ガチンコ勝負!
ガチンコ勝負!
嫉妬はしていた。怒りもあった。しかしそれ以上に、信はただ悔しかった。
魔法少女という存在に全てを滅茶苦茶にされ、大切なものを奪われる。それは彼の尊厳を傷つける行為だ。
これは意地とプライドを賭けた戦い。魔法少女をぶっ倒し、自分が家族としても、人間としても勝っていると証明するための戦いなのだ。
そんな自らの兄に即発されたのか、凛も彼と同じように声を荒げる。
「イルミネーターは世界の悪意。私たち人間の敵なんだよ!」
「悪って何だよ! 正義って何だよ! あいつは生きていたんだ……動いていたし心もあった! 好きな食べ物だって……好きなことだって……ちゃんとあったんだ!!」
信は再び凛の懐へと走り込み、容赦なく警棒を振るう。以前の彼より明らかに速く、力強い。怒りに身を任せつつも、それらはすべて正確だった。
凛は先ほどと同じように守備を固めるが、攻撃を防ぎきれない。ガード上から伝わる衝撃が、彼女の体に負担を与えていく。
「あと少しだったんだ……あと少しで通じ合えるはずだった……なのに! 何でお前は、平気な顔でそれを奪えるんだ!! ぶっ殺して、やりきった顔をするな!!」
信は魔法少女以上に優しかった。異形の化け物に同情し、その心を知ろうと努力する。それが彼の本質だ。
全てはイルミネーターと友達になったことから始まった。そして、その友との別れが、何もかもを変えてしまったのだ。
信の強い意志に対し、凛も本気にならざるを得ない。彼女はこれ以上の守りは不可能と判断したのか、魔法による攻撃に乗り出す。自らの周りに星の衛星を浮かべ、それらを一斉に放った。
しかし信は、それを警棒の一閃によって振り払う。凛の魔力は、度重なる精神攻撃によって明らかに衰退していた。それでも、彼女は怯まずに攻撃を撃ち続けた。
「イルミネーターを放っておいたら、たくさんの人が傷つくことになる! シンくんは分かってないよ!」
「分かってるさ! イルミネーターは人を襲う化け物だ!! だが、お前たちはあいつらがなぜ人を襲うのか知らないだろう!! それどころか、知る気もない!! お前はあいつらをただの化け物としか思ってない!!」
凛が魔法による攻撃を仕掛けたことにより、信も攻撃方法を転じる。彼は先ほど捨てた上着へと走り、その内ポケットからペットボトルとライターを取り出す。そして、その蓋を開け、凛の足元に液体をばら撒いた。
「お前らは、戦う相手を理解しようともせず切って捨てたんだ! 何が魔法少女だ!! 何が正義の味方だ!!」
彼はライターに火を灯し、それを先ほどばら撒いた液体へと投げる。瞬間、凛の足元に強大な炎が広がっていく。信がばら撒いた液体は灯油。引火性に優れた液体燃料だ。
「そうさ、お前らは人形だ!! 自分では何も考えない! 知ろうとしない!! ただ世界を守るための道具だ!!」
「違う!! 私たちは人形じゃない! 道具でもない!!」
凛は炎から逃れるため、再び空中へと飛び上がった。
だが、信は彼女に更なる攻撃を仕掛けていく。やはり空中はエアガンの的。彼は以前と同じように、魔法少女を追撃していった。
凛は攻撃をかわしつつ、魔法のエネルギーを貯める。兄を止めるには、もはや躊躇してはいられない。恐らく、彼女はそう思ったのだろう。
しかし、本気なのは信も同じだ。
「だったら答えてみろよ! そのステッキは何だ!! その人間離れした力は何だ!! 答えられないだろう魔法少女!!」
「うう……マジカル・スターブレイク!!」
兄を傷つけることを厭わず、凛は強力な魔法を掃射する。それは標的を倒すより、地上に広がる炎を吹き飛ばす事が狙いだった。
真っ直ぐと突き進む砲弾を、信は軽々といなす。彼の言葉によって魔力は乱れ、魔法の威力はさらに落ちていた。
だが、目的は信を倒すことではない。凛の狙い通り、魔法は地上の炎を吹き飛ばすことに成功する。彼女はこの状況でも、魔法少女が世間に広がることを恐れていた。だからこそ、広がる炎を早々に鎮火したのだ。その事実が、さらに信の怒りを仰ぐ。
「お前らは何も知らないからこそ! イルミネーターを殺しても心が痛まないんだ! ただ、勝利に優越感を感じているだけなんだろ!!」
今の彼は、凛を精神的に追い詰めようとしているわけではない。ただ、自分の思う事を吐き出しているだけだ。
