旅立ち 02 ラティーマ
滅多に人の通わぬ深い森の奥に、一つ一つが五〇〇〇トラン(約二トン)はあるであろう、巨大な石で造られた神殿が聳えている。
半ば土に埋もれてはいるが、地上に出ている部分だけでも八〇キッサス(およそ五〇メートル)はある巨大な四角錐の建造物。
ヴォル族の主神、デマ神の主神殿である。
普段は人気の無い、周辺に立ち並ぶ小さな神殿群――小さいとは言え、中心の神殿があまりにも巨大であるからこそそう見えているだけで、石やレンガで造られたそれらの神殿群も、人の世界にあれば十分過ぎるほど巨大な建造物である――の一つに、珍しく人族の姿が見える。
深い紺色のトーガに近い巫女の衣装に、鮮やかな水色のベールを被った女である。その姿は白い靄か霞のような物に包まれて、歩くたびにそれが渦を巻き、決して消えることが無い。
「レヴィエス様、遅くなりまして申し訳ございません」
ベールを上げてその顔を晒した女は、人とは思えないほど見事なヴォルティス(ヴォル語)を操っている。
若く見えるが、年齢を特定できるような特徴が殆どない。強いて言えば二十代の前半だろうか?
整った造りにシワ一つ、シミ一つない張りのある白い肌、夏の透き通った深い森の泉にも似た緑色の瞳と、濃い茶色の長い髪を結い上げ、白金の簪と櫛で留めている。
「ラティーマよ。遠いところをすまなんだ。じゃが、これだけはどうしても直接会って話さねばならない事でな? 噂程度は耳にしておるか?」
対するのは明るい灰色のローブのような神官服に身を包んだ、ヴォル族の男である。
老齢に近いのであろう。長い鼻の両側から白い数本の髭が力なく垂れ下がっており、その耳も今は力なく垂れ下がっている。若い頃は見事な黒と黄色の縞模様であったらしい毛並も、今は所々白く乱れている。
「……何処かで闇の魔法が使われたらしい、と」
一瞬言葉に詰りながらも、淡々と口にするラティーマ。
「そうじゃ。それが竜族によるものであれば、気にする事も無いのじゃが……」
「人が使ったのかもしれないと?」
鉱樹の枝で作られた、祝福の儀式で使われる瑞々しい緑の葉を残した短い杖を振り、唸るような声で呪文を唱えて明かりを灯すと、女について来るよう促し、神殿の奥へと歩き始める。
「あの日、お前の所でなんぞ異変は?」
女の顔を見れば答えは明らかであったが、レヴィエスは歩きながら女の答えをまっている。
「半年ほど前になりますが、明け方に突然精霊が騒ぎ出し、その後、精霊の眼で見ると東の空が明るく輝いてみえました」
足を止めたレヴィエスが俯き、苦しげに息を荒くしているのに驚き、慌てて身体を支えようとするが、その手を振り払われる。
「それは、どれほど、続いた?」
老いたヴォルとも思えないほど、その眼は鋭く、険しく光っている。
「少しづつ薄くなって、しかとはわかりませんが、六クーア(約六時間)から七クーアほどかと。それきり何事もなく、二度とは表れませんでした」
「もう、もう一つ聞く。その前後に、そちらでは、星が堕ちたり、凶星が出現したりは無かった、そうじゃな?」
はい。と頷くラティーマ。
呼吸を整え、苦労しながら姿勢を正すと、再び重い足取りで祭壇の間へと続く扉の前で立ち止まる二人。
何度も来た事がある部屋だったが、それまでとは全く違い、扉の向こうに無数の人の気配がしている。
「……大陸中から精霊の眼を持つ者が集まっておる」
ポツリと言われたその台詞に、思わず訝しげな顔になってしまう。大陸中からとは、前代未聞である。
「恐らく大陸の東の端じゃ。どこかは判らぬが、なんとしてもそれを突き止めねばならん」
「一体何事です? 闇に魅入られし者が相手であれば――」
「……事はそう単純ではないのじゃ」
ため息と共に吐き出された言葉に、それまで一度も感じた事のない怯えにもにた震えを感じて、沈黙するラティーマ。
「実はな、あの日以来、多くの神々が言葉を下さらなくなってしまっておる」
恐怖に呼吸を止めたラティーマに頷き、杖を振って扉を開くレヴィエス。
さして広くも無い部屋の中には、二〇名近い男女が座っていた。予想を遥かに上回る数の「使徒」と「送り手」達の数である。それも全員が「精霊」を身に纏った人族だ。
「場合によっては――」
緊迫した空気とざわめきの中へと足を進めながら、唸るようにして声を絞り出すレヴィエス。
「……聖戦も、覚悟せねばなるまい……」
『楽園世界』は共有世界です。
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