ゴリラにくびったけ
同じクラスの権藤ライラは見た目もゴリラ、あだ名もゴリラのゴリラ女だ。
濃く太ましい眉に男らしく伸びたモミアゲ、エラのはったゴツい輪郭とそれに添うベリーショートの黒髪。
鼻はでかく、そしてその穴は大きい。直下の唇もタラコそのもののぶ厚さで、そこから紡ぎだされる声だって男と勘違いされる程度には低い。
背は180センチを超え、その骨太の肉体にはガッシリとしたしなやかな筋肉が纏わりついている。
本人は特にスポーツや格闘技などに興味はないらしいが、その力はリンゴを片手で握りつぶせるほど強いそうだ。
正直、コレを女として見ることなど不可能。そう思っていた。
「それじゃ、津田くん。これからよろしく。」
「おー、よろしくなゴリラー……っじゃねぇ!
権藤!すまん!」
「あはは。いいよいいよ、ゴリラで。実際、似てるしね。
下手に名前とかで呼ばれるより全然マシ。」
「っあー、確かライラだっけ。」
「そう、それ。両親には悪いけど、恥ずかしくってさー。」
そう言って、権藤はそのゴリラ顔に困ったような笑みを浮かべた。
男ならまだしも女がゴリラ呼ばわりされたというのに、それを何でもないことのように笑って流したコイツはかなり懐の広い奴なのだろう。
それでも、女として見れるかと問われれば迷わずノーと答えるのだが。
「私、去年も図書委員してたし、分からないことあったら何でも聞いてね。
意外と仕事多いから、最初は結構戸惑うこともあるだろうし。」
「げっ、そうなの?」
「うん。日頃の受付と書棚整理の他にもブッカー貼りとかあるし、四半期ごとに棚卸しみたいなことだってするんだよー。
あとは入荷本アンケートの取りまとめとか、図書だよりの作成とか……。」
「うわぁ、マジでいっぱいあるんだなぁ。」
「まぁでも、別に慌ただしいって感じでもないし大丈夫、イケるイケる。」
「うーん。っても、やるしかないんだよなぁ。」
「そうそう、やるしかない。」
それから、俺は文句や愚痴を垂れつつも、日々図書委員の仕事をこなしていった。
いつも一緒に行動させられているから分かったが、権藤はかなり気配りに長けているタイプのようだった。
仕事につまって困っていると、すぐに気付いて声をかけてくれるし、場合によっては手伝ってくれることもある。
しかもそれが恩着せがましくなくて、こちらも素直にコイツを頼ろうと思えるのだ。
図書室を訪れる生徒相手にも気遣いは発揮され、通りすがりに高い位置にある本を取ってやったり、探し物をしている奴を目敏く見つけて案内してやったり、時には常連相手に好みそうな新刊を勧めてみたりと、とにかくかいがいしい。
聞いたところによれば、権藤は女らしい趣味や特技も多く持っているようで、ゴリラなのは見た目とその身体能力だけなのだということを知った。
「津田くん。重そうだね、手伝う?」
「おー、頼む。ったく、急に瀬川に押し付けられてよー。
いやぁ、助かるわ。ありがとな、権藤。」
「どういたしまして。
でも、津田くん。先生のこと呼び捨ては良くないよー。」
「何だ、優等生かよ。
瀬川の前で言うわけでもねーし、別にいいじゃんか。」
「そりゃあ気持ちは分かるけど、一応目上の人なんだからさ。
それに、どこで誰が聞いてて本人の耳に入るかも分かんないよ?」
「はー?そりゃさすがに考え過ぎだろ。」
「何事も用心するにこしたことはないって。
人生は一度きり、後悔先に立たずだよ。」
「権藤、バーさんみてぇ。」
「はは。良く言われる。」
自分はよくよく脳を通さずに軽口を叩いて失敗してしまう性質だったりするんだが、権藤はどんなに俺が軽率な態度を取ったとしても、窘めることはしても他の人間のようにキレて怒鳴ったりはしなかった。
だからか、権藤の隣はひどく心地が良かった。
調子に乗って、バナナを持たせて似合う似合うとゲラゲラ笑った時でさえも怒られはしなかった。
さすがにその後反省して謝ったんだが、権藤はただ「バナナ貰っていいの?ありがとう」とそう言って微笑んだだけだった。
あぁ、コイツはなんて器のデカい奴なんだろう。
俺は人生で初めて誰かを尊敬するということをした。
