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My Precious
作:保



第10話〜4月9日〜


 
 
 チュンチュンチュン
 
 
 小鳥もようやく起き始めた朝の桜木町。
 満開の桜が散り始める、4月初旬の週末。
「1、2、3、4…」
 昼の気温は春らしく、かなりの暖かさになりつつある中で、早朝はまだまだ冷え込むことも多いこの季節。
「11、12、13、14…」
 桜木町を一望出来る展望公園に、若い男子の姿があった。
 男子は上下とも黒のトレーニングウェアに身を包み、現在はベンチの上で腹筋運動を敢行している最中だった。
 軽く息を吐く毎に、全身からはうっすらと白い湯気が立ち込める。
「…47、48、49、50っと…」
 男子は一旦動きを止め、しばし息を整える。
 そして、『よしっ』と気合を入れるやいなや、今度は腕立て伏せの体勢に入る。
「い〜ち、に〜い、さ〜ん…」
 男子は額に汗を浮かべながらも、ゆっくりと正確に、回数を重ねていく。
 その姿は、まるで腕立て伏せの見本を見ているかのように、見事な動作だった。
「じゅ〜はち、じゅ〜きゅう、に〜っっっ!?」
 男子は回数が20回に差し掛かったところで、何かに驚いたようにストップしてしまった。
 腕は縮んだままだったので全体重が圧し掛かっており、身体が小刻みに震えてきている。
「…に、に〜じゅうっ」
 男子は、その掛け声と共に力を振り絞り、腕立て伏せを完了した。
 無駄に力を使ったせいか、背もたれの無いベンチにどっと座り直す。
 そして一言。
「…千尋、今のは幾ら何でもやりすぎだろ」
「あ、あはは、びっくりさせちゃったかな?」
 千尋の乾いた笑い声が、朝の公園に吸い込まれていく。
「まあ、どうせ20回で終わろうと思ってたから、別にいいんだけどな」
「あ、そうだったんだ。一応、20回以降も掛け声する準備はしてたんだけど」
 千尋は、智也の筋トレが始まったころに公園に到着していたのだが、智也のあまりの熱の入りように、完全に声を掛けるタイミングを失っていたのだった。
 そのままでいても仕方が無かったので、智也が腕立て伏せに突入した時に急接近。
 いつ気付いてもらえるかなとドキドキしていたのだが、なかなか智也は気付かない。
 業を煮やした千尋は、気付いてもらいたい一心で智也の目と鼻の先まで接近。
 最終的には智也を大いに驚かすことが出来た。
 その代わりといっては何だが、びっくりさせてしまった代償に、千尋は20回目の掛け声を担当していた。
 それ以降もやってあげるつもりだったので、1回きりで終わってしまってちょっと残念だった。
「…止めといて正解だったな」
「えっ、どうして?」
「その声で掛け声されても、力が抜けて筋トレにならなそうだし」
「むぅ、それは言い過ぎだと思うんだけどなあ」
 千尋は頬をちょっと膨らませる。
 男子が言いたかったのは、千尋の声があまりにも可愛かったので、トレーニングに集中できないからというのが本音だったのだが、そんなことは恥ずかしくて言えるはずもなかった。
 男子は1つ、こほんと咳をつく。
「そうだ千尋」
「どうしたの?」
「挨拶がまだだったよな。おはようさん」
 男子は律儀に挨拶する。
 千尋には、その笑顔が朝日と重なって、とても眩しく感じられた。
「あっ、うん…おはよう智也くん」
 何とか、千尋も挨拶を返す。
 満足そうに頷いて、男子…智也は自分の隣をぽん、と叩く。
「早速なんだが、千尋」
「どうしたの?」
「…」
「…智也くん?」
 しばしの沈黙を経て、智也は今、自分が1番感じている疑問を吐き出した。
「千尋」
「う、うん」
「…どうして今日はポニーテールなんだ?」
「はぅっ」
 千尋は一瞬で真っ赤になった。
「ったく…」
 脳裏には、昨日の校内戦直後、ある女子生徒と交わした会話の場面がフラッシュバックしてくる。
 その女子生徒と仲の良い千尋だ。
 何か、入れ知恵?されたに違いない。
(まあ、いいんだけどな…)
 隣で小さくなっている千尋を尻目に、智也は1つ、ため息をついた。
(しょうがない…)
 ただ、智也も男のはしくれ。
 多少のフォローはしてあげようと思った。
「その髪型も、たまにはいいんじゃないか」
「…えっ」
「俺は別に、嫌いじゃないぞ」
「と、智也くん…」
 一転してこちらを見つめてくる目に耐え切れず、智也はぷい、とそっぽを向いた。
 
