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私が動物愛誤家を”人殺しの戦争好き”と呼ぶ理由

作者:もっぴー
(2014年7月10日 記)

『殺されるのが怖くて泣くんだって。これを見ても、肉食べたい?』
 このツイートに添付された画像には、目から液体のようなものを流している茶毛の牛が写っていた。

 今から1ヶ月ほど前、このツイートと投稿者の言動がツイッター上で話題になった。
 ツイッターに登録していない方、または流れを追わなかった方のために説明をすると、動物愛護を叫ぶとある女性が上記のツイートと画像をアップロード。賛同するユーザーからのRTと呼ばれる引用投稿が多数集まる一方で、批判や専門的な反論が殺到。投稿者本人が反応したことにより軽く炎上状態になった。この後も投稿者本人はブログで「思ったことを書いているだけ。非常識で、まともなコメントがない」などという趣旨の記事を投稿したが、事態はそのまま収束し、一連の騒動は各所のブログにログを残す形で幕を閉じた。

 このような議論、騒動は今に始まったことではない。日本にツイッターが登場する前は、隆盛を極めていた様々なSNSブログにて食肉・毛皮に関する批判記事が立ち上がり、それに対する活発な議論、または水掛の応酬が行われていた。


 まずハッキリさせておきたいのは、本稿では動物愛護家と動物愛誤家を分けて呼びたいという事である。動物愛護家の多くは、人間の手によって翻弄される動物の運命を深く考え、その上で必要な行動を取り、自分の信じる意見を主張する立派な方々と思う。

 一方で動物愛誤家とは、2パターン存在する。


 パターンA:過剰な動物愛護精神のあまり、動物を守るつもりで人を傷つけてしまう者

 パターンB:動物愛護を主張するあまり、他人の思想や行動を不必要に阻害する者

 2パターンとは書いたが、本質的にはどちらも変わらない。


 この様な人物を私は”人殺しの戦争好き”と呼んでいる。その理由について述べようと思う。



 なぜ動物愛誤家が人殺しなのか

 2008年6月5日。神奈川県川崎市で69歳の男性が逮捕された。彼は動物への餌やり行為をアパートの大家に注意され逆上。サバイバルナイフで大家を刺殺し、義理の娘にも重症を負わせた罪で懲役22年の判決を受けた。

 1ヶ月後の7月5日。栃木県小山市の公園で、野良猫を抱いた人を鉄パイプで殴るという事件が発生した。犯人は現場の公園に居座るホームレスである。話によると、猫を抱き上げている様子が苛めているように見えたため犯行に及んだとのこと。

 またその2日前には、福岡市において母親が虐待死をさせたとして逮捕された。彼女は「子供より猫のほうが可愛かった」と供述し、死んでしまった乳児は猫がトイレとして使っていたダンボールに横たわっていた。


 これらはパターンAの”動物を守るあまり人を傷つける行為に及んでしまう者”であり、当然問題外である。ではパターンBは人殺しではないのだろうか。


 いや、パターンBも立派な”人殺し”である。


 まず動物愛誤家の主張を整理しよう。

・食肉するために屠殺するのは、動物があまりに可哀相だから止めよう
・毛皮を取る行為は残虐であり、止めるべきだ
・ワクチンや実験のために動物を使うのは酷すぎるので、してはならない

 大方こんなところである。
 要するに『動物が可哀相なので』が動機だ。まずここがパターンAと共通しているという事を覚えておいて頂きたい。

 彼らはこの感情論を理由に安易な同調を促し、食肉加工や医療現場に携わる人々を攻撃する。またネット上では冒頭のツイートがあったように庇護意識を煽り支持を集め、反論する者を数の暴力で圧倒する。



 それが何故人殺しと呼ばれるのか? 順番に考えれば簡単なことである。
 もし彼らの主張が実現し、ある日”生類憐れみの令”が施行された場合の事を考えよう。

 まず食肉加工業者は全滅である。そのため加工業一本でやっていた会社はことごとく潰れるか、痛手を払って別の事業に乗り換える必要がある。これだけで全国何万人の失業者が出るだろうか。失業することによって養われていた家族は崩壊し、離散するならまだ良いだろう。それを苦にした父が自殺し、母は鬱、子供は空腹に喘ぎ、学業もままならない。『動物が可哀相』なために。

 日本からハムやソーセージが消えることにより、スーパーなどの販売業者も深刻なダメージを受けるだろう。生鮮食品店ならまだ代替の品を用意できるが、吉野家のような肉あっての飲食店ともなれば廃業必至である。

