朝日が目に痛い。身支度を終えて顔を洗ってはみたが、どうしても周りがぼやけて見える。
普段書類や書物に目を通したり、書き物をしたりするために使用している部屋の中央に、一対のソファが置かれている。その片方に座り、気だるさを振り払いながら視線を眩しい窓の外から、目の前の丈の低いテーブルに映す。
テーブルには既に朝食の用意があった。しかしとてもではないが今それを食べる気にはなれなかった。
「フェリス様、お早うございます」
いつのまにか、青年が扉の前に立っていた。いいや、おそらく彼はノックをしたはずだ。だが青年に呼ばれた少年――フェリスは、ノックの音に気がつかなかったようだった。
まだ頭が上手く働いていなかったフェリスは随分と時間をかけた後、御付きのアルバートに挨拶の返事をした。
「今日は嬉しいことがありますよ。フェリス様に『護衛』がお付になられるんです」
フェリスはため息をつく。わざわざアルバートに言われるまでもなく知っていることだ。最悪なことに、一度その相手と顔も会わせている。
「今お着替えなさってますから、すぐにこちらへ来られると思います。とっても可愛らしいお嬢さんでしたよ」
「……お前は会ってきたのか」
わざわざ会いに行かずとも、この部屋に居れば向こうから来るだろうにご苦労なことである。
「それがですね、廊下で偶然お会いしたんです。私が転んだところをみられてしまって恥ずかしかったのですが……」
「……それで、頼んでいた物は?」
フェリスが訊くとアルバートは慌てて手にしていた書物をフェリスに差し出した。本を受け取りつつ、フェリスはテーブルに並べられた朝食に視線を向けた。
「フェリス様、ちゃんと朝食はとってくださいね。せめてパン一つは頂かないと身体に悪いですよ」
「……」
「お召し上がりになられるまで、朝食はこのままにしますからね」
以前も食べる気になれずに朝食を放置していたら本当に昼までそのままだったので、フェリスは諦めてクロワッサンに手を伸ばしそれを口に運んだ。
主人が食事をとっている傍ら、アルバートはお茶を淹れ始めた。茶葉の心地好い香りが部屋を満たす。
「フェリス王子、ローズでございます。護衛役のリアナ様をお連れ致しました」
扉越しに侍女の声が聞こえた。フェリスは一口だけ頂いたパンを机に戻すと、深々とため息を付いた。
自分で返事をする気にもなれず、アルバートに視線を向ける。
「どうぞ、お入りください」
フェリスの代わりにアルバートが返事をすると、侍女ローズ・アルト・ローラインが一人の少女を伴って部屋に入ってきた。ローズは滑らかなお辞儀をすると、とても満足げな顔で隣にいる少女を見た。
「こちらが、リアナ・レーベルト様ですわ。どうです、フェリス王子。とっても可愛い方でしょう?」
ローズよりも背の高い少女。茶色の髪に琥珀色の瞳、そして青色の制服を着ていた。腰には真新しい剣がさげられている。
「護衛役に相応しい恰好ですと、厳つい感じになってしまわれるでしょう? リアナ様の可愛らしい所を引き立たせる服を探すのに苦労しましたわ」
「本当にお似合いですよ、リアナ様」
「……ありがとう」
アルバートに褒められて、少女――リアナ・レーベルトは弱々しく笑った。
「別に良いけど……もう、今更だけど……護衛なのにスカートってどうなのかしら……」
「素敵ですわ! 裾が翻る感じが可愛いのですよ! できればフリルだって欲しかったんですからッ」
時々この侍女は可笑しなことを言う。おかげでフェリスは頭痛がするような気がしてきた。
「今更、挨拶はいらない。面識はある」
「……あの、フェリス王子。ちょっと良いですか?」
リアナ・レーベルトが躊躇いがちに声をかけてきた。昨日と態度が違う。フェリスは訝しげに少女を見た。
「なんだ?」
「その、昨日は大変な無礼というか、あまりその、作法とかは習ったことがないので……不愉快な気持ちをさせてしまったかもしれませんが……あの、気にしないでもらえますか?」
「……」
少女の表情が半笑いに見えた。
謝ることに関してはひとまず置いておくことにして、その「謝る態度」のなっていない事はどうだろうかとフェリスは思った。
だいたい「気にするな」ではなく、普通は「すみません」などと謝るのが普通だし、もしかしたら謝っているつもりすらないのだろうか。
「……慣れない言葉を使わなくて良い。むしろその言葉遣いは、俺のことを馬鹿にしている気にさせられる」
「はあッ!? ……い、いえ、そんなつもりはないんですけど……」
フェリスは再びため息を付くと、はっきりと言ってやる。
「だからその人を苛立たせる言い方を止めろ、と言っている」
少女の顔は引きつり数瞬持ちこたえていたが――結局、彼女は叫んだ。
「“止めろ”ですって!?」
リアナはフェリスの前まで詰め寄ると、失礼なことに指を向けてきた。
「あんた、こっちがちゃんと謝ってるのに、何よその態度! 王子だからっていい気になってんじゃないわよッ!」
なぜかリアナの姿を見て、ローズは両手を組んで彼女を見つめていた。
「ほお、それが本音か。お前のその態度が俺はともかく他の王族貴族たちに通用すると、思わない方が賢明だぞ」
「なんでよ! ちゃんと下手に出てたじゃないッ。どこが悪いのよ!」
