第4話〜4月3日(後編)〜
「お疲れ様でした」
「ああ、じゃあまた明日な」
「智也!期待してるからな!」
「あ、はい」
「正人、お前は自分の心配をしろ…」
男子、女子共にその後、部室でミーティングを行い、今後の日程等を確認して解散したところだった。
ちなみに今日はミーティングのみで、練習は無かった。
智也も茂雄と正人に挨拶し、部室から出て行った。
バタン
「…なぁ正人」
「なんだ?」
渡辺正人−−智也に絡んでいた、丸刈りの先輩だった−−はテニスシューズを磨いているところだった。
「今年の1年はかなり期待出来るな」
「ああ。智也のことは、周から聞いてたが、あとのメンツもかなりの経験者だ。なによりあの5人、初対面なのにいきなり名前で呼び合って、もう仲良くなってたしな」
「ああ、あいつら初対面じゃないらしいぞ」
「へ?そうなのか?」
磨き終えたシューズを、ロッカーに入れようと手を伸ばした形で、正人は固まる。
「対抗戦で何度か、お互いにガチンコした間柄らしい」
「…なるほど、考えてみればその可能性があったか。全国レベルの智也のいるチームと、是非対抗戦がしたいと申し込んだ学校は多いだろうしな」
正人は合点すると同時に、新たな疑問も脳裏に浮かぶ。
「あれ、そうなると間淵はどうなんだ?あいつは県外から来たんだから、全員とは面識ないだろ」
「健一は、3年に県の選抜チームに選ばれて、うちの県の選抜チームと合同合宿したことがあるらしい。当然うちの選抜メンバーには…というわけだ」
「なるほどさん」
正人は感嘆する。
新入生が、全員面識があるというのは、なかなか無いものだからだ。
「正人、実はな、この話はまだ先があるんだ。聞きたいか?」
「お、おう」
「よし」
いよいよノッてきた茂雄はメガネを1度くい、と上げる。
「選抜チームの合宿で、すっかり意気投合したあいつらはふと、智也の進学先が気になった。中学生とはいえ、智也は既に人を惹きつけるものを持っていたんだろう。あいつらは自然と、出来ることなら高校で、一緒のチームでプレーしたいと考えた。ちなみにここでいう『あいつら』は、智也以外の4人のことだ」
「おう。それで?」
「合宿の最終日、4人はさりげなく智也に聞いたんだ。『高校はどこに進学するのか?』とな」
「…どこがさりげないんだ?」
正人がつっこむと、茂雄の顔は真っ赤になった。
「うううるさいっ…コホン、でだ、智也はその問いに、『家から近いし、晴海高校かな』と答えたそうだ」
「なんかマンガに出てきそうな台詞だな」
「まぁ、な。さぁそれからが大変だ。智也はともかく、4人はそれほど成績が良くない。部活の引退と同時に必死で勉強し、なんとか晴海に合格したというわけだ」
「なるほどなぁ。おっと、ヨーグルト発見!ちっ、周のか…」
そう言って、部室備え付けのポットからお湯を抜き、流し台に持って行く茂雄。
正人は冷蔵庫を物色している。
「周のはやめとけ。あいつの食い物に対する執着心はハンパじゃない」
「へいへい」
「話を戻すぞ。…一番苦労したのは健一だ。なんせ、自宅からは通えない所の高校に行くと言い出したんだからな」
「そりゃそうだ」
正人は結局、ポテトチップスを自分のバッグから取り出し、パーティー開けにする。
茂雄はインスタントコーヒーを2つ持って、戻ってくる。
