魔法使いと鋼の騎士
特別強くなくてもいい。
特別器用でなくてもいい。
ただ、共に生きていける、
そんな「強さ」を持っていたい……
一章 魔導の君
実りある秋が終わりをつげ、森の木々がゆっくりと鮮やかな衣を脱ぎ始める頃、ゼノスは足取りも軽く懐かしの我が家へと向かっていた。
冬へと向かうこの季節に、実家へと帰るのは三年ぶりのことだ。しばらく遠征続きで帰れなかった分、よけいに気持ちが逸る。例えこれが、国王に頼まれた非常に難しい任務の真っ最中であろうともだ。
「あの……隊長」
操る馬の足音すら軽いゼノスに、さすがに不安を覚えたのか同行の部下が声をかけた。ゼノスは笑顔で振り返る。
「どうした? バルド。暗い顔だな」
「はぁ……隊長は明るいですね……」
「そりゃあそうだろう。なんつっても半年ぶりに家族に会えるからな! この時期にあいつらに会うのは三年ぶりだ! この任務が片づけば、冬の間は家にいられるしな!」
嬉々として言う隊長に、彼よりも三歳は年上だろう部下は深いため息をついた。
「……はぁ……それは、この任務が無事に終了すれば、ですよね……?」
暗いため息をつきながらの台詞に、ゼノスは不審そうに眉をひそめる。
ゼノス・ラグナールは今年でようやく二十五になる年若い隊長だ。王国には青・赤・白・黒の四騎士団があり、騎士団にはそれぞれ十の部隊がある。ゼノスのように二十代で部隊長に着いている者は稀で、ほとんどが三十後半以上の熟練者であり、中には七十を超えた強者もいる。だが、かといって年齢が力量の差になるわけではない。
むしろ、ゼノスの率いる第七部隊は、全騎士団の中でもかなりの勇名を誇っていた。勇猛果敢なことで知られ、たてた武勲の数は他の部隊の倍以上あり、隊長の人柄からか国民にも親しまれている。
ゼノス自身も剣の腕のみならず馬術・体術ともに団随一と言われていた。ただし、知謀に関してはハンカチを濡らす部下がいるほどお粗末で、脳筋族の称号をほしいままにしている。
バルド自身、ゼノスが年のわりに(脳味噌以外では)頼りになる隊長であることをよく知っているはずだった。例え任務中に嬉しげに鼻歌歌っていようとも、しまりのない顔をしていようとも、大丈夫か?と不安に思う必要はないはずである。
……気持ちはよく分かるが。
「なんだ? 今回任務が失敗するような言い方だな?」
遠いうつろな目をしているバルドに、ゼノスは直球で問いかけた。慣れているバルドはさらにため息をついて頭を掻く。
「失敗するかどうか、という以前の問題なんですよ、私としては!」
「……悪い。俺にわかるように説明してくれ」
脳味噌まで運動神経に浸食されているゼノスの言葉に、バルドは呻くような顔で言った。
「つまり、私としては……今抱えている魔物討伐の任務が果たせるかどうか、というよりも──────もちろん、それについての不安もありますが、それより─────この書状を『あの方』に渡さなくてはいけないことのほうが問題なんです!」
この書状、と言われて、ゼノスはバルドが懐から取り出した過剰包装されまくった小包のような物体を眺めた。
「……それ、陛下からの書状か?」
「そうですよ」
「……なんでそんなにでっかくなってるんだ? ペラい紙切れだったのに……」
国王の書状をチリ紙のように表現したゼノスに、バルドはさらに深くため息をつく。
「大切な書状だから、折ったり濡らしたり汚したりしないようにしてるんです。……だいたい、本来ならこのような大事な書類は隊長が持っているべきなんですよ。なのに……」
「……あ〜……俺がもってるとたぶん何かに使って捨てちまいそうだしなぁ……」
「捨てないでください! 大事な書状を!」
むしろ何に使って捨ててしまいそうなのか大層疑問だったが、なにせ奇妙なところで常識が通じない相手である。バルドは沈鬱なため息をついて小包状態の書状を懐にしまった。
