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My Precious
作:保



第6話〜4月5日〜


「はっ、はっ、はっ…」
 朝霧立ち込める中、千尋は走っていた。
 全力とまではいかないが、かなりのスピードを保ちつつ、この頃日課になりつつある早朝トレーニングの最終目的地、丘の上の公園を目指していた。
「はっ、はっ、もうちょっと…」
 公園へと続く、最後の階段に差し掛かり、流石にペースが落ちる。
 そこで気合を入れなおして、一気に駆け上る。
「ふぅ、ふぅ…到着〜」
 千尋がポニーテールにしていた紐を取ると、千尋の見事な綺麗な金髪が朝日に輝きながら広がった。
「智也くん、もうちょっとかな…」
 やや乱れている息を整えつつ、ベンチに座る。
 桜木町を展望出来る、このベンチに座って彼を待つ時間が千尋は嫌いではなかった。
「香水つけてきたの、分かってくれるかな…」
 ささ、と身だしなみをチェックし、彼が上がって来るであろう階段を、どきどきしながら見つめる。
 千尋にとって朝の智也とのひと時は、もはや日常のものとして組み込まれつつあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第6話〜4月5日〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「インタビュー?」
「そうそう。智也にやってほしいんだよ」
 千尋が、公園にたどり着いた頃とほぼ同時刻、智也は既に学校にいた。
「いや、お前がやれよ。そのまま。部活も一緒だし、生徒会のお墨付きもあるんだから、声を掛けても邪険にはされないだろ」
「いや、まあ、そうなんだけどさ…」
 今ひとつ煮え切らない健一の様子に、首を傾げる智也。
 2人は現在智也の教室にいて、昨日の健一の依頼を智也が1つ、達成したところだった。
「それに、さっき俺にしていたみたいな感じだったら、掴みもバッチリだと思うぞ」
 さっきまで、智也は健一からインタビューを受けていた。
 内容は大樹から聞いていたこともあり、それ程驚くことは無かった。
 ただ、最後に聞かれた『一番の親友を教えてください』の問いには、迷った末美沙の名前を出した。
 智也は勿論、健一には美沙とは幼馴染みの関係であることを説明しておいた。
 しかし、よく考えてみると、肝心の美沙にこの件の話をしてなかったことに気付いた。
『ちょっと早まったかも知れない』と正直焦っていたところ、健一から『鈴木さんと水島さんと森井さんのインタビューを、代行して欲しい』と依頼されたところだった。
「まあ、そうなんだけどな…実はここだけの話、既に1度、3人にはインタビュー済みなんだよ」
「おいおい、バカにしてんのか?」
「い、いや、決してそうじゃなくてだな。単刀直入に言うと、再調査を食らったんだよ」
「再調査?」
「ああ。3人には、インタビューは普通に申し込めたんだけどな…」
 健一はその時の様子を話す。
 どうやら、3人ともインタビューは普通に受けてくれたが、美沙と千尋はあまり積極的に話そうとせず、半分程度しか質問に答えてくれなかった。
 彩音に至っては、殆どの問いが空白のまま、終了してしまったらしい。
「ふぅん。千尋と彩音はともかく、美沙がそんな状態だったとはちょっと意外だな」
「まあ、俺も部活が一緒とはいえ初対面に近い状態だから、ある程度はしょうがないと思ってたんだけど。まさかここまでとは思わなかったよ。で、再調査を食らってしまって、途方に暮れてたところ、智也の顔が浮かんだんだ」
「…なぜそこで俺の顔が浮かぶ?」
「そ、それは秘密だ」
 健一はパタパタと手を振る。
 実際は、健一の状況を見かねた茂雄が、健一の携帯に『智也を使え』と触れ込んだわけだが、そんなことは本人の前では言えるはずもない。
「智也、頼むよ〜。今日の昼飯おごるからさ。な?」
「随分安い条件だな。4日だ」
「ううっ…せめて2日で」
「3日だ。これ以上は負けられん」
「うううっ、しょうがない…」
「よし、その依頼引き受けた」
 交渉成立の証として、がっちり握手を交わす2人。
「で、このプリントの問いを埋めてくればいいんだな?」
「ああ。基本的には、当たり障りの無い答えでもOKだから、どんどん埋めちゃってくれ」
「…俺のときよりも、かなり問いの数が多いような気もするが…わかった」
 健一から用紙の束を受け取り、とりあえず机にしまう智也。
「じゃあ、申し訳ないが、頼んだ」
「おう。出来たら持っていくよ」
 最後に手を合わせて、教室から出て行く健一。
「さてさて」
 ひとまず依頼のことは忘れて、日直の仕事をはじめる智也だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「美沙、ちょっといいか」
「ど、どうしたの?」
 智也は授業の合間、休憩時間に美沙に声を掛けた。
 教室では、智也から話し掛けてくることはあまりないので、美沙は嬉しそうに寄って来た。
「あのな、今日の夜、俺の家にきてくれないか?」
「うん、いいよ」
 内容も聞かず、即答だった。
「そ、そうか。じゃあまた声掛けるわ。あ、ちなみに俺は用事済ませてから帰るから、20時位を目安にしてくれ」
「うん」
 智也は用件だけ告げて、足早に教室を出る。
 残された美沙に、西山貴子と松原あゆみが擦り寄ってきた。
「い〜な〜美沙ちゃん」
「そうそう。『俺の家に来い』ってさらっと言われるだなんて、殆ど恋人同士の会話じゃない」
「こ、恋人とかとはち、違うわよ。智也とは家が隣り合わせで、幼馴染みだから多少フランクな言い方になってるだけよ」
 口では否定しつつも、顔はにやけていた。
「でも、安達君の隣の座は狙ってるんでしょ?」
「…まあ、うん」
「はあ、わたしにもあんな彼氏がいたらなあ」
 貴子が漏らす。
「あんたはまず、彼氏がいないでしょ」
「うぐっ、そういうあゆみもだけどね」
 お互い泥の掛け合いを楽しんだあと、貴子は思い出したように切り出した。
「あ、そういえばさ〜、あの紙見た?」
「なんの紙?」
「大会の参加申込。部室に貼ってあったんだけど」
 部活の話になって、テニス部でないあゆみは席に戻った。
「そ、そうだっけ」
「うん。ダブルスのみで、リーグ戦のあと決勝トーナメントだったわよ」
「そっか…」
 美沙はちょっと考える。
 晴海高校は基本的に、練習時間が短く、試合が多い。
 それは新しく監督になった志穂の指示である。
 そのかわり、メニューに縛られずに自由に練習出来る時間が出来るので、各人のやる気次第では効率的なレベルアップが見込める練習方針だった。
 今回の貴子の言う市民大会も、試合慣れさせるために志穂が積極的に参加を奨励しているものだった。
「大会時期は?」
「えっとね、ちょっと待って」
 そういって携帯を取り出す貴子。
「なんで携帯なの?」
「貼り紙みたら分かるけど、監督がメーリス作って大会情報流してるのよ。あの人、反則的に綺麗な上にテニスも上手くて、それでいてちょっとした有名人だから顔も利くみたいだし…」
「ちょ、ちょっと貴子?」
 放っておくと、際限無く喋りそうな貴子を止める。
「あ、ああ、ごめんごめん。…えっと大会はね、沢山あるわね。一般の部になれば平日開催もあるし」
 
