きらきらひかる(文学)
指先で、コートのポケットの奥、内側の布地の感覚を味わっていた。
爪の間と、手のひらに自分の汗をやんわりと感じながら、由梨はやがて目線をソレに落とした。
一呼吸おく。
背後に感じる、クラスメートの郁子の気配に後押しされるように、由梨は覚悟を決めた。
チャンスを伺い、そっと右手を伸ばす。ポケットから手を出した瞬間、体の中の全てが熱くなった気がした。
大丈夫だ。
そのまま、先ほどから獲物のように狙いを定めていたソレをふたつ、握りこむ。
硬質の感触。ラピスラズリは、冷たかった。
ひとつだけ、戻す。そしてそのまま、ラスピラズリを右手に握りながら、棚の上に飾られた幾つかの美しい石に触れる。
そして、財布をポケットから取り出す動作と同時に、握りこんでいたラピスラズリをポケットの中へぽとん、と落下させた。
それが、数十分前の、出来事。
「かばん調べるから、中のもの出してくれるかな?」
机のちょうど向かいに座る若い警官に促されるままに、由梨は学校指定の紺色のかばんの中身を次々と無造作に、アルミ製の机の上に放り投げ始めた。
ガチャガチャと、それらはガラクタらしい音をたてて机の上に横たわる。教科書とノート二冊、携帯電話、手帳、空になった弁当、チェブラーシカの縫いぐるみ、参考書、その他もろもろ。
「財布は?」
由梨はだんまりとしながらポケットから財布を取り出し、警官に渡した。
警官は渡された二つ折りの紫の皮製の財布を開くと、その中に仕舞い込まれた幾枚のカードと、大量の硬貨、そして一万円札を取り出した。
「お金持ってるじゃない、君は?」
郁子も、警官に言われたとおり、かばんの中身と財布を並べる。
郁子は、まさに茫然自失といった表情をしていた。
今にも、泣きそうだ。いかにも何が起こっているのか分からないといった態度で。
「あのう、なにかの間違いって事はないんですか?だって由梨が知らない内にポケットに入ってたとか…」
「それは絶対ないから」
警官は真面目な顔をしていたが、声は同情色をしている。郁子は万引きをしていない、そういう推理が彼の脳の中で展開しているのだ。
郁子は、本当に演技が上手いなぁ…。
由梨はぼんやりとそんな事を思った。全くもって無関心に思った。
あとで金でも貰って慰めてもらおう、と頭の片隅で思った程度だった。
二人がなんとなく万引き行為をする時、郁子はいつも見張り役だ。
そしてバレたらいつも、知らなかったフリをする。
そういう役割なのだ。“信じられない”…そういう事を態度で示す、役割。
こうすれば、初犯だと思われて、許してくれる。今、両親の仲が悪くてムシャクシャしてて、とか言ったりして。「もう二度とやらないんだよ」なんてね。
今日は運悪く、警察に引き渡されてしまったが−−−。
郁子の演技は完璧だ。とても嘘をついているとは思えない。必死になると案外、人間って凄いものなんだな、と由梨は思う。
誰が見ても、犯人は由梨だけ。
警官は一通り彼女らの持ち物を調べると、紙に何かを書き込んでゆく。
「名前は?」
「桜井由梨…。」
由梨の返事を、警官はじっと見つめて聞いた。
由梨は一瞬、まるで自分がプラスチックの人形になってしまって、透明な由梨の形骸を丸々見透かされたような気がした。
少しの沈黙をおいて、警官は質問を再開し始めた。由梨は警官の質問に、ハッキリ正直に答えていく。
質問の合間に、郁子は別室へと、移動させられる。由梨が、ただ一人。
「それで、お金もあるのに何で万引きなんかしたの?」
警官の声。まるで何かを捨てるときの瞳の色。その瞳の色に、由梨は再び自分の肉の感覚を失う。
プラスチックの人形は、息を吹くように言葉を舌に滑らせた。
「別に…よく分からない。」
その言葉が、今の自分の全てだと由梨は思う。違和感はなに一つ無かった。
警察署を出ると、牡丹雪がちらちらと降っていた。
由梨は、迎えに来た父親の丸まった背中を見ながら、なんて小さい人なんだろうと思った。太陽が沈みきった冬の匂いに包まれて、本当に小さい。
ビショビショの牡丹雪に塗れた汚いアスファルトに、今にも足を捕らわれそうな自分にさえ気づかず、そう由梨は思った。
そして、自分の睫の向こうと、父親の愚鈍な脂肪の向こうに、確かに街が光に踊っているのを由梨は強く感じた。夜に映える、宝石箱のような光線の束。
ライトに照らされて、夜光虫のように街が濡れて光る。水気の多い雪による青っぽい白化粧、しかし。
いつもと少し色合いが違うだけで、けして美しいと、素敵だと、由梨は思う事が出来ない。そんな街の様子を、父親の車のドアに手を置きながらほんの少し見やる。
キラキラ光るその街に、罪で汚れている筈の自分が、異物には感じられない事に、由梨は気づいている。
「なんて、キレイなんだろう。」
由梨はにこりと笑って、ぽつんと呟いた。
見上げると、ビルに切り取られた灰色の狭い空。
ドロドロの雲から、それでも真白の雪は降り注ぎ、由梨の全身を急激に冷やしてゆく。雪を落とす空の所為で、自分も降下してゆような感覚がある。
瞬間、右目が一気に温度を下げた。牡丹雪の一欠けらが、由梨の右目に落ちて蕩けたのだった。その冷たさに、空から街へと、ゆっくりと首を戻す。
そして由梨はもうひとつ気が付いた。
街は美しかった。そればかりか、幻想的ですらあった。
ただし、右目に溢れる水による乱反射の所為で。
由梨はひとすじの涙を、右頬に感じていた。粘膜には、揺らめきながらも確かに、神の子の匂いを放つ世界が映しこまれていた。
またたき、まばゆく。歪み。
由梨にとっては、やはりどうでもいい気付きではあったけどれど。
本当に、どうでもいい。
そして由梨は呟くのだ。
「 。」
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