失われた欠片(ファンタジー)
いつだってそうだ。世界は、ぶち壊れてやまない。
−Lost pieces−
「ルンちゃん。」
ニーナスライダーが遠くの暗闇からルナスライダーの存在を遊び名で求めた。暗闇に、二つの幼い赤い瞳が、キラキラと揺らめき。
「ルンちゃん、ルンちゃん、ルンちゃんは、ここ。」
ニーナスライダーがビルの陰から躍り出て、月夜の下に姿を現す。ニーナスライダーの唇は、微笑みに形作られている。目の前に、いとしいひと、見つけたからだ。正確には、軽く上方。
「ニーナスライダー、どうした?どうして、ここにいる?」
ズタボロになったコンクリートの湿ったビルの地下、瓦礫の山で切り取られた月の光に、錆だらけの大砲に腰掛けているルナスライダーの姿が、淡く輝いている。
赤褐色に錆付いている大きな大砲は、まるで売れ残りの抽象絵画のように無駄に大きく埃を被っている。その情景は売れない絵画に形容するならば、月の下を旅行する象と、象の背にのる象使いの少年のようだ。
「ニーナスライダーはルンちゃんを探していた。」
ニーナスライダーは、その独特な寝起きのような顔で、ほんわかと口を開いた。
「夜の一人は怖い。武器がないともっと怖いの。なのにルンちゃんはこんな所にいる。」
月がそんなに好きなの、とニーナスライダーは微笑した。その手には、気の抜けた平和な笑顔とは正反対であるべき、大きくて太い銃器があった。剣もついていた。
「好きとはちがう。囚われている。」
ルナスライダーは無表情で言葉を切ると、ニーナスライダーに手招きをした。ニーナスライダーはすぐさま、水の滴る瓦礫の上を、ぱちゃぱちゃと器用に飛び跳ねて、大砲の頂上へと駆け上がる。ニーナスライダーが大砲の表面に足をつけるたび、水素を多分に含んだ赤錆が宙を舞った。
「ルンちゃんを囚う、目玉の上を踊るの。」
大きく跳躍して、漸くニーナスライダーはルナスライダーの眼前に立つことが出来た。ニーナスライダーがその小さな体に纏う軍服が、その胸元が、急激な運動のせいで徒歩の移動の結果よりも間隔を狭めて上下している。
ふと、ニーナスライダーの柔らかな指先が、まっすぐ天を貫くように、月の中心を指差した。
「月には時折、ウサギ氏がいるというけれど、ルンちゃんは月のウサギ氏でも、見つけてしまったのかしら。」
ルナスライダーの瞳が、そっと天を仰ぐ。ルナスライダーはニーナスライダーの背後の月を、ガラスのように冷め切った瞳で見つめた。
「ウサギではない。分からないが、兎に角ウサギではないよ。」
ルナスライダーの返答に、ニーナスライダーは思い切り不機嫌そうな顔をした。
(ルナスライダーは、ニーナスライダーは今とてもウサギが見たかったんだろうな、と思った。)
「ルナスライダーは冗句もいえないポンコツ兵士!」
ドカリと乱暴に、ニーナスライダーの小さい尻が大砲の上に落下した。顔は不機嫌なままだ。
「ニーナスライダー、いけない。感情がたくさん出ているよ。」
「いいの、元々ニーナスライダーは兵士でなく見世物であったから。ルナスライダーのように、最初から兵士だったのと、ちがうから。」
兵士としては極力だしてはならない感情。見世物だったアニマルが消せるわけがない。見世物は笑う、怒る、悲しむ、もしくは泣くのよっつが本業であるから。
「ニーナスライダーの赤い瞳、白い肌、白い髪は珍しい。本業を抜かせば、それすなわち、ただのウサギ氏。」
ニーナスライダーはそう言うと、にんまりと笑った。期限がなおるのが、普通の人間よりも早い。というか、仮面を外すのが、早い。
ニーナスライダーは感情という仮面を被るのだ。人間のそれとは少し違う。所詮、見世物だから。もしかしたら、仮面を着けたり外したりが早いこと、それがニーナスライダーの唯一の<感情>かもしれない。
「それは良い。戦争が終わってもやることがあるのだ。素晴らしい。」
ルナスライダーはたんたんと言った。実質、心から言った。
「素晴らしい?素晴らしい!」
ニーナスライダーは笑いながら小刻みに揺れた。ニーナスライダーは、いとも簡単に子供である方法を感情の保護のために付属させる。ルナスライダーには、これが出来ないので、やはり素晴らしく思う。他の兵士もきっとそう思っているだろう。でも皆、言わない。思っていることに、気づいてやしないんだから。
ルナスライダーが気付いているのは、ニーナスライダーという感情の仮面を持つ俗物が、近くにいようとするからだ。
「ルナスライダーは戦争が終わると思っている、素晴らしい!」
おっと、どうやら素晴らしいの履き違いのようだ。
「戦争は終わるだろう。行事なのだから。」
「終わりはない。ルンちゃんとニーナスライダーの時間を、通過はしない。戦争のおしまいは、ルンちゃんとニーナスライダーには用意されていない。」
