< 〃 >(2)
謁見の間にアンモスはいた。
黄金に光り輝く玉座に腰を据え、シッカ国王は思考を巡らす。
アンモスの片腕と呼ばれた宰相のダフスーも、真剣な面持ちで王の側に立っている。
「そう…か。なるほど、そういうことか…」
何かに閃いたように、アンモスのややしわを見せた顔が一瞬ほころぶ。
垂れ下がる白髭を蓄えたダフスーも、納得して頷いた。
アンモスはその場に立ち上がると、大きな枠にはめ込まれたガラス窓に近づき、
両手を後ろに組んで外の景色を見やった。
麗らかな陽射しが彼の頬に当たり、不意にアンモスの青い瞳が細くなる。
「なるべく早い内に実行に移した方がいいだろう。そのためにはまず、諸国会議を開き、
皆の意見を聞かねばなるまい。卿は、各国に急ぎ伝令を飛ばしてくれ。
それにこれから議会を開く」
「御意」
ダフスーが執務室に下がろうとした刹那、近衛隊長のメビーリスが扉をノックして入ってきた。
一礼し、何かを申し兼ねるかのように黙っている。
「----またか…?」
メビーリスが口を開く前に、アンモスが答える。
「…はい」
メビーリスは、城内外の逐一の報告を王に告げる役目を担っていたが、
しかし最近は、戦争や夜盗の類いもなく平和な日々が続いていたので、
王への緊急の報告は専らキングス王子の家出騒動を指していた。
「またなの? あの子ったら、全く仕様のないこと…」
王の隣りに座っていた王妃ビクドーラが、ため息混じりに呟く。
ブルネット色の長い髪を結い上げた清楚な美しさを持つ女性であった。
「今回の脱走には、従者のザッハンも同伴していた模様です」
「ザッハンが?」
王と王妃が驚いて互みを見つめ合う。
キングスの家出は度重なるものであったので珍しくもなかったが、
ザッハンが付いていくことはまずなかったのである。
王と王妃もそのことは勿論知っていた。
「一体何を考えておるあやつめ…。もうよいわ。そんなに城にいたくなくば、このまま帰って来ぬともよい!
どこへでも行ってしまえ!」
「あなた、落ち着いて」
王妃はなだめたが、王は聞く耳を持ちそうもなく鼻息を荒立てていた。
「大尉、そなたも今後、あやつの報告をする必要はない! 監視する必要もない! あれの行動を一々聞いていたら、こっちの気が狂うわ! もうよいよい。今までご苦労であったな。さぞ大変だったであろう。私からも礼を言うぞ」
「し、しかし、キングス様は大切なお世継ぎ君。そのような由々しきことをおっしゃられては----」
「ああ! 私は忙しいのだ! おお、そうであった。これより議会を開くのであった。
直ちに、廷臣らに呼びかけてくれたまえ」
「…はっ!」
敬礼すると、メビーリスは部屋を出て行く。
ガシャガシャと鋼のこすれ合う音が、徐々に聞こえなくなっていった。
「馬鹿息子にかまけているほど、私は暇ではおらなんだ!」
ビクドーラがダフスーと目を合わせ、取り付く島なしと、左右に首を振る。
長い白髭をさするダフスーも、やれやれと肩をすくめて執務室に消えていった。
*
こんな人が次期王になったら、この国は一体どうなるんだろう……?
少年時代、いつも心の中で抱いていた疑問と不安だったが、それでも彼を憎めなかったのは、
心のどこかで、退屈することは免れそうだと思っていたからなのかもしれない。
馬上でザッハンは、王子の悪戯三昧の日々を回想していた。
中でも傑作だったのは、数百頭の羊たちの大運動会であった。
無論、羊小屋から羊たちを追い出したのは、他でもないキングスだった。
庭中を駆けずり回る大群の羊に、城の誰もが目をむいて驚いた。
折りしもアンモスが、外国の来賓と謁見の最中でもあった。
そんな昔日の思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡って行った。
「…ザッハン!! 聞こえていないのか!?」
「は、はい!! 聞こえています!! …それでこれからどこへ行こうというのです?」
鳥たちが森の平和を歌う様に軽快にさえずっている。
どこからかせせらぎの音も微かに聞こえていた。
ザッハンは、しばらくこんな居心地のいい光景があったことを忘れていたように感じた。
深呼吸して森の新鮮な空気を吸ってみる。
しかしそれも束の間、
「…つい先日、王子はラディーニの宿屋にお世話になったばかりと伺っておりますが」
皮肉を込めて口にした。
シッカ城から遥かに離れた北の山麓に、隠れるように存在するラディーニ村。
特出した産物はこれといってないものの、陽気な人間が多くそれなりに賑やかな雰囲気の山村である。
その村のたった一軒だけの酒場兼宿屋の『隠れ家亭』に、二日間キングスは泊まっていた。
探しに来た衛兵に連れ戻されたが、もし衛兵が迎えに来なかったら、あと五日は泊まっていたと堂々言い張った。
宿泊の理由を訊ねても、王子は口を割らないどころか茶化すばかりで全く話にならない。
「だからどうした? それの何が悪い?」
「いいですかキングス様。貴方は王子なんですよ。その王子が城を抜け出し戻らないとなれば、
我々がどんなに心配するかお察ししたことはないのですか?
