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魔法少女ラスカル・ミーナ  作者: 南文堂
第4話 誰でもウェートレス
11/20

Aパート 里美と理事長と校則違反

品質には万全を尽くしておりますが、希に体質に合われて笑い出される方もございますので、深夜の読書はお控えください


前回までのあらすじ

存在自体がトラブルメーカー、皆瀬和久は白瀬美奈子となり日常に潜伏していた。マオ族の銀鱗を使い魔にし、更に力を増した。その力を使い、悪の魔法少女ラスカル☆ミーナとなり、全人類の夢である全人類猫耳化計画を壊滅させたのであった。

さて、今回、ラスカル☆ミーナはどんな騒ぎを起こすのやら……

(本編とは若干異なる点もございますので、前作をお読みになられることをお勧めいたします)

 皆瀬家の前に止まっている2トントラックからカーキ色のつなぎを着た若い男性が降りて、開け放たれた空のコンテナ前にいる沙織の前にやってきた。

「神埼様、コンテナ内をご確認していただけましたか?」

「はい。降ろし忘れはありませんでした」

「それでは、こちらの方にサインをお願いします。それと、アンケートの方にもご協力お願いします」

 沙織はさっと書類に目を通してサインし、アンケート用紙も手早く記入していった。

「はい。これでよろしいですか?」

「あ、はい。ありがとうございます。それでは、ご利用ありがとうございました」

「お疲れ様~」

 走り去る2トントラックを見送って沙織は皆瀬家に向き直った。皆瀬家の家長、皆瀬賢治。その妻、琉璃香。従姉の子、白瀬美奈子が並んで立っている。沙織の隣にも夫の神埼博文が立っており、反対側には娘の芽衣美がボストンバックを一つ持って立っていた。

「それでは、琉璃香さん。ご迷惑をおかけしますが、芽衣美をよろしくお願いいたします」

 沙織は深々とお辞儀し、両隣の二人もそれに合わせてお辞儀した。

「安心して任せて頂戴。うちには既に一人居候がいるから、少なくとも寂しい思いはさせないと思うわ」

「……娘を頼みます」

 芽衣美の父親、博文が急に改めて賢治と琉璃香に頭を下げた。アメリカへの転勤も一年ぐらいだから、コロコロと学校を変わるのは可哀想だと無理矢理説得したので、まだ踏ん切りがついていないらしい。

「わかりました。責任を持ってお預かりいたします。ご安心ください。私は娘を持ったことはありませんが、美奈子ちゃんを預かって、その気持ちの一端を知ることができました。さぞ、お寂しいとは思いますが、毎週ちゃんとご連絡はいたしますよ」

 頭を下げたままの博文を賢治が肩に手をかけて、頭を上げさせると硬い握手を交わした。

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「写真も添えて送りますから、ご安心を」

 どこか不安顔の博文に賢治はウィンクした。

「おお、それはありがたいです。しかし、写真ですか。それはまた……」

「ビデオの方がよいですか?」

「いいえ。そんなことありませんよ。でも、ビデオ全盛の時代に写真とは通ですな」

 博文は同好の志を見つけた薄ら笑いを浮かべた。

「たまにはビデオもいいですが、写真の方が私は好きです。いつでもどこでも見れますし」

 賢治もそれに薄ら笑いで応える。傍目で見ている美奈子達には不気味で仕方ない。

「そう! その通り。それに、写真を見ていると不思議と声が聞こえてくるんですよね。『お父さん、大好き』とか……『芽衣美、お父さんのお嫁さんになる』とか……あああ、芽衣美! やっぱり、お父さん、アメリカへ行くのはやめる! 日本に残る! 会社も辞め……」

