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羊の群れ 03 ラウル


 ラウルが初めてめにする新しい使用人や雇われ行商達が、他の支店に比べてずいぶん狭いように感じる荷上げ場に集まっていた。
 もちろん「お初にお目にかかります」から始まる挨拶と顔合わせのためである。
「……この度のご厚情、我ら一同、心より感謝いたします」
 元マニル・サンデラ商会、帝都支店の支店長をしている男の挨拶であり、それに合わせて集まっていた者たちが一斉に頭を下げる。その態度にも言葉にも、湧き出るような真情がこもっている。
 それはそうだろう。
 ハイズリー男爵家の没落に連鎖して倒産したマニル・サンデラ商会を買い取り、路頭に迷うところであった彼らを救ってくれたのだから。
 もちろんラウルも慈善事業(という言葉は無いが)で行っているわけではないため、それなりの利益を見込んでの亊である。
「なにを他人行儀な。我らは既に多頭同心(ネルの言い回し。多頭は元は頭がいくつもある伝説の神・怪物の名前)であろう。いわば血族のようなもの、これからは力を合わせ、この帝都で生き残り、発展してゆかなくてはならないだ」
「心強きお言葉。我ら帝都のレダパルタとして、真心にてお仕え致します」
 うむ。頼む。そう言ったラウルが鷹揚に頷き、一人一人に視線を送ると、適当な間をおいて男が声を上げ、集まっていた人々をそれぞれの仕事に戻るように指示して、新たな主を会頭室へと案内する。
 その言葉と行動の全てを注意深く観察していたラウルであったが、この男には文句のつけようがなかった。
 ちなみにこの男、元はなんでもハイズリー男爵に仕える騎士だったのだという。
 それが男爵に嫌われたとかで騎士位を剥奪されて、自由戦士として傭兵紛いの生活をしていたのだが、恋女房との結婚を期に騎士への復帰をすっぱりと諦め、商人となったらしい。
 おそらく男爵に嫌われずに騎士のままであったら、ハイズ戦役の際、他の多くの騎士達同様死んでいた可能性が高いわけで、ある意味運が良い男であると言えるだろう。
 ただし、騎士の道を諦めたからといって、いきなり商人として成功できるわけもない。
 その後の道も決して平坦だったわけではなく、商人となって最初の交易の時の亊。
 なけなしの金を叩いて、せっかくチルで購入した高価な軍馬三頭を、帝都に運ぶ途中の山中で、二頭までもを山賊どもによって奪われ、妻を抱えて命からがら逃げたのである。
 二人に残されたのは、乗って逃げた一頭の軍馬と愛用の剣が一振り。
 そのまま行き倒れに近い形でマニル・サンデラ商会の商隊に拾われた。
 ここで普通なら、夫婦で商会に雇われ、下働きからはじめて――云々。となるところなのだが、それで終わらなかったのがこの男である。
 商隊に妻を預けて単身山賊達のねぐらに乗り込み、一〇人近い荒くれ者を切って倒すと、自分たちの荷物や二頭の軍馬。山賊達が溜め込んでいた家畜や財貨を持ち帰ったのはもちろん、その地の領主から山賊退治の報奨金まで貰うと、命を救われた礼だと、三頭の軍馬と自分たちの荷物を除いた残りの全てを、商隊を率いてた隊頭のイレールに差し出してきたのである。
 これを知ったマニル・サンデラ商会の会頭ジュール・レイノーは、その腕と人柄にいたく惚れ込み、最初は商会の護衛隊の隊長として、断られてからはなんと帝都支店の支店長として、熱烈というのも足りないほどの勧誘を行い、ついに男が折れたのである。
 とは言え、当時の男に帝都の支店を預かるほどの知識も経験もあるわけもなく、実際の業務は部下として付けられた六人の行頭(部門=行、の頭)が取り仕切った。
 そしてそれが大当たりだったのである。
 元々兵を率いる騎士であった経験ゆえか、小さいながらも領地を預かっていた経験ゆえかはわからないが、それぞれ得意とする分野に配された六人の部下達を上手に使いこなして、半年もしないうちに売上を倍にするほどの勢いをみせ、それでいながらその男本来の人柄か、人から恨まれるような事もなかった。