 
 チュンチュンチュン
 
 
 小鳥のさえずりも大きくなり、太陽もすっかり昇り始めたこの時間。
「え、えへへ…」
 ほんとに良かったと、しきりに髪を撫でる千尋。
「…」
 特に何も言わないが、明らかに居心地の悪そうな智也。
 そんな智也に、千尋は笑顔で話しかける。
「智也くん、実はポニーテールが好きだったんだね」
 直球だった。
「…は?」
「だって、さっき言ってたじゃない。嫌いじゃないぞって」
 全く悪意の無い、満面の笑顔を浮かべる千尋。
「それって、裏を返せば好きってことでしょ?」
「…いや、それはだな…」
 フォロー失敗。
 これ以上『安達智也はポニーテール好き』なんて誤解が生まれないよう必死で説明しつつ、やっぱり慣れないことはするもんじゃないなあと、朝っぱらから思い知らされた智也だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第10話〜4月9日〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 とりあえず、必死の説明が功を奏して、千尋への誤解?は解けた智也。
 近くにある自販機から、いつも買っているカフェオレを2つ買い、その1つを千尋に渡す。
 互いに1口飲んだところで、智也は昨日の電話の件を切り出した。
「それで、昨日の返事はどうなったんだ?結論は出たのか?」
「あ、えっとね…」
 智也の問いに、千尋はぽっと頬を赤らめて俯く。
(な、なぜそこで顔を赤らめる!?)
 昨日、変なこと言ったかなあと、智也がアタフタしているその時。
 千尋は小さい声で、
「…デ、デート、行きます」
 と、相変わらず俯いたままだったが、智也に言った。
「ほ、ほんとか?」
「う、うん」
「…」
 不覚にも智也は大いに驚いて、声が裏返ってしまった。
 ひとまず深呼吸。
 ぐい、とカフェオレを一飲みし、智也は昨日のサッカーグラウンドでの一場面を思い起こす。
(…昨日の試合が効いたんだろうな)
 直接は知らなかったが、昨日の大樹はそれなりの活躍をして、大いに株を上げたらしい。
 千尋は、その大樹の活躍を聞いて、今回のボウリングの件についてOKを出したのではないか。
(だとすると、大樹のボウリング作戦は脈有りだな…)
 智也は思わずにはいられなかった。
「智也くん?」
「…あ、ああ、何でもない」
 しばらく沈黙していた智也を、不思議そうに見つめてくる千尋に対して、智也は軽く手を振った。
(一応聞いておくか…)
 念には念を。
 どうしようもないバカだけど、一応親友である大樹の恋である。
 いらぬ憶測で大樹をぬか喜びさせる前に、千尋の心境を再度、聞いておこうと思った。
「決め手はなんだったんだ?」
「えっとね、話せば長くなるんだけど…」
 千尋は、昨日の電話の1件から話し出す。
 智也の申し出に、最初は戸惑ったこと。
 答えようにも、(ジャマ者がいて)電話越しでは言いづらかったこと。
 そして、実は答えは申し出を聞いたときから出ていたこと、等を話した。
「なるほど、じゃあ最初から答えは出てたのか」
「うん、もったいつけちゃってごめんね」
 千尋は舌をちょっぴり出す。
 そして更に続ける。
「でも、何より嬉しかったんだ。もっと時間が経ってからだったら分からないけど、現時点では、わたしから誘わないといけないと思ってたから」
「なるほど」
 大樹はイケイケタイプに見えて、実は女っ気の全く無い奴だった。
 千尋の言うとおり、大樹から何か仕掛けてくることは、そうそうあったもんじゃないだろう。
「だから、今回の話も受けることにしたの」
「…そうか」
 どうやら千尋内での大樹のポジションは、思ったよりも高かったらしい。
 ちょっと頬を赤らめつつも、嬉しそうに言う千尋に対して、智也は何も言う言葉は無かった。
(あとは、2人がうまくいくかだな…)
 自分が恋のキューピッドになるのかはともかく、来週の友の決戦の日に想いを馳せる智也。
 千尋は、両手で持っていたカフェオレを嬉しそうに飲んでいた。
「楽しみだね」
「ああ、そうだな」
 楽しみかと言われれば、確かに楽しみだった。
 智也的には、当日は楽しく拝見させてもらおうと思っている。
(大樹の慌てふためく様は必見だな…)
 平日とはいえ、オープニング直後の騒がしいボウリング場である。
 そんな場所で、初対面に近い2人の仲が進展することもないと思うが、とにかく大樹の不様な姿は目に焼き付ける必要があるなと、智也は割と本気で思っていた。
 そんなことを智也が思っていると、千尋は小さく伸びをして、待ちきれないと言わんばかりに言った。
「あ〜あ、早く当日にならないかなあ」
「はは、ちょっと早すぎだろ」
 千尋の言葉に、智也は苦笑する。
「平日っていうのがちょっと残念だけど、部活もあるんだし、そんなに贅沢なことは言えないよね」
「そうだな」
「でも、本当に楽しみなんだよ?昨日はドキドキしちゃって眠れなかったんだから」
「おいおい」
 今からそんなに緊張してたら、当日にはフラフラになっているだろう。
「むぅ、いいじゃない、何ていったって…」
 千尋はよいしょ、とカワイイ声を出してベンチから立ち上がる。
 そして、智也を正面から覗き込んだ。
「何ていったって、わたしと智也くんの最初のデートなんだから」
 朝日に包まれた千尋の笑顔は、輝いていた。
「はは、そうだな…………ってえ!?」
 その言葉を聞き、今まで随分と余裕のあった智也の表情が固まる。
 そんな智也の様子に、まるで気付いていない千尋。
 嬉し恥ずかしといった顔で話しかけてくる。
「実は昨日の電話の後、お姉ちゃんとお母さんの追求が凄かったんだよ?お姉ちゃんは付いて来るって言って聞かないし、お母さんは家に連れてきなさいとか言い張るし……あっ、お姉ちゃんのことは心配しないでね。何とかジャマされないようにするから」
「…」
 ちょっともじもじしながらも、笑顔で言ってくる千尋に何も言えず、智也は顔を引き攣らせたままだった。
 顔には一筋の汗が流れている。
「それでね、1番困ったのは、お姉ちゃんもお母さんも智也くんのことを、わたしの、その…彼氏だと勘違いしてることなの。昔からなんだけど、うちの家族ったら先走るクセがあるというか、そそっかしいというか、そんなところがあって…」
 朝日が光を増し、徐々に周囲が暖かくなってきた展望公園にて。
 千尋は色んな感情が入り混じって、いよいよ止まらなくなってきた。
 そんな千尋に対して、智也はいつ自分のターンを作り出そうかと必死に考えていた。
(大樹、すまん…お前の作戦は、最初から失敗だった…)
 因果応報。
 親友の無様な姿を拝む前に、まず、自分が慌てふためく番だった。
 残っていたカフェオレを、一気に喉に流し込む。
「…でね、智也くんが良かったら、次の休みにでもうちの家でお父さんと…」
「いやいやいや、ちょっと待ってみよう」
「えっ、うちの家じゃダメだった?じゃあ智也くんのおうちで…」
「そ、そうじゃなくてだな」
 慌てて千尋のトンデモ発言をさえぎって、智也はようやく弁解を開始する。
「千尋、落ち着いて聞いてくれ…」
「うん」
 千尋は、何の心配も無くこちらを見つめてくる。
「じ、実はな…」
 大いに決意が揺らいだが、智也は再度決意し直して、本当のことを伝える。
「……えええっ!」
「す、すまんっ」
 千尋はビックリしすぎて、手に持ったカフェオレ缶を落としてしまう。
 それをすかさず空中で拾い直して、智也はひたすら謝った。
「ほ、本当に浜田君と行く予定だったの?」
「お、おう」
「そ、そんなあ…」
 がっくり。
 そんな表現を全身で表すように、千尋はその場に手を付いた。
 しかし、ただでは千尋は終わらない。
「ううう…じゃあじゃあ、どこかで智也くん、デートしてっ」
「えっ」
「だってだって、今回のことで凄くダメージを受けたんだから〜」
「いや、それは千尋の単なる勘違い…」
「ねぇねぇ、いいでしょ?」
「人の話は聞こうぜ…」
 何とか宥めつつ、その手を取って起き上がらせながら、智也は思った。
 確かに、先走ってそそっかしいのは森井家の伝統だな、と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 智也が、千尋のデートのお誘いを必死にかわしている同時刻。
 安達家では2人の妹達が、すっかり外出の準備を整え、リビングでコーヒーを飲んでいた。
 2人とも、しきりに時計を気にしている。
 一応テレビは付いていたが、2人ともさしたる興味はもっていないようで、一言も話そうとはしなかった。
 それから、しばらくの沈黙が続いた後。
 姉の優菜がぽつりと言う。
「…お兄ちゃん、遅いね」
「うん…」
 優花もため息をつく。
 時刻はまだまだ朝の時間帯と言えるが、早朝に出かけた智也の帰り時間としては、姉妹の知る限り過去最長に遅かった。
 ちなみに、朝のトレーニングの時間を計測されていることは、智也は知らない。
「お兄ちゃん、どこまで走りに行ってるんだろ?」
「う〜ん、基本的には町内だと思うんだけど…」
 優菜も、何度か智也の相伴で、一緒に走ったことがあるが、いつも同じコースを走っていたわけではないので、智也が何処を走っているのか、特定することは難しかった。
「…やっぱり、探してくる」
「ちょ、優花っ。ストップストップ」
 立ち上がった妹の裾を引っ張って、優菜は1つため息をついた。
「優花は心配しすぎよ。お兄ちゃんだって、もう子供じゃないんだから、遅くなったら連絡ぐらいしてくるわよ」
 智也に対して、まるでどっちが年上かわからないような説得をする優菜。
 当然、優花は収まらない。
「そんなこと言ったって、この前だってわたしたちに黙ってアルバイトに行ってたじゃない」
「うっ、そういえば…」
 ついこないだの事件を思い出す優菜。
 あの日の優花は、姉の自分から見ても凄かった。
 なんせ、一緒に帰宅して智也の帰った痕跡が無いのが分かった瞬間、『お兄ちゃんはバイトに行っている』と断言したのだった。
 半信半疑で駅前に行ってみると、確かに智也はそこにいた。
 優花の智也を発見する嗅覚は、もはや動物的勘といったほうが良いと思っていた。
「じゃ、じゃあ、あと10分して何もなかったら、お兄ちゃんを探しに行くことにしよ?」
「うん…」
 優花も渋々同意する。
「じゃあ、もう1杯コーヒーでも飲もっか」
「うん」
 優菜はコップを回収し、キッチンへとおかわりを淹れに行く。
 その時。
 2人が待ちかねていた、安達家の電話が鳴り響いた。
 すかさず優花が子機にかじりつく。
「も、もしもしっ」
『お、その声は…優花だな』
「うん、そうだよ。それよりお兄ちゃん、今どこなの?」
『ああ、そのことで電話したんだよ…』
 コーヒーを淹れている姉に目配せをして、優花は電話に集中する。
『悪い、帰るのはもうちょっと遅れそうなんだ』
「ええっ、そうなの?」
『ああ、実はな…』
 智也は、帰宅が遅くなる事情を手短に話す。
 その話によると、朝のトレーニング中にテニス部の知り合いに遭遇し、随分と話し込んでいる最中とのこと。
 もっとも、もう話の峠は越えたので、早々に会話を切り上げて帰宅の途に着くから、あと30分位はかかりそうだ、とのことだった。
「ちょっと待ってね…」
 受話器の口元を押さえて、優菜のほうに向き直る。
「お兄ちゃん、今から帰るから、あと30分はかかるんだって」
「そうなんだ…」
 優菜は備え付けの壁時計を見る。
 智也が30分で帰宅したとして、シャワーを浴びるなりで外出する準備もしなくてはならない。
 そう考えると、たっぷり1時間は計算しておいたほうが良さそうだった。
「だったら優花、Bプランでいきましょ」
「Bプラン?」
「なあにとぼけてるのよ。優花、日記に書いてたでしょ」
 優菜はニッコリと微笑み、優花の耳元でささやく。
「えぇっ!?」
「だから、その日記のとおり、お兄ちゃんとデートする時の待ち合わせを…」
「わ〜っ!分かったから、言わないでぇ!」
 
