メリークリスマス、マザーマリア(文学)
クリスマスにプレゼントを貰った。
目が覚めるとそれは、枕元に、カラフルな包装紙に包まれて、大きな赤と白の縞の靴下に入っていた。
母からの、とっておきのプレゼント。
頬と胸が熱く、包装紙を乱暴に破く。鮮やかな色彩の紙を破くと、彼女はそこで花のように笑っていた。
可愛らしく着飾った、リカちゃん人形。
真っ赤なドレスに、胸に大きな宝石をつけて。
とても女の子らしい、ハッピーな笑顔で。
俺の落胆を、無視するかのように。
「去年はピアスだったでしょ。今年は何がほしい?海くん」
ふんわりと笑う瑞希さんの声で、俺はキラキラと輝く大理石張りの華やかな世界に引き戻された。
途端に、異常に盛り上がった歓声が、鼓膜をビリビリと弾いた。隣の席で、景気良くドンペリが開けられたのだろう。
「ん〜…なんでもいいよ。瑞希さんからはいつも何かと頂いてばかりだし、今年は俺が何かプレゼントしようか?」
俺の返答に、瑞希さんは二十代前半の女性にしては随分と珍しい落ち着いた笑みを口許に浮かべた。可愛らしいリスのような前歯から、小さな飴玉が覗く。
「あのね〜…本当に、ホストらしくないなぁ、海くんは」
「そうかな?」
「うん」
目に映ったシャンパンが、瑞希さんが細い指で口から抓み出して、ふいに投げいれた飴玉に反応して、激しく飛び上がった。
飴玉は、ピンク。
周りに固まるガラスのグラスには、おかしなほどに水滴が付いている。俺はぼんやりと、サイダーを思い出した。子どもの頃、クリスマスの夜に与えられるのは、いつもサイダーだったっけ。
「ぅおい、海く〜ん?」
手をばたばたさせる瑞希さんに気付いて、俺はごめん、と軽くあやまった。
「きちんと接客しなさいな。…どうしちゃったの、今日は?」
「ん〜、最近ちょっと家でゴタゴタがあって」
本当は、ちょっと所ではなかったけれど。
「へぇ〜、そうなんだ、大変だね」
この世界では、お互い私生活に干渉しあわないのが暗黙の了解だ。
きらびやかな疑似恋愛の世界。日常を戦うための、安息のユートピア。
トリビアの泉という番組で、ゲストが感嘆の声と共にボタンを叩く、随分前に流行ったアレを膝の上でやりながら、瑞希さんは極めて他人事のように傾いた。
「何へぇ位?」
「ん〜十へぇ位!」
その時、けらけらと笑っていた瑞希さんの横から、俺にお呼びがかかった。クリスマスの前は、いつもより大分忙しい。
「また来なよ、色男!クリスマスプレゼント考えておくんだよ〜」
「はいはい」
瑞希さんの頭をひと撫ですると、俺は早々とお呼びがかかった席へと移動すべく、足を前に伸ばした。
二週間前、母が死んだ。
家柄と土地柄に縛られた、とても弱い人だった。
頭が良くて機転がきく、明るい人だった。
悩みばかりの、ヒステリックな人だった。
俺に対する親戚の抗議や、他人の好奇の目を、父の怒りを、その身ひとつで受ける、我慢だけの人だった。
とても美しい人だった。
生前、俺はそんな母に何もしてやれなかった。
一応母の子どもだからと呼ばれた葬式で俺が出来る事と言えば、札束積み上げて買った立派な喪服を着ていく、それぐらいのものだけだった。
俺はしっかりやっているんだと、周りに威圧するように出向いた俺に、家族と故郷の人々は、蔑みと畏怖の目ばかりを向けた。
父は、お前が殺したようなものだと、馬鹿げた持論を俺に浴びせた。
全ては俺が、女に産まれてしまったが為に。
移動した先に座っていたのは、初めて見る顔の女性だった。自分は男が好きよ…、大抵の女性が心の隅に光らせる可愛らしい爪を、その女性は露骨に、まるで完全武装のように身に付けていた。一目で、自分が一生付き合っても好きになれないであろうタイプだと分かる。こういう女性は、危なっかしくて体が受け付けないのだ。
「飲んでよ」
挨拶も無しに、いきなり青い液体の入ったグラスを向けられる。失礼極まりない女性が手にしていたのは、俺が大好きなセブンスヘブンという合わせ物だった。もしかしたら、思ったより気が合うのかもしれない。
あたしチカだから、と女性は破顔した。もう大分酔いが回っているようだ。
俺は、名前と共に受け取ったセブンスヘブンを軽く掲げた。そしてにっこりと笑みを繕うと、いただきます、と小さく言ってから、そのままグイッとセブンスヘブンを喉へと下した。
首が痛くなるほど、反りあげて。
とても軽く、辺りが白む。
ほんの少しの、トランス。
瓶の底のシャンデリアが、真夏の太陽を。
青いセブンスヘブンが、夏の異常に晴れた濃厚な空を。
短く。
狂い、
端から落ち、
頭痛と共に、墜ちる。
……トランス。
「夏海、こっちに来なさい」
庭でひたすら蜻蛉を追っていた、小さな俺が、大声で何〜〜〜?、と返しながら縁側に座る母の元へと走ってゆく。
小麦色に何もかもが焼けた怪獣にとって、何もかもが白い母は、この世で一番美しい女性に見えている。
母は、隣町にあるデパートの袋から、フリルのついた花柄のワンピースを取り出した。
「スカート、穿いてみる気、ない?」
母が広げた可愛らしいスカートに、小さな俺は過剰に反応して、あとずさる。
「絶対やだ!」
俺のあんまりにも大きい拒否の声に、母が困ったような顔を、する。
「だって、東京に行くんだから、ちゃんとした格好しなくちゃ、駄目なのよ」
俺は奇声をあげる。
子供特有の金切り声で、自分の意思を、叫ぶ。耳を押さえる、優しい母の顔が、だんだん険しくなってゆく。
母の頭から、にょきにょきと鋭い角が生える。子供の俺には、そう、見える。
母の自慢の長い黒髪が、炎のように逆立ち燃える。子供の俺には、そう、見える。
俺は壊れた電気式オルガンのように、狂い、爆発し、嫌悪と拒絶を精一杯に表す。
喉と抵抗と、小さな俺の武器は、それしか、無い。
いやだ、いやだ、いやだ。
「ちゃんとした格好じゃなきゃ駄目なのよ!そんな汚い格好じゃ駄目なの、男の子じゃないんだから!!」
ちゃんとした、格好じゃ、なきゃ。
俺は抗議する、必死に、泣きながら、叫ぶ。いやだ、いやだ、いやだ。
だけれど、言葉は喉と頬につまって、痺れて、ぶち壊れる。
嗚咽に、慟哭に、変わる。
肺だけが痙攣する。顔が、引き攣る。
いやだ、いやだ、それはいやだ、いやだいやだいやだ、ちゃんとした格好って、ちゃんとした格好って、
−−−何?
