言の葉売り(怪奇)
私が其の店に体躯を立ち入れたのには、或る理由が在った。
私はあの腐った犬畜生をとても素晴らしい方法で殺したいと彼是数年思い続けていた。私の臓器には大量に憎悪が巻き付いており、其の憎悪は既に咽喉を貫いて溢れんばかりになっていた。
奴の肉体を生き乍らに、指の先から数ミリずつ、其れも出血死なぞで殺さぬように奴の看を焼いて止血し乍ら、痛みで気絶なぞしないように薬物を多分に打ちながら、濃厚な痛みをゆっくりと味合わせ、殺す。
其の行為を天秤に架けても尚軽い、未知で魅惑的な殺し方を求め、千の秋万の冬の如き時を流し彷徨い、漸く見付けたのだ。
あの、言の葉売りの店を。
言の葉売り、私が其の店の存在を知ったのは、私が我が大帝國・日基でも有数の貴族である、三上家に婿養子として縁組をされた日の晩の事であった。
私が三上という名を得た日の夜、三上の家では小さな晩餐会が開かれた。
小さな、とは云っても、参加者が三上家の親族少数という事であり、会は軍人の家の生まれであった私が今までに見た事も聞いた事も無い程に豪華な会で在った。
美しくも巨大なシャンデリアは、異国から取り寄せた特注の品で、其れが幾つも、まるで光り輝く金の入道雲のように、天井に吊り下げられていた。
その規則正しい羅列は、白い大理石に人間国宝が丹念に描いた油絵と共に、蒼窮のように広がっていた。
美しい空の芸術と同じく、地には最果ての砂漠の国で紡がれた分厚い絨毯が隙間無く大地を占める。
一つの町長屋が簡単に入ってしまうだろう大きさの広間に、天の国は上下左右に存在した。
その中央を、細長い食卓が小川のように横たわる。
其の上には、庶民が口にする処か、目に触れさせる事も許さないかのように、贅の限りを尽して作られた神の料理が眩く点在する。
そして三上の人間は、皿一枚につき一口、ついばんでは捨てていくのであった。
私は此れが是れから自分のものとなるのだと悟った瞬間に、眩暈を覚えたものだ。
話が逸れた。戻すとしよう。
私が三上の者として、其の夜を楽しんでいた時の事だ。
私の妻となった女の父親―もうこの世にはいない。邪魔だったから殺した―が、奇妙な事を口にしたのだった。
「言の葉売りがまた、帝王様に恐ろしいランプを売っておったよ」
……と。
私は華やかな会場にそぐわぬ生臭さを感じて、其れは何ですか、と問うた。
すると義理父は、まるで神秘的な伝説を密やかに話す売女のような声色を出し乍ら、このように答えたのだった。
「言の葉を代価に、願いをなんでも叶えてしまう不思議なランプ売りだよ…」
運命とさえ思った其の日、彼岸。
私は其の店の店主の容姿をこの目玉に入れた。
言の葉売りの店は、意外な事に帝都の中央の最も栄えた大通りに在った。
ただし、きな臭い噂と等しく、路地を幾度か曲がった先にぽつねんと佇んでいた。
店は一見にして、黒魔術でも扱っていそうな雰囲気をかもし出していた。
私は躊躇いを無理矢理飲み込んで、直ぐに其の重く冷たい鉄扉を開けた。
そして、心を奪われた。
生臭い噂では全く想像出来ないであろう容姿を、言の葉売りは纏っていた。
名を、骸。
骸は、異常とも思える程に整った顔立ちをしていた。北欧の血を感じさせる陶器人形のような肌、そして白い髪に白い眼球、瞳までも白い。否、銀に近かった。
彼の容貌は、私を刹那の間を置かずに腑抜けにする程に耽美であった。