 
 ゴトンッ
 
 
 思わず優菜の口を塞ぎにかかる優花。
 そのせいで、受話器を手放してしまった。
「あ…」
 子機が良い音をたてて、フローリングに転がる。
 優花は、慌てて拾い直した。
「お、お兄ちゃん、もしもし」
『…何かすさまじい音がしたけど、大丈夫か?』
「だ、大丈夫だよ。あはは…」
 自分の日記のせいだとは言えないので、笑ってごまかす優花。
 そんな妹をみて、優菜は隣で本当におかしそうに笑っている。
「じゃあお兄ちゃん、なるべく早く帰ってきてね」
『ああ、分かった。心配かけて悪いな』
「ううん、気をつけてね」
『おう』
 優菜にも宜しくな、と最後に言って、智也との電話はそこで終了した。
 とりあえず子機を戻して、ソファに座る優花。
「優花、なにしてるのよ。Bプランって言ったでしょ」
「えっ、ほんとにそうするんだったの…っていうか、何でお姉ちゃんがわたしの日記の内容を知ってるのよ」
 大いに納得のいかない優花。
 先ほどは動転してしまったが、冷静に考えると、個人的な日記が姉に読まれているのは、解せなかった。
「なに言っているのよ。あんな大きい声で書いてたら、誰だって分かるわよ。部屋は隣なんだし」
「あうぅ…」
 優花は、小さい頃から日記を書くことを日課にしていた。
 大抵はその日の出来事などを書いているのだが、近頃はめっきり内容が変化してきていた。
 その内容はというと、先ほど優菜に指摘されたように、『自分とお兄ちゃんがデートをした場合のシチュエーション』という題目で、自分のやりたいように書いていくことに変化してきている。
 優菜は、そんな恥ずかしい日記の存在を知らなかったのだが、最近になって、妹が無意識のうちに内容を(小さい声で)朗読するようになってきて、その日記の正体に気付いたのだった。
「まあ、お兄ちゃんは気づいてないみたいだから、別にいいと思うけど。でも、学校では気を付けないといけないわよ。こないだ、正子に気付かれたでしょ?」
「う、うん…」
 正子とはテニス部で一緒に部活をする仲間だが、それ以上に、智也の隣の座を争っているライバルとして見ている部分もある。
 そんな正子に、優花は『先輩と何かあったんじゃない?』と、指摘をされたのだった。
「優花、わたしたちが気を付けないと、お兄ちゃんにまで影響が及ぶんだからね」
「うん、気をつけるよ…」
 人差し指を立てて注意する優菜に、素直に謝る優花。
 安達兄弟は、地域でも有名な美男・美人姉妹であるだけに、一際ウワサにもなりやすい存在である。
 当然のことながら、兄弟間同士で仲が良すぎることも、ウワサになったことがある。
 2人はウワサになるような行動を謹んで、極力兄に迷惑が掛からないように配慮しているつもりであった。
(まあ、それも今となっては今更なんだけどね…)
 優菜は内心苦笑する。
 というのも、智也が高校に行ってしまった今、自分と優花は人目を憚らずに兄にスキンシップをしている。
 しかも、友達から『お兄ちゃんと、仲良いよね〜。もしかして…』と言われるのが、この頃は逆に嬉しいと感じる始末である。
「ちょっと早いけど、そろそろ行こっか」
「うん」
 優花が、リビングに書置きを残したのを見届けてから、優菜は玄関のドアを開けた。
 先に出た姉に引き続いて、優花も家を出てドアに鍵をかける。
 2人で連れ立ってしばらく歩いたのち、優菜は小さく呟いた。
「末期症状…」
「なんのこと?」
 優花には聞こえたみたいだった。
 しょうがないから教えてあげることにする。
「…恥ずかしいから1回しか言わないわよ」
「うん」
「ほら、わたしたちって、恋の末期症状なんだろうなあって…」
「…なあんだ、そんなことかあ」
「そ、そんなことって…」
 あっさりした答えを返してくる妹に抗議する優菜。
 せっかく恥ずかしい思いをしたというのに、台無しにされた気分だった。
 優花はくるりと振り返り、笑顔で優菜に言った。
「だって、わたしは当の昔に知ってたもん。自分が末期症状だって」
 勿論恋のね、と優花は付け加える。
「この気持ちは、もう隠せないよ。たとえ人目があったって、今は何とかなってるけど、この先はどうなるか分からない」
(…今は何とかなってるのかな?)
 妹に突っ込みたかったけど、止めておいた。
「だからお姉ちゃん、今から謝っておくね。わたし、今日は思いっきりお兄ちゃんに甘えるから」
「優花…」
 そう宣言した妹の笑顔は、とても綺麗だった。
 優菜は、恋する女の子はこんな素敵な顔をするんだろうなと、同じ顔をした妹の姿を見て思った。
 でも、言わずにはいられないこともある。
「言っておくけど、先に謝ったってダメだからね。今日はわたしが甘えるんだから」
「お、お姉ちゃん?」
 今度は、優菜が宣言する番だった。
「わたしだって、末期症状なんだから」
 勿論恋のね、と付け加える。
 そんな姉の姿を見て、しばし固まっていた優花だったが、しばらくしてくすり、と笑った。
 そして一言。
「お姉ちゃんも、日記、書き始めたほうがいいんじゃない?」
「うっ」
「そっか〜恋の末期症状か…それは流石に思いつかなかったよ〜」
「うううっ…」
 真っ赤になる姉を尻目に、優花はとても楽しそうだった。
 そして、優花はもう1つ思った。
 今の姉の顔は、恋する女の子の顔のようで、とても綺麗だと。
「なによ〜、優花の日記、お兄ちゃんに全部報告してやるんだからっ。ちなみにAプランは学校の校門で待ち伏せして…」
「ご、ごめんなさい〜!」
 …ともあれ、双子の姉妹の1日は騒がしくも始まったところだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 智也が千尋とのトレーニングを終えて家に帰宅すると、自宅には鍵が掛かっていた。
 とはいっても万が一のために、在宅中でも鍵を掛けるのは常識なので、特に変わったことではない。
 智也は玄関横の、インターホンのベルを鳴らす。
「…居ないのか?」
 ベルを鳴らせど、家の中から返事が返ってくることはなかった。
 ちょっと首を傾げた智也だったが、財布から鍵を取り出し、ドアを開ける。
 
 
 ガチャ
 
 
「ただいま〜」
 玄関口を通り抜け、リビングに顔を出す。
 電気等は点いておらず、妹達のいる気配はしなかった。
「…ん?」
 智也は、リビングの机に置いてあった、1枚の紙が目に付いた。
 優花の書いた、書置きだった。
「なになに…」
 智也は一読する。
 そこには、『お兄ちゃんへ。お兄ちゃんの帰りが遅いので、先に出かけます。いつもの場所でお姉ちゃんと待ってます。 優花より』と書いてあった。
「おいおい…」
 もう1度読み直した後、書置きを丁寧に折り畳み、智也は2階の自室へと戻る。
「ここにしまって置いて、と」
 智也は、妹達から貰った手紙や物の類は、特別な事情が無い限り手元に保管するようにしている。
 今回の書置きも、大切に机の引き出しにしまっておいた。
 そして、速攻で着替えを漁り、シャワーを浴びに風呂場へと直行する。
 