しかし、その全てが凛の心に刺さり、魔力を削り取っていく。完全なる事実、言い返すことも出来ない真実。なにより、それらは彼女の信じる兄の言葉だった。
「いい加減認めろよ!! お前らは心ある者の命を奪ったんだ!! そして、その事実から目を逸らした!! 苦しいから! 辛いから! 考えないようにしていた!! 否定できるのかよ! 魔法少女!!」
信も凛も、追い詰められていた。
この戦いに何の意味もない。ただ、二人の心が悪戯に傷つくだけだった。
それに気づき、先に動いたのは凛。彼女は構えていたステッキを収め、変身を解除する。同時に、ステッキは戦闘形態から戻り、柄は短く縮む。それは、魔法が使えない無防備な状態を意味していた。
「分かった……私が憎いなら、それで良い。私を倒して、それで信くんの気が済むなら、どんな攻撃だって受けるよ……」
今の彼女は魔法少女ではない。ただの少女、信と同じ一人の人間だ。
「だから、攻撃してきていいよ。もう、抵抗しないから……」
信の望む、彼女の絶望。しかし、この状況は最悪だった。事態は両者にとって、最も好ましくない方向に向かっている。
「お前は卑怯者だ……向き合う気もないのかよ……また逃げるのかよ!!」
こんな投げやりかつ、途中放棄のような最後で、信が納得するはずがない。兄の記憶が消えたと安堵し、問題から逃げた凛。彼女はそれを繰り返そうとしていた。
こんな形で屈服させたところで、信の心はさらに濁るだけ。だが、怒りに支配された彼は、憎しみの根源を叩き潰すためだけに動く。
「いいさ、望み通り。これで終わりにしてやるよ!!」
特殊警棒を握りしめ、妹の前に立つ信。一切の躊躇はない。ただ、心の蟠りを晴らすために、彼は武器を振りかざした。
これで全てが終わる。ようやく理想が成就する。そう思った瞬間だ。
信は攻撃を止める。止めざるを得なかった。
「蜜柑……」
彼の前に立ちふさがったのは日比野。彼女は泣いていた。
まるで信と凛、二人の涙を代わりに流しているかのように――
「どけ……」
「嫌だ……」
「どけっ!!」
「嫌だ!!」
心身ともにボロボロになっても、日比野は引こうとしなかった。真っ直ぐな瞳は、信が冷静になってくれると信じている瞳だ。
彼の気持ちが再び揺らぐ。優しい日比野の気持ちを裏切りたくはない。本当は彼女と戦うつもりなどなかった。
しかし、信は妹に消されたミャーを思い出す。今目の前にいる魔法少女は、全て自分の敵。倒さなければならない敵なのだ。
「邪魔をするなら、まずお前からぶっ倒してやるよ!! 日比野蜜柑!!」
「……良いわよ!! あんたの恨みも憎しみも!! 私が受け止めてあげる!!」
怒りに身を任せ、振るった鈍器。何も考えてはいない。ただ、その場の感情に従い、力づくに振り落とす。
瞬間、凛は叫んだ。
「ミカンちゃん!!」
鈍い音と共に、倒れる日比野。
相当強く打ちつけたのか、頭部からは赤い血が滲み出した。
数年前から望んでいた魔法少女を倒すという目的。その理想がようやく成就する。
しかし、彼の心は晴れなかった。代わりに襲ったのは、耐え難い喪失感と罪悪感。
凛は日比野に駆け寄り、ハンカチを取り出す。そして身をかがめ、それを彼女の傷口へと当てた。血は少しずつ、ハンカチを赤く染めていく。
「これが……これが信くんの望んでいたことなの……?」
「…………」
凛の疑問に対し、信は何も答えることが出来なかった。
あくまでも護身用の特殊警棒、重症を負わせるほどの威力は無い。しかし、無抵抗の少女に武器を振りかざし、消えない傷を負わせた事実は変わらない。変身が解け、信の前に横たわっていたのは普通の少女だ。彼女は掠れた声で、凛に言葉を投げかける。
「お願いリンちゃん。逃げないで、全力でぶつかってあげて……あいつも、信もそれを望んでるはずだから……」
「ありがとう、ミカンちゃん。もう大丈夫だよ。ミカンちゃんの思い、伝わったから……」
凛の瞳に一筋の炎が灯る。迷いはない様子だ。
彼女は大きく息を吸い込み、そして一気に吐き出す。信は知っていた。これは彼女の癖、本気になる前の下準備。
「ごめん、シンくん。操られてるとか、偽物だとか、もう良いとか、本気のシンくんに失礼だった。だから、私も本気でぶつかる!」
そう言うと彼女は、ステッキを道に抛り捨て、両拳を構える。それは、ボクシングのファイティングポーズだった。
「魔法なんていらない。素手のガチンコ勝負!!」
