ふたつの挨拶
「カティア、私はこれから仕事の書類と挨拶しなくてはならない」
どうやらカーディーンは今から書類にも風を呼ばなくてはならないようだ。
王族って書類にまで挨拶しに行かなきゃならないんだね……。
え?じゃあ軍の区画に行くの?
「いや。軍の方針や大きな決め事は私だけでは行えぬのだ。これから皆で集まって難しい話をせねばならない。他にも私が話を聞かねばならないこともあるのでな」
つまらなさそうだね。
私はお部屋の隅でリークと遊んでおこうかなと考える。
しかしそんな私の思考を、カーディーンが遮った。
「カティアはしばらくの間、リークと宮殿の中を散策するといいだろう。話し合いが終わるころには戻ってくるといいだろう」
私は驚いてするりとカーディーンの頭の上から降りた。カーディーンがすっと上げた手の上に立つ。
いいの?私がいない間カーディーン怪我しない?
「平気だ。話し合いの場は厳格な空気で守護鳥にとっては緊張が続くので、よくないとされている。国王の守護鳥殿は初めてその場にきたとき、特有の緊張感に警戒しすぎて、ずっと魔力の膜を張り続けていたと聞く」
それはやだなぁ。私魔力の膜をずっと張ること出来ないもん。
「それにその場で誰が一番強いかと聞かれれば私だ。私が一番怪我をせぬ。だから安心して気晴らしに行くと良いだろう。ずっと私のそばにあり続けてあまり自由に遊んでいなかっただろう」
カーディーンにはなんでもお見通しの様だ。私が遊びたいとうずうずして、でもカーディーンのそばにいなくちゃと考えて我慢していたこともわかっていたようだ。
わかった。私遊びに行ってくる!カーディーンの知らない庭園を見つけるんだ!
私はくぴーと元気良く鳴いて、ぱたぱたとカーディーンの手から飛び立った。
私の後を、リークがついてくる。
リーク、早く早く!
「ちょっと待てカティア!」
リークと追いかけっこしながら、あちらこちらを散策する。いっぱい飛べるって楽しい!
リークの息が切れそうだったので、近くにある水路の庭園で休憩することにした。私がここで遊ぶと宣言すると、リークがぜぇはぁ言いながら、ほっとしたような顔をしていた。……全力で飛んでごめんね。
リークにはここで休憩してもらいながら、私は存分に遊ぼう。
「あら、そこにいらっしゃるのはカティア様ですか?」
私が水路に浮かぶ葉を追いかけたり、虫を追いかけまわしながら遊んでいると、近くの廊下から声がかかった。
声の主に振り返ると、二人の着飾った女性が従者を連れてこちらにやってきた。
リークがそっと私の元にやって来て、私をそっと手に乗せた。
二人の女性のうち黒髪の、背の高い方が少し前に進み出て、私に挨拶をした。
「儀式の日にカティア様にお会いできるだなんて光栄でございます。お許しいただけるのでしたら、私にカティア様へ風を呼ばせていただけますか?」
えーっと……いいけど、誰?
私が小首をかしげて尋ねると、黒髪の女性はちょっとだけ悲しそうな顔をした。
後ろから今度は亜麻色の女性が柔らかな笑顔で挨拶をした。
「恐れながら申し上げます。以前にイリーン様とご一緒させていただきました折、カティア様に名前を告げる栄誉をいただいた者でございます」
うん……?
私が必死に思い出そうと頑張っていると、リークが言った。
「僭越ながら発言をお許しください、カティア様。以前にカティア様が落ち込んでいらっしゃった際に、イリーン様と御一緒に挨拶された、ラナー様の御友人の方々ではないでしょうか」
リークは合点がいった様で、私に教えてくれた。どうやら私が守護鳥として能力不足に落ち込んでいたときに挨拶した人達らしい。
そういえばそんなこともあったっけ、と考える。確かその時はあんまりちゃんと話を聞いてなかったから、イリーンと会って守護鳥について話をしたくらいしか覚えていない。
あのね……ごめん、覚えてないの。
「まぁ、そんな……どうか謝らないでくださいませ。それでしたらよろしければもう一度、カティア様に御挨拶をさせていただいてもよろしいですか?」
黒髪の女性が悲しそうな表情で謝らないでと言った後、思いついたとばかりにそう提案しながら小首を傾げた。
うん、お願い。あと風も呼んでいいよ。
私が言うと、二人の女性はよかったと微笑んで顔を見合わせてから、黒髪の女性から挨拶をした。
「それでは改めまして、ネヴィラ・ビビ・グィンシムと申します」
ネヴィラと名乗った、たっぷりとした毛先だけがちょっとくるんとした、まっすぐな長い黒髪の女性が優雅に挨拶をした。鮮やかな赤い衣を纏った、非常に露出の高い格好だ。派手さで言えば、王族のイリーンやラナーより上かもしれない。たしか妙齢の貴族女性は露出が高い方が正装だったかな?