 思考がスパークして暴走する博文を後ろから拳骨で殴って沙織は沈黙させた。

「なにバカな事言ってるの! 本当にもう、芽衣美のことになるといつもそれなんだから!」

「だって、沙織~」

 かなり痛そうに涙目になりながら博文は沙織に目で訴えた。

「だっても何もありません! 全く! ……あ、すいません。うちの主人がお見苦しいところを。ほんと、男って馬鹿で困りますわ、ね、美奈子ちゃん」

「は、はははは……」

 元男としては笑うしかない美奈子はかいてもいない汗を拭うのに持っていたタオルで汗を拭いた。

「あら? そのタオル?」

「あ、これですか? これ、前にネコを助けるのに友達に借りて、さすがにネコをくるんだものをいくら洗濯したからといって、そのまま返すわけにはいかないから、同じものを買って返そうと思ってるんですけど、肌触りとかいいから使ってるんです」

「……そのタオル。高いわよ」

「え?」

「ほら、海島綿だから、多分二千円ぐらいかな? バラ売りは多分しないでしょうからセットで五、六千円か下手すると一万ぐらいするわよ」

「る、琉璃香さん」

「あら、知らなかったの? 大変ね」

「えーと……」

「ダメ。我が家の規則は知っているでしょう?」

 小遣いは前借できない。皆瀬家では小遣いはその前の月に働いた分だけ支払われるシステムであるために毎月変動する。そのため、基本的に前借りは不可になっている。

「賢治さん! お願い、貸して!」

「貸してあげたいのは山々だけど、フィルムと現像代でほとんどオケラだからなあ」

「めい……い、痛いな、なんで殴るんだよ!」

「小学生からお金を借りようとしないの!」

「きょうびの小学生はわたしよりもお金持ってるよ! 学校帰りのアイスだって一段でやっとなんだぞ! トッピングも無し! ああ、一度でいいから落ちる心配しながらアイスを食べたい!」

「美・奈・子・ちゃん! なんて言葉使いしてるの! ネコを助けてあげた時の約束を忘れたのかな?」

「うっ! でも、それは……」

「ほほう、約束を反故にするつもりね。それなら、こっちも約束は反故にしてもいいのね。真琴に電話しておくわ。約束は守る必要ないって」

「あ、あう、そ、それは……止めてくださいまし、琉璃香お姉さまぁ」

「わかればよろしい」

「美奈子お姉ちゃん、色々と苦労してるんだね。あたしも応援してるから頑張ってね」

「あ、ありがとう、芽衣美ちゃん」

「でも、お金は貸さないよ」

「ありがとう、芽衣美ちゃん。プライドにかけて頑張る……わ」

 最後のやり取りでいささかあっけにとらわれつつも芽衣美の両親は帰っていった。父親の方は後ろ髪惹かれまくって名残惜しく、いつまでたってもその場から離れようとしないので沙織に襟首引きずられて行くことになったが。


 美奈子は昼休みに屋上で一人、財布を広げて、風に飛ばされる心配のないお金を数えていた。

「一枚、二枚、三枚……全然足りない。はぁ」

 美奈子は何回数えても増えることない全財産に本日38回目のため息を吹きかけた。

 沙織に指摘された後にインターネットなどで調べた結果、5,800円のタオルセットの一枚であることが判明した。その時、現在の美奈子の全財産は1,158円。今週末に今月分の小遣い2,000円(予定)が入るが、それを足しても2,642円足りない。担当家事を増やして来月の小遣いの増額をすれば何とかなる額だが、それでは遅くなりすぎてしまう。

「こんなことなら、『魔法少女♪奈里佳』のビデオに手を出さなきゃよかった。うう、でも、ジャージレッドさんの原作で、しかも、みるくせーきさんのキャラデザを買わないなんて……我慢できなかったし……悪い魔法少女の研究のための必要経費って事に……ならないだろうな、ふう」

 39回目のため息を漏らしたときに美奈子は後ろから突然声をかけられた。

「よっ! 美奈子。こんな所で何やってるんだ?」

「ひゃう! あ、あ、ああ!」

 美奈子は突然背後から声をかけられ、驚きのあまり、財布を取り落としそうになり、それを落とさないように手すりから身を乗り出して財布を抱きかかえた。声をかけた人物が美奈子の体を支えていなければ、多分落ちていただろう。

