだ魔道具職人、セシリアナ・ロックウェルの作り上げし魔道人形だにゃ」
セシリアナ・ロックウェル。その名前は「狭間の庵」の二階に保管されている資料の中で見たことがある。たしか二〇〇年ほど昔の人物だったはずだ。しかし黒猫に「白」と名付け、あの渋い声と可愛らしい猫語尾のギャップである。どうやら彼女もアバサ・ロットの名にふさわしく性格のねじくれた変人だったようだ。
「ご丁寧にどーも。で、オレに何の用だ?」
「………オリヴィアを、なんとかして欲しいんだにゃ」
ヴァイスと名乗った黒猫、もとい魔道人形は単刀直入にそういった。物事を婉曲的に伝える頭脳が無いのかもしれないが。
「なんでオリヴィアが出てくるんだ?」
「あの子が今のマスターだにゃ。マスターのために何か出来ることがあれば、したいと思うのが魔道人形の性にゃ」
魔道人形に嘘をつかせることができるのかという技術的な問題はさておくとしても、イストはヴァイスの言葉から嘘は感じなかった。しかしイストが聞きたいのはそういうことではないのだ。
「じゃあ、なんでオリヴィアをマスターに選んだんだ?」
「………あの子は、セシリーに似ているにゃ」
セシリー、というのはセシリアナ・ロックウェルの愛称だろう。「似ている」と呟いた黒猫の目は今この時間ではない、別のどこかを見ている。
(寂しかった………とか?)
ヴァイスの製作者であるセシリアナ・ロックウェルがアバサ・ロットとして活動していたのは、保管されている資料の記された年号から計算して、およそ二〇〇年前である。この黒猫がいつ彼女の手から離れて行動をするようになったかは分らないが、それでも一五〇年以上は確実に経っているはずである。
その間にヴァイスが何人のマスターを持ったのか、イストにそれを知る術はない。しかしその時間の中で、あるいは製作者でありまた最初のマスターであったはずのセシリアナを懐かしく思ったのではないか。
目の前の黒猫さんは否定するかもしれない。だがイストは魔道具職人としてそう思いたがっている自分がいることを自覚した。
「『なんとかして欲しい』っていうのは顔の火傷のことか?」
心のうちの想像はひとまず脇においておくとして、イストは話を進めることにした。オリヴィアのことで「なんとかして欲しい」というのであれば、顔の傷以外には見当がつかない。
「隠すことはできても、治すことはできないぞ」
イストは魔道具職人である。火傷の傷跡を隠して気づかせないようにする、綺麗な素肌のように見せかける魔道具なら作れるだろう。しかし火傷を治療し、隠す必要そのものをなくすことはできない。それは医者の領分だ。
「で、隠すだけなら今と同じだ。意味が無いとは言わないが、『なんとかした』ってことにはならないんじゃないのか?」
どれだけ精巧に隠してみても、それは決して治ったわけではない。隠したからには隠し続けなければならず、そしてオリヴィアは怯え続けるだろう。「醜い素顔が露になりはしないだろうか」と。
「ヒトの心の機微は我には分らないにゃ………。でもあの子は時々とても辛そうな顔をするんだにゃ」
そんな顔は見たくないにゃ、とヴァイスは言った。
(それはとてもヒトらしい心の機微だと思うがね………)
堪え切れなかった微笑を、イストは「無煙」を吸う事で誤魔化した。
「まあいい。やるだけやってみるさ」
「恩に着るにゃ」
そういって黒猫の魔道人形は頭を下げた。そういう仕草はどうにも人間臭い。
「しっかし、良くできてるな」
それはイストにとって魔道具職人としての最大級の賛辞だった。今の時代、イストは間違いなく最高レベルの魔道具職人である。そのイストの目から見ても、セシリアナの技術はすさまじいものがある。
「『持てる全ての技術を詰め込んだ』。セシリーはそう言っていたにゃ」
「じゃあ彼女の最高傑作だったわけだ」
「我もそう言ったことがあるにゃ。そうしたら………」
そうしたら、セシリアナはこう言ったという。
『勝手自由に動き回って、あまつさえ口ごたえまでする。そんなのが最高傑作のわけがないでしょ。失敗作もいいところだわ』
その、あまりにも“アバサ・ロット的”な物言いにイストは思わず噴き出した。脈々と続く変人の系譜、その一端を見た気がする。
「失敗作が勝手気ままに出歩いているのはいいのか?」
「それも聞いたことがあるにゃ」
黒猫さんによればその時セシリアナは片目をつぶり、実に楽しそうにこう言ったという。
『厳重に猫被せといたから大丈夫よ』
なんと!
この話で通算100話目だったりします!
ここまでこれたのは読んでくださる皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
通算100話到達記念、ということで何か考えたのですが、もう一話上げるぐらいしか思いつきませんでした。
今日中、は無理なので、明日もう一話上げたいと思います。