File1-3:日本語の乱れ〜後編〜
◇
「そこで、だ。」
唐突に佐竹さんが切り出した。
正しく季節は春に向かおうとしている。
それは千歳の通う県立高校が春休みに入っていることからも明らかで、今朝のニュースでは桜前線の北上状況を伝えていた。
しかし、この波斗市内にある氏神、九十九神社の跡地に吹く風は凩の様に冷たい。
「そこで?」
寒さに身を縮めながら千歳が訊いた。
「神社に来てみたんだけど、何処に言霊はいるのかな。
佐竹さんがしれっと言う。
心なしか風が強くなった気がした。
「……まぁ、あぁ、そ、んなことですか!だったらいい考えがあります!」
「いい考え?」
怪訝そうにする佐竹さんの目の前で、千歳は日陰に残っていた雪を掬い上げた。
そしてそれをそのまま捏ねる。
ややあって出来上がった雪玉に向かって千歳は叫んだ。
「これはシュークリームだ!」
「……………。」
冷たい風が、身に染みる。
「あのさ……。まだ春と断言するには早いんだし、変な人にならなくてもいいんだよ?」
「………。佐竹さんは……乙女心を判ってくれないのです。」
その千歳の呟きは佐竹さんの脆い部位を、ピンポイントで貫き通した。
「っ………。」
何度言われたことか。その台詞。
例えようのない焦燥感が佐竹さんを支配した。
「例え雪玉でも泥団子でも、それがシュークリームになるのなら、その可能性に賭けるのが乙女ですよ?!」
「……そんな安っぽい乙女心はイヤだ。」
不意に千歳が頭を鈍器で殴られたかの様に顔を歪める。
「いや……なんだか、御免。謝るからそんな顔しないで。」
しどろもどろになった佐竹さんに、千歳は手を振った。
「やだなぁ、いいですよ。と言うより、悪ノリしてすいません。」
「……して、その真意は?」
「はいっ。これがシュークリームに変われば、言霊が何処にいるのか判りますよ。」
「……成る程……。力が何処から来るかを見極めればいい訳だ。」
「はいっ。だから……これはシュークリームだっ!!」
瞬間、号音と共に神社の社の賽銭箱をひっくり返しながら、一陣の風が飛び出す。
小銭が飛び出し、賑やかに音を立てた。
そして風は千歳には目もくれずに何処かへ翔けて行った。
「あそこにいる様だね……。」
「………これはシュークリームだっ!」
「もう居場所は判ったんだけど。」
「それでもシュークリームは回ってる……。」
「回ってるのは地球。意味不明なことを言わない。……後で買ったげるから。」
「ホントですか!?聞きましたよ!その言葉。」
佐竹さんは何も考えずにそう言ったことを後々後悔することになる。
「……行こうか。」
「はいっ!」
そして二人は本堂へ歩みを進めた。
◇
社には訳無く入れた。
賽銭箱が号音を立てたときに人が全く出て来なかったことからわかっていたが、所詮此処は跡地、霊御形を移された抜け殻だ。
「元は神がいた場所、空き家だからね。言霊がいるかもと踏んだんだよ。」
と、これは佐竹さんの弁。
千歳はしかし、聞いてはいなかった。
左手の甲から肘にかけてが燃えるように熱い。
見ると、腕の外側に朱く刻印が浮きだしていた。
「佐竹さん……これ……。」
「やはりか……。」
佐竹さんもそれを見て顔をしかめる。
そして本堂の奥、本来なら霊御形が安置されているのだろう場所に坐る背中を、ひたと見詰めた。
「君が言霊か?」
「そうですが……。何でしょう?」
思いがけず若い声。しかも女性のそれだ。
「力を使うのを辞めて欲しいの。」
千歳が凜とした眼差しで言霊を見詰める。
言霊はゆっくりと、柔らかく振り返った。流れる様な黒髪がさらら、と広がる。
そしてそのままとん、と床に降り立つ。
はっとする程美しい、ぞっとする程艶やかな少女の象で。
口元に微笑みを湛えて。
「……何で?」
真っ正面から千歳の視線を受け止めた。
「……何で、こんな人を殺す様なことをするの?」
質問を質問で返す千歳の言葉は、形こそ質問だが、明らかに非難の響きが込められている。
「べつに殺すことが目的じゃありませんよ?結果、死んでしまっても、私を咎めるのは、筋違いかと。」
