< 〃 >(3)
----どのくらいの時間が経ったであろうか…。
黒い森を抜けると、目の前には緑なす豊かな草原が広がっていた。
奥の丘陵地まで何かが栽培されてあるのか、果樹園が視野に入ってくる。
「どこですかここは?」
ザッハンは、手綱を引いて馬を止め、初めて見る景色をぐるりと見渡した。
キングスは、何かの香りをかぐように鼻腔を動かしている。
「この香り…やはりそうか。ザッハン、ここはリーゲル公国の領内だ。
反対側から出て来たから気づかなかったが、丘まで広がるあのブドウ畑が何よりの証拠だ」
「これが噂に名高いメレクシール大公のブドウ畑ですか?」
「ああ、あの親父はブドウ酒に目がないらしいからな。大方これも、親父が屋敷で造らせている物だろう」
「親父----…」
感動して顔をほころばせていたザッハンであったが、
仮にも大公殿下である人物を親父呼ばわりするキングスの物言いに呆れ果てる。
だがすぐに、その顔は脂下がってキングスに向けられた。
「はっはーん…、さては王子、ここに来るのが目的だったのですね?
それならそうと最初から言って下さいよ。
水臭いですねぇ。大公の御令嬢が本命なだけに、とぼけてみせたのですか?」
顔を変形させてにやけるザッハンに、キングスは怪訝な目を送った。
「俺は適当に馬を走らせて来たんだぞ。ここに着いたのは偶然だ。
----それにお前おかしいぞ? 本命って何の話だ?」
ザッハンは、慌てて首を横に振り続けた。
「な、何でもありませんよ!」
「ああ?」
キングスは小首をかしげて、訝しがる。
「----だが、ここに辿り着いたのも、神の思し召しとなれば……。よし!
ついでにあのじゃじゃ馬娘に挨拶でもしに行くか!」
「もぉ----っ! やっぱりトゥインガ公女様に、会いに来たんじゃないですか。
素直になって下さいよ」
「違うと言っている。それに大公の娘はレヴィータって名前だぞ……いや、違うな。
それはガーヌの踊り子の名だ。妖艶なあの舞いは、ジェインにも引けを取らなかった」
----誰と誰の話ですかそれは…?
ザッハンは突き止めようとしたが、面倒なことになる前にやめた。
「エキラ…じゃなかったか? いや、それはカティム村長の孫娘ではないか。
大きな瞳の愛くるしい子だった。
セインネス…は、酒場で飲んだ女だな。赤い唇が妖しかった。
ラミーヤ…は誰だったかな…?」
「もういいですか王子。どうやら作り話ではなさそうですね。
よくもまぁ、次から次へと私の知らない名前が出てきますね」
----それも女性ばかり…。
口にはしなかったものの、代わりに軽蔑のまなざしでキングスを見る。
「だけどザッハン、多分お前の言う、その…トンガって言う名が正しいんだろうな。
貴族の女の名は、興味がないからいちいち覚えとらん」
「トゥインガ様! そうなんですか。それじゃ、貴族ではない女性ばっかりなんですね」
「それにしてもあの時は、実に愉快だった。ザッハン、お前にも見せたかったよ。
公女の俺に対する歓迎ぶりが」
以前、メレクシール大公に招待されたアンモス王とキングス王子に、
高熱でうなされたザッハンは同行できなかった。
そのため、当時の様子を目の当たりにすることはなかったのだが、
相当派手な歓迎をされたということを、他の同伴者たちから伺っていた。
話によれば、着飾ってうやうやしく挨拶をする公女トゥインガであったが、
初対面の隣国王子キングスは、彼女に向かって突然、
「親の言いなりに従うだけのお人形さんには、めっぽう興味がございません」
と言い放ったのである。
トゥインガは途端にいきり立ち、隠し持っていた短剣でキングスに襲いかかった。
キングスはうまくかわしたものの、そんな待遇を受けたのが気に入ったのか、
大いに喜んでいたというのである。
「そんな場面見たくもありません! 怪我をしなかったから良かったものの、
御令嬢にまで無礼を働くのはよして下さい! 私まで疎まれます!」
聞いているのか聞いていないのか、キングスは滑稽そうにいつまでも思い出し笑いをしていた。
*
リーゲル邸に通され、2人はメレクシールの前に姿を現す。
隣国シッカの王子が訪問したとあって、リーゲル低は突然あわただしくなった。
「おお…、これはこれはキングス王子。よくいらせられました」
メレクシールが、キングスとザッハンを歓迎し、慇懃にもてなす。
「しかし急な来訪でありますから、このように少々あわただしいですが、
どうかおきになさらずにごゆるりとおくつろぎいただきたい。…ああ、リージーはまだか!?