「当初はアパートを借りる方向で進めていたんだが、時期が時期だけに、なかなか良い物件が無い。途方にくれていたところ、幸い晴海高校の学生寮に、空きが出来たという連絡があり、運良くそっちの方に入居して万事おさまったんだ」
「へぇ、あの『松風寮』にねぇ」
松風寮は、晴海高校の敷地内にある男子寮で、成績優秀な生徒しか入寮を許されることの無い寮として有名だった。
寮の規則が厳しい分、校内ではかなりの発言力が松風寮生には与えられており、周囲からは一目置かれる存在にあった。
そんな寮だから、入寮を誘われることは大変名誉なことといわれている。
当然智也にも入寮の誘いがあったが、それを察知した周囲が本人の知らないうちに辞退させていた。
「なんでも理事会中に、『遠方から来る新入生で、まだ住居の決まってない生徒がいる』ってタレこみがあったみたいで、調べてみると健一だった」
「…さらに調べてみると、松風寮に欠員があったと」
「そういうことだ」
2人は揃ってポテトチップスを食べる。
しばらくして、正人がぱっと顔を上げた。
「も、もしかして、入寮辞退した奴ってのは…」
「…そういうことだ」
「…はぁ。ここまでくると、ため息しか出んな」
「ああ、まったくだ」
ゴミ箱に包装紙を投げ入れ、バッグを手に立ち上がる正人。
茂雄も同様に、スポーツバッグを肩に掛ける。
「蒸し返すみたいで悪いが、想像以上だな」
「ん?」
部室に鍵を掛けている茂雄に、正人が話しかける。
「智也だよ。高校入ってきて、まだ2日目だぜ?経緯を聞いて分かったが、同期はもう既にあいつ中心に回ってるだろ?近い内にうちの部活も、あいつ中心になるんだろうなと思ってな」
「なんだ、嫉妬か?」
「バ、バカ!違うわっ!」
「まあ、正人があいつに嫉妬するのも仕方がないな。何しろ、今年の女子は豊作だからな」
「うるさいっ!彼女持ちに俺の気持ちが分かるかっ!」
「わかったわかった」
顔を真っ赤にして詰め寄る正人をなだめつつ、校門の前まで歩いてきた茂雄。
「じゃあな正人」
「俺はまだあきらめてないからな!」
「校門前では止めてくれ…」
「覚えとけ〜!」
正人は捨て台詞を残し、ダッシュで帰っていった。
茂雄は正人の姿を見届けると、再び校門を潜り、テニスコートがある区画とは正反対に歩き出した。
そして歩くこと10分。
茂雄はある建物の玄関でインターホンを押す。
『はい』
「丸山だ」
『あ、今開けます』
ドアのロックが解除され、茂雄は建物内に入る。
「お疲れ様です」
「お疲れ。新入生は?」
「全員帰ってきています」
「よし。では例の部屋へ集合だ」
「了解です」
当直の生徒を短く会話を交わし、茂雄は2階へと向かう。
茂雄が向かったのは、2階の一番奥の部屋、『間淵』と書かれた部屋だった。
茂雄は部屋のチャイムを鳴らす。
『今開けま〜す』
すぐに中から、健一の声が返ってきた。
ガチャ
「よう」
「うわっ、主将じゃないですか!びっくりしたぁ」
「そんなことはどうだっていい。行くぞ」
「…へ!?」
茂雄は事情を分かっていない健一を連れて、4階の一際大きい部屋に向かう。
「あの、主将?」
「質問はあとだ」
ガチャ
健一の問いを制し、4階の部屋を開ける茂雄。
