第一話 独立都市と聖銀の製法⑨
東の空が白んできた。
「朝か・・・・・」
疲れもあらわにリリーゼは呟いた。飲まず食わずの休みなし、というわけではなかったが、一晩中走り回ったのだ。正直、もう動きたくなかった。
そう、結局一晩中イストを探して街中を駆け巡ることとなったのだ。にも拘らず彼は見つからなかった。これはラクラシア家に限ったことではなく、他所でも同じだ。
「お嬢様、一度お屋敷にお戻りください」
途中から一緒に行動していたラクラシア家の私兵の1人がそう声をかけた。
「夜も明けました。さすがにバカ騒ぎも収束するでしょう」
「そうだな・・・・・」
一晩かけても手がかりはほとんど掴めなかった。これ以上は恐らく無意味だろうし、他の二家やレニムスケート商会もそれは承知しているだろう。それにリリーゼ本人としても空腹で疲れきっている。
「帰って休むとするか」
そう言ってリリーゼが魔剣を杖に腰を上げたとき、
「はっはー。朝も早よからお疲れのご様子。昨晩は何か楽しいことでもあったのかい?」
イスト・ヴァーレまさにその人が現れたのだった。
「な・・・・・?」
驚愕を顔に貼り付けてリリーゼは絶句した。つい先ほどまで街中を駆けずり回って探しても見つからなかったイスト・ヴァーレその人が、今まさに目の前にいるのだ。
驚愕は徐々に怒気へと変わっていく。
「き、貴様!今までどこにいた。私たちは一晩かけてお前のことを街中探し回ったのだぞ、イスト・ヴァーレ!」
「街中探し回って見つからなかったんなら答えは一つだろ」
「・・・・え?」
「街の外に居たんだよ」
昨日の月見酒は最高だった、と彼は笑った。無煙を吹かし白い煙(本人の自己申告を信じるならば水蒸気)を吐き出すその姿は忌々しいまでに軽薄だ。
「街の・・・外・・・だと・・・?」
単純にして驚愕の事実を聞かされ、リリーゼはその場に座り込んだ。一緒にいたラクラシア家の私兵たちも一様に驚いたような疲れたような、複雑な表情を浮かべている。
私たちが必死に街中を走り回っていたときに渦中のこいつは外で暢気に月見酒を煽っていたというのか・・・・・?
そう思うと、フツフツと怒りが再燃してくる。
「ともかくだ!ここであったが千年目。イスト・ヴァーレ、貴方にはラクラシア家までご足労願うとしよう」
拒否は認めない、と言い放つ。私兵たちも表情を厳しくして、断れば力ずくで、と無言のプレッシャーを掛ける。しかし、そんなプレッシャーなどまるでないかのようにイストは無煙を吹かしている。
「オレは別に構わないが、構う人たちもいるらしい」
そういってイストは路地に目を向ける。リリーゼもその視線を追う。すると、ガバリエリ家の私兵の一団が路地から現れた。さらにラバンディエ家、レニムスケート商会の私兵もなだれ込み、場は一気に緊迫した。
ラクラシア家、ガバリエリ家、ラバンディエ家にレニムスケート商会。四つの勢力が(下っ端ばかりとはいえ)勢ぞろいしてしまった。どの一団もこのイスト・ヴァーレを確保せんと気がはやっている。それぞれがそれぞれに間合いを計り、機先を制そうとしている。朝の、ともすれば肌寒いくらいの時間帯なのに、全身から汗が吹き出てくる。リリーゼも水面の魔剣を正面に構え、三つの一団が全て視界に入るように立ち位置を調整する。
まさに一触即発の事態だ。が、当のイストはといえばふてぶてしくも無煙を吹かし白い煙(本人の自己申告を信じるならば水蒸気)を吐き出している。その表情はこの事態を楽しんでいるかのようだ。
「どいつもこいつも引く気はない、か・・・・」
緊迫した雰囲気の中、ただ1人その空気に飲まれることなく声を発したのはイストだった。
「予想通りっと。ま、そうでなくっちゃな」
そういってイストは、悪戯を成功させた子供のように笑った。
「とりあえずオレはラクラシア家にご招待されるとするよ。ご令嬢の形相が怖いからね」
冗談めかして言った彼の言葉にその場にいる人々は一気に色めき立った。緊張が膨れ上がり、場の均衡が崩れるその刹那、
「だから、それぞれの代表にラクラシア家まで来るように伝えてもらえるかな。話は役者が揃ったら聞くから」
そういったイストの言葉で場が落ち着きを取り戻す。が、当たり前だが、簡単にその提案を受け入れることはできないらしい。
「・・・・・ここでお前を力ずくで連れて行けば同じことだ」
ガバリエリ家の私兵の一団のリーダーらしい男が唸るようにしていった。他の面々もその選択肢は捨てがたいらしく、表情には迷いが見える。
「ここで事を起こして俺の心証を悪くすると、ご主人サマの交渉に響くぞ。そしたらお前らクビ、だな」
杖を持っていない左手でクビを切る仕草をしながら茶化すようにイストは告げた。言われた男は渋い顔をして黙り込んだ。皆が沈黙し、何も言わなくなるとイストはリリーゼに水を向けた。