「とにかく……これを無事相手に渡せれるかどうか……渡した後も生きて帰れるかどうか……もぅ心配で心配で心配で……」
隊長直伝の遠慮のない本音グチに、ゼノスは後ろ頭を掻きながら首を傾げた。
「無事にもクソも無いだろ? 書状渡して、ちょっと手伝ってくれないか? って言うだけじゃないか。なんだってそんな死にそうなツラしてんだ? そりゃ、無理難題押しつける形になるから、すっげぇ不機嫌だろうけどさ、あいつだってその道の専門家なんだ。自慢だが優秀なんだぞ♪ そんなわけで、ちょっとは大船に乗った気持ちでいろよ」
鼻の下が伸びてそうな喜色満面の笑顔で言われて、バルドは半分泣きそうになる。
「で、ですが隊長! 隊長は平気かも知れませんが……私は怖いですよ! だって……これから会うのは……隊長のお住まいに住んでいらっしゃるのは、あの『魔導の君』なんでしょう!?」
最後のはほとんど泣き声に近かった。三十近い男に半泣きに言われたゼノスは、呆れたような顔をしたあと、ハタと気づいて部下を眺める。
「あぁ! そうか、おまえ『魔導の君』に会うのは初めてだったよな! はっはぁ、さては緊張したな?」
「そりゃ、緊張しますよ! だって、あの『魔導の君』に難題を持っていくんですよ? 噂じゃ、あの方はたいそう気むずかしくて……しかもこと魔法に関しては、城の大魔導師様よりも凄いと言うじゃありませんか!」
「う〜ん……まぁ、そうなんだが」
「怖くないですか? おれ達一般兵にとっては、魔法なんてお伽噺みたいなもんなんですよ! それなのに、稀代の……大魔法使いに……!」
「って言われてもなぁ……」
すでに泣きがはいっている部下に、ゼノスは困った顔で後ろ頭を掻いた。若々しい精悍な男前だというのに、困ったときの情けない「への字」の眉が妙に似合っている。
ゼノスやバルドのみならず、一般の人々の魔法に関する知識は乏しい。
「魔法」とは産まれながらに魔力を有する「魔力持ち」のみが使える力であり、それ以外の者では「使う」どころか「理解」することすらできないシロモノだった。
そして魔力を有する人間は非常に数が少ない。
まして誰が見てもあきらかに「強い」と思える魔法を扱える者は、ごくごくわずかだった。
件の『魔導の君』は、その中でも特別知名度の高い魔法使いである。ただ、その『魔導の君』が、一平卒ではないとはいえただの騎士団員と同じ家で暮らしていることは、知名度に反してあまり知られてはいない。
(あいつ……なんでこう、周り中に恐れられてんだ?)
一緒に暮らしているゼノスは、周囲の『魔導の君』に対する過剰な反応がどうにも理解できない。なにしろほんの赤ん坊の頃から知ってる相手なのだから、恐がれというほうが無理がある。
(……たしかに、怒ると恐いけどな……)
家のある方角に視線を投じて、ゼノスは鼻頭を掻いた。
青騎士団にその人ありと謳われるゼノスの家は、実は他の騎士達がもっているようなお屋敷ではなかった。若くして部隊長という地位に就いているのにも関わらず、彼が「家」と呼んで住まうのは、街の一角にある古くて大きな孤児院である。
現在そこには、五十人近い孤児達が暮らしていた。ゼノスが子供の頃からいた兄弟達はほとんど独立したが、今も何人かはそのまま孤児院で起居し、新しい孤児達を世話している。そのうちの一人がゼノスであり、そして『魔導の君』だった。
「まぁ、あいつはちょっと変わってるが、悪い奴じゃねぇよ。可愛い奴なんだから、いらん心配するなよな」
ゼノスは苦笑しながらそう言って、年上の部下から驚異の眼差しを向けられた。
※ ※ ※
……ゼノスの言葉は、嘘ではなかった。
王都の東の隅にある孤児院で、はじめて噂の『魔導の君』と会ったバルドは、目と口をまん丸に開いて相手を見つめてしまった。
