自室にある豪華な椅子に座りながら、リアナはりんごをフォークで突き刺した。隣に居るローズはハンカチを目に当てて泣いていた。
「リアナは女の子なんですわよっ? 肩の次は腕を怪我なさるなんて……そのお肌に痕が残ったらどうするんですの!」
「しょうがないじゃない……。それにわたし結構怪我とかよくするから、今更惜しむものでもないし」
「そんなこと仰ったらダメですわ! こうなったら今日はマッサージを致しましょう! 薔薇でつくった蝋燭を灯した中でリラックスしながらするのがオツなのですわよ」
今まで泣いていたかと思えばころりとローズの表情は変わる。ハンカチを懐にしまいうきうきとした顔になった。
「生誕祭の頃になれば商人がいつも以上に城に来ますから珍しい蝋燭が手に入るかもしれませんわ。わたくし、果実が入ったものを欲しいんですの」
「……生誕祭? 誰の?」
ローズは本当によく表情がころころ変わる。彼女は呆れ果てたようにリアナを見やった。
「リアナ。仮にもロスネルド国民なら自分の王様の誕生日くらいちゃんと覚えておきなさい」
「そっか……そう言われてみればハロルド様の誕生日はターコイズ月の27日だっけ。地方の小さい町でもお祭りするけど、なんかもう王様の誕生日って言うか一種の行事になっちゃってて、『誕生日』ってより『祭の日』って感覚しかないのよね」
「まぁ。でもリアナは王都での誕生祭は初めてでしょう? 王都のお祭りはすごいですわよ。この日のためにわざわざ王都まで足を運ぶ方が大勢いますもの。出し物だってお店だって、すごいんですからッ」
「それは楽しみだわ。でもあの王子が城下なんかに行くかしら……」
リアナがフェリスの傍に居なければならないなら、彼が祭りに行く意思を持ってくれなければ城下にはいけないだろう。しかも祭の日など人が多いから余計に危険だ。 そもそも祭りを楽しみにしているフェリス王子を、想像ですらできない時点で危険以前の話だ。
「い、行けなさそう……」
「それは……。で、でも、リアナ、落ち込まないでくださいな! お城ではちゃんと陛下のパーティーをしますから、そちらを楽しみましょうっ。リアナはフェリス王子の護衛ですもの、絶対にパーティーに参加できますわ。それならフェリス王子が出ないということはありませんし」
公務というヤツか。王子様も大変そうだ。
「まぁ、まだ二ヶ月以上あるし気が早い話だけどね」
「そうです? 祭りやパーティーの準備でわたくしたちは今から大忙しですわよ? そのうち城中がバタバタし始めると思いますわ」
リアナとローズがあれやこれやと夕食後の談話を楽しんでいると、陽が落ちてから一つ目の鐘がなった。鐘の音を聞いてローズは慌ててテーブルに広げてあった食後のデザートを片付けた。
「リアナ、ごめんなさい。わたくし今日は配膳室の方のお手伝いに行かなければなりませんの。『噂の公爵』様が急遽お城に来ているものですから、他の予定のあったハロルド様が、わざわざ、暇をつくって、おもてなしなさっているの」
皮肉たっぷりだ。いったい「噂の公爵」とはどんな人なのだろうか興味が湧く。だがただの護衛であるリアナが公爵とやらに会う事はまずないだろう。リアナは食器を持って部屋を出て行くローズを手を振って見送った。
しかしリアナにとって今夜は、まだ始まったばかりだった。
リアナの仕事は「護衛」とはいえまるまる一日の労働ではない。基本的には朝日が昇って同時に起き、身支度と朝食を済ませてフェリスの元に行く。
とはいえフェリス王子はひどく朝が苦手で、寝坊はしないが起きてからが若干長いのだ。それでも彼は朝食がかなり短いので埋め合わせに苦労することはない。侍女に言わせれば、王族貴族の食事は普通はやたらに長いらしい。
日中は護衛とは名ばかりに王子の雑用をあれこれ押し付けられ、時には訪問者の相手を彼の代わりにやらされる。(ただ、王子の邪魔をしようとする者は限られているが)
そして夜を告げる鐘が鳴るとリアナのお勤めは「一応」終了する。
「一応」の理由は、フェリスの部屋のとなりにリアナの部屋があるので、何かあれば仕事をすることになるからだ。
一国の王子の隣の部屋に、はたして護衛とはいえ庶民の少女が寝泊りしても問題ないのかはリアナには知る由はなかったが、常識的には考えられない事だとは思う。だがあの国王ならばありえる、と思ってしまうのだった。
城に来てすぐ王子が狙われた事を抜かせば、リアナにとって実に平和な護衛の日々だった。幸いにもリアナが護衛らしい役目を特にせずとも済んでいたのである。
だが今夜は違った。
リアナは窓の外を見た。夜空に月はなかった。
◇
「なんだ?」
フェリスは廊下に出るために扉を開いただけだった。それだけだったのだが、その扉は途中で止まってしまった。ついで何かとぶつかる鈍い音までした。
仕方がないので両開きの扉の、開かない扉の反対側を開けて外を確かめてみた。
「……なんでお前がいるんだ」
自分の「雑用係」が廊下の床に蹲って悲鳴を飲み込んでいた。頭を押さえながら顔をあげて、涙を浮べた瞳を恨みがましくフェリスに向けていた。
「あ、謝ろうとか思わないわけ……?」
「扉の前に立ってたお前が悪いんだろ。どけ。邪魔だ。失せろ」
リアナは一気に顔を真っ赤にすると立ち上がり、拳を強く握り締めながらゆっくりとした口調で抗議する。
