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精神障害者の私と20才年上の兼業主夫の彼氏(実話)

作者:★みやび☆
誹謗中傷や批判は受付ません。全て実話でノンフィクションです。
私は1982年に誕生した。本籍は東京。育ちは埼玉と北海道。北海道のが長い。北海道苫小牧が私の実家のある場所である。

私は幼稚園の頃から、肥満でアトピー性皮膚炎を持っていた。体重は30キロ近くあっただろうか。皮膚炎は今でも、かなり酷くて、かゆくて、かきむしり血が出て火傷のように腫れ上がり、お岩さんのようになる。全身がかゆくてたまらない。
手にイボができていたので当時のあだ名は「でぶイボ」幼稚園のクラス40人全員が、そう呼んで「感染する」と叫んで私を避けていた。


小学生になっても、いじめにあい、「でぶ」「ぶす」などと言われた。クラス40人全員からだ。先生は味方ではなく、私の居場所は、どこにもなかった。友達もいなくて私は登校拒否したかったけど医者である父親は学歴主義なので許してくれず、母親もそうだった。弟は、この頃は、まだ優しかった。


小学三年の時に家の二階にある子ども部屋の天井に、父親の合気道練習用のサンドバックを吊り下げるフックを見つけて、私は縄跳びのロープを使って自殺を決行した。だが母親は「死ぬなら死ねば」と言い放った。私は結局死ねなかったので、未遂に終わってしまった。


この頃から、なんで自分が生きてるのかがわからなくなっていた。今でも自殺願望に駆られる。


小学六年になり、ついに友達ができた。と思ったら不良グループで、しかも他の人を「臭い」「汚い」などといじめていた。いじめていたのは女の子、いじめられていたのも女の子だった。私は、友達欲しさに、いじめに荷担してしまった。
いじめは先生に見つかり謝罪して、私は不良グループを抜け出したいと思って抜け出した。
だが先生が「みやびさんは医者の娘だし成績優秀なんだから、こんなグループにいちゃ駄目よ」という注意の仕方をしたため、気にいらないと思ったいじめグループのリーダーから、私は、いじめられるようになった。
生理で体育を休むと、いじめグループから「ズル休み」などとヒソヒソ言われていた。
友達なんかいらない。この頃から、そう思うようになった。
泣いても叫んでも誰にも届かない真っ黒い暗闇の中に私はいた。


中学生になっていじめはエスカレートしていった。言葉の暴力は当たり前でクラスの男子が、いじめのリーダーとなり「変な髪型」(私は癖毛)「キモい」「学校来るな」などと言われる毎日を過ごした。
私が歩くと、とおせんぼされたり、座ろうとする寸前で椅子を後ろに引かれて転んだり、終いには下校途中に、石をぶつけられた。
私はなにもしてないのに「医者の娘のくせに」といじめられていた。死にたかった。でも死ねなかった。
成績だけは優秀だった。でも成績より友達が欲しかった。


高校生になって苫小牧が嫌になり札幌の高校へ通う事にした。
そうしたらもういじめられないだろうと思ったから。でも違っていた。

高校生になって友達はできたが、しばらくして喧嘩になりグループ、そしてクラス40人全員から無視されるようになった。
好きで入った演劇部も、友達に裏切られた。私が好きな部長に告白しフラれたのを知りながら部長と付き合い始めたのだ。恋愛相談をいつもしていた相手がその女の子だっただけにショックだった。二人を見てるのが辛くて、私は部活を辞めた。
幼稚園、小学生、中学生、高校生と人生の半分はいじめにあい過ごしてきた。


もう北海道が嫌になり私は大学生で上京した。
夢は声優になる事。声優なら容姿で、判断されないんじゃないかと当時は思っていたからだ。
女子大学に推薦で入学しいじめられずに友達もできた。でもトラウマでサークルには一切入らなかった。入るのが怖かった。合コンにも行かなかった。アルバイトもしなかった。ただひたすら大学と女子寮(大学のではなく、いろんな学生が集まる寮)の往復生活を過ごした。

退屈な毎日。寮では誰とも接しなかったから友達はいなかった。他人に関わるのが怖かった。
不登校気味な時もあり単位ギリギリだった。


そんな時携帯電話を生まれて初めて手に入れた。そしてネットを知り、私は出会いサイトにハマっていった。
見知らぬ男性がチヤホヤしてくれるのが嬉しかった。次々いろんな人と出会った。お茶したりカラオケしたりするだけだけど楽しかった。
そして生まれて初めての彼氏ができた。端正なルックスのイケメンでモデルのような体型の役者志望2才年上だった。私は彼に一目ぼれして猛烈にアタックして三か月返事を待って、ようやく付き合う事になった。
でも彼氏と出会う前に私は出会った他の男性に告白されカラオケボックスで無理矢理キスされて傷付いていたから付き合うのが怖かった。

