街の光
街の光
春風を切り、信は魔法少女と共に夜の街を飛ぶ。
地上までの距離はどれほどだろうか。下界を見れば、ぞっと背筋が凍りつく。
「高い! 高い! 高い! 高い! おおお……落ちるだろこれ!!」
「男のくせに情けないわね。腰が引けてるわよ」
信は高い場所が苦手というわけではないのだが、安全ベルトも何もないこの状況は流石に怖い。日比野が手を離せば、真っ逆さまだ。
「くそっ! 何が最高のデートスポットだ! 拷問じゃないか!!」
「拷問最高。今までのお返しよ」
「お前は……」
何か文句を言おうと思った信だが、その言葉が出なかった。代わりに出た言葉は、彼女に対する気遣い。
「……俺、重くないか?」
「大丈夫よ。私、力あるし」
「おいおい、俺より力あるんじゃないか? やめてくれよ、そういうの……」
魔法によって強化されたものと分かっていても、やはり悔しい。女子に力で負けるというのは、彼にとって屈辱だ。
そんな信を励ますためなのか、突如、日比野は可笑しな事を言いだす。
「私、信じてるの。あんたは特別じゃないから特別なの」
「……どういう意味だ」
「特別じゃないからこそ、特別な魔法少女を救えるんじゃないかって、そう思えるようになったの……って、他人事みたいに言っちゃったけど、私もノーマルじゃないんだった」
彼女は飛行スピードを落とし、空中に制止する。
「魔法さえ手に入れれば、弱い自分を変えられると思ったの。でも、根本的な部分は何も変わらなかった。あんたが私たちに忠告したこと、リンちゃんには効かなかったかもしれないけど、私には響いた。確かに、私は何も知ろうとしなかったわ。手に入れた力に振り回され、踊らされていただけかもしれない」
日比野は凛と違って、非常に人間らしい考えを持っていた。完全無敵な正義の味方とはまるで対照的、脆く、儚い少女と言えるだろう。
今まで彼女がとってきた行動は、全て気負いからなのかもしれない。絶対に負けられない、自分は選ばれた、そんなプレッシャーが本来の性格を捻じ曲げた。
本当の日比野は繊細で、少し小悪魔的な感情を持つ。彼女の言動からそう読み取れた。
「イルミネーターを消すことも、ずっと目を逸らしてきた。だって、戦わなくちゃ自分がやられちゃう。そんなふうに必死になっても、結局世界は変わらない。あんまりよね……」
日比野は信から目を逸らし、どこか遠くを見つめる。彼女が戦いによって負った傷は体だけではない。心にも小さな傷を負ってしまったようだ。
「もしかして私、魔法少女になったことを後悔してるのかも」
魔法少女は人間とは違う、全く別の生物。信は時々、そう考えてしまう時があった。
実の妹である凛でさえ、その人間離れした思考、行動に唖然とするときがある。それがただ恐ろしかった。
だが、日比野と話して、その不安から解放された。彼女は間違いなく人間だ。悩み、葛藤する年頃の少女。その確信が、信の心を和らげた。
彼は目線を下界の街へと向ける。そこに広がっていたのは、視界を覆う光だった。
「この街の光それぞれに生活があって、色々な人が生きているんだよな……」
「そうよ、それを守るためにも、私たちは負けられない」
「凄い事だ。自信持てよ。魔法少女」
「なっ……その自信を奪ったのはあんたでしょ!」
「ははっ、そうだったな」
二人の距離が一気に縮まったのが分かる。互いに悩みを打ち明け、弱い部分をさらけ出した。今はただの敵対者ではない。日比野は真剣な表情で、信に問う。
「私たち、殴ったり、殴られたりの関係だけど、あんたのこと友達と思っていいの?」
そんな彼女の質問に対し、信は迷いもなく言い放つ。
「ああ、当然だろ親友」
彼は日比野を邪魔者としてしか見ていなかった。しかし、今は違う。時に戦い、時に助けあった二人には、奇妙な友情のようなものが芽生えていた。
日比野は真剣な表情のまま、さらに会話を続ける。
「信、私――――」
しかし、彼女は何かを言いかけると、突如背後に視線を向ける。何かの気配を察知したのか、その表情はこわばっていた。
信はすぐに内ポケットの特殊警棒を握り、戦いの準備に入る。最も、宙吊りの状態では、勝負にならないだろうが。
「……敵か?」
「うん、この魔力……青色の月!!」
先ほどまで空中に止まっていた日比野が、再び空を駆ける。町の上を高速で飛行し、そのまま急旋回していった。
彼女と信の後ろについているのは青色の魔法少女、望月。どうやら、ずっと後を付けられていたらしい。彼女は旋回する日比野の軌道を読み、飛行経路に回り込む。
