今、世の中にあふれている、「恋人ががんで死ぬ」話とか「余命1ヶ月の花嫁」などの、
ドラマとか、映画とか、本とか、私は見れません。
あらすじをきいただけで恐怖心でいっぱいになってしまって、目をそらしてしまいます。
ニュース番組では、毎日のように「がん」とか「難病」の特集をやったりしていて、
そのときもあわててチャンネルをかえます。
私の中にある恐怖。私の中にある「がん」の記憶。
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今は元気に社会生活に復帰しているのに、私の中にひそむ「がんの記憶」が
様々な「うつ的症状」を引き起こす。
私はもっと元気に生きたい。もっと心も体も健康に生きたい。
せっかく生き延びることができたのだから、感謝して、大切に、元気に。
今、私の中の「がんの記憶」と向き合ってみようと思い、ここに記します。
最後まで書き続けたら、少し恐怖心が和らぐかもしれない。
私はただ、もっと元気に生きたいのです。
この先に記すことは、必ずしも「ドラマチック」ではないかもしれません。
だけど、読んでくださる皆様と一緒に、「もっと元気に生きる」鍵を手に入れることが
できら、という思いで、記します。
りずむK
プロローグ 9,11の記憶
みんなの中の9,11の記憶はどんなだろうか?
私の中の9,11の記憶はこうだ。
ニューヨークに拠点を置いて、タップダンサーとして活動して5年半。
「そろそろ、日本に帰って、活動を開始する時期じゃないか?」と考えながらも
ニューヨークのアパートを引き払う決意がつかずに、
ニューヨークと東京を行ったり来たりする日々をおくっていた。
その日、私は東京にいた。
ごく最近、日本でできた彼氏、ケイと飲んでいた。
次の日からワシントンとニューヨークで舞台があり、アメリカに戻ることになっていた。
「明日は飛行機に乗るだけ!」と思って、はめをはずして飲んでいた。
いつになく、携帯がやたらに鳴るけれども、電話も無視して飲んでいた。
午前1時直前、私とケイは一緒に家に向かった。
その時間になっても、携帯がまだ鳴っている。
さすがに「おかしい」と思った私は、電話に出た。
「ハロー?」 ←アメリカかぶれ
「良かったあ。まだいた。まだ日本だよね?りずむ、まだ日本?」
それは、仲の良い友人の一人だった。
「いるよ?何?なんか買ってきてほしいの?」と私。
たいてい、アメリカに戻る前にかかってくる電話は、「買い物のお願い」だ。
「ちがうよ。何?まだ外?とにかく、急いで家に帰って、テレビつけな。急いで!」
と友人がせかす。
「何?今教えてよ〜」と急ぎ足に歩きながらも、友人にたずねる。
「説明できない。とにかく、はやく」
友人はその言葉を繰り返すだけで、動揺していた。
私は意味もわからず、急いで家に帰って、テレビをつけた。
目の前に広がった光景は、みんなが知っている、あの「9,11」の光景だ。
ツインタワーに大きなジェット機が突っ込むシーンが繰り返し、繰り返し、映し出されていた。
みんながそうであったように、私もまた、「映画のワンシーン」としてしか
それをレジスターするこができなかった。
テレビの前に立って、呆然と見つめながら、ケイに「何これ?」ってたずねた。
ケイはただ首を横に振って、私の横に立って一緒に眺めた。
数分眺めていて、私の目から涙が溢れてきた。
ニューヨークは私の街だ。
ニューヨークでこの五年間生きてきた私にとって、それは、私の街だ。
他の外国人にとっても、他のアメリカ人にとっても、ニューヨークに住む人にとって
ニューヨークは、「自分の街」なのだ。
その「私の街」が、映画のセットにように壊される光景は
言葉にすることができないショックだった。
ショックすぎて、現実が全然レジスターされない。
しばらくして、私は、ニューヨークの友人たちに一心不乱に電話をかけはじめた。
何回も何回も、何回も、何回も、かけ続けた。
通常の呼び出し音にすらたどりつけない、どこにかけてもつながらない、泣きながら、
めちゃめちゃに電話をしながらも、どこかに、変に冷静な私がいた。
その「変に冷静な私」は、
「もしかして、自分の実家のほうで地震があったりしたら、こんな気持ちで電話したり、
こんな気持ちで、自分の街が壊されるところを見るのかな?」と考えたりしていたのを覚えている。
私はケイが止めにくるまで、電話をかけ続けた。1時間もするとケイがそばに来て
「今日は無理だよ。テレビ見てごらん。友達にはメールは?メールだしてみたら?」
と私を落ち着かせようと声をかけた。
「そっか!」と思って、友人にはメールを出した。
「WORRIED SICK. JUST LET ME KNOW IF YOU ARE OK? 」みたいな。
(超心配してるから、大丈夫かどうかだけ教えて。)
なぜか電報みたいな文面。人は本当に大事な伝えたいことがあるときほど
口数が減るのかもしれない。
9,11に関しては、あとはみんなの知っているとおりだ。
だけど、私の9,11はここから始まった。
アメリカ、ワシントンに電話が通じたのは、その三日後だった。
「ワシントンでは被害も少なく、色々な警戒宣言はだされているものの
日常の生活を取り戻そうと努力をしている。
舞台も予定どおり開演するので、もし来られたら来てほしい。」と言われた。
私も行けるならば行きたいと思った。
だけど、飛行機が飛ばない。
飛行機が飛んでも、乗れる人間は限られている。
アメリカへの出入りが非常に困難になっていた。
私は仕方なく、東京に腰を落ち着けた。
ワシントン、ニューヨークには2週間の渡航予定だったので
二週間、ぽっかり予定が開いてしまった。
予定があいた私に、母がすすめたのが「人間ドック」だった。
「明日、人間ドックいくんだけど、一緒に行かない?」って。
全く興味も無かったし、体の不調も無いと信じていた私だったが、
「暇だから行く!」と、母の誘いにのったのだ。
そして、奇跡的にがんの早期発見をした。
9,11が無かったら、私のがんは見つかっていなかった。
9,11が無かったら、私は今、地球上にいなかった。
9,11があったから、私はまだ生きている。
9,11があってよかった、とは決して言えない。
けど
9,11があったから、私はまだ生きている。
あの日、テレビに映し出された、ツインタワーの映像と、私のがんの記憶は
いつも、つながっている。複雑な想いでつながっている。
人間ドック→再検査→入院して腫瘍を摘出→
1ヶ月の執行猶予(腫瘍を検査に出す)間に一度ニューヨークへ行き、
ニューヨークのアパートを引き払い、東京に戻る
→検査の結果「がん」と判明→抗がん治療。
それまで、東京かニューヨークか、日本かアメリカか?で悩みながら行ったりきたりしていた私だったが
9,11をきっかけに日本に腰をすえることを覚悟したのだった。
いや、日本に帰って来ざるをえなくなったのだ。
私がNYを離れるきっかけとなった「がん」。
私が「がん」を乗り越えるのを見届けて NYへ旅立つケイ。
ケイと私。
がんとNY。
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