余り軽率な行動はとらずにわきまえて下さい!」
「……」
キングスは無言になった。
ザッハンは、いつもどおりに彼に接していたが、いつもと様子が違っていたことに気づく。
「王子…?」
「……」
相変わらず無言だった。何となく彼の表情が、微かに憤慨しているように見えて、
ザッハンは瞬時にこわばってしまった。
幾ら幼少の頃から側に仕えていたとは言え、同じ年であるとは言え、相手は王子なのである。
身分を忘れて忠告した自分を少々悔いた。
ザッハンの背中に冷たいものが走る。
「ザッハン、お前」
「は、はい……」
鋭い眼光をキングスが自分に向けていた。
----間違いない、彼は怒っている…。
ザッハンの畏怖感は、手の震えが語っていた。
「お前は俺を愚弄した罪で、即刻処分だ」
…そう言われるのであろうかと、思わず歯を食いしばる。
が----
「その内、パロウ老のような頭になるぞ」
「え…?」
一瞬にして恐怖は去って行った。
非常に間抜けな顔を自分が作っていることに、ザッハンは気づかない。
「え、ええ、そうでしょうね…。心配の種を次々まかれる方の側にいれば、
私もパロウ老のように髪の毛が薄くなるのもそう遠くはないでしょう……」
へつらうようでもない自らの口を、「しまった!」と慌てて押さえるが、
キングスは、気にも留めずに明るく笑っている。
パロウ老はキングスの教育係で、語学、歴史、哲学、数学、天文学…
あらゆることを教えてくれる博識人で、86歳の物知り博士と称される頭脳明晰な老師であった。
彼らの言う通り、パロウ老の髪の毛はほとんどないに等しい。
「俺はパロウ老の頭の中、頭脳のことを指して言ったんだぞ」
軽快にキングスは言う。いつもの彼だった。
「わ、私にはそうは聞こえなかったのですが----」
一気に力が抜け、安堵の息を洩らした。
「しかし王子、一体全体どういう風の吹き回しですか?
いつもは単独行動のあなたが私を連れて行くなんて。それも突然…」
キングスは遠くを見やると、ニヤッと笑った。
不適なその微笑にザッハンはゾッとし、森の中でさえずっていた小鳥たちの声までもが、
刹那に消えてしまったかに思えた。
「何…、あんまりうるさい奴が俺の側をうろつくから、森へ連れ出して殺そうかと思ったんだ」
口元を歪め、まっすぐ向けられた青い、いつもは温厚そうなその瞳が冷酷に光る。
----そ、そんなまさか……。
声にならない。
キングスは、剣の鞘に手をかけると、キラリと光る刃を引き抜き、目の前にかざした。
「覚悟はいいか…?」
「----…」
再び険悪な雰囲気に飲み込まれ、ザッハンの体は硬直した。目を強く閉じる。
----しかし、一向に何も起こる気配はなかった。
目を少しだけ開けてみれば、目の前の王子は、剣を片手に自分をじっと見ているではないか。
いきなり笑い声がこだました。
「ばっかだなー。俺が本気で斬るとでも思ったか? 冗談はよせ」
ザッハンは仰天していた。再びからかわれたのだ、自分は。
「そ、それはこっちのセリフです!! 悪ふざけも大概にして下さい!!
あ、あなたは私に、はやく死ねとおっしゃっているのですか!?
それじゃ、命が幾つあっても足りませんよ!!」
「ははは。 あんまり真面目な顔をするからさ。お前って昔から全然変わらないんだな。
おかげでこっちはからかいようがあって、実に楽しい思いをさせてもらった。感謝する」
「感謝されても困ります!! 私でそうやって遊ぶのはよして下さいよ!!」
そこでガテリスから飛び降りたキングスは、手綱を適当な木にくくりつけると、
草の上に勢いよく寝転んだ。
「お前は----そのままでいろよ」
「え…?」
仰向けになったキングスが何かを呟いたようだったが、独り言のようでよく聞こえなかった。
聞き返そうとしたが、キングスが何やら語り始めてしまった。
「お前を連れてきたのは何、道連れが欲しかっただけだ。いつも一人じゃつまらんからな。
旅は道連れって言うだろう?」
「な、なるほど、旅ですか----」
ザッハンは納得するが、もう一度キングスの言った言葉を頭の中で鸚鵡返しして、思わず声を張り上げた。
「た、旅!? 一体何のことですか!?」
リギャンに乗っていたザッハンは、ずり落ちた。
そしてそのまま仰向けにくつろぐ主人に近づいて、身を乗り出した。
王子は横目で従者を睨む。
「本当にお前は一々うるさいなぁ。驚くほどのことかぁ? 旅をして何が悪い?
人間誰しも、牢の中にいつまでも閉じ込められれば気が狂う。
それと同じで、俺はいつまでも城にいたくない、ただそれだけのことだ」
「そ、それはそうでしょうけれど、だからと言って…しかし----」
「お前にとっては一日でも旅と言えるだろう? 心配するな。
ちゃんと今日中には帰れるようにするからさ」
楽観的にキングスはそう言うが、ザッハンにしてみれば、迷惑な話なだけであった。
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