夜明けの風 02 ルシアス
ルシアスとユタンの一行が帝都の北部の河港で小船に乗り換え、帝都のほぼ中央に位置する運河の河岸に到着したとき、一種異様な熱狂をもって迎えられている行列があった。
河岸の桟橋から見て下流、新市街から旧市街を抜け、王宮へと至る王の道に――新市街と旧市外を結ぶ唯一の橋。運河に突き出した独立した砦のようになっている――幅一モルファ、長さ四モルファ(幅一モルファは約六メートル、長さ約二四メートル)の巨大な跳橋がある。朝と夕方以外は上がったままになっているはずのそこを、豪華な六頭立ての馬車を中心に、隊列を組んで渡る人馬の群れがあった。
それは遥か北東の辺境、ミラ・サルナ公国はハイズ伯爵の息女の、輿入れ行列だという。
もちろん皇帝の側として輿入れしてくる姫など珍しくもなんとも無い。
皇帝が好むと好まざるとに関わらず、後宮に有力貴族の娘をあげるのは、帝国の結束を強める有効な手段のひとつであり、ある程度の支出を覚悟しなくてはならないにしろ、叛かれて兵を出す事に比べれば遥かに安上がりで手堅い手法なのである。
元々貴族の婚姻とはすべからく政略結婚であり、最高権力者である皇帝ともなれば、その有効な政治的手法をたった一度しか使わないなど、国家の損失であり許される事ではない。
当然皇帝には正妃以下数多くの側が仕える事となり、皇帝としても輿入れしてくる姫としてしても、そうした事になんら疑問を抱く事は無い。
正式な側でなくとも、非公式の妾の輿入れを含めれば、毎年少なくとも数件の輿入れがある。
それが、今回に限り、かなりの民の注目を集めているのには、もちろん別の理由があった。
「なんと、せっかく輿入れが決まって、遥か辺境からようやく帝都についてみれば、そのときには故国が滅んでしまっていたってわけかい?」
「ラサルナ大公(ミラ・サルナ大公)様のお血筋の、それは美しい姫だというじゃないか、それが……なんとも哀れな話だねぇ……」
「お国が無ければ、どんな綺麗な姫だって用無しだろう?」
「一体どうなるんだろうね……?」
道々で交わされている噂話を適当に拾っただけで、どうして単なる側室の輿入れが、これほど人々の耳目を集めているのか良くわかった。
(物好きなものだな)
(主もな?)
言われた瞬間、リュカのホルバタを両手で摑んで思いっきり上下に振るルシアス。
(うるさい!)
「ルシアスさま、どうされましたか?」
ルシアスの奇行に目を丸くしたユタンが声をかける。
「いえなにやら見知らぬ虫がとまっていましたので……」
適当に誤魔化すルシアスであったが、王宮へと続く王の道を、近衛の騎士達に先導されて進む一行を見送ると、同じように隊列を見送っていたユタンと目が合い苦笑する。
「では参りましょう」
「そうですね、あぁ、忘れておりました。私は一度協会に寄らねばなりませんので、どこかで待ち合わせという形にしていただいてもよろしいでしょうか?」
よろしいもよろしくないも、この日は帝都泊まりである。ユタンはルシアスに自身の店の詳しい場所を伝えると、荷物を持った使用人達を引きつれ先にゆく。
(で、主よ? 本当はどんな用があるのだ?)