 生類憐れみの令とまで言うのだから、海外から肉を輸入するなんて筋の通らないことは出来ない。つまり肉類の輸出入の業者が破滅するのは当然の事、国は重要な国家運営資金の一部を失う。『動物が可哀相』という思想のために。

 では今までその食肉を運んでいた人々はどうなるのだろうか? つまり運輸業を営んでいる人々も目を塞ぎたくなるような損害を受ける。『動物が可哀相』だから、生きている動物を運ぶ為の車両設備も大きな改善が求められるだろう。

 動物を守る為には革製品も撲滅しなければならない。女性は有名ブランドであっても動物の皮を使用しているバッグやコートを身に付けることが出来ない。スポーツ選手は愛用している道具に本皮が使用されていれば、それらを全て破棄することを迫られ、今後は人工の素材によって見繕うしかない。


 これだけでも経済的損失は計り知れない。少し持ち直しているとはいえ、全ての国民が恵まれているとは言い切れない現状、路頭に迷う家族がどれだけ出るかはもはや想像に難くない。


 この中で唯一得をするのが冠婚葬祭の業界である。

 『動物が可哀相』だから、動物同士の結婚文化が普遍化し、また動物が幸せを感じる為に行われる催し物が増えるのは間違いない。それは葬儀においても同じである。現代より動物用の霊園が格段に増え、葬儀内容もより手厚い行程を経るようになり、人々の記憶に残される事となるだろう。一方で生活難を苦に命を絶つ人の葬式も急増する。式を行うようなお金が残っていればの話だが。


「私たちはそんな事を言っているつもりはない!」
「難しい言葉で私たちの理想を貶しても無駄!」


 動物愛誤家は決まってこの様に言う。いや、こんなこまごまとこんな事を言わなくても、黙っていればこう言ってくる。しかし彼らの理想を現実にしてあげるとすれば、上記の予想などまだまだ手ぬるい。『動物が可哀相』と言いたいが為に『動物の一種である人間』が何十万人と失われるのである。

 これを”人殺し”と呼ばずして何とするのだろうか?

 もちろん動物愛誤家は直接的に人を殺すことを望んではないだろう。しかしその主張が生む結果は同じであり、その思想の行き着く先にはパターンAのような犯罪行為がある。

 しかし動物愛誤家が始末におえないのは、尚も「違う、そうじゃない」と言うのである。違う違うと1人で歌っていれば良いが、実際のところそうじゃない。もはや子供の駄々である。




 なので、今度は経済的視点ではなく文化的視点で動物愛誤家の主張を見てみよう。

 食肉を禁止するというのは、北は北海道のジンギスカン、南は沖縄のアグーまで、全国に深く根付いている食文化を絶滅させる、という事である。
 また先ほども触れたが、動物の革製品を作る文化も根こそぎ奪われる。硬式野球において合皮のグローブは使い物にならないので、残念ながら日本から硬式野球という文化は消えるだろう。本皮を使用した財布、バッグ、コートを持つ習慣も根絶されます。

 例を挙げだしたら切りがありません。動物愛誤家の理想を実現させれば、2000年を超える営みの中で育まれてきた数え切れないほどの日本の文化、その多くが無くなります。『動物が可哀相』と言いたいが為に。


 こんな様相、どこかで見たことがないだろうか
 理想の為に主張し、戦い、相手の文化を奪い、勝利を収める。

 そう、戦争である。

 ヒトラー率いるナチス・ドイツの思想は、アーリア人こそが世界支配に値する人種であり、その中の超人こそが大衆を支配すべきだ。しかしユダヤ人の血は穢れているため殺すべき。としている。

 一方動物愛誤家の思想は、動物を屠殺する事や実験に用いるのは可哀相であり、人間と同等に扱うべきである。しかし彼らを殺傷する原因である現状の経済や文化は悪であり、なくすべき。としている。

 私には前者と後者がどう違うのか解らない。戦争好きというのは、理想を実現する為であれば倫理を超越して好戦的である、という意味にあてている。果たして動物愛誤家の稚拙な主張が、好戦的という表現に値するかは少々疑問だ。


 面白い事に動物愛誤家の多くは、昨今関心を集めている集団的自衛権について顔をそろえて反対の意を唱えている。また同じくして原子力発電に関しても反対活動をしている。

 理由も思想も様々な人がいる中で、何故この様な事が言えてしまうのか。

 それは本人の根本的思想が”自分は正義の側で、他人から見て良心的と思われる人間で居たいと思い込みたいから”である。


 決して集団的自衛権に反対する人の意見が全て間違っていたり、脱原発を訴える理論が全て間違っていると言っている訳ではない。これは動物愛誤家のような精神構造をしている人間にとって、集団的自衛権問題や原子力発電所問題は大好物であるという事だ。

