AND LOVE(演劇脚本)
作品を読む上での注意>
この作品は、戯曲です。戯曲とは、舞台演劇用の脚本のことで、ほとんどが会話文で作られています。
作中に出てくる専門用語について説明いたします。
暗転:舞台が真っ暗になること
フェードイン:照明が徐々につくこと
フェードアウト:照明が徐々に消えていくこと
効果音、BGM:劇中にかかる音楽のこと
それでは、物語が始まります。ごゆるりとお楽しみください。
■登場人物
藤村 こずえ
引きこもりぎみの少女。母親を憎んでいる。
藤村 香織
こずえの母。救急救命士をしている。
西条 百合子
こずえのおば。
藤村 大貴
こずえの父で、少し前に亡くなる。
■第一幕
効果音により、街中だと分かる。
ひとりの女性が、少女の手をひくように舞台へとあがる。少女の名前は藤村こずえ。女性の名前は西条百合子。
こずえ「ゆりこさん、痛いよ」
百合子「あらあら、ごめんね。私、興奮してるのよう」
百合子、こずえの手を離す。
こずえ「興奮って」
百合子「だって、こずえちゃん全然、私とデートしてくれないんだもの」
こずえ「……ごめんなさい」
百合子「やっだぁ。なんで謝るのよう。せっかく久しぶりにお外に出たんだから、笑顔、笑顔」
こずえ「う〜ん」
百合子「ほら、こんなに天気がいいんだし。笑顔、笑顔」
こずえ「うん……」
百合子「さっき酔っ払いが道路で酒飲みながら笑ってたでしょう。昼間から酒を飲んじゃうくらいの陽気なオッサン。素敵な笑顔。あのオッサンを見習って、酒乱のごとく笑うのよ」
こずえ「え、私、お酒飲んだことないし、しかもまだ未成年だよ」
百合子「未成年ったって、十七でしょう。四捨五入したら二十歳でしょ。結婚できるでしょ。選挙権あるでしょ、年金だって払うでしょ、お酒だって飲むでしょう?」
こずえ「その理論は、おかしいと思うよ。っていうより、屁理屈……」
百合子「だっかっら! 物は例えなの。た・と・え。それにね、若い時ってね、お酒飲んでなくても酔えるものなのよぅ。笑ってると、脳みそからドバドバお酒が出てくるんだから」
こずえ「嘘!」
百合子「嘘かどうかは自分で試す。ほら、笑顔笑顔!」
百合子の勢いに押され、こずえ、ぎこちなく笑う。
百合子「だめだめだ〜め。そんな笑い方だめ。まず、目が笑ってないわ」
こずえ、頑張って笑う。
百合子「だめだめだ〜め。そんな笑い方だめ。唇が下がってる。そんなんじゃ、私みたいにホッペの肉が落ちちゃって、皴だらけになるわよ。ほら、こんな風に」
こずえ「こう?」
百合子「もうちょっと」
こずえ「こう?」
百合子「もうちょっと」
こずえ「こう?」
百合子「もうちょ……と、失礼」
そういって、こずえの顔を鷲づかみ無理やり笑わせようとする、百合子。
こずえ「いた、いたた! ゆりこさん、痛い!」
百合子「あっ、ごめん!」
こずえ「あいたたた…」
百合子「うう、ごめん。どうしよう、可愛い私のこずえちゃんがオカチメンコみたいになっちゃったらどうしよう」
こずえ「え?オカチメンコ?」
百合子「ぷく〜って、膨らんだら」
こずえ「ゆりこさん、オカチメンコって、なに?」
百合子「え? しらない? オカチメンコ」
首を横にふる、こずえ。
少し考え、百合子、ホッペを大きく膨らまし、珍妙な顔をつくり、のしのしと体を揺らす。
こずえ「何ソレ!」
百合子「オカチメンコ」
百合子、オカチメンコだぞ〜と言いながら、こずえに接近。
こずえ、指をさしながら思わず爆笑。
こずえ「百合子さん、変! キモイ!」
こずえの反応にいじけながらオカチメンコをやめる百合子。
百合子「ひっどいなあ。キモイだなんて」
こずえ「じゃあ、キショイ」
百合子「同じでしょ!」
顔を合わせ、笑う二人。
百合子「やっぱり、こずえちゃんは笑顔が一番。お外で笑顔が一番!」
こずえ「えへへ」
百合子「こずえちゃんを誘って正解だったな。その笑顔をみすみす部屋に閉じ込めておくの、すごうく、もったいないもの」
こずえ「う、う〜ん……どうだろ」
百合子「本当、可愛いやつめ。姉さんに似ないで良かったな。姉さんはオカチメンコ! みたいだもんね」
こずえ、急に笑顔が消える。百合子、驚く。
百合子「どうしたの?」
こずえ「別に……」
こずえの表情がどんどん暗くなってゆく。百合子、はっとしてから、こずえの手を握る。
ゆりこ「さ、こずえちゃん、次はラーメン食べに行こう! 私、おなかすいちゃったわぁ」
こずえ「うん……」
こずえ、百合子に引っ張られるように退場。
響く、繁華街の音。
少しの間。
しばらくしてから、こずえと百合子が再び舞台にあがる。
百合子、つらそうな表情で、腹を押さえている。
こずえが百合子の体をささえている。
こずえ「替え玉3個も頼むから」
百合子「ううう、吐きそう」
こずえ「大丈夫?」
百合子「大丈夫だけど、大丈夫じゃない……」
こずえ「どこか、休めるところ……」
百合子「おう!」
こずえ「わぁ、ゆりこさん?」
百合子「西条ゆりこ、女、三十八歳、オエ、週刊女性気分編集者、もう無理です」
こずえ「ええ?」
百合子「救急車を呼びたいと思います、ウエプ」
こずえ「ええ!」
百合子、携帯をとりだし、タクシーを呼ぶように片手をあげる(出来ればウルトラマンに変身するように凛々しく)
ゆりこ「きゅ、救急車ぁ〜」
あきれるようにガクンとこけるこずえ。百合子に突っ込みをいれようと体勢をたて直す。
こずえ「百合子さぁ〜ん」
するとそのとき、本当に救急車がやってくる。
(救急車の音、赤い点滅の照明)
驚くべき事態にたじろぐ二人。
百合子「うわ! どうしよう! 本当に救急車きちゃった!」
こずえ「嘘! 嘘! 嘘!」
驚く二人の前を通りすぎる救急車。
目で追い、ぽかんとする二人。目で追った先に、人々のざわめき。
百合子「なぁんだ、私じゃないのね、患者。あ〜もう、びっくりしたぁ」
こずえ「あ、百合子さん」
百合子「なに?」
こずえ「あの人、さっきの……」
百合子「え?あ! 本当! さっきの酔っ払いじゃない。なんで倒れてるわけ? 飲みすぎ?」
こずえ「様子がおかしいよ」
百合子「アレ、ちょっとヤバいかも。顔色が尋常じゃないし」
こずえ「もしかしたら、急性アルコール中毒かな?」
百合子「だとしたら、大変よ。急がないと。……って、アレ、姉さんじゃない」
百合子の言葉に救急車を驚いてみるこずえ。そして、顔をかくすように背ける。
百合子「あ、ほらやっぱり姉さんよ。ここら辺も担当なのね」
こずえ「……」
百合子「あ、いま救急車に乗るよ。ほら、こずえちゃん」
百合子、こずえの肩を軽くたたくが、こずえはそれを無視して俯いている。
こずえ「……」
百合子「こずえちゃん……」
サイレンの音。
しばらくして入る、アナウンス。こずえの母、香織の声が響く。
香織「どいてください! 救急車が通ります!」
百合子「やだ、救急車なんで動かないの?」
香織「歩道を歩かないでください! 救急車が通ります! 歩道を歩かないでください!」
百合子「歩道を歩くなっていってるのに……平気で歩いてる」
香織「救急車が通ります!」
けたたましいサイレンの音。それをみつめるふたり。
百合子はソワソワ、こずえはただ一心に見つめている。
