暗黒ダイヤのエレジィ (16/16)縦書き表示RDF


※一千万……モスクワ市の人口です。
暗黒ダイヤのエレジィ
作:暁 神夜



《第16楽章》 訪問先は1千万分の1


 背からはひんやりとした風で、そして正面からは犇めく熱気と殺気で身体が板ばさみになっている。
 全て雑魚だとしても、不特定多数相手に戦って勝機はあるのか。


《馬鹿ね。自分を過信していると命取りになるわよ?》

「逃げるっきゃねー、か。だがよ?」


 紅子のなまめかしい美声が聞こえてきたような気がして、快斗はつい声を出して答えてしまった。
 独り言を呟いたのかと思った哀は、快斗の後ろに回りながらどぎまぎした様子で訊く。


「え? 今、何て言ったの?」

「何でもねーよ! さ・て・と。どーすっかなぁ?」


 快斗はそう声裏を強く響かせて自問すると、身体中あちこちを動かし、首、肩、足首、そして指の関節を豪快に鳴らし始めた。
 戦う気だ。瞳に油がのっている。自暴的な自殺行為に、哀は必死になり快斗の上着を引っ張っては止めに入った。


「――逃げるに決まってるじゃない! な、何目の色変えてるのよ? こんな大勢相手にして勝てるわけないでしょう? 幸い、逃げ道が出来たわ。ここは逃げるが勝ちよ! さぁ、早く逃げるわよ!」

「そーはいかねぇよ」

「どうしてよ!? ……貴方、まさか戦闘マニアなの?」


 ハハハ、と感情がこもっていない笑い声を転がした後、快斗は全身を緊張させた。
 やはり戦う気だ。哀は力ずくでも引っ張っていこうと決めた。


「ここは『戦う』が正解だ」

「はぁ? どう考えたって勝てるわけないじゃない! ほら逃げるわよ、早く!」


 哀は力の限りを尽くして快斗を引っ張るが、所詮は子供の力だ。大人以上の体力も潜在能力もある快斗は一ミリも動かない。


「……下がってろ。とにかくここは戦うぜ? もう決まったことなんだ。それとこれ、持っといてくれ」


 白いダウンジャケットに包んだ本を哀に突き出すと、快斗は無数の銃口相手に真っ正面から向き合うために前へと進んでいく。
 哀は呆れた様子ではいはい、と大きくため息をひとつ出した。そして自分だけでも逃げられるように、半壊した赤煉瓦を目がけて後ろ足で進んでいった。


「最期の言葉は交わし終わったか?」


 黒帽子に大きめのサングラス、そして黒スーツに黒手袋といったマフィア気取りの男たちが、黒山のようにわんさか湧いている。その中のどこかから、どすを利かせた声が吐き捨てられた。


「ああ。とりあえず戦えって言われた」

「はぁぁ? 誰に言われたんだよ? あのガキじゃねーよなぁ? 必死に止めてたもんなぁ?」

「……フン」


 快斗は後ろへ一瞥投げたついでに相槌を打った。
 哀は不可解に首を傾げた。快斗が目を合わせた先は、自分ではなく預けた本だったからだ。
 行動も思考も全く読めない一応は『味方』に、哀は祈るような気持ちを捧げた。


「『いざ戦わん。さすれば汝、先に進めるであろう』――か。まっさか本に言われたからって言ってもよ、誰も信じねーだろうなぁ?」


 啖つばが吐かれた破擦音が、殺伐とした部屋中へと轟いた。


「なーにぶつぶつにやにやしていやがるんだぁぁ? ――やっちまぇ! 蜂の巣にしてやらあっ!」


 おお、と掛け声が湧き上がった途端、無数の銃口が快斗へ向けられた。リーダーらしき男が促す通り、そして文字通り『蜂の巣』だった。


「馬鹿……!」


 見ていられなくなった哀は、両目で手を覆い顔を隠した。
 間を空けずに駆け抜けてくる銃声と破壊音が、だが同時に複数のうめき声が生まれては消え、生まれては消え……の繰り返しが起こった。
 そして、何かが床に落ちる軽快音や床を滑り転がる細長い摩擦音まで出てきた。
 不審に思った哀は、右目の瞼だけをおそるおそる持ち上げた。


「嘘……!」


 驚愕を込めて見据えた先には、この状況を心から楽しんでいる殺陣(たて)師がいた。
 銃を足蹴りにされ丸腰になった輩どもが次々に、あるいは同時に快斗へ襲いかかる。だが当の快斗は、八方からの攻撃を軽やかな身のこなしであっさり避けていく。
 更に『おらおらおらっ! そんなもんかよオメーらは!』だの『一気にかかってこいよ!』だの『戦いがいがねーんだけどよ? 準備運動にもならねーぜ、おい?』だのと、挑発する文句を手当たり次第に投げつけては飛び上がり、回し蹴りを繰り出したり両手で殴りかかる始末だ。


