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ある魔心導師と愚者の話 作者:藤一左

《遭難者の行方》編

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第八話『付和雷同~上』

 付和(ふわ)雷同(らいどう)という四文字熟語がある。

 自らの意見を持たず、誰かの意見に簡単に左右される者やその態度を示すらしい。情けないもんを表してくるくせに字面がかっこいいから覚えた。

 まぁ簡単に言えば「長い物に巻かれる」って意味だ。つまり長い物に巻かれないし老い先も気も短い俺には全く関係無い言葉で、そんな俺が、皆仲良く、がモットーのイベントなんぞ楽しめるわけも無い。

 というわけで先生。バックレがしたいです。

 いや、あのね、これまじで。もうほんと学校って嫌だ。

 たかだか国語の授業中にどうしてそこまで落胆してるかって? いやぶっちゃけ授業内容は関係無い。朝からこうだ。

 せっかくの週末、金曜日の四時間目。あとたった三時間で今週終わり! ってタイミングだろ? 土日だろ?

 なのに、実は、今日で終わりじゃないってトリックでしたぁあ! まぁじふざけてる、なんやねん遠足て。

 朝のホームルームで担任が妙にハイテンションだと思って耳傾けてみたらびっくり。明日は土曜日だってのに遠足だってよ! しかも聞いて驚け目的地は隣町の山だ!

 なぁにハイテンションに語ってんだよあの肉ダルマこっちはテンションだだ下がりでアテンションプリーズだっての。月曜が代休になるからってなんだ! 土曜日にどんだけアニメやると思ってんの? せっかくリアルタイムで楽しめるアニメタイムが遠足タイムのトレッキングモードにカスタイムだ。もうほんとこれただの悪口。言葉遊びも駄洒落も出来なくなるくらい割と本気でびびってる。

 なんか黒板には『私』と『友人』と『奥さん』とが複雑な人間関係を構築してるようで三人しか居ないのにごちゃごちゃとした線が色々書かれている。他に書かれてることは『自殺しちゃった』だの『謀略で勝って人間としては負けてる』だの。あれ、今って国語の授業中だよね。道徳の授業じゃ、無いよね……。俺ってばもしかして曜日間違えてた……? え、いや、手紙がなんだって?

 最近のエンターテイメントばっかに注目して昔の本は知らない俺からすると、国語の教科書に載ってるのはだいたい守備範囲外だ。感性を若々しくするためにはね、代替わりして新しく生まれ変わらないといけないんですよ。つまりほら、ガッチャマンクラウズは見たけど、ガッチャマン本編は知らない、的な。

 エンターテイメント好きでアニメとか漫画とか小説が好きでも、国語の教科書は好きになれんという不思議な。

 つーかなんだこの話。授業はちゃんと受けてないが、主人公が友人を自殺に追い込んだらしい。そんなことをしでかしてなお、黒板でははっきり『友人』と書かれてる。それもう『元友人』でいいんじゃね?

 わっかんねぇ。授業の内容もなにもかも解らん。土曜日を返上して強制山登りとかっていうイベントの意義も意味不明。朝のホームルームの時に肉ダルマが言っていたが、クラスメートや同級生皆でそういうイベントを乗り越えることで親交を深める目的があるらしいが、つまり親交を深める気が無い俺は参加しなくて良いってことですよね。

 友人。親交。人間関係。それらの言葉を脳内に置いて、愛野を見る。窓際の一番前に座るその女は、黒板を書き写し、シャープペンを唇に当てて眉を潜めて、表情から察するに殆ど理解出来て無いだろうに時折うんうんと頷いていた。

 友人と言えば昨日、光峰は愛野と友人関係成立とか言ってたか。

 黒板を経由してその光峰が居る廊下側を見ようと視線を動かした時だった。

「…………は?」

 一度は通り過ぎて光峰を見たが、すぐに視線を斜め前に戻した。斜め前にある教室の出入り口。閉ざされた横開きのドア。上半分の一部がくりぬきでガラスになって、廊下が見える。

 そのガラスの向こうに、あり得ない姿があった。

 神田川弘毅の姿があった。

 おいおい、と、口だけ動かし、しかし声は出さなかった。出せなかった。

 あんな目立つところに居るというのに誰も、生徒も教師も何も言わないということは、あれは神田川本人ではなく、そいつらには視ることが出来ないものということだろう。思念体なんだろう。