 
 バタン キュッ ジャー
 
 
 いつもよりちょっと熱めにシャワーの温度を調整しつつ、智也はポツリと呟いた。
「何時集合なんだよ…」
 最近はそそっかしい女の子が流行なのだろうかと、不穏当なことを思いつつ、智也は汗を流す。
 平日に勝るとも劣らず、智也は休日も慌しかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 慌しく玄関を閉めて路上に飛び出したところで、智也は由美子とばったり会った。
「あら、智也くんじゃない。おはよう」
 由美子はホウキを片手に、周辺の落ち葉たちを丁寧に集めているところだった。
「あ、由美子さん。おはようございます」
「今からお出かけ?」
「はい。今日は部活も無いので、ちょっと…」
「ふうん、そうなの〜」
 何が嬉しいのか分からないが、由美子はうんうんと頷く。
 そんな由美子の様子を見て、ちょっと顔をひきつかせる智也。
「んふふ、ずばりデートでしょ?」
「いや、違います。ちょっと駅前まで買い物、です」
 予想通りの答えが返ってきたので、冷静に否定する。
「なあんだ…」
「ゆ、由美子さん?」
 自分の予想が外れて、心底残念そうにしている由美子。
 由美子が若作りということもあり、その表情は美沙が拗ねた時の顔とダブって見えた。
「じゃ、じゃあ俺、もう行きますから」
「ああん、智也くんったら」
 由美子は、そそくさとその場を去ろうとした智也の袖を掴む。
「な、なんですか…」
 ちょっとびびる智也。
 これ以上の長居は、姉妹の機嫌を損ねるばかりか、美沙が出てきてややこしいことになり兼ねない。
 ただ、袖を掴んだ由美子の手は、思いの他強かった。
「実はね、昨日から美沙の様子がおかしいのよ。智也くん、何か心当たりない?」
「っ、それは…」
 何か言おうとする智也をさえぎって、由美子は続ける。
「昔から美沙が落ち込むことなんて、大抵は智也くん絡みのことだったから。今回もそうなんでしょ?」
「…はい」
 さすがは幼馴染みのお母さん、といったところだろうか。
 由美子は、美沙が落ち込んでいる様子を見て、その原因が部活…智也絡みのことだと見抜いていた。
「昨日、何があったのかなんてことは聞かないわ。ただ、智也くんにも一応言っておいた方がいいかなと思っただけだから」
 ちょっと申し訳無さそうに、それでも優しい笑みを浮かべたまま、由美子は言う。
 由美子は、実の娘である美沙が、どれだけ智也のことが好きなのか知っている。
 それだけでなく、日常生活において、美沙がどれだけ智也に依存している生活を送っているのかも、当然熟知していた。
 それでも、よっぽどのことが無い限り手出しはしないのだが、今回の美沙の落ち込みようはちょっと異常だったので、智也に言わざるを得なかったのだった。
「だからね、智也くん。時間が空いた時でいいから、美沙のことも面倒見てもらえないかしら?」
「…わかりました。時間は確約できないですけど、1度連絡するようにします」
 智也は、恐らくまだ寝ているのだろう、カーテンの閉まっている美沙の部屋を見上げる。
 その表情は、真剣そのものだった。
「ごめんね智也くん。こんな朝早くから、変な話しちゃって」
「いや、むしろありがたいですよ。俺も、美沙のことは気になってましたから。それに、変な遠慮は要らないですって。家族ぐるみのお付き合いなんだから、水臭いですよ」
「智也くん…」
 年甲斐も無く、由美子はじーん、ときてしまう。
「いっそのこと、美沙を貰ってくれないかしら?」
「んなっ!?」
「勿論うちの人も、わたしも異存はないわ。どう?」
「いや、どう、と言われてもですね…」
 いきなり暴走した由美子の様子に、智也は嫌な汗がたくさん流れてくるのを感じる。
 せっかくシャワーを浴びたのに、もう1度入り直したい気分だった。
「あ、やっぱり婿入りは嫌かしら?今は夫婦別姓と言ってね、つまり鈴木智也にしなくても…」
「いやいやいや、ちょっと落ち着きましょうよ…」
 それから一悶着あったが、何とかその場を乗り切って、智也は駅前へと旅立っていった。
 その姿を、由美子は満足そうに見送っていた。
 そして、智也の姿が完全に見えなくなってから、由美子は頬に手を当てた。
「それにしても、美沙には困ったものね…」
 高校入学時から美沙は特段に、智也に依存するようになってしまった。
 昔からその傾向はあったのだが、今回のように、落ち込むほど悩んでしまうことはこれまでには無かった。
 親バカかもしれないが、由美子は、美沙の今後がちょっと心配だった。
「…ほんとに美沙を貰ってくれないかしらね」
 ホウキを器用に操りつつ、由美子はため息をつく。
 とそこへ、ゴルフバッグを担いだ夫、隆夫が出てきた。
 どうやら趣味のゴルフに行こうとしていたみたいで、手には車のキーを持っている。
「何かあったのか?何やら賑やかだったみたいだが」
「あら、家の中まで聞こえてたの?」
「ああ。玄関が少し開いていたからな」
「そう、実はね…」
 由美子は、智也との会話の一部始終を、夫に話す。
 その話を聞いて、隆夫は大いに頷いた。
「そうか。それで、智也君は鈴木家に婿入りすることについては、反対しなかったんだな?」
「ええ」
 智也は、確かに反対はしていなかったが、決して賛成していたわけでもない。
「それで、今日の夜頃には、うちに寄るんだな?」
「そう言ってたわよ」
 隆夫は担いでいたゴルフバッグを地面に置いて、腕組みをした。
「…よし。今日の夜、智也君が来たら、1度面と向かって話をしてみようか」
「そうね、それがいいかも」
「一応、料理も弾んでおいてくれるか。もしかしたら、もしかするかもしれんからな」
 虚空を睨み、隆夫は考える。
 夜のことを考えると、今日は18ホール回れる時間があるかどうか。
「あなた、美佳はどうするの?あの子も相当、智也くんに入れ込んでるわよ」
「う、そうだったな…」
「難しいところね…」
 自宅の玄関先で、大の大人がうんうん唸る。
 本人達は、至って真剣なのだが…。
 そんな中、隆夫は1つの決断を下した。
「いっそのこと、2人とも貰ってくれてもいいんだがな」
「あ、あなた…」
 由美子は、惚れ直したと言わんばかりに、目を潤ませる。
 隆夫は、照れた風に頬をかいて、由美子に言う。
「どちらにせよ、今日は早く帰ってくる。何かあったら、携帯に掛けてくれ」
「分かったわ」
 気持ちは分からなくはないが、完全な暴走だった。
 実のところ、実の娘たちよりも隆夫と由美子のほうが、智也に惚れ込んでいる状態だった。
 最後に、意味ありげに視線を交わして、隆夫はゴルフ場へと向かい、由美子は自宅へと入っていく。
 ……智也の知らないところで、鈴木家の『智也婿入り計画』は密かに進んでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(な、なんか寒気が…)
 駅前に向かうバスの中で、智也は小さく身を震わせた。
 別に悪い予感がしたわけではないのだが、あまりいい気はしない。
『桜木町駅前、終点です…』
 そうこうしている内に、バスは駅前のバスターミナルに到着した。
 車内に、終点を告げるアナウンスが流れ、乗客たちは順々に降車していく。
 その中で、智也は前の席に座っていたお年寄りに声を掛けた。
「おばあちゃん、荷物持とうか?」
 にこやかに話しかける智也。
 智也は、大きい荷物を持っているおばあちゃんが財布を取り出そうと難儀しているのを見かねて、声を掛けたのだった。
「おや、すまないねえ…」
「いいですって」
 智也の助けのお陰で、お年寄りは無事運賃を払うことができ、厚くお礼をして去って行った。
 お年寄りが無事、駅の改札口に入っていくその姿を満足そうに見届けた後、智也は妹達との待ち合わせの場所へと向かう。
(何か、見られてるような…)
 そんな気がした智也。
 商店街へと向かうスクランブル交差点に差し掛かった時、何気なく周囲を伺ってみる。
 すると…。
(うっ…)
 こちらを見ていた何人かの女性たちに、露骨に目を逸らされた。
 智也は、慌てて今日の服装を確認する。
 今日はジーパンにジャケットを合わせたいでたちで、特に変な格好ではなかった。
(チャックもセーフだし…)
 注目されている理由は1通り考えたがよく分からなかった。
 とりあえず、気にしないことにして横断歩道を歩き出す。
 智也が、交差点向かいのファミレスに姿を消した時、
『ね〜見た?あの人』
『ほんとほんと。カッコよかったね〜』
『追っかけよっか?』
 幾人かの若い女性が、わいわい騒ぐ。
 ナンパこそされないものの、いつでも大人気の智也だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 智也は2人の前の席に座り、開口一番謝った。
「悪い、遅れた」
「お兄ちゃん、遅いよ〜」
「悪い悪い」
「んもう…」
 優菜は腕時計をちょんとつつき、頬を膨らませた。
「お兄ちゃん、何か飲むでしょ?」
 優花が2人の間に入るように、メニューを差し出しつつ聞いてくる。
「お、そうだな」
 智也がお礼を言ってメニューを受け取ったのを見計らって、ウェイトレスが注文を伺いに寄ってきた。
「そうだな…じゃあ、コーヒーで」
 程なくして、智也の前に注文の品が運ばれてくる。
 この駅前のファミレスは、昔から注文の品が出てくるスピードが早いことで有名だった。
「…ふう、いつもながら濃いな」
「しょうがないよ、ファミレスなんだから」
「ま、そうだな」
「お兄ちゃん、家に帰ったらわたしが美味しいコーヒー、淹れてあげるからね」
「優菜…そういうことは店に出てから言ってくれ」
 智也と姉妹は、駅前で待ち合わせをするときは大抵、この店を利用している。
 店に入ると当然、何か頼まないといけないのだが、駅前でナンパされる時間のことを考えると、とても安いものだと思うことにしている。