「さ、里美か。びっくりした」

 命拾いした美奈子はホッと一息ついて振り返って声をかけた人物に話し掛けた。

「びっくりしたのはこっちだよ。まったく、死ぬ気かい? それに、用事があるからとか言って何処か行ったと思ったら、こんなところにいるなんて、なにしてたんだい?」

「うん、まあ、その、ね。……えっと、みんなは?」

「うん? 僕一人だけど?」

「そうか……ほっ」

「何か隠してるだろ?」

「え?! いや、何も隠してなんかいない、わよ」

「美奈子は顔に出るからすぐわかるよ。水臭いな。友達なのに。それとも僕は違うのかな?」

「そ、そんなことないよ。友達だよ」

「それじゃあ、話して。ここに来るときに番町更屋敷みたいな声を聞いたけど、たぶん、美奈子だろ?」

「聞いてたの?」

 美奈子は観念して、タオルの弁償のお金をどうやって捻出するか悩んでいることを打ち明けた。

「と、言うわけなの。このことはヨーコちゃん達には黙っておいてね」

「ふーん、なるほどね。でも、ヨーコは気にしてないと思うよ」

「でも、ちゃんと自分が言ったこと、約束したことは守らないと駄目でしょ?」

「えらい! いつもはおどおどして、気が弱くて周りに合わせてばかりだけど、ちゃんと芯が通ったところもあるんだ。見直したよ、美奈子。僕が男の子だったら絶対に彼女にするよ」

「あ、ありがとう、里美」

「うーん……よし! ここは僕が一肌脱ぐよ。放課後、時間空いてる?」

「え? うん、まあ。空いてるけど」

「それじゃあ、一緒に来て。悪いようにはしないよ」

「あ、うん」

 そして、あっという間に午後の授業は終わり、放課後になった。

「美奈子ちゃん。ご一緒に帰りましょう」

 庸子が帰り支度をしている美奈子に声をかけてきた。

「ごめん、ヨーコちゃん。今日はちょっと里美と約束があって」

「それは残念ですわ。今日は制服が可愛いと噂の喫茶店にご一緒しようと思ってましたのに」

「ヨーコちゃん、そういう趣味があったの?」

「無いとは言い切りませんけど、今回はおじい様から取材してきてくれと頼まれましたので。なんでも、メイドの制服の参考にしたいらしいですわ」

「はあ、そうなの?」

「まったく、おじい様にも困ったものですわ。コロコロと制服のデザインを変えるのですから」

 そういいながら結構嬉しそうな庸子であった。

「ははは、大変だね」

「美奈子! そろそろ行くよ」

「あ、ごめん! ……それじゃあ、また明日!」

 里美が廊下から教室に顔を出して美奈子を呼んだ。このまま放っておいたらいつまでも喋りつづけそうだったので、美奈子はいいタイミングとばかりに話を切り上げた。

「ごきげんよう」

 庸子たちと別れ、美奈子は里美に連れ添われて辿り着いたのは理事長室の扉の前であった。

 理事長室。一般の生徒がまず用のない部屋である。年に何人かの生徒が用事でこの扉をくぐるが、出てきたときには疲労困憊して、そこに何があったかは黙して誰も語らない。扉にかかった理事長室のプレートの下に「お気軽に入室ください」と誰が入ってもよいことになっているが、入った人間の様子が噂で伝わり、誰も入ろうとするものはいない。理事長室に何があるかは一ノ宮中学七不思議の一つに数え上げられている。ちなみに、七不思議の最後の一つは七不思議が七つ以上あることらしい。