 俺達が倒したはずの思念体。昨日排除したはずの思念体。

 虚ろな瞳をした神田川弘毅の思念体はこちらを見ておらず、真っ直ぐに廊下を見ている。

 寒気がした。六月の蒸し器みたいなべた付く暑さの中で鳥肌を立ててる人間なんざ俺くらいのもんだろう。もう一人思念体が視えるはずの光峰は、廊下側の一番後ろという席配置のせいで、角度上視えないんだろう。

「えー、大光司。どうした、授業中だぞ」

 いつもは寝てても注意されないのに、流石に挙動不審になったせいか、教師に指摘された。

 舌打ちは内心だけに済ませ、しかし黒板は見ずに視線はノートへ。広げてすらいなかったノートを広げ、思考を働かせながらペンを掴む。

 倒しても復活する思念体は確かに居る。特定条件を満たさなければ消したことにならないタイプの思念体も珍しいが確かに居る。

 思い出せ。それはどういう思念体だった? くそ、うろ覚えだ。

 思念体ってのは曖昧な存在だから定義も曖昧だが、大きく分けて四種類になる。

能動型(のうどうがた)

 源になった人間と繋がってるタイプ。発生させたやつの心境だのなんだのによって変化するから、自然消滅する場合もある。だったか。まぁ一般的で一番多い思念体だ。

 これは思念体の源になったやつと繋がってるが故にこれが消えたら元になった人間にも変化を与える場合が多い。基本的には一度排除すれば簡単には再発しねぇから、これは選択肢から外していいだろう。

受動型(じゅどうがた)

 源とはたまに繋がって、なんらかの現象を源へ呼び込む。思念体を呼び寄せる事もあるから、いつだか御藍のおっさんと助けたまどいだかいう小学生に憑いてた思念体のうち一体はこれだったんだと思う、多分。フラシーボさんは割とこれだが、発生源のほうもなんとかしなければならないと考えると、再発するのはこれが多いか。

自立型(じりつがた)

 思念体を出した張本人から完全に分離するタイプ。都市伝説になるような思念体は殆どが自立型だったはずだ。都市伝説が故に再発はするだろう。以前愛野が不幸になるシステムと化していた学校中の思念体とかが例か。愛野を不幸にしていたのは能動型の思念体だったが、それらを生み出すシステムみたいになってたのは、つまり核になってやがったのは、おそらくこれだろう。

独立能動型(どくりつのうどうがた)

 発生源と密接に繋がっているが、発生源とは異なる思想を持ってるやつのことだったか。自立型と違って思念体を出した本人と繋がってるくせに、能動型みたいに元となった人間からの干渉を受けないんだったはず。なんじゃそりゃわけわからん、とは思うが、実際にそれと、カゲっつぅ形で対峙した今となっては、なんとなく理解出来る。

 これは、再発すんのか? 例えに出せるのが俺の経験上カゲしか無いから、統計が解らん。

 最も可能性が高いのは『受動型』か。

 だが、神田川のあれは本当に受動型か? なんか違う気がする。だが何が違うのか解らん。あの神田川弘毅の姿をした思念体を受動型だと思うのは早計な気がする。

 ノートに書いた『能』『受』『自』『独』の四文字。『能』は既に候補から消えた。

 自立型は再発すんのか? いや、再発はなんにだってするか。再発というより再生。一日で復活してるって、なんだそれ。つーかそもそも、なんで俺はこんなに焦ってんだ。それが一番解らん。

 あの思念体がどんな効果を齎すもんなのかも解らん。が、あの思念体はその手と口でもって触れたもんを消してみせた。危険度はかなり高いだろう。

 思念体は基本的に、物理的な干渉は出来ない。

 その前提はどこまで守られるのか。俺と光峰が魔心導師だったから触れることが出来て、だからこそ消すという能力を発動出来たのか。それとも、基本的な前提を覆すだけの力を、つまり、例えば一般市民様さえも簡単に消せる力をもった思念体なのか。

 解らない以上は、後者であると仮定すべきだろう。あいつに触れられたら普通の人間でも消されると思っておくべきだ。

 しかし、あの思念体は一昨日から校内に居る。この三日間、誰もが偶然触れなかった、というのはあり得ないだろう。つまり、普通の人間が『視えないが無意識のうちに回避している』のか『あの思念体が意図的に触れない限り、消すという能力は発動しない』のか。

