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ある魔心導師と愚者の話 作者:藤一左

《禍根の瞳》編

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第十九話『遺恨の寿命~後』

「ほんと、兄を見捨てるとか、お前もなかなかクズだな」

 流石俺の妹だよ、ほんと。そう毒づきながら、なんとか立ち上がる。隣で不安げに目を見開いている愛野の頭に掌を乗せる――ふりをして、その頭を支えにしてやった。俺もなかなかにクズだ。

「クズでいい。兄上が変わらないでいてくれるなら、今のままで居てくれるなら、それでいい」

『はっ』

 外で待ち構えている思念体が、春香の言葉を聞いて笑った。

『そのクズな妹こそ、お前がずっと守り抜いてきたもんだろう? お前が唯一守りたいと思えるもんだろう? お前が唯一、話しても不愉快にならないし、気を許せる相手だったろう?』

 その言葉は俺に向けられていた。

「ばっかお前、それどこのシスコンだよ。ちげぇよ。今まではただ、春香しか話すやつが居なかったってだけだ」

『今は違うみてぇな言い分じゃねぇか』

「違うだろうが、どっからどう見ても」

 ちゃんと話してるじゃねぇか、愛野とか、愛野とか、愛野と。あ? なんだろ、あんま変わらない気がしてきた。

『妹守るのが精一杯の甲斐性無しが、随分と粋がるじゃねぇか』

「守ってた覚えは無いんだがな」

 開戦前にそんなやりとりを交わす。俺自身と話す事が、まるで今まで知らなかった自分を教えられているようで、知らんフリしてた事を諭されるようで、どこか心地よかった。

 ふと、誰かが俺の裾を掴んだ。横目に確認する。春香だ。

「変わらないで」

 俺と似て鋭い目つきのはずなのに、顔のパーツの関係からか、どこか弱々しく見える春香の瞳。潤んだ上目遣い。可愛らしいと思ったのは俺の優しさ? それとも俺ってば実はドSだった? 違うな、ただのシスコンだよ、俺は。

「変わるかどうかはさておき。帰ってくるから、安心しろ」

 言いながら、愛野が握っていた俺の木刀を受け取る。

 そして、物置から出た。

 俺は再び、俺自身の思念体と向かい合う。

「おぼつかない足取りで、素敵なラストダンスと行こうぜ」

 痛みを無視しろ。後の事なんて考えるな。今は、あいつを、過去の俺を倒す事だけに専念しろ。

『ああ、第二ラウンドだ』

 思念体は縁太刀を握り直し、一気に、距離を詰めてきた。

 横一線に木刀を振るう。思念体は屈んでそれを回避した。さらに距離を詰めてくる。俺は足を滑らせるようにして、水面蹴りを繰り出そうとする。思念体が軽く上に跳んだのが見えた。いや、そうなるのは解っていた。

「馬鹿が」

 水面蹴りを中断。いや、最初からこの水面蹴りを最後までやるつもりは無かった。

 水面蹴りと見せかけて踏み込んでいた足に力を込めて、俺のほうかから前に踏み出す。

 そして、振り切ったと見せかけていた木刀で、突きを繰り出した。

 木刀の先端は真っ直ぐに思念体へ向かい――しかし、縁太刀で弾かれた。

 ジャンプしていた思念体の右足が、その蹴りが、俺の胸に炸裂した。衝撃が走り肩にまで痛みは響いた。だがそこで踏ん張り、後退はせず、蹴り出されたその足を抱きかかえるようにして掴んだ。