(協会に行くのは本当さ)
軽く鼻で笑うような音がホルバタから聞こえ、ため息を漏らすと、軽く伸びをして対岸を見つめる。
いつ見ても巨大な都市である。
ところどころに桟橋と立派な城門のある、高さ一〇キッサス(約六メートル)を超える巨大な城壁が続いており、城壁に立って内側を見れば、見渡すかぎり、ぎっしりと詰まった旧市街の街並みに、そこから所々突き出す何本もの尖塔や、神殿の巨大な屋根やドームが幾つも見えるだろう。
後ろを振り返れば、運河を挟んで、多少低いながらも同じように巨大な城壁が、運河に沿って延々と続いており、その内側が新市街である。
北方数リーグを流れる雄大なヴィリシア川と、帝都がある半島の根元部分を切り裂くようして造られた大運河に、新市街地を縦横にはしる小運河。目の前にあるのは、旧市街と新市街を仕切る小運河であったが、それでも幅一〇モルファ(六〇メートル)以上はある。
想像するだけで目眩がするほどの都市である。
そしてルシアスがいる王宮側の旧市街の城壁の前には、新市街が作られた二〇年ほど前に、運河の三分のニ以上を埋立て造られた、幅二〇モルファ(約一二〇メートル)もある、石畳で舗装された広場が延々と広がっており、そこかしこに船から降ろされたばかりの、大量の荷物が山のようになっている。
製粉された小麦や大麦であったり、木箱に詰められた新鮮な野菜や果物であったり、干し肉や干魚や塩漬け酢漬け、塩に砂糖、気密性の高い鉱樹の樽に入れられた蜂蜜や香辛料や、エールやマルゴー。視線を転じて川上には布や皮革や毛皮に繊維、川下には家畜や家禽に馬や騎竜や奴隷達が荷揚げされ、この巨大な都市が必要とするありとあらゆる物が並ぶ。
ちなみに新市街側にはこれほどの河岸は存在しない。
新市街を細かく縦横にはしる小運河が、よりきめ細かな荷揚げや荷降ろしを可能としているためである。
そして他にも大きな特徴として、城壁に寄り添うように、河岸に集まる商人や労働者を当て込んだ屋台が軒を連ねている。量り売り(器を用意していない。立ち飲みが基本)の酒場や、串焼きや腸詰はもちろん、野草の葉に包んだ暖かい肉や野菜の蒸し料理を売る屋台や、かなり本格的な料理を出す露天食堂、そして、簡素で小さい(人が一人入れば身動きもままならない)ながらも、壁と天井を備えた両替商達の露天に、その場で大概の補修や調節が可能な、仕立て屋などなど。
ルシアスが知る限り、彼らの全てではないにしろ、彼らが扱うのは物だけではない。それは無形の、特に魔導師達が重視している噂や秘密といったものも扱われているのだ。
「おう、魔導師。あのクソじじいはまだ生きてんのかい?」
不意に声をかけてきたのは、安っぽい青銅の小さな看板を足元に置き、これだけは真鍮の綺麗な注ぎ口をつけたエールの樽を、粗末な二輪の手押しに乗せ、古いエールの空き樽に腰掛けている男。
上等な若葉色のグリンチャの肌着に、浅葱色したフェレナのズボン。腰には飾り帯と細工の良い短剣。紺色の樹絹の上着と、赤革の前かけ。見た目三〇後半から四〇くらいの、赤い瞳に鋭い牙を持つ亜人の男。
田舎にゆけば、間違いなく妖魔か魔物として狩られてしまうに違いない風体ながら、この辺りでは知らぬ者の無い、隠れた有名人の一人である。
この街がレディエ・エステルシアなどと、たいそうな呼ばれ方をする以前から、この場所にあった小さな街で酒と情報を売り続けている。
元々は小さいながらも歴とした酒場を営んでいたらしいが、この場所が造られてからは、ずっと同じ場所で量り売りをしているらしい。
「あぁ、きっとアンタの孫より長生きするさ」
ルシアスのうんざりした様な台詞に大声で笑い、渡された金貨を見てニヤリと笑う。
「そいつはどうにもやってられないね?」
言いながら、ルシアスが手にしている皮袋と小さな鉱樹の器にエールを注ぎ、輝くような銅で作られた、大きな蓋付きのゴブレットを出してこれにも注ぐと、ルシアスにかかげる。
「クソじじいに」
「クソじじいに」
かなりの量になるはずなのだが、男はゴブレットの中身を一息で飲み干し、大きなピブップをひとつ。
「それで? 俺にこの金に見合うだけの取引が出来ればいいんだがね? おっと、そいつはなんだい? ――なんだか剣呑だねぇ?」
飄々とした気の良い中年といった気配が一瞬で消え、警戒感もあらわにルシアスの腰袋を見つめる。
(ほう、コヤツ、我の正体に気付きおったぞ?)
「……使い魔のリュカだ。あ、良かったらそのゴブレットに一杯もらえないか? コイツ、この身体でザルなんだ」
(さすがは我が主。良い心がけだの?)
