人間観察のブルース(文学)
めまぐるしく回る日常を、人間観察で過ごすのは、別に俺が暗いからじゃない。
JRのとある始発電車に乗り込んで、がらがらの席に座り込んで、窓から乱暴に侵入してくる早めの朝の匂いばかり嗅いでいる。俺の短めの黒髪がさらさら揺れた。
本日夜中、同棲中の彼女から受けた一撃が、未だに俺の右頬に電流を流している。
どうしようもないじゃないか、真夏の太陽の下にいると、何故かグラマラスな女の子に目が言ってしまうのは。だってこう、腰とかクネクネ、誘ってるんだ。
男ってやつは基本的に永遠の愛なんて信じちゃあいない。
本能の思うが侭、愚かな生き物なのだ。それを受け入れ、可愛い! くらいの台詞を吐けるようじゃないと、恋なんかやってられないんだぞ。
俺は窓の向こうに浮かぶ流離い人のような雲に相槌を求めるように、欠伸した。
丁度そんな時。
隣の車両から、ゆらゆらと幽霊のように揺れながら、一人の女の子がやってきた。女の子はなんだか、何もかも重いんです、ってか人生が重いんですって感じに見えた。
空気も、服も、重力も。
鞄に至っては、地球でも持ってるんですか、お嬢さ〜んって突っ込みたくなっちゃうね。マジで。
今まで明るいのが取り柄な僕のお陰で青春ドラマの一こまのようだった室内が、冷たい熱を持ってしまって、いきなり葬式会場にでも変わってしまったかのようだ。
時空が違うっちゅー話だよね。
彼女は俺を横目に通りすぎ、俺の丁度斜め向かいに、幽霊らしからずドッカリと重力に任せて尻を置いた。そのままうつ向いて、今度はなんだか柳の木みたいだ。
何と無く、吸い込まれるように、でも凝視するのは失礼かと思い、無関心を装って窓に映る遠くの景色を見るような目線で、俺は彼女を見た。
酷く真っ白な女性だった。そう言えば、この子はいつもこの時間帯、電車に乗ってくる。毎日、早朝、次の駅まで。きっと彼女の帰宅時間なのだ。
帰宅、そう、いつも彼女はグッタリと疲れた様子で同じ車両、前から三両目に乗ってくる。
濃厚なお酒のにおいに、ほんの少し煙草臭くて、ちょいと派手な女の子。水商売かなんか、きっと夜のお仕事ってヤツをやってるんだろうな。
それにしても、今日のグッタリはいつもより酷いように思えた。重症だ。俺は更にボンヤリ目で観察しまくる。途端に俺は直感した。
きっと、仕事かなにか、失敗したんだ。そんでもってそれは、理不尽なものだったんだ。それもデカイやつ。
彼女は泣いていた。悲しみだけじゃない、ほんの少しの怒りと、悔しさまで混ぜて。
なんだか、男に騙されて柳の下で恨み節にて泣いているおいらんの死霊みたいだ。まぁ、彼女は賢い女性だから、男との恋愛なんかで恨んだりしないだろう。だからやはり、仕事の…上司かな、客かな…。
彼女は泣く。
更に唸って泣く。
も〜猛烈に泣く。
俺なんか見えてないみたい。正にJRは私のものって感じ。
わんわん泣いて、鼻水までたれてて。そうこうしている内に、隣の車両に座ってたんだろう、ホームレスが車両を挟むドアから彼女を怪訝そうに見始めた。
みんじゃねぇよ、馬鹿。
と、ホームレスに気付いたのか、彼女はフッ泣くのをやめてしまった。うつ向いて、平然と何でもなかったようにしてる。
さっきまでの自分を否定…いや、存在さえなかったかのように、すましている。
まだ、涙が紅潮する頬をつたうのに、まだ、唇と肺が痙攣しているのに、まだ何もかも重そうで、泣き足りなさそうなのに。
…バレバレなのにさ。
俺は堪らなくなって彼女へと近付いた。
斜め向かい、彼女の隣に移動して、彼女の瞳からボロボロと溢れて止まらぬその涙に、キスをした。ついでに、自慢のスマイルを彼女に向ける。
ハッとして、彼女が顔をあげた。視線が触れて、俺はクラクラした。彼女、すぐに微笑んだから。
「ありがとう、励まして…くれて…。」
ふいに、電車のスピードが緩んだ。どうやら、もう駅に着くようだ。
彼女が鞄を手に取り、肩にかける。今日もまた、彼女はこの駅で降りるんだ。
電車が停車すると、彼女はそのまま、背筋をしゃんとさせて立ち上がった。
少し人より濃いめの化粧は幾分くずれてしまって、全然綺麗じゃない。だけれど、清い朝日に洗われたプラットホームへのドアが開け放たれると、なんだか女神に見えた。
たぶん、戦いの女神。
「ばいばい、猫ちゃん」
去り際の彼女の声に、俺はニャア、と愛玩種特有の声色で一声こたえて、長めの尻尾を手の代わりに揺らした。
人間って、強いんだな。
めまぐるしく変わる日常を、人間観察で過ごすのは、別に俺が暗いからじゃない。
人間がまた今日を頑張れるように、ハートを少し癒す為だろう?
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。