エピソード19 浦島太郎族
私がNYに移住してから、日本に帰国するまで、約6年間。
俗に、この様に、長い時間を海外で過して帰ってきた人間は「浦島太郎族」と呼ばれる。
そう。竜宮城で2〜3日、浮かれて遊んでいた、と思って、帰郷したら、思いもよならぬ長い年月が経過して
昔の友人も知人も、職場も、全てが「サマガワリ」していて、びっくりっ!という現象だ。
私は今、36歳だけど、よく「ええ?36歳。全然見えない」と言われる。
それは、この「浦島族」に1つの要因がある。(モチロン、元来、童顔なせいもあり、あとエステなどにチカラを入れているせいもあるが)
私は、6年間「竜宮城」で過したので、その時間は、日本での時計が止まっていたことになる。
したがって私は今、30歳なのだ。
わかるような、わからないような、理論だけど、ものずごく、理屈がとおっているように思うのは、私だけだろうか?
他にも、知り合いのダンサーで、ちょこちょこ海外逃亡したり、海外で長期休暇(1ヶ月とか 3ヶ月とか)をとっている人間が、
同じ年齢の人に比べて、「若く」見えたり、実際「若かったり」するのは、ちょいちょい、この「浦島システム」を利用して、
日本での時計を止めているために違いない。
「浦島りずむ」を待ち受けていたのは、「携帯王国日本」。
まだ、アメリカでは、トランシーバーのように巨大な携帯電話を、極少数のビジネスマンが持っていたり、持ってなかったり、
という時代に、日本に帰ってみると、「1人1台当たり前」で、「携帯を持っていない人」=「変わり者」の構図ができあがっていた。
すごい!日本!
最先端で、リッチ王国だね。
アメリカより、先進国だね。
と思った。
最初の数週間は、「携帯電話なんて、、」と抵抗を試みたが、あっという間に、時代に飲み込まれて、携帯を持ち歩くようになった。
日本での最初の数ヶ月は、アメリカで何度か会った、日本人タップダンサー、舞ちゃんのヘルプで、ワークショップ(特別クラス)を沢山やった。
「沢山やった」、というか、実際「毎日やった」。
平日は新宿のスタジオHOOFIN’ (ケンタさんのスタジオ)を昼間おかりして。
週末は高田馬場でスタジオをかりて。
平日の昼間は、毎日、「誰も来ないかも?」と恐る恐るスタジオに行ったが、毎日「1人だけ」生徒さんがきてくれた。
この「毎日1人」っていうのが、なかなか、すごいと思う。
毎日、たった1人だけくる。
毎日、違う人がくる。
毎日、「誰も来ない確立99パーセント」の中、1人だけ。
毎日、「今日だけ、これたんで、、、」と言って、誰かしら来るのだ。
実は、NYでも、「モグリ」で教えをやっていた。←ビザの関係上、お金を稼いではいけないはずなのだが、、。
毎週、「誰もこないかも?」って、思いながらスタジオに行くと、必ず1人来た。
時には、アメリカ人。
時には、フランス人。
時には、日本人。
時には、スイス人。
口こみで、本当に、毎週、色んな人が、1人だけきた。←でも、1人。
タップダンサーの友人の多くが、私と同じ様に、「クラスを開いてみては、誰も来ないからやめる、、」という流れを、何度も見てきた。
私の場合は、毎週、たった1人の「誰か」がきてくれるので、
クラスが続いた。
そして、継続はチカラ。
そして、2年、3年が経過。
そして、最初は、「緊張」と、「ステップ」だけが、ぱんぱんに詰め込まれていたクラスだったが、
毎週、必ず、「誰か1人きてくれる」おかげで、少しずつ、自分のスタイルや教え方を学んだ。
日本でも、同様に、平日には、「毎日、1人」のクラス。
そして、週末には、舞ちゃんのヘルプで、20人〜25人ほどの人が集まってくれた。
アメリカの話をしたり、タップの話をしたり、タップを教えたりして、とても楽しかった。
そして、そして、そして、ちょっと下世話にきこえるかもしれないけど、
It feels nice to be able to finally make some money!!!!!
お金 稼げるって うれしいね! やっとだ!
みたいな。
クラスの後、たくさんのお札を受け取る。
沢山なのは、ほとんどが千円札だから。
家に帰って、千円札をいっぱい数えている私に、父が言った。
「おい!うれしいだろう。うれしいんだよな〜。最初に自分で稼いだお金!
嬉しいんだよな〜。」
父は、私に言っているようで、しみじみと、自分が始めてお金を稼いだ日を思い出しているようだった。
「はい。嬉しいです。」
得に、NYでの後半の2年くらいは、カンパニーをやめて、色んなショウに出たり、オーディションを受けたりしたけど、
●ビザが無いから仕事はできない
または
●仕事はできないけど、舞台には立ちたいから 「お金はいらないです」という条件で、出演。←やや泣き寝入り気味
●クラスもやっていたが、BDCやステップスなどでは、やはりビザが無いので教えられないから、「モグリ」でやるか、友人の代講ばかりしていた。
そんな動きを繰り返してきたから、
あたりまえのようだけど、
「働いた分だけ、ちゃんとお金をいただく」ってことがすごく嬉しかった。
アーティストっていう職業は、日本でも、アメリカでも、「働いた分、お金をいただける」なんてことは、すごく珍しいことだ。
そんな、幸せを味わっていた。
舞ちゃん、ありがとう。
そして、今、これを、書いていて、思った。
私は、今、日本での生活も8年目くらいになり、
初心を完全に忘れかけ、
最近のクラスは、また、「緊張」と「ステップ」を詰め込んでいる。
私、何をやっているのだろう?
何を忘れて、何を置いてきちゃったのか、
ちょっと考えたい。
ちょっと考えながら、書いている。
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