青みを帯びて浮かびあがる部屋。その中で少女は寝台の端に腰掛けて、ぼんやりとカーテンの隙間からちらつく光を見つめていた。
寝台は驚くほど柔らかで、そのせいであまり眠れなかった。大きすぎる部屋は、走り回れる程の広さがあり、精緻な模様が彫られた調度品たちが己を主張し合って、部屋全体の雰囲気をより厳かなものにする。薔薇が彫られた楕円の白い鏡台、黒味を帯びた褐色のテーブルと椅子、ワインレッドの天蓋が囲っている寝台、床を覆う北国製の絨毯――自分の場違いを痛感する。
城の一室を貰ったものの高級品の中で肩身を狭くしていると、お腹の音が鳴った。例えどんな場所に居ても食欲がある自分が情けなかった。
それにしても昨日は厄介な日だった、とリアナは思った。
自分の「願い」が叶わなかったことは、今の所はいい。その願いは一年経てば叶う見込みが出てきた。今までの希望の無さから考えれば、天と地の差だった。
だが、護衛をする相手が少々付き合いづらそうな人物であったことは否めない。肩の怪我も、幸いにして毒が盛られていなかったので大したことはなかった。とはいえ痛かったのは確かだ。さらにガラス扉を壊した犯人に間違われ、ほとほと困ってしまったのだった。
リアナはなんとか窓ガラスを割った犯人ではないと誤解を解くことができた。しかし大勢に詰め寄られて怖い思いをしたので、少々トラウマになってしまいそうである。ついでにフェリス王子の護衛です、と自己紹介をする羽目になった際、何故だか喜ばれたのは気のせいだろうか。
結局、なんだかんだでその後リアナは城の人たちに世話をしてもらった。
城のことなどまったく分からなかったので非常に助かった。しかし案内された部屋に十人もの侍女たちが現れたときは、流石に困惑するしかなかった。
どうやら服を着せたり風呂を手伝ったりしようとしたらしいが、恐れ多くて部屋を出て行ってもらった。むしろ妙に彼女たちの視線が怖くて、身の危険を感じたからだ。しかしなぜ同性に危機感を感じなければならなかったのかは不明だ。
そこまでしみじみと回想していたリアナは、大事なことに気がついた。
「……不敬罪で訴えられたりするかしら……?」
一国の王子に対して言葉遣いも振舞いも、今思い返せば「無礼」の一言でしかない。だがリアナとしては正直、彼に対して「偉い人」というよりも、近所の同い年くらいの少年としか見ていなかった。
フェリス王子は人と言うには美し過ぎて、ぞっとするほど人の目を惹きつける容姿をしている。神の傑作に対して溜息を吐かずにはいられない。
身分も、そして容姿さえ異世界の人と言っていいはずのロスネルド国第二王子。しかしとても不思議なことに王子フェリスには、ハロルド国王に感じたある種の「隔たり」というものを全く感じなかったのだ。
なぜかは良く分からない。だがリアナにはそう感じられたのだ。
「うーん、ま、いっか。今度気をつければ」
良くは、多分ない。しかし多少のいい加減さは、リアナ・レーベルトのそういう性格であった。
◇
「あけてくださいましッ!」
ドンドンという激しく木が軋むような音に、ぼんやりとしていたリアナは驚いた。音の方に目を向けると、扉が激しく動いていた。激し過ぎて扉が歪んでいるように見えた。
「い、いま開けますからっ」
慌てて扉を開けた瞬間、リアナは後悔した。腕一杯に服を抱えた侍女たちが押し寄せるように部屋になだれ込んだのだ。
「なんですか!?」
リアナの困惑をよそに、あっという間に女性たちに囲まれてしまった。先頭を切って現れた――多分この人が扉を叩いていたに違いない――女性が持っていた服を寝台に放り投げ、すばやくリアナの手を取った。
「リアナ様!」
「はいッ?」
「絶対にわたくし、ローズ・アルト・ローラインの名にかけて、リアナ様をどこぞの令嬢にも負けない女性にしてみせますわ!」
(ちょ、ちょっと、待ってッ!?)