「で、今日はどういった予定なんだ?」
 一息ついた智也が、2人に聞く。
 今日の大きな予定が、携帯電話の購入というのは分かっているが、それ以外のことについては、完全に姉妹任せにしていた智也。
 見方を変えれば、尻に敷かれていて決定権が無いともいえるが。
 妹に目配せをして、優菜が話し始める。
「えっとね、実は私たちも大まかでしか決めてないの」
「そうなのか?」
「うん」
 水を向けられて、優花も同じく同意した。
 そんな素振りが、優菜は気に入らない。
「お兄ちゃん。なんで優花に確認するの?」
「ね、念の為だよ念の為」
「むぅ…」
 何と説明しようかと慌てている智也に、優花は助け舟を出した。
「お、お姉ちゃん。早速行こっか?」
「…あっ、そうね。時間も勿体無いもんね」
 優花に促されて、席を立つ優菜。
 智也は安堵して、同じく姉妹の後に続いた。
『ありがとうございました〜』
 精算を済ませた智也は、玄関口で待っている姉妹に声を掛け、ファミレスを後にした。
 店を後にした次の瞬間。
 当然のように優菜と優花は、智也の横に移動し、すかさず手を繋いでくる。
 嬉しそうな妹たちの表情を見て、智也は苦笑する他なかった。
「さて、どこに行くんだ?」
「えっと、あっちだよ」
 優菜が指差したのは、駅前の大きい家電量販店だった。
「よし、じゃあ早速行くとするか」
「うん」
 3人は、先ほど智也が渡ってきた横断歩道を再度渡る為、店を出たところで赤信号の交差点で立ち止まった。
 その僅かな待機の間。
 智也は、さっきのお礼とばかりに、優花にアイコンタクトをする。
「…」
 智也の視線に気付いた優花は、嬉しそうに微笑んだ。
「むぅ、お兄ちゃん、優花?青になったよ」
「お、おう」
「わわわっ」
「んもう…」
 笑顔が怖い優菜に先導されつつ、3人は目的地へと向かっていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 桜木町には、駅前に大きな家電量販店がある。
 地上数階建てからなるその建物には、1階から電化製品が所狭しと販売されており、休日ともなれば家族連れやカップルの出現により、大盛況の賑わいを見せている。
 そんな店の3階に携帯電話の販売を扱っているフロアがあるのだが、今日はいつもと少し違う雰囲気が漂っていた。
 勿論、その現況はというと…。
「お兄ちゃん、これはどう?小さくて軽いよ〜」
「これか?う〜ん、何かすぐ無くしそうで怖いな」
「あ、じゃあこっちはどうかな。お店の1番人気なんだって」
「どれどれ…」
 安達家の3人は周りの視線を全く気にすることもなく、楽しそうに携帯電話を物色している真っ最中だった。
 いや、全く気にしていないというのは少し語弊がある。
 兄である智也は、周りの空気を敏感に読み取っていた。
 読み取ってはいたが、女の子の押しに(特に近頃)弱い智也である。
 妹たちの笑顔に振り回されるうちに、いつの間にか周りの様子が気にならなくなっていた。
 その開き直った様は、恐るべしKY(空気が読めない。空気読めよ!という意味)っぷりと言えた。
「大体分かったから、優菜も優花も、自分のやつ選んできていいぞ。さっきから俺のやつばっかり探してるけど、今日はあくまで、お前たちがメインなんだからな」
 おすすめの携帯電話をあらかた紹介された智也は、妹たちを促す。
 今日はあくまで妹たちの携帯電話探しがメインで、自分はおまけなんだと智也は思っている。
 むしろ、自分が買う必要があるのかなあと、この場に及んでも感じていた。
「違うよ、お兄ちゃんがメインなんだよ」
「そうそう、お兄ちゃんが先に選ぶんだよ」
 妹たちは口を揃えて言う。
「えっ、そうなのか?」
「うん。だってね…」
 優菜は、智也に各携帯電話会社の料金プランのことを説明する。
 それを聞いていた智也は、納得したように頷いた。
「なるほど。家族割とかがあるから、携帯電話の会社は揃えたほうが良いんだということだな?」
「そうそう」
 さっきは大体わかったとか勇ましく宣言しつつも、全然理解していなかった。
 それでは確かに、自分が携帯電話の機種を決めないと、妹たちが携帯電話を選ぶことが出来ないだろう。
 咄嗟に智也は決断した。
「じゃあ、これにするよ」
 智也が手に取ったのは、折りたたみ式のシンプルな造りで、色はブラック。
 機能としては最低限、電話とメール、カメラ機能がついている程度で、大分古いモデルの機種だった。
「…ほんとにこれでいいの?」
 優菜が確認してくる。
 優花は何も言わないが、姉の言うことには目線で同意している。
「ああ。俺は最低限度の機能があれば良いよ。そんなに使わないだろうしな」
 もの凄く楽観的な見方をしている智也。
 そんな兄に対して、妹たちは相槌しなかった。
(お兄ちゃんが携帯持ったら、凄いことになるに決まってるじゃない。ね、優花?)
(うん…)
 店員を呼んで、一応の説明を受けている兄を尻目に、妹たちは目で語り合っていた。
「さてさて、俺は決まったぞ」
「あ、うん…」
「え〜と、この携帯のメーカーの携帯は…ここのブースだな。決まったら呼んでくれ」
「うん、わかったよ」
 ちょっと自慢気に宣言する智也の意を受けて、妹たちは自分達の携帯も選びに行く。
 智也は、ひと仕事おえた満足感からか、1つ大きく息をついて、何気なく周りを見渡した。
 すると…。
「うっ…」
 周りにうっすらとではあるが、確かに人垣が出来ていた。
 思わぬ事態に固まる智也。
「は、はは…」
 ここは笑うしかない。
 とりあえず顔に引き攣った笑いを張り付かせつつ、今度は携帯電話のブースを見る。
 その時智也は、初めて異変に気が付いた。
「お客さんがいない…」
 これだけ周りに人がいながら、肝心の携帯電話の販売ブースに居るお客さんはというと、2人の妹たちだけだった。
 その妹たち2人はというと、携帯電話を片手に楽しそうに会話している。
(まあ、そりゃ注目されるよな…)
 智也は腕組みをして、妹たちの様子を目で追う。
 以前から妹たちと一緒に歩いている時は、連れが双子の姉妹ということもあって、かなりの注目を浴びていたのは確かだった。
 勿論、昔から2人とも可愛かったのだが、最近ではその可愛さの中に、どこか女らしさも見せるようになってきたと智也は感じている。
 今日、こんなに世間の目を集めているのも、そんな妹たちの成長っぷりが関係しているのだろう。
 自分が注目を集めている要素は排除して、そう結論付ける。
(なんせ、もうすぐ高校生だもんな…)
 ちょっと遠い目をする智也。
 そんな感慨に耽っていた智也を、優菜の呼び声が現実へと引き戻した。
「お兄ちゃん、決まったよ」
「…おっ、どれどれ」
 優菜の隣を見ると、優花も携帯電話を片手にしていた。
「2人とも、同じ機種だよな」
「うん、色違いだよ」
 優菜と優花が選んだのは、去年の暮れに発売された機種で、現在でも人気の機種として売り上げを伸ばしているものだった。
 色は、優菜のはやや赤みがかったオレンジ色で、優花のは薄いピンク色だった。
「よし、じゃあこれにするか」
 3人揃って機種が決まったところで、智也は改めて店員に声を掛ける。
 優菜と優花は、智也が手続きをしている間、各社の携帯電話を見つつ、ブースの中をうろうろしている。
 具体的な手続に入るところで、まず、智也は胸元のポケットから3通の紙を取り出す。
「これでいいですか?」
『同意書ですね…はい、大丈夫です』
 ほっとする智也。
 それ以降は順調に手続きも進み、晴れて3人は携帯電話を入手することが出来た。
「お兄ちゃん、どこかで休憩しようよ」
 携帯電話の入った袋を掲げて、優菜が言い出した。
「ん、俺はどっちでもいいんだが…」
 智也は、自分の左隣を見る。
 左には優花がいた。
「優花はどうだ?」
「えっと、わたしはまだ大丈夫だよ」
 主張しておきながらすぐ、俯いてしまう優花。
 そんな妹の様子に智也は首を捻るが、姉の優菜は見逃さなかった。
「ふんだ、優花はお兄ちゃんが一緒だったらどこでも良いんでしょ」
「そ、そんなこと…」
 煮え切らない妹に、優菜は智也に聞こえないように小声でトドメを刺す。
「お兄ちゃんの手を握ってたいんでしょ」
「あぅぅ…」
 途端、顔が真っ赤になる優花。
 今は、3人とも紙袋を持っているために、優菜は智也と手を繋ぐことが出来ていなかった。
 対照的に、優花は引き続いて智也と手を繋ぐことが出来ている。
 休む休まないの言い合いは、2人が智也と手を繋ぎたい、離したくないという気持ちから出たものだった。
 そんな2人の気持ちを汲み取ったのか、智也は2人の議論に割って入る。
「よし、じゃあこうしよう。まずは優花の持っている紙袋を、俺が持つ」
 智也は、優花から紙袋を受け取る。
「そして、優花の空いた手を、優菜が握る」
 智也の言うとおりに、優菜が優花の手を取る。
「これで、3人とも手を繋いでることになる。どうだ?」
「全然ダメっ!」
 優菜から大きく反対の声が上がる。
「むぅ、なかなかの案だと思ったんだが…」
 マジメに考え込む智也。
 だが、すぐに名案が思いついたのか、ぱっと明るい顔になる。
「要は手を繋ぎたいんだろ。だったら俺じゃなくて、優菜と優花2人で手を繋いだら…」
「「それはもっとダメっ!」」
「うっ…」
 ここまで鈍いと、逆に罪に問われそうな智也だった。
 智也の荷物を妹たちのどちらかが持てば解決するのだが、当事者たちは全く気付かずに、不毛な議論を戦わせる。
 先ほどの店内の様子をリプレイするかのように、今度はお店の入口で、またもや人垣に囲まれつつある3人組だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一方その頃。
 松風寮の201号室では、1人の男子が大きなお鍋を相手に格闘していた。