 
 
 キーンコーンカーンコーン…
 
 
 
「あっ、鳴っちゃった。また後でね」
「わかった」
 貴子を含めたクラスメイトは、席に戻る。
「…?」
 美沙が机の中から教科書を出した時、小さい紙切れが出てきた。
 そこには、『ミックスダブルスもあるよ by T子』と書かれていた。
「ミックスダブルス…」
 昼休み、とりあえずダッシュで部室に向かおうと決めた美沙だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 昼休み前の最後の授業は、6・7組合同の選択授業だった。
 生徒は書道・音楽・美術の中から、自分の好きな科目を選ぶことになっている。
 智也は無難に、書道を選択していた。
「じゃあ次の質問な」
「うん」
「え〜と、『家事は得意ですか?』」
「えっとね、1通りは出来ると思うよ。わたしの両親、共働きで遅いから自分でやることが多いかな」
「そうか。確かお姉さんとの2人姉妹だっけ?」
「うん。お姉ちゃんは今年高3で、女子高に行ってるんだよ。ほんとは、お姉ちゃんのほうが家事は上手なんだけどね」
「ふ〜ん」
 教室内、智也は千尋にインタビューを敢行している最中だった。
 無論、書道の提出課題は完了済みである。
「じゃあ次の質問。『あなたの高校での目標を教えてください』」
「ん〜、目標かあ…」
「そんなに考えなくてもいいぞ。ありきたりなものでいいって」
 マジメに考える千尋に、フォローする智也。
 授業開始と同時に智也が声を掛けた時、千尋はちょっとご機嫌斜めだった。
 が、智也が今日の朝、日直で登校済みだったことを伝えると、納得して笑顔でインタビューを引き受けてくれた。
「じゃあ、部活でレギュラーになるってことにしておこうかな」
「りょ〜かい。じゃあ次…」
 とんとんと質問をこなしていく。
 健一がインタビューしたときとは、雲泥の差だった。
「よし、次で最後の質問な…『彼氏にしたい人はいますか』ぃ!?」
「ええっ」
 千尋以上に、自分で言っておいて驚いている智也。
 それもそのはずで、自分のインタビューの時とは言い回しが180度違っている。
「え、えっと…」
「あ、いや、そうだな…答えづらかったら、答えなくていいからな。ははは…」
 智也は、あとで健一をシメようと思う。
 勿論健一は被害者でしかない。
「じゃあ…」
「…っ(答えるんですか千尋さん!?)」
 千尋は迷った末、小さな声で答えた。
「…います」
「そ、そうか…」
 うっすら頬を染めた千尋に、智也はなんともコメントしづらかった。
「…あ、あのね智也くん?」
「お、おうなんだ?」
「智也くんは、その…」
 
 
 
 キーンコーンカーンコーン…
 
 
 
 千尋の言葉を遮るように、授業終了のチャイムが鳴った。
「あ…」
「よ〜し課題は出来たか〜?出来てない者は今日の放課後、先生のところまで提出するようにな」
 担当教師の合図により、一斉に動き出す生徒達。
「じゃあな千尋。インタビューありがとうな」
「う、うん…」
 千尋はかなり、残念そうだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 続けて、昼休みになった直後…
「なあ大樹、今日の昼飯なんだが、もう1人増えてもいいか?」
「ん、別にいいぜ。俺の知ってる奴か?」
「そうだな…多分、知ってるかもしれん」
「ふうん、まあいいや。じゃあ先に券買っておくわ。いつものやつでいいんだな?」
「ああ」
「早く来いよ!」
 食堂にダッシュする大樹を尻目に、智也はある教室を目指した。
 1年の廊下を突っ切り、一番奥の教室の前で足を止める。
「確か10組だよな…」
 目の前の教室は、『1年10組』だった。
 10組の授業は少々長引いていたようで、続々と生徒が出てきているところだった。
 智也はドアの付近に寄り掛かり、探している人物が出てくるのを待つ。
 
