信愛ロスト
俺は昔から運が無かった。
生まれた家は裕福だったし、家族にも恵まれていた。
それでどこが運が無いんだ馬鹿にしてるのかと思う人もいるだろうし、実際口さがない知人には面と向かって言われたことがある。
恵まれているくせに、いつも薄幸そうな顔をしているのが気に食わなかったそうだ。
余計なお世話だと思う。
別に俺は、人を愉快にするために生きているわけじゃない。
そう思って気にしないようにはしていたけれど、やはり雑音が耳に残ることだってある。
「ウソ!あれが瑞貴君の弟?全然似てないじゃん」
「どうもお世話になっております黒川様。――――おや、そちらのお子は迷子でしょうか?これ坊や、親御さんはどうし………えっ!あっいや、失礼致しました!二人目のご子息とは知らず…」
「ねえねえ樹君!!樹君のお兄さんってカッコイイよね!でね、お兄さんに会ってみたいんだけど、樹君から私のこと紹介しといてくれない?」
「黒川氏のところはご長男に恵まれて本当に幸運でしたねぇ。これでもし兄弟が逆でしたらもっと立場がなかったでしょう」
「瑞貴さんは誠に素晴らしいの一言です。それにひきかえ樹さんの方は何をやらせても……やる気を見せてくださらないので困りますよ」
どんなに耳をふさいでも、家族が間に入ってくれても、それらは軽々と飛び越えてきて心に重石を乗せていく。
好きでこんな顔に生まれたんじゃない。
好きで出来ないわけじゃない。
俺だって、一目見て家族だって胸をはれるような子供に生まれていたらと、俺が一番そう思ってるのに。
これで家族にまで蔑まれていたら、俺みたいな弱い奴は自分で命を絶っていたかもしれない。
でもそれは、救いであると同時にひどく惨めにも思った。
そんな風にすっかり後ろ向きな俺だから、家族も…特に兄貴は気にしてくれていて、年とともにこんな俺でも利用価値があると思って近づいてくる女の対処には、よく協力してくれた。
まあ、協力なんてしなくても、兄貴を見ればだいたい自動的に兄貴の方へ群がるんだけど。
女運最悪で凡庸な俺が、今のところ騙されても毟られても搾り取られてもいないのは、兄貴のおかげだ。
だから実を言うと、俺はマトモに女の子と付き合ったことなんてなかった。
俺に寄ってくる女子は、大抵俺の向こうに兄貴を見てるか、俺に顔以外の何かで過剰な期待を寄せているかのどちらかだったから、付き合おうとか、好きだとか言われてもすぐに標的を兄貴に変えたり、「思ってたのと違うのよね」なんて言われてすぐに終わるのだ。
俺にとっての女っていうのは、俺じゃない違うものを見ながら俺を振り回すだけの生き物でしかなかった。
こんなのがあと、残りの人生で何回続くんだろうとうんざりしつつも、俺は俺なりにのんびり生きていた。
少数でも信頼できる同性の友人はいたので、別にそれで良かった。
そんな俺が何故、年下で見ず知らずだった桜花ちゃんと付き合うことになったのかといえば、大学の先輩のあけすけな一言からだった。
「お前みてーにつまんねー奴の方が桜花には合ってんのかもな…」
言葉だけ見るとかなり失礼…いや、態度も結構失礼な人なんだけど、あまり怒る気にはなれない。
鈴木紅さんは、不思議に人望のある人だった。
何故かみんなの中心にいて、何となく色んなことが許される人っていう典型で、面倒見もいいから後輩にも好かれていて、俺の友達にもファンが多い。
俺も紅さんみたいに、人を惹きつける性格だったら…なんてしょうもないことを考えるくらいには憧れていて、俺は紅さんに引き合わされるがまま、桜花ちゃんと付き合うという方向へと流されていった。
あるいは、紅さんの妹ならっていう期待も少なからずあったのかもしれない。
あったな。