部屋はかなりのスペースがある会議室で、中では既にここの寮生と思われる住人が座っており、明らかに上座と思われる席が、空席になっていた。
茂雄は健一に空いている席に座るよう指示すると、自分は上座の席に向かった。
「新入生の諸君、我が晴海学園松風寮にようこそ」
「「「ようこそ!!」」」
茂雄の声に、2・3年生が反応する。
健一を含めた新寮生は、在校生のノリの良さにびっくりする。
健一は、松風寮といえば風紀の厳しさと同時に、校内では教師からも一目置かれる存在であると噂で聞いていたので、もっとお堅い人たちの集団だと思っていた。
「最初に、自己紹介をする。私はこの松風寮の寮長、丸山茂雄だ」
茂雄が自己紹介すると、周囲から『いよっ!寮長!』とか『メガネが男前っ!』といった声が上がる。
茂雄は歓声に応えるようにふっと笑い、メガネをくい、と引き上げた。
(主将って、あんなキャラだったのか…。でも、先輩達もなんかいい人っぽいし、なんとかやっていけそうだな)
自分の自己紹介も終わり、引き続き茂雄が寮の規則を説明している中、健一は人知れず安堵した。
「…といったところが、注意する点だ。あとは掲示板に張り出しておくから、適宜確認するように。質問は?」
茂雄は、諸連絡を一通り話したあと、全員に問いかけた。
特に質問事項は無かった。
「よし。では早速だが、今年度一発目、第1回松風会議を始める!」
茂雄の宣言と共に、周りの空気が一変する。
すぐさまホワイトボードが配置されると同時に、手際よく健一の手元にプリントが配られる。
「みんな資料は行き渡ったな?」
念のため、茂雄が全員に確認する。
(こ、これは…)
健一は手元のプリントを見て、心の中でつぶやく。
(…名簿?)
「正解だ健一」
「きっ、聞こえたんですかぁ!?」
「ふっ、無論だ」
慌てる健一に、茂雄はニヤリとする。
「健一の言うとおり、手元にある資料は名簿だ。それも1年生の一部の生徒だ」
いつのまにか、ホワイトボードには会議のお題と思われる、『第10回ミス晴海およびミスター晴海および晴海ベストカップルコンテストに関する予備調査について』と書かれていた。
長い。
「先日、生徒会と風紀委員会から通達があり、今秋に行われる晴海祭に、ミスコンテストを実施することが正式決定したそうだ。知っての通り、彼らは仲がよくないからな。もっと動くのは後になると思ってたんだが…まぁ経緯はいいとして、本題に入ろう」
茂雄のメガネが少し光っていて怖い。
「諸君には、そこにリストアップされた1年生全員の調査をしてもらいたい」
「…ちょ、調査ですか?」
1年生から不安の声が上がる。
「ああ。調査といっても一口に色々あるが、特に重点を置いて貰いたいのが交遊関係だ。交遊関係の意味はわかるな?」
「は、はい」
「要は各生徒達が、どんな友人を持っていて、どんな性格をしているのか知りたいということだ。外見はプロフィールを見れば大体は把握できるからな。君達には内面を『ちょっと』調べてもらいたいんだよ。勿論行動権限は生徒会・風紀委員会公認だし、トラブルになるくらい突っ込んだことは調べる必要は無いぞ。あくまで広く浅く、だ」
茂雄は生徒の問いに答える。
だが、健一には疑問があった。
(…はぁ。そもそも、なんで予備調査をする必要があるんだろ?しかもなんでうちの寮が?)