『きゃ、あの人カッコイイ!』
『…1年生だよね?』
『だ、誰か待ってるのかな』
『あんた知らないの?あのお方は…』
 
(あの方って…)
 
 大半の男子生徒は、昼飯優先とばかりに出て行った。
 しかし、周囲に女子の取り巻きが形成されてしまった。
 ちなみに晴海高校の男子生徒は、学年毎にネクタイの色が違う為、初対面でも学年を間違えることは無い。
「お〜い彩音」
「あっ、智也さん」
 目的の人物が出てきて、智也はほっとする。
 恥ずかしい思いまでしておいて、『水島さんは今日は休みですよ』とか言われるのかとちょっと思ってしまっていたからだった。
「ど、どうしたんですか?」
「ああ、ちょっと彩音に聞きたいことがあってだな。出来れば昼飯を食いながらでもどうかなと思っていたんだが…」
 ちょっと早口で話す智也。
 流石の智也といえども、年頃の女の子の輪で要件を話すことは恥ずかしかったようだ。
「わわかりました。わたしで良ければ、お昼、ご一緒致します」
「助かるよ」
 2人で連れ立って、食堂目指して歩く。
 周囲の女子生徒も、ちょっと距離を置いてぞろぞろついて来る。
「それで智也さん、要件はなんでしょうか?」
「ああ、実はな…」
 後ろの集団を気にしつつ、彩音にインタビューの再実施を告げる。
「ふぅ、そうですか…」
「嫌か?嫌なら無理強いはしないが…」
「いえ、そういうわけではないんです。ただ、智也さんのお手を煩わせたみたいで、悪いなあと思って」
「ああ、そんなことなら気にしないでくれ。俺も無償で引き受けたわけでもないから。ちゃんと見返りもある。それにな…」
「それに、なんですか?」
「…個人的には、彩音のことを知りたかったからな」
 ぽん、と彩音の髪を軽く撫でる。
「あうぅ…」
 ぼん、と音がしそうな勢いで彩音は赤くなってしまった。
「あ!悪いっ」
「あぅぅ…」
 ぱっと距離を取る智也。
 彩音の様子が、あまりに可愛かったので、ついつい手が出てしまった。
 そんな2人の様子を目のあたりにして、
『もしかして、水島さんの彼氏なんじゃ!?』
『で、でも入学してまだ何日しか経ってないよ?』
『バカ、水島さんの様子を見てみなさいよ。満更でも無さそうでしょ。ていうか、わたしもお近づきになりたいわ…』
『わたしも撫でて欲しい…』
 一部を除いて、2人を彼氏彼女の関係だとイメージしているようだった。
「と、とりあえず急ぐか」
「…は、はい」
 後ろの集団のことはひとまず置いといて、小走りになる2人。
 まだ気付いていないが、昼休み終了後は彩音に対して、女子生徒が『事情聴取』されることは間違いが無さそうな感じだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いや〜ありがとな彩音。助かったよ。感謝の印に今度おごるからな」
「いえ、悪いですから、いいですよ」
「まあまあ、無理やり引っ張りだしたことのお詫びも兼ねて、な?」
「んもう、そう言われたら断れないじゃないですか」
「よし、じゃあそういうことで」
「くすっ、はい、期待してます」
 最後に小さく手を振って、彩音は食堂を後にした。
 智也は完成したアンケート用紙を横に置き、食後のアイスを食べ始める。
 その表情は、一仕事やりきった後のすがすがしい顔だった。
 そんな智也に、素早く寄ってくる影が1つ。
「おいっ智也」
「なんだ?」
「なんだじゃないだろっ。さっきの女の子はなんだ?ど〜いう関係だっ」
「…さっきも話したろうが」
 呆れた風に話す智也。
 大樹は全く納得していない。
「どこがだよっ。『今日、一緒にメシを食う彩音だ』としか言ってないだろっ」
「…はあ」
 仕方なく、智也はインタビューを引き受けた経緯を話した。
「な〜んだ。そんなことなら先に言ってくれよ。気を遣って席を外してしまったじゃないか」
「…どう勘違いしたんだ?」
「てっきり彼女だと」
「バカ」
「いや、そ〜いうけどな。彼女、明らかに俺を見て邪魔者扱いしてたぜ」
「…そうか?」
 惚ける智也を尻目に、大樹の指摘は図星だった。
 彩音は、てっきり智也と2人で昼食するものと思っていた。
 だから、大樹が3人分の昼食と席を確保しているのを見た時、ちょっとご機嫌ナナメになっていた。
 目ざとい大樹は、彩音の雰囲気に気付き、適当な理由を付けて席を離れていた。
「ま〜いいけどな。ただ、滞りなくインタビューが出来た報酬は俺にも貰う権利があると思わないか?」
「…まあ、気の利かせ方と場所の確保は見事だったな」
「そうだろそうだろ?」
 大樹は食堂の一番奥、窓際の見晴らしの良いテーブルを確保することに成功していた。
「じゃあ報酬として…」
「うむうむ」
「拍手を送ろう」
「なんでやねんっ」
 結局、報酬は昼食1日分(勿論健一持ち)で落ち着いた。
「話は変わるが、さっきの子って、水島さんっていうんだよな?」
「ああ」
「俺の記憶が確かならば、うちの理事長の名前も水島だったような…」
「そうなのか?」
「ああ。それに加えて彼女の容姿、立ち振る舞い、喋り口調を加味すると…」
「…お嬢様の可能性はあるな」
「だろ?」
 大樹の推理に、智也も頷く。
 確かに容姿は別として、彩音の物腰と話口調は少し、気になってはいた。
「まあ、だからといって、何が変わるわけでもないし、いいんじゃないか?」
「そうだな。悪い、なんか変な話しちゃったわ」
「気にするな」
 予鈴が聞こえたので、教室に戻ることにする2人。
 戻る最中、前日と同じく女子生徒から熱烈な視線を浴びながら、智也は先程のやり取りを考えていた。
(彩音が例えお嬢様だったとしても、なんで健一のインタビューに一切答えなかったんだ?俺の問いに全部答えてくれたのを考えると、男嫌いってわけでもなさそうだし…やっぱり健一が嫌いだったのか?)
 勝手に結論づける智也。
 健一としてはいい迷惑だった。
 実のところは、智也の考えに当たらずとも遠からずではあったが…
(まあいいか。後は美沙だけだしな)
 報酬を負けるつもりはないが、健一には、今度からちょっぴり優しくしてやろうと思う智也だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 放課後、智也がテニスコートに着いてみると、誰もいなかった。
 どうやら一番乗りだったらしい。
「まあ、休みの日だから当たり前か」
 ちょっと拍子抜けした智也。
 周から聞いていた話では、休みの日でもかなりの人が、コートに足を運んでいると聞いていたからだった。
 大人しくストレッチし、独りでも出来るサーブ練習をすることにする。
「缶を並べまして…と」
 サービスラインのワイド・センター計4隅に、ボール缶を設置する。
 独りで練習する時は、しっかり的を作ったほうが効果的な場合が多い。
「…」
 何球か試しに打った後、本気で的を狙う。
 程なくしてセンター、次はワイドと、片方のサイドを攻略する。
「…っと」
 もう片方のサイドも、暫くも経たない内に倒し、一息つく。
 打ち倒した缶を、改めて立てに行こうとしたとき、智也は初めて千尋と彩音が見ていたことに気がついた。
「なんだ2人とも来てたのか。言ってくれれば良かったのに」
「あ、ごめんね。なんか見とれちゃってて…」
「わたしもです」
 2とも感心しきりの様子だった。
「いや、あんなに早く的に当たったのは、まぐれだから。それよりだ。時間も決まってるし、早速やろうか?」
「うん、そうだね」
「お願いします」
 こうして3人の練習が始まった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 智也はひとまず、千尋と彩音に打ち合ってもらうことにした。
 2人の実力を見るためである。
「彩音はもっと打点を高くしたほうがいいな」
「そうですか?」
「ああ。打点が低いところしか打てないままだと、高いレベルの相手にはまず、勝てないからな」
 練習を開始後程なくして、智也は彩音にアドバイスを送る。
「なるほど」
 千尋も神妙に頷く。
「実際に見たほうが早いな。千尋、ちょっとボール出してくれるか?」
「うん」
 千尋は言われたままに、打ちごろのボールを出す。
 