それにトゥインガも何をぐずぐずしておるのだ!?」
侍女に向かって狼狽して叫ぶ。
しばらくして、公妃のリージーがにこやかに入って来た。
公妃付きの侍女たちも畏まって後に続き、隅に一列に整列する。
「拝見したところ、王子もお元気そうで何よりですな。王もその後、お変わりはないですかな?」
メレクシールが準備された2つの椅子に手を差し伸べ、キングスたちに座るように勧めたが、
キングスはそれを制した。
「大公殿下、私共は、この近くを偶然通りかかったまでですから、すぐ出立致します故、どうぞお構いなく」
「いやいや、どうかごゆっくりしていただきたい! それに我が自慢のブドウ酒をお飲み下され。
この間は、私共の大変な失態に晩餐会もままなりませんでしたが、今一度、お詫びという点で、
是非ともお召しになっていただきたいのです。王子、その切なる願いをどうか叶えさせて下され」
大げさにも、大公は、キングスの足元にひざまずいた。
キングスもザッハンも呆気に取られ、互いの顔を見る。
「しかしあれは私が----」
メレクシールを抱え起こしてキングスが言うが、公妃までもが嘆願の目を送ってよこす。
「私からもお願い致します。せっかくこうしてお越し下さったのですから、是非ご一緒に…」
さすがにそうなると、キングスも肩をすくめて承諾せざるを得なかった。
話題の中心は、やはり何と言っても大公自慢のブドウ酒であった。
血のように赤いブドウ酒を片手に、屈託なく話す彼の幸せそうな顔を、ザッハンは忘れられなかった。
グラスの中の、赤紫の…黒にも似たその液体を揺らしつつ愛でながら、
幾つものブドウ栽培地が至る所に存在するということも教えてくれた。
しかし、メレクシールがグラスから口を離し、徐々に真顔になっていく。
「王子もご存知かと思われますが、戦争らしい戦争がない昨今、
それはそれで喜ばしい名誉なことではありますが、ここ最近、
各地で山賊や海賊が暴れまわっている噂をお聞きにはなりましたかな?
あろうことか、山と海の両賊が手を結び、得体の知れない行動を取っているというのですから、
これは非常に厄介ですな」
キングスもその話は、父王や臣下たちに聞かされていた。
しかしそれはまだ遠い地の話であって、身近に感じられない話をされても、キングスには余り興味がなかった。
「まだこの近くにまでは現れていないようですが、神出鬼没な奴らのこと、
我がリーゲル公国も海岸沿いと山沿いの警備を強固するつもりでおります」
ついぞ公女は姿を現さなかった。それに対しても、大公と公妃は度重なって謝罪した。
預けていた白い愛馬が2人の前に連れて来られると、2人はそれぞれの馬にまたがる。
そして屋敷の扉の前に立つ大公と公妃に一礼し、馬を走らせた。
「----それにしても、肉詰めも美味でしたが、さすがにブドウ酒は格別でしたね。
他とは比較になりませんよ。きっと醸造技術から違うんでしょうね」
満足げにザッハンは感心しているが、キングスは鼻で笑っている。
「元々ここはセッツェン領地で、スモンジェルダン派の修道院があった場所だ。
リーゲル邸は、その修道院を改築させて建てられた屋敷と聞く。
大方あのブドウ園は、当時からの栽培園だろう。
さきほど、別棟の醸造所に見えた古いブドウ搾り器が何よりの証拠だ。
三基見えたが、どれもリーゲル公国風の作りではなかった。
----つまり公国の先祖は、修道院まるごと全てをのっとったというわけだ。
ぬけぬけとよくも自慢できたものだ、あのタヌキ親父め」
「さすがは王子。洞察力といい、知識といい、よくご存知で。…しかしここはまだ邸宅前ですよ。
無闇にそう、聞き捨てならぬことをおっしゃられては----」
「ぬけぬけとよくも言ったわね!! 馬鹿王子!!」
「うわっ!!」
驚いて馬から落ちそうになったのは、ザッハンの方であった。
キングスは馬を止め、後ろを振り返る。
リーゲル邸の外壁に沿って植樹された大木の陰に、軽武装した少女が腕組みをして立っていた。
「----なんだ、会いたくないんじゃなかったのか? …それに何やら勇ましいが、
騎士にでもなるおつもりですかな、お姫様?」
語尾をわざとらしく強調させて、キングスは言った。
トゥインガの引きつった顔が、更に引きつる。
「これが日頃の私の姿です、王子。あの時は、父の立場を考慮し、仕方なく言われるままに装っただけ…。
私はあんなチャラチャラした格好を好みません。
それよりも、今更何の用があってノコノコやって来たのよっ!?」
----あのお方がトゥインガ公女様……?
