(短編)ある姉と弟
これ、大丈夫でしょうかね。
複数の意味で。
◇本稿には、直接的ではありませんがやや刺激のある描写が入っています。ご不快に思われる方は見ないでください◇
◇本稿は、特定宗教の方、もしくは鎮座している幾柱の方々を貶める内容のつもりではありませんが、ご不快の方は読まないでください。
当方もお詫びしておきます◇
1.
幼い頃に母は死んだ。
父からそう聞かされた時、父の目は何かに耐えているように揺れていた。
「ちちうえ」
吾たち三兄弟の中で最も年嵩の姉が、それでも幼い声で慰めようとするのを制し、
父は大きな手で吾たち三人を撫でた。
「汝らに吾が地を任す」
周囲の父の家臣たちが一斉に頷く。
激情を堪えている風情の者もいれば、ほくそ笑みそうになる顔を無理やりしかめ面にする者もいた。
当り前であろう。
若い、というより幼い子供に、父の領地を三等分して与えるというのだ。
そして父は一切の公務から手を引き、隠棲するという。
母のことを想って暮らすのだろう。
特段勇猛でも知略にたけている訳でもなかったが、それでも経験豊かな父が去って
その所領は瞬く間に家臣たちに荒らされてしまうのは目に見えていた。
それでも。
父の目から流れる一筋の光を見たならば。
「かしこみうけたまわります」
姉は、父の都と周囲を。
兄は、国の糧食を賄う広大な地帯を。
吾は、それ以外の辺境を。
吾が、まだ物心つくかつかぬかの頃であった。
◇
「まだ飯は届かぬか!」
「いまだ……はや催促しておりまするが」
「ええい!」
10年以上の時が経ち、吾は鎧をまとって、小走りに駆け寄ってきた家臣を怒鳴りつけた。
八つ当たり気味に怒鳴られた家臣も、恐縮して平伏する。
「姉君は何を思うておらるるのか! これでは貧するのみではないか!」
父の隠居から十年以上が経った。
父以外の誰もが予測したように、父の国はかつてとは見る影もないほど小さくなっていた。
特に問題なのが吾の領地だ。
姉は総領、都から外すことはならぬ。
また穏便で武事より内政に長けた兄でも、辺境は収まるまい。
必然的に吾。最も年若く、死んでも問題にならぬ二男を辺境に配した。
父としては、自らが育てた武将たちが補佐すれば、何とか保たれると思ってのことだろうが……
破綻が目に見える形になるまで数年と掛からなかった。
今、父が平定した辺境の領地は、かつての十分の一以下だ。
それを攻め立てる敵は、半数が元からの敵国、残る半数は……かつての家臣たちだった。
辺境の抑えにと父が配した将軍たちだ。
彼らは幼子の主君を盛り立てて辺境で一生を過ごすより、自立の道を選んだのだった。
そして、そんな彼らを背反の道へと向かわせたもう一つの要因がある。
それが、
「姉君に伝えよ! 弟王子はともかく、父上が平らげた辺境と民草、すべてを失ってもよいのかとな!」
「は、は……! ただちに!」
姉の沈黙だった。
国を割るということは、単に一つの国に線を引くということではない。
人を割るということだ。
それは同時に、人の気持ちを割るということでもある。
同じ王を戴く国という意識が薄れ、別の国と思えば、それまで同様の付き合いもできぬ。
聞けば、姉も兄も、自領を富ませることには熱心だが、
互いの国を行き来することは数年来絶えて久しいとも聞いた。
戦乱のない国を収める姉弟同士でもそうなのだ。
まして前線で育ち、遠く離れて一度も顔を合わせたことのない弟など、
彼らにとっては他人以下であろう。
しかし、こちらはそうはいかない。
戦乱の多い辺境に民は居つかず、穀物も木の実も収益は極めて不安定だ。
兵を送って他国に雇わせ、稼がせようにも、周囲と夏冬なく戦う吾の国に、
他国に送れる兵の余裕などあろうはずもない。
自国ですべての兵を養うことは出来ず、日に日に兵も民も減っていく。
それを助けてもらうべく、姉に何度となく依頼をしたのだが。
「姉君は、都の者どもは、吾らに死ねと言うのか……」
誰もいなくなった帷幕の中で、吾は一人俯いていた。
錆の浮いた兜を脇に置き、剣を傍の木に立て掛ける。
かつて父の腰を飾った名剣だ。
顔も知らぬ祖父や曾祖父の魂が宿っていると聞いた。
その、粗布で巻かれただけの刀身を見るうちに、吾の心がどす黒く染まっていく。
(いくら国のために尽くしても、報われぬのであれば)
「……おい」
「お呼びでござりましょうか」
外に控えていた武官に、吾は心を決めて告げた。
「城を払い、人を集めよ。姉君の所へ行く」
2.
