第11話〜4月10日〜
まだ朝も始まったばかりの早い時間帯。
ピンポーン
制服姿で準備万端の智也は、鈴木家のインターホンを引き締まった顔で押した。
はーい、とすぐに中から返事が返ってくる。
ガチャ
「あら智也くん」
「おはようございます」
玄関のドアから顔を出したのは、由美子だった。
「おはよう。今日は随分早いのね」
「まあ、昨日の件もありましたので…」
「いいわよ。昨日のことはもう済んだことだし。うちの人も気にしてないから」
「は、はい…」
なんともないとはいわれても、由美子の貼りついたような笑顔が、智也には薄ら寒く感じた。
「美沙を迎えに来たのよね?」
「はい。ちょっとというか、かなり早いんですけど」
玄関の時計の時刻が間違いでなければ、確かにかなり早い時間帯だった。
今、家を出発したところで、学校にいる生徒は皆無だろう。
「実はねあの子ったら、今日はまだ寝てるみたいなのよ」
「そうなんですか?」
無言で由美子は頷いて、2階の美沙の部屋を見上げる。
「いつもだったらもう下には降りてきてて、智也くんが来るのを待ってるんだけどね」
「ほ、ほんとですか?」
「ええ」
さも当然のように言う由美子を尻目に、智也の顔に嫌な汗が流れる。
「いくらなんでも早すぎですって…」
「うふふ、あの子がソファに座って、ぼうっとしてる様子、智也くんにも見せてあげたいわ。あの子ったら、わたしが何を言っても生返事なのよ」
「は、はあ」
玄関先だが、調子の出てきた由美子は止まらない。
「きっと、ああいうのを『一日千秋の想いで待つ』っていうのよね〜」
「そ、そうですか…」
こうして、知らないところで娘のプライバシーは、智也に伝わることになった。
それからしばらくして由美子は我に返り、一旦智也をリビングへと通した。
その流れで、智也は3人掛けのソファに座る。
「ちょっと様子を見てくるわね」
智也にコーヒーを渡した後、由美子は2階の美沙の様子を見にいった。
何をするでもなく、智也が点けっぱなしのテレビを見ていると、程なくして由美子が降りてきた。
「もうすぐ降りてくるって言ってたわよ」
「あ、そうですか」
「ごめんね。なんだか迷惑掛けちゃって」
「いえ、全然大丈夫です」
ほっと一息ついて、智也はコーヒーを啜る。
とりあえず登校拒否といった、最悪の出来事は回避できたようだった。
「美佳ちゃんはどうしたんですか?」
「美佳はもう出ちゃったわよ。ちょっと前に優菜ちゃんたちが家に来て、一緒に行っちゃったわ」
エプロンを外して、由美子はコーヒーカップに自分の分を注ぐ。
「あっ、そういえばあいつらも早かったな」
「夕陽丘テニス部の朝練の早さは有名だものね」
「そうですね。朝早い分、遅刻はしないし授業は集中出来るし、放課後の練習は短くて済むし、一石二鳥の伝統だなと個人的には思ってます」
バリバリの優等生発言をする智也。
夕陽丘中学のテニス部は、智也たちの代から朝練を重視することにした為、部員の登校時間は非常に早かった。
智也の言うとおり、確かに遅刻はしないし、放課後の練習は短くなって、特に女子部員が夜遅く帰るような事態も起きないということで、父兄からは非常に評価が高かった。
「でも、美佳は毎日のようにぶ〜ぶ〜言ってるわよ。『智兄のせいで寝不足で、授業中に居眠りしちゃう』って」
「いや、そうは言ってもですね…」
智也の脳裏に、自分を『智兄』と呼ぶ美佳の姿が浮かぶ。
美佳の容姿は、美沙と姉妹なだけあって、かなり整った顔立ちをしている。
母と姉を見る限り、美佳の成長も楽しみだった。
「それに、優菜ちゃんたちも同意見らしいわよ」
「えっ、あいつらもですか?」
由美子の発言にも驚いたが、いつの間にか、当然のように隣に座っていた由美子に対しても、智也は驚く。
「ええ。さすがに理由までは分からなかったけどね」
「…」
トントントン
智也は腕組みをして、妹たちが朝練に反対している理由を考えていると、階段をトントンと降りてくる音が聞こえてきた。
「起きてきたみたいね」
美沙が降りてきたのが分かるや否や、由美子は智也に抱き付いた。
「あ、そうみたいですね…って!?」
「んふふ」
「ちょ、ゆ、由美子さんっ、ダメですって!」
胸元に顔を寄せる由美子の吐息が妙にくすぐったくて、智也は思わず大きい声を出してしまう。
ガチャ
「おはよ〜お母さん、というか何朝から騒いでるの…って、とと智也!?」
「お、おおう美沙。おはようさん」
顔を引き攣らせたまま、智也は右手をしゅたっと挙げる。
だが美沙の視線は既に、智也の膝元に向けられていた。
「な、な、何でお母さんが智也に膝枕されてるのよっ!」
「な、なんでだろな…」
智也にも理由はよく分からないが、抱きついた後、膝枕に素早く移行した当の本人だけは、非常に満足そうだった。
「ふう、満足満足」
「満足満足じゃないでしょっ!」
沸騰するわが子に今気付いたかのように、由美子はニッコリと微笑んだ。
「あら、美沙じゃない。今日は遅かったのね」
「えっ」
「そうね…いつもより30分遅いお目覚めってとこかしら。朝は強い美沙にしては珍しいけど、昨日は眠れなかったの?」
「え、えっと」
「それとも、何か起きづらい事でもあったのかしら?」
「あうぅ…」
勝ち誇ったような顔の由美子に対して、美沙はちら、と智也に視線を送ったきり、真っ赤になって俯いてしまった。
そんなやり取りを見て、智也は美沙に助け舟を出す。
「美沙。そこらへんの話は後にして、朝食でも食べたらどうだ?」
「あっ、そうね…」
リビング横のテーブルには、由美子作の朝食が1食分、しっかり用意されていた。
「じゃあ、もう少し待っててくれる?急いで食べるから」
「別に急がなくてもいいからしっかり食べろって。せっかく由美子さんが作ってくれたんだからな」
「…うん、ありがと…」
美沙は小さくお礼を言うと、早速牛乳を電子レンジで暖め直しにかかった。
そんな美沙の姿を、自然と目で追う智也。
その視線は、とても優しいものだった。
朝の暖かいひとコマに、由美子はとても満足そうに目を閉じる。
「やっぱり鈴木智也じゃだめかしら」
「…とりあえず膝から退いて下さい」
「ええ〜っ」
「ええ〜っじゃないですっ!」
…今日も朝からお騒がせな、智也の新しい1週間が幕を開けようとしていた。
第11話〜4月10日〜
とある授業の休み時間。
「なあ智也」
「…なんだ?」
「明日のことなんだけどな」
「お、おう…」
束の間の休息時間にも関わらず、智也は大樹から質問攻めを食らっていた。
「とりあえず部活が終わったら、校門前に集合ってことでいいか?」
「お、おう」
半ば強要されるように、頷く智也。
先日の大樹のボウリング企画は、明日の部活終わりに決行することになっていた。
参加メンバーは現在、大樹と智也、それに居なくては始まらない千尋の3人。
割引チケット自体は5人まで適用出来る為に、追加メンバーは要検討中である。
そんな中、千尋は快く参加してくれることになった。
当初は大樹と合同であることを知り、一旦は断った千尋だったが、どんな形であれ智也と過ごすことが出来ると考え直して、参加を了承したのが真相だった。
それを聞いた大樹は狂喜乱舞。
千尋が(形だけでも)参加してくれることになって、とりあえず体裁は保てて一安心の智也。
各自、様々な思惑を抱えて明日を待っている状況であった。
そんな中、大樹はびしっと智也を指差して念を押す。
「ちゃんと森井さん、連れてこいよ」
「休みじゃなかったらな」
机に身を乗り出すようにして確認してくる大樹に、智也はちょっとどころか、かなり引いていた。
「それにしても、よく森井さんもOKしてくれたよなあ。自分で言うのもなんだけど」
「…純粋に、ボウリングに興味が合ったんじゃないのか?」
「ま、それでも良いや。今回の目的は、俺のことを知ってもらって、親交を深めることだからな」
「…」
ウキウキ気分の大樹に対して、智也の表情は晴れない。
「ん、どした?」
「いや、なんでもない」
次の授業に使う教科書をバッグから取り出しつつ、智也は大樹の視線から身を外した。
そこで、目ざとい大樹は気になるモノを発見する。
「おっと、こ・れ・はもしかして?」
大樹の視線を受けては、智也も答えずにはいられなかった。
「…携帯電話だよ」
「そうかそうか〜。やっと智也も現代人になったのか〜」
「おいおい、大げさだろ」
「いやいや、俺にとってはそれくらいのサプライズだったってことだ。なんせ、あの智也が携帯を持ってるんだからな」
やけに嬉しそうな大樹に、智也も苦笑する。
「早速、番号教えてくれ」
「ちょっと待てよ…」
智也は、カバンから携帯を取り出して、折りたたみ式の携帯電話の電源を入れる。
晴海高校では、携帯電話の持込OKだが、授業中の操作は禁止で、必ず電源をオフにしておかなければいけない規則になっていた。
生徒としては、退屈な授業中に携帯電話をいじれないわけだが、逆に考えるとそれ以外では比較的自由に使用できるわけなので、校則自体は概ね、好意的に受け止められていた。
「…よし、俺のアドレスはな」
「ちょっと待った」
びっと手を突き出して、大樹は智也の発言をさえぎった。
「なんだ?」
「智也、赤外線通信って知ってるか?赤外線を使えば、アドレスとかの手入力が要らなくて済むんだよ」
大樹は自分の携帯画面をいじりつつ、智也に言う。
「…ああ、確か優菜たちがそんなこと言ってたな」
お互いの機種を確認してみたところ、どちらも赤外線通信機能がついているようだった。
早速、使用してみることにする。
「どうだ?」
「…ちょっと待て」
「早くしろよ〜」
催促はするが、決して急かしている風ではない。
大樹は、慣れない携帯電話相手に格闘する親友の姿がやけに新鮮で、知らず頬が緩んでいた。
そんな大樹の視線にちょっと眉間をひくつかせながらも、マイ携帯をいじる智也。
何しろ、まだ購入して僅かの時間しか経ってないので、慣れていないのは仕方が無い。
そんな中、やっと目的の機能を探し当てる。
「…おっ、この機能だな…よし、これで多分送信出来るだろ」
宝物を発見したように、ちょっと嬉しそうな智也。
大樹も自分の端末をつき合わせて、赤外線通信を開始する。
待つこと数秒。
特に問題も無く、智也のデータは送信が完了した。
「じゃあ、あとで智也宛にメール、送っとくわ」
「そうしてくれ」
「登録の仕方は知ってるのか?」
「…バカにし過ぎだろ」
「はは、すまんすまん」
休み時間も終了間際ということで、大樹はゆっくりと立ち上がる。
次の授業は、クラス担任である志穂の授業ということもあって、大半の生徒が席に着き、教科書を眺めている。
「大樹。そんなにゆっくりしてて良いのか?」
「ん、なんでだ?」
「いや、次は小テストだぞ」
志穂の歴史の授業では、最初の5分間にミニテストを実施する。
問題自体は全部で10問。
次の授業で習う範囲をしっかり読んでさえいれば解けるので、そこまで焦る必要は無いのだが、いかんせん、視線の先にはバカ1人。
新入生の緊張が溶け出した2週目だからこそ、大樹の暢気な様子がさすがに心配だった。
「あ〜、次は小テストか。全然やってないわ」
「良いのか?中間・期末テストに比べて、小テストの結果も重視するっていってたぞ」
「そ、そうなのか?」
「ああ。ここだけの話だけどな」