「んじゃ、行こうか。あ、ついでに朝食を付けてくれると嬉しい」
メシまだなんだわ、と相当に厚かましい希望を沿えて。
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末娘のリリーゼが見知らぬ男を連れて帰宅したとき、父であるディグスは内心焦った。まさかこの一晩のうちに良からぬ男に引っかかったか、であればこの男どうしてくれよう。と顔には出さず物騒なことを考えていたが、そんな父親の心配は杞憂に終わった。
「父上、この男がイスト・ヴァーレです」
娘にそう紹介された男は、年のころは二十歳の初めごろで背丈は170半ば。髪と瞳の色は黒で赤褐色の外套を羽織っていた。右手には背丈より少し長い杖を持ち、左手で煙管を吹かしている。顔立ちは整ってはいるがとりたてて美形というわけではない。が、そのアクの強そうな瞳は容姿以上に彼に生気を与えていた。
ディグス・ラクラシアは狂喜した。が、そこは政に関わる者。己の感情は全て腹の中に押さえ込み、表にはおくびもださぬ。ただ万人向けの作り笑顔を向け、当家にようこそ、とこの重要な客人を迎えたのであった。
ラクラシア邸でイストが最初にしたことは、厚かましくも朝食の催促であった。朝食はすでにアリアが用意してあり、ラクラシア家の面々もまだ朝の食事を食べていなかったので、都合よく相伴することとなった。
食事の最中、ディグスは例の魔剣について、色々と(というか主に製作者について)尋ねたが、そのたびに「その話は役者が揃ってから」とはぐらかされた。
「リーちゃんの魔剣を売ったの、貴方なのですってねぇ」
おっとりとした口調で口を開いたのはアリア・ラクラシアであった。
「そうですよ、奥方」
他家の食卓で遠慮も緊張もすることなく、優雅に紅茶を楽しみながらイストは肯定した。この事はもはや公然の事実なので隠す必要がない。ちなみにこの男が丁寧な口調で話をすることにリリーゼはどうしても違和感を覚えてしまう。
「そのことが引き金となって、昨晩から今朝にかけての騒ぎとなったのですねぇ。幸い死者が出たという話は聞いておりませんが、けが人や物取りの被害に遭われた方々は100人を超えるとか」
アリアは一旦間を取った。そして柔和な微笑を浮かべ続ける。
「この責任、どう取るおつもりですか?」
食卓の温度が凍りつくほどに下がった。アリアを見れば先ほどとまったく変わらぬ微笑を表面上は浮かべている。が、その笑顔は間違いなく黒いし、背後には般若が見える。
リリーゼは背中に冷や汗が流れるのを感じた。二人の兄もご同様の様子だ。が、当のイストはといえば、アリアの物理的圧力さえ感じそうな笑顔もどこ吹く風、先ほどとまったく変わらず優雅に紅茶を啜っている。
「ホント、どうするんでしょうね」
「・・・・・・・」
重たい沈黙が食卓にのしかかる。
「答えないおつもりですか」
アリアが初めて険のある声を出した。
「当然です。オレが問うたのですから、貴方たちに。どうするつもりなのか、と」
怪訝な顔をするラクラシア家の面々に対し、いいですか、と前置きしてからイストは言葉を続けた。
「オレは小さな火種を持ち込んだだけ。その火種に薪をくべ、油を注ぎ大火に仕立て上げたのは、他ならならぬ三家とレニムスケート商会です。ならば責任を取るべきは彼らでしょう?」
「そもそも火種がなければ大火は起こらない。そうは思いませんか」
「火種なんてそこかしこに転がっていますよ。それともその全てに対して責任を求めるおつもりですか」
そもそも、とイストは続けた。ティーカップを置き、責めるように、からかうように瞳が光る。
「今回の一件、動きが大きすぎるんですよ。まったく関係のない両替屋のおっちゃんまで『強力な魔道具が持ち込まれたらしい』って話を知っていた。もっと秘密裏にやる方法はいくらでもあったでしょうに」
ディグスが苦い顔をする。やり方がまずかったことは自覚しているらしい。
「私にまったく責任がないとは言いません。しかし私より先に責任を問われるべき人々がいる、と思いますよ」
「・・・・・・魔道具の密売は犯罪だ。その咎でお前を捕らえることもできるのだぞ」
いいように言いくるめられたことが悔しかったのか、クロードが唸るようにして脅した。論法を変えて、少し脅しておくつもりなのだろうか。
「なら密売品を非合法に買い取って、さらにその犯罪者と一緒に食事をしている皆さんも共犯ですね」
鮮やかに切り返され、すぐにクロードは言葉に詰まった。
「それにこんな話をするためにオレを呼んだのではないのでしょう?」
そう言ってイストが視線を向けた先にはラクラシア家の執事が腰を折っていて、来客を告げた。