7、初
初めて綾乃が怒った―――
綾乃の休日初日は、『テーラー寺門』に行き、その帰りに綾乃んちの墓参りをして昼飯を食って・・・家に帰った。
その昼飯っつうのも、駅の立ち食い蕎麦屋で。
もちろん、そこで食うといったのは、俺じゃない。
綾乃だ。
いや、蕎麦はかなり旨い。
だけど、俺達新婚だぞ?
デートらしいデートもしたことがねぇ。
飯食いに行ったのだって、初めて綾乃に会った時と、綾乃に荷物を届けた時と、綾乃の両親に結婚の承諾をもらった時だけで。
それなのに。
昼飯は何が食いたいか聞いたら。
「N田駅の立ち食いのお店で、お蕎麦が食べたいです。」
N田駅とはここから家へ帰るのに、乗り替えをする駅だ。
「あ?立ち食い?・・・時間ならあるぞ?」
「はい、でも、あそこの蕎麦凄く美味しくて、早くて、安いんです。もう、感動的ですよ?」
「・・・・・。」
いや、何が感動的なのかわかんねぇし。
「早く食ってどうすんだよ?」
「え?帰りますけど?」
「は?このまま遊びにとかいかねぇのかよ?」
こりゃ、完全に、綾乃と俺の考えている事は違うわけで。
まあ、いつもなら俺がここで引き下がるんだけど。
何となく、休みだって5日間とっているんだし・・・と拗ねた気持ちになった。
だけど、無言になった綾乃がずっと困った顔をしているので。
とりあえず、昼飯は綾乃の希望通りにした。
しかし、何で立ち食い蕎麦をそんなにうまそうに食えるんだ?
綾乃の向こうには、50代のサラリーマン風の腹のでたオヤジ。
その向こうは30代のオタク野郎だ。
きっちりよれよれの綿のシャツのボタンを一番上まで留めて、リュックをしょったまま蕎麦食ってやがる。
って、そのジーンズ・・・いつ、どこで、買ったんだよ・・・。
つうか、そのベルト・・・まあ、いい。
ヤツらがチラチラと綾乃を見ている。
それも気にくわねぇ。
でも、そんなこと気にもしないで・・・つうか、全く気がついてねぇで、旨そうに蕎麦をすする綾乃。
その、すする唇も可愛いんだけどな?
って、キスしてぇ。
そんな俺の気持ちも気づかねぇで、トッピングしたかき揚げにかぶりつく綾乃。
なんだよ、その幸せそうな顔は。
綾乃の顔は可愛かったが、何となく不満な気持ちが残った。
「丈治、疲れたのですか?」
「あ?」
「あの・・・気がつかないですみませんでした。」
「何が。」
「疲れているのに。立ったままの食事なんて・・・させてしまって。」
綾乃が見当違いも甚だしい事を言い出した。
俺は、疲れてもいねぇし、何でそう思うかな。
俺がお前と、ただデートしたいっつう気持ちに気がつかねぇかな?
普段は、とぼけた綾乃の勘違いも可愛いと思うのに、今のはさすがにイラッときた。
「そうじゃねぇだろっ。何でそんな風に考えンだよっ!?俺の気持ち本当にわかんねぇのかよっ!?」
しまったと思った時には怒鳴り終えていた。
見ると、綾乃が涙をためていた。
そして。
「ごめんなさい。丈治のことを私がそんなにイラつかせていたなんて、知りませんでした。」
「いや・・・ちょ、ちょ・・・あ、あのだな・・・俺はただ・・・お前とデートをしたかっただけで・・・いや、俺達そんなにデートらしいデートしてねぇし・・・たまには、そういうのも、やってみてぇって思ってよ・・・。」
強く言いすぎたと思い、なるべく優しい口調で言ってみたが。
やべぇ、綾乃の大きな目に涙のかたまりがみるみる間に、大きくなっていく。
ま、まずいじゃぁねぇかっ。
「ご、ごめんなさいっ、私がただ単に、早く家に帰りたかったから、丈治もそうだとばかり思ってしまって・・・そうですか、丈治は・・・デートしたかったのですか・・・。」
綾乃・・・家に帰りたかったんだな・・・。
そこで、ハッとした。
綾乃・・・そういえば、昨日まで滅茶苦茶忙しかったよな・・・なのに、俺の都合で早くフォーマルスーツ作んねぇといけなくて。
早ぇ時間に起きて、やって来たんだよな。
せっかくの、休日1日目なのに・・・。
綾乃としては、ゆっくり寝ていたかったよな。
もともとプライベートでは外出を極力しねぇヤツだし。
結局、昨日だって・・・綾乃が可愛く甘えてくるから、たまんなくなって・・・ベッドの中でしつこくしちまったし・・・。
そう考え出すと、なんて俺は自分勝手だったんだろうと、思い・・・怒鳴ってしまった事を恥じた。
そうこうしているうちに、綾乃を見ると。
スマートフォンを出して、何かを調べている。
覗き込むと、『デート』を検索していた。
え、検索!?