たかが小テストだと思い、タカを括っていた大樹には、寝耳に水の発言だった。
智也は個人的に志穂から、小テストの結果を非常に重視することを聞いていたので、大樹に教えたのだった。
勿論、他の生徒にはまだ浸透していない事項である。
「それにだな」
「お、おう」
チャイムが鳴り、扉のガラス越しに、志穂のシルエットが目に付く。
ざわついていた教室が徐々に静かになりゆく中、智也はとどめの一撃を放った。
「千尋は成績優秀だぞ。小テストの結果だって、バカにできたもんじゃないだろ」
「うっ、そうだった…」
頭を抱えて、途端に焦り出す大樹。
「ちょっとでもいいから、勉強しろって」
「わ、分かった」
慌てて自分の席に戻っていく大樹。
戻る途中、智也の前の席に座っている隆史にぶつかったが、目で謝るだけで立ち止まることはなかった。
教科書相手に格闘する親友の姿を、さっきとは逆に見守りつつ、智也は携帯電話の電源を落とそうと、液晶画面を見やる。
すると、そこには『新着メール 5件』というお知らせメッセージが表示されていた。
「…」
志穂はテストのプリントを配布しているところだったので、素早くメールボックスを開き、送り主を確認する。
「…部活のメーリスに遥さん、優菜と優花からか」
さすがにテストが始まるので、とりあえず件名だけを確認する。
特に緊急を要するものは無さそうだったが、1つだけ智也には引っかかる件名があった。
「お〜い、智也」
「お、サンキュ」
智也は、隆史からプリントを貰い、急いで電源をオフにする。
全員行き渡ったところで、早速志穂からテスト開始の合図が掛かった。
答えをさらさらと埋めつつ、智也は先ほどのメールの件名を思い出すかのように、小さく呟いた。
「…授業参観ならびに進路相談、か」
あと1分ね、と志穂の声が聞こえてくる中、全て解答を埋めたプリントを裏にして、智也は窓の外を眺める。
今日もなかなか良い天気で、春の陽射しが少しばかり眩しかった。
「はい、終了して〜。後ろの人は前の人にプリントを送ってちょうだい」
「要相談、だな」
「ん、なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
隆史にプリントを渡し、智也は再度グラウンドに目を戻す。
「あ、あと浜田君」
集めたプリントをトントンしていた志穂が、思い出したように大樹を見る。
「な、なんでしょうか」
別に立てとは言われていないが、起立する大樹。
「小テストで鉛筆転がしは止めようね」
「うっ」
志穂に指摘され、大樹は一瞬で顔が真っ赤になる。
周囲からの笑い声が耳に入ってくる中、智也は小さくため息をついた。
「というか、穴埋め問題だったから鉛筆を転がすところは無かったよね?」
「せ、先生、その辺で勘弁してください…」
…次回からはちゃんと予習してこようと、固く決意する大樹だった。
次の授業の休み時間。
智也が先ほどのメールに返信をしている時。
教室の入口近くに座っているあゆみが席までやってきたのに気が付いた。
「安達君、お客さんが来てるよ」
「お客さん?」
あゆみの視線の先には、扉の前で小さく手を振る明日香と、夏子がいた。
教室の中には入ってきてはいないが、何せ2人とも人目を惹く容姿の持ち主である為に、クラスの中ではちょっとしたざわめきが起こっている。
智也は小さくため息をついた。
「ちなみに美沙は居ないから、気にしなくて大丈夫よ」
「…わざわざの助言、感謝します」
おばちゃんみたいな雰囲気のあゆみはおいといて、智也は2人の前までいく。
2人とも、うっすら微笑んで出迎えてくれた。
「ごめんね安達君。いきなり呼び出しちゃって」
「いいですよ。特に何かしてたわけでもないですから」
教室横のちょっとしたスペースに移動して、夏子は早速用件を切り出す。
「で、早速なんだけど安達君。携帯、持つことにしたんだってね」
「あ、そうなんです」
ポケットから、真新しい携帯電話を取り出し、2人に見せる。
「おお〜、なるほどなるほど」
夏子は智也の携帯を手にとって、しげしげと眺める。
「番号とアドレス、聞いても大丈夫?」
「いいですよ」
一旦携帯電話を返してもらい、先ほどと同じく赤外線通信を利用する。
1通り登録が済んだところで、夏子は後ろに控えている明日香に振り返った。
「ほら明日香。何か言いたいことがあったんじゃないの?」
「…むぅ」
明日香は不機嫌そうに黙ったきりで、夏子の返事に答えなかった。
「んもう、変なところで拗ねるんだから」
ちょっとため息をついて、夏子は智也に振り返った。
「安達君、今度は明日香の話も聞いてあげてくれない?」
「あ、はい」
「明日香、もういいでしょ。わたしが悪かったから」
「…夏子のバカ」
「ごめんごめん」
話を振っておいて、夏子は明日香に謝ることしきりだった。
智也は、そこらへんの事情はよく分かっていないが、このままでは話が進まないので声を掛けることにする。
「明日香先輩、何か用があったんですよね?」
「あっ、うん」
智也に水を向けられて、明日香はやっと我に返る。
「なんです?」
「え、えっとね…」
明日香はちょっと頬を染めて、周りの目を気にする。
周囲では、3人の様子を伺う野次馬達が、遠巻きに様子を見守っていた。
要件をなかなか言い出さない明日香に業を煮やして、夏子が横から口を挟んだ。
「明日香がね、今週木曜日の練習終わりに時間があるかって」
「木曜ですか?」
「な、夏子っ」
顔を真っ赤にして抗議する明日香を軽くあしらって、夏子は続ける。
「ほら、今週の土曜は一高との対抗戦があるじゃない。だから駅前にでも行って、一緒にガットとか物色しないかな〜と思ってね」
「なるほど」
一高との対抗戦は、男女ともに晴海高校のコートで開催する運びとなっている。
一高の女子は、男子ほどの強豪ではないが、県内でも有数の実力を持っていることは変わりが無かった。
「そうですね…今のところ予定はないですし、大丈夫ですよ」
「ほんと?」
「はい。俺も試合に出る予定なんで、ラケットとか買いに行こうかなと」
「えっ、智くん。ラケット買うの?」
びっくりしたように会話をさえぎって、明日香が割り込んできた。
「そうですね…色々ありまして」
智也は苦笑する。
先週、彩音にラケットを譲ったので、現状手元にあるラケットは2本。
その内の1本は、かなり使い込んでいる為に、そろそろ新しいものを購入しても良い時期かなと思っていた。
ちなみに、千尋に貸しているマイラケットが返却されるかどうかが、かなり悲観的であることも、ラケット購入に踏み切る大きい後押しとなっていた。
勿論、そこらへんの事情を明日香たちは知っていない。
「そ、そうなんだ…」
かなりがっかりしている明日香。
明日香は智也と同じモデルのラケットを使用しているために、しばしばお互いのラケットを貸し借りしたことがある。
智也がラケットを購入してしまうと、そういうささやかなやりとりが無くなってしまうので、少し寂しかった。
「一応、目をつけてるラケットはあるんですけど、感触的に合わなさそうだったら止めておこうかなと思ってます」
「そうなの?」
「はい。幸い、同じラケットを使ってる人も近くにいるんで、最悪試合の当日だけでも借りることでもいいかなと」
智也の頭には、同じラケットを使用している人がピックアップされている。
先輩後輩含めれば、明日香、美沙、美佳、それに妹の優菜である。
勿論1番借り易いのは優菜だが、優菜のラケットは同じモデルでも重量が少し軽いので、厳密に言えば全く同じものを所持している人はいない。
「じゃ、じゃあわたしの…」
「それじゃあ安達君、どっちにしても木曜は一緒に行くことでいい?」
「そうですね、別に構わないですよ」
「オッケー。詳細はまた今度、連絡するからね」
そう言って、夏子は急かすように明日香の袖を引っ張った。
「ちょ、ちょっと夏子ぉ」
「じゃあね、安達君」
「お疲れです」
最後はコマのように機敏な動きで、2人の先輩は去って行った。
周囲に出来ていた輪も自然消滅し、智也も教室内に戻ろうとしたその時。
「智也」
「お、おう美沙か」
いつの間にか、隣には美沙がいた。
美沙は教師に呼ばれていたようで、両手に授業で使用するプリントを抱えている。
「い、いつからそこに?」
「廊下が騒がしかったけど、何かしたの?」
智也の問いを完全に無視して、美沙は首を傾げる。
「…何かしたって…まるで俺が渦中の人物みたいな言い方だな」
「それは日頃の行いが良い人の言い分。どうせ当たってるんでしょ」
「うっ…参りました」
言葉に詰まり、智也は美沙の持っているプリントを半分受け持つ。
「そうだ、智也」
素直に負けを認めた智也に満足したのか、美沙は笑って智也に言う。
「ん?」
「今日の部活終わり、わたしも携帯買いに行くから」
「結局見てたのかよ…」
美沙は笑顔だったが、目が笑っていなかった。
呆然とする智也を置いて、美沙は教室内へ入っていく。
頭上では、始業を告げるチャイムが鳴り出した中。
智也は大きくため息をついた。
「部活では仲良いんだけどな…」
美沙と明日香は、中学時代から智也絡みのことでは何度も水面下で衝突していた。
その事実は智也も周知のことである。
これからの高校生活、何度となく2人がぶつかる場面があるような気がする智也。
「…うむ、木曜日、俺はラケットを買いに行くだけだ。何も問題はない」
…既にちょっと現実逃避気味の智也だった。
「ちょっと夏子。さっきのはいくらなんでも酷いよっ」
自分達の教室に戻る途中。
明日香はちょっぴり涙目で夏子に食いついた。
先ほどの智也との会話が、満足に出来なかったことが相当悔しいらしい。
「あはは、ごめんごめん。わたしも安達君と話したかったから、つい、ね」
「今日はわたしから誘おうと思ってたのに…」
明日香は、ガットを買いに行くことをネタにして、智也を駅前にお誘いしようと意気込んでいた。
だが、会話の初っ端から夏子に会話をジャマされて、最後まで満足のいく会話が出来なかった。
「まあまあ、いいじゃない。結果から見ればちゃんと誘えたんだし。結果オーライだって」
「むぅ、そうだけど…」
結果は良かったが、そうは言っても自分の口から誘いたかった。
そんな乙女心満載の明日香だった。
「それにね、あれ以上会話を伸ばしてたらまずいことになってたんだって」
「えっ」
さっきの場面を思い返す明日香。
確かに、最後は夏子が強引に会話を打ち切ってはいたが、それは次の授業に間に合わす為だと思っていたので、特に変だとは思っていなかった。
明日香を先に通し、教室の扉を後ろ手に閉めつつ、夏子は続ける。
「最後の会話のほうで、鈴木さんの存在に気が付いたのよ」
「えっ、美沙がいたの?」
無言で夏子は頷く。
「別に、わたしたちは何もやましいことはしてないんだけど。ちょっと目が合った時の鈴木さん、親の仇を見るような目をしてたからね。さすがにびっくりして話も打ち切っちゃったわよ」
「そうだったんだ…」
明日香は、美沙とは決して仲は悪くない。
悪くは無いのだが、智也絡みの問題だけは、お互い譲ることは出来ない事だった。
「ほらほら、もう授業始まるわよ」
「あっ、うん」
夏子に促されて、明日香も自分の席へと戻る。
(まあ、まずは一歩前進よね)
明日香は自分にファイト、と言い聞かせ、ひとまず授業に集中することにした。
