名状しがたき英雄譚
むかしむかしあるところに、それはそれは凄まじい美少女がおりました。
容姿端麗に加え、文武両道。非の打ち所がない美少女は、その容姿と才能をいつも周りから羨まれておりました。
しかし……。
「さぁ、地の恵みを吸い取りし黄金の世界よ。今日がハルマゲドンの日だ」
なんということでしょう。天上の神々に愛されているとしか思えないほどの才溢れるこの美少女。彼女は、まごうことなき変人――今で言う、中二病に罹患しているのでした。
田んぼ一面の稲を、地の恵みを吸い取りし黄金の世界。収穫をハルマゲドンと変換する辺り、相当重度なもののようです。なまじ外国の書物を読みあさりもしていたので、妙な横文字はたくさん覚えていたのが、ますます仇となったのでしょう。
……と、まぁこのように、美少女にとって唯一マイナスに働く、この上ない濃い一面。これのせいで満十七才にもなる美少女は、未だに嫁の貰い手がいませんでした。
現代では想像もつかないかもしれませんが、当時は結婚する年齢はとても若いうちからでした。
女の子の場合だと、十八、十九才で結婚をしていないと、行き遅れと言われてしまうほどです。
そんな行き遅れ一歩手前の美少女でしたが、本人は特に気にすることもなく、お爺さんやお婆さんとのんびり暮らしておりました。
そんなある日のこと。ぎっくり腰になったお爺さんと、手の神経痛に苦しむお婆さんの為に、美少女は山に芝刈り兼途中の川に洗濯にやってきました。
鼻唄混じりに洗濯をする美少女。
すると、川の下流の方から何かが物凄い水飛沫をあげて、遡ってきました。
「さぁあああぁあもぉおおぉぉおぉん!!」
なんということでしょう! 意味不明な雄叫びをあげながら泳いでいたのは、二メートル程もある、それはそれは大きな鮭ではありませんか。
美少女は思わず首を傾げます。季節は夏です。鮭が川に舞い戻ってくるには、まだ早い時期でした。
「ハァ……ハァ……ち、チクショウ。もう体力が限界だ。漁師の網を引きちぎり、八ツ目鰻の致死レベルな吸血キッスを受け、熊の一撃に宙を舞い……ここに来て魚体にガタが……!」
鮭が悔しそうに呻きます。徐々に泳ぐ力が衰えていき、とうとう水面でぐったりと横になってしまいました。
口をパクパクと動かし、ゆらゆらと漂いながら此方に流されて来る鮭を、美少女は黙って見つめていました。
「嵐の中、反逆の戦士は独り。幾度の戦場。消えない傷痕……哀しき清流の鎮魂歌に抱かれ、歴戦の勇者は今、ヴァルハラに還る……」
ハッとしたようにポエムを紡ぐ美少女。何処までもブレない娘でした。
すると、鮭は美少女に気づいたのか、最後の力を振り絞って美少女の手の届く範囲まで泳いできました。
「そこの娘よ。死に逝く魚の最期の頼みだ。どうか俺の話を聞いてはくれまいか?」
「勿論だ歴戦の勇者よ。貴方の最期はボクが看取ろう」
美少女は洗濯する手を止め、静かに聞く体勢に入りました。
魚とはいえ、誰かを看取るという中二な展開に美少女が密かに興奮しているなどいざ知らず、鮭はゆっくりと語り始めました。
アラスカで紅鮭と壮絶なドックファイトを繰り広げたこと。
その途中でグリズリーに襲われ、ヒレを一つ失ったこと。
マグロとタイマンを張ったら、勢い余って北極海まで行ってしまったこと。
そこで北極熊に襲われ、尾びれの一部が噛みちぎられたこと。
更に追いかけてきたアザラシに、背びれの先っぽを持っていかれたこと。
寒いので暖かい方を目指したら、鮫の群れに追いかけまわされたこと。
故郷に帰り、可愛い嫁さんを貰おうと川を遡ったら、季節を間違えていたのに気付いたこと。
取り敢えずヤマメ辺りで妥協しようと更に川を遡ったら、網の罠やら、八ツ目鰻に熊といった面々に鉢合わせになったこと。
そして今、志半ばでその命が尽きようとしていること……。
「若い頃に、無茶をし過ぎたぜ……」
苦笑い気味に鮭は語ります。魚類とは思えない武勇伝の数々。冒険に満ち溢れた人生憚に、美少女は羨ましそうに相槌を打ちました。
