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天空の道 03 ラティーマ
 その日、宿泊先の安宿から、ラティーマとリディがラシデリア(古のヴォル語で女神の街との意味がある。人族には伝わっていない)のエディウス神殿に出向いたのは、ピレリスの終わりを告げる鐘(正午=エリ・スクル)の頃であった。
 西方の人族の国々と違って、昼食をとるという習慣の無いアルールシアの人々にとっては、特に迷惑がられるような時間でもないはずであったが、その門は固く閉ざされ、門番らしい低位の神官服を来た男と、武装した数人の衛士達が鋭く辺りを警戒していた。
(リディ、どうしよう? なにかあったみたい)
(やっぱり早くここから出ようよ。ここには誰もいないよ?)
(何を言ってるの? ダメよやらなきゃいけない事があるって言ったでしょう? あ、どうしよう。こっちを見てるわ?)
(邪魔なら食べちゃおうか?)
(リディ! ダメだってば!)
 傍目には一人の女の巡礼が、のんびりと歩いているだけにしか見えないが、この殺伐とした雰囲気の中では、それはやはり異様に見える。
 なにより、警護の衛士や閉ざされた門を見れば、一般の信者や巡礼など、とても入れてもらえそうに無いことだけは、明らかなのである。
「女! 何者だ! 神殿になんの用があってまいった!」
 当然の誰何である。
(大変、声をかけられちゃったわ)
(ティーを困らせてるなら食べちゃおう!)
(だからダメ!)
「はい、巡礼の安全を祈願に、捧げ物を持ってまいりました」
「捧げ物だと? 今全ての神殿が「忌み(穢れを払うために神官以外の立ち入りを禁じる事)」に入っているのを知らんのか?」
(リディは知ってるよ? 昨日宿の人が言ってた)
(どうして教えてくれないの!)
(どうして? ティーも一緒に聞いてたでしょ? わすれちゃったの?)
(そういえば……)
 言われてみれば、宿の女将が気の毒そうに、そんな事を言っていた気がする。
「あの、はい、聞いておりましたが、せめて外から眺めるだけでもと思いまして……」
 と、その返答を聞いた衛士の一人が、ラティーマに声をかけてきた衛士に一言二言ささやくと、なにやら妖しい笑みがその口元に浮かぶ。
「女、捧げ物とは一体何を持ってきたのだ。なんぞエディウス様に仇なす物ではあるまいな? あやしい奴だ! やはりここはじっくりと話を聞かねばなるまい、屯所へ引っ立てろ!」
(ティーにひどいことをするつもりだよ! 敵だよ! 食べちゃおう!)
(ダメよ! あ、でもいえ、まずいわ、そんな事をしたら、折角の手形が無駄になっちゃうもの、でも、どうしましょう?)
 などと、男の台詞など殆ど聞きもせずにいたラティーマだったが、それ、とばかりにラティーマを取り囲む衛士達を見て、流石に身の危険を覚えてしまう。
 と、広場の端からそれを見ていたらしい騎馬に乗った旅姿の騎士の一団から、一人の男が、大声をあげて馬を走らせてきた。
「何をしている! たった一人の巡礼相手に、五人もの男が取り囲まねばならぬとは、一体何事か!」
(また誰か来たわ。どうしましょう。全部食べてもらった方が早いかしら? でも、そんな事をしたら、また何処かで手形を手に入れなきゃいけなくなってしまうわ?)
 やはり何処かズレているが、その方向が実に物騒であるのがラティーマらしいと言える。
「わ、私たちは、このあやしい女を……」
「黙れ! こんなに怯えておるではないか! やましい所が無いのであれば、この女の一体どこがあやしいと判断したのか、しかとこの場で述べてみよ!」
 と、馬上からの大喝に、衛士達は見る影もない。ちなみにラティーマは怯えていたのではなく、この場の全員を殺した場合の損得を計算し、顔をしかめていただけだ。美形というのは実にお得である。
「出来ぬのか? そうであろうな、そういう下衆な顔をしている。おぬしらのような下衆に守られなくてはならぬでは、神官長もエディウス様に顔向けが出来ぬであろう! 性根を入れ替えてくるまで外門の警備でもしておれ!」
 と、この騎士が一体どれほどの権限をもっているのかと、思わずその騎士を見上げたラティーマであったが、周りの衛士達も同様であったのだろう。お互いの顔を見回し、グズグズしている。
「なんだ? ふっ、そうか、まだお前たちは何も聞いていないのだな? ならば教えてやろう。私の名前はミーシャ・レンディー、レンディー侯爵家が嫡男にして、男爵位を賜る近衛騎士である! 代官より全権を委任されて此度の事件の鎮定に参った! 我が身上に疑問があらば、即座に代官所へと名乗り出よ! この場は私の騎士達が預かる! 早々とこの場より立ち去れぃっ!」
 多少、というか、多々自己陶酔気味の台詞が散見されるが、帝国の近衛騎士団の一員ともなれば、名実ともに最高位の騎士達である。その実力とプライドの高さも半端なものではない。この程度の物言いなど当然である。
 その場にいあわせた全ての者が畏れを抱いて(アーシアであれば間違いなく引くだけだろうが)後退した所で、一人なにやら不思議そうな顔で騎士を見つめて立ち尽くしているラティーマ。
 当然ながらぽつんと一人、目の前でミーシャを見上げる格好となっている。
「なにかな? おお、これは、あの時の巡礼ではないか!」
(え? あの時?)