 思念体は左足で着地する。だが、片足は俺の手の中だ。

「づぁあ!」

 雄叫びと共に木刀で殴りつけようとしたその攻撃はしかし、縁太刀によって防がれる。鍔迫り合いのような状態になる。

 木刀に刃が食い込んでいくのが解った。切られるのも時間の問題かもしれない。だが、思念体は今、不安定な体制をしている。向こうが力負けするのも時間の問題だ。

 ぎり、ぎり、と削れていく木刀。

 押し切れないのか。木刀が悲鳴を上げるのが先なのか。

 そう思った矢先。

「らぁぁああああ!」

 甲高くて投げやりで、それでいて馬鹿みたいな掛け声と共に後ろから愛野が飛び掛って来て、俺が押す木刀をさらに押し込んだ。

 愛野の重くない体重が乗った木刀はさらに思念体を追いやり、そして、縁太刀を凌いで思念体を打っ叩いた。

「しゃあ!」

「な、なにやってんだお前!」

 握り拳を作る愛野に、俺まで驚きながら叫んでしまった。思わず痛んだ肩を押さえる。止血の意味は無くなって、ぐちゃりと血の感触がした。

 愛野は耳を真っ赤にしながら、俺から目を逸らし、思念体を睨む。

「あんただけの問題じゃないんだから、出来る事は私もやるわよ」

『っち……そう来るかよ……』

 縁太刀を地面に突き刺し、よろよろと立ち上がる思念体。そいつは悪態を吐くようにして続けた。

『変われ変われと五月蝿(うるさ)い馬鹿め』

 恨むような口調。鋭い目つき。流石俺だ、なかなか怖いじゃねぇの。

「馬鹿で結構。つーか、俺は元々馬鹿だろう」

 そう返すのがやっとだ。はは。情けない。

『変化は未知だ。未知は偶像だ。偶像に縋る愚かな馬鹿め』

「うっさいわよ! ねちねち過去ばっか引き摺るほうがよっぽど馬鹿よ!」

 子供じみた抵抗を見せる愛野。ぶっちゃけ、俺はどっちにも加勢出来ないですわ。未知は偶像。なるほどそうだ。納得してしまった。

『知らぬが仏と誰かは言った。なればこそ知る事は地獄だ』

 嫌いじゃない逆説だ。だが、あんな毒は説得に失敗したやつの悪あがきだ。その程度の事でしかない。

 ……本当に、そうか?

『故に未知は恐怖だ』

 違う。

 これは、詠唱だ。

 あいつには使えないと決め付けていた詠唱。

 気付くと同時に、俺は駆け出していた。

『して尚も邁進せんとする馬鹿に無情なる鉄槌(てっつい)を』

 使えるのか? まさか、思念体が詠唱を? 今まで使わなかったのはこの時のためのブラフ? 馬鹿な。それでどうするつもりだ。思念体を攻撃するための術で、俺達に何をするつもりだ?

 なんにせよ、止めなければ。何かまずい事になる。

「させるかっ!」

 とにかく駆けて、そして、木刀を突き出――



『未知へ挑む蛮勇に、地獄の恩寵(おんちょう)をくれてやる!』



 ――間に合わず、砂利が舞った。

 足元が浮き上がる。体勢が崩れる。

 すぐそこに思念体が居る。その思念体の詠唱によって巻き起こされた何かによって、手を伸ばせば思念体に届く場所で、俺は無防備な状態になった。

 罠だったのだ。詠唱そのものが危険だったんじゃない。詠唱は一環して思念体にしかダメージを与えない。

 それでも、足場を崩す程度の事なら、もしくは、詠唱で遠隔操作した物質でなら攻撃出来るのだ。

 そうして防御不可になった無防備な俺目掛けて、縁太刀の刃が振るわれた。

 顔ではなく、身体に、横腹から肩にかけて刃が抉る。鮮血が舞う。大量の返り血が思念体にこびり付く。

 完全な、完璧な致命傷を受けた。

 なす術なく、受身も取れず、俺はそのまま地面に落ちた。

 動けない。

 距離を取る事も、逃げる事も出来ない。ただ、うつ伏せに蹲る事しか出来ない。

 そんな俺の髪を掴んで、思念体は俺を起こした。

「大光司!」「兄上!」

 悲鳴のような二つの声が重なる。

 だが。

『来るな。殺す気は無い』

 と、思念体が制した。

 殺す気は無い? 馬鹿が、これ、致命傷だぞ。

『勝負あったな』

 目前で、思念体の顔が、返り血で真っ赤に染まった思念体の顔が、感情の一切を捨て去った『俺』が言った。

『こんまんま眠れ。次にお前が病院で目覚めた時には、俺はお前に戻ってる。そんだけだ。お前が愛野を心から突き放すようになって、お前は退院して、今まで通り孤独で、ずっと独りで、惰性で作業的にお勤めを果していく。誰にも感情移入せず、淡々と人の心を踏みにじれるようになる。そんだけだ』

