《第15楽章》 引き合う意識
「? 何処だ? 今の声――」
足を止めて振り向き、声がした方へと当たりをつける。切った言葉は口の中にしまい込んだ。少年、黒羽快斗は尚周囲を見渡して声の主を捜した。
けれど微かに気配を感じたものの、その姿を捉える事は出来ない。努めて冷静を保っていた眉根をぴくりと攣らせ、指先を白いダウンジャケットの胸元に滑り込ませた。
「それにしても何だってんだ? 『喋る本』ってのも珍しいけどよ」
自宅のからくり部屋で見つけた例の本を取り出した快斗は、そう呟いて天を仰いだ。そしてあの日の事を顧みた。
寺井を訪ねたあの日、快斗は譲り受けた箱を自宅へと持ち帰り、固く結ばれた封印の帯を解いた。それからもどかしく指先を動かして薄紫色の袱紗を剥ぎ取り、生唾を飲んで恭しく蓋を引き上げた。
「……へ?」
快斗は自分の目を疑った。入っているべき物が入っていなかったからだ。何度も瞼を擦っては見返す。けれどその度に、快斗の瞳に映るのはがらんどうでしかなかった。感情に任せて舌打ちをし、そんなバカな! と口の中で呟きを繰り返す。
すると、中に納められていた“何か”が快斗の意識に語りかけてきた。
『“赤”の地に我を運べ。そこにそなたの欲する答があるだろう。天の頂きを冒涜した者が“夢を見た場所”。これだけ言えばそなたなら解るであろうな――黒羽快斗……いや、怪盗キッド』
初めは自分の耳を疑った。けれど直ぐに気付いた。その声が直接脳に訴えかけてきたのだという事に。
鼓膜の振動が一切なかったのに、その声はやけに大声量で脳幹を突き抜けたのだ。実に不可思議な出来事ではあった。だがしかし、快斗は自然と受け入れていた。もはや、何故その“何か”が自分の正体を知っているのかなどは問題ではない。
「パンドラが実在するって事は確かみてーだしな。世の中、まだまだおもしれー事がありすぎるぜ!」
息巻いて、最高のマジックを成功させた時のような“したり顔”を見せる快斗の口端が不敵に引き上がる。碧い瞳に宿った探求心は最高潮に煽られてゆく。
と、快斗は蓋の開けられた箱を目端に捉えて首を傾いだ。やはり払拭出来ない疑問が過ぎり、つい声に出して呟いた。
「けど、どうして寺井ちゃんはこんなもん持ってんだ? 何か物が入ってるってんなら解っけど、アレってのは……」
正直、快斗は箱の中身を破られたページだと思っていた。自分の熱意を汲み取った寺井が、封印していたそれを差し出してくれたのだ、と。
それなのに実際はどうだ。何も入っていない箱を取り上げた快斗は、覗き込んで底を強く睨んだ。そして――。
「何だか解んねーけど、確かめてやろーじゃねーか! パンドラを見つけだして全ての謎を解いてやる。それで親父の背中に追いつけるんだったら――」
例え信じ難い現実を目の当たりにしようが構わねーよ、と口の中で宣言して盗一の肖像に強い眼差しを贈った快斗は早速先程の『言葉』を紐解く事にした。
『赤の地』
『天の頂きを冒涜した者が夢見た場所』
二つのキーワードから連想されたのは、哀が目指したのと同じ場所だった。モスクワに在る『ソビエト宮殿』跡地――かつて時の覇者が儚く散った『遺恨の地』だ。
今なお当時の栄華が侘しく遺る『神の逆鱗に触れた』 そして『神に見限られた』辺境へ的を絞った快斗は、直ぐさまからくり部屋から飛び出して自室の机に隠してあったパスポートを手にした。
そして今、降り立った地を“何か”に導かれるように探索していた訳だが、快斗にはそれが例の本に依るモノだと薄々気付いていた。からくり部屋で箱を開けた後、それまでの無機質さは失われていたのだ。
生命とまではいかないが、息吹を感じさせられた。理屈ではなく、付き従ってみようと抵抗なく思う事が出来た。