放課後。
夕陽丘中学女子テニス部の部室では、部員と顧問が集まってのオーダー会議が開かれていた。
「じゃあ、正子は恵子を出したほうがいいと思うのよね?」
女子テニス部の顧問は、篠原かえで。
人目につく容姿と20代という年齢もあって、面倒見の良いお姉さん的な立場で生徒から圧倒的な人気を集めている教師である。
「はい。恵子も、ここにきてダブルスの力も上がってきてると思うので、美佳と組ませて問題ないかと思います」
「なるほどね。優菜はどう?」
「わたしも、基本的には正子の意見に賛成です。まあ、あえて注文を出すとすれば、恵子をダブルスで出場させるなら、シングルの順番を考慮したほうがいいかなと思うくらいです」
「美佳は?」
「そうですね…。わたし自身は異存ないんですけど、シングルスになったときの恵子のスタミナが心配です。恵子、体力無いので」
「そこなのよねえ…あの子、確かに上手いんだけど。この頃はちゃんと走りこみもしてるって聞いてるんだけど…」
首脳陣から1通りオーダーを聞いて、かえでは頭を悩ませる。
今週末、夕陽丘中学は春リーグ第1戦、県立西中学との試合を目前に控えていた。
リーグ自体は何試合もあり、しかも相手は格下でもあるのでそこまで深刻になる必要はないのだが、貴重な公式戦の舞台に、少しでも多くの選手を出場させたい気持ちが、予想以上にオーダー組みを難しくさせていた。
「はあ、悩ましいところね」
西中のオーダー予想表を眺めつつ、かえではソファに深く座りなおした。
「先生、やっぱり私達が出ましょうか?」
見かねて、正子と優菜が声を掛ける。
「正子と優菜はダメよ。あなた達が出たら、悩んでいる意味がないじゃない」
きっぱりと、かえではその申し出を断る。
正子と優菜は昨秋の新チーム結成後、チームの柱としてかなりの実績を積み、強豪相手にも競り負けない実力を備えつつあった。
それは、個人としては喜ばしいことだったのだが、しかし、ここで同時に困ったことがチーム内に起こっていた。
それは、チームとして2人に、頼りっきりになってしまっていることである。
特に中学の団体戦では、ダブルスを2本、シングルスを5本の計7本の試合を行い、4本勝利したチームが勝ちとなる。
昨秋以降、正子と優菜が出場した団体戦は殆ど勝利を収めていたが、その内実はというと、少なくとも2本が正子と優菜の勝利によるもので、その他の選手の勝利数が少なすぎるといわざるを得なかった。
「この前の3中との対抗戦でもそうだったけど、あなた達だけが勝ってもチームが負けたら全く意味が無いのよ。だから、今回はあなた達はサポートに回って、チームの勝利に貢献しなさい」
先月の3中との対抗戦では、ダブルスで正子・優菜ペアが1本と、シングルスで正子と優菜が1本ずつ勝利を収めたが、その他のメンバーは競り負けてしまい、トータルでは3−4の惜敗に終わっている。
「別に、あなた達に非があるわけじゃないのよ。分かってると思うけど、これから春のリーグが始まって、その後には夏の大会に秋のリーグ戦と、まだまだ先は長い。そこまで考えると、この時点であなた達が無理に出場して勝ちにいくことは、間違いじゃないけど決してベストの判断だとはいえないわ。分かるわよね?」
チームの柱となるべき選手には、メドがついた。
あとは第2、第3の主力選手を実践の中で育てていく。
かえでの発言は、チームを預かる身として当然の言葉だった。
「…分かりました。今回はサポートに回ります」
そう言って正子は、真剣な面持ちで優菜を見る。
優菜も、無言で正子に頷き返した。
主将として最上級生としてチームを見る立場にいる2人だけに、かえでの言葉はすんなり受け入れることが出来たようだった。
「分かってくれて、嬉しいわ」
何もがむしゃらにボールを追うだけでは、チームは成長しない。
こういう話し合いの機会を通して少しずつだが、個人もチームも、成長していくことが出来れば、最後には必ず良い結果が生まれるだろう。
だからこそ今回の初戦では、その2人を温存した上で何とか勝利を収めたいと、かえでは切に思っていた。
「じゃあ、今の話を前提にして、もう1度オーダーを考えてみましょうか」
はい、と全員が返事をして他校のオーダー予想表と自チームの戦力を総点検にかかる。
「まず、ダブルスだけど…」
全員が手元のプリントに目を落としたところで、部室に引いてある電話機が鳴り響いた。
「あ、わたしが出ます」
1番近くに座っていたマネージャーの優花が、電話機を取る。
2、3度のやり取りの後。
受話器の口を押さえつつ、優花はかえでに振り向いた。
「先生、お電話です」
「ありがとう。みんなはそのまま続けてて頂戴」
席を立ったかえでの意を受けて、正子がそのまま音頭を取る。
「じゃあ続けるわね。とりあえず現時点で単複ともに出るのが決まっているのが、美佳と恵子ね。まずは2人を何番で出すか、決めるほうが簡単じゃない?」
異存は無いようで、全員が頷く。
「一応、本人の希望も聞いとこっか。美佳、何番がいい?」
「そうですね。ダブルスは1でも2でも、どっちでもいいですけど…出来ればシングルスは1回くらい、1番で出てみたいですね」
正子と優菜が居るお陰で、美佳はシングルスは3番か4番あたりで出ることが多い。
だが、美佳は一番最後に試合を始めて、団体戦自体を自分の勝利で締めくくることの出来るシングルス1に、大いに憧れていた。
無論、それは美佳に限ったことではなく、選手としては一様に憧れている順位である。
「なるほど。みんなはどう?」
この場にいるのは、3年の全員と、2年で副将の美佳である。
全員から、特に反対意見は出なかった。
「じゃあ、ダブルス1は美佳と恵子ペア、シングルス1は美佳で、2は恵子で決まりね」
今の決定を受けて、優花はホワイトボードのオーダー表に『S1 鈴木美佳』、『S2 橋村恵子』と書き込む。
「後はこれ以降のメンバーだけど、ランキングでいくと江里子、めぐる、茜、真弓の番だけど…」
名前を列挙したときに、かえでが電話を終えて席に帰ってきたが、正子はそのまま話を続ける。
「めぐるは確か、ダブルスで対抗戦に出たことが無かったと思うんだけど、優花?」
優花は手元のノートをめくり、戦績を確認する。
「うん。記録にはないよ」
「そっか、じゃあ今回は相手もそれ程強くないだろうし、めぐるはダブルスにしよっか」
「そうね」
斉藤めぐるは現在ランキング6位。
2年生なので、この場にはいない。
「それじゃあ、ダブルス2はめぐると真弓ね」
「オッケー」
3年の千葉真弓が、威勢良く声を上げる。
めぐるとは個人戦等で頻繁にペアを組んでいるため、コミュニケーションは問題ない。
「あとはランキング順にシングルスを並べて決まりね」
ホワイトボードに、『S3 四条江里子』、『S4 飯田茜』『S5 千葉真弓』の文字が埋められる。
「先生、一応決まりましたけど」
「そうね、これで問題ないと思うわ」
最後にかえでから承認をもらい、オーダーが1通り決定した。
途端、張り詰めていた空気が一気に弛緩する。
「はあ、やっと決まった〜」
「そうね、こんなに悩むものだとは思わなかったわ」
「いつもは正子と優花に任せっきりだからね〜」
「あ、あんたたちは…」
江里子・茜・真弓のお気楽3年生トリオに、正子はこめかみをひくつかせる。
正子はもの凄くマジメな生徒で、皆を引っ張っていく力も持っているのだが、いかんせん1度暴走するとなかなか収まらない性格の持ち主だった。
「まあまあ正子、落ち着きなさいって」
それを知っている優菜が、ぽん、と肩を叩いて正子を宥めにかかる。
「なに言ってるのよ。優菜だってちゃんとオーダー考えなさいよ。いつもいつもわたしと優花に丸投げして〜」
「うっ」
「美佳だってそうよ。2年なんだけど副将なんだから、会議の場ではちゃんと発言しないとダメよ」
「は、はいっ…」
新チームになってはや半年。
最初は美沙や貴子、それに智也の助言もあってうまく回っていたのだが、智也たちが高校に行ってからは、なかなか正子の思うような部活運営は出来ていなった。
こうなると、正子を止められるのは目上の人しかいない。
「まあまあ正子。そこらへんのことは今後の検討課題ということで、ね?」
「ですけど…」
「じゃあこうしましょう。今度からのオーダー会議は、最上級生は強制参加ということで、どう?」
「ええっ!?」
周囲の喧騒をよそに、正子は一考する。
今日は大切な春リーグの初戦ということで、3年は全員参加でオーダー会議を開いたが、なかなかスムーズに進んだような気もする。
それに事前の根回しなど、細かい気配り等が要らなくなるので、それでも良いかなと正子は判断した。
「わかりました、そうします」
「ふふ、決まりね」
「そ、そんなあ…」
自らが蒔いた種とはいえ、江里子たちは肩を落とす。
オーダー会議は想像以上に大変だ。
これからの時期、毎週末には試合があるし、それに合わせて毎日のように個人の調子をチェックしていかなければならない。
いわば、部活の運営に直接携わる作業と言っても良い。
「まあ、いきなり正子たちと同じ仕事を頼むことはないから、少しずつ慣れて頂戴。というか、正子と優花はその作業をきっちりこなしてきてるんだから、あなた達にやれないはずは無いわよ」
「はい…」
「あ、そうそう、さっきの電話なんだけど」
渋々、といった感じの3人に苦笑して、かえでは話題を変える。
「安達家の王子様からだったわよ」
『えっ!』
そう言った瞬間、面白いように全員が固まった。
「お、お兄ちゃんからだったんですか?」
「ええ。わたし宛にね」
「ううぅ〜」
ちょっぴり嬉しそうに話すかえでに、優菜はものすごく悔しそうに唸る。
単なる電話であっても、自分以外の人が智也と電話しているのが気に入らないらしい。
「それで、用件は幾つかあったんだけど、あなた達に関係するのは1つね」
「な、なんですか?」
正子をはじめ、固唾をのんで見守る部員達におかしみを感じながら、かえではホワイトボードを指差した。
「あの子、今週日曜日に学校に来るわよ」
「ほ、ほんとですか?」
何とか返事した正子に、頷くかえで。
「まあ、ちょっとした用事があるから、ついでに部活にも顔出すって言ってたわよ。優菜と優花は知らなかったの?」
「は、はい」
「…初耳です」
まだビックリしていて生返事の優菜に対して、優花は早速携帯をいじっている。
ミーティングが終了次第、智也に事情を聞くつもりのようだった。
「ということだから、ちょっとでもいい加減な気持ちで部活に参加してる子がいたら、遠慮なくあの子に報告するから、頑張るように」
そう言ってかえでは周囲の反応を待ったが、誰からも答えが返ってこなかった。
「ま、正子。とりあえず解散しましょうか?」
「…わかりました」
正子が締めて、ミーティングは一旦お開きとなった。
かえではそそくさと席を立ち、部室のドアに手を掛けた。
「じゃ、じゃあわたしはコートで他の子の練習を見てるから。今日はフリー練だけど、疲れは明日に持ち越さないようにね」
「はい」
かえでは外に出て、ドアを閉める。
しばらくその場をうろうろした後、ゆっくりとドアに耳をくっつけてみた。
『やっぱりわたしも出るっ!』
『主将はダメですっ。わたしがシングル1で出て、智兄に熱いご褒美を…』