 簡単に言うもんだ。事実、簡単な事なのだろう。俺は、今まで通りを取り戻すだけなのだから。

『心なんて最低限ありゃいいんだよ。必要以上に背負うもんじゃねぇ。守りたくもねぇもんを守り続けるためだ。今更希望なんて抱くな。そっちのほうがずっとラクだ』

 そういう安寧で安泰な将来が待っている。それだけの事だ。

 将来の事を語るなら、それで片は着く。

 だが。

「そんだけ、まぁそんだけなら俺は、構いやしねんだがよ」

 苦し紛れの息で、そう言い捨てた。

『あ?』

 眉を潜める思念体。

 俺は言い捨てる。

「――お前だけはなんとしても、倒さないといけない気がすんだわ」

 そして。

『っづ!? づぁ』

 途端に思念体が嗚咽を漏らして、俺の頭を手放した。

 俺は再び地面に倒れる。だが、代わりと言わんばかりに、思念体もまた、地面に膝を着いて蹲る。

『っ……! てめぇ、な、なにをじだぁっ』

 苦痛に悶えて自分の身体を引っ掻き回しながら、思念体が叫ぶ。

「……木刀と、体術と、詠唱以外に、お前に対する攻撃法があるか」

 嫌味を込めて言ってやった。

『馬鹿がっ。お前の攻撃は、俺には、届いてない……っ、詠唱だって、今はしてないはずだ!』

 嗚咽と共に吐き出される言葉。俺は、もう力の入らない手に木刀を握り直し、立ち上がるためにおぼつかない足を踏ん張らせる。

「詠唱なら、さっきしただろうが」

 木刀を支えにして立ち上がる。しかしバランスが取れずにまた倒れかけた。

 それを、後ろからいくつかの手が止めた。

 横目に見ると、唇を噛んだ愛野と、俯いた春香が、俺を支えていた。

『さっき……さっきだと……? だが、それは、参道の砂利に……』

「なに言ってんだ、お前」

 二人に支えられながらなんとか立って、木刀を強く握る。

「砂利に詠唱なんてかけてねぇよ」

 震える腕をなんとか上げて、木刀を振りかざす。

『なにを……っ』

 なにを言っているんだ、と言いたいのだろうが、痛みに耐えかねてか、思念体はそれ以上の言葉を紡がなかった。

「俺が詠唱をかけたのは、砂利じゃねぇ。自分の血だよ」

 参道の砂利を動かしてたんじゃなく、砂利に付着した自分の血を動かしてただけだ。たったそれだけのトリックだ。

 そしてこいつには、思念体には今、大量の俺の血が付着している。詠唱で遠隔操作可能になった俺の血がこびりついている。それで締め付けている。たったそれだけの事だ。

『ちっ、しくじったなぁ』

 俯く思念体。

『負け……か』

 俯いたまま動かなくなり、どこか不自然な沈黙。

 そして。

『っつ…………。ああ、なるほど、そういうことだったのか』

 思念体が抵抗を辞めた。抗う事を辞めて、痛みを受け入れて、脱力する。脱力して呟く。

 潔く諦めたのだと、そう思った。

 だが、蹲った思念体は突然、

『くは、ふははっ、ははははははははははははははあ!』

 嗚咽も忘れて、笑った。嘲笑でも哄笑でも無い、自暴自棄な壊れた声。

『なぁ大光司彼方ぁ、お前は俺が、独立能動型の思念体だってのはもう解ってるよなぁ』

 粘っこい口調で、顔も上げないままで思念体が言う。

 発生源と密接に繋がっていながら、発生源とは異なる意思を持った思念体。それが独立能動型だ。俺という発生源と密接しておきながら異なる思想を掲げている時点でもう確定。今まで戦った事が無いため前例も無いが、そこは断言出来る。

『俺はお前から切り離されたお前の一部だ。んでなぁ、今んなって、今更んなって、ちょっと面白い事実が発覚しやがった』

 気が触れたのか、と、眉を潜める。

 構わず留めを刺そうかとも思った。

 だが、木刀を振り上げようとした瞬間、思念体の背中が急速に膨張した。

「!?」

 足取りがおぼつかない、なんて言っている暇も無く、愛野を突き飛ばし、バックステップする。衝撃が肩に伝わったせいで上手く着地出来ず、屈み込む。

 そして何が起きたのかを確認すると同時、瞬間的に吐き気を覚えた。

 さらに後方から、声にならない春香の嗚咽と、右隣から、愛野の悲鳴が鼓膜に触れる。

 俺だってそうしたいところだ。叫びたい。吐きたい。

 思念体の背中から腕が生えて蠢
うごめ
いている。

 思念体の身体よりも三倍は大きい、腐ったような灰色の腕が二本。

『こいつに見覚え、あるよなぁ』

 そして顔を上げた思念体の顔が変わっていた。基本は俺と同じ顔だが、その目が、左目がおかしくなっている。瞼が溶けて無くなって、眼球がむき出しになっているのだ。その眼球は、まるで独自の意思を持っているかのようにギョロギョロと回っていた。