『魔導の君』。それは若くして大魔導師以上の魔力を有する、天才魔導師の尊称だった。あるときは敬意をもって、あるときは畏怖をもって口ずさまれるその名をもつ魔導師は……本当に若くて可愛らしい子供だった。
「……たいちょう……」
あまりのショックに魂が抜けたような状態の部下に、『魔導の君』直々に煎れてもらったお茶を飲みながら、ゼノスは苦笑いを浮かべた。
「だから言っただろ? 可愛い奴だって」
「ゼノ」
凛とした声が、笑い含みのゼノスの発言を咎める。確かに、とバルドは思った。
確かに『魔導の君』は可愛らしかった。おそらく十五より下だろう。子供らしい表情や仕草こそないものの、貴族の子弟に劣らない品の良さと綺麗に整った顔立ちに、年相応のあどけなさを加えていて魅力的だ。あと数年もたてば、さぞ宮廷を騒がせることだろう。今騒がれていないのが不思議なほどだ。
「……ですが、『魔導の君』がこんなに可愛らしい方だとは、誰も……」
戸惑ってそう呟くバルドに、子供はちょっと眉をひそめ、ゼノスは豪快に笑った。
「そりゃあな、『可愛らしい』なんて言われるのが大嫌いなコイツのせいだろうよ。それに、自分達より優秀な魔導師が十三の子供だなんて、プライドの高い王宮魔導師の連中が好きこのんで吹聴するわけねェし」
「……おかげで助かっているんだけどね」
苦笑して、小さな大魔導師はゼノスへと向けた眼差しを和らげた。その中にある確かな信頼と愛情に、バルドはまたまた驚いて息をのむ。
その一方で、内心(なるほど!)と納得していた。
国王がこの難題を携えさせるのに、青騎士団長ではなくゼノスの選んだのは、このためだと思ったのだ。ゼノスにとってもそうであるように、『魔導の君』にとってもゼノスは大切な家族なのだろう、と彼は一種の感動を覚えながら記憶した。
……実はちょっと微妙に違うのだが。
「それにしても、ルディ。おまえ、しばらく見ないうちに背が伸びたな」
暖かいお茶を飲み干して、ゼノスは笑いながら久しぶりに会う家族を見つめた。ルディはわずかにはにかんで頷く。
「ミナよりも高くなったんだ。これで、ゼノとの身長差は頭二つ分だ」
「お? そいつはどうかなぁ。フフン♪ 俺も伸びたんだぜ?」
「……嘘だろう? あんた、もう二十五じゃないか。なんだってまだ成長してるんだ!」
「俺に文句言うなよ。俺の意志で伸びてるんじゃないんだぜ?」
「だって……せっかくちょっと追いついたと思ったのに……」
肩を落として言うルディに、ゼノスは苦笑して小さな家族の頭を撫でてやった。「ま、ちょっとずつな」と笑うゼノスに、ルディは拗ねた顔をしていたが、頭を撫でてもらって嬉しいのか頬がわずかに紅潮している。見ていてくすぐったくなるような暖かい家族の対話に、バルドは落ち着かなげに視線を彷徨わせた。
そんな部下の様子に気づいたのか、ゼノスは「さて」と声を改めバルドに手を差し出した。心得た動作でバルドが小包もどきを懐から取り出す。
「なに? それ」
「見てのお楽しみ〜」
全然楽しみなもんじゃありません、とバルドは心の中でつっこんだ。じっと見つめてくる四つの目の先で、どきどきはらはらしながら包みを解く。
さらに解く。
「いったい……何重に包んでんだ? これ……剥いても剥いても出てきやしねぇ……」
「……たまねぎじゃないんだから……」
交互に愚痴る傍観者二名を無視して、バルドはせっせと剥いていく。十数回。やっと出てきた一通の書状に、ルディが一瞬なんとも言えない嫌そうな顔をした。金色の留め具で封をされたその書状が何なのか、問わなくても解ったのである。
「……やっぱり、また仕事がらみなんだ」
「そう言うなよ。俺だって休みで帰ってきたいけどよ、今のご時世じゃそうはいかねぇじゃん。仕事でもこうやって帰ってこれるのは、俺的には嬉しいんだけどな」
「……オレだって嬉しいけど……」
「ルディ〜……自分のことを『オレ』なんていうのはよせー……口が悪いのは俺に似ちゃったのかなぁ……」