そして彼氏と同時にネットストーカーもいた。こうじという名前で顔は深海魚と、おばさんを足して二で割った感じで気持ち悪くて童貞の28才。元大工で仕事を辞めたという奴は私に夢中で「可愛いなぁ。」と何回も言ってわざわざ兵庫から東京まで何回もきていた。

彼氏がなかなか返事をくれなかった事にやきもきして、たかしの気を引こうとした私が出会ったストーカー……。


彼氏ができても私に付きまとってネットでできた友達に嘘をついてまわっていた。
最低最悪の奴だ。

たかしとは一年間付き合って別れた。
本当は別れたくなかったけど、たかしは実家の鳥取に戻らなくてはならず仕方なかった。


たかしがいなくなった後ストーカーは寮にやってきてバイブを置いてったりして怖かった。


最後には「おまえに使ったお金を返せ」と兵庫から片道のお金しか持ってこずに百万を要求してきた。当時携帯電話のパケット代金はめちゃめちゃ高かった。
警察沙汰になり仕方なく両親に電話し払ってもらった。今考えると、払う必要はなかった。
その後そのストーカーは彼氏がいる他の女の子にストーカーしているとネットで知り合った女の子から言われた。


でも懲りずに私は出会いサイトにハマっていた。
中毒、いや依存症になっていた。そのお陰で今の彼氏、しんいちに出会う。


もう7年前の事。
私が20才、しんいちが40才の頃。

吉祥寺で待ち合わせたのを今でも覚えている。


長身で肩までの黒い長髪。サングラス、テンガロンハット、カウボーイのシャツにウェスタンブーツ。


怖いし怪しいと思って私は帰ろうかなと考えた。
ちなみに私の外見は、真ん丸、眼鏡、黒い髪の天然パーマそして肥満。


せっかくなので、恐る恐る声をかけた。


「あの、しんいちさんですか?」


「みやびさん、はじめまして」


サングラスをはずした彼は年齢より若く見えて30代くらいに見えた。


最初はカフェで話してたけど最後には、なぜかラブホテルにいた。


そしてエッチをした。
初めてではないけど彼氏は優しくて大切にしてくれた。


でも、しんいちと出会って一週間で私達は喧嘩しいったん別れる。


お台場で焼肉店に入り、高い肉ばかりを私が頼んだら彼氏が怒った。そして喧嘩になり、私はコップを掴んで水を彼氏に、ぶっかけた。


「さようなら」


そう言って私は、さっさといなくなった。


独りで電車に乗る中、あぁ。もう二度と会う事はないんだろうな。と思った。ところが一週間後、彼氏から電話がきて謝罪され会う事になり仲直りした。


それから長い付き合いが始まった。


武蔵小金井の寮にいる私と杉並区にいる彼氏


たまに会ってお祭や遊園地や映画館や水族館などいろんなところに行った。

大学三年になると引越して別な場所に住む事になった。

一人暮らしのアパートに彼氏と一生に住むようになっていたが同棲生活とはまた違っていた。

卒業間近になり論文が全然書けてない私を彼氏は手伝ってくれたりした。
少しずつ彼氏の優しさがわかっていった。

そして無事大学を卒業し就職活動はしたものの就職はせずに派遣会社に登録した。

工場の派遣だったが、そこは最低最悪の派遣会社だった。

いきなり栃木に飛ばされて研修二日目で解雇され仕事がなくなり待機。

そしてまた埼玉に戻され今度は宗教の勧誘がしつこい同僚と三人暮らし。でも家賃普通に取られるから貯金もできないし募集広告のような月収30万円などという高収入は朝六時に起きて土曜日も働いて毎日残業しないと無理だとわかった。

あまりに酷いので寮から夜逃げした男性もいるらしい。私は車の部品づくりや検品、栗きんとんを容器に入れる作業など工場を転々とさせられながらも続けていたが知り合った友達はみんな辞めていった。ある工場は「しばらく解雇にしてたが一か月ぶりにまた採用したい」という工場もあったらしい。某有名メーカーの部品工場で私は関係ないけど一か月解雇にしておいて必要な時だけ雇用する身勝手さに呆れた。そして私は栗きんとん工場の作業で腰痛になり労災を申請するが労働基準法違反している派遣会社はバレるのを恐れて労災をおろそうとしなかった。なので「労働基準局に訴える」と言ったら労災がおりた。それに加えて毎朝念仏を唱えて宗教新聞を私の部屋の前に置いて休日には集会に勧誘しようとする同僚が寮のアパート中の住民に宗教勧誘してるのを知りノイローゼになり半年で工場を辞めて引越した。