「……という話なんだけど、本当にここでいいの?」

 何故、理事長室かわからない美奈子は不安を隠さずに里美に訊いた。里美も苦虫を噛み潰した表情をして頷いた。

「なるべく、ここにはきたくなかったけど……」

 聞こえるか聞こえない声でそう呟くと、美奈子のほうを向いて

「入る前に一つだけ言っておくけど、中で何を見ても、それをけなしたりしたら駄目だよ。心から誉めろとは言わないけど、お世辞でもいいから、女の子らしく『かわいい』とかなんとか言ってくれたら、話がしやすいんだ。いいか?」

「う、うん。わかった」

 里美の真剣な表情に美奈子は緊張しながら答えた。これからどんなことが起こるか予測不可能なだけに、美奈子の不安はいやが上でも高まった。

「それじゃ、いくぞ」

 重苦しい雰囲気とは裏腹に軽やかに扉をノックした。中で何かごそごそと音がして人の気配がしたが、すぐにそれも収まって、しばしの静寂の後に「どうぞ、入りなさい」と返事が返ってきた。

「二年二組、尾崎里美」

「同じく、二年二組白瀬美奈子。入ります」

 緊張しつつ、扉のノブをゆっくりと回し、部屋の中へと扉を押し開けた。

「!」

 ミステリアスゾーンへの扉を開けて中を見た美奈子は言葉を失った。

 理事長室はくまのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみ、熊のぬいぐるみで埋め尽くされていた。所狭しと積み重ねられたクマのぬいぐるみの谷間にオークの重厚な机が何とも不釣合いに置かれていたが、本来の理事長室には多分、似合いそうであった。そして、その向こうにいる理事長と思われる人物は美奈子たちに背を向けて窓の外を眺めてながら椅子に座っていた。

「いらっしゃい。そんなところに立ってないで入ってきたらどうだい?」

 中年男性の声が美奈子の耳朶を打ち、美奈子は少しだけ我に帰った。

「あ、はい。失礼します」

 美奈子たちは理事長室の敷居をまたいで、扉を閉めた。半ば放心状態の美奈子に対して、里美は全く驚いておらず、代わりに苦渋に満ちた表情をしていた。

「ご無沙汰しております。理事長」

 里美が重々しく口を開いた。どうやら旧知の仲だが、明らかに嫌っているのは半ば放心状態を続けている美奈子にもわかった。

「親しい人しかいないプライベートだ。堅苦しい呼び方ではなくていいよ、里美ちゃん」

 それに対して、明らかに好意をよせた軽い口調の返事が返って来た。

「では、孝治おじ様」

「ちっちっち。孝治お兄ちゃんだよ。忘れたのかな?」

「……っ、孝治お兄ちゃん」

 里美の言葉に含まれる感情をもし科学的に分析できるとすれば、嫌悪感の所のピークがずば抜けて高いことは間違いないだろう。

「よろしい。ところで、今日は何の用だい? 里美ちゃん」

 椅子が回転して美奈子達の方に理事長は向き直った。その姿に美奈子は固まった。

 くまのぬいぐるみ。ふわふわのもこもこ、人と同じくらいの大きさをしたクマのぬいぐるみ。理事長は見まがうことなく熊のぬいぐるみであった。

「里美ちゃんから尋ねてくるなんて珍しいね」

 しかも喋っている。ちゃんと喋っている。入学案内に載っていた写真は人間の写真だったはずだし、入学式に一度、壇上で挨拶する理事長を見たことがあるが、確かに人間だったはずである。美奈子の脳は次々と送られてくる非日常的な情報を処理しきれずにオーバーフロー状態になっていた。

「孝治お兄ちゃん。少々ふざけ過ぎです。隠れてないででてきてください」

「ちぇ、全然驚いてくれないなんて、孝治お兄ちゃん、寂しいなあ。せめて隣の美奈子ちゃんぐらい驚いてくれたっていいのに」

 何かが閉じる音がした。美奈子が音の方向を見ると机の正面に変な凹みを発見し、覗き穴を閉じた音だと美奈子は直感した。

(机の下に隠れていたのか……)