また、凛が訳の分からないことを言っている。そう、信は思っただろう。
唖然としていた彼だが、すぐにその感情は怒りに変わる。頭に血が上り、無意識のうちに警棒を振り落とした。
「な……舐めているのかぁ!!」
だが、凛は振り落とされた攻撃を受け止める。魔法は一切使っていない。素手の力だ。
再び唖然とする信から、彼女は強引に警棒を奪い取る。そして、それをそのまま地面へと投げ捨てた。
「なん……だと……」
武器を失った信に対し、凛は次々に拳を繰り出していく。それらを信は両腕で防ぐしかなかった。
ガード上に叩きつけられる凛の拳。一つ一つが重く、防ぐのに精いっぱいだ。とても、こちらが攻撃に移ることなど出来なかった。
「何故だ……なぜ追いつけない! 心なら……心だけなら負けていないはずなんだ!!」
相手は変身を解き、魔法を使えないただの少女。そんな彼女に追い詰められているのは、信が動揺しているからに他ならない。
怒りに身を任せ、日比野に傷を負わせた今の彼は、非常に不安定な状態。対する凛は、日比野の意志を受け継ぎ、迷いなく戦いの道を選んでいる。
今の彼女は、信よりも強い心を持っていた。
「こんな……こんな何も考えていないバカに! 俺が心で劣っているというのか!!」
奇しくも猛攻から退避し、彼は妹の望み通り、素手での攻撃に移る。
信の拳から放たれる強烈な右ストレート。男の拳という事もあり、凛のそれとは桁違いのスピードだった。
だが、その拳はいとも容易くガードされる。それどころか、逆にその隙を利用され、彼女から一撃を浴びせられてしまう。
「ぐ……こんな奴に! 素手で負けるってのかっ!!」
威力も、スピードも、自分の方が上のはず。
だが、どうしても彼女の動きを見きれない。
「魔法少女……」
どうしても、彼女の攻撃を防げない。
「魔法少女……」
最後の力を振り絞り、少年は凛に向って渾身の拳を放つ。
「魔法少女オオオオオオォォォ!!」
「受け止めろ! 私の本気!!」
しかし、信の攻撃はかわされ、逆に凛の拳が彼の頬に叩きつけられる。それは、どんな魔法よりも、どんな異能の力よりも、強く、重い一撃だ。
信は重音と共に殴り飛ばされ、河原に叩きつけられる。この一撃が決定打だった。
「名付けて、マジカル・スターパンチ(物理)」
「やった、止まった……」
顔面に打ち付けられた強力な拳。普通ならば、この一発で気絶しているだろう。
だが、信は諦めていなかった。彼の眼はいまだに闘志で燃えている。
「まだだ……まだだ……」
自分はこの日のために、凛を倒すために今まで積み重ねてきた。それを、こんな無様な形で終わらせるわけにはいかない。
彼は立ち上がった。そして、縋るように地面からある物を拾い求める。それは、先ほど凛が捨てた魔法のステッキだった。
「まだだぁっ!! このステッキが! このステッキさえ消えれば!!」
「……信!!」
彼はステッキを見つけると、それを掴みとり、大きく振りかぶる。
目線の先には流れる河川。ここから投げれば川の中央まで届き、深い場所まで沈んでしまう。そうなれば、もう拾うことは出来ないだろう。
あと少しで凛の全てを滅茶苦茶に出来る。このステッキを投げさえすれば、彼の理想は叶うのだ。
「終わりだ!! 魔法少女ォ!!」
信は右腕に力を加える。だがその瞬間、彼の動きが止まった。なぜか、ステッキを投げ捨てることが出来ない。
不思議とただのステッキ一本が、重く感じられる。それは魔法が原因ではない。別の問題があった。
「何で……重いんだよ……」
信は賢い少年だ。しかし、それが仇となる。
彼は魔法少女たちとは違い、余計なことを考えてしまうのだ。このステッキが無くなったら世界はどうなるのか、このステッキによって救える人が、救えなくなってしまうのではないかと――
考えれば考えるほどに、ステッキは重たくなっていく。それを投げ捨てる事など、出来るはずがなかった。
「くそっ……ミャー……」
ようやく信は止まる。彼はその場にふさぎ込み、地面に手を付けた。
「分かってる……分かってるさ……こんな事をしても無意味なんだって……本当は、自分が一番よく分かっていたんだ……」
心身ともに限界を超え、とても戦える状態ではない。なにより、彼の心は折れていた。
少年の長い戦いは、敗北という形で終わりを告げる。もう彼は立ち上がらなかった。そんな気力は、まったく残されてはいなかった。