ザッハンにとってみれば、彼女とは初対面である。
胸当てを装着し、腰には長剣を携えていたため一瞬少年にも見えるが、白い顔とその輪郭は、
確かに少女のものだった。
栗色の長い髪を後ろに無造作に束ね、よく動く灰色の目は大きく、ややきつい顔立ちの16歳の少女である。
最も今は、憎悪に満ち溢れた怖い顔であるが、なかなか可愛らしい子だなとザッハンは思っていた。
キングスは一礼する。だが馬から降りる気配は一向になく、馬ごと少女の前に歩み寄る。
「これは失礼致しました。私共が伺いました理由を申しますれば……特にこれと言ってございません。
たまたまでございます。それよりも一つ、私からお伺いしてもよろしいでしょうか?
世間一般に貴婦人とは、繻子のドレスを窮屈に着こなし、こってり厚く化粧を塗りこめ、
不気味な愛想を誰構わず振りまくのが貴族というもの。
何故にあなたはそれを拒絶し、そのような素晴らしい格好をなされるのです?」
急に畏まっているが、無論演技である。
誰の目にもわかるわざとらしさがあったが、敢えてトゥインガは怒りを抑えて歯向かった。
「貴殿は、私をよほど侮辱したい様にお見受け致しますが、
私は貴殿がおっしゃるような人形ではございません。
志や意思もちゃんとございます。剣を振り、敵を討つことも過去に何度かありました。
遠乗りに行こうと思えば、いつでも馬に乗って一人で自由に行けるのです。
着飾ることしか能のない、その辺の御婦人と同一視しないで下さいませ!」
負けじと彼女も反論する。負けず嫌いの勝気な少女である。
キングスの口の端がたゆむ。
「遠乗りが好きなのか?」
「然り。趣味の一環にしております」
トゥインガは、すまし顔で答えた。
だがそこで、少女の体がフワリと宙に浮いた。
「…なっ!?」
キングスの愛馬ガテリスが少女の側に近づくと、彼女は王子の片腕で軽々と抱き上げられた。
そして小脇に抱えられたまま、遁走するかのように連れ去られて行った。
「な、何するの!? 無礼なっ!!」
「ザッハン、ちょっと俺はこちらの令嬢とひととき戯れてくる」
「た、た、戯れって…!? そんな御無体な!! 陽がだいぶ傾いてますよ!! なりません王子!!」
ザッハンの忠告を聞かずにキングスは、トゥインガを抱えたままその場を馬で駆け出して行った。
門から様子を伺っていた侍女たちが騒ぎ立て、その中の一人がザッハンに走り寄る。
「あの、お嬢様はどちらに? キングス様は一体…?」
蜂蜜色の髪をしたなまめかしい体つきのガーネマーラが、心配そうに訊いて来た。
「すみません…。王子はあの通り、気まぐれでわがままですので…。
しかしすぐに戻ると思いますので…はい」
----保証はありませんが……。
トゥインガ付きの侍女のガーネマーラに、言い訳をそうこうしているうちに、
他の詰めかけた侍女たちにもザッハンはすっかり取り囲まれてしまっていた。
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