 男子は、湯気で曇るメガネを拭き拭き、お鍋の中をかき混ぜる。
 頃合良しとみて、男子はお鍋の加熱を保温状態にし、ご飯を盛り付けたお皿に中身を慎重にかけていく。
 お鍋の中身はカレーだった。
 そして、横で見守っていた、同じくメガネの男子に一言。
「主将、出来ました」
「うむ…」
 主将…茂雄はおもむろにスプーンを口に含んだ。
「…辛すぎず、甘すぎず、それでいてまったりとしてコクもある…ふむ、なかなかの出来だな健一」
「ありがとうございます」
 料理人改め201号室の住人、健一は、ちょっと口の端っこをひくつかせながらも、感謝の意を述べた。
 そんな健一に、追い討ちをかけるかのように声が飛ぶ。
「間淵〜、こっちにも運んで来いよ〜」
「大盛りな〜」
「は、は〜い…」
 力無く返事をして、お皿にご飯をよそう。
 現在、201号室にいるのは全員テニス部員で4名。
 寮生である茂雄、健一に加えて、今日は周と祐樹が室内にいた。
 一体、この4人が何をしているのかというと…。
「祐樹。その写真、もうちょっと小さく出来るか?」
「これか?」
「ああ。この場面は解説の文章を入れるからな」
「了解」
 祐樹はPCを使用して、部活のHPの更新作業。
 周は、HPのレイアウトや、文章の作成を担当。
「…ふむ、この分だと、今日中には更新できそうだな」
 茂雄は、全体を総括。
「お待たせしました〜」
「お、サンキュ」
「間淵、福神漬がついて無いぞ」
「す、すぐに持ってきま〜す」
 そして健一が、雑用担当だった。
「はあ…」
 健一はキッチンから福神漬けを取り出して、小さくため息をつく。
 今日は、健一たち新入生が入学して、初めての週末。
 実のところ、かなり楽しみにしていた休日でもあった。
 しかし、そんな楽しみをあざ笑うかのように、誰かを誘って駅前に繰り出そうかな〜と健一が携帯電話を取り出した瞬間、茂雄たちが乱入してきたのだった。
 確か、鍵は掛かっていたはずなのに…。
「健一、寮の全部屋のスペアキーは寮長が管理している。これは安全上の観点からいって、必要不可欠なことなのだ」
「心を読まんで下さい…」
 周に福神漬けを渡しつつ、健一はPCの画面を見る。
 今は、昨日の校内戦の全試合を、更新している最中だった。
「…というか、なんで俺のPCを使うんですかっ。ついでに言えば、何で俺の部屋なんです?」
 プチ爆発する健一を、周と祐樹は気にもしない。
 茂雄はカレーの熱で曇ったメガネを拭きつつ、健一に皿を突き出した。
「健一、おかわり」
「しばしお待ちを!」
 ………美しき上下関係がそこにはあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「以下、監督のコメント。『立ち上がりの悪さを改善する必要あり。具体的には、ファーストサービスの確率アップ、リターンの精度を高める練習を』…以上だ」
「…よし、OK」
「じゃあ、次の試合な。次は、1年の鈴木と森井の試合だ」
「おう」
 着々と、HPの更新は進む。
 健一は全員分の食器を洗った後、今は食後のコーヒーを淹れている最中だった。
「主将、1つ聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ?」
 茂雄は、テニス雑誌を読んでいるところから、健一のほうに顔を向けた。
「来週、というか今週末の対抗戦なんですけど、相手は一高なんですよね?」
「ああ、そうだな」
「一高と、この時期に試合をするメリットって、あるんですか?そこんところがよく分かんなくて…」
 晴海高校は、次の土曜日に強豪校、県立一高との対抗戦を控えていた。
 当日は授業のある日だが、既に公欠願は受理されているので問題は無い。
「健一、今のはいい質問だ」
 メガネをくい、と上げて、茂雄は言う。
「正直言って、今の時期に一高と対抗戦を組むことは、決してメリットは大きくない。勝敗はもとより、手の内を曝すことになるからな」
 健一は頷く。
「特に夏のインハイ出場を掛けた試合や、リーグ戦を考えると、一高の対抗戦は出来るだけ避けた方がいいだろうな。でもな健一、見方を変えてみろ」
「見方、ですか」
「そうだ。メリットは大きくないといったが、それは相手にとっても同じだ。相手もほぼ、同じことを考えている」
 茂雄は、周と祐樹のほうを見る。
 いつの間にか、2人とも茂雄のほうを向いていた。
「結論から言おう。今回の対抗戦の趣旨は、とにかく一高に勝つためだけに組んだ」
「勝つためだけ…」
 茂雄は黙って頷いた。
「周と祐樹は知ってると思うが、うちはまだ、一高に勝ったことが無い」
 健一は、祐樹から手渡されたプリントを覗き込んだ。
 祐樹が、ちゃっかりプリンターまで使っていることには気付いていない。
「…公式戦、練習試合を含めて15戦全敗ですか…」
「そうだ。恥ずかしい限りだけどな」
「で、でも、この2、3年では急激に差が縮まってますよね?」
「ああ。見ての通りだ」
 晴海高校のテニス部が立ち上がったのは、わずか10年ほど前のこと。
 当初は、大差で敗れていたのだが、近年では実力も拮抗。
 特に去年のインハイ予選では、殆どの試合がフルセットに持ち込む激戦の末、4−5という僅少差で涙を呑んでいた。
「去年の惜敗をうけて、今年は逆に打って出ることにした。即ち、この時期に1度、一高を叩いておこうと」
「…」
 健一を含めた3人は、茂雄の言葉に真剣に耳を傾ける。
 そこには、先ほどまで漂っていた、おちゃらけた空気は何処にも無かった。
「これは監督と話して決めたことだ。逆に言うと、監督が勝てると踏んだからこそ、この対抗戦を組んだってことにもなるな」
「な、なるほど…」
 考えてみれば、確かにそうだった。
 この時期に一高に勝てるチーム力と勝算が無ければ、対抗戦を組む必要性が無い。
 そして、今の時期に一高に勝っておくことは、今後のチームの結束力や士気といった、あらゆる場面で効果のあることだと志穂は考えている。
「それに、一高に勝つ為のオーダーは既に考えてある」
「ほ、ほんとですか!?」
 健一は思わず身を乗り出す。
 しかし、それを周が手で制した。
「健一、後は直前までのお楽しみだ」
「っ、そうですよね…」
 試合のオーダーは、実力順に出す必要は無いので、相手との読み合いになる。
 当然、相性の良い選手と当たればラッキーだし、外れれば、その1試合は負ける公算が高くなる。
 身内とはいえ、オーダーの発表は直前まで行わないのが通例だった。
「じゃあ1つだけヒントだ」
「あ、はい」
 1つだけ与えられてもしょうがないのだが、健一は茂雄の話をとりあえず聞くことにする。
「この試合、智也は単複共に出場する予定だ」
「…ええっ!?」
「なんだ、そんなにびっくりすることか?」
「いや、そうじゃないんですけど…」
 健一には、意外な一言だった。
「間淵、どうせ智也は隠しておくんじゃないかって考えたんだろ?」
「そ、その通りです…」
 周の指摘に、健一は頷く。
 対抗戦の場合はオーダーと同様に、実力順に出す必要が無いので、実力があり、なおかつ相手にプレーを見せたくない選手が居る場合、試合に出場させないということも、戦略の1つだった。
 ただ、レギュラー選手をあまりにも『隠し』すぎると、相手に失礼に当たるので、そこはバランスが必要なのだが。
「はは、良く考えろよ間淵。智也の場合は隠したってムダだ。なんせ、『有名人』だからな」
「あ、そっか」
「周の言うとおりだ。この時期にあくまで隠す必要があるのは、短期間で急激に伸びたレギュラークラスの人間か、あまり名の知られていない新入生だ」
 祐樹は、健一の肩をポン、と叩く。
「だから健一、お前も頑張れよ。今は智也のほうが先に走ってるけどな。先輩達が『隠し』たいって思える選手を目指すんだ」
「は、はいっ。俺、頑張りますっ」
 確かに、今は智也のが先行していて、到底実力で張り合うレベルにいなかった。
 昨日の校内戦の結果も受けて、その感想を更に強く持つようになった。
 だが、晴海高校には良い先輩と良い監督、そして良い目標となる同期の星がいる。
 どこまで追いつけるか分からないが、自分も精一杯頑張ってみようと、改めて健一は決意した。
「健一、決意してるところで悪いが」
 茂雄が声を掛ける。
「はいっ、なんでしょう?」
 健一は、なんでもやりますと言った勢いで振り返る。
「HPの更新、今度からお前が担当だからな」
「はいっ、わかりまし……たっ!?」
「ちなみに、HPの更新は不定期。依頼したときには迅速に更新作業に掛かるように」
 淡々と説明する茂雄。
 対して広くも無い自分の部屋の取り得は、インターネットが出来るPCがあり、なおかつHPの更新の最終決定権を持つ、茂雄と同じ区画に住んでいることだった。
 健一は意識が朦朧とする中、やっと理解した。
 わざわざ周と祐樹が休日なのに学校まで来て、自分の部屋に乱入してきた理由を…。
「…以上だ。何か質問は?」
「いえ、特には…」
「そうか」
 健一は意気消沈して、質問する気も起きなかった。
「次。間淵対大川の試合の監督のコメント。『大川は、持久力のアップが必要。間淵は…特に無し』」
「う、嘘ですよね?」
「嘘じゃないぞ、ほら」
 ノートを開いて、周は志穂のコメント欄を見せる。
 そこには、間違いなく志穂の字で『全体的にレベルアップが必要』と、コメントが綴られていた。
「よ、良かった…」
 ほっとする健一に、茂雄が追い討ちをかける。。
「全体的にレベルアップが必要って、特に無しってことじゃないのか?」
「あ、確かに同じ意味に聞こえますよね。周、すげーな」
「そうだろそうだろ」
「いやいや、凄くないですって…」
 前言撤回。