ルナスライダーは、ああ、と思った。確かにそうだ、と思った。
そういえば、ルナスライダーとニーナスライダーは前線と呼ばれる戦争の激しいところに、もうちょっとで着くのだ。死亡率は偉い人や偉い人の知り合いでない限り100パーセントなので、やっぱり二人は死ぬだろう。
ただ毎日、戦闘と移動を繰り返していただけだったから、死が近づいている意識がなかった。毎日が殺し合いではあったけど、死ぬような気はしなかったけれど、やはり死ぬのだ。
「そうか、ぼくらは死ぬのか。」
「前線には明日か明後日につく。戦争はきっと、まだまだ続く。国にはまだ力と武器と神様と金と、それに政治家がいる。敵だって、そう。おしまいは、明日と明後日よりも、もうっと先。」
「そうか。」
月の光のした、瓦礫にうずもれた周囲を、静寂が嘲笑うかのように、満たしている。
戦争には周期がある。ルナスライダーとニーナスライダーは、始まるかな、という時に生まれてしまったので、少し運が悪いかもしれない。前では止められないから意味はないとして、やはり生まれるならば、戦争の後の、少し落ち着いた時が良い。
戦争という周期、平和という周期。
戦争マニアに平和マニア。人間はそれを周期する。
戦争マニアは戦争を忌み嫌う人を馬鹿馬鹿しいと思う。
平和マニアは戦争を欲する人を馬鹿馬鹿しいと思う。
戦争を欲する人は欲しいものを得るために、戦争ばかり、する。それは殺し合いだったり、奪い合いだったり、貶しあいだったり、美しくもある。勿論、汚かったりも、する。
戦争を忌み嫌う人は、止めるために、批判ばかりしている。それは話し合いだったり、モノつくりだったり、愛することだったり、汚くもある。勿論、美しくも、ある。
権力を持って、破壊の必要性を叫ぶ。
ピースサインで、破壊の不必要性を叫ぶ。
あの土地にいる人は敵らしい、被害者らしい、絶対的な悪らしい(すなわち行動は未来、正義)。
あの土地にいる人は友らしい、兄弟らしい、守るべき子供たちらしい(すなわち行動は未来、正義)。
ルナスライダーもニーナスライダーも、双方の違いがよく分からない。二つとも同じ事をしているし、同じ感情なんだろうけれど、言葉はどうやら違うみたいだ。そう、教わっているだけで、違いなんて分かりっこない。
正しく言えば、やはり周期の中の双方は違うだろうし、
「戦争と平和」
だって見ている人の数だけの
「戦争と平和」
があるんだろう。混濁しながら、やはり違うのだろう。ただ、対照にしておけば、分かりやすいだけなのだろう。
複雑に絡み合い、だから対になることも出来ず、いつだって回答を解き正さないから、未来に踏みにじられるんだろう。圧縮されて、化石にもならないのだ。
違いはあるだろう。
だけれど、ルナスライダーとニーナスライダーには違いは分からない。だってそうだろう?
ふたつとも、ルナスライダーとニーナスライダーには死、という同じものしか、くれないから。
「ルンちゃんは、月を見ている。ニーナスライダーはそれを不思議に思う。」
ぽんやりと、死の事ばかり伝達していたルナスライダーの思考回路に、月の光とニーナスライダーの気配が、突然入り込む。それは混ざり合った。
「なぜ、ルンちゃんは月をみるの。どうして、月が好きなの。そして囚われてしまうの。」
ニーナスライダーがじっとルナスライダーをみつめる。赤い瞳が、ルビーという貴婦人の鉱石のように濡れて輝く。
「月は」
「感情を思い出せる気がする。」
ルナスライダーの呟きが、月の静けさに響いた。ガラクタの外壁に、木霊してみたりもした。
「うそ、ルンちゃんは感情を持たない。それでは兵士ではない。」
「嘘じゃないんだ。最近思うんだ。」
ルナスライダーはニーナスライダーを横目に見て、月を仰いだ。ルナスライダーとニーナスライダーの上空を、大きな月が円を描いて照らす。満月。
本当に、なんて丸いのだろう。
「感情はもしかしたら、職種や性別や歴史や生まれで与えられるものではなく、元々持っているんじゃないかなって。」
「発掘するもの?」
「ううん、放置してあるもの」
「例えて話す。まっさらな地面が、ずっと続いている。道、360度。月のような視界は円。遠くに地平が見える。」
「まっさら地面、道まん丸、つき。」
「道に転がる感情を、手探りで拾っている、ルナスライダー。」
「感情、拾う、手探り?」
「そう、拾う。その日、その時、出会って、何度も拾って。」
「たくさん、拾う?」
「拾って、捨てて、覚えて、身につけて、忘れて、落っことして、また拾ったり。」
「繰り返すの。」
「そう、それが、感情。」
「それ、多分、違う、よ〜。」