弟が、来る。
吾はその報告に、全身が総毛だつのを感じた。
幼い頃以来、顔を見ていない弟だ。
辺境が大反乱を起こしたときは、死んだものと思い極めた。
だが、幼いながら治世に忙しい吾にとって、顔も覚えていない弟のことは
いつしか大して気にも留めないものになった。
だが、弟は見る影もなく痩せ衰えた領地を死守し、日夜敵と血戦しているという。
都でぬくぬくと暮らす吾や、豊かな封土の中央にいる次の弟に比べ
なんと過酷な生を生きていることか。
その弟が、領地を捨て、民をまとめ、兵を率いて都への道を急行しているという。
従う民はあちこちに村を作らせて離し、残る兵は彼自身の旗のもと、急いでいると聞いた。
何のためか。
姉にただ会うためだけではあるまい。
糧食も援軍も送らず、見殺しにした姉だ。
吾のために死んでいった兵も民も多かろう。
だからこそ。
「……王、恐れながらヒシマヌまで撤退を」
「……ならぬ」
吾は普段の装束ではなく、男同様に軍装をまとい、髪を結いあげながらにべもなく告げた。
絶句したのは父の代から仕えている老臣だ。
そのからからの唇が、かろうじて吾に動く。
「……向こうは少数なれど歴戦の兵、また弟君は若いながら猛将の名を恣になさる方でござる。
今は吾が兵が防ぎの陣を構えておりますが、抜かれないとも限りませぬ。
枉げて、どうぞお決めに」
「ならぬはならぬ」
そうだ。
弟として、王として、彼には吾に言いたいこともあろう。
ならば姉として、それに応えねばならない。
「王よ、あなたが斃れれば王統を継ぐ者は」
「あの弟がおるではないか。 あるいは次の弟もおる」
「……」
吾は剣を佩くと、普段めったに出ない、舘の帳を自ら開いた。
心のどこかで、ふと気づく。
吾は幼い頃より、男にあったことがさほどない。
目の前の老臣のような老人を除けば、壮年の男と言えば覚えているのは父だけだ。
弟は戦乱の巷を闊歩した勇者だという。
弟であるからには吾よりも若かろう。
一刀のもとに切り倒されるかもしれないのに、吾は少し、弟に会うのが楽しみになった。
3.
天地が揺れた。
驚きざわめく兵たちを片手で制し、吾は正面を見据える。
小さな川。
ここを超えれば、そこは都の領地だ。
姉の直轄地であり、父の築いた国のまさしく中心。
そこで、同じ軍装を負い、同じ日輪の旗を掲げた二つの軍がにらみ合っている。
一方は、吾の軍。
他方は、姉の軍だった。
「先ほどの地の揺れ、ただごとにあらず! 同じ国の軍が争うことを
神々がお怒りになっておられるのではありますまいか!」
血相を変えてそう告げる副将に、吾は小さく笑った。
吾はすでに覚悟を決めている。
その決意を、腹心と呼んでもよいこの老武将には伝えるべき頃合いだろう。
「……戦は、させぬ」
「なんと!?」
「血を分けた姉弟で殺しあっては、根の国の先祖に笑われよう。
吾は姉や兄との仲を取り持つことさえできず、いたずらに父の所領を削り、
民を死に追いやった愚王よ。
そのような男であれば、生きていることは罪」
「……ま、まさか、まさか…」
かすかに震えた副将に、吾は晴れ晴れと笑った。
「これにて姉君に今生の別れを申し上げ、そののち根の国の母上のもとへ行かん。
姉君に逢いたかったのは、汝らのことを頼みたいがゆえ」
「……ならばこのアシナズチ、根の国までお供仕る」
「要らぬ……と言いたいが、汝は聞くまい。
ならば母上に会うまで、先触れを頼もうか」
吾とアシナズチは笑いあった。
想えば、この老臣との付き合いも長い。
幼い頃に父や兄姉と離された吾を育てたのも、思えばこの男だった。
民でいう父の役割を、この無骨な老将は実直に果たしてくれたのだ。
すでに民は安全な場所に放し、憂いはない。
そう思い、吾は大声を張り上げた。
「姉君に逢いたいがため、辺境より参った!