 あんなの知らないぞ。もしかしたら過去に親父から教えられてるかもしれないが、俺の記憶の中には情報が無い。それは俺がクズだから仕方ない。

 熟考するが答えは出ない。消去法すら進まない状況で思考を止めかけた瞬間、

「ひあぁあ!?」

 情けない女の悲鳴が、斜め後方から聞こえた。音量からして、教室の隅々にまで響いただろう。

 そしてその後に続く落下音。どこぞの誰かが椅子ごと倒れたようだ。

 誰だ、人が真剣に悩んでる時に、と、舌打ち様にそっちを睨むと、ぶっちゃけびびった。悲鳴を上げて床に尻餅ついて教室後方の扉を見つめながら震えているのは、転校生様たる光峰青依だ。

 なんならひとつ写真に収めといてやりゃ後生大事な脅し道具になるだろってぐらい狼狽してるその原因は、すぐに解った。

 さっきまで教室前方の扉窓から視えていた神田川弘毅の思念体が、今は教室後方の扉窓から視えている。

 移動している。光峰から視える角度に動いている。

 そもそも、さっきまで、という表現も間違いだ。俺はいつの間にか数十分考え込んでいたらしく、授業は終わり間近だったらしい。

「ど、どうした光峰。授業は、まだちょっと残ってるぞ」

 動揺しまくりな様子が伝わってくる若干意味不明な注意をする国語教師。

 光峰の隣の席を使っている女子生徒が、光峰へ手を伸ばした。

「光峰さん、大丈夫?」

「ああ、いや、すまない、耳元で大きな虫が居た気がして驚いてしまったのだが、勘違いだった」

 光峰は苦笑しながら女子生徒の手を取って立ち上がり、

「失礼。授業の続きを」

 と教師に促しながら席に着いた。席の配置上、思念体と目と鼻の先とも言える場所に、だ。こころなしか、椅子の端っこに座っているように見える。ケツが半分は乗っかってねぇんじゃねぇかってくらい、思念体を遠ざけようとしているように見える。

 俺は身体こそ黒板へ向けたまま、顔を微妙に傾け、視線でもって光峰を観察する。が、そもそも観察する必要もなく、光峰はすぐ俺に気付き、顎で思念体のほうを示す。

 青冷めた表情を見るに、今すぐ絶でもなんでもして対処したい、とでも思ってるんだろう。俺だって光峰の立場だったら「体調が悪いんで」とでも言って逃げ出していたはずだ。

 が、ぶっちゃけ、今この場で絶したところで思念体を悪戯に刺激するだけだ。刺激さえしなければ直接戦闘にならないはず。多分。きっと。そうでなければ困る。あの思念体が直接、俺達へ害意を向けているとしたら話は別だが、その思念体は今もなお教室の中を見ていない。廊下を、さっきからずっと同じ方向を見つめている。

 今は、観察に徹するべきだろう。光峰には首を横に振るという分かり易い合図でもって待機させ、俺はまた教師に注意されては思念体に集中できなくなること請け合いのため視線を前に戻す。

 教科書を立てて、画面が真っ暗なスマホを鏡代わりにして角度を合わせ、光峰と思念体を見張れるようにした。うわぁ、殆どエロ動画探しとアニメ情報見たり掲示板をさ迷ったりするくらいにしか使わなかったアイテムが、こんなふうに使われるとは。開発者もびっくりでしょ。

 俺と違って反射するものを使うっつう考えに至らなかったらしい光峰は、五秒に一度は扉窓を見て、思念体をチェックしていた。挙動不審過ぎて獲物を狙うカマキリかと思ったわ。

 冗談でも混ぜなきゃやってられん。貧乏揺すりが抑えられん。僕らを助けて鏡音レン。流石に無理か。ああ寒気が増した。

 早く終われ。授業なんてとっとと過ぎろ。昨日確かに倒した、しかも間一髪でなんとか留めを刺したような相手が謎のリポップを遂げて、今、すぐそこに居る。居心地が悪すぎる。

 スマホ越しに光峰と思念体を見つめ続けていると、見つめ続けていたせいで気付くのに遅れたが、少しずつ、思念体が移動していた。歩かずに動いているのか、頭の高さは変わらない。それでも、神田川の虚ろな思念体は確かに、この教室を通り過ぎようとしている。ゆっくりと、焦らすように、徐々に、光峰との距離が開く。