 きもちわるいとか。こわいとか。春香と愛野はそう思っただろう。だが俺は違った。思念体の言う通り、俺はそいつに見覚えがある。

 小学校の教室を赤く染めたあの事件。その理由となった思念体。それと同じ腕。同じ瞳だ。

『おかしいと思ってたんだよ。どんなクズになったって、あの事件が頭から離れることが無かった。クズになりゃ罪悪感なんざ覚えずに済むはずだったのに、どんな徹底しても、脳にこびりついて離れない、呪いみたいになってやがった』

 思念体が起き上がろうとしたことで、手の甲にも目が生えているのが見えた。あいつはそれを見て、自分があの時の転校生と同じ状況にあると察したらしい。

『こういう事だ。あの思念体は、転校生を「周りを不幸にする力の持ち主」にするもんじゃなくて、あの転校生に近付いたやつを不幸にするための思念体だった』

 どう違うのか、俺にはよく解らなかった。それでも思念体は、這うようにして身体を起こしながら続ける。

『あの思念体を作り出した張本人達は、あの転校生に近付く俺を見て、俺に向かって「不幸になれ」と、そう祈りやがったんだよ』

「…………」

 言葉が出ない、という状況を、ようやく自覚した。なぜか、随分と長い間黙っていたような気分だった。

『現金なもんだよなぁ。自分達があの転校生にやってたことを正当化するために、あの転校生を悪者にして自分達が正義になるために、誰かが被害者になる必要があった。その被害者はクラスの刺された連中でも、転校生本人でもなく、俺だったわけだ』

 おぼつかない足取りで、何度も倒れそうになりながら立ち上がった思念体。その手には縁太刀。背中にはトラウマ。





『――憑かれてたのは初めから、俺だったわけだ』





 クラスメート達は俺の不幸を願った。故に俺は不幸な目に遭った。だが、思念体はそんな便利なもんじゃない。大抵の願いは曲解の末に実行される。

 当時の俺にとっての不幸。守りたいと思ったものを守れない不幸。誰も彼もが不幸になった事件の、その責任が俺にあるという不幸。

 クラスメート達が抱いた『大光司彼方を不幸にしたい』という思念体はそれを実現するため、クラスメート達を不幸にしたのだ。それこそが、俺にとって最大の不幸だと察知したがために。

「『なんだよ、それ』」

 俺と思念体が、声を揃えた。俺は呆然と、思念体は苦しそうに、しかし同じトーンで同じ言葉を。

 転校生が居なくなったことで消えた思念体。それは自然消滅したのではなく、俺の中に巣食っていたのだ。頭の中か、心の中か、はたまた違うどこかかに隠れていたのだ。ご丁寧に自然消滅もせず今まで憑き続けていたのだ。

 それが、俺の一部を切り取って生まれた目の前の思念体と同化した。融合でも合体でもなんでもいい。どっちだっていい。

 曖昧な存在故に例外のほうが多いとさえ言えるのが思念体だ。そういうこともあるらしい。

『戦う意思も、前提も、なんもかんもが間違えてたんだよ』

 思念体の台詞と、全く同じ事を考えていた。

『もういいじゃねぇか。これで充分解ったろう。誰かに感情移入して誰それを助けたいなんてろくな感情じゃねぇ。お前が守りたいと思ってたもんは――あの転校生が言った希望はただの偶像だったんだよ。ただの奇麗事だったんだ』

 なんにせよ、哂うしかない。目前のそいつは諦観交じりに、そして俺は呆れ混じりに笑う。

 なんてひどい結末だ。なんて最悪な幕引きだ。

 こんな世界のために戦っていたのかと思うと、恥ずかしくさえ思えた。

 もういいだろう。その通りだ。

 全身も限界まで痛むし、もう根を上げても構わないはずだ。

 守りたいもんはこれで無くなった。戦う理由は綺麗さっぱり消え失せた。これからは正々堂々、春香を魔心導師にさせないため、という大義名分を掲げて、それだけを頼りにやっていく。

