<第五章>海賊船(1)
彼らは今日もまた、一国の屋敷を破壊してきたばかりであった。
彼らが狙うのは、専ら城や貴族の館が中心である。
襲った所は数知れず。盗んだ財宝や家具、そして殺した人間の数も計り知れず…。
世界中をまたにかける彼らは神出鬼没。特定の場所はない。
満天の星空の下、一人甲板に立ち、男は見果てぬ先を見つめていた。
金の髪を月の光に照らし、無言で何かを考えている。
彼はこの青雷号の頭領であったが、海賊という雰囲気はまるでなく、
紳士的な格好からして貴族の貴公子にも見受けられた。
だがそれは外見だけであって、無愛想で無口な朴念仁だった。
「いつもそうやって遠くを見つめているのね…。その先には誰が見えてるの?
…私だったのなら、それ以上の幸福はないのだけれど」
男の端正な顔が、背後からやって来た女に向けられた。
彼女が両手に持つグラスには、ブドウ酒が注がれていた。
細く白い片方の手を、グラスごと彼に差し出す。
彼女もまた美しい金の髪を持っていた。微かにカールされた巻き毛が風になびく。
「乾杯」
女は男が手にしたグラスに軽くぶつけ、ブドウ酒よりも赤いその唇をグラスに近づけた。
男は一瞬何かにためらったが、グイッと一気に飲み干した。
「ふふふ…、美味しいでしょう? これは先日襲った修道院風の屋敷の地下から持って来たブドウ酒よ。
こんなに美味しいのは初めてだわ…」
満悦して笑いながら、彼女はブドウ酒をいに収めていく。
妖艶な美女という言葉がふさわしい女だった。男の方も、温厚そうな美青年である。
二人は誰の目から見ても、羨望のまなざしを向けられる美しい恋人同士-----。
女の名はディリエ、男の名はガイと言った。
ぶどう酒を飲みながらも尚、ディリエはガイを見つめる。
しかし彼の目と合うことはなかった。
「ふふ。ガイは時々そうやって私を見ない時があるのね…。今に始まったことじゃないけれど。
でもそんな何を考えているかわからない、つれないあなたも私は大好きよ…。
今までこんなに熱くなれた男はいなかったわ……」
突然ディリエは、ガイの唇を自分の真っ赤な唇でふさいだ。
それでもガイは、彼女にされるがまま動じない。
唇を離すと、ディリエはガイの胸にうなだれる。
「----知っているのよ私…。あなたが何故、あんなどうでもいい小さなリーゲル公国を襲う命を下したのか。
あそこは昔、スモンジェルダンの領地だったのよね。つまり、敵を討った、そういうことでしょ…?」
ガイは、薄ら笑うディリエから離れると、手にしていた空のグラスを放した。
パ------ン……
甲板にグラスの破片が飛び散る。
そして彼は、無表情のまま自分の部屋へ入っていった。
一人残された美貌の女は、微笑を浮かべていた。
その時、物陰に人の気配を察知し、ディリエは誰何する。
「誰!? 覗き見するなんて男らしくないよ!!」
隠れていた男が姿を現す。
「ゾムナ!! またお前さんかい!?」
「あー…そのー…何だ、外は冷える。中に入ったらどうだ…?」
「お前には関係ないことだよ。それよりちょうど良かった。この割れたグラスを片付けといてくれ。
私は汚れた船は嫌いだからね」
ディリエはそう言い残し、ガイが入って行った部屋へと姿を消した。
二人は恋人同士。一つの部屋で就寝を共にしていても、何もおかしくはないのだ。
ゾムナの嫉妬心が燃え上がっていた。
*
明くる朝、幻の人魚が捕まった。
人魚には様々な伝説があり、中でも人魚のうろこは、どんな難病でも治す特攻作用があるとされ、
装飾品としても高値が付いていた。
昔は人魚狩りが横行し、絶滅寸前になったことさえあった。
捕獲された青い髪の色を持つ人魚は、それは若く美しい女だった。
女と言っても、この世界で人魚は無論人間扱いされていない。
どちらかと言えば、動物と同列視されている。
例え人間の言葉を話し、歌ったり恋をしたとしてもだ。