 扉窓から視える思念体の姿がついに窓枠の影へと差し掛かったところで、待ち焦がれて愛しくさえ感じた就業のチャイムが鳴る。

「おー、キリがいいなぁ。じゃぁ、今日はおしまい」

 国語講師はどこか嬉しそうな口調で、まぁつまりやっと昼飯にありつける立場としては自然な態度で「委員長、号令」と指示を出す。

 受け取った委員長たる男子生徒が「起立」と言ったところで俺はスマホを仕舞い、殆ど投げるみたいな仕草で教科書を机の中にぶち込む。ついでに最後にちらりと思念体を確認。光峰は恐る恐るといった様子で立ち上がりながら、その視線は思念体へ釘付けだ。どんだけ怖いんだ、とツッコミたいが、まぁ解らんでもない。俺だってびびってる。

「ありがとうございました」

 そんな挨拶を、他の連中がする。俺は会釈もどきをするだけに済ませ、光峰も口こそもごもご動いているようだが、前すら見ていない。

 形ばかりの謝礼はすっぱりと終わらせ、光峰は数歩バックステップして思念体から離れ、明らかに不自然な切り返しでこちらを向くと、早足に俺の目前へ。

 が、近くまで来ておいて光峰は何も言わず、顎で教室の前方を示した。人を顎で使うなよ、と言いたいところではあったが、まぁ、思念体が居ないほうの出入り口から出て行って、あの思念体についての話をしよう、ってところだろう。

 そりゃね、クズたる俺としては「それがなんのためであろうと他人からの指示であるならば俺は逆らおう!」とかっこよく決めるべきなんだってことは努々忘れるべからずなわけだが、如何せん俺だって怖いんだもの。逃げ口が教室の前方しかねぇから着いてくだけだ。べ、別に、光峰に指示されたからじゃない。

 それでも光峰に着いて行くような形で出入り口へ向かう途中、窓側の席で友達連中と机の位置をずらしている最中の愛野と目が合う。

 俺と光峰が二人で移動してるからだろう、愛野からはどうしたのか、という疑問が言葉を使うまでもなく伝わってくる。

 あいつも連れて行くべきかと考えた。

 あの思念体は神田川弘毅の思念体であることはまず間違いない。

 そして神田川弘毅が愛野に固執していることも、おそらく間違いないだろう。

 なら、あの思念体は愛野へ向けられた思念体である可能性が高い。だとしたら、避難させるという意味で愛野も連れて行くべきかもしれない。

 が、あの思念体はこの教室を通り過ぎた。

 思念体の移動速度が極めて遅いことも考慮すれば、窓際のあの位置ならば安全と言えるかもしれない。

 数秒ほど視線を交わしたが、結局愛野はそのままにすることにして、なんのアクションもせず視線を戻す。そしてそのまま教室を出る。

 学食へ向かう連中だろう、廊下には既に数人が居た。思念体に関する話をするならここからも離れるべきだ。しかし、光峰は廊下で立ち止まる。俺も、教室とは反対の壁に寄りかかり、その場に留まることを行動で示した。

 神田川の思念体が視える位置。しかし愛野からは見えない位置。そこを陣取って腕組みをしてなんとなく凄めば、それだけで同級生達は俺と距離を取るようにして歩いていた。

「貴様は、なにかの結界でも張ったのか? 人避けが使えるとはな」

 だなんてことを光峰は小声で言ったが、見当違いだから鼻で笑って答えた。

「触らぬ神に祟り無しっつう結界だ。嫌われもんなら誰でも使える」

 教室で暴れてなんなら体育教師の肉ダルマでさえ拘束が困難だった、という過去がある俺だ。近付かないようにするのは、平和主義な人間として当たり前の自衛だろう。

「冗談を言える状況か?」

「……冗談みてぇな状況だがな」

 殆ど囁くような声でのやり取り。聞き逃した分は唇の動きで補完してるため、むしろ読唇に近い。

「視えない人間は、無意識に避けているようだな」

 思念体を横目に視て、光峰は言う。俺も視てみるが、廊下を歩く生徒達は神田川の姿をした思念体と重ならない。視えていないはずなのに、しっかりと回避している。

「昨日の話と繋げるならば、あの思念体は愛野殿を狙っていると考えるのが妥当だろうか」

 なんとか聞こえる呟きは、俺と同じ意見だった。

「だとしたら何故、教室を通り過ぎた……?」

 その疑問も俺と同じ。しっかりと勉強してる光峰ですら解らないなら、俺に解るはずが無い。こいつなら解るかも、と思ってた時期が俺にもあったわけだが、まぁ冗談はいったん自重しよう。