百合子「人の命をなんだと思っているのかしら?」
バタバタと声が聞こえ、数秒後、ようやく救急車の音が遠のいてゆく。
百合子「行ったみたいね。はあ、姉さんの仕事も大変だわ」
こずえ「……ばかみたい」
百合子「え?」
こずえ「あんな酔っ払いのとこに来て、しかもマトモに運べなくて……バカみたい」
百合子「こずえちゃん?」
百合子、こずえに手を触れようとする。が、きびすを返してさっさと歩いていくこずえ。
百合子「こずえちゃん!」
追いかけるように、百合子、退場。
■第二幕
静かにサイレンの音だけが響いている。
暗転。数秒の静かな暗闇。
ゆっくりと、光がともる。
僅かな光。徐々に懐かしい感じの音楽。
光の中に、こずえが立っている。
もうひとつ浮かび上がる光。そこには、こずえの父である大貴がパソコンに向かっている。
二人が浮き上がってから、全体ライト。
場面転換、父の書斎。
ドアをノックするこずえ。
こずえ「お父さん、ごはんだよ」
こずえを無視してパソコンに向かい続ける大貴。
こずえ、ため息をついてドアを開ける。つかつかと大貴に近づくと、大貴の背中にチョップ。
大貴「む!」
こずえ「こんばんは、ごはんですよ」
大貴「ふぁあ、もうそんな時間か」
こずえ「もうそんな時間って、お父さん、最近まともに食べてないじゃん」
大貴「嘘! 食べてるぞ」
こずえ「ああいうのは食べてるなんて言わないの。はい、原稿片付けて」
大貴「う〜ん」
こずえ、床に散らばった本などを拾い、まとめる動作。
大貴はパソコンとこずえを交互に見つめている。
こずえ「もう、何してるの? 早く片付けて。冷めちゃう」
大貴「でもなぁ」
こずえ「はーやーく」
大貴「今、いいところなんだよなぁ」
こずえ「いいところっていいところって、もう、いい加減くぎりを付けてよ」
大貴「でも、なぁ」
こずえ「一応は休筆中ってことになってるんでしょう。なのに毎日かいて、意味ないじゃん」
大貴「でもこずえ、ほらね、作家の性? 今書かないでいつ書くのか〜! 俺が書かないで誰がかく〜! オーケイ?」
こずえ「ふーん、そうですか、ま、いいですけどね。そうやっていつまでもご飯食べないでお風呂にも入らないで一生書いてればいいんじゃないの? お腹が空きましたって夜中にゾンビみたいに出てこられても、ゾンビにあげるようなご飯はウチにはないですけどね」
大貴「すみませんでした」
こずえ「分かればよろしい。さぁ、立った立った」
くるりと回れ右、歩き出すこずえ。
だが、パソコンをなごり惜しそうに見つめ、椅子から立ちあがらない大貴。
いつまで立っても立ち上がらない大貴に、こずえ、あきれる。
こずえ「もう、お父さん! いい加減にして、三秒数えるよ。三、二、一、」
大貴「でも! こずえ! 今ね、すっご〜く、良いところなんだ。お父さん史上に残る最高傑作の、お父さん人生で一番輝きを放つであろう、最高の、傑作の、お父さん的名シーンなんだ!」
パソコンにしがみついて叫ぶ大貴に、こずえ、ため息。
こずえ「お父さん史上って、ずいぶん狭いね」
大貴「でも、傑作だよ、それも最高の」
こずえ「最高、ねぇ。 いっつも取材やらサイン会やらで、自信なさそ〜うにしているお父さんが、最・高・傑・作、ねぇ。 お父さん、閻魔さまに舌を切られるよ」
大貴「嘘じゃないやい! そんなしょうもない嘘、ついてどうするんだよぉ」
こずえ「ふっう〜ん……。じゃあ、読ませて。最高傑作かみてあげる」
大貴「駄目」
こずえ「ええ? なんでぇ?」
大貴「駄目だから、駄目」
こずえ「いいじゃん、ケチー」
大貴「駄目ったら駄目だ。完成するまでの、お楽しみです」
こずえ「完成ってお父さん、完成させるの遅いじゃん。ねえ、今みせて」
大貴「駄目だ」
こずえ、パソコンをみようと行動。大貴、それをディフェンス。
大貴「駄目」
こずえ「もう、いいよ」
歩き出す、こずえ。だが振り向く。大貴、すかさずディフェンス。
大貴「駄!」
こずえ「う〜、もう、いい!」
頑なな大貴の態度にふてくされて後ろを見せ歩き出す、こずえ。その姿に呟く、大貴。
大貴「お前が高校を卒業したら、な」
こずえ「え?」
大貴「さぁ〜、ごはんだ。そういえばだんだんお腹が空いてきたよ」
こずえ「あー、もう。変なのー」
ゆっくりと立ち上がる大貴、歩き出す。と、途端に頭を抱え、大きな音を立てて倒れる。
大貴「うう……」
その音に驚く、こずえ。大貴に走り寄る。
こずえ「お父さん? お父さん!」
大貴「あ、あたまが……」
そのまま動きが緩慢になってゆく大貴。やがて全く動かなくなる。
狼狽し、大貴を揺らす、こずえ。
こずえ「やだ、お父さん! お父さん! お父さん! ……あ、う、お母さん……」
こずえ、うろたえながら必死で父親の体や机を触る。机の上から、携帯電話を見つけたし、何度も電話を押す。
こずえ「お母さん、お母さん。やだ、ちがう、やだよぉ、ちが、これじゃない、これじゃない」
こずえ、ようやくダイヤルを押す。だが、呼び出し音が続くだけ。
携帯、やっと反応。
こずえ「お母さん!」
電子音「おかけになった電話は、現在電波の届かないところにあるか、電源が……」
電子音を聞き、こずえ、必死に携帯電話をかけなおす。
父親の傍により、再び父親の体を揺らしながら、電話が取られるのを待つ。
無常に響く、コール音と電子音。
こずえ「お母さん、出て、お母さん、早く、早く……」
こずえの願いもむなしく、電話には誰も出ない。そのまま、ゆっくりとフェードアウト。
暗闇に、こずえの声と電話の音だけが響く。
しばらく、闇が続く。
暗転。
■第三幕
数秒後、ことりのさえずりが聞こえる。
照明、フェードイン。
場面転換、こずえの部屋。
こずえ、ベットに横になり眠っている。苦しそうにうめく。
こずえ「やだ!」
大声をあげる、こずえ。
自分の大声に驚き、目を開ける。
こずえ、荒い息をゆっくりと、ととのえる。
目をこすり、ベットから起き上がるこずえ。
ことりのさえずりが、朝だとしらせる。まぶしそうに目をしかめる。
カーテンに近づき、触れる。そして開けるのではなく、深く閉める。
頭を抱え、何か呟くこずえ。当たり前だが、返事は返ってこない。
しばらくしてから、階段をあがる音。
舞台に、こずえの母、香織が登場する。
ドア越し。
香織、ドアをドンドンとノックしてから。
香織「こずえ」
香織の呼び声に過剰に反応するこずえ。だが、沈黙。
香織「どうしたの、大きな声だして。何かあった? ねえ、起きているんでしょ。」
こずえ「……」
香織「なんか言ったらどうなの、こずえ。大丈夫なの? 何でもないの?」
こずえ「……」
香織「……そうだ、こずえ。そういえば昨日、百合子ちゃんと遊びに行ったんでしょ」
こずえ「……。」
香織「買い物は楽しかった? 百合子ちゃんから話きいたよ。お母さんが出動してたときに偶然いあわせたんだって?」
こずえ「……」
香織「あの時は、大変だったな。マナーが悪い人が道路をふさいでいたから、車を出すのにすごく時間が」
こずえ「うるさい!」
沈黙をやぶるこずえの声。鬱憤を吐き出すように、激情している。
こずえ「うるさい、うるさい、うるさい!」