綾乃の不可解な行動に驚いていると。
「『お勧め大人デート』、『おしゃれデート』とか・・・ありますけど。どうしますか?」
と、言いながら無言の俺を見上げてきた。
極度の面倒くさがりの綾乃は絶対にスマホにするわけないと思っていたが、仕事でなにかと便利と勧められ、つい半月ほど前にガラケーから機種変更をした。
それから、便利なのか何かにつけて検索をするようになった。
だけど、そういうもんじゃないだろ。
他人の意見を押し付けられるなんてまっぴらだ。
「検索に頼ってんじゃねぇよ。俺たちのデートだろ?人の意見なんかあてにしねぇで、俺たちが行きてぇとこいきゃあいいんだよっ。お前はどこ行きてぇんだ?」
そう聞くと、綾乃は首をかしげた。
そして、なんだか小さな声でゴニョゴニョ答えたが。
「あ?声がちいせぇ。聞こえねぇよっ。何だ?はっきり言えよ。」
「・・・えーと、だから・・・鎌倉、とか?・・・・・・・・・横須賀、とか?がいい、かな・・・・なんて。」
はあ。
それって。
オイオイ・・・。
「晩飯も外で食いたいんだけど?和食とか、フレンチとか、イタリアンとか希望あるか?」
まあ、綾乃も横須賀とかよく知らねぇもんな。
俺が住んでいる場所が横須賀の中でも環境が良くねぇ場所だし、周りの人間があんま品のいい人間じゃぁねぇから、横須賀がみんなそんな風だと思っちまったらそりゃあ、間違いだしな。
結構、住宅地で環境のいいところが沢山ある。
俺が住んでいるつうか、俺の行動範囲が一番環境悪ぃ地域だからな。
そう思うと、良い場所も案内してやってもいいと思った。
だけど。
「行きたいという店なら・・・『みのり』とか・・・『カフェ・ド・横須賀』とか・・・ですね。」
「おまっ、それ。いつもの店じゃねぇか。なんで、デートに住んでる所の隣のカフェへ行ったり、いつも行くダチの店選ぶんだよっ。単に、お前が家に帰りたいだけだろうがっ。」
また、怒鳴ってしまった・・・。
そして、涙ぐむ綾乃。
またやっちまった・・・。
再び反省して、口調をやわらげた。
「なんか、行きたいところねぇのか?」
綾乃が首を横に振る。
「デートとか・・・あまりしたことがないので。よくわかりません。丈治が決めてください。」
な、なんだよ。
そうなら、そうと言えよっ。
綾乃の初めてっぽい言葉に、なんだかテンションが上がった。
「じゃあ。俺が決めるぞ?」
うなずく綾乃の手を引いて、俺は歩きだした。
薄暗い中、綾乃の横顔を見つめる。
綾乃は、子供好きだからこういう子供が主人公のコメディ&ヒューマン映画がいいと思ったんだが。
そんなに楽しそうでもない。
俺はどちらかと言うと、アクションとかSFものが好きなんだが。
そう思いながら、綾乃の様子を伺い続ける。
と、綾乃がこちらを見た。
「丈治は、映画をみないのですか?」
小さな声で問いかけてきた。
映画よりもお前の反応が気になるんだよ、なんてことは言えず。
「お前は、あんま楽しそうじゃねぇな?」
質問を質問で返した。
困った顔で、綾乃が首を横に振った。
「そんなことは、ないですけど・・・。」
その言い方にイラッときた。
顔は楽しくなさそうなのに、言葉だけで否定するなんて、そりゃあねぇだろっ。
嫌なら嫌って言やあいいじゃねぇかっ。
俺は立ち上がった。
「出るぞ。」
そう一言告げて、出口へ向かった。
上演会場を出たところで、待っていると。
綾乃が泣きそうな顔で出てきた。
なんだか、今日はそんな顔ばっかりさせていると思い、落ち込む。
綾乃を楽しませてやりたいだけなのに。
今日、綾乃が嬉しそうな顔をした時って、『テーラー寺門』に行った時と、立ち食い蕎麦屋でかき揚げかじってた時じゃねぇかっ!