 流石にハイズリー男爵家滅亡に伴うごたごたの間はかなりの損失を記録してはいたが、純粋に帝都の支店の売上だけをみれば、僅かなりとも利益を出していたのであるから大したものである。
 しかもマニル・サンデラ商会の倒産が確実となった時にも、一人の離反者もださずに支店を守り、引き継ぎのために訪れたクレマンに対して自身の進退については一言も口にする亊なく、使用人達を継続して使ってほしいとだけ言ってきたらしい。
 クレマンはもちろん、ラウルにとっても否やは無かった。
「改めてご挨拶いたします。支店長に留任していただきました、マティアス・ジルベールと申します」
 うむ。と皮張りの立派な椅子に座って頷くラウル。
 エリ・スクル(正午)までには二クーア(二時間弱)ほどはあるだろうか。未だ朝の日差しの残る時間帯であり、予定していた会食までにはかなりの余裕があった。
 およそ一エリー(約一五メートル)四方はある会頭室に、今はマティアスとラウル、そしてラウルの腹心と言われるクレマンの、僅か三人だけである。
 マティアスにも、どうやらラウルが内々に話し合いたい亊があるらしいくらいの事はわかる。
「堅苦しいやりとりはもういいだろう。まぁ座ってくれ。色々相談したい亊がある」
「はい」
 と、そこは素直に頷き、いくつか置かれていた椅子の一つに腰を下ろすマティアス。
 座って視線の高さが変わると、日差しを遮る樹絹の白さが妙に眩しかった。
 会頭の座る椅子と机は艶のある巨大な硬木からの削り出しの逸品で、鉱樹の枝を指すための、見事な彫刻のある掛け飾り(照明用のスタンド。松明やランプやロウソク等を引っ掛けるためのフックがあったり、差し入れるための穴がある)が左右に三本づつ並び、壁面には英雄王カーティスの生涯や、神話の時代の神々を描いた壁飾りが下げられている。
 豪華で厳かで重厚な雰囲気の部屋であり、初めて部屋に踏み入れる者を、どこか威圧するような気配のする部屋である。
「聞いていると思うが、我々はアーシア人の産物を扱っている」
「はい」
 それはマティアスも聞いていた。
 見たことは無いが、話を聞く限り是非「ウチ(マニル・サンデラ商会)」でも扱いたいと思わせる商材であったのだ。
 初めてアーシア人の産物の噂を聞いた時とはずいぶん状況は変わってしまったが、帝都での販売を任せてもらえるのであれば、マティアスとしても望むところであった。
「まずはこれを見てもらおう」
 その言葉が終わるや否や、クレマンが手にしていた革の入れ物から、いくつかの小物を取り出して机の上に並べていく。
 まるで水をそのまま固めて造ったように透明感のある、ヴェレイ(ガラス)製らしい小物と、これもまたヴェレイ製らしい、小さな壷に入れられた三種類の液体。それから樹絹のようにも見える、織り目絵の無い硬くて服にするには少々着心地のわるそうな一枚の白い布と、数枚の淡い色や模様の入った布である。
「帝都での販売を任せたいと思うが、まずはこれを見た上での意見を聞こう」
 視線だけで手にとっても良いかを確認すると、座ったばかりの椅子から立ち上がり、机に並べられた品を確認していく。
 一番最初に手にしたのは、小さなヴェレイの壷である。
 どうやってこのような形に作り上げたのか、ヴェレイの製造過程を知らないマティアスにとっては魔法でも使ったとしか思えないほどの細やかな細工であったが、飾りの付いた小さな蓋を外した瞬間、その目の色が変化した。
「これは、マルゴ(葡萄から作る酒)ですか?」
 マティアスの台詞にニヤリと笑うラウル。そのまま視線と手の動きだけで他の小さな壷も確認するように促す。
 もちろんマティアスに否やはない。即座に他の二つの香りも確認し、唸り声を上げる。
「飲んでみろ」
 小さな、これもまた見事に透明なヴェレイの杯を取り出して、楽しげに言うラウル。
 壷の中身を慎重に杯へと移すと、口に含んでその味を確かめるマティアス。