姉君に一目お会いしたのちは、根の国へ参る! どうか道を開けられい!」
対岸の兵士たちにざわつきが広がる。
直後、ざわつきが急激に大きくなった。
何人かの焦ったような声が聞こえる。
そして、一人の武将が馬に乗り、しずしずと歩いてくるのが見えた。
誰だ?
姉の将軍か?
だが、その武将が大声を発した時、吾は気付いた。
「何用あってこの姉の領地に入った! 攻め取ると申すか!!」
兜を脱ぎ捨てた頭から露わになった黒髪が太陽にたなびく。
腰に構えた弓と、佩いた太刀がきらりと輝いた。
吾は初めて見た、成長した姉の姿に、吾の心が突撃の時のようにどくんと波打つのを感じた。
◇
川を挟んで正面に兵団が見える。
数は少ないが、いずれも歴戦を潜り抜けたことがよくわかる、たくましい面構えだ。
傷つき、汚れた鎧は、吾が率いる近衛の兵団とは及びもつかないが
実戦を経験していない吾の兵団と彼らが戦えば、どちらが勝つか。
そう思って、もっとよく見ようとしっかりと見つめた時、吾は彼に気が付いた。
周囲の兵たちよりも、さらに一回り巨大な体躯。
思い出にある父の剣を腰に佩き、太い腕で兵たちに指図する、若々しい顔を。
その顔が、思い出にある父の顔と重なる。
母親に似た吾や次の弟とは全く違う、野性味のあふれたたくましい顔立ち。
ああ、彼だ。
彼が、吾の弟なのだ。
吾がじっと見つめている間に、弟が叫ぶのが聞こえた。
「姉君に逢いたいがため、辺境より参った!
姉君に一目お会いしたのちは、根の国へ参る! どうか道を開けられい!」
戦場で鍛えたのだろう、その大喝は伝承の大蛇の咆え声のように太い。
吾は全身がかっと熱くなるのを感じた。
その熱を、戦意と解釈して、吾は思わず前に出る。
「王、どうか後ろへ!」
「よい! 弟君が来たのに、姉の吾が向かわずどうする!」
「ええい! 轡をとれ! 王を守りまいらせよ!」
「要らぬ、と申しておる!!」
吾は押しとどめる家臣たちを無理やり払うと、馬を進めた。
すでに顔は上気しきり、全身は火照ったように熱い。
その気持ちがなんなのか理解できないまま、吾は川を挟んで十数年ぶりに弟と対峙した。
「何用あってこの姉の領地に入った! 攻め取ると申すか!!」
「姉君か!」
「答えよ! 弟君、汝は何用あってこの地に参った! 民や兵を助けなんだ恨みを言いに来たか!」
吾が叫ぶと、心にずきりと痛みが走る。
無為に死なせた民への痛みだと、吾は思った。
「もはや……もはやそれはせぬ! 嘆いても戻ってくるものではない!」
「ならば! 豊かなこの地を奪い、自ら王として立つためか!」
「姉君にはこの吾が兵を養ってもらいたい! 王のため国のため、死を厭わず戦った兵だ!
吾はそれが約束されれば、母上のもとへ参りそこで暮らす!」
(根の国へ?)
弟の意味するところは明白だ。
敗戦と辺境失陥の責任を取り、自害するといっている。
そして代わりに、残された兵や民には咎を敷くなと言っているのだ。
理解した瞬間、吾の視界が一気に暗くなった。
目の前の弟は、戦うために来たのではない。
敗戦の責任を取り、死ぬために来たのだ。
だから吾は叫んだ。
「信じられぬ! 見れば汝も武装し、弓には弦を張っているではないか!」
「信じられよ! 吾に他意はない!」
「信じられぬ!」
「信じられよ!」
川を挟んで吾たち姉弟は、何度も何度も「信じられぬ」「信じられよ」を言い合った。
それだけでも吾の心に小さく安堵が浮かぶ。
少なくともこうしている間、弟はその剛剣で自らの首を刎ね飛ばすことはないだろうから。
しかし、いつまでも言い合うわけにはいかない。
吾がそう思った時、ふと弟が顎に手を当てた。
そして叫ぶ。
「ならば、誓いをしよう!」
「誓いだと!?」
吾は不思議に思った。
誓いとは、神々や祖先への誓約だ。
吾たち王にとって、祖先とはすなわち神々。
神に誓ったことは、人であれば破れはしない。
自らの行動が年年の収穫に反映する王であれば、なおさらのことだ。
吾が首をひねる間にも、弟は朗々と叫んだ。
「そうだ! 神々、そして父上に誓い、吾が心が清々しいものであると誓う!