 ありもしない結末の続きを夢見るのは、もうやめだ。

『これで、バトル終了だ』

 思念体が一歩、俺に近付く。

 抵抗に意味を感じず、膝を地面に落とそうとした時だ。

「た、たた、大光司!」

 不意に、俺の腕に何かが巻きついた。

 突然の事に視線を向けてしまう。思念体から目を逸らしてしまう。

 そこには、俺の腕に抱きつく愛野が居た。

「……離れろ」

 言うが、愛野は首を横に振る。そして、いつの間にか掠め取られていたらしい木刀を、愛野は強く握る。

「私が時間稼いであげるから、その間に、怪我、なんとか、して」

 震えた声でそう言う愛野。ああ、確かにそうでもしないとまともに動けない。

 でも、

「無茶言うな。戦えもしねぇくせに」

 言いながら、木刀を取り上げようとする。愛野はその手を振り払って、

「いいから!」

 と、声を裏返らせ、俺に背を向けて、思念体を向かい合う。異形の化け物と向き合って、木刀を構える。

 怖いのだろう。怖いが無理して立っているのだ。声だけでなく足も震えている。

 そんな頼りない姿なのに、非力なくせに、それでも愛野は胸を張る。

「あんたらが何話してるのか全然わかんないけど、大光司は助けた覚えは無いとかって何回も言ってるけど、でも! それでも大光司は私を助けてくれたの! 諦めかけてた日常を取り戻せたの!」