『パンッ』
 
 いい音を響かせて、千尋の元にボールが返ってくる。
「今のが低い打点な。じゃあもう1球」
 
『パンッ』
 
「あ…」
 さっきの球よりも明らかに早い球が、千尋の横を抜けていく。
 千尋はあまりの違いに驚いてしまい、ボールを受けることが出来なかった。
「とまあ、こんな感じだ。高い打点で打つのが、いかに大事か、ちょっとは分かっただろ?」
「は、はい」
 彩音もビックリしていた。
 智也は2球目が出された瞬間、素早く移動して高い打点で打ち返していた。
 しかし1球目と同じく、智也のスイングには力みを一切感じなかった。
「まあ、すぐには出来ないと思うけど、課題として覚えておいた方がいいと思うぞ」
「分かりました」
 彩音は素直に返事をする。
 満足そうに頷いた智也は、千尋の元へと歩き出す。
「で、千尋なんだが」
「うん」
「…ほんとに両手打ちにするのか?」
「そうだよ」
 満面の笑顔の千尋。
 対照的に智也の表情はちょっと曇る。
「難しいぞ?確かにマスター出来れば、確実にレベルアップするが…」
「うん。承知の上だよ」
 ニコニコしている表情とは裏腹に、千尋の目は真剣だった。
「…わかった。その代わりに条件がある。まず、カタチになるまでは、片手打ちの練習も続けること」
「うん」
「もう1つ条件がある。それは明日の練習で、1度監督に見てもらうこと。そこで監督がOKといったら継続。NGだったらきっぱり」
「…片手打ちに戻す、と」
「ああ。そのほうが良いと思うぞ。昨日打ち合って分かったが、あの監督の腕は信頼できるからな」
「そう、だね」
 昨日の練習態度を見て分かるとおり、監督である志穂はおそらく、テニスに対しては容赦が無い性格だと、智也は判断した。
 千尋の両手打ちの変更についても、忌憚の無い判断を下してくれるに違いないと思っている。
「うん、わかった。少ししたら、監督に見てもらうことにするね」
「よし。そうと決まれば早速練習だ。いいか、基本的には片手と同じく…」
「うん」
 懇切丁寧に指導する智也。
 もともと智也は、人にモノを教えることが嫌いではない。
 ましてや自分の好きなスポーツに、積極的になろうとしている子である。
 ついつい力が入ってしまうのも無理は無かった。
 その後3人の自主練は、コートの様子を見に来た正人が『正規練か!?』と思った程の真剣さで行われた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 突然現れた美男美女の3人組に、駅前はちょっとした騒ぎが起こっていた。
「じゃあ、ラケットもまだ持ってないのか」
「そうなんです。流石にシューズは買ったんですけど…」
「今から行くお店は、結構試打ラケットもあるから、きっといいのが見つかると思うよ。店主もいい人だし」
「…(おっちゃんが褒められている…)」
 騒ぎの中心にいるのは、勿論智也一行だった。
 1人は艶やかな黒髪を靡かせるお嬢様風の美少女。
 もう1人は、こちらも金の髪が映える美少女。
 そして、2人に挟まれている男子は、絶世の美男子だった。
 一行は駅前のバスターミナルに降り立ち、現在は『テニスショップ高橋』目指して商店街を歩いている最中だった。
「千尋さんも、行きつけのお店なんですか?」
「ううん。実は春休みに友達と行っただけなんだけどね。でも、良い雰囲気のお店だったよ」
「そうなんですか。ちょっと楽しみです」
 確かに彩音は楽しそうだった。
「あ、それにね、これは友達から聞いた話なんだけど、そのお店、凄くカッコイイ店員さんがいるらしいよ」
「…カッコイイ店員さん、ですか?」
 千尋の言葉にも、彩音はいまいちピンとこない。
「曜日は決まってないけど、3月はかなりの目撃者数だったんだって。今月はわかんないんだけど、もしかしたら今日会えるかもね」
「そうですか…」
 言葉ぶりを察するに、話を振った張本人である千尋も、興味が無いのは明らかだった。
「おっ、着いたぞ〜」
 内心の動揺を悟られないよう、ちょっと大きい声を出す智也。
「ここですか…」
「おう、じゃあ早速入るか」
 