 美奈子がそう得心した次の瞬間、何かをぶつけた鈍い音が理事長室に響いた。

「イタッ!」

 机の下から這い出るときに頭をぶつけたのだろう。それを想像して、美奈子は目眩を覚えた。しかし、それで一気に美奈子の思考は非常識対応モードに切り替わった。

(……ああ、僕の関わるところに平凡とか人並みなんて求めちゃダメなんだ)

 美奈子は自分の境遇に心の中で涙していたが、しかし、頭をぶつけたらしき音がしてから一向に声の主は姿をあらわそうとしない。

「ま、まさか、気絶してるんじゃ?」

 美奈子は心配になって机に手をついてその向こうを覗き込もうとした。と、その途端、机が奥へと倒れて、美奈子は傾斜のついた机の上を、滑り台を頭から滑るような格好で滑った。頭から床へと突っ込む前に何とか床に手をついてそれは避けたが、滑った弾みでスカートがめくれて、下着が露わになっていた。

「え? あ! きゃあ!」

 元男の子ならパンツが見えたぐらいでどうってことないかと言うと、そんなわけはない。

 不意なことでパンツを見られることの恥ずかしさに男女の差はない。そして、女の子になっているので仕方ないのだが、それでも女性用のパンツをはいている事への羞恥心があるので、それが加わって、女の子以上に過剰な反応を示して、身体を支えていた腕で捲れあがったスカートを元の位置の戻そうとした。下着は隠れたが、当然、体は床へ向かって滑り出す。

「うわわわ」

 滑り始めてもすぐに下着のことなど放って置いて手を付き直せば、たいしたことではないのだが、らしくもない一瞬の躊躇でそれもできず、やっと決心して手をスカートから放した時には、頭をガードするのが精一杯、いや、それすらも間に合うかどうか微妙なタイミングであった。

 ばふっ!

 床にしては柔らかい衝撃が美奈子の腕と顔に伝わってきた。

「?」

 美奈子と床の間には、さっきまで理事長席に座っていたクマのぬいぐるみが挟まって、クッションになっていた。横を向くと床に横向きに寝そべっている中年の顔が目に入った。

「引っかかったのが里美ちゃんでないのが残念だが、まあ、美少女のあられもない姿を見れたのなら、それでよしとするか」

 美奈子は再びスカートがまくれあがって下着が露わになっているのに気がついて、恥ずかしさが再度沸きあがり、急いで机から降りようとしたが、それより先に中年男性が機敏な動作を見せて、机の下から這い出ると美奈子を軽々とお姫様抱っこの形で抱き上げてしまった。

「あ、あの……」

 美奈子は顔を真っ赤にして下ろしてもらうように頼もうとしたが、「いいから、いいから」と中年男性は笑顔でその申し出を言わせようとせずに、くまのぬいぐるみの間を縫うように進み、里美がいる側へと連れて行った。

「あ、あの……おろしてください」

 気恥ずかしさのあまり、美奈子は顔を真っ赤にして消え入りそうな声で懇願した。

「私としてはもう少しこうしていたいのだけどね」

 孝治は悪戯っ子のような笑顔で答えた。もうすぐ、五十らしいが、その表情は少年そのものであった。

「孝治お兄ちゃん。いいかげんにしてください。美奈子が嫌がっています」

「そんな怒った顔しないでくれよ。可愛すぎて思わず襲いたくなるじゃないか」

「殴るよ。真剣に」

「そいつは困る。私はともかく、美奈子ちゃんを下に落としてしまう。ごめんね、乱暴なお友達を持つと何かと苦労するね。友達のことを考えないんだから」

「え、えーと、あの……」

「美奈子、気にしなくていいよ。何かと僕に対して、こう言うことを言ってくるんだ、このおじさんは」

「ふふん、里美ちゃん。里美ちゃんが、いつもは近づこうともしないこの部屋にわざわざ来たということは何かお願いことがあるからじゃないのかな?それなのに、そんな態度をしていて、いいのかな?」