魅惑的な微笑を口許にたたえ、美獣のように逞しい其の身体に、ありとあらゆる猛禽類の毛皮を重ねて、漆黒の店内闇の中、真白の虹彩だけを耀耀とさせていた。
其の彫刻ような肢体のすぐ側には、これまた美しい…いや、可愛らしい…少女が赤に金と銀で装飾をした着物を着て、立っていた。其の目は骸とは全く反対に虚ろで、精気など塵にも感じられない。まるで能面のようだ。なんと危うい麗容。
と、霧の森から唐突に私は目覚めた。…骸が私に問うたのだ。
「何を御所望か」
言の葉売りの鈴の音のような問掛けは、私の魂の抜けた脳髄をうがったようであった。
私は見事に顔面に犬畜生への煉獄の如き憎悪の念を描き出し、同時に吐瀉するかのように、たぎる憤怒を吐き列ねた。
骸は、私の醜態に眉ひとつ動かさず微笑んでいる。あまりに冷静な其の笑みに、私はまるで籠の中の鳥になってしまったかのような気持になった。何もかもを見透かされ、観察されている、無様な鳥に。
実際、其の通りだったのかもしれない。
骸の態度に、私は自らが求めている事象に気付かされる様に怨念を拭って、平静を取り戻した。
私はゆっくりと念じる様に奴の名を口内から出した。そして、最も重要な事を彼に尋ねた。
「全ての者の依頼を平等に請けると訊いた」
私の慎重な呟きに、骸が小さく首を傾げた。
疑問ではなく、言葉を促す行為。私は軽く安堵し、次に問い続けた。重大な問いを。
「殺人を求める者でもか」
私の質問に骸は肯いた。
「私は全ての生命に平等だ」
一瞬で私は、強い喜びに襲われた。
…私は其の言葉に歓喜を覚えながら望みを口にした。
「奴の下劣な生に値する、どの死よりも私を幸福にさせる死を奴に与えてくれ…!」
私は、全ての言霊を言の葉売りに注ぐように吐き出した。
私の焚ける情を、私よりも遥かに高い頭蓋に収めた瞳で見下ろしながら、骸は更に私に問うた。
「代価として、あなたはもう咽喉から意思を伝える事が出来なくなるが、よろしいか?」
私は叫んだ。
「よい…!」
瞬間、私は気管肢から何か得体の知れない物が、ずるり、と抜けたのを感じた。
ほぅ、と私の咽喉が宙に投げたもの、それは片手に握られる程の小さな人形であった。
それはとても硬い鉄のようなもので作られており、私の目線の上を浮遊し乍ら、中核から街灯のように赤い光を溢れさせていた。私は其の人形が、自身の言葉の塊なのだと、刹那に理解した。
現に、既に咽喉からは声が全く出ない。
以前の感覚を頼りに叫んでみても、声帯はびくびくと痙攣するのみであった。
咽喉仏に触れ乍ら、舌も動かしてみるも、鼓膜は一切震えないのだった。
『ほぅ』
あれが、私が私の肉体を放棄するまでの最後の声だったのか。随分間の抜けた声をだしてしまったものだ。
「よろしい、確かに承諾した。蕊乱」
骸の隣にいた少女が暗闇からいそいそと、何かを出してきた。
其れは、ランプであった。
ランプといっても、人間の男の掌のような形をした奇妙なものだった。掌の中央には油を入れた小さな器が。その中に一枚の柊の葉が幻想的に輝き乍ら油の中に浮び、か弱く可愛らしい灯火を添える。
骸は、蕊乱の細くしなやかな腕からランプを受取ると、空を踊る人形を掴み、ランプの輝きの中へぽいと投げ入れた。
一瞬にして火は、田舎町の生娘のような愛らしい姿から、嫉妬に燃える色街の女へと変化を遂げる。