 カランカラン
 
「いらっしゃ〜い…なんだ、智也か」
「なんだとは、なかなかの物言いっすね」
「ははは、まあ気にするな。それで今日はどうしたんだ?」
 智也を迎えたのは店主、健三だった。
 店内には幾人かの客と、智也も顔見知りのアルバイトが1人いる。
「今日はバイトじゃなくてですね…」
 ちら、と後ろの2人を見やる智也。
 2人は、早くもラケットの陳列棚を物色し始めている。
「…ははん。なるほどね」
 健三は、ニヤニヤして智也の肩を叩く。
「美沙ちゃんと優菜ちゃん達には、黙っといてやるから。うまくやれよ」
「…おっちゃん。何か勘違いしてないか?」
「ははは、わかったわかった」
「…はあ。も〜いい…」
 勘違いオヤジは置いといて、智也は千尋と彩音のいるラケットの陳列棚を見回す。
 一応品揃えはひと昔前のものから、最新モデルまで、1通り揃っていた。
「彩音、なんか気に入ったやつ、あったか?」
 智也は彩音に声を掛ける。
「あ、そうですね…これがちょっと気になります」
 彩音が手に取っているのは、あるプロ選手が使用していたモデルで、現在のラケット事情で言えば、ちょっと古い部類に入るものだった。
「これか…」
 智也は、慣れた手つきでラケットをくるくる回す。
「はい。そんなに重さも気になりませんし、長さも他のものよりもちょっと長くて、使いやすそうかなと」
 彩音は一生懸命説明する。
「ふぅん…まあいいか。じゃあ、これの試打ラケットをまずは借りような」
「はい」
 智也は特に、何も言わない。
 ラケットの購入は、特に大きな買い物である。
 おいそれと買えないものだから、殆どの店では、試打ラケットを貸し出している。
 そして借りた側は、実際に打ってみて、初めて購入を決意するのが一般的だった。
「おっちゃん、これの試打ラケ、ある?」
「おう、ちょっと待てよ…って、ないな」
 台帳をぺらぺらめくりながら、健三は言う。
「えっ、この前3本位用意しといたんだけど…」
 首を傾げる智也。
 智也の脳内では、おとといのバイト終了時には、3本の試打ラケットが残っていた。
「いやあ、昨日借りてった奴が3人いてな。1人は正子。1人は美佳ちゃん。あともう1人は…」
「…優菜か」
 その通り!と言わんばかりに、健三は親指を立てる。
「あやつらハイエナか…」
「そうカリカリするな。カワイイ後輩のやることじゃないか」
「そうっすけど、あいつらが試打を借りる理由が無いじゃないですかっ。既に購入済みなんだから!」
「ははは、まあそうだな」
 能天気な健三。
 智也はぴきり、とこめかみに青筋を浮かべる。
 確かに、智也の意見はもっともだった。
 既に購入済みのラケットを試打で借りていくことは、そのラケットの購入を検討している、他の客の迷惑になる。
 それが店の利益にも直結するわけだから、尚更だった。
「智也、そう怒るなって。あいつらもな、お前が高校に行って寂しいんだ。その寂しさをだな、お前が張り上げたラケットを部活で使うことによって紛らわせようとしているんだ。なんとも健気な話じゃないか」
「…そう言われるとなにも言えないっすけど」
「しかもな、これは智也にも原因があるんだぞ」
「俺すか?」
「ああ。お前がこのラケットにこだわってるから、あいつらも敏感になってるんだ。そろそろ新しいやつも試してみろって」
「いや、俺はいいっすよ…」
 健三の切り返しに、今度は智也が守勢になる。
 智也はラケットを4本所持しているが、いずれも同じモデルのラケットだった。
 智也を慕う後輩達が同じラケットを使用しているのは、言うまでも無い事実だった。
「智也さん」
「あっ、彩音か。ごめんな、試打ラケ、今は無いみたいだ。おっちゃん、貸し出し期限は?」
「ええっと、来週の火曜日までだな」
「というわけだ。悪い」
「…そうですか」
 彩音は、もの凄く残念そうだった。
「他に気に入ったやつは無いのか?」
「一応見てみましたけど、現状では…」
「ない、と」
「はい…」
 ため息をつく智也。
「仕方ない。じゃあ、とりあえず俺のラケットを貸すよ。偶然一緒のモデルだしな」
「えっ、いいんですか?」
 ぱっと顔を上げる彩音。
「ああ。実は4本持ってるから、1本くらい大丈夫だぞ」
「じゃあ、お願いしても宜しいですか?」
「おう」
「あ、ありがとうございます!」
 心底嬉しそうな笑顔を浮かべで、彩音はその他の商品を見に行った。
 智也が、『やっぱり彼女か?彼女なんだな?』とのたまうオヤジをあしらっていると、誰かが智也の袖を引っ張ってきた。
「智也くん」
「千尋か。どうした?」
 袖を引っ張ってきたのは、千尋だった。
「えっとね、わたしも智也くんのラケット…借りたいなって」
「え?」
 素直に驚く智也。
「わたしもね、高校に入ったら、ラケット買おうと思ってたんだ。今日の智也くんの練習見てたら、智也くんのラケットがいいなって思ったの」