それでも、ゴリラな見た目が邪魔をして権藤を女と認めることだけはなかったのだが……。
だが、だがしかし、ある日、そんな俺の元におそらくきっかけと呼ばれるのであろう出来事が訪れてしまった。
「うわぁーーーっ!!」
「津田くん!」
自分の力を過信していた俺は、己の身長よりも高い本棚の上に一時的に置かれていた未処理の新刊の入った段ボール箱を、踏み台すら無しに降ろそうと試みていた。
しかし、敵は想像を遥か超える重量で俺の手から逃れ、次の瞬間には頭蓋をかち割らんと迫ってくる。
咄嗟の恐怖に身を守る事すら忘れ、俺はただ喉を震わせることしかできなかった。
その直後。どこからか悲鳴のような声で名を呼ばれて、左手側から大きな何かがぶつかってくる。
……権藤だった。
片腕で俺を庇うように抱きかかえて床に伏せ、同時にもう片方の腕で本のぎっしり詰まった段ボール箱を横側へ叩き落とす。
その驚異的な腕力には少しばかりビビらされたが、それ以上に荒々しくも真綿で包むように繊細な力加減で抱き込まれた腕の中で、俺は身体に押し付けられたその大きな胸の柔らかさと温かさに翻弄されていた。
ゴリラ体型のせいで特別目立つことはなかったが、おそらく権藤はGカップはあると思った。
「津田くん、大丈夫?痛いトコロとかない?」
「えっ。あ、あぁ。」
サッと身体を起こして本当に心配そうに俺の安否を気遣う権藤。
安心感と罪悪感で俺はまともに返事をすることもできなかった。
「そっか、良かった。」
適当に頷いた俺に対して、権藤は心からの安堵の笑みを浮かべる。
どこからどう見てもゴリラそっくりな顔のはずなのに、どうしてかその時、俺は少しの間だけ見惚れてしまったのだった。
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それからは、なぜかやたらと権藤が気になる日が続いた。
委員の間のみならず、休み時間や授業中でもふと気が付けばアイツを目で追っている。
他の男と楽しげにしていると妙な焦りを感じ、ゴリラゴリラと思っているはずの顔が変に可愛く見えたりもした。
いや、もう誤魔化すのは止めよう。
この感情の正体を俺はおそらく知っている。
ただ、俺の中の何かがそれを認めたがらないだけなのだ。
だから、というのも何だが、ひとまず情報通の友人に相談してみることにした。
「……あぁ、権藤?
アイツけっこう倍率高いぞ。」
「は!?マジで!?ゴリラなのに!?」
そこで聞かされた驚愕の事実。
まったく失礼な話だが、俺は本当に本気で驚いてしまった。
ゴリラを好くようなトチ狂った人間が、俺以外に何人もいるなんて信じられなかった。
「おう。アイツ、ゴリラだけどマジでイイ奴だからな。
見た目超えて惚れてる奴も少なくねぇのよ。」
「そ、そうなのか。」
だが、言われてみれば確かに。友人の言葉には心当たりがありすぎる。
本当に、本当に、権藤は良い奴なのだ。
それこそ、見た目さえ普通ならば、それだけで高嶺の花になりかねないほどに心底良い奴なのだ。
だから、俺以外にもアイツを狙っている男が複数いるという現状は、なるほど考えてみれば当たり前のことのように思えた。
そして、そんな当たり前の事実が俺の中の最後の壁を取っ払った。
「よし、決めた。
俺、本気でゴリラ……じゃねぇ、権藤狙うわ。」
「ふーん。まぁ、頑張ればいんじゃね。」
「あぁ。頼りにしてるぜ、心の友よ!」
「あ?頼んな!帰れ!」
友人の抵抗を無視して、俺は半ば強制的に協力体勢を築く。
今の俺にはまだゴリラはゴリラにしか見えないが、ゴリラに恋をし続ければいつかこの目にゴリラがゴリラ以上の何かに見える日が来るのだろうか。
ゴリラをライラと違和感なく呼べる日が来るのだろうか。
……分からない。
ただ、きっとこの恋は実っても砕けても、俺の心を豊かに耕してくれるであろうことだけは確信していた。
権藤ライラ。コンクリートジャングルに住まいし博愛のゴリラ。
彼女の唯一になれる日を夢見て、とりあえず俺はライバルにドラミングして周ることから始めようと決めたのだった。
おわり。