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あいつとの思い出

作者: 川里隼生

 元々あいつは馬鹿だった。でも、その馬鹿ってのは教科書に書いてあることをわかってなかったってだけのことを、俺は知ってる。議論を知らないもんだから喧嘩ばっかりで、中学でも随分荒れてた。三年になったある日、俺はあいつに呼ばれた。給食が終わった昼休み。


 屋上に続く階段を俺たちは本拠地にしてた。できれば屋上がよかったんだけど、鍵がそれを許してくれなかった。

「俺さ、梅ヶ枝(うめがえ)に行きてえんだ」

 あいつは竹の子族に憧れてたから、てっきり東京の適当な学校を目指すんだと思ってた。


 梅ヶ枝といえば、今でも毎年何人も東大に送り込んでるって有名なところだ。俺は腰を抜かした。

「本気かよ?」

「本気だよ。なあに、駄目で元々なんだ。やるだけやるさ」

 ちょっと早いけど中学でワルを卒業して真面目にやるんだ、って言い出した。


「でも梅ヶ枝って、アインシュタインが一日二十時間勉強しなきゃ入れないとこだろ? お前なら一日四十時間はやんないと無理なんじゃない?」

 遠回しに諦めさせようとした。ほら、一日って二十四時間しかないから。でもあいつは俺を見てこう言った。その目は本当にしっかり俺を見てた。


「それでもやるだけやるよ。二年の三学期のとき、風邪とかインフルエンザとかサボりとかで俺以外みんな休んだときあったろ? その時さ、俺なんだかワルやんのが馬鹿らしくなっておとなしく座ってたんだよ。そしたらさ、先公連中が優しいんだよ。ひょっとしたら、いつもワルやってたからうるさく言われてたんじゃないかって思ったんだ」


「へえ。それでどうして梅ヶ枝受けるんだよ?」

「だから、梅ヶ枝なら頭いい奴ばっかだろ? 雰囲気でワルやるようなことがなくなると思うんだ」

 こういう考え方は中学生の俺には難しすぎた。この頃はまだ教師は俺たちに恨みがあって怒鳴ってんだと思ってた。


 梅ヶ枝を目指すと決めた夜、俺とあいつは最後のワルをやった。こっそり家を抜け出してアーケード行って、味なんかわかんなかったけど自販機でコーヒー買って、チャリ飛ばして隣町の中学に落書きして帰ってきた。落書きって言っても目立たない壁に小さく書いただけだからばれないと思った。


 実際、次の月曜に登校しても何の噂も流れてなかった。誰にも気づかれない犯行。完全犯罪をやったみたいな気分がした。そしてこの日からあいつの猛勉強が始まった。親の力は借りないなんて言っちゃって、塾には意地でも通わなかった。六月を迎えたある日、職員室にあいつが呼び出された。


「なんでお前まで来てんだ」

 進路指導の甲斐かいだった。呼び出されたのはあいつだけど、不安だったからついてった。

「何でもいいだろ。用件って何だよ」

 ワルは卒業したつもりだったけど、俺の態度は相変わらずだった。甲斐はあいつの進路希望調査書を見せた。


「梅ヶ枝はふざけて書いたのか?」

「俺は本気だよ。びっくりしただろ?」

 怒ってるような甲斐の目を見て、あいつは罠に嵌めてやったみたいに笑った。俺は甲斐を睨んでた。どうせ「ふざけんな、書き直せ」とでも説教するに違いないと思ってた。


「そうか、本気か!」

 甲斐は笑った。俺は拍子抜けた。

「いやあびっくりしたよ。てっきり東京かどこか、適当なとこにすると思ってたからなあ。でも今からなら梅ヶ枝も無理じゃないぞ。ワルやめて必死に勉強すればお前も梅ヶ枝に行ける!」

 あいつも笑ってた。俺が知ってる中で一番威勢のいい返事をしてた。


 授業をしっかり聞いて、放課後は俺と階段で教科書を読みこんだ。二人ともわからないときは俺が他のクラスメイトに聞いた。あいつが言うには俺の教え方が一番いいみたいだった。十二月、梅ヶ枝の一般入試の受付が始まった。願書は俺の目の前で、できるだけ丁寧に書いてた。


