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  過去作品集 作者:雪芳
坊と五百円の牛(コメディ)
 日本が大きな戦争で負けてから十年目くらいのことです。
 その頃はみんな、お金がなくって、汚くって、臭くって、お腹がペコペコでした。仕方がありません。なぜなら戦争でお金も地位もガッツリなくしてしまったからです。
 でもまぁ、苦しい生活をしてはいたんですけど、どうしてだかみんなは、元気いっぱいでした。

 それはさておき。

 今日はそんな元気いっぱいな「みんな」の中の一人、ある村のある家のある少年のお話をしたいと思います。
 ではでは、はじまり、はじまり、パチパチパチ……。

 あるところに、ある時代の、ある村の、ある家の、ある少年がいました。名前は書きませんが、坊と呼ばれていました。もしかしたら、あなたと同じ名前かもしれない坊は、ある朝、お父さんに呼ばれました。

「おいっ、坊、さっさと来」
 そんな言葉で、まだまだ小さな坊は起き上がりました。眠い目をこすって、ううんと背伸びをし、膝をつきます。そして、目をしっかと見開きました。
「とっちゃ、どうしただ?」
 昼寝から覚めたばかりの坊は、お父さんがいる居間へ走り出しました。お父さんが建てた坊の家はとても小さいので、三歩あるくとすぐ居間につきました。
 お父さんは、木の棒を片手に溜め息をついています。

「どもこもねが。牛が、ねぇんだ」

「へぇ、なんでねぇんだ?」
 坊は驚いて飛び上がりました。なぜなら坊は、お肉屋さんの息子で、お父さんはお肉屋さんだったからです。
 お肉屋さんではお肉を売りますが、お肉にはたくさん種類があります。かえる、にわとり、うさぎ、ぶた、いのしし……中でも、一番高いのは牛で、一番売れるのも牛でした。

「もう売りぎれでの、売る牛がねぇんだよ」
 そう言ってお父さんは、またまた溜め息をつきました。

 どうしてお父さんが溜め息をついているのかといいますと、今日はお祭りで、牛が飛ぶように売れる日だからです。お祭りの日は、みんな牛の肉を食べるのでした。特別な日ですから、高級なものを晩御飯にしたいと、みんなは考えているのです。
 そして、かえる、にわとり、うさぎ、ぶた、いのしし……特別の日にあまり食べない肉は、とんと売れないのでした。

「とっちゃ、なら、牛を買えばええべさ」
 坊はニッコリと笑いました。そうです、確かに坊がいうとおり、新しい牛を買えば、お肉屋さんは牛をさばいて、肉を売ることができます。ですがお父さんは、坊の当たり前の提案に、三度目の溜め息をつきました。
「えぇか、ようく目ん玉ひんむけよ」
 そう言うと、お父さんはお札を出しました。100円札が五枚。それが、お父さんの手で、扇子のように広げられます。
 坊は思わず、絶叫しました。

「た、大金だ!」

 そうです、確かに坊がいうとおり、一円でお菓子が買える時代ですから、百円札五枚は大金で、さらにいいますと、大学校を卒業した方の初任給に匹敵します。絶叫するのも無理がありませんでした。
 ですがお父さんは、坊の当たり前の反応に、四度目の溜め息をつきました。
「これはな、肉を買うための金だ。これでな、全部なんだ」

 ははん。坊はようやく、お父さんの溜め息の原因が分かりました。
 牛はとても高級な食べ物です。牛を一頭買うのには、とてもとてもたくさんのお金が必要で、それはお菓子を百回我慢しても、大学校を卒業してから大企業に就職してお金をもらっても、足りません。五百円じゃ、足りません。

 売りたいお肉がありません、買いたいお金もありません。これでは、せっかくのお祭りの日なのに、お肉がとんと売れなくなってしまいます。

 坊はお父さんの溜め息の原因をそこまで探ると、ふふふ、と笑いました。お父さんは怒りました。だってここは悲しむところだからです。お肉が売れなくては、生活ができないのですから……。

