《第3楽章》 ネームレス・シーフ
タロットカードの搭(La Maison de Dieu=仏語で“神の家”)には、無惨に崩壊する搭の様子が描かれている。
正位置でも逆位置でも不吉な意味を示すこの搭は、人間の奢りを表したものだった。
「神に近付こうとすれば制裁が下される……か。あの有名な、バベルの搭みたいに」
誰もいない闇に浮かぶ鏡へ向かって、少女は話しかける。搭の絵が描かれたカードを右手で掴みながら、鏡に向かって笑った。だが笑わない。別人を眺めているようだ。いくら笑いかけても、笑わない。笑っていないのか。
それとも、もう自分には微笑みなど必要ないのか――
それでも少女はわざと笑う。『哀』の名にふさわしい、悲しみの歌を心の中で思い描きながら。
「エレミヤ書は、遥かなる時を超えて現代にも蘇る。破滅を目撃した者は、絶望した心の響きを伝え、そしてこう謡う……」
声自体は美しく、艶やかだ。だがやたらと物悲しいく響く。誰にも届くことなく、夜が深まっても続いた。
「『キッドにライバル出現か!? 名もなき怪盗あらわる』、か。――ちっきしょう!」
「どうしたの快斗、そんなにイライラしちゃって。購買のパン売切れてたとか? もしそうなら午後に体育があるし、持たないよねーっ」
「! な、何でもねーよ。昼休みをどう過ごそうか勝手だろーが」
怒りに任せて新聞を皴だらけにした快斗の横から、幼馴染みの少女が不思議がって尋ねた。
我に返り、即席の笑顔でごまかす快斗の怒りを呼び戻すように、青子は嬉しそうに話を掘り下げていった。
「あっ! これね! 今話題の『ネームレスシーフ』!」
「『ネームレスぅしぃぃフぅ』? ハン、単純! 名もなき怪盗だからなんだろ、それ」
「まぁ、そう言われちゃあ元も子もないけどね」
青子の指摘を軽く笑い飛ばし、快斗はそそくさと新聞を折り畳んだ。普段ならここで新聞を取り上げて木っ端微塵に破くパターンなのに、何故か顔いっぱいに微笑んでいる。
「? どーしたんだよ? 何がそんなに嬉しいんだ?」
「ふふふっそれはねぇ――」
腕を後ろに組んで涼しげに見下げてくる青子に、快斗は目を細める。
勿体ぶるように言い淀む青子に、快斗は当事者だけに不快感を覚えた。
「うまくいけば、キッドと共倒れになるってお父さんが言ってた!」
意外な言葉だった。思わず言い返したかったが、ここでむきになるのは変に思われる、と判断した快斗は得意げに話す青子の話を他人のことみたいに聞き流すことにした。
「この『ネームレスシーフ』も巨大宝石だけを狙ってるんだって。そうなればキッドと衝突するのは必至。放っといても、どっちかが潰れるんだって。さっすがお父さんねー」
「ふ、ふーん? そいつは結構なことで」
「でしょー?」
青子の笑顔をよそに、見た目はマイペースを装っていたが内心穏やかではなかった。だがすぐに、口元だけに余裕を表す笑みが零れた。
「上等だ! the nameless thief――オレに盾突いた代償は高くつくぜ?」
声を出さずに口の中で密やかに呟いた快斗は、太陽の光が強まっていく秋空を見上げた。
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