《第11楽章》 暗黒のバラル
《混乱の塔》バラルノトウ
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
言葉はひとつ、ただひとつ。当然、意思疎通を取りやすい。会話が弾み、知恵もまとまりやすい。
民は簡単に集まり、一致し、野心的な計画を企てた。
「さあ、みんな! 天まで届く塔を建てて“有名になろう”。そして、その塔がある場所にふさわしい、世界一セレブな町を造るのだ」
「あぁ。名声を上げよう。我らの力を全地に轟かせよう」
「そうだ。塔を建てて、天の領域に迫ろう。我々の地が、世界で一番であることを知らしめよう」
都市建設の計画を企てた人間どもは、シンアルの平野を拠点とすることに決めた。
石の代わりに煉瓦を、しっくいの代わりにアスファルトを材料にして、日ごとに塔が出来ていく。高くなっていく。
神の領域は近い。もうすぐだ、あと一息だ。
早く建てるのだ。塔を、塔を、何よりも高く。天まで届け。天を突き破れ。そして、全地に我らの存在を知らしめよう。
「何てことだ」
目線をちらつかせる煉瓦の塔を見て、神は憤りを言葉に表した。
「彼らは皆、ひとつの言葉を使っているから、神の領域を犯すようなことをし始めたのだ。……愚かなことだ。このままではまずい。手が付けられなくなってしまうのは、時間の問題だ。――そうだ」
神は手を上げた。辺りが急に暗くなる。次の刹那、すさまじい雷鳴が神の手に集まった。
「混乱しよう、混同してやる。――これで、塔は建てられなくなる」
神の右手が、ためらうことなく振り下ろされた。
おどろおどろしい天の劫火が、塔へ向かって真っすぐに落ちた。
夥しい数の岩塊が、強烈な熱を浴びて硝子化した。方々へ散らばった。
そして民も。各地へ散らされ、知らない言葉を埋め込まれた。
こうして、塔の建設は中止された。
「……そうだ」
神は笑った。神らしくない下卑た笑いだった。
「暗黒を作ろう。神に近づく者には制裁を下そう。暗黒の先に『穴』を作ろう。この塔を暗黒に染めよう。そして――」
頭が二つに裂けた巨大な煉瓦建築を壊した張本人が、しれっと一瞥しながら漏らした。
他人事のように話すその姿に、どす黒い裏の顔があった。神は、場合によっては人類の味方にもなり、そして敵にもなるのだ。
「穴を『あの場所』に繋げてやる。そしてこれはそのための餌だ。餌に群がる人間どもに制裁を下してやろう」
町の残骸へ向けて神は嗤いながら、光り輝くひとつの石を放り込んだ。
再び、シンアルの地に太陽が昇った。
世界一の繁栄を企てた都市の痕跡は、今『ジッグラト』にある。
かつての城塞都市――神の門とまで呼ばれた町Babilimは、荒野に埋もれたまま捨て置かれ、そのまま現在に至っている。
だが。
『それはあくまでも言い伝えである。事実が途中から歪曲された。“バラル”された痕跡は、実際は神の力によって――』
「まずいことになった。次の“暗黒食”まであと半年を切ってしまった」
「それなのに、パンドラの行く方が掴めていない。だからそんなに焦っているんでしょう?」
「そうだ。時間がない。もし“奴ら”よりも先に渡ってしまったら――」
「ハハハ、きっと大丈夫でしょう。もっと前向きに考えようよ?」
「……相変わらず軽いねぇ? 君はいっつもそうだ。真面目に話しているのが馬鹿らしくなる」
軽い、と皮肉たっぷりに言われた男は、上品に携えた形の良い口髭をさすって同じ調子のまま続けた。
「我々以外、どの組織に行き渡ってもいけないんだろ? ハハハ、そんなことくらい分かってるさ」
両極端な態度で言い合っているのは、二人ともほぼ初老近くの男で、聡明さ、勇猛さ、そして気概さが見るからに満ちている。
平均的な明るさを保つ室内から、二人はテレビ電話で交信していた。
「まぁ、家に切り札とも言える本があるから大丈夫だよ。息子にでも頼んで米国へ送ってもらうさ」
どこまでも軽快な口調で投げ掛ける口髭の男に、切れ長の双眸が目につく男が重々しく額に手を当てて大きく愚痴を零した。
平らな画面越しの会話だが、取り囲んでいる雰囲気は熱く、緊迫している。
今、交信している二人は、片方はニューヨーク、そしてもう片方はロサンゼルスにいる。アメリカ大陸の東西にまたがっている、夥しい隔たりも感じられないくらいに白熱していた。
「送ってもらうって……!? ――まさか日本にあるのか? 日本の工藤邸、に……!?」
「そうだよ」
「――えええぇっ!?」