ゼノスのぼやきに、ルディはふてくされた顔でそっぽを向いた。その頬が軽く上気している。
「まぁ、この仕事が片づけば、冬をこっちで越せるよう上とは話しつけてるからさ。そんなわけで、ちょっと手伝ってくれないか?」
冬を孤児院で越せる、という台詞に、目に見えてルディの機嫌が治った。パァッと輝いた顔に、あれあれとバルドも目を瞠る。
「本当に?」
「あぁ」
「途中でまた休暇取りやめになったりしない?」
「たぶんしないと思う」
大まじめに答えるゼノスに、そこは誤魔化そうよ隊長、とバルドが片手で顔を覆う。ルディもちょっと眉を怒らせたが、ゼノスの性格はよく知っているのだろう、苦笑すると書状を端から端まで眺めて頷いた。
「……わかった」
「お? 引き受けてくれるのか?」
「言質をとってから考える」
ゲンチ? と首を傾げるゼノスの前でバルドはさーっと血の気が引くのを感じた。
(もしや、魔導の君は……陛下や団長に直談判する気じゃ……)
あわあわと一人慌てているバルドと、首を傾げているゼノスの前で、ルディは外套を羽織り、小さな鞄をひとつ背負って仁王立ちする。
「さぁ、王宮に行くぞ」
バルドは天を仰いだ。
二章 微妙な関係
年若い『魔導の君』の伝説は、すでに王国では知らぬ者がいないほど有名だった。
五才のときに非常に精密な人間の複製精神体を創り出したことから始まり、王都の大魔導師達の作ったキメラを一撃で倒したとか、天候を操ったとか、国王からの依頼でも気に入らないと絶対に動かないとか……数えればきりがないほどの『伝説』がいろいろとあるからだ。最後のはただの我が儘だと、ゼノスなどは常々思っているのだが。
「大恩ある陛下や魔術師長の頼みなんだ。にっこり笑顔で受けてくれよ、ルディ」
仏頂面で馬を並べているルディに、ゼノスは苦笑しながらそう声をかけた。依頼の詳細を聞いて王城を出てからこっち、斜めに傾いだルディの機嫌はいっこうに治らない。
「そうは言うけど、腹が立たない? 沼のほとりに魔導生物が増えたってのは聞いたことあったけど、それが王宮の魔導師連中のしょうもないミスのせいだったなんて……結局はコレ、奴らの尻拭いじゃないか。最近ゼノが帰ってこれなかったのも、魔導生物が周辺の街を襲わないよう、遠征地で小競り合いをくりかえしてたからだろ? ……なんでゼノがそんなののために、かけずり回って働かなきゃいけないんだよ!」
我が事以上にプリプリしているルディに、ゼノスは苦笑を深めて肩をすくめた。
「そりゃまぁ、お国に仕える身としては仕方ないんじゃないの? おまえも立場的には俺と似たようなものだろうが」
「オレは別に国に仕えてないもん。国の方が力を貸してくれって言ってくるだけで」
「……モン、って……そのたびに俺が駆り出されてないか? おまえ、我が儘言って引き受けるの渋るから」
ゼノスの声に、ルディはぷいっとそっぽを向いた。どうしてゼノス以外には我が儘を言ってごねるのか、ゼノスはちっともわかってない。
「とりあえず、上の連中に恩を売るってことで、がんばってくれよ。な?」
笑ってそう言った朴念仁に、ふいに後ろから困りきった声がかかった。
「……隊長……それはちょっと……」
「おわっ? バルドっ? おまえ、いたの?」
「……最初から居ましたよ。ず〜っと……」
暗い声で言う部下に、そういやそうだったとゼノスは笑って後頭を掻く。
「いやぁ、つい忘れちまってた〜」
「……忘れないでくださいよ。一応、おれ、王宮への連絡係なんですから」
悪ぃな、と笑うゼノスの横で、ルディがちょっと不機嫌そうな顔になる。その様子に、どうも自分はお邪魔虫らしいとバルドは首をすくめた。
……それにしても。
(……年の離れた義理の兄……弟? それとも妹?……だよなぁ?)
和気藹々と馬を進めていく二人を見比べて、バルドは首を傾げた。それにしては、何かこう……不思議な違和感があるのは何故だろうか?