「大人の事情ってやつも絡むのだ、健一」
「うわぁ!心を読まんでくださいよっ!」
「まぁ動機としては単純だ。うちは昔から晴海祭とコンテストにかなり力を入れていたんだが、その反動で熱くなりすぎた輩が、候補者その他もろもろを巻き込んで、かなりの騒ぎになったことがあったんだ。反省した生徒会はその後、自分達で候補者を半ば絞り込み、現場で騒がれる前に候補者の情報を一元管理しようと考えたのさ」
茂雄は一旦、後輩が淹れてくれた茶を一口飲む。
「この方法は案外うまくいった。候補者も生徒達も結局は、ある程度盛り上がれれば問題無かったわけだ。そして勿論、生徒会側にもメリットはあった。一元管理したプロフィールを、試しに生徒間に販売してみたら、大きな利益が上がったんだ。これに味を占めた生徒会側は、現在では新入生が入学すれば、すぐにプロフィールのチェックを開始するというわけだ。うちが調査を代行するのは、流石に生徒会サイドは表立ってそんなことが出来ないからだ」
新入生に、わかったか?と視線を巡らす茂雄。
健一も渋々、頷く。
「よし、では今日はここまでにしよう。調査方法は追って連絡する」
茂雄の解散宣言を受け、生徒達は各々部屋に戻りだす。
茂雄も手元の茶を飲み干し、自分の部屋に帰ろうとしたところ、健一から声をかけられた。
「主将」
「ん、健一どうした、まだ疑問が?」
「あぁ、まぁ、有体に言えば」
「聞こう」
茂雄の会議室の椅子と机を元の位置に直す作業を手伝いながら、健一は切り出す。
「さっき先輩から聞いたんですけど、予備調査をうちの寮が請け負うのって、今年が初めてらしいですね?前年まではずっと、写真部に委託してるって聞きました」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、どうしてうちが今年は請け負えたんですか?泣く子も黙る権力の中枢、生徒会と風紀委員会が、そんなに簡単に委託先を変更する理由が良く見えないんですけど…」
健一の指摘はもっともだった。
松風寮は1年生を加えても総勢20名弱で、写真部は100名を超えるビッグクラブだし、調査に投入できる人数とノウハウの経験値を考慮すると、松風寮が選ばれた理由が良く分からなかった。
健一がそのことを聞いた先輩は、あまり深くは考えてはいなかったが…。
「…健一、見かけによらずツッコミが的確だな」
「見かけには余計ですっ!」
「…そうだな。確かに資金面でキックバックが欲しかったといえばうそになるが、なにより…」
茂雄がそこまで話した時、会議室に当直をしていた生徒が入ってきた。
「寮長。玄関に生徒会長が来ています」
「…む、今日は会議だったか。悪いな健一、ちょっと出かけてくる」
「あ、はい」
ポン、と健一の肩を叩き、茂雄は足早に会議室を後にする。
健一は呆然とした顔で、つぶやく。
「…あれ、なんで生徒会長が主将を迎えに…?」
「ああ、お前は知らなかったのか。寮長は生徒会副会長も兼任しているぞ」
「ええっ!そうなんですか!?」
「あの人は2年から寮長になってな。就任当初は色々あったんだが、今では自他共に認める立派な寮長だ。前回の寮長会議でもだな…」
受付の業務そっちのけで、熱く語りだす生徒。
とそこに、健一の携帯電話にメール着信を知らせる音が響いた。
健一の知らない人からのメールで本文は無く、件名に
『面白くなってきただろ?ByS雄』
と書かれていた。
「…も〜いい。今日は寝る…」
つっこみたいことは色々あったが、健一はひとまず、今日は寝ることにした。
部屋に帰り、ベッドに飛び込む。
先ほどのメールには、
『出来るだけツッコまないようにします。PS S雄はまずくないですか?』と返信しておいた。
ちょっぴり楽しさを感じながら…
健一が、茂雄と不毛なやり取りをしているその頃…
智也は、駅前の『テニスショップ高橋』の店内で奮闘していた。