 恥ずかしそうに話す千尋。
 彩音とは違い、直球勝負だった。
「あ、迷惑だったらいいよ。2本も無かったら大変だろうし」
 千尋はそう言って、パタパタと手を振る。
「…いや、貸すよ」
 そんなカワイイ姿で迫られたら、断れるはずがなかった。
「ほんと?」
「ああ。存分に使ってくれ」
「あ、ありがとう智也くんっ」
 千尋は、嬉しそうに智也に抱きつく。
「お、おい…」
「あっ、ごごごめんねっ!」
 我に返り、ぱっと離れる千尋。
 顔は真っ赤だった。
「で、用事はこんだけか?」
「…あ、えっと、もうちょっと見て回ってもいいかな?」
「ああ、いいけど」
 実は千尋は、彩音と智也の会話が気になっていて、殆ど商品を見ていなかった。
 そそくさと店内を回りだす。
「はあ」
「入学早々、大変だな」
「…まあ、面倒だとは思ってないすけどね」
「ならいいんだがな。でもお前、さっき抱きついてきた金髪の子、確か千尋ちゃんだっけか?ものすごく懐いてないか?」
「…それは、俺も気になってます」
「深い事情は知らんが、確実にあの子は末っ子だな。芯も強そうだし、身持ちも固そうだ。そんな彼女だが、高校入学して、智也に出会う。そして短い時間だが、自分にとても優しくしてくれる智也に懐いている…といったところか」
「…おっちゃん、探偵やったほうが儲かるんじゃないすか?」
「ははは、そうか?じゃあちなみにもう1人の女の子のことも予測しようか」
 調子の出てきた健三は、彩音をしばし観察する。
「ん〜そうだな。彩音ちゃんは、お嬢様じゃないか?」
「…根拠は?」
「いや、あんな子に『お父様』って呼ばれてみたいなって」
「…ソウデスカ」
 昼間、大樹と推理していた話題が出たので、ちょっと反応してしまった自分自身が情けなかった。
「ははは、今のは冗談だ。正直言うとだな、あの子とよく似た子を見たことがある」
「おっちゃん、それは予測になるのか?」
「まあ聞けよ。その子の名前は、水島琴音みずしまことねっていうんだが…」
「っ!?」
「その様子だと、ビンゴみたいだな。で、その琴音ちゃんだが、かなりの実力者だぞ」
 そう言って健三は奥の棚から、テニス雑誌を数冊持ってきた。
 健三は、その内の1冊を広げる。
「ここを見てみろ」
「…あっ、東都大学2年、水島琴音…」
 おそらく最新号であろう、このテニス雑誌では、女子関東リーグの今年の各校の戦力を、詳しく紹介・分析している。
 その中で東都大学は、男女ともトップクラスの評価を貰っていた。
「当たりだろ?」
「はぁ。でも、こんな小さい集合写真で、よく彩音に似てるってわかりましたね?」
 素直に感心する智也。
「いや、彼女はここの常連客だ。東都大学にも実家から通っているらしい」
「顔見知りなら先に言えっ!」
「ははは、悪い悪い。だが、彩音ちゃんがだぞ、もし琴音ちゃんの妹だったら、お嬢様確定だな」
「…そうなんすか?」
「ああ。桜木町の代議士といったら、水島だからな。琴音ちゃんも認めてたし」
「ふ〜ん…」
「なんだ、納得いかない風だな」
「そうじゃないんすけどね…」
 言葉を濁す智也。
 智也は、彩音がお嬢様だろうと関係無いと思っているし、現に健三の話を聞いた後も、その気持ちは変わらなかった。
 ただ、智也が歯切れが悪くなった原因は、彩音とは直接関係の無いことだった。
「ほほう」
「いや、彩音じゃなくて、お姉さんのほうなんですけどね…」
「姉がどうかしたんですか?」
 脇からにゅ、と顔を出してきた彩音に、智也は驚く。
「うわっ、彩音!」
「…むぅ、そんなに驚かなくても…」
 ちょっとむくれる彩音。
 すかさず健三がフォローする。
「彩音ちゃん、その話は後でじっくり智也に聞きな」
「はい」
「じっくりかよ…」
 智也へのフォローにはなっていなかった。
「そうだ、どうせなら、テニスシューズも見ていかないか?智也の使っているやつをお見せしよう」
「あ、お願いします」
 健三に連れ立って、テニスシューズ売り場に移動する彩音。
「…確か彩音、シューズは買ったって言ってなかったか?」
 その後、彩音に引き続き千尋も(智也使用モデルの)シューズを購入。
 彩音だけじゃなく、千尋もお嬢様じゃないのかと思い始めた智也であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時刻は19時。駅前は、家路につくサラリーマンや学生達でごった返している。
 そんな中、3人は商店街の中にある『東屋』の店内にいた。
「あ、ちょっとだけ席外すわ」
「どうしたの?」
「ん、家に電話してくる」
 人気のラーメン屋で席を確保し、とりあえず注文だけ済ませた智也は、店内備え付けの公衆電話の受話器を取る。
 テレホンカードを入れ、自宅のダイアルをプッシュする。
 