香織「こずえ」
こずえ「朝からうるさいんだよ、さっさとあっち行け!」
香織「こずえ、落ち着きなさい」
こずえ「ああもう、本当にうるさい、さっさと仕事に行けばいいじゃない!」
香織「こずえ、お母さんはね」
こずえ「ほら、早く行けば! 早く酔っ払いのところにでも行け!」
激しいこずえの様子に、ついに香織が声のトーンを落とす。
香織「こずえ、いい加減にしなさいよ」
こずえ「なんなのよ、文句でもあるの?」
香織「あんた、もう何ヶ月学校に行ってないと思っているの。いつまでも部屋にこもりっきりで、いいと思ってるの?」
こずえ「……関係ない」
香織「関係なくないわよ。母親なんだから」
こずえ「母親? 家にいっつもいない人が母親なの?」
香織「こずえ、お母さんの仕事が普通の人と違うってしってるでしょう」
こずえ「そうだよ、あんたは普通じゃないよ」
香織「こずえ」
こずえ「毎日毎日、仕事仕事。夜も眠らないで救急車走らせてドライブ。毎日、毎日。そのくせ久しぶりに帰ってきたと思ったら説教ばかり、おかしいよ」
香織「こずえ、」
こずえ「あんたはおかしい、あんたは普通じゃないよ!」
香織「こずえ!」
香織の怒声と重なるように入る電話。
電話の方向とこずえの方向を交互に見て。
香織「……お母さんこれから仕事だから。何かあったら、連絡ちょうだい」
寂しげな表情で退場する香織。階段を下りる音。
こずえ、力を失ったように床に膝をつき、呟く。
こずえ「連絡したって、来てくれないくせに……」
■第四幕
場面転換、飲食店。
出来るだけ暗転を使わないでスムーズに場面を変えたい。
街中にいる効果音の後に、喫茶店でかかるようなBGMを。
椅子が中央にあり、片方には百合子が座っている。
百合子、読書をしている。しばらくしてから、香織が舞台にあがる。
香織「おまたせ」
百合子「ふふ、忙しいところ、ごめんね」
香織「ううん、非番だし。話って、なぁに?」
百合子「まぁまぁ、せかさないの。まず、お茶でも頼みましょ。このお店、ダージリンがおいしいのよ」
香織「ダージリン?」
百合子「そ。ダージリン」
香織「ダージリンかぁ」
百合子「嫌い?」
香織「ううん、好きよ」
百合子「よかった。じゃあ、お茶はダージリンのホットを頼みましょ。他にケーキかなにか、どう?」
香織「そうねぇ。うーん、こういうところ十年ぶりくらいだから、おまかせしていい?」
百合子「もちろん。…じゃあ、そうだなぁ。スコーン、食べれる?」
香織「ええ」
百合子「じゃ、それにしましょ。えっと、すみませーん」
百合子、店員を呼ぶ動作。やってくる店員。
百合子「えっと、ダージリンティーをストレートでふたつ。それにチョコチップスコーンをふたつ、お願いします」
店員「かしこまりました」
店員、退場。
百合子「じゃあっと、話なんだけどね」
香織「うん」
百合子「単刀直入。こずえちゃんのこと」
香織「こずえ、ね」
百合子「どう思う?」
香織「どうって……娘よ」
百合子「そういうことじゃなくって」
香織「なんなのよ」
百合子「うーんと、そうだな、最近、こずえちゃんと会話してる?」
香織「会話?」
百合子「そ、会話」
香織、少し考えて。
香織「そうね……。少し前、喧嘩したかな」
百合子「ええ?」
香織「なんかね、久しぶりに居間の掃除してたのよ。そしたら上から声がして。やだ! って」
百合子「やだ?」
香織「そう。やだ! って、大音量。どうしたのって思うじゃない。それで、こずえの部屋まで行ったのよ」
百合子「中に?」
香織「ううん、いつも鍵がかかっているから。とにかく、ドンドンってノックして、こずえって」
百合子「うん」
香織「そしたら、うるさいって、さ」
百合子「うん」
香織「でも、こっちは心配でしょ。だから聞くわけ。そしたら、さっさと仕事に行け、酔っ払いをレスキューしてこいって言うのよ」
百合子「酔っ払い? ……ああ、この間の」
香織「なんだか腹がたっちゃってね。あの人だって、大変だったのに」
百合子「うん、それで?」
香織「むかっときたもんだから、いろいろ言っちゃったの。そしたら、あの子なんていったと思う?」
百合子「え?」
香織「私は母親じゃないって、さ。普通じゃないって、言われたよ」
百合子「そんなこと、言ったの」
香織「ええ。そうこうしてるうちに、電話がきて。それっきり」
百合子「ねぇ、姉さん」
香織「なに?」
百合子「こずえちゃんとマトモに話したの、それ、すごくひさしぶりだったんじゃない」
香織「そうだね。あの子は部屋にこもりっきりだし、部屋から出るのは食事かトイレのときくらいだから。それに、私がいないのを見計らって出てる。話なんて、とってもできる状況じゃないもの。だけど、どうして?」
百合子「だって姉さん、ひどいことを言われたみたいなのに、すごく嬉しそうだから」
百合子の指摘に驚く香織。
更に百合子が話をもちかけようとしたときに、店員がやってくる。
店員「おまたせしました。ダージリンティーとチョコチップスコーンです。以上でよろしいでしょうか?」
百合子「ええ」
店員「それでは、ごゆっくりどうぞ」
店員、退場。
ゆっくりとお茶を口にするふたり。
少しのあいだ、時間をたのしむ。
香織「おいしい」
百合子「でしょう?」
香織「なんだか、疲れがとれるね」
百合子「ふふふ、温泉じゃないんだから」
香織「……うん、おいしい」
百合子「ねえ、ねえさん」
香織「なに?」
百合子「何かに集中してばかりでは、いろんなことを見失ってしまうと思わない?」
香織「え? どうしたの? いきなり」
百合子「あのね。私、仕事の合間に出来るだけ暇をつくるの」
香織「そうなの? でも、編集のお仕事大変でしょう。私よりも睡眠時間とか不安定なんじゃないの?」
百合子「うん、作家さんのお宅で原稿待ちしながら寝たり、ね」
香織「大変ね」
百合子「だから。考える時間がなくなっちゃうの。それで、いろんなことを置いてけぼりにしちゃう」
香織「(沈黙のまま、あいづち)」
百合子「だからお風呂に入る時間を一回減らして、こんな時間をつくるのよ」
香織「あはは」
百合子「……そうしてね、ゆっくりと色んなことを思い出すの」
香織「思い出す?」
百合子「私にはね、姉さんもこずえちゃんも、ひとつのことにこだわりすぎているように思うの。そのせいで、大事なものから遠ざかっている気がするの」
香織「よく、分からないわ」
百合子「もちろん、はっきりとはいえないけれど。……ああでも、はっきりと言えること、あったわ」
香織「え?」
百合子「姉さんはこずえちゃんが大好き。そして、こずえちゃんも姉さんが大好き。ふたりは、家族として思いあっているってこと」
香織「すれ違っている、といいたいの?」
百合子「ええ」
香織「それは違う、こずえは違うわ。こずえは、私のことを軽蔑してる。もう、母親なんて思われていないわ」
百合子「そんなことない。娘にとって母親は、どんなことがあっても母親なんだから。それに、姉さんは勘違いしてる。こずえちゃんは姉さんを嫌ってなんかいないわ」
意外そうに、香織が百合子をまじまじと見る。
百合子の表情は、真剣そのもの。