「そうか。君は魚の英雄だったんだね」
「よせやい、照れるぜ。だが、惜しむべき事もある。俺はこのままだと、この川底で朽ち果てるより他がない。それだけが心残りなんだ」
美少女の賞賛に、鮭は照れ臭そうに笑うと、少し沈んだ顔で溜め息をつきました。
美少女はそれを哀れに思い、何か自分に出来ることはないか? と、鮭に尋ねます。
すると、鮭は少し考えてから軈て、うん。と頷き、美少女の瞳を見つめました。
「ならば、俺を持ち帰り、丁寧に料理して美味しく召し上がってはくれないだろうか?」
「……お墓を作ってくれとかじゃないのかい?」
「墓は残された者が死んだ者を悼む為にある。魚である俺には必要ない。地面に埋もれ、そこに永遠に身を横たえるよりも、俺はお前の血となり肉となり、今度は地上を冒険したいのだ」
「……魚の英雄よ。期待を裏切るようで悪いが、ボクはただの百姓の孫娘さ。身分なんて下の下。だから冒険なんて出来ないよ?」
美少女はどこか申し訳なさそうに鮭に告げます。
「ボクがやれることなんて、せいぜい田んぼや畑で汗を流し、今日のように山に芝刈りや洗濯に来る位だ。翼を広げて世界に羽ばたくなど、夢のまた夢。どんなに周りから顔がいいと褒められても、勉強が出来ても、女の身でありながらその辺のお侍さんより剣術が巧みでも……外の世界なんて行けやしないのさ」
少し寂しげに美少女は語ります。それでも鮭は関係ないというように微笑みました。
「それでいい。魚類たる俺には未知の世界だ」
そう言って鮭はゆっくりと深呼吸をするように息を吐きます。
「それにな、娘よ。身分が低い者だからといって諦める事はない。人に限らずこの世の全ての生き物は、誰しも英雄になる権利を持っているのだ。誰だって大冒険に出かける事が出来る。お前が言葉の節々に滲ませている痛々しい言動も、外の世界に憧れてのことだろう?」
鮭は見透かしたように笑うと、「そろそろ……眠くなってきたぜ」とだけ告げ、ゆっくりと目を閉じていきます。
「諦めるな、娘よ。願うのだ。己の望みを。他の誰かが否定したとしても、お前だけは……願いが有る限り、己の望みを願い続けろ……! そうすればきっと、神様が答えてくれる」
それが最期の言葉でした。それだけ言い残し、鮭はゆっくりと、覚めることのない永遠の眠りに旅立っていきました。
「……おやすみ。魚類の英雄よ。そしてありがとう。後にも先にも、ボクの本当の望みを言い当てる事が出来る存在は、あなた以外には現れなかっただろう」
美少女は静かに黙祷を捧げると、そっと鮭を清潔な布でくるみました。
魚は鮮度が命だよね。美少女はそう結論づけると、鮭の最期の望みを叶えるために大急ぎで山を下りていきました。
※
「おお、孫娘や。戻ったか」
「ごめんよぅ……わしらがもう少し丈夫だったらお前にもこんなに苦労をかけないのにねぇ……」
美少女が家に戻ると、お爺さん、お婆さんが少しだけ申し訳なさそうに出迎えます。
「いいんだよ。グランパ。グランマ。ボクは二人の役に立てて嬉しいんだ。それより夕食を作るよ。いい食材が手に入ったんだ」
そう言って美少女は釜戸に火をくべ、さっそく持ち帰った鮭の調理に取り掛かりました。
美少女の見事な手捌きであっという間に美味しそうな、それはそれは美味しそうな……、
「出来た! 今夜は『ストーンハンティング・ポトフ』だ」
石狩鍋が完成しました。
「魚の英雄よ。恵みを感謝する。どうかボクの中で生き続けておくれ」
美少女は両手を合わせ、さっそく鮭の切り身を口にしました。
「ふぉおぉおおぉおううぅ!」
「ちょえぇええぇえいいぃ!」
次の瞬間、美少女の両脇で、謎の雄叫びが上がりました。
「ぐ、グランパ? グランマ?」
なんということでしょう! あれほど酷いぎっくり腰だったお爺さんは、威風堂々と仁王立ちし、手の神経痛に悩まされていたお婆さんは、突然その場で太極拳を始めているではありませんか!