私はランプを受けとると、言の葉売りを見つめた。天帝の如き微笑み。眼前の使者は、天の声を呟く。
「使用法はそなたの肉が熟知しておるよ」
私は、翌日の黄昏時に犬畜生を文で呼び寄せた。
奴が私の妻を、あの甘ったるい声と怪物のように醜い毛むくじゃらで獰猛な肉体で背徳的な世界へと誘った場所に。
妻の為に私が作ってやった庭園に。
奴は生臭い息を吐き乍ら、腐臭に似た体臭を撒き散らしてやって来た。
何故、天はこんなにも禍禍しい生き物をこの世に産むのだろうか。私には屍になろうと分からぬだろう。
奴は犬畜生には似合わぬ、あの甘い声をとろとろと出した。
「ご主人よ、手切れ金とは、いかほどのもんだ」
吐気がする。
私は奴の頭を拳でかち割ってしまいたい衝動と妄想を必死に押さえ込んだ。
そして、男の問いに平然を纏って答えた。
否、声は出なかった。
だが摩謌不思議な事に、私の思考を、私の声で、手に握り締めていた骸の奇妙なランプが出していた。
「私の財産の半分はやろう」
私の返答に、奴は一瞬にして其の魑魅魍魎のような面をぐにゃりと捻じ曲げた。
其れが笑みなのだと、私の脳が判断した時、私は自身の毛髪が猛々しく太く逆だったのを感じた。
庭師の分際で庭師の分際で庭師の分際でぇぇぇ…!!
私の愛しい所有物を汚し、汚穢に塗みれた其の肉で狂わせ、挙げ句の果てに手切れ金等の存在を信じるというのか。身のほど知らずの、魍魎のクズが。
死ね。
死ね。
死ね。
其の罪を、其の罰を、其の血と肉をもって、味わうがいい。
なるほど、私は確かに使用法を知っていた。
まるで母の子宮の中で本能として教え込まれたかのように。もしくは、運命のように。私は骸から渡されたランプを、男の足元に降り落とした。
ランプの割れる音が、ここちよく鼓膜を揺らす。
破壊と共に、大きく燃え上がる。
かつてこの世に、これほどまでに神々しい饗宴が存在したであろうか?
三上の晩餐など、勢に狂うのみ、この素晴らしさには敵うまい。
刹那のうちにランプの炎が男を飲み込み、男は狐に抓まれた惨めな顔で、火に巻かれていく。
ぼうぼうと勢いよく男の体から黒煙が噴き上がる。
黄昏時を選んだ私の思案はあまりにも正しかった。
奴ののた打ち回る其の哀れな姿が、柚色の光により、まるで忘却の彼方から覚醒したかのように浮かび上がる。私はその極彩色に驚喜した。
奴は泣き叫び、狂乱し、其の指で自身の頭髪を引き千切り、其の爪で自身の肉を掘り起こし始めた。
奴の血と肉が焼ける芳香はとても甘美に私の鼻孔を擽る。
昇天するかと思うほどに麗しい断末魔は、まるで天使が歌う讃美歌の如く、私の脊髄を震わせる…!
奴は、
消してくれ、
助けてくれと絶叫しながら地に上半身を押し付けどんどんころげ回った。
炎と、煙と、血にまみれる奴の姿に、奴がなかなか美しい生き物なのだと、暫くして私は気付いた。
まぁ、どうでもいい事だ。
其の時であった。まるで細い絹の糸がぷつりと切れたかのように、奴が静かになった。
男が黒灰んだ屍骸の如く横たわった途端、炎は一瞬で吹き飛び、鎮した。
死んだ、死んだ。殺した、殺した。いや……。
奴はまだ微かに動いていた。
焼きただれながらも、燻ぶりながらも、奴は生きていた。奴の動きは、降霊をするイタコに酷似しており、怯える獣のように唸っている。
なんという事か!