 戦争に反対すれば、平和を守る博愛主義者と褒められるだろう。だから集団的自衛権を無理やり戦争と結びつけ、反対しておけば”自分は他人から見て良心的と思われる人間”になれるのである。が、その行為が集団的自衛権の意義を知らないと吹聴しているとは自覚していない。

 反原発を訴えていれば、フクシマの悲劇を阻止すべく活動する義勇兵として称えられるだろう。だから放射能がなんなのか解らなくても、もし原発が全てなくなった場合を真剣に考えなくても、代替案や現状を変える施策を学ばなくても、反原発。脱原発なのである。



 日本よりも遥かに動物愛誤精神が強い海外でこんな話がある。

 アメリカの病院に、何度手術を受けても効果のなかった慢性B型肝炎の患者に、ヒヒの肝臓を移植するという実験的手術を行う事が決まった。それを聞きつけた動物愛護団体は病院前でデモを行い「動物虐待だ! ヒヒの命を守れ!」と声高に叫んだ。すると、病院から飛び出してきた医師がデモ隊の前でこう言った。

「この手術に反対するのであれば、貴方たちの中から誰でもいいから、肝臓の提供者になってください。肝臓は再生するので大丈夫です。同意していただけるなら、手術を承諾するこの書類に署名してください。肝臓を提供してくれれば、患者もヒヒも救えます」

 するとデモ隊は誰一人協力することなく解散したという。
 つまるところ”正義の側には居たいがリスクは払いたくない”というのである。

 日本の動物愛誤家にこのような慢心があるとは限らないが、よく考えず声高に活動している点ではまったく同じだと思う。
 新薬を開発する為に行う動物実験は非道だとして中止することを訴える。しかし”臨床実験が十分でない薬”は使えないし、かといって”人間を実験台に使う”となれば彼らはどんな顔をするだろうか。



 私は”動物愛誤家の意見は稚拙なので、彼らを叩きのめしたい”という訳ではない。そんなのは徒労である。徒労でなければ、私がこんな文章を書くに至る事などないのである。



 もし自分が動物愛誤家に当たると感じられたのなら、一度立ち止まって考えて欲しい。
 自分は良心的な人間を演じなければならないような生活を送ってないか、という事を。

 動物愛護を訴える人間には感情的で性格の歪んだ者が多い。
 当てつけに聞こえるかもしれないが、こればっかりは事実であると言わざるを得ない。

 自分が良く見られたいがために、あえて動物愛護を叫ぶ必要があるのだろうか?
 もっと色々方法があるのではないだろうか。
 近所の人に会えば挨拶をする。仕事では何をするべきかを考えて行動する。コンビニで買い物をしたならば、接客してくれた事へのお礼を表す。ゴミが落ちていたら拾う。路上で困っている老人が居れば手を差し伸べる。

 その努力は正直、楽ではない。時には失敗し、親切心を裏切られる事もある。その不条理に激しく憤る事もあるだろう。しかしその度に熟考し、議論すれば、より良い答えを導くことができる。大人にはその能力があるとされているから、様々な権利と責任が与えられているのではないだろうか。

 それなのに、いい歳をした人間が「動物が可哀相!」などとわめく様子を見ると、私は正直軽蔑してしまう。動物を大切にする気持ちは誉れ高い。しかしそれ以前に、もっと大切にするべき事や、何気ない努力が身近にあるはずなのである。それをないがしろにしてしまうから、いつまでも動物愛護をする自分を妄信しなければならないのではないか。いつまでも動物愛護を妄信するのは難しいから、傷を舐めあう仲間を集めたり、事実を湾曲して解釈しているのではないか。


 『かわいそうなぞう』を読んで「動物が可哀相!」などと言っていて良いのは、せいぜい小学生ぐらいまでだと思う。中学生になれば、なぜそうなったかを考えられるだろう。高校生にもなれば、どうすれば状況を変えられるか話し合えるだろう。大人になれば、経済活動の中で何が現実的か、非現実的かを判断できるはずだ。




 とはいっても、全員がある年齢で大人になれる訳ではない。
 考えることから始めよう。その先には、ちゃんと動物を守る為の方法も見つかるはずである。

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