百合子「姉さん。本当にこずえちゃんが姉さんのこと大嫌いだったら、姉さんはとっくに、いないことになってるはずだもの。だけど、姉さんの声を聞いているってことは、こずえちゃんは本当は、姉さんと話をしたいと思っているのよ。ただ、どう話せばいいか分からないだけ。ひとつのことで頭がいっぱいで、すれ違っていると気付いていないだけ」
香織「本当に、そうかしら」
百合子「姉さん、姉さんもそうでしょう。本当は、こずえちゃんと話がしたいくせに」
香織「でも、こずえは……」
百合子「お願い、姉さん。お願いだから、肩の力を抜いて、こずえちゃんと真正面から向き合って。今の状態を続けることは、誰も望んでいないわ。兄さんもきっと、悲しんでる」
香織「……でも、何から話せばいいの?」
百合子「ありのままよ。家族なんだから。今はただ、少し歪んでしまっているだけ。今なら、いくらでもやり直せるわ」
香織「でも」
百合子「姉さん、お願い」
香織「……」
百合子「ね、こずえちゃんと話そう。私がこずえちゃんを外に連れ出すから、ね」
百合子の説得に黙って頷く香織。百合子、笑顔をかたどる。
再び、お茶を飲み始めるふたり。ゆっくりとフェードアウト。
■第五幕
光量が少なくなる。場面転換、謎の空間。
スポットライト。中に、こずえ。
こずえは一人でうずくまっている。
こずえ「お父さん。お父さん。お父さん」
ゆっくりと立ち上がる、こずえ。父親を探すように周囲を見渡す。
こずえ「お父さん、お父さん、お父さん」
だが、あたりは薄暗い。こずえは周囲を見渡してから舞台の端に移動。
こずえ「お父さん……」
そのまま、再びうずくまる、こずえ。
そのとき、暗闇から弱弱しい声。こずえは声に無反応。
大貴「こずえ、こず、え。……かぁさ……と」
ようやく、顔をあげるこずえ。
遠くに父がたっていることに、気付く。立ち上がる。
こずえ「お父さん!」
ゆっくりと父親に近づこうとするが、何故か近づけない、こずえ。
こずえ「お父さん! お父さん!」
大貴「(何かを呟くようにしゃべっているが、聞こえない。口パク)」
こずえ「聞こえないよ、お父さん、聞こえない!」
大貴「(同じく、口パク)」
こずえ「お願い、ちゃんと言って、聞こえない。私には聞こえないよ、ちゃんと言ってくれなきゃ、なにも聞こえないよ! 何も言わないでいかないで。あの時みたいに、何も言わないで行かないで、お父さん!」
こずえの願いむなしく、徐々に消えてゆく父親への光源。
こずえ、お父さんと叫び続ける。
父親、ついに消える。
こずえ、膝を落とす。
徐々にフェードイン。
暗闇。
しばらくしてから携帯の着信音。
場面転換、こずえの寝室。
ベットにうつぶせに眠る、こずえ。ゆっくりと起き上がる。
こずえ、携帯の着信音に気付き、けだるそうに携帯を手に取る。
画面を確認し、息を深く吸ってから携帯にでる。
こずえ「もしもし」
百合子「オッス、オラ百合子」
こずえ「はいはい、分かってますよ〜」
百合子「ふふふ。ねぇ、こずえちゃん、今週の火曜日のお昼から、おばさんとデートしませんか?」
こずえ「(あくびをしてから)どうしようかなぁ? この前も外につれてってもらったし、なんだか悪い気がする」
百合子「ふふふ、そういわれてもね、こずえちゃんに拒否権はないのだよ」
こずえ「ええ〜」
百合子「なんなら金斗雲で迎えにいっちゃうもの!」
こずえ「はは。でも、百合子さん、仕事はどうなの? 編集のお仕事って忙しいんじゃないの?」
百合子「仕事、仕事、確かに忙しいですけどね、この業界は結構なんとかなるもんなのよ」
こずえ「嘘! この前、ご飯を歩きながら食べてるって愚痴こぼしてたじゃん」
百合子「それは、まぁ、大人っていうものは暇を作るために働いているみたいなものだから、その点はご安心を」
こずえ「……あんまり無理しないでよ。過労で倒れたって、知らないんだから」
百合子「過労、家老。バカ殿様に出てくるアレね」
こずえ「ごまかさないで」
百合子「ちこう寄れ、ってか。企業戦士を舐めるなよ〜。ちこう寄れ、ちこう寄れ!」
こずえ「あー、もう。分かった。デートね、何時ですか?」
百合子「やったぁ、では海峡メッセのグローブフィッシュにて十二時にお願いしまする」
こずえ「ははー、かしこまりました、ご家老様」
百合子「ではでは、失礼しますです」
こずえ「はい、お仕事がんばってね」
百合子「はーい、じゃあね」
ぷつりと途切れる携帯。ツーツーという、音。
こずえ、ちょっと微笑んでから立ち上がる。
眩しそうな表情。
ゆっくりとカーテンに近づくと、カーテンを手に取る。少し考えてからカーテンをきっちりと、閉める。
■第六幕
暗転。
ガヤガヤという繁華街の音。ゆっくりとフェードイン。
場面転換、海峡メッセ飲食店・クローブフィッシュ。
音楽は、先ほど喫茶店風な店で使ったとものと同じ。中央には椅子がふたつ。
店員に促され、百合子とこずえ、舞台へ。
店員「こちらでよろしいでしょうか?」
百合子「どうも」
席に座るふたり。
こずえ「私、ここに来たの久しぶり」
百合子「そうなの?」
こずえ「昔よく、ここら辺でお父さんと散歩したんだ」
百合子「そうっか。兄さんは海が大好きだったものね」
こずえ「うん。ここから海と船ばっか。帰ろうって駄々こねても、もうちょっともうちょっとって、しつこいの」
百合子「兄さんらしいわね」
こずえ、窓の外を見つめる。遠くを見渡すように。それを、百合子もならう。
百合子「天気、いいわね」
こずえ「うん」
と、しばらくして、百合子が額に手を当てる。
こずえ「百合子さん、どうしたの?」
百合子「ちょっと、ね」
こずえ「なんか、百合子さん、顔色ちょっと悪いよ?」
百合子「……」
こずえ「具合悪い? 百合子さん、大丈夫?」
百合子「ん? 大丈夫、大丈夫! いやね、最近、締め切りを破る天才みたいな、ろくでもない作家の担当になっちゃったのよね。それでもう、てんやわんやで」
こずえ「え……。ごめん、百合子さん。忙しいのに」
百合子「なーに言ってるの。誘ったのは私なんだから。それに、こずえちゃんとのデートは私のカンフル剤。いや、ビタミン剤。ううん違うな、……プ、プロテイン!」
こずえ「え、私、筋肉になるの?」
百合子「はっはっは、なにはともあれ心配は無用なのです。さて、なに食べよっか」
百合子、元気よくメニューを広げる。
こずえ、心配そうにしていたが、百合子の表情を確認して、仲良くメニューを見始める。
百合子「いっぱい食べてね。よろしかったらデザートもどうぞ」
こずえ「え。あ、うーん。どうしよう、全部おいしそう」
百合子「ふふ、遠慮しなくていいからね」
こずえ「ああもう、迷うなあ。……ねぇ、百合子さん」
百合子「なに?」
こずえ「おまかせしてもいいかな?」
百合子「もちろん。…そうだなぁ。辛いの、食べれる?」
こずえ「辛すぎじゃなければ、食べられるよ」
百合子「じゃあこの、ピリ辛フグパスタ。ここの創作パスタなんだけど、コレがけっこういけるんだよね」
こずえ「じゃあ、それがいいかな」
百合子「了解。えっと、すいませーん」
百合子、店員を呼ぶ動作。やってくる店員。
百合子「ピリ辛フグパスタふたつ、お願いします」