「うっ。そ、それは……」

「ふふふ、まあ、寛大な私ですから、そんな些細なことで判断を左右することはないけどね。多分」

「僕が悪かったです、孝治お兄ちゃん」

「流石は里美ちゃん♪ 素直でよろしい。だけど、まだ僕と言っているんだね。いいかげん改めたらどうだい? 里美ちゃん」

「こればっかりは譲りません」

「ふう、そうか。……その話はまたにしよう。今日はお客様がいるからね。ああ、でも、いつになったら、立派な乙女――自分の事を『あたしぃ』とか『里美ぃ』とか言って、すれ違う人がきっかり三秒は硬直するようなフリフリヒラヒラのロリータファッションに身を包んで、クマのぬいぐるみを抱きながら、町を徘徊する立派な乙女になってくれるのでしょうか……とっても心配だよ」

 ため息交じりに孝治が美奈子に悩みを打ち明けた。

(そうなった方が、わたしは心配だと思う)

 美奈子はなんとも言えない表情で里美に視線を送ったが、里美は肩をすくめて困った表情で首を振った。

「それはさて置き、今日は何の用事なのかな?よかったら私に聞かせてくれないかな?」

 理事長、一ノ宮孝治は机の縁に軽く腰掛けて真面目な顔で二人に訊いた。

「今日はすんなりと本題に入らせてくれるんだね」

「このまま、里美ちゃんをからかって遊ぶのも楽しそうなんだけど、里美ちゃんがわざわざ訪ねてきてくれた理由も興味があるからね」

 里美は孝治理事長に事の経緯を話した。彼はそれを黙って、表情豊かに聞いていた。

「なるほど。見かけによらず、なかなか骨のあるお嬢さんなんだね、美奈子ちゃんは。それで、私にお金を借りに来たのかな?」

 それが違うことなどわかっていながら孝治は意地悪く訊いた。

「違います! 美奈子がお金を稼げるように、バイトすることを許可して欲しいんです」

「校則は知っているね?」

 孝治は真面目な表情で里美と美奈子に訊いた。今までの軽い調子とは打って変わって威厳のある声に少し二人はたじろいだ。

「だ、だから、こうやって孝治お兄ちゃんに頼みにきたんじゃない」

「答えをまず言う。ダメだ。許可できない」

「そんな! 孝治お兄ちゃんの力なら何とかなるでしょう?」

「なるならないは別問題だ。許可はできない」

「孝治お兄ちゃん!」

「里美ちゃん。それに美奈子ちゃんもよく聞いて欲しい。もし、ここで私が美奈子ちゃんのバイトを許可したとしよう。私にはそうする力が無いとは言えないからね。そしたら、他にお金を稼ぎたいと思っている生徒が、その噂を聞きつけて私のところへ許可を貰うためにやってくるだろう。生徒の来訪が増えることは私自身喜ばしいことだが、それをいちいち処理していたら大変なことになってしまう。わかるだろ?」

「……はい」

「それに、そんなことがまかり通るようになれば、校則が何の意味も持たなくなって、誰も校則なんて守らないようになる。何せ、自分に都合の悪い校則は私に許可さえ貰えば公然と無視できるんだからね」

「……」

「そうなると、私が校則となってしまう。どこかの野球の審判でもあるまいし」

 軽く笑顔を浮かべてすぐに真面目な顔に戻し、

「それはいいことだろうか?どうだろう、美奈子ちゃん?」

「えーと、私のお父さんが言ってたことなんですけど、組織で上に行けば行くほど、権力とかを持てば持つほど、誰にも特別扱いはしたらだめだって。規律を守らせる側が規律を破るのが一番いけないことだって言ってました。だから、よくないことだと思います」