『正子っ、今から校内戦やるわよっ。それで勝ったほうがシングルス1で出るのよっ』
『わたしもその意見に賛成っ』
『そうしましょっ!』
『じょ、上等よ…智也先輩から受け継いだランキング1位の座、見事守りきって見せるわっ!』
『正確には、受け継いだのは美沙先輩からだけどね』
『うううるさいわねっ!』
案の定、中では激論が展開されていた。
「言わなければ良かったかしら…」
ハッパを掛けるつもりだったのだが、勢い余って爆発してしまった、そんな感じだった。
「ま、あれだけ元気だったら、試合も問題なさそうね」
しばらく騒ぎが続きそうな部室にため息をついて、かえではテニスコートへと向かっていった。
放課後の練習は、男子は周、女子は明日香が中心となって進行されていた。
3年生は本日、進路を決める個別面談日のため、練習には参加していない。
その中で、いつものように志穂との基礎練習を終えて一息ついている智也のもとへ、健一が声を掛けてきた。
「なあ智也」
居心地悪そうに、健一はコートの外を見回す。
「なんだ?」
「なんかギャラリーが多くないか?」
サッカーグラウンド横に隣接する形で作られた晴海高校のテニスコートは、全部で10面。
全面ハードコートの周囲をぐるっと覆うように、高いフェンスが設置されていて、屋根こそないものの十分な広さと設備を備えており、競技する選手にとっては中々好評の環境であった。
今、健一が指摘しているのは、そのコートの外、フェンスの向こう側に、かなりの数の生徒がこちらの様子を見物しているということである。
「気のせいだろ」
傍らに置いていたタオルで汗を拭きつつ、智也はさらっと受け流す。
気のせいではないのだが、気にしたら負けだと智也は思っている。
「え〜と…大体50人くらいか?男子と女子、比率は半々っていうところか」
「注目されてるのはしょうがないだろ。うちの部活は、レベルが高いことで有名らしいからな」
そこへ、信之と正俊が会話にまじってきた。
「レベルって、なんのことだ?」
智也が聞き返すと、その他の3人は思わず目を合わせ、揃ってため息をついた。
「な、なんだよその態度は」
「だから、カッコイイ男子や、カワイイ女子が多いってことだよ」
「あっ、おい」
健一の持っていたペットボトルを強奪して飲みつつ、今度は祐一郎が口を挟んできた。
「ふぅん…」
あまり気の無さそうな智也をスルーして、祐一郎は得意気に説明する。
腰に手を当てて講釈を垂れる様は一見様になっているが、汗だくの顔と必要以上に水分を摂る行動が示すとおり、本人はかなりイッパイイッパイである。
「男子は3年の岩尾先輩や近江先輩が、去年のミスター晴海コンテストの上位にランクされてたしな」
「へぇ…」
「ちなみに2年の先輩は?」
「…………聞くな」
5人は、周たち2年が集まっている風景をちらりと見る。
2年の男子は周と祐樹を中心に、木名瀬彰吾、関憲太郎、入江直希の5人で構成されており、非常に仲が良いことを智也たちは知っている。
5人ともそこそこ顔も良く、勿論運動も出来るので、それなりに人気が出そうなものなのだが、ただ、何かとお騒がせキャラな周と祐樹を中心に固まっているために、部活外からの評価は高くない。
結果として昨年の晴海コンテストには、2年からだれもエントリーされていなかった。
「ま、まてまて。ひょっとして俺らも、そういう評価なのか?」
「…いずれはな」
同じタイミングで、ため息をつく面々。
先輩達は決して嫌いではないのだが、学内からハレモノ扱いされるのは正直避けたかった。
「それで、女子の先輩方はどうなんだ?」
気を取り直して、1番聞きたかったことを信之が催促する。
「おう。女子は周知の通り、ヤバいことになっている。別名『晴海で美少女が見たいならテニス部に行け』と呼ばれているくらいだしな」
「おおっ」
智也以外の面々がどよめく。
男子がカワイイ女子の話題で盛り上がるのは、もはやお約束といっても過言ではない。
しかも智也たち5人はお互い中学時代の顔見知りということもあって、そこらへんの呼吸は息の合ったものだった。
「学園で1番有名なのは、去年コンテストで1年生ながら総合3位にランクした、渡部先輩だろうな。なんでも、1年生で3位以内に入賞した生徒は男女で初めてだったらしいからな」
この場にはいない3年生にかわって、女子の練習をまとめている明日香をそう評する祐一郎。
なるほど、と頷く面々。
口ではイヤイヤ言いつつも、そこらへんはやはり、周たちの後輩である。
ノリは既に、周たちの遺伝子を受け継いでいた。
「あとは『お嫁さんにしたいランキング』で上位だった樋村先輩とか、『姉さんにしたい人ランキング』2位の藤沢先輩とか、その他もろもろのジャンルで満遍なく、皆様ランクインなされている」
かなり興奮してきている祐一郎は、最後のほうは敬意を表してか敬語になりつつある。
「…そんなにジャンル分けされてるのか」
そこらへんの事情に疎い智也がポツリと呟くが、祐一郎にはまったく聞こえていない。
「だがしかし、そんなことではこんなにギャラリーは集まらない。今年、皆が注目しているのは、なんといってもテニス部の新入生の存在だ」
自分達の同期にあたるだけに、ごくっと唾を飲む面々。
「まずは…」
祐一郎は視線を女子のほうへ動かして、一同の注意を誘う。
「朝日に負けない輝く髪、言わずとしれた新入生代表、森井さんだ。森井さんのお祖父さんは、さるヨーロッパの系譜で、いわゆる隔世遺伝であの髪色になったらしい。ちなみに家族構成は父母姉の4人。お姉さんは現在、華瑛女学院の3年生だ」
どこから取り出してきたのか、手元のカンペをペラペラとめくる祐一郎。
「か、華瑛女学院て、あのお嬢様学校で有名な、あの?」
「うむ」
一同は驚きのあまり、言葉も出ない。
華瑛女学院は日本でも屈指の名門超お嬢さま学校で、巷では東大より合格が難しいとされてる超難関校である。
「でだ。森井さんも当初、高校は華瑛の受験を考えていたらしいんだが、直前になって晴海に一本化したらしい。理由は目下のところ調査中だ」
一同がしきりに頷いている中、智也は聞かずにはいられなかった。
「…祐一郎、なんでそんなに詳しいんだ?」
「あれ、智也には言ってなかったっけか」
内ポケットをごそごそ漁って、祐一郎は腕章のようなものを取り出し、智也に見せる。
そこには、『生徒会執行部』と刺繍で記載がされていた。
「ほら、うちの高校って基本的に部活の掛け持ちOKだろ。それで、主将に『生徒会、入るか?』って誘われたんだよ」
ちょっと嬉しそうに腕章をかざす祐一郎。
「ちなみに、俺は報道局に入ったぞ」
続けざま、正俊も腕章を取り出し、
「俺は風紀委員会な」
信之は小さいバッチを手のひらに乗せて見せた。
智也はあ然として一言、口から搾り出すことしか出来なかった。
「やり過ぎだ…」
『生徒主体の自治活動』が原則である晴海高校の生徒会は、当然のことながら権力が集中する組織であるが、一方で少数精鋭の組織でもある。
組織自体は、各学年数名からなる執行部がトップに立ち、その直下で各委員会が動くという形である。
そんな組織の特性上完全なトップダウン方式であるために、良識ある生徒達が指揮・運営している現在は、たいした問題は起こっていないものの、一歩運営を間違えれば危ない事態となる可能性もある。
そして、万一その事態が起こった時、責任を問われるのは主要ポストに就いていたメンバーである。
あまり考えたくはないが、信之たちが追求され、テニス部にそのお鉢が回ってくることは無いのだろうか。
そうなりかねない可能性を、先輩たちとこの3人は理解しているのだろうか。
智也は、一抹の不安を感じざるをえなかった。
どこまで話したっけ、と記憶を辿りつつ祐一郎が話そうとしたとき、周から集合の合図が聞こえてきた。
「お〜い1年、集合〜!」
「今行きま〜す!」
各自慌てて立ち上がり、集合場所へと駆けていく。
その道すがら、祐一郎は話を振った。
「どうする、まだ話は終わってないぞ?」
「ちょうど盛り上がってきたところだし、そうだな…いっそのこと、放課後にでも集まるか」
「おっ、いいねえ!」
「じゃあ、場所だな。学校からだったら、誰が1番家が近い?」
「健一、だな」
「さ、さすがに連日は勘弁してくれっ」
「何かあったのか?」
「…うう、聞かないでくれ」
あれよあれよという間に、話はとんとん拍子で進んでいく。
本業の勉学面とは大違いの対応の早さだった。
「1番近いのは、智也の家じゃないか?」
信之の言葉で皆、一斉に期待に満ちた目で智也に顔を向ける。
その動きがあまりにもピッタリだったので、智也は思わず苦笑する。
そして、
「メシが出るかは分からんぞ」
と言い、集団の先頭に立って走り始めた。
その答えを聞いて、自分の後ろで『途中にコンビニに寄ってメシを買っていくか』とか、『一応家に電話しておいたほうがいいかな』とか、『昨日作りすぎたカレーが大量に余ってるんだけど…』とか話している同期たちを尻目に、智也はしみじみ思った。
別に、自分は同期たちのノリが嫌いじゃないし、一緒にいて楽しいと感じている。
こういうことをやっているから、俺たちもハレモノ扱いされる道を進んでいくんだろうな、と。
ちなみにその後。
智也は気になっていたことがあったので、健一に聞いてみた。
「そういえば、健一だけ掛け持ちの部活、言ってなかったよな。掛け持ちしてないのか?」
「いや、入ってる」
「どこだ?」
「…これだよ」
少しの間を置いて、健一は左手に付けていたリストバンドを取る。
リストバンドのあった位置には、『祭』と油性マジックで大きく書かれていた。
「…今年の文化祭実行委員会…主将に強制的に…うう…」
「…今度、アイスでもおごってやるよ」
極太で、しかも何重にも塗られた力強い文字をそっと隠してあげて、とりあえず智也は見なかったことにした。
ちなみにちなみに。
「なあ祐一郎。確か今度の晴海祭で、次期生徒会の会長選挙もあるんだよな?」
「そうだな。コンテストと同時開催する予定だ」
「で、通年通りだったら会長は3年で1人。副会長は2人で、その内1人は1年が担当するんだよな?」
「ああ」
「…楽しみだな」
「…ああ」
そんな会話が密かに交わされていたことは、智也は知る由もなかった。
「今日、駅前行くんだよな?」
「うん。1回帰ってから美佳と一緒に行くつもりだけど」
「そうか」
部活が終了した直後。
男子の部活のほうが女子より少し早目に終了していたので、智也は先に制服に着替えてコートの脇で待機していた。
智也が待っていた人物は、美沙である。
「それがどうかした?」
美沙は、訝しげに智也を見る。
携帯電話に関する限り、根掘り葉掘りされると美沙の機嫌を損ねる事態しか起こらない。
世間話もそこそこに、智也は胸ポケットから1枚の紙を取り出して、美沙に手渡した。
「これ、俺の携帯電話の連絡先。とりあえず渡しとこうと思ってな」
「あ、ありがと…」
「美佳ちゃんも買うんだろ?だったら、美佳ちゃんにも伝えといてくれ」
「うん」
美沙は、智也から貰ったルーズリーフを大事そうにテニスバッグにしまいこんだ。
そこで、美沙ははたと気が付く。
「そういえば、今日は何か用事でもあるの?」
「ん?」
「ちょっと気になったの。なんだか、部活が終わってから動きが慌しかったから」
