フェリスはリアナが止める間もなくテーブルの上のカップの中身を飲み干し、派手な音をたててカップをソーサーに戻した。
「確かに死なないようですね……お茶をどうもありがとうございました。
これで私はこれで失礼させて頂きます」
上着を持ったまま部屋を出て行こうとするフェリスにエリオルが声をかける。
「雨は止んではいないぞ」
「遠回りになりますが渡り廊下から戻らせて頂きます。失礼」
リアナも慌ててフェリスを追おうとする。毎度ながらの勝手な行動に怒りを通りしこしてため息しか出ない。
後を追おうとすると体ががくんと揺らいだ。
驚いて振り返ると、エリオルがリアナの手を掴んでいた。
「待て、フェリス。持て成しは終わっていない」
不機嫌そうに後ろを向いたフェリスが何かを言う前に、リアナは腰から剣を抜いて彼のもとに駆け寄ろうとした。同時にフェリスも周りを見渡したが、その時にはもう遅かった。
部屋は一気に張りつめたものになった。
「どういうつもりだ」
礼儀など忘れたようだった。フェリスは、まだ手を掴まれているままのリアナ越しに、エリオルへ研ぎ澄まされた視線を向けた。
「余興を見せようとする前に、お前が帰るからだ」
リアナは剣の柄を握り締めて辺りを睨み、ぐっと唇を噛んだ。
足を踏み出す前に囁かれた言葉のせいで、フェリスを庇うのに間に合うわずかな時間を逃してしまった。
―――『動いたら、奴を殺す』、という言葉のせいで。
(違う、わたしの弱さのせいだッ)
そうだ。強かったらそんな言葉に怯まず一歩を踏み出せたはずだ。
だが、できなかった。
フェリスは自分の周りを見渡すと、低い声で唸った。
「余興だか何だか知らんが、俺に剣を向けるとはいい度胸だな」
部屋の中には黒装束の男たちが剣をフェリスに向けていた。部屋の扉を背に彼が囲まれているのだ。
男たちの顔は覆面で見ることはできない。微動だもしない。感情の見えない彼らが不気味な生き物に見えた。ただ分かることは、彼らはただ主の命を待っていた。
もしリアナが今飛び込んだら躊躇いなくフェリスを突き刺すに違いない。それを嫌なほど感じる。だからリアナは足を床につけたまま動けなかった。
「ふざけたことしないでください!フェリスを傷つけるようなことしないでッ」
怒鳴るようにエリオルに言ってみるが、彼はただ楽しそうな顔をするだけだった。
「フェリスが傷ついたら困るものな。自分の“願い事”が叶わなくなってしまうからな?」
「え?」
「そのために奴の護衛をしているのだろう?所詮『自分のため』というわか。
別に恥じることはない。誰だって自分が可愛いし、自分のために生きている。だからフェリスを傷つけられたら”困って”も何も恥じることはない」
「離して!」
リアナはエリオルの手を振りほどいた。
「自分のため」と思われても仕方がない。確かにそれは正しい。でも、全てではない。
それをエリオルに言う気はない。
エリオルは再び先ほどよりも強く手を掴んで、男たちに合図した。
はっとして振り返る。
立ったままだったフェリスの髪が、宙を舞って床に落ちていた。
「抵抗するとあいつがどうなるかは……私の気分次第かな」
「そんな…!」
フェリスは男たちに囲まれても剣を抜かれても微動だにしない。恐怖に竦んでいるようには見えないが、下手に動くような真似は避けるべきだと解かっているのだろう。
そんな姿を眺めて気分が良さそうなエリオルの顔面を殴れるものなら殴りたかった。しかしそんなことをしたら今度は髪の毛だけでは済まないかもしれない。
そう考えると、リアナの心に氷が張った。俯き、微かに身震いした。
「あんたは相変わらず、詰めが甘い」
その言葉の後、短い悲鳴が響いた。
顔を上げたリアナは一人の男が腕を捩じられ、フェリスの膝の下で床に這いつくばっている姿が目に入った。
男たちの剣は動いたフェリスに合わせて動いていた。だが幸いなことに、それ以上動く気配を見せていない。
思わずほっと胸を撫で下ろしてしまった。
「ほう、あの男の技か。未だに覚えているとは師匠思いの良い生徒だなあ?くくっ。さしものそいつらでも見慣れぬ技に気を許したか」
(技…あの男?)
確かに武術剣術あらゆる技を学んでいたリアナでさえ、見たことのない体術をフェリスは使っていた。不法地帯「ガランド」に行った時にも目にしていたが、滑らかで素早い技だった。
いったい彼がどこでその不思議な技を身につけたのか前から気にはなっていた。
しかしそこでエリオルの言葉を聞いたフェリスが、苦痛の表情を浮かべたことに気が付いた。
つらそうで、そして信じられないことに泣きそうな――?
だがそれも一瞬だった。
見たことが幻覚だと思わせるように、フェリスは男から確かな手つきで剣を取り上げると、切っ先をエリオルに向けた。
「ふざけたことはこれで終わりだ。これで終われば何も無かったことにする」
「剣一つで形勢逆転?馬鹿ばかしい」
「おい」
フェリスがリアナに視線を向けた。
「俺のことは気にするな、好きにやれ。自分なら守れる。出来るんだったらこの不法侵入者どもを叩きだせ」
状況が状況ながら、リアナは驚き、少し――いや、なぜだか「嬉しい」と思った。
フェリスが彼女をこのような場面で肯定する言葉は初めてだったからだ。
リアナの過去を受け入れてくれた時とは違う。彼の嫌がることを彼が許してくれて、あまつさえリアナに促してくれたのだ。
確かにフェリスの事を気にしなくて済むなら――護衛という役割にしては情けないのだけれども――多少手こずるかもしれないが、勝つ自信がある。
自分を見つめ返しているリアナに、フェリスは浅く頷いた。
リアナは微かに紅潮した頬をぐっと引き締め、それに返事をしようとした――――だが含みもった声がリアナにそれをさせなかった。
「おやおや。フェリスが剣一本と腕で勝てると思ってるのか?
一人やられたのは不意打ちだったからだ。手の内を読まれてこれ以上あいつが抵抗できると思うのか?あの男どもだってなにも素人を雇ったわけじゃない。君なら分かるんじゃないか?出来る人間なのか、どうなのか。彼らが城下のごろつきではないことくらい、分かるだろう。
ならこれも分かるだろう?『フェリスは自分ひとりすら満足に守れない』ことくらい」
リアナは押し黙って、フェリスを見た。
彼は憎たらしいほどいつもの表情で見返す。
「その男の言うことなど耳を貸さなくて良い。俺はそいつと違って少しは出来る」
確かにフェリスの剣さばきも見たことがある。一通りの剣術を習っていて、人並み以上に扱えることは知っている。
しかしそれが騎士であるコイズ並みの腕前なのかといえば、さすがにそこまで賞賛できるものではなかった。
それにフェリスはわざと言っている可能性がある。
そもそも守られることが嫌いなフェリスが、自分を肯定するようなことを言うだろうか?もしや、無理でも自分が身動きをとれるように誘導しているのではないか?
……そうだ。冷静に考えれば、分かる。
分かるじゃないか。
「剣を捨てろ」
エリオルが耳で囁いた。
「聞くな」
フェリスが微かに怒りを込めて言う。
ぎゅっと剣の柄を握った。
大事なこと。自分にとって大切なこと。護るもの。
見失ってはいけない。
だから――――
次話、ちょっと頂けない表現が入るかもしれません。かも、ですが。
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