「なるほど。立派なお父さんだね」

「最近ちょっと壊れてますけど」

「里美ちゃんはどう思う?」

「……僕もよくないと思う」

 いつもの元気のいい里美とは思えない沈んだ小さな声でそう答えた。

「ありがとう。優秀な生徒で私は嬉しいよ。納得しなくても、理解してくれればそれでいい。後は自分の問題だからね」

 孝治は優しい笑顔を二人に向けた。

「美奈子……ごめん。僕……」

 何とかすると言っておきながら何もできなかったことへの悔しさか、孝治に言われた当たり前のことをわかっていなかった自分への軽蔑か、里美は色々なものが入り混じった顔で理事長室の床を見つめていた。

「気にしない、気にしない、里美らしくもない。元はと言えば、わたしの都合で悩んでただけなんだから。それに、他にどうにかできないわけじゃないしね。わたしのためにここまでしてくれたその気持ちだけで充分、ありがとうだよ」

 美奈子は落ち込んでいる里美の頭を撫でて笑顔でそう言った。

「……美奈子」

 里美は泣き出す一歩手前の顔で美奈子を見た。ふだんは男勝りで、自分のことを僕と言う彼女だが、こう言う表情をしていると、思わず抱きしめて守ってあげたくなる衝動に美奈子は駆られそうだった。

「理事長先生。お忙しいところをお邪魔してすいませんでした。この事は忘れてください」

 美奈子は抱きしめたい衝動を抑える為に孝治に向き直り、一礼すると里美を伴って退出しようとしたが、孝治が声をかけて、二人が退出するのを押し止めた。

「えーと、何か?」

「一つ、美奈子ちゃんに訊いていいかな?これからどうするつもりか、よければ聞かせてもらえないかな?」

「え、えーと……とりあえず、もう一度、お世話になってる家の人に掛け合ってみます。それで駄目なら、相原さんに来月まで待ってもらうようにお願いします」

「ふむ、それが最善の策だね」

「はい」

「さて、話は変わるが、私から美奈子ちゃんに頼みがあるんだ。私の知人がこの近くに喫茶店――『じぱんぐ』と言うんだが――それを経営していてね。そこの喫茶店、来週、バイトの子が休むらしいんだ。何でも、旅行に行くとかで。突然言われたから求人を出す間もない。しかも、一週間だけの短期。そこで、誰か手ごろな娘はいないかと今朝、私のところに相談があってね」

「はあ?」

「どうだろう?美奈子ちゃん、そこのお手伝いに行ってくれないか?」

「え? でも、バイトは……」

「ボランティアで」

「孝治お兄ちゃん!」

 幾分落ち込みから回復した里美が孝治を非難するように名を呼んだ。来月のお小遣いをアップさせるために家事の分担を増やさなければならない美奈子にどうしてボランティアできる余裕があるのか。そう言いたいらしい。

「もちろん、美奈子ちゃんの働きぶりにいたく感激したオーナーがお手伝い終了時に心付けを渡すかもしれないが、それは学校側に報告する義務もないし、報告を聞かなければ関与しない。どうかね? 人助けしてくれないかね?」

「なんで、わたしを? 他の人とかも……」

「理由はまず募集する時間がない。次に私の親しい友人のところなものだから、いい加減な人間を行かせたくはない」

「わたしがどんな人間か……」

「一応、これでも教育に携わるものなんでね、人を見る目はあると思っているよ。それに、里美ちゃんにここまでさせる人物なら信用に値すると考えてるんだが、まだ足りないかな?」