(………………気にしないでおこう)
どうも傍目から見ていちゃついてるようにしか見えないは、きっと自分の気のせいだ、と彼は自分自身にそう言い聞かせた。
※ ※ ※
問題の沼は、王都から西にほんの十数キロという近い場所にあった。高台から、今も騎士団が駐屯している辺りと沼を見比べて、ルディは呆れたため息をつく。
「……こんなに近くだったんだ」
「そう。こんなに近く。おかげで俺達騎士団員は、奴らを沼から出さないように必死!」
「……そうだろうね。しかも原因は王宮の魔術師達だし。必死に隠そうとするはずだよ」
「……いや、俺達ががんばったのは、別に奴らのためじゃないんだけどよ……」
十三の子供に冷ややかに言われて、ゼノスはぽそぽそと呟いた。ルディはその声にちょっと微笑む。
「わかってるよ、ゼノ。ゼノはオレ達を守るためにがんばってくれたんだよね。ちゃんとわかってる。……わかってないのは、城の連中だけど」
「ル〜ディ〜」
最後の部分で子供らしくないシニカルな笑みを浮かべるルディに、ゼノスは呆れ半分心配半分に名を呼んだ。昔からそうだったが、ルディは年齢に反して非常に大人びた考え方や表情をする。精神年齢が高いのだ、とは、王宮魔術師長の言葉だったが、ゼノスはそんな言葉でルディを言い表すのは嫌だった。
(……セイシンネンレイとか、そういうのはよくわかんねぇけど。ルディは十三の子供なんだ。……ああいう表情はよくねぇよ)
じっと見つめる眼差しに自分を案じてくれる色を見つけて、ルディはくすぐったそうに微笑った。それはひどく愛らしい表情だった。
「とりあえず、仕事を先に片づけてしまおうよ。そしたらゼノはしばらく家で暮らせるんだろ?」
「そうだが……あ、いや、後始末を済ませてからだな」
「後始末?」
あぁ、と頷いて、ゼノスは後ろ頭を掻いた。
「城の魔術師連中がこの沼に捨てちまった、魔導生物の卵を殲滅しないといけないだろ?どうも繁殖しまくってるみたいだし」
「それもついでオレがやるよ」
「ルディ。言葉、言葉」
「……いちいち気にしない! ……卵といえど相手は魔導生物だ。ゼノ達じゃ危険だよ。早く済ませればその分、休みは長くとれるし」
「いつの間にそういう話しになったんだ?」
「詳しい状況を聞いてるときに、陛下に言って約束してもらった」
「へぇ……長期休暇なんて、貴族でもなきゃめったにないってのになぁ……よくとれたな?」
どこか他人事なゼノスの言葉に、ルディはにっこりと笑う。
「オレとしては、仕事で一緒の時間が増えるなら、長引いてくれても別にかまわないんだ。早く仕上げる必要ないだろ? で、それを言ったらそういうことになった」
それは普通、脅迫したとは言わないだろうか?
こっそりと心の中でつっこんで、バルドは軽く頭を抱えた。ゼノスの方はいまいち事情が飲み込めていないらしく、不思議そうな顔で首を傾げている。
頼むから気づけ、とバルドは念じた。
「お前がついでにやってくれるなら、俺達としては大助かりなんだが……何か手伝えることとか、ないか?」
「ない」
天才魔導師の答えはにべもない。
「火が効かないんだ、あの化け物には。水属性に加えて炎属性も持ってる魔導生物だから。炎で浄火できないんだから、普通の人間には手出しができない」
「え…? うぇえ? そうなのか? 燃やし尽くせばいいんじゃねぇの?」
「駄目。だからこそ城の魔術師達でもどうにもできなかったんだよ。風の魔法で斬ろうとしても、水の膜で防御されてしまうし」
「そっか……魔法のことはよくわからんが、城の魔術師達がこぞって匙を投げたんだもんな。いろいろと難しい問題があるんだ」
「まぁ……別系統の魔法使うから、今回はそうでもないんだけどね」
先に難しげに言っておきながら、ルディは軽く肩をすくめてこともなげにそう言った。ゼノスとバルドは顔を見合わせる。
「「そうなの?」」
見事に重なった二重奏に、ルディは頷く。
「そう。ただ、広範囲に影響がでるから、できれば使いたくないんだけど……ま、いいかな。魔導生物に街が襲われるよりはマシだろうし。えぇと、バルド、だったっけ?」