店員「かしこまりました」
店員、退場。
百合子とこずえ、お冷を喉に下す。
しばしの沈黙。会話の始め方を戸惑っている様子。
二人、同時に話しかける。
こずえ「百合子さん」
百合子「こずえちゃん」
ふたり「あ」
百合子「ごめんなさいね」
こずえ「あはは」
ふたり、再び沈黙。百合子、こずえの発言を促すような演技。
こずえ「んっとね、最近、お父さんが夢によく出てくるの」
百合子「え、兄さんが?」
こずえ「うん。この前はね、お父さんが倒れる前の夢。お父さん、本当におかしい人なんだよ。もぉ、変なことばっかゆってて。文句ばっか」
百合子「うん」
こずえ「なのにね、次に出てきたときは、……なんにも喋らないで消えちゃった」
百合子「……」
こずえ「ほんとう変なの。だって、お父さんが倒れて……。今まで夢に全然出てこなかったんだよ。ずっと、出てきてくれなかったのに。なんなの今頃? って、思うよね」
百合子「きっと、こずえちゃんのことがすごく気になっているのよ」
こずえ「……どうかな」
しばしの沈黙。意を決したように百合子、口火をきる。
百合子「ねぇ、こずえちゃん、どうして学校に行かないの?」
百合子の質問に怪訝そうに顔をあげるこずえ。
百合子「ごめん、いきなり変なことを聞くと思うけど」
こずえ「え、ううん……」
百合子「本当、こずえちゃんには悪いと思う。だけど、私も気になるの」
こずえ「……」
百合子「ごめんね。でもね、こずえちゃんは私にとって、たった一人の大事な姪っ子。だから、こずえちゃんが悩んでいるなら、何か手助けをしたい」
こずえ「……でも、」
百合子「こずえちゃん」
こずえ「……はい」
百合子「あのね、私にとって、兄さんと同じ血が流れている私にとって、こずえちゃんは娘みたいなんだ。だから、心配なの」
こずえ「……」
百合子「こずえちゃんにとっては、……押し付けがましいかもしれないけれど」
こずえ「そんなこと、ない。私は、百合子さんが大好きだし、それに、」
そのまま押し黙るこずえ。だがすぐに、小さく呟く。
こずえ「気持ちが悪いの」
百合子「え?」
こずえ「学校に行くと、気持ちが、悪いの。なんか、よく分からないんだけど、気持ちが悪くなって、行けなくなって、学校が駄目になって」
百合子「……こずえちゃんが学校に行かなくなったのは、兄さんが死んでから、だよね」
こずえ「……」
百合子「私ね、もしかして兄さんが死んだことが、何らかの理由になっているんじゃないかなって、思うの」
こずえ「わかんない。でも、ちょっと前は行けたし」
百合子「でも、あまり行ってないよね?」
こずえ「……うん」
考え込んでしまうこずえ。
百合子、床においた大きいバッグからノートを取り出す。
ノートを見て、こずえ、驚く。
こずえ「それって」
百合子「うん、兄さんのノート。兄さんの小説の流れとかが部分的に書いてある」
こずえ「どこにあったの」
百合子「兄さんが週間連載をしていた小説雑誌の編集室。きっと忘れていったんだと思う。兄さんは世界一のおっちょこちょいだったものね」
百合子、微笑みながらノートをめくる。
百合子「ここ、読んでみて」
こずえ「えっと、一分ごとに十パーセント、除細動処置……AED……。うーん、意味不明……」
百合子「兄さんのノート、暗号みたいよね。単語ばっか綴って、本人にしか分からない。頭の中に全部、エピソードが入っているんでしょうね」
こずえ「これが、どうかしたの?」
百合子「最後のページを見てみて」
こずえ「えっと、」
百合子「最高傑作、二〇〇七年三月一日、発表」
こずえ「二〇〇七年? 三月一日?」
百合子「よく分からないでしょう。私もね、初めてこれを見たとき、どういう意味かさっぱり分からなかった。だから、色んな出版社に聞きまわったわ。だけど兄さんは、出版契約も作品契約も、一切むすんでいなかった。全ての創作をやめていたの。なのに、最高傑作、発表。おかしいでしょう?」
こずえ「うん」
百合子「それでね、三月一日が何の日か調べてみたの。そしたらね、何の日だったと思う?」
こずえ「何の日、だったの?」
百合子「こずえちゃんの高校の、卒業式よ」
こずえ「え……」
こずえ目を見開き、そのまま考え込むように沈黙。
百合子、呼吸をひとつ吐いてから言葉を続ける。
百合子「こずえちゃんにはもう、何のことか分かるよね」
こずえ「よく、分かんない」
百合子「そうだね、分からないかもしれない。だけどね、こずえちゃん。この日の意味を推測したとき、私にはひとつの考えが浮かんだの。こずえちゃんがどうして学校に行かなくなってしまったのか」
こずえ「え?」
百合子「もしかして、こずえちゃん、兄さんが生きていた頃に、留まりたかったんじゃないの。卒業したら兄さんの創作が、本当の意味で終わる。兄さんの生きる証が、本当の意味で終わってしまう」
こずえ「……」
百合子「卒業の日に発表される予定だった作品。あなたにプレゼントされるはずだった作品。この作品のことを、こずえちゃんは兄さんが死ぬ前に知ってしまったんじゃないの?」
こずえ「知らない」
百合子「知らないって、何? こずえちゃんは本当は、わかっているよね? 学校に行けないのではなくて、学校に行かないのではないの? 兄さんとの思い出を、本当に断ち切ってしまうように思えて、行きたくないのではないの? 卒業したくないのではないの?」
こずえ「そんなわけ、ないじゃん。学校に行くとか、行かないとか、関係ないよ。学校に行けないのは、学校に行くと気持ちが悪いからだよ、それだけだよ」
百合子「気持ちが悪くなってしまうのは、この作品のためではないの? こずえちゃんは、分かっているのではないの?」
こずえ「そんなことない。お父さんは死んだんだよ」
百合子「こずえちゃん」
こずえ「お父さんは死んだの」
二人の沈黙が続く。
意を決したように、百合子から話し始める。
百合子「今日はね、姉さんも呼んでいるの」
こずえ「え?」
百合子「学校に行かない本当の理由について、ちゃんと二人で話し合ったほうがいいと思って。もうすぐ、来ると思う」
こずえ「何ソレ、聞いてないよ」
百合子「ごめん。でも、香織さんが来ることをこずえちゃんに言ったら、きっと来てもらえないと思って」
こずえ「だましたの」
百合子「だますとか、そういうことじゃなくて、私はどうしても二人に話し合ってほしいの」
こずえ「そんなの、ゆりこさんに関係ないじゃん」
百合子「関係あるよ、こずえちゃんは大切な姪っ子。かおりさんは兄さんの妻。二人は私にとって大切なの。私は、二人がすれ違っているのを、これ以上我慢できない」
こずえ「百合子さん、最低」
百合子「こずえちゃんにとっても、大切なことでしょう。学校に行かないで部屋に閉じこもったままではいけないのよ」
こずえ「そんなの分かってるよ!」
百合子「分かってない。こずえちゃんは、分かってないよ」
こずえ「私、帰る」
百合子「駄目」
こずえ、席を立ち上がる。それを止める百合子。
こずえ「痛い、離して」
百合子「離さない。ちゃんと席について、香織さんの話を聞いて。こずえちゃんもちゃんと言って。逃げないで」
こずえ「離して」
百合子「話をしよう。こんな状態を、ずっと続けるの? それでいいの?」