「す、すいませんけど、わたし、王子様の、お守を、しなきゃ、いけないんですよねぇ?」
「お前の仕事はもう終わっただろ。とっとと部屋に戻って寝ろ」
「終わってません! だいたい夜にいったいどこに行こうというわけ?」
「お前に言う義務も義理もない」
不審そうなリアナを見て一言付け加える。
「俺が湯殿に行っては可笑しいか?」
「王子が一人で入浴? 嘘はよしてよね」
「俺は、特に湯場での世話は大嫌いだ」
服を他人に着替えさせられるのも嫌いだった。自分で着た方が早いのにわざわざ人を呼ぶとは面倒の何ものでもない。
もちろんフェリスにも侍従や侍女に服を着替えさせ、それが当たり前だと思っていた頃はある。だがそれは過去のことだった。
「フェリス王子って意外と恥ずかしがりやなのね」
「……」
少女の発言はフェリスの理由とは当然違ったが、訂正するのも面倒だった。そういうことにしておこう。
フェリスは反論を捨てて無言でリアナに背を向け歩き出す。しかしすぐに呼び止められた。
「なんだ。まさかお前も来る気じゃないだろうな」
「……なんで着替えじゃなくて上着をもってるの?」
もちろん王子が着替えなんぞを持って風呂に入りに行かないが、リアナの指摘は『痛かった』。
「湯冷めしたくないからな」
リアナはフェリスの返事に納得したようだった。それでもやはりフェリスにくっついてくる。
「ま、一応見送りだけはさせてよ」
「……分かった。迎えはいらないからな。湯殿にいる誰かに見送らせる、それでいいだろ?」
フェリスの妥協案に満足したのかは分からなかったが、リアナはフェリスに向かってひとつ頷いた。それから大人しく湯殿に向かうフェリスの後をついてきた。
いつもにない少女の従順な姿に、フェリスは眉を顰めた。しかし下手に少女の神経を逆なでするようなリスクを負うのも馬鹿らしく、フェリスもまた何も言わずに歩き続けた。
リアナは確かに湯殿までフェリスを送ると、真っ直ぐに元来た廊下を帰っていった。
それをしっかり見届けるとフェリスは手にしていた黒い上着を頭からかぶり、湯殿ともリアナの帰った行った方角とも違う廊下に足を向けた。
フェリスが早足で行き着いた先には夜勤を勤める二人の騎士がいた。
「フェリス様」
「ご苦労。帰りは遅くなる」
「はい。あの……」
なにか言いたげな騎士たちにフェリスはため息を付いた。
「大丈夫だ。前も無傷で帰ってきただろう。それに何も俺が独りで行く訳じゃない。お前たちの仲間が俺について来るのは知ってるだろ」
「……はい。お気をつけて」
一人が扉を開けると、そこには暗闇が待っていた。今夜は新月だ。だが灯りを手にするわけにはいかなかった。灯りでこちらの居場所が巡回している他の騎士に見つかってしまうからだ。闇に目を慣れさせるしかない。扉の外に出て、記憶と身体を頼りに歩き出す。
(それにしても毎回毎回心配そうな顔で見送られるのは煩わしいな……)
いっそのこと金を積んでしまえば、あるいは脅しでもかければ簡単な話かもしれなかった。だが金を渡して彼らが癖になっても困るし、脅しによって不信感をもたれても困る。それ以上に城外から同じ手口で侵入されたら洒落にならない。自分としても、そういう手は使いたくなかった。
しかしおかげで『城の外』に出られるまでの道のりは長かった。一週間で変わる騎士たちの見回りのルートを通らないように、注意深く影を伝っていく。
やっと騎士たちが寝泊りするの宿舎の裏手に着いた時、フェリスは額に薄っすらと滲んでいた汗を拭った。
「よお。今夜はちーっと、遅かったんじゃねぇの?」
建物の影から現れる深緑の塊。フェリスは不愉快そうに視線を向けた。
「……今回はやっかいな雑用係がいたからな」
「リアナか? そんでアイツを撒くのに時間がかかったと」
「そういうわけだ」
こんなことなら彼女が部屋から出られないような雑用でも押し付けてくればよかった。タイミングよくリアナが現れて、実際は肝を冷やしていた。
(……本当に、タイミングが良かっただけなのか?)
フェリスは一瞬浮かんだ疑問を、偶然以外あるわけがないと自分自身心の中で笑った。
「どうせならアイツもつれてくればよかったのに」
「馬鹿いうな。これ以上余計なヤツに付いて来られてたまるか」
言外にコイズの存在も煩わしいと言ってやる。にやにやとしていたコイズは言葉の含みに気がついただろう。しかしそれに対してなにも言わず、「行くか」とフェリスに背を向けただけだった。
そしてコイズは背を向けたまま動かなかった。
「何をしている? さっさと行け」
急きたててもコイズは歩こうとはせず、緩慢に振り返った。
「……相手の方が、上手だったらしいぜ、王子様?」
「はぁ?」
コイズの身体の向こうに誰かいることに気がついた。
それが誰なのか分かると、フェリスは額に手を当てて俯いた。
「最悪だ……」
宿舎から漏れる明かりの中に、琥珀色の瞳の少女がにっこり笑って立っていたのだった。
注)ターコイズ月=12月のことです。
この国(世界)では誕生石で何月かを示します。
確かめるものによって、多少誕生石は変わるので、
こちらで宝石は決めてしまいました。
次に表記がある場合、設定を後書きに書いておきたいと思います。
(いつになるやら)
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