「じゃあ、56ポンドでいいかな?」
「は、はい」
「りょ〜かい。仕上がりはそうだな…今日中に欲しければ、1時間後位にもっかい来てもらえれば、張り上がっていると思うぞ」
智也はそう言って、女子高生に注文の控えを渡す。
「わ、わかりました」
「じゃあまた後でな…ありがとうございました〜」
控えを受け取った女子高生は、頬を赤らめつつ店を後にした。
お客さんが一応居なくなった店内で、智也はため息をついた。
「これで今日は限界だな…それにしても、相変わらずお客さん多いなぁ」
カランカラン
「いらっしゃいま…おっちゃん、お帰り〜」
「おう智也。すまんすまん大丈夫だったか?」
「大丈夫じゃないぜおっちゃん。おっちゃんが出かけてる隙に、今日中に張替え希望が現在6本だ」
智也は、自分の後ろのラケットが置かれた『今日中希望』棚を指差し、ため息をつく。
「ははは。注文してくるのは全員女の子だろ?」
「あ、ああ」
「お前は休みの日か、週明け月曜日にこの店に来ることが多いからな。店内にいそうな日は、わざわざ店の前で張り込んでる子がいるんだよ」
「…ま〜た不毛なことを…」
「まぁ、うちは売上げになるし、お前だってバイト代出るんだから問題ないだろ?」
「まあ、そうだけど」
「ははは。もてる男はつらいってことですなあ」
豪快に笑う店主−−高橋健三−−をジト目で見つつ、智也は次のラケットを機械に設置する。
健三も智也の横の機械に、手際よくラケットを設置し、作業を開始する。
「それにしても早いもんだ」
「ん?」
「智也がうちのバイト初めて1ヵ月になるんだな」
「不定期で申し訳ないけど。確かに早いかも」
ラケットを張る手を休めず、智也も返事をする。
そもそも健三の店は、自宅の1階部分を店舗として改造した、桜木町で唯一のテニス専門店である。
健一は店舗を構えた後、程なくして結婚。
娘を1人授かったが、妻は難産が元で早世してしまった。
以来、健一は店を守りつつ、男手1つで娘を育ててきた。
店は、健一の努力の甲斐あってそこそこ繁盛しており、バイトも何人か居る。
しかしこの春先、ガットを張り替える技術を持った人間が健三以外にいなくなってしまっていた為、『ガット張り要員』を緊急募集しようと考えた。
そこで白羽の矢を立ったのが、智也だった。
智也は中学時代、健三の店を頻繁に訪れており、懇意の仲だった。
智也も春休みということもあり、健三の依頼を快諾していた。
さすがに高校入学してからは、時間が取れないということで辞めようと思ったが、健三の『不定期で良いからバイトを続けてくれ』発言に心動かされ、とりあえずバイトを続けることを決めていた。
そういう事情もあり、今日は早速店に足を運んでいた。
「いやいや、ここらへんじゃ、お前はちょっとした有名人だからな。バイトに入ってくれた時は嬉しかったもんだ。それにお前のガット張りの腕は確かだから、大いに助かってるよ」
「お、おっちゃん。そこら辺でやめてくれ…背中がムズ痒くなる」
「ははは。おっと、もうこんな時間か。智也、ちょっくら気合入れてやるか」
「りょ〜かい」
店内奥、2人は猛然と作業のピッチを上げた。
ポーンポーン
店内の時計が、8時を知らせる音を響かせるころ、店内ではこの日最後の客が店から出ていったところだった。
「智也、お疲れさん。今日は量も多くて疲れただろ」
「いやいや。俺も自分のガット、張り替えさせてもらったし。ぜんぜん疲れてないっすよ」
智也は、自分のテニスバッグをぽん、と叩く。
事実、ガット張りだけしていたので、、接客や商品の陳列等、面倒で疲れることは殆どしていなかった。
「ははは。それは気持ちの問題だな」
「おっちゃんが歳なんじゃないの?」
「おっ、俺だって全然疲れてないぞ!」
「どうだか…」
「そ、それより晴海のテニス部はどうだ?厳しそうか?」