部活中ではあったが、うまいこと智也の動きを常に注視している美沙である。
少し早めに部活が終わり、同期と共に後片付けにかかっている智也の姿が、とても慌てているように見えた。
「ああ、今日は同期のやつらが家に来るんだよ」
「同期って…間淵君たちだっけ?」
「おう」
美沙たち女子の1年生は、男子の1年生とまだ接点があまり無いこともあり、まだまだ名前もうろ覚えである。
部活としては新入生歓迎会が来週、イベントとして予定されている。
「男子だけだよね?」
探るように、美沙は確認する。
もし、智也のいう同期のやつらの中に、自分以外の女子が含まれているようであれば、これからの予定をひっくり返す必要が出てくる。
「ああ」
「ふぅん。それでさっき、部活が終わって電話してたのね」
「…お前はどこまで観察してるんだよ」
美沙のいうとおり、智也は妹たちに電話していた。
内容は、『同期が来るから人数分の食事を作れないだろうか』ということである。
妹たちは当初難色を示していたが、『今日は一緒に添い寝をすること』を条件に、智也の提案を呑む。
ちなみにメニューはカレーの予定なので、一部の男子が抗議の声を挙げたが完全にスルーされたのは別の話。
「とりあえず、気をつけてな」
「うん。買ったら1度、連絡する」
「おう」
美沙は小さく手を振って、コートの外へと去って行った。
智也もその場を後にしようとテニスバッグを背負い直した時。
「智也くん」
くい、と袖を引っ張ってくる女子がいた。
「おう千尋か。どうしたんだ?」
智也が振り返った先には、トレーニングウェア姿の千尋と、彩音がいた。
先日と同じく、彩音はラケットを大事そうに抱えている。
「智也くんが携帯電話、買ったって聞いたから。連絡先を聞いておこうかなと思って」
「ああ、別に構わないぞ。彩音もか?」
「あ、はい」
智也は一旦テニスバッグを下ろし、中から筆記用具を取り出して自分の連絡先を書く。
「これが俺の連絡先」
「うん、ありがとう」
「ありがとうございます」
2人にそれぞれ1枚ずつ紙を渡した智也は、ちら、とコートに備え付けられた時計を確認する。
先発した健一たちには住所を伝えてあるためそれ程急ぐ必要は無かったが、そろそろ下校したかった。
「まだ何かあるか?無ければお暇したいんだが…」
「えっと、わたしは特にないんだけど。彩ちゃんは?」
千尋は近日、携帯電話を購入する予定だったので、とりあえずは智也から連絡先をゲットできて満足だった。
彩音は携帯電話を所持してはいるが、あまり使っていないがために、いつも家の自室に置いてけぼりの毎日を送っている。
それもこの日までで、明日からは対智也用として大いに役に立ちそうだが。
「あ、智也さん」
「ん?」
水を向けられた彩音は、思い切ったように顔を上げて智也に言った。
「明日の朝なんですけど、時間ってありますか?」
「明日の、朝?」
「はい」
真剣な表情で、彩音は頷く。
「明後日の試合に向けて、智也さんとその、一緒に練習が出来ればなと思いまして。勿論、無理はいえないですし、放課後は普通に練習もあるので、ハードなことは出来ないと思うんですけど…」
「そうだな…」
テニスバッグに着けているキーホルダーを弄りつつ、智也は考える。
彩音と出場する予定のミックスダブルスの試合は、水曜日が本番で、明日が前日だった。
先日の練習で、確かに彩音とは息が合っているところを確認できたわけだが、どうやら彩音は満足していなかったらしい。
彩音の申し出はありがたかったが、智也には1つ、気がかりな点があった。
「俺のスタミナは問題ないし、彩音の提案を断る理由は無いんだが、1つ確認させてくれ」
「はい」
「体力面は大丈夫か?一応確認させてもらうが、明日は試合前日だぞ。早朝に起きてトレーニングして授業に出て、また夕方に練習して。しかも、試合はリーグ戦の後はトーナメントだから、うまく勝ち上がると数試合はざらにやるわけだ。正直、かなりきつい1日になると思うぞ」
智也の指摘に彩音はちょっと俯いて考えていたが、決意を伝えるようにもう1度智也を見つめる。
「智也さんの指摘はもっともです。当日は、体力的にもきつくなると思うんですけど、覚悟は出来ています。なにより、智也さんと出場出来るダブルスの機会を、悔いの無いようにしたいんです」
「そうか…」
智也はしばらく黙った後。
苦笑して彩音の頭をぽんぽん、と叩いた。
「じゃあ、やるか」
「あ…はいっ」
「そのかわり、試合でバテたとかいってもフォローしないぞ?」
「あう、そうならないように頑張ります」
彩音は少し照れくさそうに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。
「むぅ…」
そんな光景を傍らで見せつけられた形の千尋は、当然面白くない。
千尋は、明日の朝の集合時間やら何やらを話している2人の間に割って入るように、智也の袖を引っ張った。
「ねえねえ、智也くん」
「ん?」
「わたしも朝の練習、混ざってもいいかな?」
「えっ?」
智也より先に声を発したのは、彩音だった。
「だって明日は智也くん、朝からコートに行くんでしょ?だったら…出来ないじゃない」
「…あ」
「ううぅ、ひどいよ智也くん。忘れちゃうなんて」
千尋はちょっぴり頬を膨らませ、袖を引っ張り引っ張り抗議する。
「…面目ない」
このところの朝は千尋とトレーニングをしているのに、普通に忘れていた智也。
だが、彩音には2人が何のことを言っているのか検討がつかない。
「あの…何の話ですか?」
「あ、こっちの話だから気にしないでいいよ。ね、智也くん」
「お、おう…」
智也としては別段、早朝トレーニングを千尋と行っていることを隠す必要は無いのだが、とりあえず千尋に同調しておいた。
「というわけで彩音。明日は千尋も参加ってことでいいか?」
「あ、はい…」
気にしないでといわれると逆にもの凄く気になるのだが、渋々といった顔で頷く彩音。
本音は、智也と2人っきりで練習したいのだが、明後日が試合で2人になれるため、自制する。
そういう意味では、千尋より彩音のほうがちょっぴり大人だった。
「2人とも、本当にいいか?」
智也は2人に笑いかけて、最後の確認をする。
「うん、ありがとう」
「ありがとうございます」
「また明日な」
別れの挨拶を交わしつつも、もうちょっと話した気な、名残惜しそうな千尋と彩音。
智也はそんな彼女らを尻目に、コートの玄関で立ち止まり、コートに向かって深々と一礼した後、急ぎ足でコートを後にした。
黙って智也の挙措を見守っていた2人だったが、智也が視界から見えなくなってしまったところで、ほうっと息をついた。
「智也くん、行っちゃったね」
「はい…」
「私たちも帰ろっか」
「そうですね」
「彩ちゃん、わたしは最後にゴミが落ちてないが確認するから」
「わかりました。じゃあ、わたしはコートの外を見てみます」
ほとんど人影の少なくなったコートを見渡して、彩音と千尋は漸く帰り支度を始める。
いつの間にかコートにはナイター用の照明が灯り、練習に参加できなかった3年の男子生徒と思しき部員達がちらほらと、思い思いに練習を行っている。
結局、何も収穫物の無かった千尋がコートの玄関を開けて部室に戻ろうとした時。
コートから校門に向かう道沿いから少し離れたところで、彩音が立ち尽くしているのが目に入った。
「彩ちゃん、どうしたの?」
呼びかけてみたものの、彩音から反応が無かった。
千尋は首を傾げて、彩音の持っているものを覗き込む。
「あっ…」
彩音が手に持っていたのは皮製の生徒手帳で、最初の見開きには生徒の顔写真とともに個人情報が記載されている。
「智也くんの生徒手帳、だよね」
「…そうみたいです」
「落としちゃったのかな?」
「…多分」
彩音の拾い物は、智也の生徒手帳だった。
2人はしばしその場で沈黙するが、その沈黙を破ったのは千尋だった。
「生徒手帳に住所って、載ってるよね?」
「そう、ですね。載ってます」
手元の手帳を再度確認した彩音が、千尋に同意する。
「…彩ちゃん」
「…はい」
2人は視線で会話を成立させ、部室へ急いで戻る。
「彩ちゃん。急いでシャワー浴びてもいいかな?」
「は、はい。わ、わたしもそうしようと思ってましたから」
2人の間に、微妙な沈黙が走る。
「あっ…ふふふ深い意味はないんだよ?ほら、一応、だからね?」
「わわわ分かってます」
顔を真っ赤にしてアタフタしながらも、部室への道を急ぐ。
そんな千尋と彩音の顔は、夜の帳が降りゆく中、きらきら輝いてみえた。
晴海高校から歩くこと約20分。
桜木町の閑静な住宅街の一角に、安達家は建っている。
建物自体は何の変哲も無い庭付き一戸建ての作りであり、一家が揃って住むには申し分の無い部屋数が備えられている。
そんな安達家の玄関先で、約4名のテニスバッグを持った男子が、家のご主人の帰宅を今か今かと待ち望んでいた。
「…智也、遅いな」
「あいつ、何やってんだ?」
信之と正俊が、大きな幹線道路のある方向を眺めつつ時計を見る。
既に部活終了から1時間が経過しており、約束の集合時間はとっくの昔に過ぎ去っている。
「というか、腹減ったな」
「そうだな…」
「…」
一同、揃ってため息をつく。
安達家の中からは、微かにカレーの美味しそうな匂いが漂ってきており、本能的に唾がこみ上げてくる。
育ち盛りの彼らにとっては、ちょっとした拷問にも等しい時間であった。
そんな中、道路の向こうから急ぎ足で、ようやく待ち人の姿が現れた。
やっと自宅が視界に見えてきた智也は、家の前に所在なさげに立ちすくんでいる同期の面々にしばし驚いたものの、手を挙げて遅い到着になったことを謝った。
「どこぞの不良たちかと思ったぞ」
「遅刻しといてそれは無いだろ、智也」
「そうだそうだ」
健一たちは口々に文句を言いつつも、智也が無事に到着してちょっと嬉しそうだった。
「じゃあ早速だが、家に入るか」
「おう」
一同の同意というか催促を受けて、智也は自宅のインターホンを鳴らす。
しばらくの沈黙の後、インターホンから可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
『はい』
「その声は…優菜か?」
『そうだよ』
インターホンの声の主は、優菜だった。
「とりあえず、開けてくれるか?」
『うん、ちょっと待ってね』
ピッ、という音がした後、玄関のドアロックが解除される。
安達家の玄関のドアは、自動操作も出来る電子式のものだった。
ドアが開錠されたのを確認して、智也は後ろを振り返る。
「一応言っておくが」
「なんだ?」
「知っての通り、うちの両親は今仕事の関係で家にいないから、家の中は俺と妹の3人だ。だからといって、あまりはっちゃけ過ぎないように。近所迷惑だからな」
先手を打って、釘を刺す智也。
「お、おう」
一同を代表して、信之が頷く。
隙あらば騒いでやろうとでも思っていたのだろうか。
微妙に声が上擦っていた。
ガチャ
「ただいま」
「お兄ちゃん、おかえり」
「おかえりなさい」
「おう。急に無理言って悪いな」
「ううん、たまには良いよ」
「うん、気にしないで」
「「…」」
智也と優菜たちが挨拶を交わす中、視界に飛び込んできた瓜2つの美少女の出現に、残りの4人は声も出なかった。