だから、人魚の乱獲はいつの世も絶えなかった。
海賊の一人が、うろこのある足を切断しようとナイフをきらめかせる。
うへへ…と気味の悪い笑い声を漏らし、唇を舐める。
「お待ちよ!」
そこへ現れたディリエが割って入った。
男が軽く舌打ちをして、引き下がる。
「このまま生け捕って売っ払った方が、何倍も高く売れるんじゃないかしら?」
しゃがみこむディリエの冷淡なまなざしが、人魚を怯え上がらせる。
甲板に横たわる人魚はそれは美しかった。
太陽の陽射しの下、金と銀に光り輝くうろこ、白い滑らかなその柔肌、海と空のように青く長い髪。
そして吸い込まれるような、空と海よりも蒼い瞳。
それはまるで、深海の海のような深い色だった。
男たちは、思わず舌舐めずりをする。
「お前たち! 手を出すんじゃないよ! 大事な売りもんだからね! 牢に入れておくんだよ!」
人魚は、船底にある牢の中に閉じ込められた。
そして誰もそばからいなくなると、やがて薄暗い中でさめざめと泣き出した…。
しばらくすると、牢の鍵を開け、誰かが入って来たことに警戒した人魚は、恐怖を感じて座ったまま後ずさりした。
「そう怯えなくとも良い。私はお前と話がしたくて来たのだ…」
「……」
「お前は明日の晩に売られる。人間の薬となるために…いや、その前に珍しさゆえ、見世物になるであろうがな…」
「!!」
人魚は震えて泣き出した。
「う…うう……お願い…帰して…」
悲痛な叫びが嗚咽と共に漏れ出す。
「すまなかった。安心していい。私はお前を逃がすつもりだ」
「----本当…?」
「ああ。ただし条件がある。人魚は歌を歌うという。…歌ってほしい。
お前のその悲しみも癒されるほどの美しい歌を、私に歌ってはくれまいか…海の妖精よ……」
ハッとして、人魚は顔を上げた。
そして、ガイの憂いに秘めたその瞳をじっと見つめる。
人魚の海よりも深い瞳に、彼の碧眼が溶け合って映る。
「----あなた、優しい目をしているわ…。でも、何て哀しい顔……寂しかったのね」
ガイは目を伏せ薄く笑った。
沈黙が続き、その内、美しい旋律の歌声が、人魚の濡れた唇からこぼれ始めた。
朝に溶けてゆく 夢の幻影に 露に濡れた草原 眠りの温もり…
孤独を解いて 自由な心で流されてみたい…
悲しみを忘れて 生きる喜びを知る 善と悪の二の心 天秤に託して…
果てしない夢の跡を走り続けては 光の裏に闇が潜み希望を盗んでいった…
泣き出しそうな鉛色の空は まるで終止符のない輪舞…
忘れたい過去を渦中に沈め 何故全ては眠る 幻影の夢に…
黄昏の海へと続く道は いつの日か
旅人の目に勇気となってかけがえなく映るだろう------
それは、悲しみの中に在る、光り輝く希望を紡いだ叙情詩だった。
まるで自分の心の内側をそのまま詩にしたようで、彼の胸は締め付けられる思いがした。
小川から大河へ、大河から大海原へ怒涛のように流れ込むような、そんな感情に包まれていた。
ふと、初めて聴いたと思っていたその詩に、どこかで聴き覚えがあったことをガイは思い出す。
遠い昔-----…。
母と海に飛び込んで溺れた自分を、誰かが救ってくれた。
甘く優しく、美しい歌声が聴こえ、当時少年だったガイは目を開けた。
そこは砂浜だった。しかし自分の他には誰もいない。
そこへ、ディリエと彼女の父である青竜雷号の頭領に、ガイは発見される。
一目で恋に落ちたディリエの強い希望で、ガイは海賊の仲間入りを果たしたのであった。
その時の悲しくも美しいその詩を、彼は記憶の底にうっすらと憶えていた。
十五年前のあの日に聴こえた詩を。美しい尾を持った青い髪の人魚を……。
「----君はあの時の……」
「ガイ!! そこで何しているの!?」
ディリエが立っていた。その顔は確実に怒っている。
「あなたのことだからその人魚を逃がすつもりだったんでしょうけど-----そうは行かないよ!!