「知らん」

 吐き捨てるように答えて、もう一度思念体を視る。神田川以外の思念体も何体か居るが、それは大抵が人よりは小さいし、形も曖昧だ。そのせいで、人と同じ大きさで、人と同じ姿をしているその思念体が余計に不可解に感じた。

 しばし無言で観察する。なるだけ不自然にならないように、なんて今更だろう。こんなところでただ立ってるってだけで悪目立ちだ。

「そういやお前が俺と関係がある人間だってのは、周りの連中は知ってんのか」

 思念体と関係無い話だ。だから普通の声で話した。

 光峰も、普通の声で答える。

「親戚だから家に泊まっている、というところは嘘ではないからな。そう話してある」

「例えば誰に」

「清水殿や倉橋殿は仲良くしてもらえそうだ。愛野殿の友人だからだろうな、とても気さくな人だった」

 知らん名だ。つーか聞いといてなんだが俺、詳しく聞こうにも詳しく聞いたところで俺が詳しい人物を知らなかった。簡単に言えば聞いても意味が無かった。

 今もなお、ゆっくりと俺達の教室から離れていく神田川弘毅の思念体。いったいどこへ向かっているのか。その思念体が見つめる先を、俺も見つめた。

 そっちにあるのは、四つの教室と階段だ。このエリアに階段は二つある。六つの教室があって、両端に公平に階段が作られているのだ。

 ふと、一番端の教室から、つまりは一番遠い部屋から、なんだか妙に懐かしく感じるもんが出てきた。

 思念体。トカゲの姿をした、巨大な思念体。

「…………」

 眉をしかめると、光峰の小声が聞こえた。

「あれが、私がここ数日で視ていた思念体だ」

 なるほど、よく見れば丁度、神田川本人も教室から出てきたところだ。思念体は、それに憑いて着いて行っているのだろう。その後ろに神田川の友達であろう三人の男子が続く。まるでドラクエだ。勇者神田川、使い魔の思念体、そしてその他三人。嫌なパーティーだなおい。

 ああ、そうか、と、さっきから働き過ぎなのになにひとつとして結果を出せなかった思考が、解答に繋がる糸を見つけた。

「光峰、ちょっと来い。念のため愛野には、教室の後ろ出口には絶対に近付くなって連絡しとけ」

「ふむ、了解した。なにか解ったのか?」

「解らんままだが、こんだけ状況が見えれば聞けるだろう。つーか手詰まりだ。だから聞く」

「ああ、そうだな」

 とりあえず俺達が自分で考えるより、俺なら母さんに、光峰なら御藍のおっさんに聞いたほうが早い。俺が歩き出すと、光峰もそれに続いているらしい、足音が着いて来る。

「しかしこの時間、お父様はお勤めの最中だ。戦闘になれば所持品が壊れるからと、お父様はお勤め中に携帯は持たない人だ。だからおそらく連絡は取れない」

 当たり前みたいな口調で言われても知らん。

 俺はポケットから取り出した自分のスマホを、後ろに続く光峰に見せた。

「母さんならなんか知ってるだろ。あれでもたまにゃあ役に立つ」

 言いながら操作して、電話帳を開く。名前を探すまでも無い。なにせ俺の携帯には一桁の名前しか入っていないからだ。登録名は『くそばばぁ』だからく行だな。遠子? 誰それ。

