<第二章>セッツェン帝国(1)
セッツェン帝国第三十四代皇帝べモンドルは、歴代の覇王を輩出したスモンジェルダン家の血を、
色濃く鮮明に受け継ぐ冷血漢な帝王として君臨してきた。
代々、スモンジェルダン出身の皇帝たちは皆、冷酷・残虐・頑固の三拍子で名を馳せ、
べモンドルもまた、気性の激しい帝王として恐れられてきた。
彼は更に、『貪欲王』という別名も付けられていたほどだった。
だがそれも昔の話。
その貪欲王は今、戦いの真っ只中にいた。
敵はすこぶる強靭で、皇帝の身体を蝕み続ける病魔だった。
その敵にだけは、彼は勝てずにいる。
べモンドルが臥床するようになってから、ほぼ二ヶ月が過ぎた。
身体はやせ衰え、身体を起こすこともままならぬ状態となっていた。
眠っては目覚め、目覚めては小鳥のような食事をして再び眠りに就くといった、病人そのものの日々を送っていた。
もはや、かつての皇帝の威光はどこにもない。
「-----お目覚めですか?」
べモンドルは、くぼんだ瞼をうっすらと開けていた。
側にいつも付き添う専属医師のウェンリッグが、優しげに皇帝の様子を伺う。
「ウェンリッグよ…、余は懐かしい夢を見ていた…」
ベモンドルは、声をかすれさせながらゆっくりと口にした。
「どのような夢ですか?」
「若かりし頃の…ぺネロジ山脈に遠征に行った頃の夢だ…」
「おお…、それは、貴方様が皇帝に就かれて初めて錦を飾ったあの遠征ですな?」
久しぶりに会話が続いたことに、今日は身体の調子が良さそうだと、ウェンリッグも安堵する。
べモンドルは、懐かしそうな笑みを浮かべながら遠くを見つめる。
「----あの頃は、病に患うこともなく、人生を謳歌していたものだったが…、
それがまさか、かような姿になろうとは----貪欲王が聞いて呆れる」
自分をそう言って嘲笑するが、医師は首を横に振った。
「そのように御自身を卑下されてはなりませぬ。べモンドル様は、今も尚、
勇猛果敢に戦う真の覇王なのでございます。
よいですな、今後そのような弱気なことをおっしゃられてはなりませぬぞ」
先帝の御世から仕えてきた医師・ウェンリッグは、自分よりも二十以上も年若い皇帝に叱咤した。
「昔からそなたには、色々力になってもらってきた…。随分励まされたものだ。
-----叱られても来たがな……」
「どちらかと言えば、叱った数の方が多かったですな」
べモンドルの寝室に、久しぶりに笑い声が響き渡る。
「それよりも、国は今どうなっている…? 海岸と河岸は…? 東方や山地は…?
民はちゃんと穀物と税を納めているか…?」
「はい。御心配には及びません。今は、ガインダーク様とロイゼン卿が中心となって一切を率いてますれば、
何の問題がございましょう」
「…そうだったな。今は余の代わりを、あれが引き継いでいるのだったな…。
あれは…、ガインはよくしているか?」
「----はい。采配を振るうガインダーク皇子のお姿は、若き日の貴方様と瓜二つにございます」
べモンドルは、そこで何故か失笑した。
「瓜二つか…。あれも余に似て、融通の利かぬ痴れ者よ。
大波に揺られて自分が乗った船を沈めねばよいが……」
皇帝は、天蓋を見上げながら、若き嗣子が周囲に翻弄されて孤立しないことを祈った。
べモンドル自身、孤立こそしなかったが、信頼を寄せていた重臣に裏切られた過去が幾度もあった。
「強く…逞しく…なったものだ……」
貪欲王と呼ばれた皇帝のまなじりに、滲んでいたものが光り頬を伝う。
「----ウェンリッグよ…、余り無茶をするなと…あれに伝えてくれ…。それからガインを…、宜しく…頼…む」
「----ベモンドル様っ…!?」
突然急変した皇帝の容態に、ウェンリッグは慌てて聴診器を胸にあてがう。
呼吸が乱れ、身体全体に浮き上がる汗と顔色が異常を物語っていた。
しかしベモンドルは、医師のその手を払いのけ苦しそうに呻いた。
「いくら…、皇子と言えども…、お…前は----------…」
「皇帝!? ベモンドル様っ!?」
答えはなかった。寝室に静寂が訪れる。
ウェンリッグは、息をすることをやめた皇帝の顔を眺めていた。
「お約束致しまする。この余命幾許もない我が命に代えましても、必ず、必ずや
ガインダーク様を…殿下を御守り致しまする…!!」
年老いた医師は、皇帝のまだ温かな痩せて骨ばった両手を力強く握った。
ウェンリッグの衰えた目からも、一粒の光が零れ落ちていった-------。
ベモンドルの訃報は、すぐさまガインダーク皇子にも伝えられた。
バ--------ン……!!
扉を荒々しく開けて部屋に入る。
「ロイゼンッ!! 皇帝が崩御したっ!!」
駆けつけた部屋は、父・ベモンドルの寝室にではなく、執事のロイゼンの部屋であった。
彼は執務中であったのか机で何かを執筆していたが、
突然飛び込んで来た鉄仮面の皇太子を見るや、椅子を倒して立ち上がった。
「とうとうご逝去されたか…! ではガインダーク様、いよいよ皇帝の座とこの国が、
あなた様のものとなるわけですね。おめでとうございます」
「ふっ…、この瞬間をどんなに待ち望んだことか。皇帝だ…!! ようやくこの私が皇帝に即位する日が来たのだ!! -----ふふふ……ふはははは!!」
実父の訃報に悲しむわけでもなく、ガインダークは辛辣な声で笑った。
魔法師の部屋に反響し、壁に映る皇子のその影は、まるで悪魔が高笑いしているかのようだった。
不気味な何かがうごめき始めていた。
*
セッツェン帝国の帝都セッツェンは、三重壁に囲まれた城郭都市である。
中には城塞を始め、教会や聖堂、貴族の館や庶民の街などがひしめいていた。
ベモンドル・イーセオルス・スモンジェルダン皇帝の死を、嘆き悲しむ者もあれば、
秘めた内でほくそ笑む者もいる。
教会の哀悼の鐘が、轟々しくセッツェンの街に鳴り響いていた。
その一方で、古来よりジブエ神を崇拝しているこの国と、ジブエ神を祭るジブエラ大聖堂では、
戴冠式の準備が着々と進められていた。
通常であれば、皇帝の存命の内に大司教の手により帝冠が次なる皇帝に授けられるはずであったが、
皇帝が崩御して一週間と待たない間に、執り行われることとなった。
ガインダークの素顔を期待していた一同は、肩を落としていた。
皇太子は、常に鉄の仮面と鎧を身にまとっていたので、ごくわずかな近親者以外に彼の素性を知る者はいない。
だから、「見るも無残な醜悪な顔をしているのだ」やら、
「うっとりするほどの美形で、勿体ぶって見せないのだ」など、噂は様々だった。
かくしてガインダークは、晴れて紛れもないセッツェン帝国、
第三十五代ガインダーク・ローテロウス・スモンジェルダン皇帝として、歴史の渦に足を踏み入れたのである。
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