「あの、いえ、その……」

「足りないのか……それなら、可愛いパンツを見せてもらったお詫びとお礼♪」

 美奈子は顔を真っ赤にして捲れ上がってもいないスカートの裾を抑えた。


「……それじゃあ、校長と向こうさんに連絡しておくよって、有無も言わせず決められちゃったんだ。だから、今週末と来週一週間は帰りが遅くなるけど心配しないでね」

 家に帰った美奈子は夕食の時に、理事長室での話を家族に報告した。

「その喫茶店知ってる! ウェートレスさんの制服がとっても可愛いんだよ。いいなあ、美奈子お姉ちゃん、そんなの着られて!」

 芽衣美が心底羨ましそうにそう言った。

「まだウェートレスすると決まったわけじゃないって」

「ううん、美奈子お姉ちゃんをウェートレスに使わない喫茶店のマスターが、可愛い制服を採用するはずないもの。安心して、絶対ウェートレスだよ」

 何を安心するかは聞かずに美奈子は微苦笑を浮かべていた。

「それなら、一度、働いているところを見に行かねばな」

「いいわね。ついでに美奈子ちゃんに何かおごってもらいましょう」

「あたし、ちょこれーとぱふぇ!」

「私はケーキセットがいいな」

「おいおい、アルバイト料がいくら入るかわからないんだぞ。そんな無茶を言ったらダメだ。それぐらい父さんがおごるから」

 琉璃香と芽衣美のたかりにさすがの賢治も苦笑を浮かべて、美奈子をかばった。

「あ、ありがとう、賢治さん。さすがは……」

 お父さん、やっぱり頼りになる。と続けるつもりだったが、その前に賢治が口を開いた。

「ところで、美奈子」

「はい?」

「写真を撮るぐらいはいいだろう?」

「……だめ」

「ええ! いいだろう? 写真ぐらい撮らせてくれても!」

「駄目に決まってるだろう! そんなの邪魔になるし、迷惑になるじゃないか! そ、それに、恥ずかしいだろ!」

「可愛い娘の姿を可愛いままで永遠に繋ぎとめておきたいと思う親の心がわからんのか、嘆かわしい」

「僕は息子で、娘じゃないって!」

「だったら尚更! 写真に残したいと思って当然だと思わんか? 美奈子、いい加減わかってくれ」

「わかりたくもありませんよーだ!」

 舌を突き出してアカンベーをして美奈子は応戦した。その可愛らしさに賢治は魅了され、反撃もできずに美奈子に軍配が上がる所であったが、思わぬところから反撃を被った。

「美奈子ちゃん。また、乱暴な言葉を使ってるのね」

「え? あ! ごめんなさい」

 突然の琉璃香の参戦に完全に虚を突かれた美奈子は完全に相手に主導権を奪われた。

「ウェートレスするなら、言葉遣いをまずは改めないとお店の人が迷惑するわよ」

「たしかに、そうだな。可愛い女の子が男の子みたいな言葉で接客されたら、ごく一部の人たちには受けがいいけど、ほとんどは面食らうだろうな」

 賢治も魅了から復活して参戦。

「そんなの、ウェートレスするかどうか決まってないのに……」

「もしそうなら、どうするの?接客も満足に出来ない人を寄越したと理事長先生の面目丸つぶれ」

「お給金も出ないかもね」

 芽衣美まで参戦して、美奈子の敗戦色はいっそう濃くなった。

「出ない事はなくても少ない可能性はあるわね」

「……そ、それは困るよ」

「というわけで、こういう時は……」

「こういう時は?」

「特訓よ!」

「特訓?」

「……それじゃあ、私はホットミルクティーを」

 怪訝な表情をしている美奈子をよそに、琉璃香は何か本を閉じるような動作をしてそう言った。

「父さんはアイスオーレを」

 それに賢治が続き、

「あたしは、オレンジジュース」

 芽衣美まで加わった。

「は?」

「は? じゃないでしょう? 注文を受けたら、繰り返して確認して、注文のものを作って、給仕でしょう?」

「い?」

「い? じゃないよ。あ、ウェートレスさん、ついでに、この皿、下げておいて」

 賢治もノリよくそう言った。

「って、食後のお茶の支度をわたしに押し付けてるだけじゃない!」

「あら? 私は美奈子ちゃんのためを思ってよ。実際に何かあったほうが、気分がノルでしょ?」

「ウェートレスさん、ふぁいと!」

 芽衣美が拳を握って小さく頑張れのポーズで応援した。

「みんな、鬼だ」

 ぶつぶつ言いながらもちゃんと全員の食後のお茶を煎れて、洗い物までしてしまう美奈子はやっぱり、美奈子であった。


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