こずえ「知らないよ、分かんないよ」
百合子「二人がこんなに別れている状態を、兄さんが喜ぶと思う?」
こずえ「……」
ゆりこ「お願い、座って」
説得され、ようやく席に着くこずえ。
百合子、どんどん覇気を失っている。どこか、辛そうな様子。こずえは気付かない。
しばらくしてから、香織が入ってくる。一度ためらった様子をみせてから、小さく声をかける。
香織「おまたせ」
百合子「あ、姉さん。ううん、丁度よかったわ」
こずえ「……」
香織「こずえ、久しぶり」
こずえ「……」
香織「こずえちゃん」
こずえ「……話すことなんか、ないんだけど」
そのまま、険悪な雰囲気。
店員が料理をもってやってくる。
店員「おまたせしました。ピリ辛フグパスタを、ふたつ……」
百合子「ありがとう」
店員「追加の注文はありますでしょうか」
百合子「姉さん、こずえちゃん、何かある」
かおり「私はいいわ」
こずえ「……」
百合子「えっと、以上でけっこうです」
店員「かしこまりました。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
なんとも言えない重たい雰囲気に、店員、すぐさま礼をして、そそくさと立ち去る。
百合子「こずえちゃん、料理がきたよ」
こずえ「いらない」
香織「こずえ」
こずえ「……」
香織「百合子ちゃんから、いろいろ聞いたと思う。私は、こずえが何を思っているのか、知りたい」
こずえ「……話すことなんかないよ」
百合子「こずえちゃん、ちゃんとして」
こずえ「してるし」
香織「こずえ」
こずえ「……」
香織「こずえは、私と話すのが嫌かもしれない」
こずえ「……」
香織「だけど、私はこずえに学校に行ってほしいの。だから、どうしてこずえが学校に行かなくなったのか知りたい」
こずえ「……」
香織「それは、百合子ちゃんも同じ。心配しているから。だから、話して欲しい」
こずえ「……」
香織「ちゃんと話してもらわなきゃ、分からない」
こずえ「話す? 何を話すの? なんも聞いてくれないじゃん」
香織「え?」
こずえ「いっつもいないのに、何を話すの?」
香織「それは、お母さんのお仕事は普通のお仕事とは違って、家にいることは少ないけど」
こずえ「そんなの、言い訳じゃん。昔から私の話なんて聞いてくれなかったよ。うちにいるのはお父さんだけだった」
香織「それは。……こずえには悪いことをしたと思っている」
こずえ「お・と・う・さ・ん・が! 全部してくれた。家のことだけじゃないよ、運動会とか、授業参観とか、全部お父さんが来てくれた」
香織「でも、それは、仕方ないことでしょう。お母さんは」
こずえ「仕事があったから? お父さんだってお仕事あったよ、たくさん」
香織「お父さんの仕事は作家で、家にいられる仕事でしょう」
こずえ「そんなの関係ないよ。うちには母親なんかいつもいなかった。お父さんと二人暮らしだった。今頃、母親面して何なの? 私が学校に行こうが行くまいが、本当は興味ないんでしょ」
香織「そんなことないわよ。確かに、こずえには寂しい思いをさせたかもしれない。だけど、お母さんはこずえのこと」
こずえ「そんなの、全然わかんないよ!」
百合子「こずえちゃん、落ち着いて」
こずえ「私だけじゃないよ、お父さんのこともだよ! 私たちのこと全然考えてもくれなかったじゃない。家事も子育ても全部お父さんにおしつけてフラフラしてただけじゃない。 私だけじゃない、お父さんのこともちっとも考えてなかった!」
百合子「そんなことないよ、姉さんは」
こずえ「百合子さんはお人よしだね。こんな人をなんでかばうの? この人は家庭を捨てて仕事ばっかしてたんだよ。昔から、ずっと!」
百合子「それは」
こずえ「ずっと、ずっと。今回のこともきっと、百合子さんに言われてしぶしぶ話し合うことにしたんじゃないの? それとも、体裁が悪くなったの?」
百合子「違うわよ、姉さんはあなたのことを思って」
香織「こずえ、落ち着きなさい」
こずえ「うるさい!」
百合子「こずえちゃん」
こずえ「百合子さんだけだよ。……今、私の心配をしてくれる人は百合子さんだけ。百合子さんが母親だったら良かったのに」
百合子「こずえちゃん」
こずえ「そしたら、全部しあわせだった。お父さんが死ぬこともなかった」
百合子「こずえちゃん? 何を言ってるの?」
こずえ「お父さんが死んだのは、誰のせいだと思う?」
百合子「何を、」
こずえ「この人が! 家の仕事をほったらかして、ブラブラしている時! ……お父さんは倒れた。お父さんが息もできないで苦しんでいた時、この人は他人を運んでた。いくら電話をしても繋がらないと思っていたら、そんなことしてた」
香織「こずえ……」
百合子「こずえちゃん、駄目よ」
こずえ「自分の夫が死にそうな時に、私が必死で電話をかけていた時に」
百合子「違うわ」
こずえ「違くない。家族なんてどうでも良かったんでしょう。だから、見捨てたんでしょう、見殺しにしたんでしょう」
百合子「こずえちゃん、駄目、それ以上は」
こずえ「何が違うの? お父さんを殺したのは、アンタだよ!」
香織、急に立ち上がると、こずえの頬を思いっきり叩く。
場が一瞬で静まる。こずえ、無言のまま椅子から立ち上がる。
走るように退場。
百合子「姉さんはここにいて、私がなんとかするから!」
百合子、こずえを追いかけて退場。
席にひとり残される、香織。
フェードアウト。バタバタという足音。すぐに明かりがつく。
場面転換、ロビー。
こずえが舞台の上を走る。
それを追いかけ、こずえの行く先をさえぎる百合子。
百合子「待って、こずえちゃん」
こずえ「百合子さん、私……」
百合子「話をしよう。ちゃんと、話し合わなきゃ」
こずえ「分かってるよ」
こずえ、百合子をじっと見る。
こずえの表情には、怒りではなく悲しみがある。
こずえ「学校に行かなきゃ駄目だってことは、ちゃんと分かってる」
百合子「それなら」
こずえ「話をしなきゃいけないのは、ちゃんと。だけど、今更、どう話したらいいの?」
百合子「……」
こずえ「今更、どうやって」
こずえ、不安そうに顔をぬぐう。
百合子、こずえの頭を撫でようとする。
だが、そのまま頭を抱える辛そうにうめき始める。ゆっくりと後退、ゆっくりうずくまる。
このとき、ノートや携帯電話などを落とす。
こずえ「百合子さん? どうしたの?」
百合子「ごめんね、ちょっと、気分が」
こずえ「え」
百合子「おかしい」
そのまま床に倒れこんでしまう、百合子。
こずえ「ゆりこ、さん? 嘘」
百合子、苦しそうに呻く。
次第に体の動きが減少していく。
こずえ、百合子の体を撫でさする。
こずえ「え、え、百合子さん? 百合子さん?」
百合子「……」
こずえ「さっきから、顔色が悪かったけど、まさか」
ついに、百合子の動きが完全に停止。
父親が倒れた時の記憶フィードアップ。
こずえ「やだ!」
こずえ、周囲を見渡す。
こずえ「すみません、誰か! 助けてくれませんか! 誰か! お願い」
ざわめく周囲。だが、誰も動いてはくれない。
周囲の冷たい反応に、こずえは唖然とする。少しずつ、焦燥。