「坊! おめぇはなんて童だ。肉が売れねぇんだぞ。寝過ぎて頭ぁついにおかしくなったか!」
 怒りに震えるお父さんに、坊はぶんぶんと体を左右に振ると、
「簡単だべさ。五百円でも牛が買えるよぅ」
 ふふふ、と笑いました。

「五百円ぺっこで牛が買えるだとぅ! 馬鹿いうでねぇ、五百円ぺこじゃ、せぇぜぇ、痩せて年老いた牛しか買えん。痩せて年老いた牛の肉なんか、売れねぇべ!」

 お父さんの叱咤は当然で、お父さんの言葉は正しいです。五百円じゃ、牛は買えません。なのに……。
「えがんす、とうちゃ。おらにいい考えがあるだ。五百円ぺっこでえぇ牛を買う方法がな、あるんだぁ」
 そうして坊はまた、ふふふと笑うのでした。

 坊は、のそのそと歩いていました。五百円を握り締めて。目指すは、牧場です。
 しばらく歩いていると、牧場につきました。緑色の草原が山のてっぺんまで続いており、柵もなく放し飼いにされた牛たちは、なんとも美しい筋肉をしています。
 坊はどうするつもりでしょうか。こんなにも素晴らしい肉をもった若い牡牛たちが、五百円で買えるはずがありません。

 さてさて坊は、良い肉をもつ牛の前に立つと、大きく息を吸い込みました。
 そして大きく、声を出しました。

「あーああー、なんて酷い牛だろう!」

 なんということでしょうか。坊は素晴らしい牛の目の前で、なんともトンチンカンなことを叫びます。

「あーああー、まずそうな牛! こんなんじゃとんっと、売れねーだろうなぁ!」

 すると、草原の遠くから土煙が巻き上がって、こちらへとやってきました。みると、真っ赤な顔をした男のひとが、もうれつな勢いで走ってくるではないですか。
 坊は男のひとを見ると、もう一度、叫びました。

「あーああー、まずそうな牛!」
「なんだってぇぇえ!?」

 坊だけではなく、男のひとも叫びました。そして坊の耳元まで近付くと、もう一度、
「なんだってぇぇえ!?」
と叫びましたので、坊も、
「あーああー、まずそうな牛!」
と、叫びました。

 男のひとは髪の毛先まで真っ赤にしながら、坊に問いかけました。
「おらは牛をたんせいこめて作ったもんだ。この牛は、おらが自信をもっている牛だ。まずくはないはずだぞ」
「おらだって肉屋がたんせいこめて育てた肉屋の息子だ。この牛は、おらが自信をもって、まずいといえる牛だぞ。おらの目は、たくさんの素晴らしい牛をみてるんだぞ」

 坊の言葉に、男のひとは汗をひとつぶ流しました。
「でもぼうず、よくみてけれや。こんなに艶のある毛をもつ牛はないべ」
 すると坊は顔をしかめて、
「ああそうだ。艶があんべ。この艶がだめだ。脂がみなぎって、ぎとぎとしている証拠だべ。こんな牛を食べてみろ、明日は腹を壊すぞ」
といいました。

 坊の言葉に、男のひとは汗をひとつぶ流しました。
「でもぼうず、よくみてけれや。こんなに筋肉のある牛はいないべ」
 すると坊は顔をしかめて、
「ああそうだ。筋肉があるべ。この筋肉がだめだ。走りすぎて、筋肉がかたくなった証拠だべ。こんな牛を食べてみろ、明日はくそが出なくなるぞ」
といいました。

 坊の言葉に、男のひとは汗をひとつぶ流しました。
「でもぼうず、よくみてけれや。こんなに太った牛はいないべ」
 すると坊は顔をしかめて、
「ああそうだ。太ってんだ。この牛がだめだ。草を食べ過ぎて、重くなった証拠だ。こんな牛を食べてみろ、明日は土に沈んで地獄へ落ちるぞ」
といいました。