と、心の中で叫んで・・・ふと、気がついた。
そうか。
なんで、綾乃が嬉しそうな顔をしたのか。
『テーラー寺門』で俺のフォーマルを作ることも。
立ち食い蕎麦屋で、かき揚げトッピングの蕎麦食うことも。
綾乃がやりたいことだったんだよな。
なのに、俺は・・・。
他人の考えを押し付けられるのが嫌だって自分では思っているのに、俺の考えを勝手に綾乃に押し付けていた・・・。
しまった、と思った時。
「なんでっ。丈治が行きたいところに来ているのに、何でそんなに怒るんですかっ。丈治が観たかった映画じゃないんっですかっ!?」
綾乃が泣きながら、バッグで俺のケツを殴ってきた。
初めてだ。
綾乃がこんなに感情的になるのは。
「いや、お前・・・子供好きだしこういうの好きかと思って・・・。」
「勝手に、私の好みを決めつけないでください!!私はこういうお涙ちょうだいのものはあまり好きじゃありません!!どちらかと言うとアクションとか・・・SFものが好きです!!大体丈治の行きたいところへって言っているのに、なんで自分の好みを選ばないんですかっ。丈治が行きたい所へ来ているのに、楽しそうじゃないなんて、私に対してやっぱり怒っているのかとか、頭の中でぐるぐる考えてしまって・・・か、悲しくなりますっ。私が好きそうって考えてくれるのなら、直接好みを聞いて下さいっ!!」
泣きながら、ケツを殴られながら、訴えられた。
これは、完全に俺が・・・悪いな。
俺の腰をバッグで殴りつける、綾乃の腕をつかみ引き寄せた。
そして。
「悪かった。今度から、ちゃんとお前の好みを聞く。だから、泣くなよ・・・俺だって、お前が楽しそうにしている顔を見てぇんだよ。」
そう言って、抱きしめた。
上映中だから、ラッキーなことに通路に人はいない。
まあ、人がいてもかまわねぇけど?
おでこにキスをすると、こわばっていた綾乃の体から力が抜けた。
そして、俺の背中に綾乃の腕が回った。
ホッとする。
「ホント、ちゃんとお前の映画の好みを聞いておけばよかったな。実はよ、俺もアクションと、SFもの好きなんだよ。」
俺がそう言うと、綾乃の目が輝いた。
「本当ですかっ。じゃぁ、クラムツネッガーとか、好きですか?」
お、食いついてきた。
「おー、好きだな。あの、『不死身ポリスマンシリーズ』は、全部観たぞ。」
「あっ、私もです。あれ、あそこまで傷めつけられて、何で死なないのかいつも不思議なんですけどっ。バズーカ直接あたらなくても、吹き飛ばされて立ち上がるって、あはは…もう笑っちゃいますよね?」
話だけなのに、綾乃の顔がすげぇ楽しそうだ。
本当に、好きなんだな。
ふと、案内板を見ると。
クラムツネッガーの新作が上映されている。
「じゃあ、アレ、観て行くか?」
仕切りなおそうと提案した。
だけど。
綾乃が首を横に振った。
「私、反省しました。丈治に気を遣って自分の意見を言わないのは、返って丈治が楽しめないって。だから、はっきり言います。私、映画館はあまり好きじゃありません。」
「あぁ?」
今更、それ言うか?
だったら、先に言えよ。
って、俺に気を遣ったのか・・・。
はあ。
何、綾乃に気を遣わせてんだよ。
俺、ダセェ。
がっくりと、今度こそ落ち込んだ。
だけど、綾乃の次の言葉で、俺は一気に気分が浮上した。
「映画館では、丈治に膝枕してもらえませんし・・・。手っ、手はつなげるけどっ・・・キス・・・は、できないし・・・。観るなら、ビデオ借りてきて、おうちで2人っきりで観たいです。」
な、何だとっ!?
「・・・・・・。」
固まった俺にとどめのように、綾乃が無自覚上目遣いで、俺を悩殺した。
「ダメ・・・ですか?」
あああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーー。
ダメなわけねぇだろうがっ!!!!!!!!!!
俺は全身の血が沸騰したかの様な状態になり。
言葉が発せられないまま、綾乃の手をとった。
「かっ、かえっ・・・帰るぞっ。」
「え、いいんですか?」
歩きだした俺の横で、綾乃が俺を見上げてくる。
だからっ、それ、今、そうやって、俺を見てんじゃねぇっ、俺心臓発作起こすぞ?
ドキドキと嬉しい気持ちを、うまく口に出来ずに。
俺はただ前を向いて、頷いた。
早く帰りてぇ。
さっきまで、デートしたいって、思ってたのによ。
まあ、でも・・・よーく、わかった。
どこにいたって。
綾乃が楽しくなきゃ、俺も楽しくないってことだ。
やっぱ、綾乃にすげぇ、惚れてんだな・・・俺。
心の中でそう思うと、心臓がますますドキドキしてきた。
って、俺。
中坊かよっ。
ダセェから、落ち着けっ。
そう言い聞かせて、必死で我を取り戻す。
が。
すぐに、そんな俺の大変な状況にも気がつかねぇ綾乃の天然発言に、俺はショック死しそうになった。
「あの、正直に言いますと。私5日間のお休みずっとおうちで、丈治と2人っきりでいたいです。だって、来週から丈治、1週間いないんですよね?今のうちに、甘えておきたいです・・・ダメですか?」
うわああああああああああーーーーーーーーーー。
お前・・・家帰ったら、覚えてろよ?
速攻で・・・・。