見惚れるような曲線を描いた肢体の持ち主だ。纏う衣にも、頭の後ろ半分を隠すような薄布も、それを留める額飾りも、鱗石がたっぷりついていて、装飾品がとても多い。彼女が少し動くたびに、鱗石がしゃらしゃらと小さな音で耳を楽しませていた。でも、私はもうちょっと音の鳴らない装飾品の方が好きだ。
気の強そうなややつり目がちな、灰色の瞳を持った華のある美人だ。頭と胸元に生花を挿しており、その花からとてもいい匂いがする。
「シャナン・リダ・オーリーブでございます」
控えめで柔らかな声音で挨拶をしたのは、こちらも長くて柔らかく波打つ亜麻色の女性だ。落ち着いた色合いの薄い青の衣を身に纏っている。装飾が少なく、腕につけた風呼びの石がしゃらしゃらして、つけている額飾りや耳飾りもネヴィラに比べてやや地味だ。
シャナンは派手なネヴィラに比べると地味で大人しく感じるのだが、柔らかな声音と亜麻色の髪が私やカーディーンと仲間みたいで、ちょっと親しみを感じる。ネヴィラほどではないがしっかり露出していて、肌の色はネヴィラよりも白い。残念ながらお花は挿してない。
ふわりと微笑む姿がとてもよく似合う、赤銅色の瞳と全体的に優しい雰囲気が印象的な可愛らしい美人だ。そういえば、私が落ち込んでいた時に「砂色の私の方が親しみやすくて素敵」って言ったのがシャナンだ。そして私を「誰の飼っている鳥ですか?」って聞いたのがネヴィラだ。段々思い出してきた。
よろしくね、私はカティアだよ。
私はそう言って名前を告げて、身体を振りながら鱗石を鳴らして二人に風を呼んだ。二人とも光栄ですとすごく喜んでいた。
二人はどこに行くところだったの?
「ラナー様の宮に御挨拶をするために向かうところでしたの」
ネヴィラが軽やかに答える。
そう、じゃあ急いでるの?
「いいえ。儀式の間は事前に訪問の挨拶を交わさぬものですし、ラナー様は常に宮にいらっしゃるでしょうから私達はゆっくり移動しておりました。移動途中で他の方との御挨拶などもありましたので」
そうなんだ。
今度はシャナンが話しかけてきた。
「カティア様はこちらで何をなさっておいでなのですか?」
お散歩だよ。今は休憩時間なの。
「まぁ、でしたら私達はお邪魔をしてしまったのですね」
シャナンが申し訳なさそうな表情で詫びるように言った。
そんなことないよ。
「それではよろしければ私達も、カティア様の憩いのひと時に御一緒させていただいてもよろしいでしょうか」
ネヴィラが少しだけわくわくしたように言うので、私がいいよと返事をすると、二人の従者がいそいそと水路近くの石の長椅子に絨毯を敷いた。
私はその様子を眺めながら、ふと気になったことを二人に聞いてみる。
王族とか貴族の女性って常に絨毯を持ち歩いてるの?