形勢悪しとみた健三が、強引に話題を変える。
「まだわかんないっすね。実際、球を打つのは明日からだし」
「晴海高校は強豪校だから、練習も厳しそうだな」
「そうっすね」
しばし他愛の無い会話をしつつ、店内の清掃をする。
智也のバイトはガット張り限定なので、厳密には清掃をする必要は無いが、健三1人に掃除を任せる気持ちは毛頭無かった。
もう掃除も殆ど終わった頃、2階の住居から少女が降りてきた。
「お父さん、お仕事終わった〜?ご飯できたけど…って、先輩!?」
「おう正子か。もう終わったからすぐ行くぞぅ」
「久しぶり、正ちゃん」
階下の2人も正子に返事する。
「あわわ先輩っ!来てたなら一言声を掛けて下さいよぅ」
「ああ、悪い悪い」
「正子も無茶言うなよ。智也も忙しかったんだからな」
「むぅ、分かってるよっ」
正子はぷぅ、と頬を膨らます。
「そ、それより正ちゃん。今日は部活は?」
「あ、今日はミーティングだけでした」
「そうなんだ」
正子は夕陽丘中学3年生。
女子テニス部で現在、主将を務めており、面倒見の良い智也を兄のように慕っていた。
肩口まで伸びた黒髪に、くりっとした目が特徴のカワイイ女の子だった。
「お、そうだ智也。なんならうちでメシ食ってくか?」
「えっ」
店のシャッターを閉めながら健三が問いかける。
智也は思わず驚きの声を上げた。
「ほら、お前も高校に入ってなんとな〜く正子の機嫌が悪くてな。正直困ってるんだ」
「な、なに言ってるのお父さん!」
「お?春休みに智也がバイトに入ることがわかって狂喜乱舞したやつは誰だったかな?」
「あ、あぅぅ…」
健三はしてやったりの顔だった。
正子は痛いところを突かれ、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「どうだ?遠慮は要らんぞ?」
「そうっすね…」
智也はちょっと考える。
これまでにバイトが遅くなった時は、同じくご相伴に預かったことがあるので、自分の姉妹には悪いが、智也個人としては断る理由があまりなかった。
なにより、つぶらな瞳で自分を見つめる正子は、強烈な可愛さで、断りにくかった。
「じゃあ…」
お願いします、と智也が言おうとした時、コンコンコン、と控えめにシャッターを叩く音が聞こえた。
「誰だ?もう閉まってるのに…」
ぶつぶつ言いながらも、健三がシャッターを開けに行く。
そのちょっとした時間に、正子は智也に聞きたいことがあった。
「あの、先輩っ」
「ん、どした?」
智也は正子にニッコリ笑いかけながら、頭を優しく撫でる。
智也は正子を、もう1人の妹のように接してきたので、自然と優しくしてしまう。
「ぁ…ちょっと聞きたいことがあるんです」
「いいよ」
「えっと、なっちゃんと花ちゃんのことなんです」
「優菜と優花のこと?」
顔が真っ赤な正子の言葉に、智也は首を傾げる。
「はい。なんか2人とも、すごくテンションが高くて嬉しそうだったんです。時折り唇に指当てて、時々上の空になったりもしてましたから。先輩が卒業して、ずっと寂しそうな雰囲気だったのが印象的だったので、逆に気になっちゃって。美佳ちゃんにも聞いてみたんですけど知らないみたいだったから…何かあったんですか?」
「あ…それはだな…」
正子の分析は的確だった。
正子と同じく、優菜は選手、優花はマネージャーとしてテニス部に所属している為、お互いがお互い非常に仲が良い。
その為、正子は2人のささいな変化に気付いたのだった。
とはいえ、智也の口から2人の機嫌が良い理由を言うことはとても出来ない相談だった。
「…先輩?」
「お、おう。それはだな…」
「お〜い智也!」
とそこへ、店の前から健三の呼ぶ声がした。
「(ナ、ナイスタイミング!)あ、は〜い!正ちゃん、また後でな!」
「あっ、先輩っ」
智也は、ひとまず正子の追及から逃れることに成功した。
念のため、バッグも持って店前まで行く。