断じて姉君の国を取りに来たのではないと!」
「誓い……ならば、いかにして誓う。火の神に誓うか、川の神に誓うか」
吾は堂々とした彼に尋ね返した。
誓いの方法はいくつかある。煮えた湯に手を付ける方法、鹿や猪を狩る方法などのことだ。
だが、弟の次の言葉を聞いて、吾は体内の熱が、誓いの湯さながらに煮えたぎるのを感じた。
「誓いは、天に、すなわち父に対しするもの!
ならば姉君、吾との間に子を作り、生まれた子が女なら吾は正しく、男なら誤っているとしよう!」
「子、子だと!?」
◇
吾は、姉が一瞬落馬しそうになるのをあわてて兵たちが止めているのを見ながら
呆気にとられた敵味方の兵を眺め回していた。
「……何か変なことを言ったか?」
「……王よ、あなたさまは子を作る誓いなど、どこで覚えてこられましたぞ!」
アシナヅチの悲鳴のような叫びを、吾は理解できず返す。
「…いや、汝が教えてくれたのではないか、アシナヅチ。
ほれ、ケヌが妻のほかに別の女に手を出した時のことだ。
汝が裁いて、二人に誓わせ、仲を元に戻したではないか」
「……そ。それは…夫婦の間柄のみのことでございまして…」
「いもせ? なら姉弟でしたところで問題はなかろう」
「はあ……でも……」
アシナヅチが、困り果てた顔を吾に向け、尋ねた。
「では王よ、その……子の作り方はご存じあられるのか」
その声に、子ども扱いされていると思い、吾はわずかに不機嫌になりながら言った。
「当り前だ。馬鹿にするでない。 人の子の作り方くらい知っておる」
「……相手は実の姉君ですぞ」
「だからどうした」
私は言い捨てると、再び川向こうの姉に声をかけた。
よくよく見ると、なんとなく姉は身じろぎして落ち着かなげだ。
一旦結んだ誓いは破ることは出来ない。
それはたとえ王であってもだ。
そのことに畏れているのだろう。
「姉君よ! 誓いは受けるか、否か!」
返事はかなりたって、それもようやく聞き取れるほどの声だった。
「……受ける」
「姉君!? よく聞き取れぬ、受けるか、受けぬか!!」
「受ける!! 受ける! 受けてやろうではないか!!
どうせ夫も子もおらぬ身だ! 弟の子供など、この腹から何人でも産んでやろう!!
先ほどの天地の揺れも、この誓いのためであろうからな!!」
自棄のように叫ぶ姉を見て、私はふと違和感を覚えた。
……腹が何の関係があるのだ?
ともかく、盟約は成された。
私は部下に武装を解くように命じると、自らの弓の弦も外し、縄で剣を縛り、馬を下りる。
答えるように姉もまた、武装を解き、兵たちを下がらせていた。
4.
武装を解いた私は、見たこともないほど豪奢な屋敷の奥へと通された。
新築しているのだろう、白木の匂いがぷうんと心地よく鼻を衝く。
姉の宮だ。
部下たちはここにはいない。
兵に過ぎない彼らは宮へ入ることは出来ないし、そもそも誓いとは二人きりでなされるものだ。
立会人がいなくても、神が立ち会うのが誓いなのだ。
やがて、待っていた私の後ろの帳が開く。
そこにいたのは、見たこともないほど美しい女だった。
姉だ。
先ほどまでの武装はすでに解き、今は女らしく流した髪に、薄い布地の服を羽織っている。
首には勾玉を、額には鏡をつけていた。
神を奉り政治をつかさどる女王の姿だった。
だが、清楚な印象とは裏腹に、見とれる私の前で姉はどかどかと歩いてくると、
正面にどかりと座った。
その顔は真っ赤だ。
「……熱でもおありか、姉君?」
「…誰のせいだと……」
私と視線を合わせぬまま、姉が小さく吐き捨てる。
そのとげとげしい口調に、私はふと悲しくなった。
血を分けた実の姉弟といえど、しょせん別の地の王であれば、疑いが先に立つものだ。
まだ、姉君は私の真意を理解なさっておられぬらしい。
私は悲しげな表情のまま、言った。
「……ならばさっそく誓いを」
「え? もうか!? ま、まずは酒でも…」
「何を言っておられる。誓いに酒は要らぬ。父上を軽んじるおつもりか」
「~~~! わかった! ならば誓いを始めよう! なんなりといたせ!」
私は絶句した。
姉がいきなり、敷かれていた厚布にごろりと横になったのだ。
薄い布地を通して体の線が露わになり、足首がちらりと見える。
私は呆気にとられたまま、変な格好で寝転がる姉を見ていた。
「どうした!? 汝から求めた誓いではないか! 早く子を作るのであろう!」
「……姉君。お気は確かか」
◇
私はあきれたような弟の声に、半分は恥辱、半分は激怒して身を起こした。
何をいまさらのうのうと言っているのだ、この弟は!