「ならば、咎めるべき相手とは?」
ピシリと音を立てるくらいに冷やされた声色。
千歳は佐竹さんのこんな表情を見たことがなかった。
まるで、世界の全てに敵対するかの様な、威嚇を超越した声、それにそぐわない能面の様な笑み。
「殺すつもりはなかった。だから死んでも自分の所為ではない。と?」
「咎められるべきは、彼等です。」
言霊の顔から微笑みが消える。
「彼等が何の気無しに“死ね”とか、言うのがいけないのでしょう。」
同意を求めるかの様に言霊は首を傾げた。
「違いますか。古来より日本には、言ったことが現実になる、という認識があったのでしょ?」
「否定はしないよ。今も、ある。そういうこと。」
千歳が答えた。
例えば結婚式
例えば葬式
日常に刻み込まれた忌詞は現代に残る言霊信仰だ。
しかし、一般に、四は“し”だし、有りの実は“なし”だ。
言霊信仰はそんなに言う程世間には広まっていない。
それだけに、今になって突然言霊が力を使い出したことは明らかに不自然だった。
「だったらいいじゃないですか。“死ね”と言ったらホントに“死ん”だ。言霊信仰のそのままじゃない。」
「言霊信仰が始まって何年になるのかは分からないけれど、今になって信仰が具現化するのは異常だ。」
佐竹さんがぴしゃりと跳ね付け、将に本題となるべきことを、訊く。
「君は一体、何を考えている?何で今になって力を振るう?」
言霊はしかし、何も言わずに俯いた。
「・・・・・・。私は、解って欲しかったの。」
「「・・・・・・?」」
千歳と佐竹さんがさんが揃って妙な顔をする。
その間も、言霊は呟く様に続けた。
「最近になって、私は、日本語は随分と歪められた。その言葉の意味を考えもしないで簡単に“死ね”とか“失せろ”とか・・・・・・人を罵るだけの言葉だと思ってる。」
言霊はいやいやをするかの様に首を振った。
その度に、今にも暗闇に溶け消えそうな黒髪が、さらら、さららと揺れる。
その仕草は、何かを振り払うかの様な、それでも振り払えない何かに、絶望するかの様な仕草だった。
寂しい、と千歳思った。
この暗闇で、日本語の権化は、歪められた自分を見ていたのか。
こんなにも管理された社会の下、その言葉の表す事象を知らずに、軽々しく使われる自分を。
可愛そうだとも、哀しいとも思った。
「だから私は力を行使して私の存在を知らしめようとしたの。」
「軽々しく言葉を使うな。よくその言葉を、事象を知ってから使え。と?」
ぴしりと佐竹さんが言い放つ。
「簡単に言ってくれるなよ。言葉は生き物だ。・・・とまぁ、君に言っても仕方がないが・・・。」
少し言葉を濁しながらも、佐竹さんは続けた。
「その時その時に合ったものに変わっていくんだ。平安時代の言葉と、江戸時代の言葉、そして今の言葉は全く違うだろう?」
だから・・・・・・、と佐竹さんは息を継ぐ。
しかし、その言葉の先を封じ込めるように言霊の声が飛んだ。
「だから?!だから何?!だから諦めろと?!周りの人の言う様に、その方が便利だからその状でいろと?!」
言霊は首を振った。体全身を使うように激しく。
そして願う。
誰もが願う、でも、手に入れることは難しい、人から貰うことも難しいことを。
「私はイヤ、そんなの!私を解って!本当の私を!貴方達の作った“私”に押し込めないで!」
千歳の頭に声が響いた。
今まで何度も、繰り返し言われ続けた、言葉が。
『千歳ちゃんなら』
『貴女らしくもない』
『流石は千歳ちゃんだね』
『貴女がそんなことを・・・・・・』
佐竹さんの頭に声が響いた。
今まで何度も、繰り返し言われ続けた、言葉が。
『君なら』
『佐竹ならこんなこと』
『佐竹らしくない』
『やはり君は乙女心が判ってない』
でも・・・・・・。
それは、泣いても叫んでも自分からは手に入らない。
しかも、心からそれをしてもらうこともまた、難しい。
千歳は思った。
我慢してもらうしかない、の、かな・・・・・・。
ひどく哀しい考えで、受け入れたくない考えだった。
我慢、するべきなのかな・・・・・・
・・・・・・わたしも?