口髭の男を非難するように、切れ長の双眸が特徴の男は声を荒らげた。だが、叱責を受けた男はその咎の重さを全く感じていないようで、とぼけた表情を包み隠さずに見せた。
「おいおいおい、優作君! 馬鹿だか抜けてるんだか天才なんだか、未だによく分からないよ。どうしてそんな迂闊なことを……! 普通、手元に置いておくだろうが! あれは、命よりも大事なものなんだよ!?」
「お誉めの言葉をどーも。君だってそうさ?」
優作と呼ばれた男は、喉の奥で声を響かせ『君だって』の部分をあからさまに強調する。
「君みたいなのがICPOの人間だって言う方が世も末ってもんだよ」
どちらともなく、静寂に飲み込まれるように自然と黙り込んだ。
いがみ合いではない。彼らは、話し込めばいつもこうなる。高等な知能を持つ同士で、お互いの腹を探り合う行為が楽しいのだ。
「とにかく! 一刻を争う事態となる前に、そして手遅れになる前に、先手を打っておくのが賢い人間のさがだ。じゃあよろしく。とりあえずあの本を早く手元に! ……でもまあ大丈夫だろう。君に任せておけばまず大丈夫だろうから」
「ああ、任せてくれ。何かあったらすぐに連絡する」
不敵な笑みを互いに送り合い、通信画面は余韻も残さずに消えた。
一人だけの空間に、再び夜の閑寂が蘇った。
優作はふと窓辺に視線を向けた。
今夜もいつもと変わらない、ありふれた月下の夜景色だ。マンネリと化した日常を守り通すことが、どれだけ難しいのかをまだ優作は知らない。
「このままでは『穴』が開いてしまう。あの黒羽君でも手に負えなかった『暗黒』を……我々が力を合わせたくらいで何とかなるんだろうか?」
冷たい拳を窓硝子に当て、トン、トトンと叩き始める。その叩く間隔は次第に遅くなっていった。優作は珍しく弱気になっていた。
「――ないだと!? どーゆうことだ新一っ!」
初めて聞いた優作の凄まじい怒号に、ただ動じていたコナンは受話器を落としそうになった。
全身から動揺が溢れ出る。コナンは、面と向かって言われない分まだよかった、と論点がずれたことに対して安堵の溜め息を出した。
「ねーもんはねーんだよ? 本当にその場所にあったのかよ? 勘違いとかじゃねーのか?」
「それはない! お前はいじってないんだろう?」
「……そ、そーだけどさ」
自分から二十センチくらい離した受話器を、コナンはおずおずと近づけて弱腰で答えた。全く心当たりがないのにも関わらず一方的に非難されているが、迫力と鬼気が凄まじくて反抗できない。
「じゃあ誰かがいじったんだろう! 書斎に人を入れたことは当然あるんだろ?」
「そ、そりゃまぁ」
「――とにかく! その本がないとまずいことになるんだ! 新一、その本を探し出すまでカードをストップするからな!」
優作の叱責を一方的に聞いていたコナンは、ここで反論した。聞き流せない展開に風向きが変わったからだ。カードを止められたら当然、生活が出来なくなる。
両手で受話器を持つ力が、ぐっと強くなった。
「ち、ちょっと待てよ父さん! カード止められたらどーやって生活していくんだよ!?」
「じゃあ何とかして探すんだな? 見つかり次第すぐにLAの家まで届けるように! いいなっ!」
「あっ! ちょっと待てよ!? ――くっそぅ!」
一方的に電話を切られた。無機的な機械音が、駆け抜けるように居間中へ響き渡る。
コナンは優作の横暴さに対する怒りに任せて、受話器を元の場所へ置いた。
「何なんだよ? 一方的に言われてもねーもんはねーんだよ! ……それにしても」
熱くなった手を顎に当て、コナンは宛もなく馬毛の絨毯上を歩き回る。
独り言が出ない。そのくらい集中していた。
あの温厚でおおらかさが代名詞である優作が、あそこまで怒気を出すなんて。きっとその本は、よっぽど重要なのだろう。
とりあえず、コナンは身体中から冷静さを呼び寄せ、最近書斎に入った人間を新しい順に思い出してみることにした。
先行く足が急に止まった。
心当たりが心の疑念とかち合った。あの時、書斎を出てからの“彼女”はどこか様子がおかしかった。泥棒が入った形跡はなかった。だとしたら、消去法で消していけば――
「――あいつだ! 灰原だ! 灰原の仕業にちげーねぇっ!」
ありったけの力で駆け出したその時、携帯電話に着信が入った。阿笠からだった。
この状況で出る気はなかったが、仕方なしに出たコナンの形相が更にひしゃげた。
「なんだって!? は、灰原がいなくなったってぇぇ?」
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