「デートなんて、随分と楽しそうね……」
「そう思うなら、邪魔しないでほしいわね」
「妬けるのよ」
笑いながらやり取りをする二人、しかし両方とも目は笑っていなかった。
前回と違い、今日は凛がいない。おまけに現状の日比野は、信というお荷物を抱えている状態だ。このままでは、二人とも同時に撃墜されてしまうだろう。今先決すべきことは、地上に降りる事だった。
「あんたを抱えたままじゃ勝負にならない。悪いけど、一気に下まで降りるわよ!」
「分かった。気にせず下降してくれ」
信の同意を得た日比野は、一切の迷いなく地上へと急降下していく。それと同時に、信の体に異常が起こった。
耳がキンキンと痛み、同時に酷い頭痛が襲う。彼はとっさに鼻をつまみ、空気を吐き出すように耳に息を送る。これは鼓膜を守るための耳抜きだ。悪あがきだが、これで最悪の事態は避けることが出来るだろう。
高度は下がり、二人は地上へと足を付ける。瞬間、信はその場にしゃがみ込み、深く俯いた。激しい吐き気とめまいが襲い、顔色も優れない。
「ちょっと! 信、大丈夫!?」
「ああ、お前はあいつを迎え撃て……その隙に凛を呼ぶ」
急激な気圧の変化によって、体に何らの異常が起きたようだ。
だが、今は戦闘中だ。こんな所で休んでいるわけにはいかない。彼は内ポケットから電話を取り出し、電話帳から凛の番号を選び、送信した。
吐き気とめまいは一層酷くなり、それに加え耳がキンキンと響く。明らかに無傷ではないが、弱音を吐いている時間はない。
信は何度も凛に電話をかける。だが、いくら送信しても彼女に繋がることはなかった。
「ダメだ……あいつ、寝てやがる……!」
凛は家に帰ると、即ベッドに入り込む。そのまま熟睡してしまう事もしばしばだ。
自宅の方にかけなおしても、やはり繋がらない。今日に限って父親も帰ってきていない様子だ。本人に悪気はないのだろうが、やはり彼女のマイペースに振り回されるのはイラついてしまう。
空中から舞い降りた望月は、そんな彼の心情を理解しているかのように煽る。
「可愛そうな、お兄ちゃん……こんなにボロボロになって、必死になっているのに、妹ちゃんは気づかない。報われないわね……」
「大きなお世話だ……」
人を喰うような言動を好む信が、逆に心を乱されている。それは、現状の彼がとても不安定な状態にあることを意味している。戦う意味を失い、体調も優れない。そんな彼を落ち着かせるかのように、日比野が前に立つ。
「信、凛ちゃんを起こしてきて! ここは私が食い止める!」
「蜜柑……」
やはり彼女は頼りになる存在だ。魔法少女に依存するつもりはないのだが、この少女だけは別だ。日比野ならば、信用できる。背中を預けても構わない。ようやく信は、彼女の事をそう思えるようになった。
だからこそ、頼まれたことを放棄するわけにはいかない。信は望月に背を向け、公園の外を目指して走り出す。
「無理はするなよ……!」
「あんたもね!」
体はボロボロだが、危険な事をしているのは日比野も同じ。彼女はステッキを光の刀に変え、単身で望月に挑む。
十中八九、日比野は勝てない。今までの戦いを見ていた信は、その事を確信していた。だからこそ、急いで凛を呼ばなければならない。
彼は振り返ることなく、ただ走る。きっと日比野なら大丈夫と、信じるしかなかった。
★★★
公園を後にし、信は大通りへと出る。時刻は九時を過ぎているのだが、ここの人通りが途切れることはない。
彼はふらつきながらも、懸命に歩道を走る。やはり気圧の変化は、信の体に異常を起こしていた。頭痛が平衡感覚を鈍らせ、思うように足が動かない。
横断歩道を越え、コンビニの前に差し掛かった時、信の目にある人物が映る。ピアス穴に、薄く染めた茶髪、問題児の宇佐見だった。
彼はコンビニの前でパンを頬張り、信の姿を認識する。後ろには黒い原動機付き自転車が止められていた。
「ん? 委員長さんじゃねえか。中学生が夜中に出歩いてるじゃねーよ」
「…………」
恐らく宇佐見は「お前が言うな」という言葉を待っていたのだろう。しかし、その言葉を言うことなく、信はその場にふさぎ込んだ。
驚いた宇佐見は、すぐに彼の近くまで走り寄る。
「おいおい! どうした!」
「帰らないと……早く……」
「……帰る? 家か?」
流石の宇佐見も、体調の悪い知り合いを無視するほど薄情ではなかった。
彼はコンビニの前まで戻り、自らの愛車であるバイクに乗り込む。そしてエンジンをふかせ、それを信の前まで走らせた。