(ティーも知ってるよ、ブィスタナでジョブスの実を落としたって教えてくれた美味しそうな人!)
「あぁ! あの時の騎士様! って、近衛騎士団!?」
 慌ててその場に膝を付き、ラティーマの学んだ礼典に則って、古式ゆかしい礼をとる。
 だが、その礼典は、アルールシア帝国と呼ばれる以前、ルシア平原に覇を唱えた遊牧民達のものである事には気付いていない。
 現代でもルシア平原の遊牧民であれば同様の礼をとることも少なくはないが、現在の、ソナス式の礼典が一般化しているアルールシア帝国の騎士にとっては、いかにも奇異な態度であった。
 ラティーマとて、ソナス式の礼典についての知識は当然もっていたのだが、目の前に立つ騎馬と騎士という存在に目を晦まされてしまったのである。
「近衛騎士様とは知らず、ご無礼をいたしました。どうかお許しください」
「……よい、気にする事はない。巡礼の方、よろしければお名前を賜りたく存ずる」
 その一瞬の沈黙がどのような意味をもっていたのか、それはこのミーシャという騎士にしかわからない事ではあったが、険しい峠を越えて、遥かワイプルースからの巡礼であると思われた女が、何故ルシア平原の騎馬民族の如き礼をとるのか、この程度の疑問を抱く事もないような者が、近衛騎士団の一員となれるはずもない。
 単なる平民の巡礼に対して名を尋ねているのとは異なる物言いが、その心情を表している。
 流石のラティーマも自らの失敗に気付いて動揺しているが、素早く辺りを見回し、強行手段に出るのは控えるべきだと判断したらしい。
 即座に態度を改める。
「どうかお尋ね下さいませぬよう、平にご容赦を、決して帝国と王国に対して仇なす者ではござりませぬ。ただ、騎士様にだけは、私の真の目的を、いえ、ソナスの神殿に向かう巡礼であるというのに嘘偽りはございませぬ。もう一つ、亡くなった母の形見を、ソナスにある祖父母の墓へと供え、母の代わりに、勝手をして不孝をしたという祖父母に対し、謝罪の祈りを捧げに参るのでございます」
 と、涙まで浮かべて、いかにもこうした騎士達の好みそうな話を捏造するラティーマ。
 その口調もどこか古めかしい言葉遣いではあるにせよ、とても平民の娘にはありえない、凛とした美しさをもつ、貴族風のソナス語であった。
「なんと……それは、知らぬ事とは言え、すまぬ。いや、私もそなたが悪しき者であると疑っていたわけではないのだ、そうか、母の思いを叶えるために、はるばるとなぁ。いや、もちろん、そのような理由であれば、名を知られるのもまずかろうな、きっと名のある、あぁ、もちろん聞きはせぬが、ソナスには母御の兄弟なり甥なりが暮らしているのだろう? いや、聞かぬとも。うん、苦労であろうなぁ。……そうか……」
 とひとしきり、勝手になにやら呟くように言いつつ納得し、いたく同情された上に感心されるラティーマ。
(めんどうだわ。納得したら早く立たせてくれないかしら?)
(めんどうだね。食べちゃおう)
(だからダメ!)
 と、口に出さずにリディを叱った瞬間、さとられないよう頭を下げたところ、どうやら泣き出したのだとでも思われたのか、一息に鞍から降りると、真新しい、砂埃を防ぐ目的で使われるスカーフの予備を取り出し、背を向けるようにして、片手で立ち上がらせながら、涙を拭くようにとでもいうのだろう、ラティーマの手に握らせてくる。
(あら、香り袋を使っているのね、なかなかの洒落者みたい。でも、涙なんて急にはでないし。リディ、見つからないように、水を少し出せる?)
(大丈夫。上手く袖口から出すよ)
「その、なんだ、なんと呼べばいいのか、本当の名前でなくてもよいから、教えてくれまいか?」
 泣いたふりを適当に切り上げ、濡れたスカーフを返そうとしたラティーマであったが、ミーシャはそれを受け取らず、そんな事を聞いてくる。
(どうしましょう? 手形の名前でいいかしら?)
(名前なんてなんでもいいよ、ティーはティーじゃない)
「はい、ラティーマとお呼びください」
「ラティーマか、西国風でありながら、ソナス風の響きをもっている、良い名だな。それより、ラティーマよ、何故ここに? ソナスに向かうのであればここは遠回りであろう?」
「あ、はい、その昔、西国に向けて旅だつ前、母が旅の安全を祈願したというエディウス様の神殿に、お礼を兼ねての捧げ物を致したく……」
「おお、そうであったか、だが、残念ながら見ての通り――いや、ラティーマ殿、ここは一つ私に任せて、しばらく待って頂けまいか? 私がなんとかしよう」
(あぁ、めんどうだわ。夜になってから忍び込めばいいだけなのに、変に目立ってしまったらどうしよう)
「そんな心配そうな顔をしないで、大丈夫だからすべてこの私に任せて、今日は宿へ、おう、そうだ、何処に泊まっているのだ? 私がそこまで送ろう、また先のような面倒事に巻き込まれるのは恐ろしかろう。なに、大した手間ではない。心配する事はないのだ――」
 ……なりゆきに任せる他無いラティーマであった。



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