「あまり愛野殿から離れないほうが良いのでは無いか?」

「問題ねぇよ。あれの狙いは愛野じゃねぇ。神田川本人だ」

 スマホを耳に当てつつ階段を上る。ここから一番近い人の居ない場所は、屋上入り口前だろう。

 無言になった光峰を他所に、呼び出し音は六回ほど鳴り、途切れると同時に、

『今日は昼過ぎから雨の予報だから問題は無いわ』

「しょっぱなから何言ってんの? おまえ」

 もしもし、の代わりみてぇなノリでわけのわからんことをほざく母さんもといくそばばぁは、なにやら楽しげな口調だった。

『彼方のほうから電話してくるなんて、今日は大雨ね、と思ったのだけれど、そういえば最初から雨の予報出てたから、洗濯物の心配はしなくても平気よ』

「そんな心配は微塵もしてねぇ」

 とかなんとか言ってるうちに、立ち入り禁止の看板の前に来ていた。簡単過ぎるバリケードを越えて、会話を修正する。

「思念体について聞きてぇことがある。発生源のやつと同じナリした思念体で、発生源に向かってるメリーさんみてぇなやつが居る。覚えはあるか?」

『覚え? パパのお勤めを手伝っていた時や資料を見せて貰った時も合わせると、山ほどあるわ』

「なら情報を絞るぞ」

 言いながら、階段の一番上まで来たため、そこに腰を下ろす。たまにメシ食う時に使う場所だ。光峰は手すりに寄りかかるだけで、そこに座ろうとはしなかった。

「昨日倒したはずだが、そいつは今日、また発生してやがる。昨日戦った時、俺が詠唱で作った武器と光峰の武器と、ついでに俺の靴が消された。特定の箇所で触られると消されるらしい。最初は校門前、次はグランド、その次は昇降口付近で、また次は昇降口。んで今日は廊下。日にち跨ぐペースでゆっくり発生源に近付いてんだ。男の顔したメリーさん的な思念体だと思え」

『多分だけど、分離(ぶんり)思念体ね』

「あ?」

 あまりに早い回答に若干戸惑った。知らない単語だ。

『分離思念体よ』

「なんだそれ」

 正直に聞くと、電話口の母さんは少しの沈黙を置いた。どう説明するかを考えているんだろう。

『珍しい思念体だから知らなくても仕方ないかもしれないわね』

 なんて前置きから、解説が始まる。

『彼方はアニメ見てて、この主人公みたいな経験してみたいなぁって思ったことはあるかしら?』

「ごまんとあるが」

『それよ。こうなりたいなーとか、こうだったら良かったのにっていう思いが分離思念体の元なのだけれど、普通ならそういう思いは思念体になる前に行動に移されるから思念体にならなかったり、思念体になっても本人に憑依する憑依思念体として発生するから、決して分離思念体にはならないの』

「まぁそうだろうな。憧れから成る思念体なら、嫉妬だのなんだのになるはずだ。嫉妬が発生源自身になんて向けられるわけがねぇ」

『ええ、だから分離思念体と憑依思念体はある意味においては別物なのだけれど、確かに憧れから成る思念体よ。彼方はラブコメも見る?』

「雑食系のヲタク舐めんな。ジャンルで選り好みはしねぇ主義だ」

『流石パパの子。立派な心がけよ』

 いや、こんなことで褒められても……。つうか親父を話に出すな。

『でも、彼方が普通の、バトルとかが無い当たり前の高校生が送るラブコメに憧れて、その主人公みたいな生活を送りたいって思っても、無理でしょ?』

「……そりゃそうだな」

 当たり前だ。俺にはお勤めたらいうくそみたいな仕事がある。この時点で、普通の高校生にはなりえない。まぁそもそも主人公を任せてもらえる性格じゃないんで、そこはちゃんと弁えてますよ?

「絶対に叶わない憧れが思念体になった場合は、ただのありがちな嫉妬だろ」

『ちゃんと嫉妬になってから思念体が出来たなら、そうなるわね』

 意味深な区切り方をされた。自然と眉に力が込もる。

「どういうことだ」

『彼方は、自分から出た思念体と戦ったじゃない? あれが独立能動型っていうのは解るかしら』

「そこは解るが……いや、話繋げろ」

 若干頭が痛くなってきた。

 が、母さんはそこで軽く笑った。

『絶対に不可能というわけでは無かったはずの願いがあった。なのに取り返しのつかない失敗をしたせいで願いは実現不可能になった。――その、自分には不可能になってしまった理想を実現してみせた他人を見て、いいなぁと思った時点で発生した独立能動型の思念体。それが分離思念体よ』

 つまり、憧れが嫉妬へ変わる前に、感情が感情の末路へ辿り着く前に発生した、先急いだ思念体、と、そういうことでいいのか?