「え? あ、はい!」
「駐屯中の騎士達、どけてくれないかな? 大きな魔法使うから、あのままだと完璧に巻き添えをくらって全滅するよ」
「!!! は はいッ!!」
途端に血相を変えて走り去るバルドを見送って、ゼノスはちょっと気の毒そうな顔をした。チラッと小さな魔導師を見下ろす。
「そこまで脅す必要、ないんじゃねぇの?」
「……あのね。なに言ってるんだよ、ゼノ。オレがこれから使うのはすごく危険な魔法なんだよ? 言っとくけど、オレはゼノが思うより優秀な魔導師なの。魔力だって、前よりずっと強くなったし、魔法だって上手く使えるようになったんだから」
拗ねたようにそっぽを向く子供に、ゼノスは苦笑して手を伸ばした。今はまだ広げた片手にすっぽりと包める頭を撫でて、そっと声を落とす。
「知ってるさ。俺のちっちゃなルディが、王国で一番強い魔導師だってことなら。だからこそ、難題だっていうこんな依頼をおまえに頼みに来たんだ。国王陛下からの依頼だとしても、おまえが頼りにならなかったらこんなこと頼みに来たりしなかったさ」
低く優しい声に、ルディはちょっと上目遣いにゼノスを見上げた。いつも変わらない優しい目が、自分を見下ろして笑っている。
ルディの一番大好きな目だった。
いつも傍にあってほしい眼差しだった。
そう思うとせつなくなって、ルディは地面に視線を落とした。胸がほんの少し、痛い。
「……魔力が強くたって、いいことなんか無いよ」
「……そうか?」
「そうだよ。いくら魔法が上手く使えるようになっても、オレはちっとも成長しないし。……ゼノはちっとも家にいてくれないし」
「おまえはちゃんと成長してるさ。……まぁ、なんて言うか、育って欲しい方向にはなかなか育たないみたいだけどさ」
ゼノスの声に、ルディは真っ赤になってプイッとそっぽを向いた。
「……どうせオレは色気が無いよ。胸だってぺったんこだよ」
「俺はそれより、その言葉遣いをなんとかしてほしいけどな。そんなんじゃ嫁の貰い手がないぞ? バルドなんか絶対、おまえの性別間違えてるだろーし」
はっきり言って、一見でルディが女だと見抜けるのは、途方もない女好きか生気が見えるとかいう高位魔導師ぐらいなものだった。青騎士団長など、いまだにルディを男だと思っている。
「いいよ別に。誰が誤解しようと、どうでもいいし。それに、ゼノは言葉遣いなんて気にしないんだろ?」
「うーん……そうだなぁ……女の子らしくなってほしいってのはあるけど、別におまえがおまえであればいいかな」
「じゃあ、別にいい。オレはずっとこのままでいる」
赤い顔で断言したルディに、ゼノスは不思議そうな顔をしたあと、意味に気づいて赤くなった。思いっきり慌てた。
「お、おい、ルディ。俺はだい〜ぶいいトシのオヤジなんだけどよ?」
「なんだよ。ちゃんと約束したろ? オレが嫁きそこねたらもらってくれるって」
「いや、それはおまえの嫁の貰い手が全くなかったらのことで……早くも諦めちまうなよ。おまえ、造りは上等なんだから」
「誰が化け物みたいに強い魔導師なんかもらってくれるってんだよ? おまけに、オレは男みたいだし! そんな奴を前にして平気だっていう、鋼の心臓をもってるのはゼノぐらいなもんだ!」
「鋼の心臓って……おい、俺は別におまえを怖いなんて思ったことねぇぞ? それでも鋼の心臓なのか?」
「怖いって思わないこと自体が鋼の心臓なんだよ! もう!」
真っ赤になって怒鳴るルディに、ゼノスは困ったように頭を掻いた。眉がへの字になっている。
「俺なんぞあてにしなくても、年頃になりゃあ求婚者が殺到すると思うんだけどな……」
乙女心のわからない朴念仁は、呟いた直後に「馬鹿!」と拳で殴られた。
※ ※ ※
バルドがよほど上手く誘導したのか、それとも別の理由からなのか、伝令到着と同時に一目散に撤退した駐屯兵の姿に、ゼノは殴られた頬を抑えながら「ほぉ」と相好を崩した。
「さっすが俺の兵達。早い早い」