この間、山賊に頼んで一時洞窟に預けておいた娘たちに、逃げられたばかりなんだからね!!」
ガイはディリエを睨んでいる。
「ディリエ…、この人魚は逃がそう」
「はん! やっぱりね! ガイなら考えそうなことだわ。でもそうは行かないよ!!」
「----もしこの人魚を、今ここで逃がさないと言うのであれば、俺はお前を一生軽蔑する」
余りにも突拍子に、心外なことを言われたディリエは、息を呑んでひるんだ。
「ほ…本気なの…?」
「本気だ」
「どうしてっ!? この人魚に情が移ったとでも言うのっ!?」
「お前には関係ない」
「か、関係ないって、それどういう……」
彼女は唇を噛んで、整ったその顔を引きつらせる。
「後悔するわよ!!」
そう言い残して、ディリエはその場からいなくなった。
「命の恩人を、酷な目には合わせられない----…」
ガイはそっと呟いた。
*
シグネがまず、相手の自由を利かないように魔法をかけ、
その隙に手を組む山賊と海賊が、騎士たちに斬りかかる。
魔法によって戦力も身体を動かすこともできなくなった騎士たちが、
呆気なく全滅させられたのにはそんな理由があった。
無抵抗の見目の良い若い女たちは、さらわれて他国へ売られていく。
奴隷として、時に男の慰み者として…。
その他、金銀財宝を、賊たちは片っ端からかっさらう。
「今日の魔法師殿の活躍ぶりも、見事なものだったな」
シグネに酒を酌み交わし、賊たちが歓喜する。
「いえいえ、私はほんの初歩的な魔法をかけたに過ぎません。あんなのは子供だましですよ」
「あれが子供だまし!?」
ドッと笑いが起こる。
「そりゃいいや! この世の全ては、全部お前さんの物と言っても過言ではあるまい!?」
魔法師シグネは、今やすっかり青竜雷号の中心人物であった。彼なくして今の青竜雷号は成り立たない。
彼は、遠き地にあるとされる伝説の魔法国・アウドリックの出身であったが、
わけあってこうして海賊たちの船に乗り込み、賊の悪行に助力していたのである。
青色の法衣をまとって、見たこともない不思議な文字の刻まれた杖をいつも手にしていた。
例えその杖がなくても彼は素手で魔法を使うことができたが、
より強力な力を発揮するにはその杖は欠かせないものらしい。
シグネは一見、二十代後半に見える。
しかしアウドリックの魔法師たちの平均寿命は百歳をゆうに越えるので、若手の魔法師に入るのかもしれない。
「シグネがこの船のお頭になればいいんだよ。あんな青二才の優男が、何だって俺たちの頭なんだ?
俺は認めねーぞ!」
ゾムナが酔ってわめく。
「だけどディリエが決めたことだ。元頭領の娘。逆らえねーだろ」
肩をすくめて言い放つ仲間の海賊に、ゾムナが睨みを利かせる。
「ディリエさんがいなければ、私はこの船にこうして乗っていないわけですから、彼女には感謝しております」
ガイの隣りで酒を注ぐ美女を一瞥し、シグネはささやいた。
シグネが一人旅をしてさまよっていた頃、
偶然出会った青竜雷号のディリエに声をかけられたのがきっかけだった。
頭領のガイは無関心だったが、一時的に海賊の一味となって彼は活躍している。
彼の魔法なくして、ここまでのし上がることは不可能も同然だった。
彼がアウドリックを出て、どこへ行こうとしているのかそんなことは賊たちにとってはどうでもいいことだったから、
無論追求しない。
シグネもまた、祖国の話は一切しようともせず、例え訊かれても、
「想像にお任せします」の一点張りであった……。
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