と、そこには智也の見慣れた人物が2人。
「…優菜と優花、なんでここに?」
「あっ、お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん…」
「っ!(おい、人前ではやめれと言っただろっ)」
智也が出てくるや否や、2人は花のような笑顔を浮かべると同時に抱きつこうとしたが、智也の強烈な視線が効いたのか、何とか自重した。
「どうしてここに?」
「いつもより帰りが遅いから、迎えに来たんだとさ。お前、優菜ちゃんと優花ちゃんにバイト行くこと、言ってなかっただろ?」
「うっ、そういえば…」
「…智也、お前なぁ…」
健三は呆れて言葉が続かない。
というのも、優菜と優花は、双子の美人姉妹ということもあり、繁華街に行くと必ずと言っていいほどナンパされるからだ。
従って、姉妹が単独(もしくは2人で)駅前に出る時は、『ナンパ除け』を名目に、堂々と智也が連れ添うのが通例だった。
重度のブラコン姉妹(本人達に自覚有り)は、智也と大手を振ってデート?出来るようになったのが嬉しいし、同じく重度のシスコン智也(本人に自覚無し)としても別段不満は無かった。
「優菜、優花大丈夫だったか?」
智也が2人の頭を撫でながら聞く。
「うん、大丈夫だったよ」
「ちょっと怖かったけど…」
「そっか。悪かったな」
笑顔を崩さない2人の様子に、智也はほっとする。
「じゃあ智也、さっさと帰って妹孝行しろ。どうせご飯も用意してもらってるんだろ?」
「そうだよお兄ちゃん、早く帰ろ?」
「(コクコク)」
健三の声に励まされ、姉妹は智也の袖をくい、と引っ張る。
2人は制服姿のままなので、恐らく学校から帰ったそのままの格好で、智也の帰宅を待っていたのだろう。
「じゃあおっちゃん、そういうことだから今日は帰りますんで」
「ああ。(正子にはうまいこと言っておくわ)」
「…(恩に着ます)」
最後に男同士の会話?をして、安達兄弟は去っていった。
改めてシャッターを閉めていると案の定、健三に愛娘から声が掛かった。
「お父さん、先輩は?」
「ああ、智也は帰ったぞ」
「ええっ、なんでぇ?」
「もう遅い時間だからな。早く家に帰りたかったみたいだから、俺が帰らせたんだ。メシに誘ったのも、ちょっと強引だったしな」
「…ふ〜ん、わかった(やっぱり先輩、なっちゃん達と何かあったんだ…)。まぁしょうがないか」
「今度、計画だてて誘うことにしよう。ということで、うちもメシにしようじゃないか(ふっ、我ながらナイスフォローだった…)」
「うん」
健三にしてはうまいフォローだった。
ただ、健三のフォローはある意味、正子の疑念を助長することにもつながった。
正子は明日、安達家の美人姉妹に直接聞いてみようと決意し、取り急ぎ夕食をとることにした。
夜、安達家では恒例のゲーム大会が開かれていた。
「よし、これで10都市目の独占だな」
「あ〜、ずるいよお兄ちゃんっ」
「本気出しちゃダメだよ…」
「ふっ、まだまだ修行が足りんな。しかも、お前達の悲劇はまだ始まったばかりだぞ」
智也は自分の両隣に、高らかに宣言する。
智也達が現在しているゲームは、日本全国を鉄道で旅し、物件を買って資産を増やしていくボートゲームの最新版である。
もともと智也はゲームに興味が無いが、姉妹が『お兄ちゃんと一緒にゲームをしたい』と駄々をこねたので、仕方なしに買ってきたものだった。
智也も今ではすっかりはまってしまい、3人で毎日のようにプレイするようになっていた。
「むぅ。こうなったら優花、協力してお兄ちゃんを倒すわよっ」
「うん」
不穏な空気を纏い出した姉妹に、智也は冷静に対処する。
「待て待てお前ら。このゲームは確かに複数人数がプレイ出来るのが魅力だが、協力プレイはゲームバランスを崩す行為だと色んなところから批判があってだな…」
「えいっ」
「…えい」