「……頭が平和だな、ゼノ」
「む? なんだその言い方ぁ」
いつになくトゲトゲしているルディに、ゼノスは盛大に眉をひそめた。ルディは不機嫌そうな表情のまま眼下の光景を見下ろす。
「あいつらは、単にオレの魔法が怖くて走ってるだけだよ。大男も怯える王国一の魔導師だ。巻き添えくって死ぬのが怖いんだ」
「……ルディ」
「そんな顔したって、本当のことには違いないだろ? こんなの、毎回のようにあることだし。……知ってた? 魔導師ってさ、世間じゃ人間とは認めてくれないんだよ」
「…………」
ゼノスは静かにルディを見た。そんなことは無いと、そう言うには彼は世間を知りすぎていた。
「世間の評判が大きくなればなるほど、反動も大きくなるんだ。片方で『魔導の君』だなんて持ち上げておいて、片方で『化け物』だって見下げてる。……魔法使うときなんか最悪だ。好奇心だけで勝手に覗きに来ておいて、あとであんなのを使えるのは人間じゃない、なんて言うんだから」
「……それは、」
「……一昨年は石をぶつけられた」
「!」
「気味が悪いから近づくな、だってさ。だったら、初めからオレの力なんて頼らなければよかったのにな……」
皮肉げに笑ったルディは、ゼノを見上げてちょっとひるんだ。目の前に、恐ろしく怖い顔をしたゼノがいた。
「……ゼノ?」
「誰がお前に石なんかぶつけたんだ!」
唸り声のような怒声に、ルディはびっくりして目を見開く。
「……え、あの……」
「誰だ!?」
「あ……青騎士団長」
迫力に負けて答えた途端、目の前の顔にハッキリとわかる青筋が浮かんだ。よく日に焼けた精悍な顔が、奇妙にどす黒くなっている。ルディは、なぜか「ぶちのめす!!」という文字をその顔に見てしまった。
「あンの野郎……俺のところに任務がまわってきたのは、ルディの我が儘を見越してのことかと思ってたが……そうか、そういうことか……………………………ミテロヨ……」
最後の限りなく黒に近い声色に、ルディは眉をへの字のしてゼノスを見上げた。その口元がぴくぴく動いているのは、泣き笑いに崩れそうになる顔を必死で留めているせいだ。
(……か、変わらない!)
自分が魔力持ちの人間だとわかったときも、魔導師として初めて依頼をこなしてきたときも、他の誰でもなく、彼だけが自分が本当にしてほしかった態度をとってくれた。家族として愛してくれた。どんなに日にちが経っても、どんなに周りが変わっても、ゼノスのその態度だけは変わらなかった。彼の魂だけは変わらない!
(……ゼノ……!)
嬉しさで涙が出そうな気持ちをグッと堪え、ルディはギュッと目を瞑った。嬉しかった。今でもそうやって自分を『人間』として、『子供』として見てくれることが泣きたいほど嬉しかった。
けれどそれを表に出すことができない彼女は、必死で呼吸を整えてからゴホンと嘘臭い咳払いをした。ゼノスが顔を上げてこちらを見るより早く、くるりと背を向けて杖を取り出す。
「さ、さっさと終わらせて、家に帰ろう。な?ゼノが帰ってくるの、みんな待ってるからさ。嫌なことなんか忘れて。オレも……オレは、ゼノがいてくれれば……それで嫌なこと全部忘れれるから」
「ルディ……」
背を向けて歩き出すルディに、ゼノスは目を細めた。女の子としての成長が限りなく無いに等しい彼女は、後ろから見ても男の子にしか見えない。それでも彼女は女の子なのだ。しかもまだ幼い……自分にとっても、大事な大事な……可愛い女の子なのだ。
「……ルディア」
名を呼んで、ゼノスは小さなその体を腕の中に抱きしめた。華奢な肩が、ビクッと大きく跳ね上がった。
「……無理なんかしなくていい。嫌なこと全部、忘れれるわけないだろう? そんなの無理に決まってるだろう? 忘れたふりしたって、嫌だったこととか、辛いこととか、そんなの全部、胸の中に残っちまうだろう? ……無理に忘れなくたっていいんだ。忘れたふりしなくてもいいんだ。……おまえ、まだ十三じゃないか。悔しかったって、悲しかったって泣いていいんだ。……叫んだっていいんだよ」