使い魔と言われて、驚いた顔でルシアスと、ホルバタからひょっこり顔を出したリュカとを交互に見ると、なにやら祈りの言葉を唱え、うちは量り売りなんだがねぇ。などとぶつぶつ呟きつつ、エールを満たして足元に置く。一瞬で石畳の上に降り立つと、即座に頭を中に突っ込むようにして、エールを飲みはじめるリュカ。
「……えっと、それで?」
「神殿の忌みの原因は?」
「わからない」
「なら理由は?」
なかなかわかって来たな、と、満足そうに微笑み、笑いを隠すようにして口を隠す。
「全ての神々が沈黙した。恐らく大陸中の全ての神々が、だ」
笑いをおさめた風を装い、口から手を外すと、あっという間に空になったゴブレットの隣で、物欲しげに見つめるリュカを見て、視線をルシアスに移す。
「もう一杯やってくれ」
先にゴブレットにエールを注いで、リュカの前に置き、再びの金貨のやり取りと口元を隠した笑い。
「どうもヴォル族がきな臭い。何か知ってるようだ。使徒だか送り手だか知らんが、得体のしれない連中が、そこら中に鼻を突っ込んで嗅ぎまわってる。怖くて手は出せないがね? 正直連中とだけは関わりたくない」
(主よ、干し肉もくれ)
内心の動揺を隠して、皮袋に残っている、大人の拳ほどの干し肉の塊を咥えさせ、その様子を腕を組み、片手で無精ひげを撫でるようにして見ている男に、もう一杯エールを注文する。
「これが本題だったんだが――」
「トランティナンの祠に住み着いたって魔物なら、準備さえしていけば大したことはないぜ? 野良のガーフィだ。ちょいとなりが大きすぎるがな?」
ルシアスの顔色がくるくると変わる。
「巨大化か?」
魔物が巨大化するのは非常に珍しい。頭のおかしなルシアスの同業者や、上位の妖魔がなにかしたか、でなければ神々が直接何かしたのだ。
「中身はからっぽさ。なまじ濃いマナを浴びちまったもんだから、調子にのったんだろうよ。おかげですっかりマナが消えちまったっていうのに、その祠から出られなくなってるんだ」
なるほど、しばらく考え込んでいたルシアスだったが、今度は笑顔でお礼をいう。
「助かった。何とかなりそうだ。ありがとう」
「いいって。そうだ、これはおまけだ。帝都じゃまだほとんど誰も知らない」
と自慢気に微笑む男。
「ハイズ伯爵は勝ったらしいぞ? ハイズリー軍は全滅だ」
「は?」
よほど不思議そうな顔をしていたのだろう。男は諭すように言葉を変えて続ける。
「まぁ全滅ってのはなんだが、随分面白いことになってるらしい。ハイズ軍が二千かそこらで、攻め込んだのが六~七千だった。それで、ハイズリー領に帰ってきたのは四~五千はいたそうだが、生き残った騎士は皆無だったと。領主連中が丸ごと消えちまった。死体も無いそうだ」
飄々と語る男に、ルシアスの思考がまとまらない。
「……反乱でもあったのか?」
領主が生き残って兵が失われるならわかる。奴隷にされたり逃げ散ってしまったりすることがままあるからだ。だが、その逆となると、兵が一斉に反乱でも起こしたのでもなければ、そんな事態はありえない。
「それも違う。なんでも相当優秀な魔導師の一団が、ハイズ公の味方についたらしい。これ以上は俺にもわからない。四〇〇〇もの兵力差をひっくり返す力をもった魔導師の一団だ。なまなかの連中じゃない。ところが協会はそんな連中はまったくしらないらしい。どうだい? 調べてほしいかい?」
ルシアスは頷き、笑顔を交わし、金貨を手にして握手した。
「……参ったな、全部つながっていそうで怖くなってきた」
そのルシアスの様子をみて、軽くその胸を指で突付く。
「その感覚は大事にしろ。きっとお前を生き延びさせてくれる」
その台詞に苦笑したルシアスに、表情を和らげた男が続ける。
「よっしゃ、それじゃ魔導師さん、いい酒を入れておくからよ、また使い魔つれて来てくんな!」
男の大きな声に送られて、城門に向かうルシアス。
(なかなか面白い話を聞けたの?)
「うん。どう思う? 大陸中で沈黙した神々に、巨大化した魔物。それからヴォル族の暗躍だぞ? しかも、いまのこの時に、どんな力を持っているのか、信じられないほど優秀な魔導師の一団が現れたんだそうだ」
協会に向かう足が速くなり、手にした杖はすでに槍のように両手で構えられている。
(はてさて、まだまだ知らぬ事が多すぎてわからぬ事ばかりであるがの、ひとつだけ言っておこう、我は――我らは、偶然の一致という奴は信じぬことにしている)
前を向いて歩きながら、フードの下でニヤリと笑うルシアス。
「奇遇だね。――僕もさ?」
『楽園世界』は共有世界です。
詳しくはこちらへ⇒ http://www36.atwiki.jp/2theparadise/

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