引越し費用を実家が捻出してくれず
「北海道に帰ってこい」と言われて嫌だったのでサラ金から借金をして寮から引越して一人暮らしをするようになった。

正確に言うとそこから同棲生活がスタートしたのだが付き合って7年なので記憶が定かではない。

工場は夢のために貯金したくて選んだ仕事だったが手元には三万しか毎月残らないので、とても貯金できず食費に消えていた。


そんな私が一人暮らしをスタートさせアルバイトをしようとした矢先突然家族が夢への理解を示して声優の専門学校に通う費用を全額負担してくれる事になった。


そして私は声優養成する専門学校に入学した。
二年間は楽しくてあっという間に過ぎていった。今でも付き合ってる友達もできた。
舞台発表の時は知らないお客様から握手を求められらた。二回舞台に立って、最初のは看護婦の婦長の役だった。
次は卒業公園で喋る花の役だった。

私はプロを夢見ていた。でも現実は厳しかった。学内で受けたオーディション10個ぐらいに落ちて1個受かったが声優ではなくテレビタレントの養成所だった。


専門学校卒業後養成所に受かったものの入所金やレッスン費用をアルバイトするも実家の援助がなくなりなかなか払えず、一か月後、高熱39℃を出して耳が難聴になり二重に音が聞こえるようになった。そして耳鼻科三つを転々とした。聞こえなくなる不安から私はアルバイトを辞めて養成所ももう払えないからと辞めてしまった。


私にはなにもなくなり、ひきこもりをするようになった。半年近くひきこもりをしていたと思う。

私がアルバイトも養成所も辞めて生き甲斐を無くした後はうつ状態になり自責の念にかられて毎日嘔吐して、本を読むのも震えてできず、台所でも震えるようになり、ネット依存症になりお風呂の中にビニール袋に入れた携帯電話を持ち込むと『自殺』『美容整形』『夢、諦め』などを、とめどなく毎日24時間といっていいくらい検索するようになった。
外出はめまいがして世界が歪んでいるように感じ怖くてできなかった。

立ち直るためにと日雇いのアルバイトをしたけど卒倒し涙を流しながら謝罪した。

夢をもう一度と思って無料で渋谷のパントマイム教室に行って
「あなたそんな小太りでスッピンじゃこの業界じゃ無理よ。だから就職もできないし彼氏いないでしょ?あははは」とひどい事を言われて、睡眠薬を一瓶飲んで彼氏に隠れて自殺をしようとし未遂に終わった。


そんな私を見兼ねて数ヶ月後近所のメンタルクリニックに行くと


「統合失調症」と病名を診断された。


2010年現在から約二年ぐらい前の事である。

それから私の闘病生活はスタートした。


ひきこもり
めまい
コンプレックス
嘔吐
自殺願望
うつ状態


様々な症状が私を襲った。


当初はワイパックスとリスパダールという薬を服用していた。


彼氏がいない一日中独りの生活が辛くて実家に帰ろうと思って一年前正月になる前に一回北海道に帰って精神病について説明した。


八月に精神病と診断されていたので約半年が経過していた。


でも家族は無理解だった。小児科の開業医なのに精神病への理解をするどころか私を責めた。


母親は「なんで帰ってきたの?」父親は「精神病なんてセックスしてればならないんだよ。彼氏とはしてるのか?」弟は「演技でしょ。甘えてるんだよ。」


私は実家の屋上から飛び降りた。
雪だったからクッションになり助かったけど死にたくなって部屋に鍵をかけて泣いてた。


なんで誰も理解してくれないの?

どうして実家に帰ったらいけないの?


そして極め付きに「療養するためだけに実家には置いておけない。実家にいるなら朝起きて運動してアルバイトしながら弁護士や医者など自立できて高収入の仕事を目指してもらう」と精神病なのに無理難題を言われて、見送った母親からは『経営者になるため』の本を渡された。


私は絶望した。
軽くだがリストカットもした。


消えていなくなりたかった。


そして家族が嫌いになった。


その家族は今、おばあちゃんが認知症アルツハイマー、おじいちゃんが癌で二人には会いたいと今でも思っている。

父親も癌だが正直葬式に出るつもりはない。介護もするつもりはない。


母親もノイローゼ気味だが私を見捨てた罰だと思う。

弟はアニメーターを辞めて医学部目指して両親から全額負担してもらって浪人してるがそんな事より働けよと思う。


父親が癌で死ぬように願ってしまう自分がいる。そうすれば私を見捨てた家族は実家のローンでめちゃめちゃになるらしいから、みんな不幸になればいい。


そして私は彼氏のいる東京に帰ってきて家族について報告した。私の家族は彼氏の悪口ばかり言ったくせに「面倒みきれないから早く帰って」と私を追い出したのだ。
それらを聞いて彼氏は激怒した。そして「ごめんな。実家に帰れたら病気がよくなると思って北海道に帰したのに。もうそんな実家に帰らなくていいから俺がいるから」そう言って羽田空港で抱き締めてくれた事を今でも思い出す。北海道の千歳空港から羽田空港までの往復の料金は、しんいちが無理をして出費してくれた。両親は一切出してくれなかったから……。