優しい腕の中で聞く声に、ルディは目を見開いた。せっかく堪えた涙が出そうになって慌てて身じろぐ。
「だって……でも……」
「ここでなら、できるだろ?」
いっそう深く腕の中に閉じこめられて、ルディは目を瞑る。ここでなら……あぁ、そうだろう。この腕の中ならばそれができる。そうしてもいいのだと、優しい腕が言ってくれる。
それは非常に魅力的な誘いだったが、ルディは一度だけ力強い腕に強く抱きつくことで、泣き出してしまいそうな気持ちを押し殺した。
「駄目だよ。ゼノ」
「ルディ……?」
「駄目なんだ。……泣いたら……きっと、負けちゃうから」
「……何にだ?」
「……自分に」
強い声で言ったルディに、ゼノスは目を見開いた。
「……弱い自分になりたくない。泣いて終わるような自分にだけは……なりたくないんだ」
「……ルディ……」
「……オレはね、ゼノ。いつだってゼノと対等に立ちたいんだ。守ってもらえるのは嬉しい……本当に嬉しいけど……オレは、できたらゼノを護れるようになりたいんだ」
「……おまえ」
なんともいえない顔をしたゼノに、ルディはちょっと笑った。
「泣いて強くなれるほど……今のオレ、強くないからさ。だから……それができるようになるまで、泣かないって決めたんだ。泣いたら、きっと甘えて弱くなるから」
「…………そうか」
ほんの少し微笑って、ゼノは真っ直ぐに見上げてくる少女の額に口づけた。
「おまえがそう決めたんなら、俺は何も言わない。けど……辛くなったら、少しぐらい弱くなってもいいから、迷わずここに来いよ。いつだって、おまえのために空けておくから」
「……うん」
せつないぐらいの嬉しさを噛みしめて、ルディはその腕に強くすがりついた。ギュッと抱きついて、パッと離す。そうして、力強い足取りで崖へと向かって歩き出した。
「ゼノ。今から魔法を使うから少し離れて」
ゼノはルディを見て頷く。国で一番の魔法使いの勇姿を、間近で見守りながら。
「一撃で頼むぜ、ルディ」
ゼノの軽口に、ルディは笑って頷いた。
沼地に巨大な雷が落ちたのは、その数秒後のことだった。
終章 魔法使いと騎士
本格的な冬になった頃、ラグナール孤児院はいつもよりも賑やかに雪に閉ざされた日々を過ごしていた。庭には巨大な雪だるまが点々と鎮座し、屋根の雪もいつもより早々と下に落とされている。
台所でシチューを煮込んでいたルディは、苦笑とも微笑ともつかないものを口元に浮かべながら、幼い弟妹達の相手をしている一番上の「兄」を振り返った。
「ゼノ! そろそろ出来上がるよ!」
その声に力強く「おお!」と応える声が聞こえてきて、ルディは微かに微笑む。
冬に入る前にこなした依頼のおかげで、ゼノは冬の間休暇を与えられた。いや、実際のところ、休暇というよりも謹慎処分なのだが。
「……まったく」
ここに彼がいることを嬉しく思うと同時、その理由を思い出してルディは苦笑した。少しだけくすぐったいような気持ちになるのは、どうしても仕方がないだろう。本来なら、ほぼ無期限の謹慎となってしまった彼を、しかも決まっていた副団長就任の話しまで流れてしまった彼を、同情するべきなのかもしれないが……
「……馬鹿」
小さく呟きながら、けれどルディはひどく嬉しげに笑ってシチュー鍋を持ち上げた。
きっと今頃、騎士団は大変なことになっているだろう。次の副団長となる男が謹慎処分になっただけでなく、騎士団長自身も入院中なのだから。
彼を入院送りにした当人は、拳に巻かれた包帯を邪魔そうにしながら、長い粗末なテーブルに皿を並べている。後先考えない無鉄砲さと、これからの栄達をあっさり投げ捨てる剛胆さに、ルディは申し訳ない気分になった。
「……あのさ、ゼノ」
鍋をテーブルに置いたルディに、ゼノは「ん?」と首を傾げる。ルディは大まじめに彼に告げた。
「オレさ、早くナイスバディになってお礼するから、もうちょっと待ってくれよな」
鋼の心臓をもつ騎士は、その一言に持っていた全ての皿を落っことした。
END