突然飛躍した思考を繋ぎ止める。
それでも脳裏にある女が浮かぶ。
あんたなら大丈夫だからといって冷たく突き放した女が。
「・・・・・・。ねえ、あなたは・・・・・・。わたし達があなたを好き勝手使うの、そんなに、嫌なの・・・・・・?」
「「?」」
佐竹さんと言霊の表情がシンクロする。
「わたし達が、あなたを勝手に歪めて、改竄して、それで、楽しく、お喋りするのが許せないの?・・・許してもらえないの?」
「それは・・・・・・」
思いがけず言霊は俯く。
ある景色が脳裏に浮かぶ。
千何百年と昔、自分が生まれた頃。
『滅多なことを言うな。』
そんな言葉が、言霊が生まれた切っ掛けだった。
次第に、その時その場所で合わない言葉を避けるようになっていく。
『婚礼の最中に“切る”など……。』
『此処は斎宮だ。“法”だ“僧侶”だと、神道を莫迦にしているのか。』
大抵、言霊が引き合いにだされる時は、双方いがみ合う時だった。
だから、生まれてこなければよかった、と思ったこともあった。
それだけに、彼等が、思いを相手に伝えられることを願った。
そうすれば、彼等がいがみ合うこともなくなると思ったから。
だから、彼等がお互い解り合い、笑い合うのを見るのは嬉しかった。
例え、日本語の権化である、自分自身が歪められていても。
彼等が解り合って、笑い合って、その為の誇りある日本語になろう。と思った。
あれ?何で、何で私は……。私を使う彼等の笑顔の為には、歪められてもよかったんじゃないの?
ああ、そうか。今の“彼等”は、言葉を、罵る為に使って……。だから、だから……。
「わたし達は確かにあなたを歪めて、過大解釈したり、言葉を無くしたり増やしたり……。」
千歳は俯いて、それでも、日本語の権化に願った。
彼女なりの言葉で、歪められた日本語で。
「それでも、わたし達は話しをしたいの。お互いを解り合う為に、相手に思いを伝える為に。」
そこで千歳は苦笑する様に笑う。
「勿論、下らない馬鹿話も沢山して、馬鹿みたいに笑ったりもするけど……。」
「……あ…………。」
言霊は、がつんと頭を殴られた気がした。
そうだ、彼等も、彼等だって、お互い解り合って、笑い合うのか。
江戸時代の“言霊指南”という本、自分の名前を冠したそこには、てにをはの使い方を始めとする文法事項がまとまっていた。
そこから比べて、今の日本語は随分と変わってしまった、と嘆いた。
自分を勝手に解釈しないで、と嘆いた。
でも、嘆くだけで、自分は気付かなかったんだ。
その時だって、自分が生まれた平安時代に比べれば変わっていたという事実を。
平成の今に生きる彼等だって、お互い解り合い、笑い合うってことを。
「そうだよね。彼等、君等だって、相手を解る為に話しをして、笑い合って。私もそれを嬉しく思うんだった。」
不意に言葉を発した言霊に、千歳は驚いた様な顔をする。
言霊にはそんな彼女が急に愛おしく感じられ、彼女の笑顔、彼女を含む今の人々の為に、歪められても、いいかなと思った。
言霊は、照れ隠しに皮肉の様に口許を歪めて笑う。
「君等は人を罵るしかしないのかと思っていたよ。」
「失礼な。」
千歳が頬を膨らませ、それでも笑顔で。
そして、言った。
「それに、何と言われても、何と見られても、あなたはあなた。それを嫌になる気持ちはわたしもよく解る。だから、わたしが本当のあなたを、あなたの願いを覚えてるよ。」
「……ん、ありがと……。」
解ってくれる人がいるのなら、いいかな……。と言霊は呟いた。
彼等の為に変わっても、いいかな。それが、彼等の笑顔に、幸せに繋がるなら、それで。
社の外から、明るい子供の声が聞こえていた。
◇
言霊から風が起こった。
黒髪がぶわっと広がり、乱れる。
「じゃあさよなら、かな。もう合うことはないでしょう。」
言霊が髪の向こうで笑った。
「うん……」
「ちょ…ちょっと待って。」
泣き笑いの様な顔で千歳が言った言葉を佐竹さんが遮った。
「あ、佐竹さん。」
「あら貴女いたの?」
千歳と言霊のシンクロした台詞に佐竹は脱力する。