「つまり、この牛を食べると、明日には腹を壊して、くそは出なくなって、地獄へ落ちるのか」
「そうだ」

 男のひとは走ってきたころと反対に今度は真っ青になって、ぼうずに言いました。
「どうすればええんか」
「簡単なことだ。牛を売ればいい」
「でも、こんな牛、いくらで売れるべか」
 うんうんと迷い出した男のひとに、ぼうずは答えます。
「せいぜい五百円だべな」
「五百円!」
 男のひとはついにヘナヘナと倒れました。
 たんせいこめてつくった牛が五百円ぽっちだったということ。
 食べたら腹を壊してくそが出なくなって地獄に落ちる牛が五百円もするということ。
 ふたつのことが男のひとの頭の中でクルクル回って、男のひとは、ヘナヘナ倒れました。
「しかたないべ、おじちゃ。元気出せ。ちょうどいま、おら、五百円もってるから、牛こうたげる」
 坊はにっこりと笑うと、男のひとに五百円をさしだしました。


 帰り道のことです。
 夕日の色に染まった道を、坊は歩いていました。手には五百円はありませんでしたが、かわりに素晴らしい牛をつないだ手綱をにぎりしめていました。
「五百円で牛を買えたぞ」
 坊は、しめしめと口許に手をおきました。こらえてもこらえても、笑みがこぼれます。五百円では、とても買えないほどの立派な牛と一緒に、坊はにこにこ顔でした。
 そうしてしばらく歩いていますと、坊の家の看板がみえてきました。赤い看板で、肉屋と書かれています。
 坊は更ににこにこ顔になりました。

 すると、その時です。

 牛がとつぜん、立ち止まりました。
「どうしただ? 家はもうすぐだぞ」
 坊の呼び掛けに、ですが、牛はまったく反応しません。
 そればかりか、なにやら奇妙なことをしています。まえのめりになって、後ろ足で大地をけっているのです。坊はわけがわからず、もう一度、呼び掛けました。
「どうしただ? 家はもうすぐだぞ」

 すると、どうでしょう。
 急に坊のからだがフワリと浮かびました。坊はなにがなんだかわからず、辺りを見渡します。
 すると、どうでしょう。
 木も、たんぼも、すごいはやさで坊の後ろへと走っていきます。上をみてもおなじこと、雲も、からすも、すごいはやさで坊の後ろへと走っていくのでした。
 そうして坊は、ようやく気付きました。

「牛、とまれぇ!」
 そうです。牛は走っていたのです。
 坊は手綱をしっかと握っていましたから、牛は坊をひきずって走っているのでした。
「牛、とまれぇ!」
 と叫びますが、牛は止まりません。なぜなら牛は、ひとの言葉が分かりませんから。やはり牛は走ります。
 すると、坊へと、牛へと、赤い看板が近付いてきました。牛は、坊の家へと突進しているのでした。

「牛、とまれぇ!」
 坊にかまわず、牛はどんどん走ります。素晴らしいスピードです。
 なんたって、艶のある、筋肉のついた、まるまると太った牛なのです。それはもう、すごいスピードなのでした。

「牛、とまれぇ!」
 でもやはり、牛はひとの言葉がわかりませんから、止まらず、看板につっこみ、家にも激突したのでした。



 日本が大きな戦争で負けてから十年目くらいのことです。
 その頃はみんな、お金がなくって、汚くって、臭くって、お腹がペコペコでした。仕方がありません。 なぜなら戦争でお金も地位もガッツリなくしてしまったからです。
 でもまぁ、苦しい生活をしてはいたんですけど、どうしてだかみんなは、元気いっぱいでした。

 そんなみんなの中に、牛を五百円で買って、大変な目にあった少年もいました。
 真っ赤に目をはらして、からだじゅう擦り傷だらけになった坊は、お父さんからゲンコツをもらいました。
 そしてその後、お腹一杯、素晴らしい牛の肉を食べたそうです。




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