健一に至ってはメガネが今にも落ちそうな程ずり下がっている。
靴を脱いだところで、智也は玄関先で固まっている4人を紹介する。
「この4人が、俺の部活の同期。名前は後で紹介するわ」
妹たちが頷いたのを確認した後、今度は妹たちを紹介する。
「名前は知ってると思うが、右が優菜で左が優花。俺たちより1個下の中3。まあ、順当にいけば晴海受験も考えてるから、俺たちの後輩になるかも知れないな。一応覚えておいてくれ」
「い、一応も何も…」
誰かが搾り出すように小さく呟く。
1度見たら、相当なことが無い限り忘れることは無いだろう。
そんな中、制服にエプロン姿の優菜と優花が、智也に代わって折り目正しく自己紹介する。
「こんばんは。妹の安達優菜と…」
「同じく妹の安達優花です」
姉妹は1度目線を絡ませた後。
声をあわせて頭を下げる。
「いつも兄がお世話になっています」
完璧揃ったその声は、1人が発している声にしか聞こえなかった。
「こ、こちらこそ…」
「…宜しく、お願いします…」
慌てて、4人も頭を下げる。
この場だけを切り取れば、どちらが年上なのか全く分からなかった。
まあ、ひょっとしたら勉学面でも優菜たちの方が上回っているかもしれないが…。
智也は自分用のスリッパを履きつつ、4人に言う。
「じゃあ、遠慮なく上がってくれ。荷物はリビングの隅っこにでも置いておけばいいから、そのまま持って入って構わんぞ」
「お、おう…」
ちなみに全員、テニスラケットやシューズ、ウェア等が一式持ち運べる大きなテニスバッグを持っていた。
「もう夕飯の準備って出来てるのか?」
「うん、ばっちりだよ」
「じゃあ早速、メシにするか」
「うん」
姉妹は先立って、リビングの方へと入っていった。
「…ん?」
続いてリビングに入ろうとしたとき、智也は不思議そうに後ろを振り返った。
「どうかしたか?」
「あ、いや、何でもないぞ」
「…トイレか?トイレはそこの廊下の突き当りと、2階にもあるから遠慮なく使ってくれ」
「お、おう」
最後に1度首を傾げて、智也もリビングへと入っていった。
リビングへと通じるドアがパタン、と閉まった時。
残された一同は揃ってため息をついた。
「ウワサには聞いてたけど」
「…ああ、想像以上だったな」
「というか、どっちがどっちだかまるで見分けがつかないぞ…」
「間違って名前呼んだら、智也に怒られそうだよな…」
人数分が綺麗に揃えて置いてあるスリッパを履き、それぞれリビングへと入っていく。
優菜たちが彼らに与えたインパクトは、これ以上にない大きなものだった。
優菜と優花が食後の後片付けをキッチンでしている中。
大好評の夕食後、男達5人はリビングにてトランプに興じていた。
「誰も出すやついないか?」
「…」
智也は一同に声を掛けるが、誰からも返事が返ってこなかった。
「じゃあ、これで終わりだ」
智也はテーブルの上にカードを出し、う〜ん、と大きく伸びをした。
「お、お前が持ってたのかよ!」
ゲーム開始直後から1人、全く持ち札が減っていなかった健一が、悲しそうな叫び声をあげる。
「これで7連勝かよ」
「智也、お前強すぎだ」
智也の上がりを緒にして、信之と正俊が次々に上がる。
残すところは、祐一郎と健一の一騎打ちだった。
一瞬視線を闘わせたのち、自分のターンだった祐一郎がスペードの10を出す。
対する健一は…。
「…パス」
「よし、俺もあっがり〜」
祐一郎が、最後の手札を場に出す。
7並べ第13戦の結果は、健一の惨敗だった。
「ううう…」
放り出されたカードをかき集めつつ、健一は恨めしそうな目でホワイトボードを見る。
ボードには5人全員の名前と、その横に『一』の線が入っている。
勝利した人には『一』の線を1本入れることにしている現時点の勝敗表には、智也が2つの『正』の文字を完成させているほかは、ちらほらと線が入っている程度の大差だった。
ちなみに、健一は未だ未勝利である。
「こ、今度は大富豪で勝負だっ!」
「しょうがないな…」
健一が種目変更に気合を入れてカードを切り直している最中。
お茶を啜っていた信之が、思い出したように祐一郎のほうを向いた。
「祐一郎、そういえば本題の話はどうなったんだ?」
「おっと、完全に忘れてたぜ」
同じように、のほほんとお茶を啜っていた祐一郎が、ちょっと慌ててポケットからカンペを取り出す。
「…どこまで話したっけ?」
「カンペにメモっとけよっ」
皆にカードを配っていた健一が、間髪いれずにつっこむ。
「確か、森井さんのところで終わってたな」
「お、そうだった」
つっこみが鋭すぎて、カードを誰まで配っていたか忘れてしまって再度カードを切り直している健一を尻目に、祐一郎は手元の紙に視線を落とす。
「え〜と、森井さんの次は、水島彩音嬢だ」
一同が、手元に配られるカードを整理しつつ祐一郎の言葉に聞きいる中、優菜と優花もぴた、とその手を止める。
「腰まで伸びた艶やかな黒髪が特徴的な美少女、水島さんはソフトが強豪で知られる南中学の出身。晴海高校にはお姉さんが通っていたこともあって、受験を決意したらしいぞ」
「ちなみに、お姉さんは?」
場に7のダブルを出しながら、信之が聞く。
「お姉さんの名前は、琴音。現在は東都大学の2年生で、同じくテニス部所属だ。あ、10のダブルな」
「東都大学…ってことは、うちの監督と一緒にプレーしたことがあるんじゃないか?1のダブル」
「多分、面識はあるだろ…パス」
一同はしばし沈黙し、黙々とカードを場に出していく。
「気付いてる人もいるだろうが、うちの高校の理事長は水島敬三って名前で、水島さんのお爺さんだそうだ」
「ということはやっぱり、彼女はお嬢様か?」
「そうなるな」
「おおっ」
そうしてちょっとずつ周りが盛り上がってくる中。
智也はそっとカードを場に出した。
「…ジャック4枚」
「げっ、革命かよっ」
一同が慌てて手持ちを確認している中、智也は残っていた3枚を場に出して立ち上がった。
「4が3枚…って、もう上がりかよっ!」
「悪いな。ちょっとトイレ」
「くそ〜っ」
革命のおかげで大混戦が続くリビングを後にして、智也はトイレには行かずに階段をちょっと急いで上った。
自室の電気を点け、机の横の本棚を見渡す。
智也はその中から一冊の薄いアルバムを手に取り、パラパラとめくった。
そして、1枚の写真が目に入ったところで、手を止める。
「…あった」
その写真が撮影されたのはちょうど1年ほど前のこと。
数人のテニス部員に囲まれてはにかんだ笑顔を浮かべている、智也自身が写っていた。
「…美沙に謝らないとな」
ちょっと写真を眺めた後、元と同じ場所にアルバムを戻し、リビングに戻ろうと踵を返した時。
智也は、部屋のドアの横で、つまらなそうな顔をしている優菜がいるのに気が付いた。
「どうした?」
「…ううん」
首を振りながらもその場を動こうとしない妹の姿を見て、智也はふっと笑みを浮かべた。
「どうせ、あいつらの話してる内容が気になったんだろ?」
「…ちょっとだけ」
そう言う優菜の表情は晴れない。
それを見た智也は小さくため息をついて、手元に優菜を引き寄せた。
「あ…」
智也は、手入れの行き届いているその長い髪を上から下へと丹念に、ゆっくり撫でる。
優菜の顔が穏やかになったところで、智也は言い聞かせるように耳元でささやく。
「もうちょっとでお開きにするから、な?」
「んもう…」
ちょっと頬を赤くした優菜は、小さく頷く。
大好きな兄にそんな『お願い』をされては、優菜としては認めるより他がなかった。
智也は、優菜の頭を最後にぽん、と叩き、階段を降りていく。
優菜は、智也に撫でられた部分を指でなぞりながら、ポツリと呟く。
「…なんか、うまくはぐらかされた気がする」
智也の後に引き続き、優菜もわいわいと騒がしい階下へと降りていった。
ピンポーン
お騒がせだった智也の同期たちが帰宅の途に着いてしばらく経った時。
安達家のチャイムが鳴った。
「誰だろ?」
ちょっと首を傾げつつ、優花はインターホンのボタンを押す。
現在居間には優花1人。
優菜は宿題と戦うために自室へ、智也は先ほど、風呂へと向かった直後である。
「どちら様でしょうか」
ボタンを押しつつ、優花はリビングをざっと見渡す。
先ほど帰ったばかりの信之たちが、きっと忘れ物でもしていたのかもしれないと思っていたのだが、そうではなさそうだった。
『あの、晴海高校の森井と水島ですけど』
鈴の鳴るような綺麗な声が、インターホン越しに聞こえてきた。
優花はその声を聴いた瞬間、ちょっと固まる。
水島と森井。
その2人は智也の友人達の口から何度となく、これ以上ないと言わんばかりに称えられていた人物だった。
我ながら大人気ないとは思いつつも、自然と口調が鋭くなってしまう。
「何のご用でしょうか」
『あの、わたしたちですね、智也くんとは部活が一緒の仲で、それでですね…』
2人が兄に、何か用事があるのだろうことは何となく想像がつく。
要領を得ない話を続ける声の主に、優花は1つため息をついた。
「わかりました。とりあえず玄関を開けますから、入ってきてください」
『あ、はい…』
玄関のロックを解除して、優花は玄関へと足を運んだ。
優花がサンダルを履いたところで、2階の優菜から声が掛かった。
「誰かお客さん?」
優菜は階段をゆっくりと降りてくる。
2階にもインターホンが聞こえるようになっているので、誰かがきたことは分かるのだが、相手が誰とまでは分からない。
優花はちょっと低い声で、姉に言う。
「森井さんと、水島さんって人」
「…えっ!?それって…」
優菜もその名前を聞いて、目が鋭くなる。
優花は1つ頷いて、玄関のドアを開ける。
ガチャ
そこには、制服姿の千尋と、彩音が目を丸くして立っていた。
「…こんばんわ。森井さんと、水島さんですね?」
「は、はい」
「そうです…」
2人とも、双子の姉妹の姿に驚きを隠せずにいて、生返事である。
そんな反応にはある意味慣れっこの優花は、自分と優菜の自己紹介を手短に済ませ、話を進める。
「ご用件は、なんでしょうか?」
「あっ、えっと、智也くんはご在宅ですか?ちょっとお話というか、渡したいものがあって」
「兄は確かに帰宅していますが、今はちょっと手が離せませんので。わたしでよろしければ品物は預かっておきますけど」
その言葉を聞いて、千尋と彩音は目を見合わせた。
「…出来れば、お兄さんに直接渡したいんです。玄関先で結構ですので、少しだけ、待たせてもらえないでしょうか」
これまで話していた千尋に代わり、彩音が真剣な表情で訴える。
折角ここまできたのだから、智也に会いたいと思っている2人だった。
そこまで下手に出られては、さすがの優花も分が悪い。
後ろに控える姉の優菜に、目線を投げかける。
優菜は、ゆっくりと頷いた。
「…分かりました。では、リビングでお待ちください」
「…ありがとうございます」
優花は2人を先導するように、リビングのドアを開ける。
彩音に続いて、千尋がリビングのドアを潜ろうとしたとき、その様子をじっと見守っていた優菜が一言、小さな声で呟いた。
「…素敵な髪」
「えっ」
その呟きは千尋に聞こえていたようで、千尋は後ろを振り返った。
「あっ、その、キレイな髪だな〜と思いまして…地毛なんですか?」
しばらくきょとん、としていた千尋だったが、優菜を見て、にっこりと微笑む。