 先輩たちの中には、良い先輩と悪い先輩がいると、3人に弄ばれつつ、健一は切実に感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 子供だけでなく、大人も食べたいおやつの時間帯。
 智也一行は駅前の寿司屋さんに入り、昼食というにはかなり遅い食事を摂っていた。
 勿論、回っている寿司屋さんである。
「お兄ちゃん、はい」
「おっ、サンキュー」
 嬉しそうにマグロの乗った皿を突き出した優菜から皿を受け取り、智也は自分の前に置いた。
「はい、お醤油とわさび」
「おう」
 すかさず、今度は優花が智也の皿に、醤油とわさびを注ぎ足す。
 今の智也の状況は、ハタから見れば、至れり尽くせりの羨ましい状況だった。
 むろん、3人にとっては今の状態が普通の感覚なので、全くといって良いほど自然な身のこなしである。
「それで、さっきの設定で、メールアドレスも変更できたんだよな?」
 向かいに座っている妹たちに、智也は尋ねる。
 3人は店に入ってから、各人の携帯電話を取り出してメールアドレスの設定と電話番号の交換を行っていた。
「うん、さっきお兄ちゃんからメール、届いたよ」
 優菜は、自分の携帯電話の画面をこちらに見せてくる。
 確かに、『テスト』とだけ書かれたメールが届いていた。
「よし、じゃあ早速だけど、監督に連絡するかな」
「監督って、部活の?」
 優花は首を傾げる。
「ああ、実はな…」
 智也は優菜からハマチを受け取りつつ、部活のHPとメーリスの存在を教える。
 部活のメーリスの登録には、監督と、男子であれば主将の茂雄の承認が必要であるとも伝えた。
「というわけで、ちょっと電話してみるかな」
 ポケットからメモ帳の切れ端を取り出して、監督の自宅の連絡先をプッシュする。
 ちなみに携帯電話で掛ける最初の電話なので、ちょっとだけ嬉しさもあったりする。
「…」
 待つこと十秒程度。
 姉妹も何となく見守る中、智也は耳から携帯電話を離し、電源ボタンを押した。
「出ないな…」
 もう1度、紙切れを見る。
 志穂の連絡先は、実は自宅の固定電話と、携帯の2つを事前に聞いていた。
 今は自宅の固定電話に掛けたのだが、志穂は外出でもしているのだろうか、不在のようだった。
(さすがに休日だからな…)
 志穂への連絡は明日にしようと決める。
 何せ、今日は休日だ。
 休日に、志穂の私用携帯電話に連絡することは、ちょっと憚られた。
「じゃあ、主将に掛けてみるか」
 まずは、茂雄の番号を登録する。
「はい、お兄ちゃん」
「おっ、ナイスだ優菜」
 ハマチの次に、今度は優菜からキングサーモンが差し出される。
 キングサーモンは智也の大好物だった。
「もぐもぐ…」
 少々行儀が悪いが、構わず電話を掛ける智也。
 そんな兄の姿が妙におかしくて、優菜と優花は揃って笑顔になる。
 数回のコールの後、茂雄は智也の電話に応えた。
『丸山だ』
「…あ、主将ですか?俺です、安達です」
『ん、智也か…こんな天気の良い休日にどうかしたか?』
「実はですね…」
 智也は早速、携帯電話をゲットしたことを茂雄に伝える。
 その瞬間、茂雄の声が明らかに一変した。
『なに、それは本当か!?』
「あ、はい…」
『むぅ…』
 それしきり、茂雄は黙り込んでしまった。
「しゅ、主将?」
『ああ、すまない。ちょっと考え事をしていてな…。それより、メールアドレスは決めたのか?』
「あ、決めました」
『よし。じゃあ今から言うアドレス宛に1通、メールを送ってくれ。それでメーリスの参加登録をしておくからな』
 一旦フリーズしていたものの、さすがは切れ者で知られる茂雄。
 とてもスムーズに話は進んだ。
 智也は言われたとおりに、指定のアドレスにメールを送信。
 しばらくして直ぐに、返信メールが返ってきた。
『メールの本文に記載しているアドレスにメールを送ると、メーリス登録者全員にメールが行き渡る仕組みだ。そこらへんの詳しい話は、傍らにいる妹さんたちに聞いてくれ』
「わ、わかりました…」
 まるで監視されているかのように言い切る茂雄に、ちょっとびびる智也。
 慌てて店内を見回してみるが、不審な点は全く見当たらなかった。
 向かいでは、妹たちが不思議そうにこちらを見つめている。
『あとは、うちの部活のHPだな』
「あ、そうですね」
『HPのアドレスも、後ほど送っておこう』
「宜しくお願いします」
 智也は、電話越しに頭を下げる。
『智也、最後に1つだけ忠告しておこう』
「な、なんでしょうか」
 真剣な茂雄の声に、思わず姿勢を正す。
『送られてきたメーリスには、いちいち返信しなくて良いぞ』
「しませんよっ!」
 真剣になって損をしたと言わんばかりに、電話に突っ込む。
 自分の声でうまく聞き取れなかったが、電話の向こうでも、同じように突っ込んだ人がいるみたいで、なにやら笑い声がしていた。
『はは、じゃあな』
「はあ…お疲れ様です」
 ため息をついて、智也は会話を終了する。
 その流れのまま、いつの間にか置かれていたかっぱ巻きを口に持ってきた時。
「ん、なんだよその顔は…」
 こちらを見て、必死に笑いをこらえている姉妹を発見した。
 智也は、先ほどのやり取りを思い出して、ちょっと顔が上気する。
「お、男同士の会話なんて、こんなもんだろ…」
 誰に言うでもなく呟きつつ、かっぱ巻きを平らげる。
 優菜は、鉄火巻きを智也に差し出しながら聞いた。
「お兄ちゃん、もう電話はいいの?」
 優菜の顔はまだ少し、引き締まっていなかった。
 どうやら相当面白かったらしい。
「そうだな、今すぐ連絡しておくべきところは…」
 智也の頭に、1人の人物が浮かぶ。
 緊急連絡先のレベルで言えば、まず間違いなくトップに来るであろうその人。
 先ほどの電話のやり取りの流れで、危うく忘れてしまうところだった。
「危なかった…優菜、サンキュな」
「えっ、うん」
 もう1度紙を取り出して、智也はその人物の連絡先に電話を掛ける。
 2コール目に、その人物は電話に出てくれた。
『はい、もしもし』
「あ、遥さんですか?智也ですけど」
 智也の電話相手は、今回委任状を書いてくれた当の人物、安達遥だった。
『あ、智也くん?もう、随分遅かったじゃないのよ〜』
「はは、すいません。ちょっと手間取ってしまって」
 智也は、携帯電話を購入した後の出来事を振り返る。
 その後は、3人で駅前の服・雑貨品等をショッピングしたいという妹たちの強い要望により、いたるところに振り回された。
 勿論、ウィンドーショッピングだけでなく、いくつかの気にいった品物は、妹たちは購入している。
 智也は専ら荷物持ちだった。
『それより、今はどこなの?わたしはもう、駅前に出てきてるわよ』
 遥の声は、周りの雑音が大きくて聞こえづらかった。
「あ、だったら駅前の寿司屋さんの場所、わかりますか?今、その中にいるんですけど」
『う〜ん、ちょっと分からないわね…』
「そうですか…じゃあ、俺が言うところまで来てください。俺がそこまで迎えに行きますんで」
『分かったわ』
 智也は、店の近くにある、大きな建物を遥に指定した。
 遥もその場所は知っていたようで、すぐに着くと智也に告げて、電話を切った。
「ふう…さてと」
 智也は、向かいに座る妹たちを見つつ、席を立った。
「お兄ちゃん、遥さんが来るの?」
 優菜がもの凄くつまらなそうな顔で聞いてくる。
 横を見ると、優花も同じような表情をしていた。
「ああ。今日はたまたま、こっちに出てきてるから、ちょっと顔出しに来るってさ」
 折角の休日をジャマされるようで、優菜たちには少し申し訳ない気もしたが、智也は告げる。
 妹たちは、基本的に遥のことを慕っているので、それ以上、特に何も言わなかった。
 もの凄く、つまらなそうではあるが…。
「じゃあ、ちょっと遥さんを迎えに行って来るから」
 智也は妹たちを置いて、店のドアから外に出ていった。
 そんな兄を黙って見送った妹たち。
 それぞれ1つお皿を空けた後、優菜は優花に言った。
「…お兄ちゃん、なんか怪しいよね」
「うん…」
「もしかしてお兄ちゃんと遥さん、なんかあったのかな?」
「えっ、何かって?」
「例えば…こ、恋人を紹介しに来るとか…」
「ええ〜っ!?」
 優花は思わず叫んでしまう。
 店内にはあまり人は居なかったが、それでも周りの注目を集める
「ゆ、優花っ」
 自分が言い出した仮定の話なのだが、それは棚に上げてたしなめる。
「ご、ごめんなさい…」
 小さく縮こまる妹を尻目に、優菜は玉子巻きを手に取った。
「たちの悪い冗談は置いといて、遥さんが来るの、ほんとに偶然なのかな?」
 優菜には、そっちのほうが気がかりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 しばらくして、智也が遥を伴って、店に戻ってきた。
 遥は妙に気合の入った服装をしているため、事情の知らない周囲からみると、お似合いのカップルだとしか見えなかった。
 そんな空気を知ってか知らずか。
 智也の横に着席した後も、遥の機嫌はとても良かった。
「智也くん、あのキングサーモンちょうだい」
 遥は、回ってきたキングサーモンを指差す。
「いいですよ。醤油も足しときましょうか?」
「ん、ありがと」
 ちょっと前の光景とは逆に、今度は智也がまめまめしく動く番だった。
「ん〜、回転寿司にしては、なかなか美味しいわね。智也くん、よくこんなお店見つけたわね」
「知り合いに聞いたんですよ。最近リニューアルしたばかりということで結構有名になって…」
 楽しそうに話す2人は、恋人同士といるような雰囲気を出しているように感じられた。
「むぅ…」
 向かいの席にいる妹たちは、当然気に入らない。
 我慢できずに、優花は会話途中の智也に話しかけた。
「遥さん。お兄ちゃんとは結構会ってるんですか?」
「ゆ、優花!?」
 物騒な物言いに、慌てて優菜は妹の袖を引っ張る。
 姉妹では、特に妹の優花のほうが、智也絡みの事には1歩も引かない性格をしていた。