「おっそ〜い!」
瑞希さんのブーイングに、俺は本日二度目のごめん、を返した。
瑞樹さんはぷりぷり怒りながら、ソファーに指をさす。俺は従順にしたがって、瑞希さんの隣に座る。そしてまっすぐに彼女を見つめた。
「クリスマスプレゼント、考えてきたかな?」
「ん〜、もうちょっと待って」
瑞樹さんは仕方ないなあ、と、困った表情のままソファーにどっかり寄りかかった。瑞樹さんは今、俺を可愛いと思っている。嘆息しながらも、態度は女王のように勝気だ。
そして、君臨する瑞希さんの中に、俺は見てしまった。
−−−眉毛を少し下げて微笑む。
一瞬にして、背筋が凍った。血管の中を、冷たい亡霊のようなものがひた走った。
瑞希さんの微笑み方に、あの人の影が一秒にも満たない時間、重なった。
俺は一瞬、舌の上に触れた苦い飴玉のような何か、感情を飲み込んだ。そして何より、自分の中の遠い部分に落とした、あの日の自分と目があった気がして、不思議な冷笑が小さくあふれるのを感じた。
瑞希さんは、ほんの少し似てるのだ。俺が何もしてやれなかった、母に。
母の死だけじゃない。母に似ている大切な人の存在のために、今夜は母のことばかり思い出していたのだ。
「なに、ニヤニヤしてるのかな?」
同じくニヤニヤしながら、瑞希さんが俺を覗き込んだ。俺は別に、と強がって微笑んだ。瑞希さんを角膜に収めて、俺はボンヤリと母のことを夢想した。
永遠に逃れられない。
俺は、その事実を思い知っていた。
真夜中、大きな鞄を持って歩く俺に、最後の母が今にも泣き出しそうな表情で言う。
風邪ひかないように、あったかくするのよ?
家を出て行く、大人になった自分の子供に、随分可笑しな言葉を、母は呟く。
俺はただ、深く深く頭を下げた。長く、長く頭を下げた。
ただひたすらの、謝罪を。ただひたすらの、感謝を。
本当にありがとうございました。
ごめんなさい。
どうかどうか、お元気で。
願う、願う、願う。どうか貴女が幸せに生きることを。
謝罪をこめて、そして何より、貴女の幸ある未来を、祈って。
恐る恐る顔をあげる。縋りつくように、苦悶するように、罵声するように、嫌悪するように、貴女は悲しんでいるだろうと俺は思っていた。けれども、再び見た母の瞳は、予想を外すものだった。
母は、微笑んで、いた。
懇願と失望のふちにいる筈なのに。母は微笑んでいたのだ。何よりも美しく、誰よりも、神々しく。
−−−眉を少し下げて微笑む。
生まれて初めて、人は…悲しみの中でも微笑むことが出来るのだと、知る。
絶望の中でも人は、完全な支配者になれる、とも。
もう、後悔しかないけれど。
「クリスマスプレゼント、決めた。瑞希さん、俺のために予定空けてくれる?」
「おいおい、そんな事でいいのかね、海クン」
嬉しそうな表情を隠さずに、瑞希さんは俺に抱きついた。瑞希さんの行為に、俺は力強い抱擁で返した。
何も出来なかった俺が、後悔ばかりの俺が、貴女を思う。
本当はどうしようもない肉体と願いの中で、許される日を今も待ち望んでいる。何の為に生きて、何の為に望んでいるのか、それが真実なのか、これが本当に俺なのか、今でも時々わからなくなる。男としての俺を、貴女に愛してほしかったから。
最後の最後にさえ、許してはくれなかった貴女は、きっと最後の最後まで、俺の心臓に澱のように残り続ける。泣きながらも、困りながらも、微笑みながらも。悲しみで作られたソレは、俺を支配する。
きっと俺は、跪いているのだ。そして自分の最期の日まで、掻き乱され、もがき続けるであろう事を、予感しているのだ。
どうか、どうか、どうか。
永遠だと知りながら、地面の上を苦しみ転がり続ける。自分の中の棘を、抜き取るために。
或いは、抜き取られるために。
どうか、どうか、どうか。
「メリークリスマス、マザーマリア」
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