こうして私と、しんいちの同棲生活と闘病生活は新たにスタートする事になった。


でも彼氏が仕事でいない間私は独り部屋で毎日毎月ひきこもりをして、毎日死にたいと思っていた。


そんな私の運命は少しずつ変わってゆく。いや、私が自分で切り開いてきた。そう、行動したのだ。まず命の電話に電話をかけた。何回も何回も。
「死にたいです。どうしたらいいですか?」と泣きながら電話した。

すると保健所の電話番号を教えてもらい、保健所に電話をかけると今度は保険センターの電話番号を教えてもらったので、かけた。


そこで知り合った職員のこんどうさんには今でも相談に乗ってもらっている。相談相手を自力で見つけた。


そしてメンタルクリニックの受付にあるチラシが目に止まった。


『地域活動支援センター』私はどんな場所かわからないけど、とりあえず電話して見学しに行く事にした。


それが一年前の事である。こんどうさんには、まだ早いんじゃないかと反対されたけど、ずっと独りでひきこもりをする生活は確実に私を自殺に追い込んでいたので、どこか居場所が欲しかったのだ。


そしていろんな地域活動支援センターに彼氏付き添いのもと見学に行き、徒歩10分くらいの近所にある場所に決めて、通う事にした。


自力で居場所を見つけたのである。


ここからひきこもりをするだけの半年が終わった。


地域活動支援センター略称、地活では様々な精神病の方々障害者の方々が利用していて、私だけだと思っていた孤独から解放された。


外見は普通の一戸建てのようだけど一階ではヤマトのメール便配達のために作業をしていて、皮製品やビーズ製品なども手作りで作っている工房もある。


二階は休憩する部屋と、職員さんの使う部屋があり、休憩する部屋にはパソコンやテレビが置いてある。


最初は不安だったけど、いろんなプログラムがあり次第に仲間に馴染んでいった。


運動。体育館でのバスケットやソフトバレーボール、卓球等々


調理実習。みんなで作りたい料理を決めて、作りたいメンバーで料理を作る。


お菓子づくり。調理実習と同じ。場所は違う。お団子とかいろいろ作ってとても楽しい。


外出。何か月かに一回、みんなで外出する。行きたい場所はミーティングして決める。私は大宮の鉄道博物館と横浜の中華街に行ってめちゃめちゃ楽しかった。


旅行。一年に一回みんなで旅行に行く。日帰りか一泊か選択できる。
静岡の御殿場に旅行してきたがとても楽しかった。


というようにプログラムが盛り沢山あって仲良くなる機会が多い。


一年経過した今では、通う場所ができて居場所ができた事がこんなに大切な事なんだと実感している。


お金は赤い羽根の共同募金から出ていて四分の一負担なので普通よりは、かからない。


募金してくださる皆様に感謝の気持ちでいっぱいになる。


私は今地域活動支援センターに通って体調の良いときは工房で働いたり、2010年5月からはヤマトで働いている。といっても一か月に二回、一日のうち午前中二時間だけだけど。


家事も仕事も健常者の頃のように普通にできない。元々できない私を支えてくれてるのが、しんいちだ。


料理したり洗濯したり仕事したりメンタルクリニックに付き添ったり、他の場所にも仕事の合間や休みの時に必ず付き添ってくれる。


しんいちがいなかったら私は自殺していたと思う。


しんいちや周りの方々に支えられて私は生きてる生かされている。


最近、また自殺しようとして精神病の薬を一気に飲んだけど失敗した。


それを地域活動支援センターの職員さんや彼氏が心配してくれた。


入院の話もでた。


必要であれば入院しようと思う。


この自伝エッセイを出版したいと今考えていて、商業出版や企画出版にメールして全滅。


でも一人だけプロの方が「本にしましょう」と言ってくれた。


今はその方にメールで相談しながら自分史を作って、その方のすすめてくださった本を探している。


「パソコンが必要」と言われてパソコンがないので貯金するまでに時間がかかるなと思っていたところ地域活動支援センターのボランティアの方が「娘の形見のデスクトップパソコンを差し上げますから、使ってください。娘も喜びます」とパソコンを無料でくださるとおっしゃってくれた。


ボランティアの方の娘さんは私と同じ統合失調症で亡くなっている。


そんな大切な形見をいただくからには精神病の方々に役立つ本を出版したい。


私は出版されたら売上の一部を寄付したいと考えている。


いつになるかわからない新しい夢を叶えたい。それが今の私の生き甲斐である。


最後まで読んでくださってありがとうございました。よかったら感想やレビューよろしくお願いします。

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