 そして入試当日。俺は一時間目をさぼって、あいつの応援のために梅ヶ枝の正門に来た。甲斐もそこにいた。試験が始まる三十分前にあいつは到着した。俺たちを見つけると少しはにかんだ。

「名前だけは書き忘れんなよ。面接の回答は絶対『はい』って言ってからだぞ」


 甲斐の最後の注意に、あいつはやっぱり威勢よく「おう」と答えた。俺とは頷きあうだけ。それで充分だと思ってた。そこに他の中学の女子生徒が通りかかった。

「あいつ、今まで散々悪かったらしいよ」

 相手も何か言って笑いあった。


 聞こえなかったけど『梅ヶ枝に入れるわけない』とか、きっとあいつの悪口を言ったに違いない。

「ほっとけ。勉強続きだからあいつらもイライラしてんだ」

 甲斐が言う。これが大人の対応ってやつなのかと思ったけど、仕返しできないのは正直言って悔しかった。


「ところでお前、一時間目はどうした?」

 あいつが見えなくなってから甲斐が言った。

「さぼったのか」

 にやにやして言われた。少しは罪悪感があったから調子いいことは何も言えなかった。


「悪かったな」

「まあいいさ。寝坊したってことにしとけ。俺の車で学校まで行こう」

 俺は助手席に乗った。

「実は俺、大学を一回中退してんだ」

 梅ヶ枝の前にある道を進んで角を曲がってから甲斐が話し始めた。俺は甲斐の、大して整ってもいない横顔を見た。


「入りたくもない頭いいだけの大学でな、でも大学出なきゃどんな仕事もできないと思ってた。結局、つまんなくて一年で辞めた」

「そんなこと俺に話してどうすんだよ」

「やりたいことやるっていいことだぞ。あいつみたいに」


「何だよ。俺が公立目指しちゃいけないっての?」

「いいや。学校はどこでもいい。そこで自分のやりたいことやれればな。学校の名前なんかで人生決まるわけじゃない。現に俺は誰も知らないような大学で教員免許取って教師になった」

 中学生の俺にこの話は難しすぎた。


 翌日、学校に来たあいつに手応えを聞いた。

「どうだろ。紙の試験はそれなりに自信あるけど、面接がなあ」

「何かあったってこと?」

「いや、自分は完璧だと思うけど相手がどう思うかなって。嘘つかなかったからさ」

 あいつにしては珍しく、声に威勢がなかった。


 合格発表の日は雨が降ってた。三人で梅ヶ枝まで見に行った。あいつの番号を探すのに二十秒くらいかけて、書かれてないことがわかった。みんな黙りこくって体育館を出た。

「当然よ、ねー」

 隣で喜びあってた女子がこっちを見て言った。


「何だよ。もう自由に生きちゃ悪いってのかよ」

 甲斐と別れた帰り道、あいつはごみ箱を蹴飛ばしてそう言った。

「やめろよ」

 俺はどうすることもできなかった。そしていつも通り十字路で別れた。手を振ったけど降り返してはくれなかった。


 翌日、あいつが自殺したって聞いた。あいつの親が見せてくれた遺書にはこう書いてあった。

「この世界は学歴が全てだから死ぬ」

 あいつは馬鹿だ。最後まで馬鹿なままだった。駄目で元々じゃなかったのかよ。梅ヶ枝なんかより下の高校出た俺だって今は立派に教師やってんのに。仕事場で毎日見てるよ、あの時の落書き。


教師仲間から聞いた話だけど、梅ヶ枝にはこんなこと言う奴がいるんだって。

「義務教育じゃないんだから、俺が気に入らないんなら来なくていいぞ」

 いくらあいつみたいに固く決心して入学しても、教師が駄目ならみんな腐っちゃうんだよな。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あいつの雰囲気ワル話には笑いました。周囲に合わせてワルをやっていたというのは日本の高校生らしいなと思いました。教師達もそんな主人公のことを見ていたのか、志望校を見ても笑わず応援したところは…
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