「どう見ても完全な戦闘マニアね。心配して損したわ」


 はぁ、と今日二度目の大息を吐いた哀は、苦笑いを滲ませた。
 大立ち回りを演じる快斗のパノラマには、マフィアの大群が木枯らしのように虚しく舞ってはばたばたと地へ落ちていくさまが描き出されている。
 あとひいふうみ、と数えるほどしか生き残っていないマフィア達が、間合いを取って最後の悪あがきを画策していた。捨て身の戦法を企んでいる。それは一目瞭然だった。


「そろそろ終わりね――っ!?」

「? どーした? ――っ!」


 少女のわずかな引き声を耳で捉えた快斗は、前方を牽制しながら振り向いた。
 そこには、怒濤の構図があった。何とか意識を取り戻した雑魚が再び銃を持ち、哀のこめかみに突きつけている。


「動く……なぁぁ! 少しでも動いてみ、な? ウヘヘへヘヒャフャァヒャヒャアハハァァ! このガキの脳みそがぶっ飛……ぶぜ、ぇェ?」

「ちぃぃ!」


 呪わしげに吐き捨てた快斗は、硬直したまま佇んでいる哀を一直線に見つめた。銃口を引くまでに一足飛びで飛びかかればいいだけの話だが、刹那の差が命取りだ。
 どうする、さぁ……と問いかけた瞬間、重みのある音がした。改めて紫紺に輝く瞳を見開いてみると、あの本が白いダウンジャケットからひょっこりと姿を表していた。


「ん? 何だ? 本……か?」

「! ――今だっ!」


 雑魚の注意が落ちたその本に向いたと同時に、快斗は哀を目がけて地面を蹴り上げた。


「――その本を奪えぇ! とりあえずいったん引く! 早くしろ!」


 口答えする間も与えずに降り懸かるけたたましい剣幕に、雑魚は震え上がった末に従った。
 雑魚は目の前に横たわっている本を拾い上げ、痛みを押して渾身の力を込めて剣幕を上げた男へ放り投げた。
 宙を舞う本が仄に青く輝いたのを、快斗は確かに捉えた。慌てて手を伸ばしたが、あと数センチ足らなかった。


「よし! 引くぞ! おい小僧、今回は引いてやるが次はそうはいかねーからなァァ! 偉大なる我らが神主(ゴッド・マスター)に盾突く愚か者が、死んで地獄に行けるとは思うなよ? お前らが行き着く先は『穴』の狭間だ――覚悟しとけぇぇ……!」


 典型的な捨てぜりふと、喉の奥で引き攣った笑い声を無理して吐き出し、生き残った三人は自分達の足音によってせき立てられるように闇の中へ逃げていった。

 砂塵が舞い上がり、嵐は去ったことを物静かに告げた。


「……ごめんなさい」

「あん? 何がだよ?」


 極度の緊張が解かれ、へたり込んだ哀へ快斗は手を差し延べた。


「あの本……奪われてしまったわ。大切な物だったんでしょう?」


 申し訳なさそうにぼそぼそと告げる哀に、快斗はやんわり笑った。


「取り戻せるもんならいくら取られても構わねーよ。命以外のもんなら、取り戻せる自信があっからな」

「フフフ……たいした自信ね。でも、貴方なら有言実行しそう。そんな気がするわ」

「だろー? とりあえず、今オレが泊まってるところまで来いよ? あのウクライナホテルだぜ? すっげーだろ! 一息ついてからゆっくり話でもすっか。なぁ?」


 答える代わりに頷いた哀は、差し延べられた大きな手を握り返した。
 口だけではないこの少年。とりあえず彼についていけ、と頭のどこかからそう指示してきたのを、快斗は知るわけがなかった。









 実行部隊からの報告を受け、除福は生きた心地がしなくなった。
 灰原哀を殺し損ねたからだ。舌でも引っこ抜いて手土産にでもしようと実行部隊に指示したが、事態は一転した。逆にこちらの舌を抜かれそうだ。言い訳すら出来ない現実が、除福を叩きつけた。
 だが、本だけは何とか奪取出来た。そのことだけでも報告すれば、首はへし折られてもかろうじて首の皮一枚で繋がるだろう。
 除福は息を切らせながら、ボスが待つ指令室へと急いだ。









「――愚か者がぁぁ! 何たる失態だ!」

「え……?」


 本を渡すなりいきなり剣幕を上げられた除福は、ただ呆然としてボスを見上げていた。
 投げられた本が除福の頬へもろに当たり、すぐさま熱を持った。もしかしたらあざになったかも、などと言っている場合ではなかった。


「――っう!」


 右足を一歩ひいて片膝をつき、右腕を胸の前に置いては首を深く垂れる、といったこの上ない敬礼は、敬意を払ったボス本人に左肩を蹴られたことによって難なく崩された。
 右頬と左肩、そして一番痛む心の傷が、満身創痍の除福へと容赦なく襲いかかる。


「ボス……? どうしてですか!? 確かに灰原哀抹殺は失敗しました。しかし、当初の目的は成し遂げましたよ?」

「――たわけが! この本ではない!」

「しかしっ! 表紙には確かに『暗黒の天動と地球空洞論究』と書いてありま……!」


 除福の美しい声が、恐怖に圧され引っ込んだ。
 ボスへと向かう視線が、泥濁した憎悪と怨念を捉えたのだ。今まで見たことがない迫力だった。死ぬくらいですめば運が良い、と本気で思ってしまった。