「うん、そうだよ。わたしのお祖父ちゃん、ヨーロッパの出身なんだ」
「なるほど」
「でも、優菜ちゃんの髪も長くてキレイじゃない」
「そ、そうですか?」
「うん。ちょっと羨ましいくらいだよ」
生来の人懐っこさを備えている2人だからだろうか。
ちょっとしたことがきっかけとなり、良い雰囲気で談笑し始める。
そんな2人を尻目に、優花はため息をついた。
「とりあえず、ソファにでも座っててください。今お茶を淹れますから」
優花がキッチンへと行こうとしたとき。
「あ、優花さん」
今度は彩音が優花に声を掛けた。
「なんでしょうか?」
「優菜さんもですけど、優花さんもとってもキレイな髪ですよ」
「…」
にこにこ笑っている彩音には返事をせず、優花はキッチンの戸棚から紅茶の茶葉を取り出した。
その顔には、うっすらと赤みが差していた。
そしてしばらくたった後、ティーシャツに短パン姿の智也が、髪をタオルで拭きつつ姿を現した。
「あ〜いいお湯だった…うおっ!?」
ある意味お約束の反応を示す智也。
風呂上りの智也の姿に、顔が真っ赤になる千尋と彩音。
「こ、こんばんわ智也くん」
「お、おジャマしています」
「お、おう…?」
わけの分からない智也は、傍にいる優花に視線で訴える。
が、優花が分かるはずもなく、小さく首を横に振るだけだった。
「…ひょっとしてもう朝で、怒って家まで詰め掛けてきたとか?」
…そんなはずはなかった。
その後、2人から落し物の生徒手帳を渡された智也は平謝り。
別に用件は済んだのでそのまま帰ってもらっても良かったのだが、千尋と彩音はもうちょっと話をしたいといって粘る。
結局、夜も遅くならない内に帰宅するという条件付きで、今は智也のプレーが収録されたビデオ鑑賞をしている最中だった。
「智也くん、今の場面は?」
千尋は、智也がポイントを奪い、大歓声が起こっている画面を指差す。
「ここか…ここは相手の意表を突いて、前に出たプレーだな。技術的に高いことは何もしてないぞ」
「そうなんだ…」
「もう1回見てみるか?」
「うん」
智也はリモコンを操作して、今のプレーを巻き戻す。
リビングで智也たちが見ているのは、昨夏の中学全国大会団体戦。
智也率いる夕陽丘中学の2回戦の試合で、相手は沖縄県代表のチームとの戦いだった。
「ここまでのゲーム展開からいって、あのコースにいったら必ずラリーが続いてただろ?」
「うん。クロスラリーの展開が多かったと思う」
「そこでだな、あえてワンテンポ遅らせてネット前に詰めたんだ。ワンテンポ遅れているから相手は気付かない。ラリーが続くと思ってクロスに返球する。だがそこには…」
「あっ、チャンスボールになっちゃった…」
「…というわけだ」
ビデオが現在映しだしているのは、シングルス1の智也のゲーム。
展開としては、苦戦の末智也が1セット目を奪い、ガッツポーズを見せたところだった。
改めて今のプレーを見て、彩音も感心の声をあげる。
「智也さん、凄いです。1度目に見たときは何気なく見えたプレーなんですけど、解説されながら見てみると、改めて凄さが分かりました」
「うん、わたしもそう思う」
「はは。まあ、そういうところまで考えてプレーしないと、なかなか楽に勝たせてもらえない相手だったからな」
カワイイ女の子2人に手放しで賞賛されて、当然悪い気はしない。
智也は、照れくさそうに頭をかいた。
「智也くん、セカンドセットの見どころは?」
わくわくしながら、千尋は画面に映る智也を注視する。
ビデオではセット間の、束の間の休憩時間が映し出されていて、もうすぐセカンドセットが始まるところだった。
「ああ…次のセットは、あんまり参考にならないぞ」
「そうなの?」
無言で智也はリモコンで早送りにして、ゲームを少し飛ばしていく。
「ここらへんかな…」
そのセットのゲーム数を表示している画面上の数字が『2−1』と表示されている時に、智也は再生ボタンを押す。
すると、ゲーム間休憩を行っているコートの隣から、もの凄い歓声が伝わってきた。
その声につられる様に、智也の対戦相手も飛び上がってベンチコーチと抱き合っている。
対照的に、ベンチコーチも誰もいないベンチに1人座っていた智也はその声を聞くと、早々に立ち上がってコートに入り、固い表情で主審の合図を待っていた。
「今の歓声は…」
さすがに理解したのだろう、千尋の声は小さかった。
「隣のコートでもう1試合シングルスをしててな、そのコートの試合が終わったんだ。オーダーもしっかり当たったし、実力では相手と大差無かったから、いけるかなと思ってたんだが、ダメだったみたいだ」
試合を見つめつつ、智也は淡々とした声で続ける。
「まあ、心理的には最後に残った2試合をどちらも勝たないといけなくて、うちは追い詰められてたから、ゲームが始まる前からかなりのプレッシャーがあったんだけどな。で、俺は早く試合を終わらせて、そっちの応援に行きたかったんだけど…」
そんなに甘くなかったよ、と智也は苦笑する。
画面上では、智也がファーストセットの激戦がウソのように次々とポイントを奪い、あっという間に『4−1』となっていた。
「そうだったんですか…」
何と言えばいいのか分からない千尋に代わって、彩音が智也を見る。
「さすがにあの時はショックだったよ。先輩方や後輩の前では気丈に振舞って、宿泊先のホテルの片付けやら何やらを指揮して自宅に帰ったまでは良かったんだが、自宅の玄関を開けてこいつらの顔を見た時…それまでこらえていた涙が滝のように出てきて止まらなくなったのを、今でも鮮明に覚えてるな」
ちょっと恥ずかしそうに、それでいて懐かしそうに智也は語る。
画面上では智也が試合に勝ち、相手の選手と握手を交わしている場面が映っていた。
「はい、俺の話は終わり」
停止ボタンを押して、智也はビデオテープを取り出しデッキにしまう。
そんな智也を見ていた優菜が、茶々を入れる。
「あの時のお兄ちゃん、凄い壊れっぷりだったよね」
「うん。泣き疲れて玄関で寝ちゃうんだもん。さすがにビックリしちゃったよ」
「うううるさいぞっ!」
珍しく顔を真っ赤にして怒る智也に、千尋と彩音はクスクスと笑う。
「しょ、しょうがないだろ…色んなもんを我慢してやっとこさ家に帰ってきてだな…っと」
そこで、智也の携帯電話から着信を告げる音楽が流れる。
着信は、デフォルトのピピピ…という音だった。
ピッ
「はい、安達ですけど」
『あ、もしもし智也?わたしわたし』
「…新手の詐欺か?」
『…殴るわよ』
「はは、悪い悪い。美沙だよな?」
『うん』
電話の相手は、美沙だった。
それを聴いた瞬間、今まで和やかムードだったリビングに一転、緊張が走る。
「…この電話に掛けてきたってことは、携帯、買ったんだな」
智也は背中に、4対の視線を感じつつ美沙の相手をする。
美沙の電話が早期に、しかも無事に終了することを切に願う。
『うん。美佳がなかなか決めなくてね、かなり時間食っちゃった。ついでにご飯も食べてきちゃったし』
「そうか」
美沙に美佳を加えた2人はまだ駅前にいるようで、スピーカー越しにワイワイと賑やかな音が聞こえてくる。
『あ、そうそう智也』
「なんだ?」
『もうすぐ帰るから、帰ったらちょっとだけ顔出しに行ってもいい?』
「えっ」
『ほら、携帯も買ったわけだし、メールアドレスも交換したいじゃない』
「…アドレスは紙に書いて渡しただろ」
『こ、細かいことはいいのっ!それに、今日の朝の出来事、忘れたとは言わせないんだからね』
「うっ」
それを持ち出されると辛い智也。
思わず天を仰ぐ。
『ダメ?』
そんな声でお願いされては、智也としてはどうすることも出来なかった。
「…しょうがないな」
『あはっ、ありがとっ!じゃあ、なるべく早く行くようにするからね』
「…了解」
1つ小さくため息をついて、智也は通話を終えた。
智也は、出来れば後ろを振り向きたくなかった。
これから、いいづらいことを言わなくてはいけないのだから。
「あのな…」
「お兄ちゃん、電話は鈴木先輩から?」
「あ、ああ」
いつもより固い声で、優花が聞いてくる。
優花は怒ったときや何か智也絡みの時は、決まって理詰めで責めてくる。
今回はそのパターンだった。
「それで?」
「いや、美沙のやつ、携帯を買ったらしくてな。これから帰るから、ちょっと顔出しに来るってさ」
「お兄ちゃん、ホントに美沙先輩には甘いよね」
「そ、そんなことはないぞ…」
優花と優菜に交互に攻められて、智也の声がだんだん小さくなっていく。
千尋と彩音から見れば、浮気をした夫を糾弾する光景にしか見えなかった。
とはいえ、千尋と彩音の2人も、智也と美沙の仲が学校でもウワサになるほど良いことにちょっぴり嫉妬しているので、妹たちの言動を特に止めはしなかった。
「はあ…もう美沙先輩に家に来て良いって返事しちゃったんでしょ?じゃあ、どれだけ言ってもしょうがないんだけど」
大きくため息をつく優菜。
だったら最初から言わないでくれ、とは口が裂けても言えない智也。
「でもお兄ちゃん、時間帯は考えてね。いくらお隣さんだからといっても、節度を持った行動をしないとダメだよ」
「お、おう…」
「じゃあお兄ちゃん、わたしはお風呂、入るね。優菜、行こ?」
「あ、うん」
優菜は優花を連れて、リビングを後にする。
パタン、とドアが閉められた瞬間、智也は大きく息を吐き出した。
「はあ…疲れる…」
「智也くんも、大変だね」
姉妹の対応が面白かったのだろうか。
さすがに千尋も苦笑している。
「あいつらも、もうちょっと手加減してくれるとありがたいんだけどな」
「それだけ愛されてるってことですよ」
「むぅ…」
笑顔で言う彩音に素直に同意するわけにもいかず、智也はうめき声を上げた。
「智也くん。ちょっとお電話、貸してもらってもいいかな?家に電話して迎えに来てもらおうと思うんだけど…」
「お、そうだな。もうそんな時間か」
リビングに備え付けの子機を千尋に渡して、智也は彩音に訊ねる。
「彩音はどうするんだ?」
「わたしも、千尋さんのお家の方に乗せてってもらいます。最初からそうしようと話をしていましたので」
「なるほど」
生徒手帳を返しに来た時間帯も、学校を出た後にしてはかなり遅かった2人。
おそらく1度家に帰ってから、わざわざ来てくれたのだろうと智也は推測する。
「あの、智也さん。1つお願いがあるんですけど」
「ん?」
「もし宜しければ、ビデオを貸していただけませんか?」
「ビデオ?俺の?」
「はい」
彩音は少し恥ずかしそうに頷く。
「それはいいが。プレーの参考になるかは分からんぞ?」
「はい。それは大丈夫ですから」
「そうか…じゃあ、そこのデッキに10本くらいあるから、どれでも好きなやつ持ってっていいぞ」
「あ…ありがとうございますっ」
嬉しそうにビデオテープを手に取り、1つ1つラベルの見出しを確認している彩音を尻目に、智也は千尋に目を向ける。
「えらく長いな…」
千尋は電話先で、時おり顔を真っ赤にしたり怒ったりと忙しく、ハタから見ている分には面白かった。
そうこうしている内に、彩音はビデオを選び終わったようで、手には1本のテープを持っていた。
「これにします」
「どれどれ…『中学2年 春〜夏編』か」
優花のキレイな字で書かれたラベルを見る。
中2の智也は、全国に周とダブルスで出場したり、校内戦で1位の座に就いたりと、何かと飛躍の年だっただけに、見せる分には特段文句はなかった。