「…」
 待つこと数秒、耳慣れた声が聞こえてきた。
『もしもし、安達です』
「…優花か」
『あ、お兄ちゃん。どうしたの?』
 電話の主は、優花だった。
 智也は少しほっとする。
 姉妹の声は似ているので、智也といえども容易に見分けがつかない。
 相手を間違えると、確実に拗ねるので、いつも注意が必要だった。
「ああ、今な、駅前のとある飲食店にいるんだ。だから、夕飯要らないから連絡しようと思ってな」
『そうなんだ…わかった。お姉ちゃんにも言っておくね』
「ああ、悪いな」
『ううん、いいよ。あっ、そのかわりに早く帰ってきてね。じゃないと、また迎えにいっちゃうよ?』
「…それは勘弁してくれ。出来るだけ早く帰るから」
『くすっ。うん、待ってるから』
「おう、じゃあな」
 
 
 ガチャリ
 
 
「ふう…優花で良かった」
 アツアツの新婚夫婦が交わすような会話を終え、智也は受話器を置く。
 そして千尋達の待つ席に戻ろうとしたところ、前方から強烈な視線を感じた。
(ん、あれは…げっ!?)
 智也達の座っている席の、もう1つ奥のテーブル席。そこには、ものすごく顔見知りの人物が座っていた。
(周先輩…と祐樹先輩か…最悪だ)
 こちらを締まりのない顔で見つめているのは、周と宮門祐樹みやかどゆうきだった。
 祐樹も夕陽丘中学出身のテニス部員で、シングルスこそ準レギュラーだが、ダブルスでは不動のレギュラーとしての地位を確立している。
 勿論、智也とも旧知の間柄である。
(位置関係が絶妙だな…)
 千尋と彩音は、奥の席を背にして座っている。
 なので、おそらく周たちの存在には、気付いていないのだろう。
 向かいに座る智也に、楽しそうに話しかけてくる。
「智也くん、このお店って、凄い人気なんだね」
「あ、ああ、そうだな。最近出来たばっかりなんだが、瞬く間に評判になったらしい」
 会話の内容に、細心の注意を払う智也。
 なるべく、プライベートな路線に行かないように必死に願う。
 周と祐樹は耳だけこちらに向けて、器用にラーメンを啜っている。
「わたしもびっくりしました。普段、こういうお店には入らないので…でも、本当は1度、体験してみたかったんです」
「彩ちゃん、わたしだってそうだよ。智也くんに誘われなかったら、多分来ることもないと思うし」
「はは、そうか…まあ、味は保証するから、存分に堪能してくれ」
「うん」
「はい」
 運ばれてきたラーメンに、嬉しそうに手を伸ばす2人。
 対照的に、智也の顔は引きつっていた。
(俺から誘ったことになってしまった…)
 夕食を一緒に食べようと言い出したのは、実は千尋だった。
 そんな気は毛頭無かった智也は、健三の店を出て真っさきに帰るつもりでいた。
 しかし、彩音も『智也さんと夕食、一緒に食べたいです…』と賛同した為、仕方無く承諾したのだった。
 
(確かに店のチョイスは俺だけど…)
 
 智也は、大盛りラーメンを啜る。
『どっか、オススメの店はあるか?』と話を振ってみると、千尋も彩音も、夕飯が外食=高級レストランだったみたいで、『東屋』の存在は知らなかったみたいだった。
 店の行列に並んでいるときは、2人とも子供のようにキョロキョロして落ち着きが無かった。
 
(まあ、カワイイから許すか…)
 