「……この私に、口答えする気か?」


 サングラスの向こうで激昂と輝く邪光が、除福を更に追い詰めていく。


「い、いえ、そんなことは」

「フン、これは『雄本』だ。私が欲しいのは『雌本』の方だ」

「? 雄本、雌本……ですか?」

「そうだ。それは雄本だ。雄本には『まだ』用がない。用があるのは雌本だ。具体的には、雌本の隠しページだ」

「隠しページ、ですか? それではボスは、雌本に用があると?」


 ああ、といつもの冷静沈着な様子に戻ったボスは、辺りを鷹揚と歩き始めた。
 聞きたいことは山積にある。だが、会話についていくのがやっとだった。今の除福には相槌を打ち、基本事項を訊くことしか出来ない。


「大変申し上げにくいんですが、その雄本と雌本、二冊必要ではないんですか? でしたらとりあえず、この本だけでも保管しておいた方がいいのでは?」

「この私に指図するなといっただろう? フン、出来損ないの死に損ないのくせして。任務もこなせないようでは、お前の母親はいつまでたっても還ってこないぞ?」

「そ、それは……」


 今のままでは夢のまた夢だろうなククク、と底意地悪くボスが罵った。
 本が二冊存在することなど、聞いていなかった。正直、理不尽である。だが悔しいが、失敗は失敗だ。ここで文句を言うのが小者だろう。事実、与えられた任務を何ひとつ遂げていない。


「本は今の持ち主に返しておけ。早急にしろ。いいな? ロシア国内で東洋人などと、目立つことこの上ない。すぐに見つかるだろう。そうでなければ、色々と不都合が生じるのだ」

「! 言っている意味がよく分からないんですが? 何故、わざわざこの本を返すことなどしなければならないのです?」


 敬礼をしなおした除福を、ボスは感情に任せて思いきり蹴り上げた。今度は胸を目がけて一直線に。
 除福は吐き出しそうな溜飲を両手で抑えた。与えられた衝撃のせいで、鼓動が激しくなり呼吸を邪魔した。


「口答えするなと言っただろう! 考えがあってしていることだ! 下僕の分際でいちいち突っかかってくるのではない!」

「……分かりました。除福ことこの僕――」


 肩を上げ下げしながら何とか呼吸を整えようとする除福は、再び片膝を立て拝礼の格好をした。
 全ては、母親のためだ。そのためならプライドくらい、簡単に捨てられる。





「白馬探が、今度こそその命を果たしましょう。貴方様のしもべでありますこの僕に――今一度お任せ下さい」





 従順な言葉を並べ、出来る限りの敬意を払った除福・白馬探はボスの反応を見ないまま闇へと消えた。









 今世で現存する数少ないスターリン様式の建築物、ウクライナホテル。見上げる者にたちまち威風を抱かせる。
 社会主義の発展と革命の達成を願ってつくられた装飾的で権威的な新古典主義建築だった。つまり十八世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式である。

 だがそれすらも、かつてあった威光だ。

 労働者をおおいに励まし、気持ちを奮い立たせよう。社会主義を讃え、それら全てを芸術で表現しよう、と。
 『実を結ぶ』『創造的だ』『正しい』といった、この三拍子の集大成が建物の頂上に高さ百メートルのレーニン像を掲げた四百十五メートルの超高層ビル……があるはずだった。

 それが、ソビエト宮殿だった。儚くも、幻の巨像。
 今更『もしも』をほざいても、虚しいだけだ。ソ連が崩壊した現在、それらを語る行為は負け犬の遠吠えより愚かしい。

 高さ百九十八メートル、ロケットのような形をしていて、ちょうど『山』の字に似た建物である。モスクワの伝統を語り継いでいるホテルとして、すこぶる名高い。そのホテルの一室に、呼び鈴が鳴った。


「? ルームサービスなんて頼んでねーよなぁ?」


 モスクワ川の穏やかなせせらぎを眺めていた哀は、首を縦に振る。
 不審に思った快斗は、とりあえず覗き穴から確認してみることにした。


「どうしたの?」


 覗いた途端、快斗の様子がみるみるうちに変わっていく。
 更に瞳の色を濁らせる哀は、固まったまま動かない快斗へ近寄ることにした。その途中で、驚くべき言葉を耳にした。


「白馬……!?」


 哀も快斗同様に、その場で硬直してしまう。と同時に、再びあの会話が脳裏へと届いた。


『フン……。雑魚ごときで神の領域に触れようとは、愚か者めが。――仕方がない。私が神に変わって『あの者』と同じ運命を辿らせてやろう。……黒羽盗一も仲間が増えて、きっと喜ぶだろう』

「――駄目ぇぇ! 開けちゃ駄目ぇぇ! 絶対に開けちゃ駄目よ! 駄目駄目駄目駄目っ!」

「へ……?」


 遅かった。あと一秒、速ければ。
 哀の絶叫も虚しく、扉が物々しく開かれた。
















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