「表情、姿勢、誠意と言ったところか」
「細かい男ねッ。それにちゃんと悪いと思ってるわよ」
「どこがだ。どうせ形だけでも謝ればいいとか思ってたんだろ」
「そ、そんなことないわよ。あんたさ、もうちょっと人の気持ちを素直に受け取ったらどうなの?」
「素直に受け取る以前の問題だ。出直してこい。いや、二度と城に来るな」
「なにそれ!? は、腹が立つわね!」
流石にこれ以上部屋の空気が悪くなるのはよろしくないと思ったのか、アルバートが二人の間に割って入った。侍女はいまだに恍惚とした表情をしている。
「あ、あああのですね! お茶の用意が出来ましたから、よろしければいかがですか?」
フェリスは肩を竦めてソファの背もたれに寄りかかった。リアナもアルバートに言われしぶしぶ口を閉じる。
今のやり取りで、フェリスはすっかり目が覚めたようだった。お茶を一口飲むとソファから腰を上げる。
「俺は仕事をする。アルバートは後で資料室からレギオス国とセント=フィリア法王国の地図を持って来てくれ。ローライン、お前は下がって良い。……それから」
リアナに視線だけを向ける。一瞬彼女は身構えた。
「お前は俺の邪魔だけはするな」
「なんですって!?」
意外なことに彼女はそれ以上言い返さなかった。だが目つきは到底穏やかなものではなかった。
ローズがしぶしぶながら部屋を出て行くと、自然と部屋は静かになる。フェリスは執務用の机で書物に目を通していたし、アルバートも主に言われた地図をすぐに取りに行ってしまった。護衛であるリアナといえば、立っているだけ、である。
あまりに手持ち無沙汰だったのだろう、リアナは恐る恐るという様子でフェリスに声をかけた。
「ねぇ。なんかわたしも手伝おうか?」
「邪魔するな、と言った」
「邪魔してない! ……暇だし、掃除でもしよっか?」
呆れて顔をあげた。
「護衛」などという仕事をしてもらいたくはないが、だからといって仮にも「護衛」という仕事に就く者が「暇」などと言うとは信じたがい。掃除に関しても、毎日アルバートか侍従・侍女がしている。リアナが掃除しても、二度手間になるだけだ。
「いらない。大人しくそこに立っていろ。立ったまま何もするな。それがお前の仕事だ」
「そうだけど……。じゃあ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「聞きたいこと?」
へらへらとあるいは不服そうな表情を浮かべていたリアナが、真顔になった。
「昨日の犯人は、分かったの?」
フェリスは書物に視線を戻すと、淡々と応えた。
「矢を投げつけてきた馬鹿な輩は騎士たちが捕まえた。今頃口を割らせているところだろ」
「なんでフェリス王子のことを狙ってるの?」
本を閉じて、椅子を少女の方に向ける。
「別に俺が特別なわけじゃない。第一王子であるエリオルも最近狙われた。国王もそうだろう。……犯人から聞くまでもないさ。今回は恐らく、“ガランド”の取り締まりに不満を持つ奴らの仕業さ」
「“ガランド”?」
「王都からそれほど離れていない場所にある、不法地帯のことだ。都から近いにもかかわらず、ガランドの荒れ方は酷くてな。しかもそこには中々手ごわい裏の統治者がいて、国王と言えども迂闊に手を出せなかったんだ。どうやら他の王族や貴族たちも一枚噛んでいるらしい。それでも、とうとう国は、効果は薄いとはいえ手を下した」
「えっと、何かを禁止したの?」
「禁止、というよりも、飽く迄“警告”だな。販売禁止商品の売買、身売り、当然ながら殺人や傷害罪の類などの違反を犯した者は罰則に処する。当たり前のことだが、それをガランドに言い渡してやった訳だ」
リアナは吃驚したようだった。
「それだけ? ハロルド様が『誰かを捕まえた』からとかじゃなくて、警告したから、だからフェリス王子たちが命を狙われるの?」
「一応は騎士たちの目は前より厳しくなったがな。……しかし、取締りが厳しくなったから、というよりも……まぁ、自分たちのプライドが傷つけられたとでも思ってるんじゃないか? 事実上、自治区の扱いをされていたからな。腹いせに息子の俺たちも殺してやりたいんだろう」
「何よそれ!? 馬鹿みたいッ!」
リアナの言うとおりだ。確かに、『馬鹿みたい』だ。
だが現実は、『馬鹿みたい』なことが当たり前に起こる。勝手に命を狙われることは、自分が城に住み「王子」という地位にいるならば、背負わなければならない宿命だ。
だからこそその宿命を、誰かが自分の身代わりに背負うことはないのだ。
「……やはり、お前に仕事を与える」
「え?」
「俺はお前を“護衛”と認めないと言った。だから、お前のことは俺の“雑用係”として扱う」
「はぁ!?」
「そういうわけで」
フェリスは引き出しから少し皺がある紙束と、真新しい紙束をリアナに渡した。
「ここに書いてある走り書きを清書していろ」
「嫌よッ! なんでわたしが雑用なんて」
「“暇”だと言ったのはお前だ。“暇つぶし”を与えてやってるんだ、感謝しろ」
「か、感謝“しろ”ですって!?」
そして再び起こった二人の言い争いは、部屋に戻ってきたアルバートが留めに入るまで続いていた。
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