第三者機関
トラブルが起きたときに公平に判断し解決してくれる機関。男はその機関にトラブルを解決してもらう。
ちょっと長いです。
朝6時に男は目覚める。規則正しい生活は全てがうまくいくための基本であると男は考えていた。
玄関にあるポストを開けて新聞を取り出す。これから朝食を食べてトイレに行き、洗顔、歯磨き、スーツに着替えて出社する。そのほぼ全てにおいて新聞というのは大切なパートナーである。
朝食を食べながら新聞を開いて広告を取り出す。いつもは目を通すこともないその広告を今日は何故か読んでみようと男は思った。なぜなら、一番上にあった広告に、男の大好きな言葉が大きく描かれていたからだ。
『公平、公正。あなたのトラブルを完全に中立の立場から仲裁します』
世の中というものは非常に理不尽である。正直者ほど馬鹿を見て、悪人ほど楽々とお金を稼いでいる。規則や法律はやってはいけないことを決めているだけで、正直者や善人を救ってくれるわけではないのだ。
男は広告に載っている『第三者機関』という名前と電話番号を携帯電話に登録し、いつも通りの生活に戻った。
朝7時半、男は満員電車に乗っていた。乗車定員を大幅に超えているはずの車内は、男に新聞を読むことすら許さない。毎朝車内で過ごす1時間が男にとってもっとも嫌いな時間だった。
しばらく目の前の男性の後頭部を見ていると、男の右後方で、もぞもぞとした動きがあった。この満員電車の中で必要以上の動きをするなんて、迷惑な人間がいたものだと考えていると、男の右手が何者かに掴まれた。
「この人痴漢です!」
男の右手を掴んだ女子高生が周りに向かって叫んだ。
男は何が起こっているのかわからず、うろたえるしかなかった。周りの人間たちは男のことを見て、ひそひそとしゃべっている。結局次の停車駅で男は女子高生に引っ張られ、周囲から白い目で見られながら降りることとなった。
「駅員さん! 私この人に痴漢されました!」
男の手を掴みながら、女子高生はまた叫ぶ。冗談ではない。男は決して痴漢などしていなかった。しかし、男の中をひとつの言葉がよぎる。痴漢冤罪。最近新聞で読んだことがある。女性が男性を痴漢だと言った場合、9割以上は男性が痴漢をしたということになるという話だ。しかも、大抵は女性の証言だけで決まってしまうらしい。刑務所暮らしになることを考えて男は絶望した。いや待てよ。第三者機関だ。裁判になってはこちらが不利であることは明らかだ。公平に判断してくれるという第三者機関に頼めば、少しは状況が変わるかもしれない。
男は慌てて左手で携帯電話を取り出し、今朝登録したばかりの番号に通話をかけた。
「ご契約ありがとうございます」
それだけであった。男が仲裁を頼む前に、一方的に短い言葉が告げられ、電話は切れてしまった。
「どうしましたか。この男が痴漢ですか」
男が携帯電話を耳に当てたまま呆けていると、駅員がやって来た。しかし、男はそんなことはどうでも良かった。今の電話はなんだったのか。いったい何をしてくれるというのだ。
女子高生のでっちあげを聞きながら、駅員は男の手を掴み男をどこかに連れていこうとしていた。男は自分を救ってくれるものがいないことに、また絶望した。
駅員室に押し込まれ、何かをしゃべろうとするたびに「今、この方の話を聞いているので」などと駅員から言われ、男は弁解することすらも許されなかった。やがて、男がもう何も信じられないなどと悲観に暮れ始めた頃に、駅員室の扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」と告げた駅員の言葉を聞くやいなや駅員室の扉が開かれ、立っていたのは性別も年齢もバラバラな5人の人間であった。
「どうされたんですか」
駅員の問いかけに応じて、5人の人間は口々に言う。
「その男性は痴漢などしていません」
「痴漢などできる状態ではありませんでした」
「ぼく、そのおじさんの両手がつり革を掴んでたの見てたよ」
など、突然現れた人間たちが男の無罪を証明してくれる発言をした。