「お前ら〜!せめて全部しゃべらせろ〜!」
容赦ない姉妹の協力攻撃に晒され、あっという間に智也は最下位に転落してしまう。
やはり、複数人数に攻撃されると智也の腕では挽回出来なかった。
その後もそれなりに盛りあがった後、きりのいいところで終了した。
コンコンコン
自分の部屋に戻った智也に、小さなノックの音が聞こえた。
「開いてるぞ」
そっとドアを開いたのは、優花だった。
「お兄ちゃん…おじゃまだった?」
「いや、もう終わるから」
昨日もおんなじようなやり取りしたなあと思いつつ、智也はダンベルを上下させる。
優花は例のごとくパジャマ姿であった。
「優菜は?」
「お姉ちゃんはさっき見に行ったけど、ぐっすり寝てたよ。お兄ちゃんのペースは、流石にきつかったみたい」
優花は少し逡巡した後、智也のベッドに入り、枕をぎゅう、と抱き締める。
智也も優花が何しにきたのか知っていたから、とやかくは言わなかった。
「あいつも真面目だからな。ついつい頑張り過ぎてしまう時があるんだ」
「そうだね」
揃って苦笑する。
今日は練習も無かったので、ゲームの後に外に走りに出かけようと思ったところ、優菜が一緒に行くと言って駄々をこねた。
しょうがないので一緒に連れて行ったが、トレーニングには容赦が無い智也の為、帰宅した際優菜はバテバテだった。
ただ、この情景は中学時代よりしばしば起こっているので、それ程心配はしていない。
「勿論、優花もだからな。むしろお前の性格を考えると、俺はお前のほうが心配だ。意外と顔に出るタイプだしな」
「そ、そんなことないよ。わたしは大丈夫だよ」
「ほほぅ、果たしてそうかなぁ?」
智也はダンベルを置き、ベッドの中にもそもそと入る。
「今日、とある筋から聞いたんだが…」
「う、うん…」
「…衆人環視の状況で、唇押さえて上の空はマズイだろ」
「あうっ」
優花は瞬時に顔が真っ赤にする。
智也は、その隙に優花から枕を取り戻そうと、優花をくすぐる。
「うりうり、どうなんだ?」
「や、やあん」
優花も、イヤイヤするものの嬉しそうだ。
そんなこんなで、じゃれ合いを楽しむ2人であった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
しばらくして、ベッドの中で優花が話しかけた。
「学校、楽しそう?」
「そうだな、授業が始まってないから分からんが、今のところは特に問題無いな。部活もこれからだろうし」
袖をきゅ、と握ってきた優花の髪を優しく撫でる。
「そっか…」
「…ああ」
優花は智也に擦り寄り、されるがままになっている。
智也はそんな優花に、敢えてなにも問い返さなかった。
「お兄ちゃん…」
「ん?」
「わたし、頑張るから…」
「…優花?」
「頑張るから…捨てないで…」
しばらくの間、智也の胸に顔をくっつけた優花が、か細い声を出す。
「…心配性だなお前は。大方、ふと気がつくと、俺が高校に行ってしまっていて、離れ離れになったみたいに感じて不安になった。と、そんなところか?」
「う、うん…」
よくわかったねと感心顔の、優花の髪を撫でつつ、智也は続ける。
「まあ、伊達にお前の兄貴面してないってことだ。それにな優花、約束しただろ?」
「うん…『わたしたちが必要としなくなるまで、一緒にいる』って、言ってくれた」
「ああ。だから、心配するな。学校でも何かあったら、すぐに言うんだぞ?」
「うん。ごめんね」
優花を安心させて、明かりを消す。
しばらくして優花は寝息を立てだしたが、智也はなかなか寝付けなかった。
「…」
優花の寝顔を眺めつつ、智也は考える。
おそらく今日、バイト先まで自分を迎えに行こうと言い出したのも、優花のほうだろう。
智也の想像以上に、優花と優菜は精神的に不安定な状況なのかもしれない。
「もっとしっかりしないとな…」
1人決意しつつ、智也も眠りについた。 |