「ニーナスライダーには違くても、ルナスライダーには、そう。」
「ふうん、そうなの。」
「そう。」
ルナスライダーはゆっくりと立ち上がった。
ずっと月を見ていると、何故かルナスライダーの最奥、酷くざわめくのが感じられる。これは、きっと思い出そうとしているのだと、ルナスライダーは夢想する。
確信はないが、予感はした。
「すごく昔、ルナスライダーは月を見て思う感情を持っていたんだ。それを兵士に育てられて何処かに落としてしまったけれど、少しだけ、形、色、匂いを覚えているんだ。」
ニーナスライダーは考えた。どうもよく分からなかった。だから、正直に答えた。
「ニーナスライダーには一生分からないの。ルンちゃんの、特別だ!」
ふっへっへと笑うニーナスライダーをちらちと見ると、ルナスライダーは視線を月に戻して、ちょっとしたフォローをした。それは、ほんの少しだけ何かに気付いたであろう、ニーナスライダーの為だけの言葉。
「すごく似たものは、ニーナスライダーも持っている筈だよ。」
月、はルナスライダーとニーナスライダーの頭上で、馬鹿の一つ覚えのように煌いている。じっと見つめていると、月はなんて今にも落ちてきそうな存在をしているのだろう、と、ルナスライダーは漠然と思った。意味は、なかった。
「月の」
ニーナスライダーの前触れの全くない声を、ルナスライダーはただただ鼓膜に響かせた。ニーナスライダーの声はルナスライダーにとって、時々とても心地がよい。
「欠片、大昔に、ルンちゃんもニーナスライダーも、拾ったの。あとね、落っことしたの?」
すべての視界を、ルナスライダーは月に侵食されていたから、ニーナスライダーの表情は分からなかったが、予測は出来た。
きっと、ニーナスライダーはルナスライダーとおんなじ表情を、しているんだろう。そして多分、おんなじ感情を、共有しているんだろう。
「死ぬまでにまた拾えたら・・・・
さて、最後の言葉はどちらが言ったのかは、書かないでおこう。どうせ意味はないのだから。
二人はどうせもうすぐ死んでしまうし、滑稽なくらいに本当に意味がない。ルナスライダーもニーナスライダーも、もうすぐ跡形がなくなる。灰も塵も、残らないかもしれない。
これから先の世界で、ふたりの今宵を回想するものは一人もいない。ルナスライダーもニーナスライダーも、何日、何時間後でこの世から消える、完璧に。
二人を消してしまうのは、月よりも近い空から落下してきた鋭い光かもしれない、月の影よりも冷たく感じられる砲弾か、肺を腐らせて焼く毒の霧か、偉い人の頭の悪い作戦か、ちょっとしたケアレスミスか、誰かのくしゃみか?
そんな事はどうでもいいし、世界にはきっと関係ないし。
いつだってそうだ。世界は、ぶち壊れてやまない。この世界は、こんなにも簡単に無視をするのだ。二人の小さな感情の芽生え、気付きも。
ルナスライダーも、ニーナスライダーも、湿った瓦礫の山の上に、オモボロテントの下で眠れない兵士たちも、もうすぐ。
そこにあるべき、彼らの証明を表すものは、なにもかも無くなるんだろう。
象みたいな大砲がそこに寝転んでいたこと。
小さな二人が、月を見つめていたこと。
ニーナスライダーは、赤くて白くてもウサギ氏ではないこと。
兵士たちが少しだけ、ニーナスライダーの仮面をほしがっていたこと。
ニーナスライダーがルナスライダーの特別に、少し嫉妬を拾ったこと。
戦争と平和の流転のおはなし。
ふたりが、月の欠片を持っていたかもしれないということ。
それらの過去を、二人を、無視してぶち壊れ続ける世界は、消して教えてはくれない。
過去は人間が覚えているもので、人間が解き明かして、忘れるものだから。
だってそんな事も、世界は−僕たちは−きっと知らないのだから。
「この月はどうして、永遠に似た時間の中、地球の周りを彷徨っているんだろう。どうして、同じ事を繰り返す惑星を、飽きずに見つめていられるんだろう。」
ルナスライダーが、月を眺めながらほんのちょこっと、思ったこと。
「月のウサギ氏は知っているかしら。月の欠片の全部。一緒にいるから、分かるかしら。それとも、あんまりにも月が大きいから、ウサギ氏は月の欠片も分からないかしら。」
ニーナスライダーが、月を眺めながら、ほんのちょこっと、思ったこと。
ふたつとも、なにも残らないもの。
ふたつとも、きっと意味のないもの。
ふたつとも、どうしてぶち壊すんだろう?
たった一つ、月の欠片が教える。
その感情には、遠い時代の人が名前をつけた。
郷愁、情緒、幸福。
チンパンジーも、ゴリラも、知っていること。
遠い遠い昔、人間が落っことした。
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