 遥がより先に、智也が優花に答える。
「いや、遥さんとは今年に入って2回位しか会ってないぞ。知っての通り、遥さんは忙しいからな」
「そう、なんだ…」
 智也の言葉に頷く遥を見て、優花は微妙な表情を浮かべる。
 だが、そんな優花の機嫌を直したのは、意外にも遥だった。
「ごめんね、優花ちゃん。折角の『デート』のところにお邪魔しちゃって」
「えっ」
 優花は一瞬で顔が赤くなる。
 身内とは言え、他人からデートと目されているのはとても嬉しかった。
「わたしも、出来ればお邪魔したくなかったんだけどね、優花ちゃんと智也くんの『デート』」
 その後、遥は続けて優菜にも同様に謝って、その場の空気をうまく収めた。
 その論理・組立は、さすが弁護士だった。
 智也は感嘆して、遥にアイコンタクトする。
(遥さん、さすがです)
 遥は、智也から2皿目のキングサーモンを受け取りつつ、満足そうに頷いた。
(ふふ、わたしは事実と感想を述べたまでよ)
 その後は遥をまじえて、4人は色々な話題で盛り上がった。
 主に話題は高校に入って間もない智也のことだったが、遥は話を巧みに振り分け、優菜と優花の中学校での生活っぷりでも、大いに盛り上がることが出来た。
 そしてしばらくして、遥は会話を締めくくった。
「今日はありがとう。久しぶりに笑わせてもらったわ」
「いや、こちらこそありがとうございます。また話、聞かせて下さい」
 智也が妹たちのほうを見ると、2人とも食後のお茶をすすりつつ、うんうんと頷いていた。
 そんな2人の息の合った姿を見て、遥は、思わず笑顔になる。
「じゃあ、そろそろお暇するわね」
「…俺たちも出るか」
「うん」
 結局、会計は遥が払うと言って聞かなかったので、ありがたく好意に甘えさせてもらった。
 店を出て、智也たちは遥を駅まで送るため、しばしの道のりを歩いていた。
 その最中…。
 智也は、優菜たちが話し込んでいるのを確認してから、遥に小さく聞いた。
「良かったんですか?今日はご飯食べただけですけど」
 遥はちら、と後ろを見て、笑顔で言った。
「いいのよ。わたしも今日は楽しかったし。それに、あんまり焦って言っちゃうのもどうかなって思ったから」
 遥が、とても良い笑みを浮かべて言うものだから、智也も何も言えなくなる。
「…分かりました。じゃあ、また今度の機会にということで」
「そうしましょ。今度はそうね…来週末にでも、時間作れるようにするわ」
「了解です」
 1番安い切符を買い、遥は改札口前まで来る。
 遥は最後に、周囲の喧騒に負けないように少し大きな声で言った。
「今日はありがとうね、3人とも。また一緒にご飯食べようねっ」
 遥は小さく手を振って、改札の向こうへと去って行った。
 智也は、そんな遥の後姿が見えなくなるまで、ずっと見続けていた。
 その遥を追う瞳は少し、悲しそうに見えた。
 そんな兄の心境を察したのか、優菜と優花は、優しく智也の手を握る。
「お兄ちゃん、私たちも帰ろ?」
「…そうだな」
 最後にほんの少しだけ目を閉じて何かを呟いた後、智也は笑顔を取り戻した。
 事情は分からないが、とにかくほっとする妹2人。
「お兄ちゃん、帰ったらゲームしよ?」
 嬉しそうにゲームの話をする優菜。
「夜にお腹が空きそうだから、お茶漬けでも用意しておこうかな…」
 顎に手をそえて、夜中のご飯を考える優花。
 そんな2人を交互に見て、智也は2人の手を強く握る。
 そして。
「優菜、優花、ありがとな」
 夕日を背負った智也の笑顔は、これまで見てきた中でも最高の笑顔だった。
「あっ…」
「あぅ…」
 2人は智也の横顔を見て、ぽっと頬を赤らめた。
 それほど今の智也の姿は、頼もしく、凛々しく、格好良かった。
 先ほどまでは智也をぐいぐいリードしていたのだが、今度は智也に引っ張られる形で、夕方の商店街を歩く。
 夕日の差す、初春の桜木町駅前にて。
 智也の顔には、もう暗い影は残っていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちなみに、その帰り道。
「あ、そういえば…」
 智也は今朝、由美子と交わした話を思い出した。
「どうしたの?」
「いや、今日の夜な、ちょっと鈴木家に顔を出そうかなと思ってるんだが…」
「「ダメっ」」
「そ、そうですか…」
 遥の出現によって、智也のターンは既に終了していた。
 泣く泣く鈴木家に電話を掛ける智也。
「…あ、由美子さんですか?…あの、今日の訪問の件なんですが…はい。ひじょ〜に言いづらいんですが…」
 仕事に失敗したサラリーマンのように、智也は何度も頭を下げる。
「えっ、美沙と美佳を貰ってくれるって言ったじゃないかって!?…由美子さん、いや隆夫さんも、ちょっと落ち着きましょうって…」
 …妹たちの痛い視線に耐えつつも、カッコイイ兄を目指して、智也の闘いは続く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 深夜の安達宅。
 優菜がいつものように先に眠りについた後、智也の部屋をノックする音が聞こえてきた。
「入っていいぞ〜」
 ゆっくりと、それでいて恥ずかしそうにドアを開けて入ってきたのは、優花だった。
 優花は、早速今日買ったパジャマを着ている。
「お兄ちゃん、もう寝るの?」
「ん〜、もうちょっとしたらな」
 音を立てないように注意しつつ、優花はドアを閉める。
 智也は、明日の授業の予習をしているところだった。
 ノートの上を軽快に走るシャープペンを止めずに、智也は優花に優しく言った。
「優花、先に寝てていいぞ」
「う、うん…」
 ちょっと頬を染めて、優花はベッドの掛け布団をめくる。
 一緒に眠る目的で来たのに、自分からの許可があるまで待っていた妹に対して、智也は苦笑する。
 というか、毎日のように妹たちが一緒に寝るようになったことについては、特に変だとは感じなくなってきている智也。
 妹に負けず劣らず、明らかに末期症状だった。
「…よし、こんなもんかな」
 ノートと教科書の類をカバンに仕舞い、最後に大きく伸びをする。
 部屋の電気を消そうと立ち上がったところで、携帯電話のランプが点滅していることに智也は気が付いた。
「ん、なんだろ?」
 優花の隣に潜り込みつつ、携帯電話を確認する。
 内容は、本日登録した部活のメーリスから流れてきたメールの到着を告げるものだった。
 メーリスから流れてきたメールは初めてだったので、早速確認してみる。
「送り主は健一か…」
 件名には、『HPの更新完了について』と記載があり、本文にはHPの更新作業が遅れた謝罪文が、延々と書き綴ってあった。
 ひとまず健一のことは忘れるとして、部活のHPにアクセスしてみることにする。
「お兄ちゃんの写真とかも載ってるの?」
「ああ、多分載ってるぞ。本来の目的は、各人が自分の記録を省みて、今後の成長に生かして欲しいってことらしいけどな」
「ふぅん…」
 優花もちょっと気になっているようだった。
 智也の腕の中に潜り込んで、半ば抱かれるような体勢になって画面を覗き込んでくる。
「おっ、出てきた出てきた」
「晴海高校テニス部ホームページへようこそ…」
 携帯で閲覧するにしては、ロード時間が非常に短い。
 割とシンプルなレイアウトで、HPは構成されているみたいだった。
「…年間活動表、部の歩み、交通機関を使用した、テニスコートまでのアクセス方法、と。外部から見れるのはここまでみたいだな」
「うん」
 ここで智也は、あらかじめ茂雄から聞いていたパスワードを入力。
 部員専用のページに入った。
 ページ内には幾つかの項目があった。
 学年ごとの部員紹介や、監督の紹介、今年に入ってからの試合の結果および詳細なデータ…。
「す、凄い量だな」
「気合入ってるね」
 思ったより、はるかに充実したデータ量だった。
 とにかく今、全ての項目に目を通すことは難しそうなので、智也は最新の更新がされている、『校内戦』の欄をチェックしてみた。
「うわあ…」
 次の瞬間、優花が思わず声を上げた。
「全試合のデータが載ってそうだな…」
 智也も唸る。
 何十試合行われた校内戦の結果と総括が、1つ1つ丁寧に分類されて画面に表示されていた。
(これは時間が掛かるだろ…)
 智也は、今の今まで作業をしていたであろう、同期のメガネが似合う男子に、心から同情する。
 とりあえず、女子のシングルスの『鈴木対森井』の試合を見てみることにする。
「えっと、『1年生同士の対決は、鈴木が7−5で勝利。試合は終始、鈴木の積極的な攻めに、両手打ちに変更中の森井が粘る展開。最終的には持久戦となるが、辛くも鈴木が勝利した』…凄いね。総評もちゃんと載ってるよ」
「そうだな。監督のコメントもあるし、なかなか凄いな」
 試合中の写真は、さすがに未だアップされていないようだったが、それ以外のコメント欄や、サーブの確率、凡ミスの数など、詳しいスコアはしっかりと掲載されていた。
「お兄ちゃんのは無いんだね」
「あ、ああ。だから、どこにも載ってないな」
 実は、ミックスダブルスで1試合出場しているので、かなり下のほうに記録が載っているはずなのだが…。
 智也は黙ってサイトを閉じた。
「よし、じゃあ寝るか」
「うん」
 智也は、猫のようにすり寄ったまま目を閉じる優花の頭をゆっくり撫でる。
 来週はいよいよ、本格的に試合も始まってくる。
 頑張ろうと密かに決意を固めつつ、智也も眠りの途に着いた。
 
 


保です。
今回はさくっとアップしました。

来週はいよいよ本番。
いろいろな出来事が智也くんに降りかかります。
修羅場は…作る予定です。

ちなみに、小説内の部活の試合設定などは、保のオリジナルですので、宜しくお願いします。











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