私とて恥ずかしいのを堪え、仕える女たちにいろいろと聞いて、覚悟をしてきたのだ。
弟が私を殺すかもしれない、と案ずる家臣たちを抑えてまで来たのに!
何を!
「いまさら吾ら姉弟の前に言葉は要らぬ! 早く!」
「……ならば身を起こし、まずはわが剣をお持ちくだされませ」
「……は?」
いきなり意味の分からぬことを言われ、目を丸くした私に、弟は封じたままの自分の剣を突き出してきた。
むろん、抜き身ではない。
「この剣を口噛みし、四つ八つに折り、砕いて口から吹かれませ。
その精気から生まれた子が女ならば、吾の言葉が正しく、男ならば過ちでござる」
「…な、え? どう……?」
私は弟の目を見た。
彼は至極大真面目だ。
「……いや、これは黒鉄だから噛みきれ……いや、その前に」
私はある娘に聞いた『どんな男も落とす姿』をやめると、
初めて弟としっかり目を合わせた。
「……その話、どこで聞いた?」
「姉君もご存じのアシナズチより。姉君が子を作られたら、吾はそうですな……その勾玉を戴き
噛み砕いて吹き、子を作り申す」
「………」
「…姉君? どうなされた?」
「……いや、で、汝はそれを実際に見たことがあるのか?」
「いいえ。誓いは二人きりで行うものでありまするゆえ」
「あのな」
突然、私はこの弟が無性に愛おしくなった。
いや、それまでもそうだ。
顔も知らず、中央が精魂込めて作った飯を取っていくだけの『辺境の将』には
憎悪すら抱いていたが、今の弟は違う。
どこか父に似た、たくましい男だ。
だが、まだ二十にもならぬ子供なのだ。
おそらくアシナズチも、何らかの事情があって彼にぼかして教えざるを得なかったのだろう。
ならば。
「家臣の不始末は、王が取らねばならぬ……弟君よ」
「は、はあ」
「……来たれ」
そして、その日、弟と私は本当の意味での誓いをした。
◇
「……で、子供はいつ生まれるのか、姉君よ」
「今日の誓いが為されておっても、十月先じゃ!
為されたかもわからぬゆえ、まだ死んではならぬ!」
めくるめく時間の後、息絶え絶えながら言った姉の命令に、私は渋々ながら頷いた。
それから一年。
姉が産んだのは、見事な娘だった。
だが。
「……誓いとは互いになして初めて出来るものだ。次は汝の番だな、弟君よ」
臥所に横たわりながらもにやりと笑った姉の笑顔を見て、
私は死のうとした一年前の気持ちが霧散していくのを感じていた。
結局、子供は八人出来た。
吾ながらいささか、誓いにしては多すぎると思ったが、
出来てしまったものは仕方がない。
「では、吾が王統はこの子に継がせるからな! よいな、オシホ」
「はっ!」
父に国を譲られた頃の私より少し大きい、私にも姉にもどこか似ている子供が、
私の前で威勢よく返事をしたのを聞きながら、
私はいつ死ねるのか、とふと思っていた。
固有名詞は意図的にぼかしましたが、下記のとおりです。
姉君 :天照大御神
次の弟:月読命
弟君 :神素戔嗚尊
姉君の老臣:大来目命
アシナズチ:稲田宮主須賀之八耳神
父王:伊邪那岐命
都:高天原
モチーフというか、まんま題材にとったのは日本神話の『アマテラスとスサノオの誓約』ですね。
ただ、都の名前を出したり、スサノオの領地を海と言っては即バレなので暈しました。
ちなみに、神道における罪として明示されているのは親子だけで、
兄妹姉弟は明示されていませんでした。
ただ、少なくとも古墳時代後期には、すでに同母兄弟はタブーだったようです。