 自分の目の前で、ラーメンと格闘している2人に視線をやり、ちょっと目を細める。
 千尋は猫舌なのか、ふぅふぅと麺に息を吹きかけることに一生懸命だった。
 彩音はおいしいですと言わんばかりの嬉しそうな顔で、上品に食べていた。
『お待たせしました。替玉4つと、同じく替玉5つです』
「…食い過ぎだろ」
「どうかした、智也くん?」
「あ、いや、なんでもないぞ。ははは…」
「?」
 隣の席の食いっぷりが気になって、思わず声が出てしまった智也。
 ちなみに替玉は、スープその他の具材はそのままに、麺のみおかわりすることである。
 本来は1つ食べ終わる度に1つ注文するのだが、周達には関係ないらしい。
 智也の神経を磨り減らすような時間は、しばらく続きそうだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それより、味のほうはどうだったんだ?まあ、食いっぷりを見る限りでは、なかなかの好感触だったようだけどな」
 食後のアイスを食べつつ、智也は聞く。
 なんだかんだ言って、2人が満足してくれたかどうか、気になっていた。
「美味しかったです」
「うん。わたしも大満足だよ」
「…そうか」
 2人とも、にっこり笑って返事をしてくれる。
 短い感想だが、本人達がとても満足そうで、智也も嬉しくなった。
「よし、じゃあそろそろ帰るか。もういい時間だしな」
 智也の腕時計は、20時を少し過ぎていた。
 周と祐樹は、ちょっと目を離した隙に居なくなっていた。
 次に再会したとき、何か言われるのは間違い無かったが、その件はひとまず忘れることにする。
「そうだね。明日も学校あるし…」
「わかりました」
 会計を済ませて、外に出る。
 桜が咲き誇る4月とはいえ、まだまだ夜は気温が低く、少し肌寒さを感じる。
「じゃあ、順番に家まで送ってくから。ここからだと、どっちが家に近い?」
 智也が聞く。
「あ、わたしの家のほうが近いと思いますけど…」
「いいの?智也くん、遠回りになっちゃうよ?」
「ああ、気にしない気にしない。こういうことは男として当然なんだから」
 気に掛ける風でもなく、さも当然のように返事をする智也に、2人はちょっとジーンとしてしまう。
 そして智也の好意に、素直に甘えることにする。
「ありがとうございます」
「じゃあ智也くん、お願いするね」
「お、おい…」
 昨日と同じく、左手に千尋が、右手に彩音がくっつく。
 2人の柔らかな感触に、智也の身体はその場で固まってしまう。
「ふう…」
「満足です…」
 ものすごく幸せそうな2人。
 だが、ここは天下の往来、商店街である。
 道行く人がジロジロと見ていく。
 その視線は、抱き付いている美少女2人は勿論のこと、抱き付かれているカッコイイ男子にも注がれていた。
「くっ…と、とにかく帰るぞっ」
「あんっ」
「と、智也さん、そんな、強引に…」
 しばらくして、ようやく再起動を果たした智也が、2人を抱きかかえるようにしてダッシュする。
 一刻も早く、その場を離脱したいという、自身の防衛本能が咄嗟に出たわけだが、智也の顔は真っ赤を通り越して真っ青だった。
 近い将来、妹達に『羞恥心』だとか『恥の文化』だとか、偉そうに言えなくなるなと、本気で思った智也だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 彩音を送り届けたのち、智也は千尋の家の前まで来ていた。
「ここだよ」
「…そ、そうか」
 彩音の家に負けず劣らず、千尋の家も大きかった。
 千尋がインターホンを押して数秒後、家から千尋の母と思われる人物が出てきた。
「お母さん、ただいま」
「おかえり千尋。遅かったのね」
「うん。ちょっと駅前に行ってたんだよ」
「そうだったの。連絡くらいくれたっていいのに」
「あ、ごめんねお母さん」
 どうやら千尋は親御さんに、今日の事情を話していなかったようだった。
「それで千尋、後ろの方は紹介してくれないの?」
「あ、えっとね…」
 ついさっきまで智也に抱きついていたこともあり、恥ずかしくてうまく言葉が出てこない千尋。
 そんな千尋に、智也は助け舟を出す。
「こんばんは、安達智也です。千尋さんと同じテニス部に入っています。それで、今日は駅前のテニスショップを見に行く約束をしていて、そのついでに夕食を一緒にしてきました」
 かいつまんで、説明する。
 まあ智也の本心はというと、千尋に助け舟を出したというよりも、これ以上要らぬ誤解を与えないようにと思っているほうが近い。
「なるほど。わざわざご丁寧に、ありがとうございます。自己紹介が遅れましたけど、わたしは森井千秋もりいちあきです。そこにいる千尋の母をやっています」
「あ、はい…」
 恐縮する智也。
 千尋と同じく、綺麗な金髪を腰まで伸ばしている千秋。
 おそらく、千尋は母親譲りの美貌なのだろう。
 千秋はスタイルも良く、ぱっと見ただけではとても母親とは思えないと、率直に感じた智也だった。
「それに、千尋を家まで送り届けてくれて…智也さん、重ねてありがとう」
「あ、そんな大それたことじゃないんで…」
 智也は、にっこり笑いかけてくる千秋にうまく返事が出来ない。
「あ、そうだわ千尋」
「どうしたの?」
「智也さんに、ちょっと家に寄っていってもらったらどうかしら?」
「えっ」
 名案だと言わんばかりに、ぽん、と胸の前で手を合わせる千秋。
「どうせあなたのことだから、智也さんに迷惑ばかり掛けてるんでしょ?それに…」
 そう言って千秋は、千尋の耳元で何事かささやく。
 途端に、千尋は真っ赤になって俯いてしまった。
「千尋、わかったかしら?」
「…うん」
 千尋は小さく返事をする。
「じゃあ智也さん、そういうことだから遠慮なく、ね?」
「は、はぁ…」
 なにがそういうことなのか分からないが、千秋の強引さに、智也は頷くことしか出来ない。
 ただ、そんな中でもこれだけは言っておかなければいけないと、智也は思った。
「あの、千尋さんのお母さん」
「千秋でいいわよ智也さん。なにかしら?」
「ち、千秋さん…あの、ありがたくお邪魔しますんで、電話貸してもらえますか?ちょっと家に連絡しておきたいんで…」
「ええ、いいわよ」
 電話の内容は、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。
 ただその後、森井家の電話の前でひたすら謝る智也の姿が見られたが、誰も本人につっこむことはしなかった。
 そんなこんなで、部活が無い日でもドタバタしている、智也の1日だった。




保です。

たくさんのご要望、ありがとうございます。
『○○をもっと出して欲しい!』というご意見は、ものすごく参考になりました。

ちなみに千尋のお姉さんは、後ほど登場する予定です。


次話では美沙が奮闘します(予定です)。











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