一緒に従者の作業を眺めていたネヴィラが答えた。
「左様でございますね。お喋りをするときは座る必要がございますので」
なんで?立ったままお喋りしたらいいと思うの。
私がカーディーンと貴族が立ち話しながら婚約の話をしていたことを思い出しながら尋ねると、ネヴィラが答えた。
「殿方は立ったまま語らうことが許されておりますが、貴族の女性が立ったまま話をするのは、庶民の女性の様で品がないと言われております。ですから挨拶以上の会話をするならば、必ず座る必要がございますね」
もちろん一人でも男性がいたら、立ったまま会話しても男性にあわせているだけだから何も問題ないと言われていると教えてくれた。
貴族の言い回しとか作法とか、よくわからないことが多いと思う。
でも絨毯を持ち歩かなきゃいけないだなんて重そうだね。
一人分の大きさとは言え、豪奢な刺繍で分厚い絨毯を巻いて持ち歩くのはそれなりに大変だろう。
「私達が持ち歩くわけではございませんので大丈夫ですよ」
「貴族の女性ならば常に一人は従者がつくものですので、彼らが必要なものは持ち運んで移動しております」
ネヴィラが当然の様に言い、ついでシャナンが補足した。
ちなみに準備の様子から見て、ネヴィラの従者が四人、シャナンの従者が一人だ。彼らは準備が終わると、さっと離れたところに控えている。
そういえば私が見た中で一番従者を引き連れて歩いていたのは王妃のファディオラだった。それはもうぞろぞろと大勢の従者達が一緒にいて、ファディオラがお茶をしたいと言ったら椅子とテーブルが出てきたのが出会いだった。高貴な人ほど従者がいっぱいいるものなのかな?
そう言えば私も、普段はリークやモルシャを始め鳥司がいっぱいついてくる。現在はリーク一人だけれど。
あれってもしかして、私が守護鳥で偉いんだよっていうのを目に見える形で示す為にいっぱいいるのだろうか。……実は隅に控えてばかりで遊んでくれないのに、なんでいっぱいいるのだろうと思ってた。
二人がそれぞれの絨毯に座った後、私はどこに座るべきかと考えた。二人は自分の手の上にいらして下さいと言ったけれど、迷った挙句、リークに座ってもらってリークの手の上にちょこんと座った。
地面に座らせちゃってごめんね、リーク。
「どうかお気になさらないでください、カティア様。私は男ですので柔らかい草の上に座ることなど、普段の砂漠で岩山に座ることを考えればむしろ心地よいくらいですよ」
リークを見上げて言うと、リークが気にするなと小さく笑った。まぁ、それはそうかもしれないんだけれど。
……私もクッションとか、持ち歩こうかな……。
「それは素敵ですね。クッションの上にお座りになるカティア様はさぞ愛らしいでしょうね」
ネヴィラがその様子を想像したのか、柔らかな表情で同意した。
「カティア様は普段会話をなされる際はどのような状態でいらっしゃるのですか?」
今度はシャナンが私に質問してきた。
私はいつも、お喋りする人の手か、リークの手の上だよ。移動中はカーディーンの頭に乗ってることが多いの。カーディーンはすごく背が高いから、私はとっても高いところにいるの!マフディルの次にだけど。
私が嬉々として自慢すると、二人はマフディルが誰だか分らなかったようだが、カーディーンが私を頭にのせて移動していると言う部分が意外だったようで、「カーディーン殿下の頭上にカティア様が……?」と呟きながら目を丸くしている。
シャナンが気を取り直して私に言った。
「でしたらカティア様は、クッションをお持ちにならない方がよろしいかもしれませんね」
なんで?
「守護鳥様であられるカティア様にお留まりいただくことは、従者や言葉をかけていただいている方にとって、とても栄誉なことでございます。カティア様がクッションをお持ちになれば、カティア様に留まっていただく機会が減ってしまいますもの」
言われてなるほど、と思った。エイヨなことはよくわからないが、カーディーンの頭に乗る機会が減るというのは私にとって大きい。あの高い視界と振動が好きなのだ。
貴族の女性の真似をしようかと思ったが、私は絨毯がいらないのだから、今まで通り遠慮なくカーディーンやリークの手に留まればいいかと思った。
そうだね。私カーディーンやリークの手の上、好きだし!
私がリークをちらりと見上げて言うと、リークが「光栄でございます」と柔らかく目を細めながら小さく言った。嬉しくなってくぴーと鳴いた。
シャナンとネヴィラはそれをみて微笑ましそうに笑って、でもネヴィラが少しだけ残念そうに言った。
「それでもほんの少しだけ、残念でございます。カティア様がクッションにお座りになる様は、さぞ愛らしいことでしょうに……」
私はしょんぼりするネヴィラをなだめるシャナンと一緒に、小さく笑った。