「な、なんじゃこれは!? あの鮭を食べた途端に……」
「力がみなぎってきますよ!」
あんなに身体が弱かったお爺さん、お婆さんは、まるで十数年若返ったかのように家中を駆け回りました。
「すごいや! グランパ! グランマ! きっと、あの魚の英雄の力に違いない!」
美少女は大喜び。この奇跡をもっと色々な人にと、村中を駆け回り、色々な人にストーンハンティング……いえいえ、石狩鍋をお裾分けしました。
鮭が大きすぎたので、ついつい作りすぎてしまったのです。
その後の村の発展ぶりは、筆舌に尽くしがたいものでした。
村中のお爺さんお婆さんは、異様な程の怪力を得て、一騎当千の勢いで、畑や田んぼを開墾しました。手刀の一振りで田んぼ一つの稲が全て収穫され、一度鍬を降り下ろせば、畑一つが一瞬で耕されてしまう。そんな絶技を村の老人全員が習得しているのです。
勿論、変わったのは老人達だけではありません。
村の若い男達は、怪力を得なかった代わりに、軒並み異様に丈夫な足腰を手にいれました。神速と吟われた男達の脚が、後に巨大な飛脚の組合を完成させるのに、それ程時間は掛かりませんでした。
一方、村の女達は単純な力を手にいれることはありませんでした。
しかし……。
「紫式部パネェ」
「いや、伊勢物語でしょ」
「山月記が最強ですぞ!」
どういう訳か、軒並み全員が文学的才能に目覚めてしまったのです。
村の女達が著作した書物、手記の内容や分野の多様性は数百年先の未来すら思わせる、今までにないものでした。
それらは、神速の男達との連携もあり、隣の村はおろか、国中で親しまれる、文化の一つにまで発展したのです。
さて。村が驚くべきスピードで発展していくなか、あの美少女はというと……。
「ふむ、今日はどれにしようかな?」
家の縁側にのんびりと腰掛けながら、美少女はウキウキしたように目の前の書物達を見比べます。
冒険、恋愛、喜劇、ミステリー、ファンタジー、SF、ホラー、戦記、童話……。どれもこの村で生まれたものでした。
「よし、今日はこれだ!」
美少女は、その中から一冊を拾い上げ、おもむろにページを捲っていきます。
時折起こる地響きは、村の老人達が有り余った力をもて余して、相撲でもとっているのでしょうか?
思い出したかのように吹き荒れる疾風は、村の男達が帰ってきた合図でしょう。同時に、女達の歓声が、あちこちから聞こえて来ます。外の町や村から、また新しいものがもたらされたに違いありません。
キラキラした木漏れ日を縁側で浴びながら、美少女は空を仰ぎ、ニッコリ微笑みます。
「魚の英雄よ。ありがとう! ああ、退屈な地獄なんかなかった。この世は、楽しいことで溢れている!」
不思議なことに、あの鮭を使った石狩鍋は、美少女にだけは何の変化をもたらしませんでした。
でも、それでもいい。と、美少女は感じていました。
おじいさんとおばあさんは元気になったし、こうして楽しいものが。楽しい世界が、次から次へともたらされるのですから。
この村に奇跡をもたらした美少女を、知らぬ者はいません。
形は奇妙ながらも、こうして、少女はこの村を変えた英雄となったのでした。
「……おや?」
ふと、空の向こうから、なにかが飛来してきました。影はぐんぐん大きく、鮮明さをまして……。
「やまぁああぁあどりぃぃい……!」
なんということでしょう! 変な叫びを上げながら墜落してきたのは、見たこともない程に巨大な、山鳥ではありませんか!
山鳥は、土埃を巻き上げながら、庭に不時着しました。
「む、むねん……拙者、山鳥故に飛ぶのは達者で……ない……! 隼に打ち勝ち、火縄銃の雨を掻い潜り、山猫の爪牙を受けたが……もう……ダメでござるか……?」
ぐったりとした山鳥は、庭に身体を投げ出したまま、悔しげにうめきます。
「地に堕ちた翼の折れし天使……されど、心は折れず。赤土にまみれながら、尚も天を目指す」
美少女は、やっぱりブレませんでした。
すると、山鳥は少女に気づいたらしく、バタバタと羽をはばたかせながら、少女を見つめ、言いました。
「もし、そこの美しい姫君よ。拙者の話を聞いてはくれまいか……? 果て逝くものの、後生の頼みだ」
「ボクはお姫様ではないよ。でもまぁ、貴方の話を聞き、出来うる範囲でなら引き受けるよ」
美少女は、静かに山鳥に近づきました。彼の望みを、叶えるために。
この時、美少女は知りませんでした。
後に、才能を開花させる料理の作り手として、彼女の名が国中に轟き、嫁入りを巡る前代未聞の争奪戦になろうとは……!
「出来た! 『ドラゴン・ライスフィールドフライ』! グランパとグランマ、喜んでくれるかな?」
ちなみに、山鳥は竜田揚げになりましたとさ。