だが、嬉しそうにビデオテープを抱える彩音に一言、言わずにはいられなかった。
「彩音」
「はい」
「…ラケットと違って、それは返却しろよ」
「あうっ」
「ったく…そんなに繰り返し見たかったら、ダビングしたらいいだろうが」
「あ、そ、そうですね…」
智也は、顔を真っ赤にする彩音にため息をつく。
と、2の腕付近をつん、と突っつかれた。
「おう、千尋。どうだった?」
「うん、すぐ向かうって言ってたから、あと5分以内には着くと思うよ」
ちょっと憔悴した感じの千尋だったが、智也はあえて突っ込まなかった。
「それより智也くん。わたしも智也くんのビデオ、借りていいかな?」
「…好きにしてくれ」
彩音がビデオを借りたいと言ったときから、何となく予想がついていた。
「うん、ありがとっ!」
千尋が、彩音とほくほく顔でビデオを物色している時。
ピンポーン
本日何回目かの安達家のチャイムが鳴った。
智也はソファから立ち上がり、慣れた手つきでインターホンを操作する。
「はい」
『夜分遅くに恐れ入ります。森井千秋と申します。うちの娘、千尋がお邪魔していると聞き、迎えに来たのですが』
妙に若々しいインターホンの声の主は、千尋の母、千秋だった。
「あ、千尋のお…千秋さんですか。今開けますんで、少し待っててください」
インターホンを切って智也が振り返ると、2人ともこちらのほうを向いていた。
「早速だが千尋。千秋さんが玄関に来てる」
「うん。じゃあ彩ちゃん、行こっか」
「はい」
2人を先導する形で、智也も玄関へと歩く。
玄関のドアノブに手を掛けつつ、靴を履いている千尋と彩音に改めて声を掛ける。
「千尋、彩音。わざわざ手帳、届けてくれてありがとな」
「ううん。わたしは何もしてないよ。手帳に気付いたのは彩ちゃんだから」
「わ、わたしは千尋さんが最後にごみ拾いをしようとされていたところに、それに追随しただけですから」
「はは、わかったわかった。2人とも、感謝してる」
智也は笑って2人の頭をゆっくりと撫でた。
「あ…」
「ん…」
ちょっと目を細めて、嬉しそうにしている2人に満足し、智也が玄関のドアを開ける。
と、そこには…。
「夜分遅くにすみません。森井一義と申します。千尋の父をやっております」
「ごめんなさいね智也くん。こんな遅い時間に詰め掛けちゃって」
「やっほー智也くん。あ、はじめましてになるのかな?姉の千晴で〜す。千尋にはお泊りしてきてもいいって言ったのに、ごめんねぇ甲斐性無しの妹で」
…やけに気合の入った服装が印象的な、森井家勢揃いだった。
思わず頭を抱える千尋。
何とコメントしたらいいか分からず、智也に視線を送る彩音。
「は、はは…」
力の無い笑い声が、夜の安達家の空に響く。
「…と、とりあえず中へどうぞ…」
「いいのかい?」
「え、ええ。両親は仕事でいませんので…」
「そうか。では、お言葉に甘えて…」
森井家の面々を家の中へと通した後。
家の前に停まっている大きめの乗用車を眺めながら、智也は思った。
鈴木家の面々には見られていませんように、と。
ちなみに。
「あなた大変よ。智也くんの家に、見知らぬ家族連れが入っていったわ」
「なに、本当か?」
「ええ」
それを聞いて、焼酎のお湯割りを楽しんでいた隆夫の表情が引き締まる。
「家に入っていったのは何人だ?」
「少なくとも4人、ね。お父さんとお母さんらしき人影もあったわ」
「むう…」
「どうするの?」
「そうだな…美沙を偵察にやるか」
「そうね…駅前から帰ってきたら、早速そうさせましょ」
「ああ」
…某家政婦ばりに鼻の効く由美子には、しっかりバレていた。
ちなみにちなみに。
「もしもし智也?どうしたの?」
「智兄からの電話?」
駅前からの帰り道。
美沙は智也からの電話を受けていた。
「なによ、そんなに改まって…えっ、家に来るのを止めてほしい?」
美沙は歩みをぴたっと止める。
「ど、どうしてよ…えっ、理由は自分もよく分からないから言えない?とりあえず明日説明するからって…あ、あんたね〜」
まだまだ人通りの多い交差点付近で激昂する美少女を怖がるように、通行人がキレイに避けていく。
「何よっ!もうわたしのことなんかどうでもいいんでしょっ…えっ、違う?…だ、だったら…す、す、す、好きって言ってみなさいよ…」
「お、お姉ちゃん…ちょっと落ち着いて、ね?」
美佳は、買ったばかりの電話に齧りつく姉を引っ張って、一路家へと急いで帰る。
「はあ。お姉ちゃん、後で自分の発言振り返って悶えるんだろうな……明日は智兄、学校休んだ方がいいと思うんだけど…あ、そうだ。励ましのメールでもしてあげよっと♪」
…森井家に負けず劣らず、鈴木家もぶっ飛んでいた。
「はあ…」
智也はダンベルを上下させながら、げんなり、といった感じで呟く。
人は1日ぽっちで人相が変わるはずも無いのだが、ちょっとやせ細った思いがする智也。
そんな智也に、優菜は容赦の無い言葉を浴びせる。
「身から出た錆じゃない?」
「うっ…」
的確な指摘に、重さ2キロのダンベルが倍以上の重さのように圧し掛かる。
智也のベッドに潜り込みながら、優菜は独り言のように先ほどの出来事を振り返る。
「森井さんの家の人たち、凄くテンション高くてリアクションに困ったなあ…お姉さんの千晴さんもだけど、千秋さんもすっごく美人だったし」
「…」
智也は黙ってダンベルを動かす。
この頃失言続きでピンチを招きまくっているので、ここらへんから気を付けていこうと決意しているところである。
もっとも、既に手遅れの感は否めないのだが。
「でもお兄ちゃん。ほんとに気に入られてるんだね。初対面のはずの一義さんだっけ?にも、もの凄く話しかけられてたし」
「…会話は一方通行だったけどな」
先ほど帰宅の途についた森井家プラス彩音だが、やはり目的は智也だった。
更なる来客に目を丸くする姉妹を尻目に、怒涛の質問攻撃を智也に浴びせた。
その時に1番智也を擁護してくれたのが、智也目的で最初に訪れた千尋であったことは、ちょっぴり皮肉ではあったが。
「とにかく、次からはちゃんと計画的に人を呼んでね。じゃないと、さすがのわたしも優花を止めれないよ?」
「うっ…善処します」
ちょっぴり顔を引き攣らせつつ、ダンベルをベッドの下にしまい、教科書一式を取り出す智也。
優花は一番最後に風呂に入っているので、この場にはいない。
「優花…怖かったね」
森井家の面々が居間に現れたその時。
優花は、疲れたであろう智也にマッサージでも施そうと、愛用の健康器具を片手にリビングに顔を出したところだった。
「ああ…あんな優花は初めて見た」
智也は、優花の表情が笑っている顔から悲しそうな顔、怒っているのが丸分かりの冷たい微笑を湛えた顔に変化していった瞬間を、今でも鮮明に記憶している。
願わくばというか切実に、お風呂上りの優花の機嫌が直っていることを期待している兄貴だった。
そんな話をしていると、階段を上ってくる音が聞こえてきた。
「…来たね」
「あ、ああ…」
自分の妹に、何怯えてるんだろうとちょっと思いつつも、息を殺して優花の到来を待つ2人。
トントン
「お兄ちゃん?」
「…開いてるぞ」
何とか声が裏返るのは阻止した智也。
数学の問題集を広げてはいるが、内容は全く頭に入ってこない。
ガチャ
「入るね」
お風呂上りの優花は、手にドライヤーを持って部屋に入ってきた。
普段どおりの顔をしているので、智也は一安心する。
「ドライヤーなんか持って、どうしたんだ?」
「あ、まだ髪の毛乾かしてないから、ここでしようかなと思って。いいよね?」
「ああ、構わんぞ」
優花はコンセントに電源を差し、智也の隣に座る。
そして、無言でドライヤーを智也に差し出した。
「…?」
智也は首を捻るが、とりあえず突き出されたものを受け取り、優花の次の言葉を待つ。
優花は、ちょっと顔を赤らめつつも、智也の目を見て言った。
「お兄ちゃん。わたしの髪、乾かしてくれる?」
「…俺が?」
「うん。それで今日のことは、許してあげる」
「…そうきたか」
「ダメ、かな?」
一転して不安そうな表情を浮かべる優花。
そんな妹にちょっと苦笑して、智也はドライヤーのスイッチをオンにした。
「おいで」
「あ…」
嬉々として智也の胸に飛び込んでくる優花。
智也はその長い髪を上から下へ、ゆっくりと撫でるように乾かしていく。
「確か、毛先は乾きやすいから、頭のてっぺんから乾かしていくんだよな?」
「うん…」
「ったく、枝毛になっても知らんぞ」
「…いいよ。その時は、お兄ちゃんに責任取ってもらうから」
「…へいへい」
自分の背中に腕を回し、胸に顔をくっ付け、気持ち良さそうにしている優花の吐息が妙にくすぐったく感じてしまい、ついつい軽口を叩いてしまう智也だった。
あらかた乾かしたところで、智也は優花の脇腹を軽く突っつく。
「大体終わったぞ」
「あうっ」
優花の腕の力がふっと緩くなった隙をついて、智也はするり、と優花の腕からすり抜ける。
「あ…」
「まあ、こんなもんだろ。どうだ?」
「うん、ありがとう…」
手鏡で髪をチェックしつつも、優花はすこぶる残念そうだった。
「さて、と」
優花がベッドに入っていくのを確認してから、智也は引き続き、さっきから開きっぱなしの参考書に視線を落とした。
さらさらとノートに式と答えを書き込んでいく中。
智也は、ベッドからこちらを見つめる2対の熱い視線に気が付いた。
「どうした?」
「…んと、まだ終わらないのかなと思って」
「そうだな…あと10分ってとこか」
「ええ〜っ、あと3分にしてよ〜」
「…無茶言うな」
妹たちと他愛のない会話をしつつ、10分弱で智也の予習は完了した。
参考書類をバッグに詰めて、智也もベッドに潜り込む。
「うあ〜、疲れたあ〜」
「ふふっ、まるで仕事疲れのお父さんみたい」
「ほんとほんと」
「お、お父さんって…」
智也にしっかり密着しながら、クスクスと笑う2人。
「そういえば、健一たちを玄関で迎えた時のお前らの挨拶、完璧に揃ってたよな。練習してたのか?」
「えへへ。ちょっとだけね」
「びっくりした?」
「まあ、びっくりしたというか…」
「というか?」
抱きつかれたお陰で、操作しづらそうに携帯電話をいじる智也が、さらっと言い放つ。
「そうだな…まるで新婚の奥さんみたいだった」
「あ…」
「あうぅ…」
その言葉を聞いた瞬間、真っ赤になって俯く2人。
俯くといっても智也に密着しているので、智也の身体に顔を埋める形になるのだが。
いきなり反応しなくなった妹たちに、智也は首を傾げる。
「ん?どうかしたか?」
「なな、何でもないよっ」
「ふぅん、まあいいけど…」
智也は、メールを打つほうに集中しているようで、それ以上、特に気にすることも無かった。
そんな兄をちら、と見上げ、優菜と優花はアイコンタクトで会話を交わす。
(作戦、大成功だね)
(…うん)
(それに、当面のライバルも分かったことだし、ますます頑張らないとね)
(…ちょっと数は多かったけど)
「電気消すぞ〜」
「あ、は〜い」
智也はリモコンを操作して、部屋の明かりを消す。
カーテンの僅かな隙間から、月の光がほんの少しだけ差し込んでくる中。
優菜と優花は、智也の手をそっと握った。
智也も、その手をそっと握り返す。
そして、初春の一夜は過ぎていく。 |