こずえ「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
焦るこずえ。そのとき、床に転がったゆりこの携帯電話を見つける。
それを手に取り、百合子を一度確認してから、携帯をかけ始める。
呼び出し音。
二回くらいで、香織が出る。
香織「もしもし、百合子ちゃん? こずえは」
こずえ「百合子さんが!」
香織「こずえ、こずえなの?」
こずえ「お願い! 助けて、百合子さんが!」
香織「百合子ちゃんがどうしたの?」
こずえ「倒れたの、助けて、助けて!」
香織「倒れた? 今行くから。どこにいるの」
こずえ「ロビー! 助けて! ゆりこさん死んじゃう! お父さんの時みたいに、死んじゃう!」
携帯が切れる音。慌て、崩れる、こずえ。
恐怖心に震えながら香織を待つ。
しばらくして、香織が登場。
香織「こずえ!」
こずえ「お母さん!」
香織「どうしたの? 百合子ちゃん?」
こずえ「どうしよう、お母さん、どうしよう」
香織、百合子の体をさわり、その様子を観察。呼びかけ。
香織「百合子ちゃん! 百合子ちゃん!」
だが百合子、全く反応せず。
香織、胸骨に拳を当て、痛みを感じるかチェック、感じず。
脈を診る。
そのとき、店員が走ってくる。
店員「お客さん、お勘定をお忘れです!」
香織「すみませんが、海峡メッセにはAEDがありますよね?」
店員「え! あ、はい!」
香織「すぐに持ってきて下さい!」
店員「はい!」
香織「こずえ、救急車に電話」
こずえ「うん」
香織、すぐに百合子の気道を確保。
こずえ、電話。
香織「見て、聞いて、感じて」
こずえ「もしもし、その、おばが、倒れて」
香織「こずえ。場所と状況を説明しなさい。海峡メッセ夢タワー入り口付近。三十代女性が倒れた。意識、呼吸、脈なし」
こずえ「場所は、海峡メッセ夢タワーの入り口付近です。女性が、倒れたんです。意識も、呼吸も脈もなくて」
香織「これからAEDを使用します」
こずえ「これから、AEDを使用します!」
香織、こずえに命令をしている間に百合子のつけているネックレスを、上着、ブラジャーのホックを外す。
人工呼吸を始める。二回の呼気吹き入れ、脈を診る。
香織「息なし、咳なし、体動なし」
確認後、十五回心臓を押す。きちんと数えて。
こずえ「お母さん!」
香織「何?」
こずえ「AEDって何なの?」
香織「AEDは、」
香織が説明を始めようとしたとき、店員がAEDを持って走ってくる。
店員「持ってきました!」
香織「ありがとうございます。今から救急車が来ます。誘導をお願いします。方向は下関駅方向からです」
店員「分かりました」
店員、退場。香織、AEDの準備を始める。
香織「自動体外式除細動器。心臓に電気を送るの」
こずえ「そんなこと、できるの? ここで?」
香織「できるよ」
香織、説明と同時に準備を完了させる。百合子の呼吸を確認。
香織「見て、聞いて、感じて」
香織、マウストゥマウス。呼気を二度、吹き込む。
その後に脈を取る。
香織「息なし、咳なし、体動なし」
脈と取った後、百合子にAEDを装着する。
それを見守る、こずえ。
香織「離れて」
AEDから電気が送られる。その瞬間、舞台は真っ暗に。
救急車のサイレンが響く。バタバタとせわしない足音。
少ししてから、静寂。
■第七幕
ゆっくりと、フェードイン。
場面転換、病院の廊下。
長めの椅子に、こずえと香織が座っている。二人は、対面していない。
香織「さっきは、ごめんね」
こずえ「え?」
香織「叩いて」
こずえ「……そんなこと、ないよ。酷いこと言った、し」
香織「……こずえ、ごめんね。いつもお母さん、こずえに黙って仕事ばかり、してた。こずえ、ごめん。ごめんね」
こずえ「謝らないで。謝るのは、違うよ。だって、私はただ、」
香織「こずえはまだ子供よ。子供なのに、小さいころから色んなことを押し付けてしまっていた」
こずえ「……お母さん、私ね。全部お母さんが悪いんだって、思い込もうとしてたの」
香織「……」
こずえ「電話をして、お母さんが出なかったのは、仕方ないことだって、分かってた。お母さんの仕事が生半可なものじゃないって、知ってた。なのに」
香織「こずえ……」
こずえ「あのね、お母さん」
香織「なに?」
こずえ「お父さんね、お母さんの小説を書いてたんだよ」
香織「そうなの?」
こずえ「女性救急救命士の物語。その人は、色んな人を助けるの。色んな命を、救うの。お母さんは知らなかったと思う。私がね、お父さんにお願いしたの。お母さんの話を書いてって、お願いしたの」
香織「え?」
こずえ「頑張ってるお母さんにって。お父さんも私も、お母さんを応援したかった。寂しくなかったって言ったら、うそになるけど。本当はお母さんの仕事を誇りに思ってた」
香織「そうだったの」
こずえ「ねえお母さん。お父さんのパソコンのパスワード、なんだと思う?」
香織「なぁに」
こずえ「家族三人の、名前だよ。こずえ、だいき、かおり」
香織「そっか、お父さんらしいね」
こずえ「だけどね、私はそんなことすら忘れていたの」
香織「……」
こずえ「クラブに夢中になって、家族のことも、お父さんが書いている小説のことも、忘れてた。思い出したのは、お父さんが死んだ後。私それまで、どうしてお父さんが休筆期間に入ったのか、分からなかった。最高傑作の意味も、全然分からなかった。またお父さんが変なことを始めた、そんな感じにしか思っていなかった。本当は、お父さんを見ていなかったのはお母さんじゃなくて私」
香織「そんなこと言わないの」
こずえ「ううん。お母さんはお父さんや私のために頑張って働いていたんだもの。なのに、私はお母さんを責めて。自分のせいなのに、お母さんを責めて、百合子さんのことだって、私が」
香織「こずえ、違う。駄目よ、自分を責めないで。そんなことをしてほしくて、百合子ちゃんはお母さんとこずえを会わせたわけじゃないよ」
こずえ「でも、私がちゃんと見てさえいれば良かったんだよ。そうしたら百合子さんはこんなになるまで働かなかったし、お父さんだって、死ななかったんだよ」
香織「それは違うよ。お父さんは、急性の脳溢血なんだから。こずえのせいじゃない。こずえのせいなんかじゃない」
香織、こずえの手を軽く握る。こずえは一切の抵抗を示さない。
香織「こずえは、そんな風に思っていたんだね」
こずえ「……」
香織「お母さんもね、こずえに言っていないことがあるの」
こずえ「え?」
香織お母さんね、働かないと、怖いの」
こずえ「怖い?」
香織「……お父さんが死んでから、こずえと二人きり。お父さんにまかせっきりだったことを、ちゃんとやらなくちゃって、こずえを私が守るんだって、思っていたの」
こずえ「うん」
香織「こずえに寂しい思いをさせちゃ駄目だって、思っていたの」
こずえ「……」
香織「だけど、出来なかった、怖くて、出来なかったの」
こずえ「どうして?」
香織「お父さんから呼ばれているような気がするの」
こずえ「どういう、意味?」
香織「通報が来ると、それがいつもお父さんのことのような気がするの。性別だとか、年齢だとか、関係なくて。お父さんが苦しんでいるような気がするの」