 人によっては神経質にも思えるであろう慎重さで、懐の手布で杯を拭いながら三つの壷の中身を確かめたマティアスを見て、ラウルは満足そうに頷いていた。
「今公環は二〇〇クラン(この場合は酒用の壷の事)で、来公環からは一〇〇〇クランは出せる。価格は任せるから可能な限り高く売れ」
 マティアスのなんとも言えない嬉しげな笑いに頷き、さて。と、先を続けるラウル。
「次はこれだ」
 言われて指された布らしき物に目をやり、そこでようやくそれが単なる樹絹の一種などではない事に気がついた。
「これは樹絹ではないのですね?」
 一般的に流通している樹絹の大半は、もっとのっぺりとして、このように微かに肌に張り付くような感触はないし、なにより細い繊維状のものが見えているため、これが樹絹でないのは明白だ。
 かと言って、それが一体なんなのかは全く見当がつかない様子のマティアスである。
「はて……?」
 と一言呟き顔を近付けると、今度は何かが潰れるような声で唸って固まる。
 マティアスの手を止めたのは、色付きのソレの一枚である。どうやら花や草の模様が織り込まれているらしい、と見えたのだ。
 そしてそのあまりにも良い出来栄えに感心し、なんとそれが本物の草花を閉じ込めた物であると気づいたのである。
 一体どんな魔法を使っているのか! そう考えているのが手にとるようにわかる顔つきだった。。
「……それは「カミ」とか「ペーパー」と呼ばれるものらしい。絵を描いたり文字を書くのに使うそうだ」
「絵や文字? ですか?」
「書いてみればわかる。――これを使え」
 と、取り出されたのは、筆の代わりに小さな金属が先端部分に付いた、六〜七エリクスほどの棒である。
「これは?」
「「ペン」だ」
 言われて受け取り、素直に一本の線を描くと顔色を変え、そのまま円や螺旋を無作為に描いて唸り声を上げるマティアス。
「これらには全て「刻印」を入れる許可を得ている。どうだ?」
「売れます。帝都の、いや、帝国全土の商人と書記官、それから魔導士が、先を争って手に入れようとするでしょう」
「残念ながら、どれもそれほど多くは作れないらしい」
 楽しげなラウルに、再び唸り声をあげるマティアス。
「しかし、これは、一度手にしたら手放せないでしょう。私はもうパルタメナ(羊皮紙)など使いたくなくなってしまいました」
 いかにも残念そうにため息をつくマティアスに、ラウルが笑いながら言った。
「もちろん、全ての支店で使用する分は事前に確保しておく。以後商会の記録は全てこれを使う事になるからな」
「それは素晴らしい!」
「それで、お前なら幾らで売る?」
「仕入れがどれほどになるかにもよりますが?」
 マティアスは、ラウルの様子からどうやら自身が試されているらしいと気付いたのだろう。慎重に聞き返したが、示されたのは価格ではなく量であった。
 だがそれは予想よりも遥かに少ない。
「それでは支店で使うだけでほとんど無くなってしまいますが?」
「今公環(今年)だけだ。来公環にはこの倍の量を送れるはずだ」
「量が少なすぎます。この量であれば支店で使うなどあまりにも勿体ない。全部売りましょう。一枚一〇カーティス(帝国の銀貨)、いや、二〇カーティスでも売ってみせます」
 それは製本で使用される上質なパルタメナの、実に一〇倍近い価格であった。
「ただ量があまりにも少なすぎます。全く足りません。これは間違いなく売れます。せめて五倍、いや五〇倍あっても売って見せます」
 実に堂々とした、自信あふれる態度である。実際に自信があるのだろう。
「そうか。いや、そうだな。だが、もう売値は決まっているのだ。一枚一キース」
「は?」
 その表情の変化が面白くて堪らないといった顔で笑い出すラウルと、苦虫を噛み潰したような顔で二人を見ているクレマン。
「あの、申し訳ありませんが、なんとおっしゃいましたか?」
 クレマンが微かにため息をついてラウルを横目に見つめている。
 クレマンもラウルからこの話を聞いた時には、マティアスと全く同じ反応を示してしまっていたのである。