 思念体が発生するには、それなりに強い思いが必要だ。それなりに強い思いになるには、それなりの月日が要る。

 その月日を要するまでもなく、発生した思念体。

 疑問を抱いて黙った俺に反して、母さんは続けた。

『成功した人を見て、自分もああなっていたらって考えちゃうのは、その成功を目指してた人なら、多分普通のことよね? だから人は「成功した場合の自分」を妄想する。その「成功した場合の自分」が、独立能動型の思念体になるとどういうことが起きると思う?』

「その独立能動型ってのとは一回しか当たったことがねぇから解らん」

『問題よ。考えてみなさい。正解したら今日の晩御飯はお寿司にしようかしら』

「今すぐ考えよう」

 さて、集中タイムだ。もう一働きしてもらうぜ俺の思考さんよ。

 独立能動型。これが味噌だろう。独立能動型は発生源である人間をベースにして作られるが、その思考を独立させたやつのことだ。

 俺の場合は、『謝りたい自分』と『謝りたくない自分』で戦う羽目になった。めちゃくちゃ噛み砕けば『謝りたくないと思う感情』が思念体となり、俺に楯突いたのが原因。

 その原因が、『失敗した自分』と『成功した自分』になると何が起きるか。

 俺だったらどうだ?

 例えばだ。

 例えば俺が、魔心導師のお勤めから解放されて、なおかつ一生働かなくて済む未来が実現可能だとしよう。宝くじでも当ててみるか。ロト6だ。ロトが当たれば毎日うはうは。なんたる素晴らしい日々だ。よし、妄想完了。

 だが、ロトが当たらなかったせいで、妄想じゃないほうの俺は魔心導師として働き続けている。

 宝くじが当たらなかった俺は、宝くじを当てた妄想内の俺をどう思うか。

 まず俺は、『どうして抽選番号がずれてんだよ!』と文句を言うだろう。『抽選番号さえ当たっていれば……!』と嘆くだろう。んで多分誰かに八つ当たりする。

 なら、誰に八つ当たりする?

 候補が居ないなら適当なやつに当り散らす。

 だが、もう一度例えば。

 例えばすぐ近くにその宝くじを当てた人間が居たとしたら?

 俺はきっと、その宝くじを当てたやつの愚痴を言ったり内心で毒を吐いたり場合によっては直接八つ当たりするだろう。

 これがクズたる俺を例えに出した場合の『成功者』と『失敗者』だ。『失敗者』は『成功者』に攻撃しようとする。

 では、俺が『成功者』の立場なら?

 俺が『成功者』であるならば、きっと俺は『失敗者』となった俺なんて想像もしたくないと思うだろう。想像したくないが、『失敗者』が現実である以上、常に目の前に突きつけられている。

 想像もしたくないのに見せ付けられた場合、『成功者』の俺は、『失敗者』たる俺を消したいと、そう願うだろう。こんなのは俺じゃないと、拒絶することだろう。

 神田川弘毅は『失敗者』だ。

 なにに? おそらく人間関係の構築に。より細かく言えば、愛野茲菜との繋がりに。

 失敗した神田川は、成功した神田川を妄想し、思念体として作り上げた。

 そうやって誕生した『成功した神田川弘毅』は、何を思うだろう。

 成功して愛野茲菜との人間関係の構築を遂げる事が出来た神田川のすぐ近くに、失敗した場合の神田川弘毅が居たらどうなるだろう。

『成功者』たる神田川は『失敗者』たる自分をどうしようとする? もし、今の俺の方程式が当てはめられるのなら、答えはひとつだ。

 さらに、神田川から発生した思念体。あれが使った能力が証明となる。おそらく、この回答で間違いは無い。

「思念体が、本人を消そうとするのか」

 随分と考え込んだ気はするが、電話の向こうから柔らかい笑い声と、それに続く『今日はお寿司ね』というファンファーレ的台詞が聞こえた。

『分離思念体。彼方には解りにくいような言い方をしたけれど、海外だと有名な逸話みたいなものになっているわよね。簡単に表現すれば、自分自身を消したいという願い。そこから生まれた思念体』

 なんてことを笑いながら語ってんだ、と思ったが、そういやこいつは俺の母だ。俺と似てるなら、多分あれだ。冗談にでもしなきゃやってられん、みたいなやつだろう。

 流石に不謹慎だと気付いたからか、母さんは笑うのを辞め、しかし取り繕うような柔らかい声でもって、こう言った。



 ――またの名を、ドッペルゲンガー。



 音量はいじってないはずなのに、その言葉は妙に、鼓膜を強く刺激した。
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