リアナが顔を蒼白にして固まっていると、ローズは手をパン、と叩いた。
「さぁ、みなさん! わたくしたちの腕の見せ所ですわッ」
「はいッ!」
誰もが眼を輝かせてリアナに視線を向けた。心の底からこの場から逃げたいと思った。
◇
危うくドレスを着させられそうになったリアナはとにかく必死だったので、とりあえず脱兎のごとく部屋を飛び出した。
だが、一度あることは二度もある。
そういうわけで、リアナはまたしても城内で迷子になってしまった。しかも今回は「戻る場所」が明確で、なおかつ「帰り方が分からない」わけなので、正真正銘の迷子であった。
ただ昨日と決定的に違うことがひとつあった。
「あの……。すみませんけど、ここはいったい、城のどのあたりなんでしょうか?」
リアナは渡り廊下を巡回していた男たちに声をかけた。彼らはリアナに気がつくと、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ちょとちょっと! お城に勝手に入ってきちゃダメじゃないか! 全く、どこから入ってきたんだね?」
いきなり怒られてしまった。恐らく、リアナを城に迷い込んだ一般人とでも思っているのだろう。
「あ、あの……わたし、その」
「待て。この子、噂のフェリス様の護衛の子じゃないのか?」
男の一人がリアナが誰か気がついたようだった。リアナは思い切り首を縦に振った。
「何ッ。この子がフェリス様の!? ……俺の娘と同い年くらいだぞ」
男たちに囲まれ思案気に見つめられていると、廊下の反対側から情けない悲鳴と、何かが床に落ちる音が響いた。視線をそちらに向けると、床に散らばった本の中に一人の青年が倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
慌ててリアナが駆け寄ると、青年は額を擦りながら顔をあげた。
「は、はい……なんとか……」
彼の手をとって起こしてあげる。後ろからやってきた男たちも心配そうに窺ってきた。
「大丈夫ですか、アルバートさん」
「あ、はい。お天気が良かったものですから、ちょっと外を見ながらあるいていたら、転んでしまいまして……」
「アルバートさんらしいですね。はい、こちらが落とした本ですよ」
苦笑する男たちから本を受け取ると、青年はふんわりと笑った。そしてとても美しい礼をした。
青年は長身で、二十代くらいだろうか。どちらかといえば地味目な色の、シャツと上着をきっちり着込んでいる。印象的なのは、一つにまとめた長い濡れ羽色の髪だった。動作のひとつひとつがとても上品である。
やはり貴族の家柄なんだろうな、と思って青年を見ていると、彼はリアナにも頭を下げた。
「手をお貸し下さってありがとうございます。ええと、間違っていたら申し訳ないのですが……この度フェリス様の護衛役となられた、リアナ様ではないでしょうか?」
どこまで自分の噂は城内を駆け巡っているのだろうか。呆れながらもリアナは青年に肯定を返した。
すると青年はとても嬉しそうな顔をして、リアナの両手を思い切り掴んだ。
「初めまして。私はアルバート・ルノ・リゼルセムと申します。フェリス様の御付をさせていただいております。ですから、リアナ様とご一緒できる機会が多くなると思います。何卒、宜しくお願い致します」
「あの、……どうも……」
青年――アルバートの勢いにリアナは飲まれそうになる。彼があまりににこやかで、嬉しそうなのだ。それが妙に不思議で首を傾げた。
リアナとアルバートは男たちが仕事に戻って行くのを見届ける。
「そうだ。リアナ様、お召し物をご用意致しますから、一度お部屋に戻っていただけますでしょうか」
「……そうですよね。この服じゃあね……」
リアナの普段着。要するに、町で買った安物の衣服。城をうろつくのには悪目立ちしてしまうのも仕方ない。
「そうだ。あの、アルバートさん……」