私は、肉体と魂に先程の炎が燃えうつったかのような怒りを、痛烈に感じた。
私が首下まで赤くなっていると、既にあの男と少女は、流浪人のように飄飄と、私の背後に立っていた。
言の葉売りの骸と、蕊乱だった。
「様子見に」
そう骸は呟くと、蹲って馬鹿のように揺れる奴を睥睨した。
この男を殴り殺したい。私がそう思いながら憎悪の業火に焼かれていると、ふと彼が何でもない風に言った。
「どの死よりも、とのご所望であったから、魂を殺さずにこれの人間の部分だけを殺したのだ」
其の言葉に、私の怒りが一気に萎縮した。
骸は、意外な言葉に目を大きく開ける私を尻目に、其の濡れた宝石のような眼で奴を観察し始めた。血まみれの人間が珍しいのかもしれない。
途端に平温に戻ってゆく私の肉体が、やがて大輪の花のような喜びをゆっくりと咲かせてゆく。
そうか、と、私は歯を剥き出しに哄笑した。声は出なかった。
私は声を失ったが、大変満足であった。
犬畜生が其の残りの生をかけて演じるだろう愉快な乱舞の見物料としては、多少高いとは思うが、それでも良い。隠居後の楽しみとしては最高であろう。
奴はこれから頭の壊れた人間、いいや、卑しい獣のように扱われながら生き続けるのだ。其の生を、其の醜い姿による似合った無様な老死で終える果ての日まで。
瞼を閉じると刻々と浮かぶ奴の輝ける未来の醜態には、快楽を覚えるほどの刺激があった。
なんと、なんと素晴らしい。
漸く日がどっぷりと沈んだ。骸は未だ奴を凝視していたので放って置く事にし、私は早々と帰宅した。
今日という日の為に、私は生まれたのだと夢想しながら。
其の夜、私は懐かしいほどに安楽に充ち満ちた深い眠りにつこうとしていた。
うとうとと、心地良い夢見が、私の額を優しく愛撫するのを、洸惚の思いで感じていた。
瞼には、夕闇に浮かぶ、あの男の堕弱極まりない姿がゆらゆらと振り子のように揺れる。
男に向けた骸の呟きが子守り歌のように脳の中で反芻される。
天へ昇るように、あるいは降りゆくように、ゆっくりとたぐる、安眠の淵。
そう、私が今まさに眠りの底へと沈もうとしている時であった。
音、だった。
其の音は唐突に、ひたり、と私の寝室の壁の向こうに、冷たく粘着質に現れた。
そして其れは、けして私の夢の片隅の事象では無く、確実に現実に存在し、私の寝室に近付いてきた。
私は眠りを僅かに妨げられ、軽い怒りを覚えた。目を擦り、上体をしぶしぶと起こした。
一体、何者だ?
私は念の為に、異国から取り寄せた小銃を握り締めた。実弾が入った、れっきとした殺人の道具だ。
ぎい…。
寝室の扉が、ゆっくりと口を開ける。のそりと現れた舌の姿に、私はメドゥサに睨まれたように硬直し、愕然とした。
私は、知らなかった。
幸福のあまりに、奴らの口許を見ていなかった。
犬畜生の唇が白痴と等しく蠢き、骸が優しく微笑み返したのを。
私は、知らなかったのだ。
骸から受け取ったランプを両腕に抱えながら、本能のままに、奴が私の屋敷に忍び込んだ事を。
どうして、予測出来ようか。
まさか私が、自身の寝室で奴を目玉にうつしこみ、この世の全てに絶望しようとは。
私は、この世の全ての暗黒に顔を歪めながら、襲われた女のように逃げ惑い、奴に銃口を向けた。
爆竹音と共に、奴は血を噴き出して、そして。
死の瞬間、頭に浮かんだのは、誰かへ救いを求める為の言葉だった。
言の葉は、とうに私の咽喉から奪われていたというのに。
「私は全ての命に平等だ」
其の言葉を思い出したのは、生の狭間か、其れとも死の世界でだったか。
それさえも私には、とうとう理解する事は出来なかった。
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