「一枚一キースだ。これ以上価格は上げられん」
 マティアスの表情がさらに珍妙なものとなり、再びラウルの笑い声が響いた。
 一枚一キースなどと、冗談にしても酷すぎる。さらに言えば、価格を下げられないというならまだしも、上げられないというのが理解できない。
「ラウル様。ご冗談にも程があります。ですが、一枚一キースというのが最低価格であると考えてよろしいのでしょうか?」
 ラウルの笑い声に、ようやく気を取り直したらしいマティアスが言うと、表情を改めたラウルが口を開く。
「いいや。約定により一枚一キース以上の価格では売れん。ついでに言えば、ネルからこの「紙」を運んでこれるのは来公環が最後だ」
 その言葉に押し黙ったマティアスの額から汗が滲んでいる。ラウルの言葉の背後になにがあるのか考えているのだ。
「……もうしわけありませんが、どうしても理解できません。それではとても商売になりません」
 まぁそうだろうな。と、顔に書いてあるクレマンと、何を考えているのか全く読めないくせに、口元の笑みだけは確かなラウルが視線
を交わした。
 微かに頷いたクレマンが、抱えていた革の袋の中から見たこともない装丁の、考えたこともないほど小さな「本」を取り出し、マティアスに手渡す。
 しばらく眺めるうちに、ようやくその「本」の見方を理解したらしいマティアスが、この日、すでに何度目になるかもわからない微かなうめき声をあげる。
 精密な構図で可愛らしい絵がびっしりと書き込まれ、さらに無数の数字が並んでいるだけの本であった。
 最初は戸惑ったマティアスではあったが、見方さえ理解できればこれほどわかりやすい本など他には無いだろう。
 ものすごい速度でページを捲り、時々考えては唸り声を上げ、さらにページを進めてゆく。時折前のページを見返してみたりはするものの、その様子から内容については理解しているらしいと判断できる。
「……これは――!」
 最後まで読み進めた上で、一番最初にもどって一言呟き、今度はじっと押し黙るマティアス。
「お前の仕事は、この紙を売る事ではない。それは理解したか?」
 再びマティアスの唸り声。
 まるで獲物を狙う肉食獣のような目でラウルを見返し、一瞬だけクレマンに視線を送ると、瞳を閉じていつの間にか荒くなっていた呼吸を静めるマティアス。
「ラウル様。一度私も里帰りして見たくなりました」
 その台詞に吹き出すラウル。一頻り笑ったラウルが咳払いする。
「そうだな。一度里帰りしてみるのも良いだろう。だが、少なくとも向こう三公環は無理だと思うぞ?」
「……この内容が本当だとして、紙の商行だけでも、二公環でアスフォート一〇〇〇枚」
 マティアスの台詞にニヤリと笑うラウル。
「それは売上か?」
「利益で」
 クレマンが眉をしかめたのと対照的に、実に楽しげに笑いだしたラウル。
「いいだろう。マティアスよ、思うようにやれ。お前がそれを実現したら、来公環の利益の一割はお前のものだ」
「それと半公環の休暇を」
 笑い声がさらに大きくなる。
「いいだろう。資金以外で何か必要なものはあるか?」
「帝都のアーシア人を紹介していただきたい」
 ほう? と声を上げて何やら考え込んだラウルだったが、思い当たる事があったらしい。
「なるほど……クレマン。早急に手をまわせ。俺も一度あってみたいと思っていたのだ。以上か?」
「はい」
「では以上だ。あとはクレマンと話し合ってくれ」 
 即座に頭を下げて退出する二人。
 閉じた扉の向こうからマティアスとクレマンが、それぞれの部下を大声で呼びつけているのが聞こえてきた。
「……しまった。屋敷に「風呂」を設えるように言うのを忘れたか」
 と、どうやらラウルは自らの呟きが面白くなってしまったらしい。
 しばらくなんとか静めようと堪えていたが、最後は再び大きな声で笑い出してしまうのであった。




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