「私のことは『アルバート』で結構ですよ、リアナ様。敬語も要りません」
にっこりと青年が微笑む。実に柔らかで春の陽ざしのような笑みだった。
(……なんだか調子が狂う)
リアナは躊躇いながらもアルバートの言葉に従った。
「……じゃあ、アルバート。わたしも『様』とかいらないんだけど……」
「いえ、これは私のけじめなのです。どうか気になさらないでください」
正直気になる。「リアナ様」と呼ばれたこともないし、そんな身分はないし、呼ばれるだけの立派な行いをしたこともない。だがどうにも青年の掴みどころのない、いや、純粋な瞳で見つめられて、嫌がる言葉をかける気になれなかった。
「……わたしの剣って、返してもらえるのかな?」
あきらめてそう訊ねると、アルバートは首肯した。
「はい、私が預からせていただいております。ではお部屋に戻りましょうか」
そう言って、迷いの片鱗も見せず真っ直ぐに部屋を目指すアルバート青年の背中は、迷子リアナにとってとても頼もしかった。
◇
流石に大勢の侍女たちはもう部屋に居なかった。ただ侍女ローズが一人で、しょんぼりとした様子で待っていてくれた。
「すみませんですわ。そこまでリアナ様が嫌がると思いませんでしたの」
申し訳なさそうに項垂れる女性。彼女の肩から長く美しい髪がぱらぱらと零れる。
なんだかその姿が気の毒になり、リアナはにっこりと笑った。
「もういいよ、分かってくれれば。朝食ありがとう、ローズさん」
机にはパンだけじゃない朝食が並べられていて、新鮮なサラダや色鮮やかなフルーツまでちゃんと用意されていた。こんなに豪勢な朝食は初めてだ。
ローズはなぜか顔を真っ赤にして、がっしりとリアナの手を取った。
「リアナ様……わたくし、この身をあなた様にお捧げすると誓いますわ!」
「は?」
「ンもう! その笑顔ってば罪ですわ! ……ああいけない、入ってはいけない園に踏み入れてしまいそう……」
「……」
その衝撃的発言に、身の危険を感じるのだが。
リアナが自分の身に不安を覚えた時、扉をノックする音が響いた。おそらくアルバートであろう。
ローズが扉を開けるとやはり青年が立っていた。
「あら、アルバートではありませんか。もう少し遅く来ればよかったのに……」
「はい?」
「いいえ、なんでもありませんわ。リアナ様のお召し物をご用意してきますから、その間にお話を済ませてくださいませ。……くれぐれも、二人きりだからといって、変な考えをお持ちになるなんて、そんな恐れ多いことを考えないでくださいませ」
ローズに睨まれたアルバートは少し青ざめた顔で神妙に頷くと、彼女と入れ替わりで部屋に入って来た。
「はは、どうしたんでしょうね、ローズさんは」
「……ホント、どうしたんだろうね……」
なぜ睨まれたか分からないアルバートが、少し羨ましかった。
リアナの心中も知らず、アルバートは手に持っていたものを彼女に差し出した。
きょとんとした。アルバートが持っていた剣は、絶対にリアナが持ってきたものではない。彼女の剣はもっとボロボロで、唯一刃だけが研ぎ澄まされていただけの代物だ。
「ハロルド様からの賜りものです。この剣が貴方に武運を運んでくださるように、ということです」
剣を受け取ると、思ったよりも軽かった。黒い鞘と柄、どちらにも銀の装飾が施されていて、巨匠の作品だと言うことが素人目にも分かった。震える手で刀身を抜くと、鋭い刃が光に反射した。
「い、いいのかな、こんなにすごい物を貰っても……」
「もちろんですよ。その代わり、その剣にはフェリス様のお命がかかっているということをお忘れなく」
ちらり、と青年の顔を見た。口調は穏やかだったが、表情は実に真摯でどこか必死なものだった。
「……ええ、分かったわ。ありがとう」
急に手に持っていた剣が重くなった気がした。
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