「乗れよ、俺が送ってやる。ただし、この原付は委員長さんの公認ってことで。悪い話じゃねえだろ?」
「ああ……それは嬉しいな……」
ヘルメットはないし、二人乗りの原付でもない。それ以前に、彼の歳では免許を取ることも出来ない。これは明らかに違法だった。
だが、そんなことを言っていられる状況ではない。早くしなければ、日比野の身に危機が及んでしまう。
信は躊躇することなく、バイクの荷台へと乗り込む。空中散歩の次は、違法バイクによる爆走。今日は本当に忙しい日だった。
二人の少年はバイクに乗り、夜の街を走り抜ける。
まるで青春ドラマのワンシーンだが、そんな悠長な状況でもない。今は日比野の命がかかっているのだから。
だが、宇佐見はその状況を知らない。彼はバイクを運転しつつ、信に言葉を投げる。
「俺が言うのは何だけどよ。てめえは異常だぜ。俺以上にクレイジーだ」
不良少年である宇佐見に、こんな事を言われてしまう。だが実際、彼とは比にならないほどの無茶をしているのは事実だ。
一部の生徒は、信の非日常的行為を悟っている。だが、言及することはなかった。
彼らは委員長である信に、信頼を寄せている。まさか彼が間違った行いをするとは、思っていないのだろう。だが、ここで初めて宇佐見が言及する。
「てめえはいったい、何をしてるんだ?」
「…………」
彼の質問に対し、嘘を言う意味もない。信は正直に、今までやってきたことを話す。
「魔法少女だ。魔法少女を追っているんだよ……」
「はっ! わけ分からねえこと言ってんじゃねえよ!」
腹を立てる宇佐見に対し、信は弱々しく言葉を返すしかなかった。
「信じてくれよ……」
「…………」
彼は好きで魔法少女の存在を周りに黙っているわけではない。この事をいくら話しても、誰も相手にしてくれないのだ。
写真を撮ったこともある。無理やり見せようと、友人を連れまわしたこともある。しかし、それらは全て失敗に終わった。まるで、何らかの力が魔法少女の存在を隠しているかのようだ。
周りを探しても、この事を知っているのは自分だけ。ずっと一人で、孤独に戦ってきた。
そんな彼を後ろに乗せ、宇佐見はただ前を見つめる。この不良少年が何を考えているのか、信に分かるはずもなかった。
数分のドライブが終わり、バイクは自宅に到着する。宇佐見は門の前にそれを止め、信に視線を向けた。
「付いたぜ。まあ、精々頑張るんだな」
「ああ……」
彼を降ろした宇佐見は、それだけ言い残し颯爽とバイクを走らせていく。相変わらず、落ち着きのない少年だ。
信はすぐさま庭へと入り、玄関の扉を開ける。そして土間へと上がり、廊下、階段を走り抜け、凛の部屋へと入った。
フカフカのベッドの上で丸まるように眠る凛。信はベッドに近づくと、彼女を揺さぶり、たたき起こした。
「おい! 起きろ凛!」
「ふあ……シンくん……」
寝ぼけ眼の少女に対し、信は状況の説明に入る。宇佐見との会話もあり、今の彼はだいぶ落ち着いていた。
「……凛、厄介なことが起きた。蜜柑が……」
「ミカンちゃんに、何かあったの!?」
先ほどまでぐっすり眠っていた凛が、その一言で完全に目を覚ます。彼女はベッドから飛び起き、そばに置かれたステッキを掴んだ。
「望月からの襲撃にあった……今、中央公園で戦っている」
「中央公園……!」
場所を聞いた凛は、すぐさまステッキを天に掲げる。ピンク色の光に包まれ、その姿は一瞬にして魔法少女へと変わった。彼女は窓まで走り、それを開ける。そして、外へと身を乗り出し、天高くへと飛び去っていった。
ミミスケは信に頭を下げ、凛に続いて家を離れていく。残された信は、二人に続こうと声を荒げた。
「ま……待て! 俺も――」
だがその瞬間、彼に今までの疲れが一気に降りかかる。激しい眩暈と動悸が襲い、ついにその場に倒れた。
「待てよ……待ってくれよ……」
つい先日まで、信は魔法少女と互角に渡り合っていた。しかし今は、彼女たちがあまりにも遠い存在になっている。
「俺はお前たちに対抗していたんだ……お前たちと対等だったんだ……」
ただ、高い場所から降下しただけだ。たったそれだけで、この様。
信は自らの弱さを実感する。魔法少女が自然に出来る事さえ、人間の自分は満足にできない。それが、悔しくて、悔しくて堪らなかった。
「置いていかないでくれよ……」
一人部屋に残された彼は、言葉をこぼすしかなかった。勿論、凛に聞こえるはずがない。
双子として生まれた二人、一人は世界を救う魔法少女、もう一人は何の力もない人間。これも運命の悪戯なのだろうか。