「とにかく“ここ”に何かあるってのは間違いねー。っつーか、妙な胸騒ぎがすっけど……気のせい、じゃねーよな」
懐に本を戻し慎重に辺りをもう一度見渡した。すると自分を射抜くような視線を感じる。快斗はその視線の源を突き止めるべく、神経を集中した。
瞼を閉じ、研ぎ澄まされてゆく意識を張り巡らすと、胸元が微かに温かくなってくるのを感じた。
「もしかして、レーダーって事か? だとすると、何かの手掛かりが眠っているかも知んねーな」
確証は無い。しかし気になって仕方なかった。快斗が暫く円を描くように半径二十メートル程度の範囲を周回すると、思った通り反応が強くなる。
期待した答を導き出す事に成功した快斗は、口端を引き上げてほくそ笑んだ。
「こっちか――!」
叫ぶよりも早く駆け出した快斗は、総煉瓦造りの廃屋を目指した。次第に胸の辺りが総毛立ってくる感覚に見舞われ、全身の血という血が騒ぎだした。
走りながら眩暈される意識を気力で前に進め、やっとの思いでたどり着き息をつく。そして次の刹那、倒壊を始めた建物を前にして咄嗟に身を退いた。
薄暗い部屋に僅かばかり入り込んでくる光が、室内の様子をぼんやりと浮き彫りにしてくれる。哀は一旦室内に視線を戻し、それを頼りに目線を巡らせた。
けれど、瞳に映るのはまるで生活感の無いがらんどうだ。家具の類いは一切見受けられない。見上げれば天井、見下ろせば石床、四方を囲う煤けた赤い壁以外は皆無で、廃屋である事は明らかだった。
工藤新一の面影を湛えた少年が駆けてくるが、直前で進路を変えてしまう可能性だって否定出来ない。何とか見つけだしてもらう為の最善策を模索したが、上手く考えが纏まらない焦りが哀を支配した。
冷たく隔たる赤煉瓦の壁を恨めしそうに睨みつける事しか出来ない哀は、奥歯を噛んで嘆息をつく。
「まずいわね。何とかあの人に気付いてもらわなきゃ、わたしはきっと……。でもどうしたら――」
焦れば焦るほど建設的な考えから遠退いてゆく。終いには自嘲じみた笑いを浮かべて諦めの溜め息を短く吐いた。
その時だ。
「! きゃあ――っ!」
突如その存在を知らしめるように閃光を放つと、その本が歌いだした。悲しみを連想させるほどに切なげな旋律が赤壁に反響してハウリングを起こす。
徐々に高まってゆく音域が異常反響して建物全体を揺るがすと、見る見るうちに壁が崩れ落ちた。
「すご……」
茫然と立ち尽くす哀の身体は光の輪に包まれて、そこだけバリアが張られたように石顆てが避けていった。下敷きになる事を覚悟していた哀は、ただただ言葉なく顔をあげて前を見据えた。
すると目が合った。駆けてきた少年も既に足を止めて立ち竦んでいたみたいだったが、哀の存在に目を丸くした。
「何でオメーがここにいるんだ? ……っつーか、大丈夫、か?」
「何とかね。で? 馴れ馴れしいあなたは誰なのかしら? 顔と声は――」
「――工藤新一みたい…ってか? わりーな、名を明かす訳にはいかねーんだ。それに、そんな状況でもなさそうだし、な」
いきなり顔つきを変えた快斗を見て、哀の表情にも緊張が滲む。体中が危険信号を発していた。いつの間にやら四方を囲まれ、刺すような視線……殺気がぷんぷん漂ってくる。
“ヤバい”と思ったのもつかの間、怒声に近い声が轟いた。
『馬鹿な奴だ! みすみす殺されにやってくるとはな、黒羽快斗――いや、怪盗キッド!』
思いがけず知ってしまった事実に、哀は眉根を引き上げて無意識に呟いた。
「黒羽って、それじゃ…あなた――」
それ以上何も言えなかった。哀は、打ち消すつもりでこの場は続く言葉を無理に押し止めた。
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