「な、なによ、あんたたち」
突然の弁護に慌てた女子高生は反抗する。しかし、6対1。あれよあれよという間に狂言を暴かれ、結局男が無罪であることを女子高生も認めることとなった。
駅員室からでた男は5人に礼を言う。
「ありがとうございました。ところであなた方は第三者機関の方々ですか」
「はい。その通りです。ご契約ありがとうございました」
「いえ。しかし、あなた方は公平に判断する機関だということですが、今回はどうして私に味方してくれたのですか」
「簡単な話です。私たちは満員電車の中で、あなたが本当に痴漢していないことを見ていたのです」
「なんだって。では、なぜ最初から私が痴漢していないことを皆に言ってくれなかったんだ」
「商売ですよ。公平に判断することが私たちの商品なのです。このようなこと誰も思いつかなかったでしょう」
「ううむ。確かに。しかし、商売ですか。確かに需要はいくらでもありそうだ」
「ええ。需要はたくさんございます。それから今回の料金ですが、あの女子高生を名誉毀損で訴えてください。その慰謝料の半分を私たちが頂くという形で。なに、気に負うことはありません。彼女は善良なあなたを貶めようとしたのですから」
「そうか。料金がいるのか。わかった。あなたの言うとおりにしよう。いやしかし、素晴らしい商売を考えたものですね」
「ありがとうございます。それでは私たちは失礼いたします」
「ああ、ちょっと待ってください。最後にひとつだけ。今回はたまたま私を見ていたかもしれないが、もしあなた方が誰もいなかったとしたらどうなっていたのです」
「そのような心配はご無用です。私たち第三者機関の人間はどこにでもいますので。あらゆることを迅速かつ公平に判断するためには、そのぐらいの人員を割かないといけないということですね」
そう言って5人はどこかに消えていった。
それから男の人生は変わった。もともと真面目に生きてきた人間だ。貶められることはあっても貶めたことなどない。もし、悪人が男にいちゃもんを付けてきても、第三者機関に電話すればすべてを公平に解決してくれた。
しかし、第三者機関の規模の大きさには驚かされる。街中を歩いていても、レストランで食事をしていてもトラブルを公平に解決してくれる。会社の中にまで第三者機関の人間がいることを知ったときには、恐ろしいとまで感じたものだ。
ある日男が道を歩いていると、目の前から自動車が突っ込んでくるのが見えた。とっさに避けようとしたが間に合わず、男は自動車に轢かれてしまった。大事はなかったが、男は数日入院することになった。
入院していると警察官がやって来た。警察官が言うには、自動車の運転手が男のせいで事故にあったと証言しているそうだ。それだけでなく、自分は避けようとしたのに、男が突っ込んできたのだから、男は当たり屋に違いないなどと言っているらしい。その話を警察官から聞かされた男は、目撃者がいることを伝え、警察官に頼んで第三者機関に連絡をしてもらった。
やがて第三者機関の人間が5人病院に到着し、男と警察官に目撃した情報を話す。
「この男が車に自ら当たりに行くところを見ました。こいつは当たり屋です」
「な、なんだって。お前ら本当に第三者機関の連中なのか」
「第三者機関? いったい何を言っているのです。どうやら当たり屋の人間は、やはり頭がおかしいらしいな」
慌てて反論するも多勢に無勢。警察官は男を当たり屋だと決め、裁判になっても男の証言は認められることなく、男は当たり屋という罪を負うことになった。
男が当たり屋だと証言した人間と、自動車の運転手は裁判所の外で話していた。
「いや助かったよ。私にとって治療費などは微々たる額だが、事故を起こしたとなっては非常に痛いからね」
「いえいえ。これからも第三者機関をよろしくお願いしますね」
「しかし、良いのかね。君たちは公平に判断するのが仕事なのだろう」
「もちろんですとも。大量にお金を払ってくれるあなたとあの男を、公平に判断いたしました」
分かりにくいです。