 何度も何度も声を裏返らせながら、取り繕おうともせずに続ける。

「私は大光司に助けられたの! それが、思念体を倒さないといけないって事情があって、そのついでだったとしても、私にとって大光司は正義の味方なの!」

 目前の恐怖のせいだろう。か細い声は今にも途切れそうだった。

 そのか細い声でもって、しかし、





「大光司は、正しい!」





 はっきりと、そう言った。

 俺も、思念体も、何も出来ず、何も言えずに居た。

 きっと同じことを感じている。

 正しいと。そう言ってくれる誰かと出会う事を、願った少女が居た。

 その非力な願いの結末は、散々なものだった。

 状況は同じのはずだ。真っ赤な教室で描かれたあの悲劇と、寸分違わぬ状況のはずだ。

 なのに、景色はこんなにも、美しかっただろうか。

「……………………」

 言葉が出なかった。

 そうか、これか。

 あの転校生は、これのために、堪え続けようとしていたのか。

 これこそ、あるはずが無いと断じていた、とある悲劇が示したかった本当の結末。

 たった一言だってのに、報われたような気分になってしまう。

 成る程確かに、苦難に堪えるだけの価値は、あるかもしれない。

「愛野、もういい」

 俺はそう言って、愛野の肩に手を置く。

「よくない! 私はっ」

「いいんだ」

 最後まで言わせず、愛野を俺の背中で隠れるところまで引っ張る。

「聞いたか、陰湿野朗」

 と、身体中から目を生やし、立ち尽くすそいつに言う。

 そいつは目を閉じて答える。

『ご都合合わせ感が尋常じゃねぇな』

 嫌いじゃない皮肉に、俺は笑った。

「なにせ都合の良い女だからな」

 それで、と言いながら、俺は自分の血が付着した砂利達を浮き上がらせる。

「で、どうすんだ。毒は抜かれたと思うが」

『だな。なんかやる気が削がれちまった』

 だとかほざいてるくせに、思念体は突撃の姿勢を取った。

『最終ラウンド。ちゃんとやれるか、根暗ぼっち』

「確認すんなら手加減しろよ」

『そいつは無理だ』

 今も着々と、思念体の身体からは無数の目が生えている。呪いじみた憑依が進行している。

 あれは俺の過去だ。俺のトラウマだ。

 今ここで消す必要がある。そう、俺と、俺から産まれた思念体は満場一致で新たなる結末を望んだ。

 だから俺はあの思念体を倒す必要があり、思念体は倒される必要がある。

 それも、出来レースなんかではなく、ちゃんとしたぶつかり合いでなければ意味が無い。

『行くぞ根暗ぼっちクズ野朗。……俺を倒してみせろ。ちと無理難題か?』

「よゆーだっての、陰湿ネガティブ糞野朗。ふるぼっこにしてやる」

 そして、思念体が駆け出し、それを遮るため砂利が嵐となって立ちはだかる。

 全ての飛礫が命中する。それでも構わず思念体は突っ込んでくる。止まらない。止まらない。止まらない。

『この程度かあああああ! 失望だなぁぁああ!』

「んなわけあるか、ざっっっっけんなぁぁぁぁぁぁああああああ!」

 灰色の腕が目前に迫る。全ての血と操作出来る砂利を総動員して妨害し、そして、鼻先数センチの所で、巨大な腕が止まった。

『豆腐みてぇな壁だなぁ! ぶっ壊すぞいいのかぁあ!』

「かっ! 豆腐も越えらんねぇお前はどこの羽虫だぁ!?」

 背中に、掌の柔らかい感触がした。愛野の手だとすぐに解った。なんで逃げてないのこいつ。馬鹿なの死にたいの?

 ジリ貧。今にも突破されそうだ。突破される前に押し潰さなければ俺の負けだが、今のままでは攻撃力が足りない。このままでは負ける。

 きりきりと目の裏が痛み、視界がぼやけ、呼吸している気が薄れていく。典型的な失血による酸欠症状。時間は無い。

 だから俺は、最後の最後で賭けに出た。

「思念残滓、名ヲ未浄魂。重畳短鎖、其ハ血肉無キ命也!」

 詠唱を唱えながら、俺の血が付着した砂利と、辺りに散らばった俺の地の全てで、思念体を包囲する。密着させる。

「――命鍾!」

 そして全ての血を、毒に変える。

 本来ならば弱い思念体にしか効かない術。

 だが、これだけの血を、一点に集中させれば話は別だ。と、思う。

 やったことが無い。前例が無いため核心も無い。だから賭け。もしも毒が効かなかったら俺は負ける。

 砂利の操作に使っていた血も毒に変えたため、操作が利かなくなった砂利達が雨粒のように落下していく。

 しかし、邪魔が無くなったはずの思念体――過去の俺は、突進してこなかった。

 攻撃の代わりに放られたのは、言葉だ。

『ちっくしょう、なんつぅ綱渡りしてやがるんだ、馬鹿』

 びし、と、頬に割れ目を走らせながら過去の俺が言う。

「成功したんだ。文句はねぇだろ」

 賭けには勝った。これで俺の勝利。完全勝利だ。

 さて、いったいどんな負け惜しみが聞けるのかな、と、哀れな自分を、過去の俺を見下ろすと、

『解ってると思うが、守らないといけないやつってのは、増えるとめんどうだぞ』

 その言葉は、いっそ気持ち悪いと思うほどに、柔らかかった。なんだ、皮肉タイムは終了か。ちょっと楽しくなってたのに。

「解ってるさ」

 俺は答える。

『ちゃんと守れんのか』

 執拗に確認してくる過去の俺。まじでしつこい。

「よゆーだっての。守ってやるさ」

 そうは答えるが、過去の俺はまだ不服そうだ。

『お前はまだ弱い。ちゃんと自覚してるか』

「ああ、解ってるよ」

 だからしつこいっての。お前は親父か。

「全部を守る力なんざ俺にはねぇし、そのつもりもとうの昔に失くしてる。――手ん中のもん一個をしっかり守れって、そう言いたいんだろ」

 流石にもう立っていられなくて、落ちるようにしてその場に座り込む。すると、後ろの愛野が支えてきた。おかげさまで余計な痛みを増やさなくて済んだ。砂利の上に膝を置くのって結構痛いんだわ。

「やれるだけやってみるから、お前はもう休め。一人で戦うのは、もう疲れたろう」

『……そうだな』

 毒に犯されて身体中にヒビを入れながら、それでもそいつは笑う。

『……信頼出来ないから不安だが、敗者はおとなしく消えるとするよ。あとは任せた』

 そう最後に言い残すと、ヒビは全身に広がり、砕け散り、光の粒に姿を変えた。

「信頼出来ないって、俺を誰だと思ってやがる」

 その光の粒がひとつひとつ消えていくのを見届けながら、小さく呟く。

「誰でも、ねぇよ。……てめぇ、だろうが」

 光の消失を見届けるのと、俺の意識が途絶えたのは、ほぼ同時だった。
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