こずえ「……」
香織「駆けつけたくて、たまらない。行かなければ、怖いの。お父さんを見殺しにしてしまうようで、恐ろしくてたまらないの」
こずえ「そんなこと」
香織「お母さん、寂しかった。お父さんが死んで、悲しかった。だけど行けなかった。だからかもしれない。必要以上に、働いてしまう。こずえときちんと話をしなければならないのに、こずえとの時間を割いて、通報を待ってしまうの」
こずえ「お母さん」
香織「こずえ、ごめん」
こずえ「お母さん、私、気付かなくて」
香織「こずえ、ごめんね、本当にごめんね」
こずえ「……お母さん!」
手を握り合い、抱き合うように寄り添う二人。
そのとき、白衣を着た人物が二人のもとに歩み寄ってくる。
白衣「準備が出来ました。どうぞ」
白衣、二人を導くように退場。
こずえ、香織、ゆっくりと立ち上がり、白衣についていく。手をつなぎながら歩みだす二人。
支えあうように、歩む。
■第八幕
すれ違うように、片手にノートをもった大貴が舞台にあがる。
床にすわり、ノートになにやらペンを走らせる。
大貴がノートに集中していると、香織がお盆をもって舞台端に登場。
ドアを叩く。
香織「お父さん、お父さ〜ん」
大貴、香織に気付かず。
香織、ため息をついてからドアをあける。つかつかと大貴に歩み寄り、背中にチョップ。
大貴「む!」
香織「おはようごさいます、朝ですよ」
大貴「母さんか。珍しいな」
香織「昨晩はずっといたけど」
大貴「え? そうだったのか。言ってくれれば良いのに」
香織「何回もノックしました!」
香織、再びチョップ。
大貴、それを白刃どり。
大貴「ふっふっふ」
香織「まったく、こういう時だけ反応がいいんだから」
大貴「お、この匂いは」
香織「お茶を入れてきたんです。一息つきませんか」
大貴「ふんふん、良いダージリンだな。どこの名産?」
香織「インスタントですよ」
大貴「インスタント州か。きっと気候が良いんだろうな」
香織「……」
大貴「それにしても、母さんと思えないくらいの気のききようだなぁ」
香織「それ、どういう意味です」
大貴「鈍感という意味だが」
香織「はぁ。そうですか」
大貴「どれどれ」
大貴、ダージリンを口に運ぶ。香りもならう。
大貴「うん、おいしい。なんだか疲れがとれるな」
香織「そうね」
しばしの間お茶を楽しむ二人。大貴、急に姿勢を改める。
大貴「香織」
香織「何? 改まっちゃって」
大貴「香織は、すごいね」
香織「いきなり、どうしたの」
大貴「いや。うん、ちょっとね」
香織「珍しい」
大貴「うん、いや、うん。香織のやってる仕事はすごいぞ!人の役に立つというのかな、うん。人を救う仕事だろう。これはもう、すごいぞ」
香織「やめてよ。人を救うなんて大そうなこと。なんだか恥ずかしいよ。それに、私は応急処置をして運ぶだけ。救っているのは医者だよ」
大貴「誰かのために何かをしたいと走る。そのことを、人を救うというんだよ。違うか?」
香織「……」
大貴「香織の仕事は立派だよ。俺は誇らしい。香織、頑張れよ。大変かもしれないけど、くじけるなよ」
香織「もう、どうしちゃったのよ……」
大貴「少なくとも、俺は香織に救われてるんだ」
香織「え?」
大貴「香織と出会って、こずえが産まれて、幸せで。普通のことかもしれないけど、幸せで、救われてるんだ。ありがとう。ありがとうって言葉じゃあ足りないかもしれないけれえど、ありがとう」
香織「もう、本当にどうしちゃったの。恥ずかしい人だね」
大貴「……言えるときに言わないと、言えなくなるからな」
香織「そういうもの?」
大貴「そういものだ。……うん、すまない。俺、今日は変だな」
香織「……大貴」
大貴「ん?」
香織「ありがとう」
大貴「……」
お茶を飲み終わり、香織、食器を片付けて立ち上がる。
香織「仕事があるから、もう行くね」
大貴「おう、無理はするなよ」
香織「大貴もね」
香織、お盆をもって退場。
大貴、再びノートを開き、ペンを走らせ始める。
ゆっくりとフェードアウト。暗闇に、声だけが聞こえる。
大貴「一分ごとに十パーセント」
大貴「救急救命士」
大貴「除細動処置」
大貴「女性、奮闘」
大貴「AED」
大貴「海峡メッセにて」
大貴「最高傑作」
大貴「二〇〇七年三月一日、発表」
大貴「こずえ、だいき、かおり」
大貴「愛してる」
音楽が徐々に消えてゆく。
しばらく、暗闇。
電話の着信音が鳴る。少しずつ、フェードイン。
ベットの上にこずえが眠っている。
軟体動物のように緩慢な動きでベットの下の携帯を取ろうとして、ベットから転げ落ちる。
電話に出る。
こずえ「はい、もしもし」
百合子「オッス、オラ百合子」
こずえ「はいはい、分かってますよ〜。こんな朝から電話するのは百合子さんぐらいですからね〜」
百合子「ふふふ! ねぇねぇ、こずえちゃん、今度の日曜日」
こずえ「駄目です」
百合子「ぎゃあ、全部聞かないでなんという! ええとですね、おばさまとデート」
こずえ「駄目」
百合子「そりゃないよう。せっかく退院したんだから、お祝いにデートしようよ、デート。素敵にエスコートするから、ね?」
こずえ「駄!」
百合子「ひどいよう」
こずえ「ひどいもなにも、このあいだ退院したばっかでしょ。まだ本調子じゃないじゃん。また倒れたらどうするの?」
百合子「もう大丈夫だよ。私を奴隷のごとく働かせた悪の組織からは足を洗いましたし。ねえ、こずえちゃんというカンフル剤をおくれ」
こずえ「あれ? プロテインじゃなかったの?」
百合子「そんな過去もあったなぁ。まぁとにかく、……海峡メッセでピリ辛フグパスタ!」
こずえ「え〜また?」
百合子「またって。結局食べてないんだから、いいじゃない。一口も食べないでお支払いしたんでしょう」
こずえ「あの状況で食べられません」
百合子「そりゃそうだ。あんな修羅場じゃ食べられないね。私はもう本当、心臓とまるかと思ったもの」
こずえ「ん?」
百合子「ん?」
こずえ「ふふ、ピリ辛ふぐパスタ、楽しみだな。……ねぇ、百合子さん」
百合子「なぁに?」
こずえ「お願いがあるんだけど」
百合子「お願い?」
こずえ「うん、お願い」
百合子「ふむふむ、なんだね?」
こずえ「……お母さんも、誘ってほしいの」
百合子「……こずえちゃん」
こずえ「いい、かな?」
百合子「うん、もちろん! 三人で食事だね。そいつぁ楽しみだ!」
こずえ「ふふ。どうだろ、また喧嘩したら、どうする?」
百合子「……こずえちゃんのいじわるぅ」
階段を上がる音。香織が舞台の端に上がってくる。ノックをして、再び下がる。
こずえ「あ、もう切るね」
百合子「はーい、学校頑張ってね」
こずえ「はーい、分かってますよ」
百合子「またね!」
携帯が切れる。
こずえ、小さく微笑むと、ゆっくりと歩き出す。
と、気付いたように、カーテンに近づき、カーテンをゆっくり開ける。
この時、全ての照明をつける。
眩しそうにした後、再び歩き出す。
ドアを開け、舞台外へ。
階段を下りる音。
しばらくしてから、セリフ。
こずえ「おはよう、お母さん」
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