「いたさ……。何気に非道いね。地味に効くわ。」
しかし直ぐに復帰した佐竹さんは、真剣な調子で訊いた。
「最後に、これだけは教えて欲しい。」
「?」
「本当に君は、何故今になって力を?」
「ちょっと……佐竹さん……。」
焦って咎める千歳を言霊が手で制した。
「ごめんなさい。それは私も答えられない。気付いたら、今平成に生きる者に凄く腹が立っていたの。」
「……。」
急に黙った佐竹さんを千歳は気遣う様に見詰めた。
「気をつけなさい“不可知なるもの”を追う者。」
えっ?と素早く振り返った千歳に、言霊は手を振って、
「あ、待って!」
『それじゃあ、さよなら。』
一陣の風が吹いた。
こうして、男子高校生死亡事件以降の出来事に終止符が打たれた。
◇
『昨日、波戸市内の九十九神社跡地の賽銭箱が倒されているのが発見されました。
その神社は、昭和60年、現在の波戸神社に移され、社等の設備等だけが残っていたもので、近所の住民が入り込んだ可能性み考慮して、市民会で捜査を進めて行きます。
青少年の溜まり場等とならないよう、波戸神社の住職とも話しを進め、今後の対応を模索していく予定です』
不思議不可視議相談所にはそんな書き込みがある回覧板が置いてあった。
千歳はろくに見もしないで、佐竹さんに声をかける。
「佐竹さん、この回覧板、もう三日、四日経ってるじゃないですか。回さなくていいんですか?」
「いいの、いいの。大してみんな待ってちゃいないし、回さなくても死にはしない。」
と書類の山が、ではなくステンレスの机の上に出来た書類の山の向こうから、佐竹さんが答えた。
「そーゆー問題じゃないかと……。」
ため息をついてから、千歳は回覧板に目を通す。
「……。佐竹さんはあの一件、どう思いました?」
「……。あれで言霊も納得したんだから、いいんじゃないの?」
少しの沈黙もつかの間、あっけらかんと佐竹さんは言った。
「まぁ、そう言っちゃえば終わりですけど、彼女の願いは本当は……。」
「ま、確かにあれは妥協だよね。」
隠しも偽りもしない、佐竹さんの言葉に千歳は顔を曇らせる。
「そんな顔しなさんな。確かに彼女の願いを叶えてあげたいと思ったんでしょ?」
「はい……。でも、それは……。」
「難しいかった。と言うより不可能だった?」
佐竹さんは机の向こうから応接セットのソファーに座る千歳の向かいに回った。
そして沈黙する千歳に言う。
「ある所に二人人がいて、片方は片方が嫌いだった。」
「……?」
「そしてその片方は片方を虐めた。見兼ねた第三者が虐めを辞めさせた。」
佐竹さんは立ち上がってコーヒーを入れ始めた。
コーヒーの香りが相談所一杯に広がる。
「でも、虐めは終わっても、片方の片方に対する嫌いってキモチは消えない。」
「……!」
千歳の瞳が大きく見開かれるのを佐竹さんは気付かなかった。
「確かに嫌いじゃなくなれば一番いいのだけど、なかなかそうは行かないよ。今回のことはそれに似てる。」
「……だ、から、妥協、する……んで、すね。」
掠れ、途切れた声で千歳は言う。
「まぁ、仕方がなかったんだよ。その辺、千歳ちゃんの言ったことは良かったんじゃないかな。」
生きてく上で妥協は仕方がない。大切なのは、満足の行く譲歩が出来るかだよ。と佐竹さんはいいつつ、コーヒーを運んだ。
「……満足の行く譲歩、ですか。」
千歳は何だか淋しい気持ちになった。
本当に欲しいものに手が届かず、別のもので満足する。
それでいいの?わたしは……それで?
「これは、一つの考えだから、あんま捕われないで、これ飲んで落ち着いて。」
一応の断りを入れた直後、佐竹さんの足がフォルダの山にぶつかる。
「え、」
「あっ、さ……」
がちゃん、ばさっ、びしゃあ、みたいな音が一緒くたに鳴り、佐竹さんは転げ、近くのフォルダやファイル、書類の山がコーヒーに浸った。
「佐竹さん、大丈夫ですか?!」
慌てて雑巾を取りに行く千歳を、破片に気をつけて…、と弱々しく見送ってから、佐竹さんは絶叫した。
「まずい!書類!どうしよ……!」
春先の空は青く澄んで、人々が笑い合って、生きていた。
|