ちょっと前までは俺も高校生だったくせに、いきなり高校生の桜花ちゃんと二人で置いてかれたときは、今時のしかも女子高生ってどうすればいいんだよ!と混乱したものだったが、それは桜花ちゃんも同じで、最初は二人して困っていた。
それが何だかおかしくて、良かった。
今までデート(今思えばあれはデートなんかじゃない)をした女の子たちと違って、桜花ちゃんは俺がどこに連れて行ってくれるかとか、どうリード出来るかなんてことを期待して、評価したりしなかった。
どこに行きたいか、俺と一緒に悩みながら、こういうときどこに行けばいいのかあまりわからない、と素直に困っていた桜花ちゃんに、俺は初めて、女の子という枠から、個人を見出したように思う。
紅さんが言ってたけど、桜花ちゃんは今まで誰とも付き合ったことがなかったらしい。
そんなことを出会う前から暴露されてたことを、きっと桜花ちゃんは知らなかった。
あんなに申し訳なさそうに途方にくれていた桜花ちゃんに、俺は初めて女の子を可愛いって思えた。
それなのに――――――
「お゛っ桜花ぢゃん―――!!」
なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
今更後悔しても遅い。
俺はただ、俺に巣食う暗い気持ちを、彼女一人に擦り付けただけだった。
しかも兄貴まで巻き込んで、傷つけるなんて。
「!おい樹っお前が泣いてどうするんだ!それより彼女だろ」
「も、おれ、かんっぜんにきらわれた……」
「だから!それより今は彼女を追いかけてやれって…雨降ってるし、傘も持ってないんだぞ。この上裸足でずぶ濡れで帰らせる気か!!」
最近じゃ滅多に聞けない兄貴の真剣な声に、俺はいつの間にか握り締めてた桜花ちゃんの靴を見た。
大粒の涙が、靴に落ちて、ぴん、と弾かれる。
…まるで、今の俺と桜花ちゃんみたいだった。
「とりあえず、靴を、はなせ」
「あんたたち、こんなとこで何してるの」
既に閉まりきっていたドアが開き、兄弟揃って女物の靴を手に囲んでいる俺たちに、帰宅した母さんは怪訝な顔を向けた。
特に、いい年して泣きべそかいている俺と、俺が持っている靴とを視線が往復している。
「…とりあえずそこをどきなさい。で、それは誰の靴?」
「母さん、ごめん。ちょっと待って。今それどころじゃ」
「傘もある。誰か来てるの?」
咄嗟に兄貴が口を開くが、母さんが許すわけなかった。
「女の子の靴よね。お客さん放って…しかも何で樹は形見みたいにして握ってるのよ。気持ち悪いわよ」
「ちょっと事情があるんだよ」
「何の」
母さんの目は誤魔化せそうになく、仕方なく兄貴が掻い摘んで説明しようとしたものの、逐一「何で」とか「どうして」と突っ込まれ、根掘り葉掘り話させられた後は、案の定――――雷が落ちた。
「あんたたちはっ!!!!揃いも揃って!!」
母さんが顔を真っ赤にして真っ青にした後、やっと玄関を通してもらえて探したけれど、桜花ちゃんの姿はもう、マンションのどこにもなかった。
コンシェルジュの話では、少し前に止める間もなく走って出て行ったらしい。
俺と一緒に入ってきたのを知っていたため家の方に連絡を入れてくれていたようだったが、マンション内を探して出払っていたせいで気がつかなかった。
それから俺は、二人で歩いてきた道を一人で走っていた。
二人分の傘を持って。
その間もかけ続けている携帯の呼び出し音だけが、雨の中、ポケットから空しく響いていた。
タグをつけるのって意外と難しいです。
つけたタグの他に、あと『おまえが泣くな』と『ぼけなすの存在感』と『彼女の形見』と候補があったのですが、読む前のネタバレになるかと思ってやめました。
…ふざけすぎかと反省するところだったのかもしれない。
読んでくださってありがとうございます!